47. NP:ピエラ村騒動 〜 誤解

 ――――― ★ ―――――




「おう、帰ってきたかアレン」


 扉を開けて入ってきたアレンに、レクトが軽く手を振る。


 村長の家の横に建てられたこの一軒家は、ピエラ村唯一の客館である。

 客館といっても、村の一般住宅と同じ構造の一軒家で、一家三人が余裕を持って暮らせる広さしかない。むしろ、ただの民家といったほうが正解だろう。

 農村では、宿があること自体が非常に稀有だ。維持費が掛かるのに対して客はほぼ来ないので、商売ならないのだ。

 この客館も、元々は村に来る徴税官や貴族のために建てたものだが、徴税官は年に2度しか来ないし、来ても泊まることなどない。貴族に至っては来たためしがないので、普段は村に寄った商人や冒険者に宿として貸している。

 こういった農村の宿は地税も建築税も収益税も払う必要がないため、街の宿と比べて宿泊費が格段に安い。出される食事は農村にふさわしい質素さだが、それでも旅用の保存食よりは大分マシだし、何より屋根のあるところで寝ることができるので、冒険者としては非常にありがたい。


「ほら、飯だ」


 木製のトレイに乗せた皿と椀をアレンがレクトとダナンに差し出すと、二人は嬉しそうに受け取った。


「おお、来た来た! この村の飯は美味うめぇからな。飯時が楽しみだぜ!」

「本当よね。フェルファストの食堂より美味しいぐらいだもん。何処からこんなにたくさんの調味料を仕入れているのかしらね。特にこのコショウなんて、普通の村では値が張ってとても扱えないはずなのに」


 ピエラ村に来て一日。

 まだ2度しか口にしていないというのに、アレンたちの胃袋はもう既にこの村の食事によってしっかりと掴まれていた。

 木匙を手にしたレクトが、ダナンの疑問に答を示す。


「これも全部、あのナインって奴のお陰らしいぜ?」

「そうなの?」

「ああ。なんでも、あいつがあのオルガって美人の嬢ちゃんに栽培させてるんだとよ」


 この村に来てからというもの、「アレイダスの剣」の三人は手分けして村で情報収集をしていた。

 集めているのは魔物の目撃証言と、あのジャーキーというホワイトダイアウルフに関する情報。それこそ、どんな些末な情報でも見逃さなかった。

 だから、ジャーキーの飼い主であるナインの情報も必然と集まってくる。


「ふんっ!」


 アレンがドカリと席に座り、不機嫌も露に鼻で嗤う。

 村の食生活が豊かであるのは喜ばしいことだし、そのお陰で自分達も美味しい食事にあり付けるのだから、悪いことは何処にもない。

 なのに、アレンの態度は何処までも刺々しかった。


「どうしたんだよ、アレン。なんでそんなにナインあいつのこと目の敵にしてんだ?」

「なんでもクソもあるか! あんな軟弱なクズヒモ男、誰が気に入るというのだ!」


 そう吐き捨て、アレンは乱暴に背もたれに寄りかかった。


「お前たちも自分の耳で聞いていただろう。あの男は、まともな仕事など何一つせず、労働の全てをあのか弱いオルガ嬢と幼いエルフの双子に任せ、一人だけのうのうと暮らしているのだぞ?」

「まぁ、それは否定できねーな。あのエルフの双子は今日会ったばっかだけど、明らかに子供だったからな。オルガって嬢ちゃんも、畑仕事には向いてなさそうだったし」


 アレンが再度「ふんっ!」と鼻で嗤う。


「志願したらしい狩りの仕事は、あの外見なりからして全部、運任せだろう。本職である製薬に関しては、村の全員が口を揃えて『あんまり効かない』と言う始末だ」


 薬草師の真似事をする輩は数多く、後を絶たない。

 正規の薬草師に教えを乞い、真面目に学び、真剣に研鑽を積み、師より皆伝を得て薬草師になる──そんなまともなルートで薬草師に成る者は、ほんの一握りしかいない。

 大抵の者は、お婆ちゃんの知恵袋や地方の風習程度の知識を基に「独自の理論」を編み出し、薬草師と自称する。

 中には何の薬効もないただの雑草汁を薬草薬として処方する輩すら存在する。


 ──薬草師ほどモグリが多い職業もない。

 そう言われるほど、薬草師の質のばらつきは激しいのだ。


 薬草による治療は安価な分、効き目が弱く、効果が現れるのにも時間がかかる。

 そのため、正しい薬を処方したにも関わらず薬効が発揮される前に患者が死んでしまった、ということも度々起きる。

 そうした理由で、処方された薬がちゃんと効くのか分からない場合が多い。

 そもそもの話、薬草師を頼るのは大抵が貧乏人だ。

 彼らはその経済状況ゆえ、ほぼ確実と言っていいほど医者にかからない。

 病気になったとしても、最初に考えるのは「耐えていればいつかどうにかなるだろう」ということ。そうして病気が進行し、もうこれ以上耐えられなくなって──病状が極端に悪化して──やっと薬草師に見せに来るのだ。

 そのため、患者は高確率で手遅れとなる。

 つまり、医者の腕が悪くて死んだのか、それとも名医でも救えないほどの病気だったのか、判断が付きづらいのだ。

 こういった職業的特徴と顧客層の特性から、薬草師は「病魔を治せる神医」と「人命を弄ぶ詐欺師」の二種類のみという極端極まりない分類の仕方をされる。


 だから、アレンは憤る。


 満場一致で「あまり効かない」と言われている薬を作るナインあの男は、間違いなく後者詐欺師だろう、と。


「力仕事に向いてない? ならば体を鍛えるか、自分にもできる仕事を探せばいいだろう。結局の所、あの男は端から仕事をする気がないのだ。そんな男を、お前なら気に入るというのか、レクトよ?」

「そりゃあ、まぁ、好きにはなれねーかな」

「ふんっ。『好きになれない』ではなく『嫌い』の間違いだろう。あんな奴、好きになれる人間など何処にもいない」


 もう語るのも嫌という顔でアレンはムシャムシャとパンを貪り始める。

 そこに、香草の効いたスープを啜っていたダナンが悪い笑みを浮かべて口を挟んだ。


「あら、それがそうでもないみたいよ?」

「…………?」


 パンを頬張りながら視線だけで続きを促すアレンに、ダナンは悪い笑みを浮かべたまま言った。


「あたしの調査によると、村の人たちは殆ど全員が彼に好感を抱いているわ」


 ピタリと咀嚼を止めるアレン。


「……冗談だろう?」

「本当よ」


 ダナンの肯定に、アレンは不機嫌の極みのような顔でパンの咀嚼に戻る。

 憤慨を咀嚼力に変えているかのような乱暴な食べ方だった。


「なぜあんなクズを……! やはりドラゴンの力を持たぬ一般人の考えは理解できん!」

「はいはい、そういうのはいいから。……でね、あたしが仕入れたマル秘情報なんだけど──」


 たっぷり2秒ほど溜めたダナンは、人差し指をピンと立てて、とっておきのネタを披露する。


「──村長の娘のエレインね。……なんと彼女、ナインに『ほ』の字らしいのよ!」

「「────っ!?!?!?」」


 驚愕の事実に、レクトは口に含んていたスープを咥えた木匙ごと吹き出し、不運なアレンは飲み込む最中のパンを噴き出そうとして失敗し、食道と気管の境目に詰まらせてしまった。

 盛大に咳き込むレクトと、バリバリと喉元を掻き毟りながらピクピクと痙攣するアレン。

 食卓にちょっとした地獄絵図が広がる。


 数秒ほどして。

 いち早く非常事態から回復したレクトが、愕然とした面持ちでダナンに問う。


「ゲホゲホッ! それマジでか!?」

「多方から証言を得ているから、ガセネタじゃないわよ…………って、ちょっとアレン、大丈夫?」


 チアノーゼ一歩手前で机の上でもがき苦しむアレンに、ダナンが呆れたように彼の背中を叩いてあげる。

 そんなダナンのやっつけ気味な介抱のお陰で、アレンはなんとか詰まらせたパンを吐き出すことに成功し、辛うじて一命を取り留めた。

 何気にギリギリの救出劇であった。


「ゲホゲホゲホホッッ! うえっ、ぐふっ、ごほっ。……くっそ、ナインめ!」


 あの男さえ居なければ、こうして一切れのパンに命を奪われかけずに済んだのに。

 そんな理不尽な怒りがアレンの心を轟々と燃やす。

 とんだ逆恨みであるが、客観性を失った本人はそのことに一切気が付かない。「これはナインに関係ないと思うんだけど……」というダナンの突っ込みすら、彼の耳には届かなかった。


 涎と鼻水をふき取って正常に戻ったアレンは、グリンと首を回してダナンに振り向く。


「ダナン、その情報に間違いはないのか?」


 鬼気すら孕んでいる彼の質問に、ダナンは気圧されながらもはっきりと頷いた。


「………………これは、一大事だっ……!!」


 友人が恋慕している相手に惚れている男が居た。

 しかも、その男はよりにもよって村の寄生虫と呼ばれている(呼んでいるのはアレンだけだが)軟弱クズヒモ野郎である。

 これほど最悪な事はない。


(要するに、一番邪魔なのはあのナインということだ!)


 奴さえいなければ、エレインはきっとイーサンに振り向く。

 そして、あの可憐で哀れなオルガ嬢も、望まぬ労働から解放される。


「……やはり、奴を消すしかない、か……」


 不穏なことを本気の顔で呟くアレン。

 そんな彼を、レクトとダナンが慌てて窘める。


「おいおい、やめてくれよアレン。本気のお前を止めるのは骨が折れるんだぜ?」

「そういうことじゃないでしょ、馬鹿レクト!」


 的はずれな忠告をするレクトのスネに蹴りを入れつつ、ダナンは真剣な顔でアレンに言う。


「いい、アレン? このことは本人たちの問題なんだから、あたしたちは首を突っ込んじゃダメなの。早まった真似は、絶対にしないで!」

「……早まってなどいない、俺は至極冷静だ。奴が諸悪の根源であることは明白なのだ。奴さえどうにかすれば──」

「だから! そういうのをやめなさいって言ってるのよ! 彼に何する気よ!」

「そうだぜ、アレン? さっきも言ったけど、村で使われている香草は全てあいつの家で栽培してるんだぜ? 村から香辛料がなくなったら、逆に俺らが村人から恨まれちまう」


 食事の力は偉大だ。

 メシマズ生活に戻るくらいなら多少の不都合には目を瞑る、と村人が考えても何ら可笑しくはない。

 それだけ、美味しい食事というのは魅力的なのだ。

 それを妨げるようなことをすれば、間違いなく村人から反発ないし妨害をされる。


「それに、あのホワイトダイアウルフの飼い主もあいつだ。あいつを害そうとすれば、間違いなくあのホワイトダイアウルフが敵に回る。伯爵の使者からも、『ぬし』には手を出すなって言われているだろ?」


 そう言われ、アレンは押し黙った。


 ここ数日の調査で、あのジャーキーというホワイトダイアウルフこそが伯爵の使者が言っていた「ぬし」に違いない、という証拠は十分取れた。


 一口にダイアウルフといっても、その種類は様々だ。


 最もオーソドックスなのは、毛が灰色か茶色の、普通のダイアウルフ。

 討伐レベルは下から二番目のレベル2で、ひよっこを卒業したばかりの新米冒険者でも普通に倒せる程度の相手でしかない。


 もう少し強いところでは、上位種である「グレートダイアウルフ」が挙げられる。

 文字どおり体が大きく、普通のダイアウルフよりも高い身体能力を有し、知性もダイアウルフより高い。

 討伐レベルは、普通のダイアウルフよりも一つ高いレベル3だ。


 そして、そのグレートダイアウルフの更に上に「チーフテンダイアウルフ」という上位種が存在する。

 能力面はいずれもグレートダイアウルフよりも高く、人間に匹敵する知能をも有する。複数の群れを率いて戦うその様は、まさにダイアウルフの族長チーフテンと言って差し支えない。

 討伐レベルは、グレートダイアウルフよりも一つ高いレベル4となっている。


 上位種は比較的強力な存在だが、数がそれほど多いわけではない。

 そのため、出会う機会は少ない。

 何より、ランク6冒険者であるアレンたちにとっては、たとえ相手がチーフテンダイアウルフであろうと、何ら問題はない。

 ランク6とレベル4では、実力に天と地ほどの差があるのだ。


 この村にいるジャーキーという名のホワイトダイアウルフも、レベル4これくらいの実力だとアレンたちは考えている。


 最初はその特異な外見から変異種の可能性も考えたが、そんな突飛な発想はすぐに消えた。

 変異体など、100年に一度現れるかどうかという程に珍しい存在だ。

 凶暴にして凶悪、出現するだけで周辺環境に甚大な影響を及ぼす、歩く災害。

 発見されれば必ず討伐隊が組まれ、最優先処理事項として各国が総力を挙げて退治に向かうことになる。


(あんな子犬のように人懐っこい奴が、変異体などという恐ろしい存在のはずがない)


 ゼロ距離で触れ合ってみて、アレンはその実力の程をしっかりと掴んでいた。

 強者を相手にするときに感じる不安や恐怖、警戒や焦燥といった情動を、全く感じなかったのだ。

 つまり、あのホワイトダイアウルフはランク6冒険者であるアレンが「警戒に値しない」程度の実力しかない、ということ。

 人間であれば気配を隠していることも考えられるが、相手は野生の魔物だ。そんな高等テクニックを使えるはずがない。

 だから、あのジャーキーも、実力的にはレベル4、高く見積もってもレベル5程度だろう。

 アレンたちはそう考えたのだ。


「あのホワイトダイアウルフが近づく魔物を根こそぎ狩っているのだとしたら、この村周辺だけ魔物の被害が皆無なのも説明がつく」


 推定レベル4〜5のジャーキーは、アレンたちからすれば取るに足りない格下だ。

 しかし、一農村でしかないここピエラ村周辺では強者だ。

 調査によって判明したことだが、村周辺に生息している魔物はレベル3以下がほとんどで、強いものでもレベル4は超えない。

 そんな地域において、推定レベル4〜5のジャーキーは、まさに最強。

 名実ともに「ぬし」と呼べる存在なのだ。


「それなら、この村の飯の説明もつくな」


 レクトはスープの中にゴロゴロと転がる肉の塊をスプーンで突きながら頷く。


 大規模な畜産をしていない農村で肉が食卓に上がるなど、祭りか年越し余程のことでもない限りあり得ない。

 それこそ、腕利きの狩人が村にいなければ、日常的に食されるのはパンか麦粥に野菜クズのスープだけ。村育ちの三人にとっては常識だ。

 だから、最初にこの村で食事をしたとき、新鮮な肉料理が出てきたことに三人は少なからず驚いたものだ。


 貴族が来訪したならいざ知らず、ただ調査しに来ただけの冒険者に大切な財産である家畜をわざわざ絞めて提供する農民などいない。

 初日のみならず、後の食事にも新鮮な肉が大量に入っていたことから、彼らが日常的に肉を食べていることは一目瞭然だ。


 村にまともな狩人がいないのは、少し聞き込みをすればすぐに分かること。

 であれば、誰がこれらの肉を獲ってきているのか?


「ふむ。レクトも、この肉がジャーキーの狩った魔物だと考えているのか」

「当たりぇだ。狩人がいない村でここまで頻繁に、しかも大量に肉が食えるわけねぇからな」

「なかなかに恵まれている」


 ちなみに、「専業の狩人はいないけど、薬草師と兼業で狩人をしている人がいる」と村人は口を揃えていたが、それが誰か知っている三人は一様に聞き流した。

 のことは、そもそも考慮には入れていない。


「幸いなことに、新しいぬしは村人たちのペットと化している。野生ではなく人間の手で管理されているということは、ある程度のコントロールが効くということだ。少なくとも、むやみに人間を襲うことはしないだろう」

「そうだな。気分次第で大事を起こしかねない野生のぬしよりかは遥かにマシだな」

「しかし、それは同時に危険なことでもある」

「なんでよ?」


 アレンの言葉に、ダナンが首を傾げる。


「考えても見ろ。一つの山のぬしが人間に飼い馴らされているのだぞ? その山を統べる力を飼い主が握っているのと同義だ」

「それは……まあ、そうとも言えるわね」


 ダナンの同意に、アレンは指を立てて力説する。


「ここで問題となるのは、その飼い主があの軟弱クズヒモ野郎ということだ。俺は、村全体があの男にコントロールされているのではないか、と睨んでいる」


 アレンのある意味的確すぎる邪推に、ダナンとレクトが呆れた顔を向ける。


「またそういう話? それは邪推が過ぎるんじゃない? 村の人たちが彼に好感を抱いているのは本当よ? ジャーキーの武力に脅されている気配は全くなかったわ」

「…………」

「それに、あのナインって野郎は確かにクズでヒモかも知れねぇけど、何かを企んでいるって感じでもなかったぜ。使えねぇ奴ではあるかも知れねぇけど、邪悪な奴って訳じゃねぇだろ」

「………………」

「そうよ。あのオルガって娘にしても、あのエルフの双子にしても、ナインに脅されているっていうよりは、どちらかといえば自分で望んで畑仕事をしていたように感じたわ」

「……………………」

「お前の心配も分かるけどなアレン、今回ばっかりは考えすぎだと思うぜ?」

「…………………………」

「少なくとも、オルガちゃんとエルフの双子ちゃんは望んで働いてると思うわ」

「………………………………」


 交互に事実を陳述するダナンとレクト。


「──────あり得んっ!!!!」


 それを黙って聞いていたアレンだが、ついに我慢の限界を突破したのか、渾身の叫び声をあげた。


「あの可憐なオルガ嬢が望んであんな軟弱クズヒモ野郎のために働くなど、ぇっっっ対にあり得ん!!!!」


 こめかみに血管を浮かせ、真っ赤な顔で髪を振り乱しながら絶叫するアレン。


 あまりにも彼らしくないヒステリックな振る舞いに、ダナンとレクトは唖然とした。

 普段のアレンは落ち着いた人間だ。少なくとも、どんな状況においても冷静沈着であり続けようと努力している。

 こんなに取り乱したアレンを見たのは、彼が鞄の底に隠していた「†破壊ノ黒コントラクト・オブ・竜契約書ブラックラヴィッジドラゴン†」と題付けられた黒塗りの手帳を二人が覗き見たとき以来だ。


 ダナンとレクトの存在など意中にすらない様子で、アレンはまくし立てる。


「だいたい、何故オルガ嬢はあんな男と同棲しているのだ!

 同じ流民という境遇だったとしても、一緒に住む必要などないだろ!

 あんな男と一緒にいて、彼女の貞そ……身の安全に何かあったらどうするのだ!

 そんなことも分からんのか、この村の人間はぁぁぁ!!」


 唾すら飛ばしながら喚き散らすリーダーの狂態に唖然とするPTメンバー。

 今のアレンをランク6冒険者PTのリーダーだと認識できる者はいないだろう。

 そんなアレンのヒステリックな反応に、比較的聡いダナンだけは何かを感じ取ったようにハッとした。


「お、落ち着いてアレン!

 確かにあのナインって男はクズいかもしれないけど、オルガちゃんに手を出すような真似はしていないから!

 彼がまだ童貞だってことは村公認の事実だから!

 童貞は自分から女性を襲うなんて大胆な真似、絶対しないから!」


 そんな名誉毀損じみた事実を耳にして、アレンはピタリと動きを止める。


「……本当か?」

「ええ、本当よ。いろんな人が彼に嫁候補を薦めているけど、彼はまだ生活が安定していないことを理由に断り続けているそうよ。それはオルガちゃんが村に来る前も後も変わらないわ。つまり、ナインには今のところ女色に耽るつもりはないってことよ。だからオルガちゃんは安全なの」

「………………そうか」


 アレンから噴出していた怒りがスゥゥゥと納まって消え、電池が切れたダンシングフラワーのように静かになった。

 が、それも束の間、落ち着いたアレンは再び厳しい顔に変わる。


「いや、それでもやはりあのナインという男は放ってはおけん。今のところ大丈夫ということは、いずれオルガ嬢に手を出すかもしれないということでもある」


 そう言うと、アレンはすっくと立ち上がった。


「こうしちゃいられん。奴の危険性を理解していない村人に、何より奴のような男に好意を抱いてしまった哀れなエレインに、警告しに行かねば」

「えっ!? ちょ、ちょっと待って!」


 迷いなく部屋を出ようとするアレンを、ダナンは必死に止める。


「そんなことしなくていいから! っていうかしたら不味いから!」

「なぜだ? 危機を知らせるのは俺たち冒険者の義務だろ」

「危険とかないから! 確かにナインって男はある意味女にとって危険な存在かもしれないけど、冒険者が対処しなければいけないような危険じゃないから! 第一、この村の問題にあたしたちが首を突っ込んじゃダメでしょ!」


 制止しようと腕を掴んだダナンをズルズルと引きずっていたアレンは、「余所の村への干渉」と聞いてやっと足を止めた。

 ナインが危険ではないということにはまだ納得していないようだが、少なくとも少年の悪口を村中に喧伝することは諦めたらしい。


「むぅ……だが、このままではオルガ嬢が……」

「大丈夫よ。オルガちゃんはああ見えて結構しっかり者だって村では有名だし、彼女に懸想している男はそれこそ村中にいるのよ。村中の男がナインを監視していると言っても過言じゃないわ」


 その言葉に、アレンはあからさまにホッとする。

 が、すぐに微妙な顔になった。


「む、村中の男が懸想……、そうか……」


 どうやらそこが引っかかっているらしく、かなり微妙な顔になっている。


「で、では、エレインはどうだ?」


 そして、重要な事を思い出したとばかりに続ける。


「あんな男に取られることはないと確信しているが、流石にあんなクズに勘違いで思いを寄せているエレインが可哀相だ。何より、イーサンが不憫だ」

「『勘違いで』って、酷い言いようね……。まぁ、そっちも大丈夫よ。エレインは村長の娘なんだから、結婚するなら婿を取ることになるわ。あんな働かないクズを婿養子──次期村長にするなんてことは、誰も賛同しないでしょう?」

「おお、なるほど、そうか! そうだな!」


 悩みが解消されたように晴れやかに笑うアレン。


「つまり、あんな男など最初から恐れるに足りなかった、ということだな!」


 果たして何を恐れていたのか、アレンは「我に怖いもの無し」という会心の笑顔を浮かべる。

 そんなアレンを見て、ダナンは自分の推測が外れていなかったことを確信する。


(やっぱり。アレンったら、あのオルガって娘に惚れちゃったのね。自分ではまだ気がついていないみたいだけど……)


 アレンが取り乱していたのは、ナインに対する嫉妬による焦りと怒りのせいだ。

 それなのに、本人はクズ男のクズな行いに対する社会通念的憤怒だと思い込んでいる。

 一方的にオルガが被害者になりうると考えたのも、独善的にエレインが騙されていると考えたのも、全ては恋のライバルと無意識に認識しているナインに対する警戒から生まれた、捻じ曲がった対抗心の仕業だろう。


(ナインには「ご愁傷様」としか言いようがないわね)


 ダナンの哀悼の意には、二つの意味があった。


 一つは「相手が悪い」という意味。

 アレンはランク6冒険者だ。

 冒険者の中でも上位に位置する彼は、人々からの信頼が厚いだけでなく、収入も比較的多い。

 容姿も凛々しく、のっぺりとした顔のナインと比べても決して悪くない。

 つまり、女性が求める結婚条件スペックを、これ以上ないほどに満たしているのだ。

 一農村の青年でしかないナインでは、相手にすらならないだろう。

 だから、恋のライバルという意味では、ナインではアレンに勝てない。


 そして、もう一つの哀悼の意もまた「相手が悪い」という意味だ。

 これが初恋となるアレンは、色恋の手管をなにも知らない。

 それどころか、自分の中の気持ちにすら気が付いていない有様だ。

 そんなアレンがこれからどんな行動を起こすのか、ダナンにすら予測が付かない。

 中二病でも恋はできるが、その過程に紆余曲折は付き物。

 先程のような暴走とか、激しい思い込みとか、捻じ曲がった対抗心とか、そのいい例だ。

 そんな紆余曲折に巻き込まれてしまう恋敵ナインにも過酷な試練巻き添えが待ち受けていることは、想像に難くないだろう。

 中二病な恋愛初心者がライバルとくれば、もう「相手が悪い」としか言いようがない。

 だから「ご愁傷様」とダナンは黙祷を捧げたのだ。


「とにかく、無茶はしないでね。一応、ナインはあのジャーキーの飼い主でもあるんだから。伯爵様の使者殿にも言われたでしょ? ぬしには手出しするなって。ナインに何かするってことは、間接的にぬしを刺激することにもなるんだからね」

「むぅ……それも……そうか……」


 納得はしないが理解はした。

 そう大きく書かれているアレンの顔を見て、ダナンは大きく溜息を吐いた。

 これでなんとか一先ずアレンの暴走を防ぐことができた。


(エレインの他にも何人かナインに思いを寄せている娘がいるかもしれないってことは、絶対黙っておきましょう……)


 話したところで、いいことは何一つない。

 少なくとも、アレンの精神衛生には後ろ向きな影響しか与えないことは明白だ。

 場合によっては流血沙汰になるかもしれない。

 流れるのは主にナインの血になるだろうが。


 ダナンが疲れた頭を軽く振ると、視線の端に楽しそうな笑顔を浮かべるレクトの姿が映りこんだ。

 レクトは色恋に興味はないが、別に鈍いわけではない。

 ダナンが察したように、レクトもまたアレンの胸中を察している。

 が、関与するつもりは一切ないらしい。


 一切の援護を寄越さず終始ニヤニヤしているだけのレクトに、ダナンは恨めしそうな顔を向ける。


(くっ! その「俺の仕事じゃねぇし」みたいな感じで竦めた肩をバッキバキに粉砕してやりたいっ! レクトのアホっ!)


 実際の恋愛経験はないものの、パーティー内で多少なりとも色恋の知識を持ち合わせているのは、自分しか居ない。

 そのせいで自分はこんなにも疲れているのかと思うと、耳年増な我が身を深く呪いたくなる。


 情報の刷り合わせを兼ねた晩餐が、なぜかリーダーによる暴挙を未然に防ぐネゴシエーションの場になってしまった。

 そのことに、苦労人なダナンは再び溜息を吐いたのだった。

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