41. SA:騎士の本懐
――――― SIDE:アルデリーナ ―――――
シュッ、と腕を絞り、剣を振るう。
愛剣は腕と一体化したように動き、陽を反射した剣が宙に光の弧を描く。
遅れて、風切り音がようやく斬撃に追いつく。
こうして音を置き去りにできるほど速く剣を振るえる剣士は、決して多くはない。
これは私の自惚れではなく、純然たる事実だ。
速度が乗れば威力が上がるのは自明の理で、これができるようになれば斬れるものが格段に多くなる。
剣士が目指す一つの境地といえるだろう。
新人団員は、私の剣技を見て「素敵です」と言ってくれる。
古参の団員は、私の剣技を見て「さすが団長」と言ってくれる。
姫様は、私の剣技を見て「頼もしいのう」とおっしゃってくださる。
皆の称賛に、私は裏切らずに応えたいと思った。
同時に、何処かでその賞賛を誇りに思っていた。
──いや。
誇りに思っていたなどとは、美言に過ぎるな。
本当は、称賛に酔っていたのだ。
再度剣を振るい、またも「ズバン!」と斬撃音が訓練場内に轟く。
これが今の私に放てる最高の斬撃かと思うと、些かならず泣けてくる。
この程度で自分に酔っていたとは、なんと愚かな女なのだろう、私は……。
私の頭を占めるのは、ヤエツギ殿が見せてくれた剣技。
一刀両断。
一撃必殺。
一騎当千。
剣速は私よりも格段に速いのに「ズバン!」という衝撃波が伴わない、簡潔で綺麗な斬撃。
全ての動作が繋がっているかのような、流麗な動き。
返り血すら浴びない、計算され尽くされた身のこなし。
どれを取っても私など足元にも及ばない、まさに妙技だ。
「"焼灼せよ"──《
連続で剣を振るいながら、合間に魔法を打ち出す。
人頭大の火球が飛んでいき、仮想上の敵に当たる。
もちろん、私の頭の中で思い浮かべている敵なので、火球はそのまま飛んでいき、訓練場の壁に当たって燃え散った。
弱い。
自分はこんなに弱かったのかと、思わず涙が滲む。
いや。
そうではない。
私は、弱くはなかった。
私は冒険者でいえばランク7にも届きうる実力者で、精強な王国騎士団の中でも上位に位置する女騎士だ。
王国内において、一対一で私に敵う人間はそれほど多くはないだろう。
そう。
私は、「私の知る世界の中」では、間違いなく強者だったのだ。
だが、此度の姫様のストックフォード領訪問を通して、その世界は砕け散った。
ピンチに陥ることで私は己の無力さを知り、ヤエツギ殿の力を見たことで遥か高みを目にしたのだ。
衝撃的だった。
己の無知と驕りを思い知らされた。
私の身近にも、真の強者がいた。
それが
彼は、100年以上前に起きた帝国との戦争において、帝国北部の大要塞──ゲフリーレン要塞を単騎で攻め落とした実績を持つ、我が国の大英雄にして国防の要だ。
その実力は冒険者でいえばランク8に匹敵するほどで、その赫々たる功績は今でも歌劇の題材として唄われ続けるほど。
ついた二つ名は【最強単兵】。
クロード殿さえ居れば王国の安泰は約束されたようなもの、という者は決して少なくない。
クロード殿は私が師と崇める人物であり、私の目標とする人物だ。
父上の誼みで、数回ほどクロード殿から直接剣と魔法を教えてもらったこともある。
私の魔法剣士としての戦闘スタイルも、彼のものを真似たものだ。
回数こそ少なかったが、私はクロード殿の剣と魔法を間近で目の当たりにしている。
だからこそ、私はクロード殿がどれだけ化け物じみているかをよく知っている。
ただ、クロード殿の強さは化け物級なれど、私の目には「理解できる化け物」に映っていた。
私より遥かに強いけれど、なぜ私より強いのか、どれだけ私より強いのか、それらをちゃんと理解できるのだ。
確かに、クロード殿は武の遥か頂に鎮座している。
そこへ至る道のりは果てしなく長く、何処までも険しい。
才能などという陳腐なものでは決して補えない、人としての器や格の隔たりもある。
だが、決して至れない道ではない。
私のデウス族としての長い生を全て注ぎ込めば、いつかは辿り着けると確信さえ抱いている。
だが、ヤエツギ殿の場合は話がまったく違う。
私は、未だにヤエツギ殿がどれだけ強いのか、自分とどれだけ差があるのか、その全てを測りかねているのだ。
理解すらできない強さとはこれほどまでに恐ろしいものだったとのかと、強い衝撃を受けた。
あの鮮烈な出会いは、時が経つほどに私の中で大きなっていき、より鮮烈になっている。
思い返せば返すほど、ヤエツギ殿のその異常な強さの程が鮮明になっていく。
クロード殿には甚だ失礼な話になるが、クロード殿が武の頂にいるというのであれば、ヤエツギ殿が鎮座しているのは遥か月の彼方だ。
登り続けていればいつか辿り着ける山の高嶺とは違い、人間が月に届くことは決してない。
これまで「上には上がいる」などと軽々しく曰っていたが、結局ただの知ったかぶりでしかなかったのだ。
本当に、馬鹿みたいだ。
世の中、上には上がいて、その更に上──天の遥か彼方には、ヤエツギ殿という真の怪物がいるのだ。
クロード殿は今でも私の恩師であり、目標とする人物だ。
忠義に尽くす彼の騎士精神や武への真っ直ぐな姿勢は、私の生きる指針にすらなっている。
だが、「武力」というただ一点でいうならば、クロード殿はもはや私の最終目標ではなくなってしまった。
クロード殿には大変失礼だが、ヤエツギ殿とバーム殿を知ってしまった今、クロード殿は既に私の中では「3番目の強者」となってしまったのだ。
剣を鞘に納め、額の汗を拭う。
自分でも自分が焦燥感に苛まれていることを自覚している。
このままでは碌な成果など出ないことも分かっている。
が、焦る心を鎮めることができない。
我らが主──姫様には、力も時間もないのだ。
王位継承争いがこのまま進んで決着がついてしまえば、恐らく姫様のお命はなくなるだろう。
姫様が生き残るには、姫様自らが玉座に就かなければならない。
それなのに、今の我々には全くと言っていいほど力がない。
このままでは駄目だと考えれば考えるほど焦りが募り、焦りが募るほど訓練に身が入らなくなる。
完全に悪循環だ。
ふぅ、と息を吐き、体を解す。
外はまだ朝日が昇り始めたばかり。
鳥の囀りが涼しい早朝だ。
今日の訓練は、これくらいにしておこう。
今日もろくな成果がなかったな、と意気消沈していると、背後から「おはようございます、団長」と呼び声がした。
振り返れってみれば、訓練所の入り口にアリシアが立っていた。
「おはよう、アリシア。どうした? 今日は非番であろう?」
「はい。……実は、折り入ってお話がございます」
アリシアの目の下には、化粧でも隠しきれないほどに濃い隈があった。
顔はやつれており、肌にもハリがない。にもかかわらず、その両目だけは不健康にギラギラと光っていた。
王都に帰ってきて既に二月以上経つが、アリシアがちゃんと休んだという報告を終ぞ聞くことはなかった。
屈強な騎士団員でも、このままでは倒れてしまう。
ただ、私には彼女の無謀を制止することができなかった。
なぜなら、彼女もまた私と同じように強い焦りに突き動かされていると知っているから。
「アルデリーナ団長」
私の目を真っ直ぐ見つめながら、アリシアは言った。
「わたくし、本日をもって
そう宣言したアリシアの瞳には、硬い意思の光があった。
驚きはなかった。
彼女がいずれこういった決断をすると、心の何処かで知っていたのだ。
「やはり行くのか、アリシア」
「はい、団長。わたくしは──」
アリシアは遠くを睨みつけた。
「わたくしは、ヤエツギ様を探しに赴きますわ」
アリシアのその宣言は、伽藍堂の訓練場に大きく響いた。
予想はしていても、古株の団員から「抜けたい」と聞くのは、なかなかに堪えるものがある。
少しばかり逡巡していると、アリシアが続けた。
「団長。わたくしは、決して私利私欲のために騎士団を抜けるのではありません。ヤエツギ様を見つけた暁には、彼に師事し、ポーションについて学びたいと考えております。そして、いつかその技を騎士団のために役立たせるつもりです」
「それは……」
「団長の心配は存じておりますわ。ヤエツギ様との約束のことですわよね?」
ヤエツギ殿との約束とは、彼のことを誰にも言わないこと。
そして、彼の平穏な生活を邪魔しないこと。
この2つだ。
アリシアがしようとしていることは、2つ目の約束事を真っ向から破る行為だ。
「心配ご無用ですわ。そのために、わたくしは騎士団を抜けるのですから」
アリシアの言わんとしていることが分かった。
「騎士団を抜ければ、わたくしはただの一個人。何をしようと私個人の責任、組織とは何の関係もありません。万が一、ヤエツギ様が気分を害されても、わたくし一人の首で済ますよう、全力を尽くしますわ。姫様や騎士団にご迷惑はおかけいたしません」
そう言って、彼女は申し訳無さそうに微笑んだ。
「ですので、わたくしがヤエツギ殿から免許皆伝を頂いた暁には、どうか再入団をお許しくださいませ」
何の気後れもない彼女の言葉に、私は思わず両目をギュッと瞑った。
被害を最小限に留めるために自ら後援を絶ち、一縷の望みに賭けて危険と分かる状況に自ら飛び込んでいく。
無事に帰って来られれば部隊に多大な利益をもたらし、無事に帰ってこれなくとも彼女一人の損害で済む。
被害を最小に、利益を最大に。
彼女がやろうとしていることは、強行偵察と同じだ。
そんな捨て駒のような役割、彼女にさせるわけにはいかない。
彼女の自己犠牲の上に成り立つ勝利など、勝利ではない。
「……そうか、分かった」
しかし、私は頷いた。
頷くしかなかった。
今の我々には圧倒的に「力」が足りない。
もし彼女がヤエツギ殿の驚異的なポーション作成技術を習得できたのなら、それは我々にとって千人力にも万人力にもなる好事だ。
ポーションの質は、部隊の継戦能力の高低を直接決定づける要素だ。
質の良いポーションを多く有するということは、それだけで部隊の死傷率を大きく下げ、継戦能力を大きく上げる。
今の我々にとって、ヤエツギ殿のポーション技術は、まさに喉から手が出るほど欲しい「力」だ。
いや、我々だけでなく、どの派閥であろうと、親を質に入れてでも欲しがるだろう。
アリシアが王都に帰還してから研究室を一歩も出ずにポーションを作成していたのも、これが理由だというのは明白だ。
もちろん、彼女もポーションマスターとして思うところがないわけではないだろう。
だが、アリシアの本懐は姫様と
たとえ眠れるドラゴンを起こして教えを請うような行為だろうとも、たとえ自分の命も名誉も何もかもが消え去ることになろうとも、姫様と騎士団のためになるのであれば躊躇わずに行動に移せる。
アリシアは、そういう
その気高さと忠誠を誇りに思うと同時に、そんな彼女を捨て駒同然に送り出さなければならない自分の無能さに嫌気が差す。
「……無事に帰ってきてくれ」
「あら、別にわたくしは死にに行くわけではありませんわよ」
不甲斐ない私に、アリシアは笑顔で言う。
「ヤエツギ様はドラゴンのような実力をお持ちですが、決してドラゴンのように気性が荒いというわけではありませんわ。案外、丁寧にお願いをすれば弟子入りを受け入れてくれるかもしれません。最悪、女の色気で……」
妖しく微笑むアリシアに、思わず苦笑いが漏れる。
アリシアは伯爵家の三女だ。
貴族令嬢としての嗜みは一通り身に着けているし、その美しさは女の私でも見惚れるほど。
彼女の美貌と「
実際、彼女に挨拶されただけで恋に落ちる若い男性の多いこと多いこと。
アリシアが本気になれば、もしかしたらヤエツギ殿も……。
そうなれば……。
いや。
これ以上は取らぬビッグボアの皮算用だな。
そもそも、誘惑どうのというのも、場の空気を変えるためのアリシアなりのジョークだろう。
派手な外見に反して、実際のアリシアは奥手で貞淑な女性なのを私はよく知っている。
「そういえば、君がいない間のポーションはどうなる?」
アリシアは我が
彼女が作る高品質で等品質のポーションがあればこそ、団員たちは本気の訓練ができるし、心置きなく戦場に身を投げ出せるのだ。
アリシアがいなくなれば、騎士団のポーション備蓄は瞬時に底を突くだろう。
それは、騎士団の存続にすら関わる。
彼女の代わりを探そうにも、ポーションマスターであるアリシアと同じような品質のポーションを作れる人間は少ない。
何より、そういった人間は、だいたい既に他の派閥に取り込まれているものだ。
残っているのは二流以下ばかりで、宛にはできない。
第一、ポーション欲しさに忠誠心のない人間を姫様に近づけるわけにはいかない。
だから、アリシアの代わりにポーション師を雇うのはほぼ不可能。
御用商人から仕入れるにしても、市販のポーションは品質と効果にばらつきがあるので、使い勝手が悪い。
ただ、アリシアならば、これらの問題についても既に考えているだろう。
「それについては心配ございませんわ」
予想通り、アリシアは太鼓判を押してくれた。
「わたくしのポーションを、わたくしの実家経由で、秘密裏に納品いたします。十分な量を持続的に供給いたしますので、これまでと違いはほぼありませんわ」
やはり、アリシアはデキる女である。
それは助かる、と言おうとした私に、アリシアはクスリと笑った。
「それにしても、『君がいない間』だなんて、まるで私が騎士団に戻ってくることを前提にしているかのような言い草……相変わらずお優しいですわね、
「当たり前だ。君は私の、私達の大事な仲間だ。帰ってこないなど、誰も許すはずがない」
アリシア本人は「免許皆伝をもらった暁には再入団を許可してほしい」などと私に願い出たが、そもそも私は彼女を本当に「退団」扱いにするつもりはない。
今回のアリシアの「退団」は、ヤエツギ殿との約束事ゆえ仕方なくそういう
彼女が心の底から騎士団を去りたいと思うまで、彼女は永遠に我が
たとえ強行偵察に送り出すことになろうとも、私達の心はいつでも繋がっている。
「だから焦らず、ゆっくりじっくり学んでくるがいい」
「ええ」
眩しがるように目を細めるアリシア。
「ですが、まずはヤエツギ様を探すところから始めないといけませんわ」
「弟子入りよりも先ずは師匠探しとは、前途多難だな」
私の冗談に、アリシアはうふふと愉快そうに笑った。
友を送り出すのは辛いが、彼女であれば万事恙無く成し遂げてくれるだろう。
私達の本懐が果たせることを、私は創世の大女神に祈った。
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