45. NP:ピエラ村騒動 〜 予感

 ――――― ★ ―――――




 アレンたちは村長のベンに連れられ、一軒の家の前までやってきた。

 それなりに広いが、建築面積以外はどう見ても普通の民家である。


(ここにダイアウルフの亜種か上位種というのを飼っている人間が住んでいるのか)


 ベンが家の扉を開ける後ろで、アレンは期待にはやる気持ちを引き締める。

 ここに、ぬしの手がかりあるかもしれない。


 開いた扉から漏れ出た植物の青い匂いが鼻腔を擽る。

 薬草を取り扱う人間の家であるのは確からしい。


 中からベン達の話し声が聞こえる。

 果たして、ナインという男はどんな人物なのか。


 ちょうどベンの会話が本題に入ったところで、アレンは家へと入る。

 レクトとダナンも彼に続いた。


「そのことは、俺から話そう」


 そこで、アレンは初めてナインという人物と対面した。


「俺はアレン。こっちはレクトとダナン。フェルファストから来たランク6冒険者だ」


 アレンの紹介と共に、レクトとダナンが軽く頭を下げる。が、口は開かない。

 どうやらこの場を完全にアレンに任せるつもりらしい。


「はじめまして。私は──」

「ナイン、だろう? 村長から聞いた。敬語はいい。お互い、歳は近いみたいだしな」


 アレンは眼の前の少年を隈なく観察した。

 種族は、自分と同じ人族。

 顔の作りがほんの少し平たいということ以外に語るべきものが何もない、平凡な容姿。

 自分も大概細身だが、そんな自分よりも線の細い体型。

 武術の「ぶ」の字も知らないような素人臭い出で立ちと佇まい。

 もしこの少年が人ごみに紛れ込んだら、ランク6冒険者の目を持ってしても見つけ出すことは難しいだろう。

 それほどまでに凡庸な少年だった。

 もはや人間であること以外なんの特徴もないとすらいえる。


 続いて、アレンは視線を少年の後ろに移した。

 どんな人間と一緒にいるのかを見ることで、その人間をある程度評価することができる。

 アレンは素早く少年と一緒にいる人たちを観察した。



 先ずは、村長を「お父さん」と呼んだ少女。


(この娘がエレイン、イーサンが入れ込んでいる女か)


 流石はイーサンが惚れるだけのことはある、村娘とは思えないほどの美貌を持った、親近感を抱き易い少女だ。

 扉を開けた瞬間は何故か彼女から殺気らしき気配を感じた気がするが、恐らく気のせいだろう。


(うーむ、かなりの美人だな。しかし、これはよくないな……)


 友人の惚れた女が見知らぬ男と一緒にいる。

 だからなんだと言われてしまえばそれまでだが、アレンにはこの状況がとてもよろしくないように思えてならなかった。


(元々遠距離恋愛というものは難しい……らしいと又聞きしたことがあるからな。彼女がイーサン以外の男と一緒にいて、万が一その男に惚れてしまっては大変だ)


 恋愛経験が皆無なアレンだが、酒場で聞く恋愛譚はだいたい覚えている。

 エレインの周りにいる男は少ない方が良いことは、耳年増でしかない彼でもよく分かっていた。

 無意識のうちに、ナインという少年への警戒心が強まる。



 最後に、アレンはエレインの反対側に立つボブショートの少女に目を向けた。

 その少女を瞳に映した瞬間────アレンの意識が漂白された。


 美しい。

 嗚呼、美しい。

 なんて美しいんだ。

 本当に美しい。


 そんな語彙の乏しい感想がアレンの脳を波濤が如く埋め尽くした。


 信じられないような美少女だった。

 難癖すら付けようがない美しい顔立ち。

 王族の妾だと言われても納得する優美な体つき。

 先端に紫色のメッシュが入った黒髪がミステリアスな雰囲気を纏わせ、彼女をより神秘的な存在へと昇華させている。

 アレンが赤面しなかったのは、多分全身の血液がバクバクと大音量で脈打つ心臓に集まってしまい、顔まで行き渡らなかったからだろう。だからか、今は寧ろ顔面蒼白に近い状況だ。

 こんな美少女はフェルファストでも……いや、王都でも見たことがない。

 それはまさに、女神との邂逅。

 オルガという絶世の美少女が、アレンの魂に二度と消えないほど深く焼き付いた瞬間だった。


(──はっ! いかんいかん!)


 一瞬だけ持って行かれた意識を、アレンは必死の思いで引き戻す。


(惚けている場ではない! 今はこのの素性を探らなければ!)


 アレンは、瞬時に目の前の少年──ナインを危険視する。

 それは、本能的な敵意。

 イーサンが惚れた女だけでなく、これほどの──絶世の美少女と一緒にいる。

 おまけに、白いダイアウルフまで飼っているというではないか。

 その事実だけで、アレンのナインに対する警戒度合が大きく高まる。思わずナインを見る視線に険が混じるほどに。


(美女を侍らせ、魔物を飼い馴らす……。はっ!? もしやこの男、伝説に伝え聞く「至悪皇帝」の生まれ変わりか!?)


 至悪皇帝とは、嘗て北方の国々を統べていた暴君だ。

 強力な魔物を使役し、重税と悪法で民を苦しめ、国中の美女を手篭めにした、残虐極まりない人物だったと歴史書に記されている。

 今では邪悪と退廃の代名詞となっている。


 アレンには、眼の前の少年がそんな至悪皇帝と重なって見えた。

 ただ、相手が危険であればあるほど、自分の考えを悟らせてはならない。


「ゴホンッ。実は──」


 むき出しの警戒心を上手く隠したつもりのアレンは、一つ咳をして話を進めることにした。






 ◆ ◆ ◆






「魔物の大移動?」

「ああ、何かとても強い魔物が出現したことによって、その移動経路上にいる魔物が居場所を追われ、大々的に遷移することだ。一種の異常事態だな」

「……なるほど、興味深い話だなぁ……。(全然気が付かなかった……)」


 アレンの説明を聞いた家主の少年は、まるで何かを後悔するように遠い目になった。

 幸い、彼の最後の小声の呟きは、誰の耳にも入ることはなかった。


(そんなことになってたのか……)


 異常事態の片鱗を見落としていたことに、家主の少年は密かに冷や汗をかく。


(そういえば、確かオルガが……)


 以前、狩りに出かけた際、同行していた同居人の少女が何かを言いよどんだことを彼は思い出す。

 コッソリと同居人の少女に目を向けると、彼女に首肯を返された。

 どうやら最近の魔物増加が異常事態だということを、彼女は薄々と気が付いていたようだ。


(マジですか~~~~!!)


 暢気に「暖かくなったから魔物が増えたんだろう」と考えていた自分を大いに恥じる少年は、内心だけで絶叫する。

 あまりにも間抜け過ぎる失態だ。

 身悶えしそうになりながらも、少年は全身の自律神経をフルにコントロールし、何とか頬を赤く染めないよう勤めた。

 そんな渾身の演技が功を奏したのか、彼の動揺を見抜いた者はいなかったのだった──同居人の少女を除いて。






 ◆ ◆ ◆






「……魔物の調査って、具体的に何をするんだ?」


 眼の前に立つナインという少年の問に、アレンは敵意を隠して平静を装う。


「先ずは、出現した魔物の確認だ。どんな魔物がどの辺りにどれだけ現れたか、聞き取りをするつもりだ」

「なるほど。でも、申し訳ないけど、この村の安全はうちで飼ってるジャーキーって狼が守ってるんだ。俺が知ってるのは狩りで見かける魔物ぐらいだから、あまり参考にならないかもしれない」

「そのことについても既に村長から聞いている」


 一瞬だけアレンの視線が鋭くなる。


「そのジャーキーというダイアウルフにも興味はあるが──」


 主要目的はそのダイアウルフを見ることだが、家主の少年の言葉を聞いたアレンは、それよりも先に確認しておきたいことが出来た。


「狩りをすると言ったな。どうやって?」


 鋭い質問を少年に投げかけるアレン。

 その問いに、当の少年はよく分からないという顔を浮かべた。


「弓と罠を使ってだけど、それが何か?」

「手を見せてくれるか?」


 ダイアウルフを飼い馴らせる農民など、そういるものではない。

 ただ、いろいろな条件が揃ったときに限り、農民にも魔物を飼い馴らすことができる。

 そのことをアレンは経験で知っていた。


 魔物を飼い馴らすのに最も成功確率が高く、最も手っ取り早い方法。

 それは実力を示すことだ。


 どちらが上でどちらが下か──どちらが捕食者主人でどちらが被食者ペットか、力で以て認識させるのだ。


(もしこいつに卓越した狩りの腕があるのであれば、ダイアウルフを服従させることも可能だろう)


 アレンはそれを確かめるために、少年の手を見たかったのだ。


「う、うん。手くらい、別にいいけど……?」


 困惑顔で差し出されたナインの手を取り、アレンはじっくりと観察する。

 そして、


(これは……)


 ゴクリとアレンは唾を飲み込んだ。


 差し出された少年の手。

 それは、農夫ではありえないほど滑らかで柔らかな手だった。


 農具を握って出来るマメやタコも、長時間の水仕事による手荒れやあかぎれも、爪の間に染み付くように残る土汚れも、その一切がなかったのだ。


「……お前、普段は畑仕事をしないのか?」


 土を弄る仕事をする人間は自ずと手が土色に染まり、硬くなるものだ。

 それが全くないということは、その人物が長期に渡って全く畑仕事をしていないことを意味する。


「あー、うん、まぁね。見ての通り、俺はあんまり力仕事に向いてないんだよ」


 気まずそうにしながらも、ハッキリとそう宣う少年。

 そんな少年に、アレンは思わず上瞼を半分下げてジト目になった。


 確かに、少年は線が細い。力仕事をさせるには効率が悪いだろう。

 だが、だからどうしたというのか。

 力がないのであれば、体を鍛えればいい。

 見たところ、少年は貧弱ではあるが、病弱というわけではない。努力さえすればそれなりに逞しい体になれるはずだし、多少なりとも力仕事ができるようになれるはずだ。

 つまり、今の少年はただ単に努力をしていないだけ、とアレンは理解した。


 極めつけに、その手だ。

 貴族令嬢のように汚れのない、滑らかで柔らかな手。

 これは、働かない者の手だ。


 アレンの中でのナインの評価が一気に暴落してしまったのも無理はない。


(弓ダコがないから、弓の腕前は期待できない。なら、狩はもっぱら運任せ、といったところか……。ちゃんとした「レンジャー」のいない村によくいる、狩人の真似事をしている輩だな。普段の脚裁きも完全に素人だし、戦闘能力は皆無と見て間違いない)


 少年の手を放るように離しながら、アレンはその為人を評価する。


(運任せの狩りと、村長に「あんまり効かない」と評される製薬の腕前、か……お世辞にも立派とはいえない仕事ぶりだな)


 畑仕事を一切せず、狩人の真似事と薬草師の真似事だけで生計を立てられるわけがない。

 そんな人間は、村の負担でしかない。


(なるほどな。この男は、薬草師という職に胡坐をかいているだけの、ただの寄生虫か)


 吐き捨てるように内心でそう呟いたアレンは、密かに脳内で「軟弱者」という札を作って、眼の前の少年のプロフィールに貼り付けた。


 そんな侮蔑をふんだんに含んだアレンの仏頂面に、少年は恥ずかしそうに後頭部を掻く。


「うちの家事や畑仕事は、もっぱら同居人の──」


 言いつつ、オルガという名の美しすぎる少女に振り返る。


「オルガと、今はいないけど、同じ同居人のミュートとミューナの姉弟にやってもらっているんだよ。オルガは勿論だけど、双子の方はまだ幼いのに俺よりずっと頼りになる働き者なんだ。俺なんかにできるのは、薬作りぐらいかな」


 そんな情けない発言を口走った。


 その言葉に、アレンは驚きと共に怒りを覚えた。


 驚きは、オルガという絶世の美少女がこんな男と同居していることに対して。

 怒りは、オルガという絶世の美少女がこんな男と同居していることに対して。


 少年のクズな発言に当のオルガがどんな感情を浮かべるのかを知りたかったアレンは、コッソリとオルガと呼ばれた絶世の美少女に目を向ける。

 見れば、彼女は静かに佇んだまま淡いアルカイックスマイルを浮かべていた。


(何だ、このまるで「ここで変なことを口にしたら後で酷い目に遭うので私は人形のように黙っていることしか出来ません」とでもいうかのような表情は!? まさか、この男に脅されているのか!?)


 オルガの心情とは全く違うがあながち完全に的外れでもない邪推をするアレン。

 見れば、ことの成り行きを静観していた村長のベンが苦笑いを浮かべているではないか。

 アレンの心に行き場のない怒りが燻り始める。


(なんということだ! まさか、この男が同居人の女子供をこき使っていることは、周知の事実なのか!?)


 ベンの苦笑いの本当の意味を知らないアレンは、ギリギリと歯噛みする。


 余所者が村の事情に口出しすることは、最も忌避されていることの一つだ。下手をすれば村全体を敵に回しかねない。

 だから、たとえオルガたちが虐待紛いの境遇にあると知っても、アレンにはそのことに対して意見を申し立てることができない。

 己の無力さとオルガの不憫な境遇に、アレンは歯痒さを禁じえなかった。


(厳しい畑仕事を女子供に任せて、自分は楽をしているというわけか……。ダイアウルフの亜種か上位種を飼い馴らしているからどんな凄い男かと期待していたが、まさかこのようなクズなヒモ野郎だったとは!)


 アレンは密かに脳内で「クズ」と「ヒモ野郎」という札を作り、ナインのプロフィールに貼った「軟弱者」の札の左右に追加した。


(こんなクズ男のことは、もう知る気すら起きない。さっさと白いダイアウルフとやらを見せてもらうとしよう)


 アレンはもう眼の前の少年に対する興味を完全に失っていた。

 それどころか、もう一秒たりともその瞳に映したくない程に嫌悪している。


 アレンは気を取り直すように息を吸い、ゆっくり吐き出す。

 乱れ気味になっていた己の心を仕事モードへと戻す。


「……閑話はこれくらいにして、そろそろお前が飼っているというダイアウルフを見せてもらおうか」


 瞳に宿る敵意を最後まで隠しきれなかったアレンは、厳しい眼差しでそう言った。

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