50. NP:ピエラ村騒動 〜 作戦
――――― ★ ―――――
西の方角に座す山に目を向け、オークロードは口角を上げた。
あの山を越えれば恐らく、人間がいる。
先に行かせた偵察部隊は全滅。
それが人間の仕業であれば、あの先に人間がいることは確定だ。
人間は美味い。
肉が柔らかい上に味が良く、なによりとても弱い。
こんなに美味くて狩りやすい獲物はそうない。
人間の中にも強い者はいるが、自分と側近のブルーオーク達が蹴散らせばいいだけの話。
それに、強い人間ほど美味いというのは、自分だけが知っている秘密だ。
自分から向かって来るのであれば、手間が省ける。
一番望ましいのは、あの山の向こうに人間の集落があること。
人間の集落はまさに食材の宝庫だ。
人間だけでなく、「食べられる植物」もたくさん手に入る。
普段は自分達で歩き回って探さなければ手に入らないが、人間の村では地面一面に生えているのだ。
どうやら、人間どもはそれらの「食べられる植物」を健気に育てているらしい。
もちろん、自分達にはそんな技術など必要ない。
配下であるオーク達では知能が足りないし、何より、そんなものは自分たちで育てるより人間どもから奪う方が手っ取り早いからだ。
これまで長い道のりを進んできたが、口にできたのはゴブリンやダイアウルフぐらい。
そろそろ我慢の限界だった。
早く人間が食いたい。
あの柔らかい肉を、腹いっぱい食いたい。
人肉への欲求が膨らみ、オークロードはじゅるりと涎を垂らす。
次の瞬間、強い殺気を感じた。
心地よく燃えていた欲望の炎が、一気にかき消される。
「ブフゥ! ブオオオァァァア!」
反射的に警鐘を鳴らす雄叫びを上げ、周囲にいる配下たちを無理やり戦闘態勢に導く。
地面に座ってゴブリンの肉や骨を食んでいた配下のオークたちが雷に打たれたように立ち上がり、一斉に雄叫びを上げながら棍棒を構える。
殺気を感じた方向を向くと、そこには一匹の人間がいた。
頭の毛が青いその人間は、左手に盾を構え、右手に肉厚な短剣を握り締め、こちらに正面を向けて立っている。
「ブヒィィ!」
配下のオーク達に「殺せ」と命令を下す。
人間は総じて弱いが、中には強い者もいる。
少人数で攻撃してくる人間は、総じて弱くなかった。
特に、一匹で挑んでくる人間は強者が多かった。
勿論、そういった人間たちの尽くを返り討ちにしてきたが、最初の頃は舐めてかかって痛い目を見たものだ。
そんな苦い経験を活かすべく、オークロードはいきなり自ら突撃するのではなく、威力偵察のために先ずは少人数を送り出すことにした。
先ほど使い捨てにした10人の偵察部隊同様、それくらいの人死で相手の力量を図れるなら損はない。
5体のオークが、盾を構えた人間に突撃する。
彼らは一斉に棍棒を振り上げ──
ゴオォォォォォ!
突如、オークロードの後方で熱波が膨らみ、火炎の嵐が吹き荒れた。
「ブギィッ!?」
驚愕と共に振り向くオークロード。
灼熱の旋風が過ぎた後に残ったのは、複数の焼死体。
それらは、力で捻じ伏せて服従させたオーガたちだった。
焼け爛れた死体と化した5匹のオーガと、深刻な火傷を負った複数のオーガが転がっている。
その中には、オーガたちを束ねていたレッドオーガの姿もあった。
右半身を広範囲に渡って火傷し、無様にのたうち回っている。
致命傷ではないものの、右目を完全に焼かれているため、戦闘力の低下は免れない。
オークロードは経験から
魔法だ。
「ブヒッ! グブォオオオ!」
駒を食われたことへの怒りが込み上げる。
オーガたちは使い勝手のいい
特に長であるレッドオーガは、自分の側近であるブルーオークよりも強かった。
火傷のせいで価値が下がってしまったのは素直に惜しい。
オークロードは、魔力が膨れ上がった方向へと視線を向ける。
その卓越した視力が、すぐさまもう一匹の敵の姿を捉えた。
少し離れた森の中。
杖を正眼に構えた、頭の毛が金色で長い人間が立っていたのだ。
魔法を使ってきたのは、恐らくこの人間だろう。
魔法は厄介だ。
そのことを経験から理解しているオークロードは、魔法を放ってきた人間から殺すよう指示を出す。
が、口を開く直前、
「〈
背後──盾を持った人間がいた方から、大きな雄叫びが響いた。
瞬間、オークロードは強い怒りと威圧を感じて、思わずそちらへと振り向いた。
周りにいる配下のオーク達は、軒並みその声に怯え、ブルブルと震えている。
この声は、先ほど偵察部隊を全滅させた者の声と同じだ。
ということは、この人間たちが偵察部隊を殲滅させたのか。
見れば、今しがた威力偵察に行かせた5匹の配下が一人残らず地面に沈んでいる。
全員、盾を持った人間に殺されたらしい。
オークロードは悟る。
西と東から挟まれた、と。
「グオオアァァァ!」
オークロードは、配下を狂戦士へと変える雄叫びを上げる。
この雄叫びは、耳にしたすべての同族を強化し、強制的に戦闘本能を極限まで高める効果を有する。
この能力があれば、臆病風に吹かれた役立たずすらも、即座に死を恐れない殺戮兵器に変えることができる。
「ブギィィィ! ブゴォォォォォ!」
オークロードが下した命令は二つ。
一つは「ブルーオークとオーガどもは先ず魔法を使う人間を殺せ」。
もう一つは「レッドオーガとオークどもは盾の人間を殺せ」だ。
その指示に呼応し、2体のブルーオークと炎の旋風を生き延びた8体のオーガが杖を構えた金毛の人間の下に突撃し、酷い焼傷を負いながらもなんとか立ち上がったレッドオーガと50を超えるオークの大群が盾を構えた青毛の人間へと突貫する。
オークもオーガも、「レッド」が付く上位種は物理耐性が高く、魔法耐性が低い。
そして「ブルー」が付く上位種は魔法耐性が高く、物理耐性が低い。
そんな配下達の特性を理解しているが故の、合理的な部隊配置だ。
人間二匹には十分すぎる戦力だ。
たとえどちらかが劣勢になっても、自分が加勢すればすぐに済む。
人間の二匹程度、さっさと殺して食らってしまおう。
そして、山を越えて人間の村を襲うのだ。
久々の人肉の味を想像し、オークロードは抑えきれずに垂涎する。
「脇ががら空きだぞ、オークロード」
須臾、三人目の人間の声がすぐそばから響き、涎を垂れ流すオークロードを長剣が襲った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
時は少し戻る。
「作戦は明瞭にして簡単──分断して各個撃破だ」
オークロードとその軍勢を遠くに見つめながら、アレンは人差し指を立てて芝居がかった仕草で作戦を語る。
「相手は大群、こちらは少数精鋭。戦い方は自ずと限られてくる。……だが、それは相手も同じことだ」
「……どういうこった?」
レクトが分からないという顔で首を捻る。
「俺たちが先に仕掛ければ相手の出方をある程度まで絞ることができる、ということだ」
「まだよく分からねぇぜ。俺にも分かるように説明しろよ」
「それはさぞ難しいでしょうね」
横からダナンが茶々を入れる。
「……努力しよう」
散々な言いようのダナンとアレンにレクトが抗議する。
「なんだよ二人ともー。俺は前衛担当であって、頭脳担当じゃねぇぜ?」
「まぁ、それはそうだが、作戦内容はきちんと把握してもらわないと困るぞ? なにせ、今回の作戦のミソは俺たちの人数が『3人』というところにあるんだからな」
「どういうこと?」
流石のダナンもレクト同様、首を捻った。
「今の俺たちにとって最大の敵が何か、分かるか?」
アレンの出したクイズにダナンは数瞬だけ考え込む。
「それは……敵に数で劣ること?」
「それもまぁ、不利になる要素ではあるが、今回の場合に限って言えばそれほど重要じゃない」
「だな。俺たちならオークやオーガ程度、単独でも一度に10匹は相手できるからな。ブルーオークも、2匹ぐらいならなんとかなる。流石に同格のレッドオーガはタイマンじゃなきゃキツイけどな」
「レクトの言う通りだ。ただ数で勝るだけのオークとオーガなど、俺たちにとっては大した脅威ではない」
レクトは視線を遠くに飛ばす。
「真の脅威……それは、あのオークロードがオークとオーガの混成軍団を指揮していることだ」
遠くで微かに蠢く軍団を三人は同時に見詰める。
「レベル6のオークロードは、単体でも大きな脅威だ。そこに統率の取れた50匹近いオークと十数匹のオーガ、そしてこれまたレベル6のレッドオーガが加われば、流石に俺たちだけでは対処できない」
この世界において、質が量を圧倒するのは世の常。
質で勝る個が質で劣る軍を破るのは、もはや当たり前となっている。
実力で換算するならば、ランク2冒険者は普通の兵士と同等、ランク3冒険者ならば熟練兵士に近い実力を有する。
ランク7冒険者ともなれば一個連隊──約2000人の一般兵と同じ戦闘能力を持ち、人類最強とされるランク8冒険者ならば軍団でも敵わない天災級の魔物とも渡り合うことすらできる。
優秀な一兵は、平凡な一軍よりも価値があるのだ。
しかしそれもまた、絶対ではない。
質で数を押し退けることはできるが、そこにはやはり限界が存在する。
ランク7冒険者とランク2冒険者が一対一で戦えば、間違いなく前者が瞬殺という形で圧勝するだろう。
しかし、ランク7冒険者一人と二万人のランク2冒険者──極論で換算してランク7冒険者10人分の戦力──が戦えば、勝敗の行方は予測し難いものとなる。
圧倒的な数の暴力の前では、たとえ質の利があったとしても危うくなってしまう。
質の利とて、一つの要素に過ぎないのだ。
「同格の相手と少対多、そんな状態では勝算は無きに等しい。特に、今回のオークロードは同格であるはずのレッドオーガを従えるような異質なやつだ。一筋縄ではいかないだろう」
「だから敵を分断するのね?」
確認を取るダナンに、アレンは「その通りだ」と頷いた。
「俺たちにとって最も大事なことは『如何にオークロードを軍勢から引き剥がすか』というところにある。つまり、やつを孤立させ、最終的に俺たちとやつの三対一の状況を作ることにこそ勝機がある、ということだ。そのためには先ず、奴の軍勢──オークとオーガの混成軍団を誘導・殲滅する必要がある。
ここまでは分かったな?」
その問は、レクトへ向けたもの。
「確かに、あの軍団が相手じゃ分が
「そういうことだ、レクト」
レクトは脳筋だが、馬鹿ではない。
ちゃんと順序よく説明すればきちんと理解してくれる。
「でも、さっきの『こちらの人数が3人いることがミソ』って、あれはどういうこと?」
ダナンの質問に、アレンはニヤリと口元を歪める。
「3人いれば、あの軍団をうまく誘導・分断できる、ということだ」
「具体的には?」
「うむ。作戦の詳細だが──奴らの行動を先読みするに当たって、先ず前提条件として『オークロードは動かない』ものとする」
そんなアレンの発言に、ダナンが怪訝な顔をする。
「なんで前提条件なんて設ける必要があるの?」
「奴の軍勢の動きに絞って考えるためだ。最初に殲滅すべきはあの軍勢だからな」
「でも、そんな前提が本当に成り立つわけ?」
「大丈夫だ。可能性は十分にある。それに、奴が動く場合については後で説明する。具体的な作戦はこうだ──」
アレンは木の枝を手に取り、地面に図を書き始めた。
「俺たちは、三手に別れる。
最初にレクトとダナン、お前たち二人で敵集団を左右から挟み、敵の注意を引け。そうすれば、あのオークロードは必ずお前たち二人を倒すために部隊を作って送り出す。二人には送り出された敵部隊の誘導と殲滅に専念してもらいたい」
説明をしながら、アレンは地面に幾つかの図を書く。
「もしあいつが俺の予想に反して『賢くない』のであれば、様子を見ながら小部隊を作り、断続的に送り出してくるだろう。そうやって戦力を小出しにしてくれるのであれば、その小部隊を繰り返し殲滅するだけでいい。軍勢を少しずつ削り、最後に残ったオークロードを三人で叩く。これが一番楽なパターンだ」
そこまで言ったアレンは「だが──」と首を振る。
「──こうなる可能性は低いだろう。なにせ、相手は野営地周辺の木々を切り倒す知性がある魔物だ。戦力を逐次投入するとは考え難い」
「そうね。じゃあ、あのオークロードがアレンの予想通りに賢ければ?」
「戦力を総動員させる頭があるのならば、可能性は三つだ」
アレンは指を三本立て、指折り数えながら説明する。
「一つ目は、一点集中攻撃だ。
お前たち二人のどちらかを、奴ら全軍で叩きにくる。
そうなったら、狙われた方は全力で引き付けながら逃げ回り、もう一人が敵の後方からチクチクと攻撃する。それを奴らの軍勢が全滅するまで繰り返す」
「二つ目は?」
「二つ目は、散開からの包囲殲滅だ。
小部隊を複数編成し、お前たち二人をまとめて包囲・殲滅しにくる。
これも、二人は包囲されないよう逃げ回りながら、小部隊をそれぞれで各個撃破すればいい」
「逃げ回りながら相手を削るっつーのは結構しんどいけど、やれなくはねぇな」
「じゃあ三つ目は?」
「三つ目は、一番可能性が高いだろう、同時総力戦だ。
軍団を二分し、二人を総力戦で同時に叩く」
「その場合も、あたしたちは一つ目と二つ目の時と同じように、逃げ回りながら戦えばいいの?」
「その通りだ。敵が来たら後退し、部隊をオークロードから遠ざる。そうして雑魚どもを引きつけながら、徐々に削っていく。時間は掛かるが、確実に奴の軍勢を全滅させることができるだろう」
ダナンが「なるほど」と頷く横で、レクトが眉を顰めた。
「けどよ、アレン。逃げ回りながらチクチク攻撃するつったって、オークとオーガにブルーオークの混成部隊が相手じゃあ、流石に俺たちでもキツイぜ? 同一種で構成された群れなら戦い易いけど、色んな魔物が混ざった集団は戦い方が全く変わってくるからな」
オーガはオークよりも巨躯で、攻撃力も速度も上だ。
オークだけならば似たような攻撃しかしてこないので一定のリズムで戦うことができるが、そこに体格も違えば攻撃の威力と速度も違うオーガが混ざると、傾注する神経と対処する手間が倍に増えてしまう。
ランク6冒険者である3人にとってはそこまでの手間ではないものの、ミスが許されない命のやり取りにおいては間違いなく不確定要素としてカウントされる。
そういった「大したことない要素」が勝敗を決めることは多々あるし、ハイレベルな戦闘になると寧ろそういった「大したことない要素」こそが重要になってくる。
アレンたちにしても、「複数種の魔物と同時に戦う」という些細だが確実にある不確定要素は排除したいところだ。
「それに何より、あのレッドオーガはどうするつもりだよ」
レッドオーガはレベル6で、謂わばアレン達と同格だ。
まだ「アレイダスの剣」が5人パーティーだった頃に2度ほど討伐したことがあるからノウハウはあるが、強敵であることに変わりはない。
オークロードに支配されていても、レッドオーガはレッドオーガだ。誰かの配下になったからといってその強さが低下することはない。
ましてやそのレッドオーガが大勢のオークやオーガと一緒になって追ってくるとなるば、流石のレクトたちでも危うい。
「レッドオーガは魔法に弱い。レクト、最初にお前が飛び出してオークロードたちの注意を引き付けてくれ。そしてダナン、全員の注意がレクトに向いた瞬間、お前の必殺の魔法でレッドオーガに奇襲をかけてくれ。無理に倒す必要はない。大怪我を負わせて戦力を低下させられればそれでいい。それだけで大分戦いやくなるはずだ」
「分かったわ。あたしのとっておき──《
それを聞いたレクトが更に首を捻った。
「それなら、真っ先にオークロードを闇討ちすりゃ良くねぇか? ダナンの魔法で大本命を暗殺できりゃあ、後は楽なもんだろ?」
レクトの疑問に、ダナンは呆れ半分で答えた。
「なに頭の悪いこと言ってるのよ、レクト。オークロードはレベル6の魔物よ。いくら同格でも、あたしの魔法一発だけで倒せる訳ないじゃない」
レベル6にカテゴライズされるオークロードは、オークをベースにして変異・進化してきた魔物でありながら、その肉体性能はオークのそれを遥かに凌ぐ。
その差は、人間とリスザルの差といっても差し支えないほど。まさに別物のように強靭さなのだ。
そんなオークロードを同格であるダナンの魔法、それもたった一発だけで仕留めることは、どうしたってできない。
貴重な奇襲のチャンスを効果が期待できないオークロードへの攻撃に費やすのは、あまりにも勿体ない。
それに引き換え、レッドオーガは「魔法耐性が下位種並に低い」という明確な
そこを突ければ、一発の魔法でもそれなりのダメージを与えられるだろう。
流石に一撃で仕留めるのは不可能だが、それでも戦力を低下させることは確実にできる。
だからアレンとダナンは、最初の奇襲はオークロードではなくレッドオーガを狙い、倒すのではなくダメージを与えて戦闘能力を削ることを目的に据えたのだ。
「そういうことだ、レクト」
「なるほどな」
理解を示すレクトを見て、アレンは続ける。
「二人に部隊を突撃させる当たり、もしオークロードがそれなりに賢いのであれば、きっとレッドオーガをレクトに、ブルーオークをダナンに差し向けるだろう」
戦士には物理防御に長けたレッドオーガをけしかけ、魔法使いには魔法防御に長けたブルーオークをぶつけるのは、戦略の基本だ。
あのオークロードなら、それを弁えているはず。
「そうなったら、二人は敵をそれぞれ引き付けながら逃げ続け──あの辺りで交差してくれ」
そう言って、アレンは森の南方にある一角を指さした。
「あそこまで誘き出せば、十分にオークロードから距離を取れる。そして交差する際に、レクトはダナンを追いかけるブルーオークを、ダナンはレクトを追いかけるレッドオーガをそれぞれ攻撃。そのまま二人は合流し、残りを一気に殲滅してくれ」
「分かったわ。交差するまでに、できるだけ相手を削っておくわ」
「おう。俺も、あのレッドオーガ以外だったら、交差する前に全部やれる自信があるぜ」
ダナンが頷き、レクトがニヤリと笑う。
「次に、オークロードが自ら動く場合だが──」
アレンは笑みを引っ込め、深刻な顔を作る。
「そうなったら、もはやどうしようもない。狙われた方は、とにかく逃げに徹しろ」
その一言には、警告のような響きが含まれていた。
「とにかく逃げるって……それ、作戦って言えるの?」
ダナンの怪訝顔にも臆さず、アレンは真剣に言い放つ。
「それしか方法はない」
アレンの鬼気迫る態度に、二人も気を引き締める。
「さっきも言ったが、俺達の勝利への必須条件は『オークロード単体相手に三対一で戦う』ことだ。周りに一匹でも奴の軍勢がいたら危険なことになる。死者すら出るかもしれん。それだけは、断じて許容しかねる」
仲間を失うことは、冒険者にとって日常茶飯事だ。
死と隣り合わせの職業ゆえに仕方の無い
作戦を立案するのであれば、全員が無事な状態で目的を果たせるようなストラテジーでなければならない。
「奴がどのように部隊を分けたとしても、奴自身がそれに加わった時点で危険度が跳ね上がる。そうさせないよう、奴の部隊を奴から引き離す作戦を立てたが……こればかりは奴の行動次第だからな」
これまでの作戦は、あくまでも理想を語っているに過ぎない。
相手がどう出るかは、そのときになってみなければ分からない。
ある種、賭けに近いだろう。
「もしオークロードが直々に動いたら、絶対に挑むな。雑魚も相手にするな。とにかく逃げまくれ。逃げて、生き残って、再集合し、出直す」
オークロードが動けば、賭けに負けたことになる。
つまり、作戦は失敗だ。
渋い顔をする二人に、アレンはふっと微笑む。
「心配するな。奴が動かないようにする方法はある」
話の続きを待つ二人に、アレンは言った。
「最後に、俺の役目だが──」
その内容は、驚くべきことだった。
「俺の役目は、オークロードの牽制だ」
「け、牽制ってお前……出来んのかよ、そんなこと?」
「何する気なの、アレン?」
「やつが動かないように、挑発と攻撃を加え続け、俺に釘付けにする」
レクトとダナンが大きく目を見開く。
「これまでに説明した俺の作戦は、オークロードが動かない場合にのみ最大の効果を発揮する。だから最初に『オークロードは動かないことを前提にする』と言ったのだ。やつが動けば作戦の危険度は一気に増し、効率は急激に下がる。最悪、破綻すらあり得るだろう。そうならないよう、奴を釘付けにしておく要員が必要だ」
つまりそれが俺だ、とアレンは自分を指差す。
「おいおい、大丈夫かよ、お前一人で?」
「オークロードを倒すのは、流石に難しいだろう。だが、お前たち二人が奴の軍勢を引っ張って始末するまでの時間ぐらいなら稼げるはずだ。いや、稼いで見せる。それこそが俺の役割だ」
心配そうな顔をする二人に、アレンはニヤリと笑ってみせる。
「二人が雑魚共を一匹残らず蹴散らすまで、せいぜいあのオークロードと踊って見せるさ」
「でもよ、アレン。そいつが護衛を付けてたら、お前一人じゃ危ねーだろ?」
「そうだな。奴が己の身を守るために数匹の兵を護衛として侍らせる可能性はあるだろう」
先ほど描いた図の数々から少し離れた場所に、アレンは再び説明図を描き始める。
「あのオークロードが自らに護衛を付ける場合だが……まぁ、やつが人間並みに賢いのであれば、必ず己の身を守るために数匹の護衛を侍らせるだろう。
だが、それは問題にはならない」
「なんでだ?」
レクトの問いに、アレンが再び笑みを浮かべる。
「取り巻きが
護衛は王の側を離れられないから、俺が距離を取っても追ってくることはない。
加えて、王の盾になるなら、王への攻撃は全て防がなければならない。
つまり、離れた場所からオークロード目掛けて何発か魔法をぶち込めば、護衛は自ら盾となって勝手に魔法に当たりに来て、勝手に死んでくれる、ということだ。
こんな楽な仕事はないだろ?」
アレンの言葉に、レクトとダナンは目を丸くする。
「近接で戦うならかなり危険だろうが……俺には剣術だけではなく魔法もある」
そう言って、魔法剣士であるアレンは不敵に笑う。
「近接も魔法もできる俺なら、危険性はぐっと下がる。だからオークロードの引き付け役は、俺が最も相応しい。護衛がいようとも、遠くから魔法をぶっ放すだけで護衛共は自ら散って逝ってくれるからな。そうすれば、オークロードは俺に釘付けになり、自ら二人を追うどころか、部隊に指示を出す余裕すらなくなる。雑魚の掃除が簡単になるだろう」
アレンは二人を見回し、
「だから、こちらの人数が『3人』というのが肝心となるのだ。
俺だけではどうしようもないし、二人だけだとオークロードと部隊を上手く分断できない上に、オークロードが動けば詰む。
だが、三人いれば、一人がオークロードを足止めし、残り二人が部隊を分断・殲滅することできる。
この作戦は、俺たちの人数が3人以上になって初めて成立するんだ」
「なるほどね」
「そういうことかよ」
「今回の作戦の要は、分断して各個撃破すること。つまり、奴の軍勢を殲滅する二人こそが主役だ。俺はあくまで時間を稼ぐ脇役に過ぎない」
そんなことを言うアレンに、レクトとダナンが苦笑いを返す。
アレンが脇役など、それこそ特大の冗談だ。
今回の作戦は、オークロードが動かない・動けないことが前提条件だ。
オークロードが自ら出動し、部隊を指揮して追って来れば、作戦は破綻する。
そんな
重要性で言えば、間違いなく三人の中でもトップだろう。
「大一番となるのは、部隊を殲滅した後に待っている、オークロードとの三対一の決戦だ。
そこまで持っていければ──チェックメイトだ」
そう言って、アレンは地面に書いたオークロードの絵に「☓」を付けた。
「りょーかいだぜ、リーダー」
「あたしたちが駆けつけるまで無茶はしないでね、アレン」
「当たり前だ」
アレンは自信満々に頷き、左手を目の前にかざした。
「いざとなれば、この封印を開放するさ」
芝居気たっぷりに不敵な笑みを見せるアレンに、レクトとダナンは思わず吹き出す。
それは、オークロードがレクトを発見する5分前の一幕であった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「脇ががら空きだぞ、オークロード」
すぐそばで発せられた声に、護衛など残していないオークロードは反射的に振り返り、己の膝目掛けて迫る長剣を見た。
それを防ごうと、咄嗟に片刃の大剣を振り下ろす。
「ふっ!」
脚に力を入れ、アレンは攻撃を中止して後方に飛び退く。
魔力で脚部の筋力を強化する戦技〈脚力向上〉を事前に掛けていたおかげで、爆発的に向上した移動速度を以って振り下ろされた大剣の一撃を軽やかに回避することができた。
手加減なしに振り下ろされた片刃の大剣が地面に激突し、轟音を伴って大地に深い溝を掘る。
「褒めてやろう、オークロードよ。なかなかの反射速度と攻撃力だ」
余裕綽々な言葉を放つアレン。
しかし、心中はその台詞ほど穏やかではなかった。
(……予想以上の速度と威力だ。一撃でも食らえば致命的だな。この威力では、まともに剣で受けるのも得策ではない、か)
アレンの視線がオークロードの手に握られた片刃の大剣に向けられる。
超巨大な包丁のような造形。
鈍く光る白銀色の刀身は微かに魔力を帯びており、何らかの魔法の気配を感じる。
典型的な
(どこかの冒険者のものか? 厄介な……)
オーク達が使う武器は、その殆どが太い木材の先端に石を嵌めて作った棍棒である。
そんな粗末な武器であれば一太刀のもとに武器を破壊し、そのまま徒手となった相手を瞬殺するのだが、このオークロードの手に握られているのは、何処をどう見ても人間が作った
一切手入れをされていないから汚れが目立つが、使い手であるオークロードの魔力を取り込んでユラユラと魔力の霞を漂わせるその刀身は切れ味を一切失っていない。
ただでさえ人間種を遥かに上回る肉体を有するのに、そこに
(だが、当たらなければどうということはない)
自らの経験と知恵だけでその真理に至ったアレンは、回避に専念することにした。
当初の予想に反し、オークロードは護衛を残さなかった。
であれば、あとはオークロードが部隊を指揮できないよう注意を引きつけるだけでいい。
(レクトとダナンがこちらに合流するまでに簡単な威力偵察ができればいいのだが──)
そんなことを考えていると、
「ブギィッ!」
猪口才な! とでも言うかのような唸りを上げ、オークロードが再度アレンに迫る。
半回転し、片刃の大剣を横薙ぎに振るった。
魔力を纏った刃物は、それだけで高い切断性能を有する。
高性能な
そんなものが
豪速の大剣が眼前に迫る。
それを、アレンは回避────しなかった。
アレンは自分で名付けた「セイクリッド・ホーリー・セインツ」という「聖」の意が三重に込められた愛剣に魔力を込め、上段で斜めに構える。
そして、オークロードの片刃の大剣と接触すると同時に、流麗な動きで衝撃を緩和しながら構える角度を変えた。
受け流しだ。
横から斬り付けたオークロードの片刃の大剣が、氷上を滑走するかの如くアレンの長剣に沿って斜め上へと滑り、導かれるように流れていった。
教本に乗せてもいいほど完璧な「受け流し」だった。
魔力を纏わせたアレンの長剣は、砕けることなく見事にオークロードの片刃の大剣を受け止め、相手の斬撃の軌跡に沿って常に45度角になるよう剣を滑らせるアレンの妙技は、片刃の大剣の致命的な破壊力を完璧に宙へと逃した。
まさに弛まぬ鍛錬の賜物と天賦の戦闘センスがあって初めて為せる業だ。
アレンの長剣には分散されて程よくなった衝撃しか伝わらず、手には心地よい手応えしか残っていない。
対するオークロードは、全力の横薙ぎを容易く誘導され、空振りに近い勢いで放り出されて体勢を崩した。
その右脇腹は、完全にガラ空きだ。
この隙きを逃さず、アレンは攻撃の一手に出る。
一人でこのオークロードをどうにかできるとは思っていない。
なにせ、自分は引き付け役なのだから。
だが、情報収集もまたやっておきたい。
(どれだけの防御力があるのか、確かめてやるとしよう)
斜めに構えた長剣をそのままに、アレンは一回転。
オークロードの空いた右脇腹を斬り付けた。
ズズッ。
剣で肉体を斬ったとは思えないような手応えが長剣から伝ってくる。
まるで鈍器で岩壁を引っ掻いたような感触だ。
案の定、オークロードの脇腹には浅い傷口がほんのりと付いただけ。
比較的強めの力で斬り付けたはずなのに、それだけしかダメージを与えられなった。
当のオークロードにも、痛痒を感じている様子がない。
(くっ! 予想以上に頑丈なようだな!)
舌打ちするアレン。
次の瞬間、苦々しい顔が驚愕に変わった。
なんと、血を流し始めたオークロードの傷口が、みるみると治ったいったのだ。
深さこそないものの、アレンが与えた切り傷は20センチもあった。
それが、内側から赤く盛り上がっていき、あっという間に吸い込まれるように塞がり、痕にすらならずに消えてしまった。
「高速再生だとッ!?」
それは、思わず声に出してしまう程の驚きだった。
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