40. 平和な一日
今更だが、オルガさんは超が付くほどの美人さんである。
切れ長で大きな目、最良な角度と濃淡で弧を描く眉、鼻梁がスッキリと通っている鼻、小さくもふっくらとした官能的な唇、それら全てが絶妙なバランスで配置されているその顔は、美を司る女神が作り上げた最高傑作と言っても過言ではない。
そこに紫色のメッシュが先端に入った黒髪が加わり、絶世の美貌に神秘のベールを纏わせている。
彼女の美は、なにも顔だけに留まらない。
スラリとしたシルエット、適度に豊満な胸、キュッと引き締まった蜂腰、女性らしい曲線をなぞる臀部、160cmの身長にしては長い美脚。
まさに完璧なスタイルである。
彼女を恋人に持つ男は、たとえそれがどのような謙虚な朴念仁だったとしても、彼女を世界中に自慢して回ることを我慢できないだろう。
十人が見れば二十人が振り返る
それがオルガさんだ。
この世界は美形が多い。というか、美男美女こそが一般的である。
こういう例えは少し不適切かもしれないが、カワイイやカッコいいで有名なテレビタレントを100点とするならば、この世界の一般人──最も接触の多い農民を基準にしている──は、その多くが120点から150点台だ。
地味な醤油顔の俺なんか、75点も行けば良いほうなのに……。
そんな顔面偏差値がかなり高い人々の中においても、オルガは頭が一つも二つも飛びぬけて美人だった。
誇張なしで、250点は軽く超えるかもしれない。
そもそも、俺は彼女が化粧をしているところを見たことがない。
この世界では高級品に数えられる化粧品をそもそも持っていないということもあるが、オルガ自身「着飾る」ということに頓着していないのだ。
身だしなみを清潔に保つこと以外、彼女が自分をより美しく見せようと努力しているところを、俺はついぞ見たことがなかった。
つまるところ、オルガは常時スッピンなのである。
スッピンでこの可愛さとか、マジでどうなってるの?
何で埴輪にならないの?
埴輪の形状説明も含めて一度オルガ本人に聞いてみたところ、
「昔エイダさんに聞いた話ですが、化粧をするには一度眉を剃ったりしてベースとなる下地顔を作る必要があるそうです」
と説明された。
いい絵を書くには先ずまっさらな
これこそが所謂「埴輪フェイス」の正体らしく、顔の作りが平たくて薄い人ほど化粧した後の変化率が高く、逆に顔の作りが濃い人ほど化粧が難しいとか。
つまり、すっぴんが埴輪であればあるほど「すっぴんブス」のレッテルが付くが、その代わり化粧がとてもしやすく、化粧後の顔が可愛くなる、ということだ。
日本人の化粧技術が欧米で「アジア4大妖術」に数えられているのも、彫りの浅い日本人の顔が功を奏しているからだとか。さすが、平たい顔族である。
その点、オルガはかなり反則だといえる。
彼女の場合、化粧自体をしないから、そもそも化粧のベースとなる埴輪フェイスになる必要がない。
なんだか宇宙の真理を垣間見た思いだよ……。
そんな天然美人を地で行くオルガが化粧をしたらどうなるか……?
末恐ろしや……。
っていうか、男子高校生(童貞)の俺には色々と難しすぎるよ、この話題……。
オルガに匹敵する美貌の持ち主は、俺が知る限り、
流石は元王族の系譜に連なるオルガさん、現役の王侯貴族と比べてもなんら遜色のないその美貌は、没落してなお血脈と共に脈々と受け継がれているらしい。
この世界に来てから常に美男・美女・美児童・美中年・美老人に囲まれてそろそろ「美慣れ」しそうになっている俺だが、オルガの美貌だけは未だに慣れない。
それはたまに視線の端に映るオルガの美麗な横顔を無意識に追ってしまうほどで、我ながら恥ずかしい気持ちになる。
よく「美人は三日で飽きる」というが、絶世の美人にはそれが当てはまらないらしい。
自分で言うのもなんだが、俺は男の中でもかなり特殊な方だ。
この世界に来てまだ半年も経っていないので、生活基盤が安定しておらず、変な色気を出している場合ではないのだ。
だから、カワイイ娘を見かけても「ありゃあモテるだろうなぁ」「あの子のお父さん心配事とか多そう」という枯れたおっさんみたいな感想しか出てこない。
それほど、今の俺には色恋に感けている余裕がないのだ。
そんな俺でさえ、オルガさんの前では楽器店で売られているトランペットを眺める貧乏少年のような眼差しになってしまうのだ。
娯楽が少なくて暇を持て余している村の若い男性諸君は、尚のことオルガに入れ込んでしまう。
そう。
例えば、今のように──
「俺と結婚してください!」
「俺と家族になってください!」
「俺と子供を作ってください!」
同年代の男子3人に一斉に頭を下げられ、オルガは3歩ほど後ずさった。
あの冷静沈着が裸足で逃げ出すオルガさんが後ずさりするとは……。
っていうか、最後の奴。発言が完全にアウトだろ。動物の求愛か。
「も、申し訳ありません。お気持ちは、その、嬉しく思いますが、えっと、まだ生活が安定していないので、その、皆さんのお気持ちにはお応えすることができません」
微かに眉が八の字になっているオルガは、珍しくしどろもどろになっていた。
どうやら物凄く困惑しているらしい。
こんなやり取りを見るのも、実はもう3度目だったりする。
我が家への来客は、オルガたちの入居と共に激増した。
その原因は言うまでもなく、オルガさんである。
オルガさんの美貌は、暗闇に灯る誘蛾灯のように人を引き寄せる。
彼女を村の皆に紹介したそのときから、彼女は人々の視線と意識を完全に吸引していた。
客寄せパンダならぬ、客寄せオルガさんである。
可愛い娘には目がない若い野郎共はいうに及ばず、既婚者や爺さん連中までもがまるで「一目見れば10歳若返り、一声かけられれば永遠の命を手に入れられる」とばかりにオルガを求めて尋ねてくる。
何かにつけて我が家を訪れては「オルガちゃんは?」と聞いてくる野郎共の姿は、まるで甘い香りに誘われて花に群がるアブラムシのよう。
とは言うものの、野郎ばかりを責めることもできない。
面白いことに、男性客と同じくらい、女性客もまた多くやってくるのだ。
自分の恋人や旦那が
実のところ、女性たちもまたオルガの美貌を見に来ているのである。
既婚の女性で適齢の息子を持つ者は皆、オルガに自分の息子を紹介しようとする。
既に息子たちが結婚している場合は、知り合いの独身男を紹介しようとする。
……おばちゃんたちって、本当こういうことやるの好きだよな。
オルガの方は結構困っているみたいだけど。
低年齢の女の子たちは、一様にキラキラとした眼をオルガに向ける。
大声で「おねぇちゃん、きょうもきれぇ!」と素直な感想を述べる娘もいれば、ただひたすらポヘーッと憧れの眼差しで見つめる娘もいる。
女児たちの賞賛と崇拝の視線に晒されているオルガは、いつものクールな無表情の下に何処となく気恥ずかしさと気まずさが混ざったような色を滲ませていた。
それがちょっと面白いと思っていることは、彼女には内緒だ。
さて、同年代の女性達はどうかというと、彼女たちもオルガを見に来ている。
ただ、どうやらそれには威力偵察の意味合いが強いらしく、警戒色の滲む視線には一様に師の技を盗もうとする徒弟の色を覗かせている。
……いや、敵国の最新兵器を探るスパイの色かな?
とにかく、どうすれば彼女のように美しくなれるのか、コッソリ学ぼうとしているらしい。
もちろん全員が全員、オルガにプラス感情を抱いているわけではない。ただ只管に彼女に厳しい視線を向ける女性もまたいる。
その代表格が、村長の娘であるエレインだろう。
彼女は、初対面の時から「何故に?」と思わせるほどにオルガを深く敵視している。
オルガに話しかける時は、いつもドスの利いた低い声だ。
「あんた、ナインに迷惑かけてないでしょうね」
「はい。そうならないよう勤めています」
「いい大人なんだから、慎みと節度を持って接しなさいよ。特にナインとは」
「勿論です。ナインには『家族』と言われましたが、それに甘えて自堕落な生活を送るつもりはありません」
「──ちょっと待ちなさい! ナインになんて言われたって!?」
「…………?」
「『家族』だって言われたの!? ねぇ、本当にそう言われたの!?」
「は、はい。『これからは一つ屋根の下で暮らす家族的な間柄だ』と……」
「~~~~~~~~~~っ!! !!」
というような会話があったことをオルガから聞いたことがある。
「やはり私はエレインから疎まれているようです……。この会話があった日から、会うたびに彼女から殺意を孕んだ視線を向けられるようになりました……」
と、オルガは珍しくしょんぼりしながら話してくれた。
……心配ないよ、オルガさん。
その会話があったと思われる日から、エレインの俺に対する当たりも急激に強くなっているから。
嫌われているの、お前だけじゃないから。
寧ろ、俺の方が嫌われてるから。
嫌われまくってるから。
しくしくしく……。
エレイン以外にも、オルガ嫌いの村人は数名いる。
俺の知る限り、全員が女性だ。
やはり美女は同性から敵視されやすいらしい。
オルガと一緒に歩いていると、たまに切なげな視線を俺たちに送ってくる女の子を見かける。
あまりにもオルガが可哀想だったので、その内の一人に一度だけ「オルガは
俺としてはそこまでオルガを嫌う理由が分からんのだが、彼女の中には泣きながら走り出すほどの何かがあったのだろう。
どうやら、美人も得することばかりではないようだ。
そんなこんなで、俺の日常はオルガの登場で更に騒々しさを増すことになった。
騒々しさという点でいえば、双子エルフのミュートとミューナもオルガと良い勝負なのだが、二人の場合はまた少し騒がしいのベクトルが異なる。
幼い二人は普段、同年代のお友達とよく遊んでいる。
主にアウンとオウンとか、トゥにとハリーとか。
年齢一桁の元気いっぱいな子供たちが仲良く遊んでいる光景は、見ていてとても和むものがある。
騒がしさはそれなりにあるものの、オルガのように混沌としたケイオスなカオスを呼び寄せるわけではないので、俺としては大いに歓迎である。
仲良き事は美しき哉、ってね。
◆
オルガにフラれた野郎3匹が「俺はまだ諦めんぞ!」「いや、彼女は俺のものだ!」「なにを、彼女と子供を作るのはこの俺だ!」と喧嘩しながら去って行く。
……いや最後のお前は二度目のアウト発言だから。あと一回でチェンジだから。
三匹を見送るオルガは、目に見えてぐったりしていた。
「美人は大変だな。もう村中の男から求婚されてるんじゃないか?」
元気付けるつもりで少々からかってやると、げんなりした視線を向けられた。
「……冗談はやめてください。三人目の彼は、これで三度目です。もういい加減に疲れました……」
……あいつ、これで三回目なのか。
もうとっくにスリーアウトでチェンジなのか。
っていうか、あんな失礼ダクダクのセクハラマシマシなプロポーズを三回も繰り返したのか……。
あれで靡く女がいると本気で思ってんのかな、あいつ?
流石にあんな原始人みたいなプロポーズをされるオルガが不憫だ。
「……あいつがまた来たら俺が追い返してやるから、元気出せ」
「……よろしくお願いします」
素直に頭を下げたオルガは、とても弱々しかった。
うーむ。今なら悪い男に迫られる娘を持つ父親の気持ちが理解できるよ。
今度来たら、あいつの頭とキ◯タマをチェンジしてやるか。
あいつの場合、どっちも同じようなもんだしな。
オルガの疲れが若干俺にも伝播してきたところで、新たなお客さんがやってきた。
「おう、坊主」
「バート爺さん、いらっしゃい」
「いらっしゃいませ」
村の樵で人族の老人、バート爺さんである。
「またあの薬、貰いに来たぞい」
「膝の薬ね。ちょっと待ってね」
バート爺さんは膝を悪くして久しい。
長年に渡って木材やら薪やらの重い物を運び続けたせいで、膝の軟骨が全部擦り切れてしまったのだ。
歩くと激痛がするので、仕事どころか日常生活にすら支障が出ているらしい。
俺が奥の棚に薬を取りに行っていると、バート爺さんがオルガに話しかけるのが聞こえた。
「嬢ちゃん、この前のハーブ……確か『何とかみんと』って言ったかのう。あれ、すごく美味かったぞい。特に素揚げにしたやつは最高じゃった。婆さんも大喜びしとったぞい。今度取れたら、また貰えんかの?」
「
「おう。楽しみにしとるぞい」
二人の朗らかな会話に思わず笑みが零れる。
これもオルガたちが村に溶け込めている証拠だ。
「はいよ、お待ち。膝の薬『軟骨ツクール』ね」
白濁した液体が入った透明のガラス瓶をバート爺さんに渡すと、爺さんは懐から空のビンを取り出してよこした。
「おう、すまんの。ほれ、前回の薬の空瓶」
「あいよ。確かに」
短い挨拶を交わして、バート爺さんは我が家を後にした。
スタスタと歩き去るその後姿からは、とても70台後半の人族だとは思えない生気を感じる。
もう脚を引きずっていないので、完治の日も近いだろう。
何よりである。
◆
昼食後。
俺は日課である狩りに出かけている。
今日のオトモア◯ルーはいつも通り、オルガさんである。
機会があったら彼女にはネコ耳とネコ尻尾をつけて樽を背負ってもらいたい。
「そろそろ暑くなってきましたね」
「だな。そのせいか、魔物の活動が活発化してきているんだよな。ま、探さなくても獲物が見つかるのは素直にありがたいけどね」
「…………」
沈黙するオルガに目を向けると、彼女は何かを考える仕草をしていた。
「どしたの?」
「……いいえ、なんでもありません。多分、私の思い過ごしです」
「?」
そんなやり取りをしていると、村の北側にある平原地帯に辿り着いた。
狩りは、なにも森や裏山だけでしているわけではない。
村の東以外の三方を囲むように広がる平原には、森や裏山とはまた違う生き物が生息している。
たとえば、足が速い「ダッシュラビット」という魔物はこの北側の平原にしか生息していないし、フォーホーンキャトルは森よりも南側の平原の方がよく獲れる。
こういった生息地の違いは魔物の生態と密接に関係しているため、魔物に詳しいオルガの同行は必須だ。
この世界の魔物について絶賛勉強中の俺にとって、彼女ほど物知りな知り合いはいないし、彼女ほど優秀な先生もいない。
平原は緑一色のカーペットが敷かれ、青々とした生気に満ち溢れている。
熱を多く含み始めた日差しは少量の汗を誘うが、代わりに静かな風が全身を柔らかく撫でてくれる。
地面にゴロンと転がれば数秒で眠りの世界に落ちていくこと請け合いだ。
実に素晴らしい場所である。
脳裏に「ちょっとシエスタ」と呟く牛角を生やした赤い邪念が過ぎるが、鉄の意志──正確にはお肉に対する執念──でそれを振り払う。
と、そんなことをしていると、遠くで蠢く複数の気配を感じ取った。
「前方800mに四足歩行の魔物。数は12。大きさはジャーキーより二回りほど小さい」
そう呟くと、オルガは呆れ返ったような視線を向けてきた。
「毎度のことながら、あなたはどうやってそれを察知しているのですか? 800m先といいますが、地形のせいで私には何も見えません」
緑色の絨毯は、50メートルほど先からなだらかな傾斜を描きながら、大地に丘とも呼べないほど小さな膨らみを作っている。
確かに、この角度からはその膨らみが邪魔で800m先までは見えない。
見えるのは、せいぜい250m先にある小丘の頂上までだろう。
「探知の魔法ですか?」
「企業秘密」
「きぎょう秘密?」
「教えても良いけど、次元別情報構造体の魔法学的解釈を分子力学と生体構造学を交えながら説明することになるから、小一時間は掛かるぞ?」
「……申し訳ありませんでした……」
オルガは諦観に濁った瞳を伏せ、ペコリと頭を下げた。
科学とはまるで違う理である魔法学は、教養の高い現代人が聞いてもちっとも分からないものだ。
一度試しに友人に「『マルクセン崩壊とサラスヴァティ神奏を併用した不可抗的防壁貫通特性の付与』って何か分かる?」と聞いてみたところ、「なにそれ? 『クラ◯ムのカタ◯ストをオ◯トリオ無しで』みたいなこと?」と聞き返された。
ま、そうなるよね、普通。
項垂れるように頭を下げたオルガに「分かればよろしい」と許しを与える。
世の中には知ろうとすれば軽く生涯を費やしてしまうようなことが沢山あるのだ。
知らぬが仏とはよく言ったものである。
「さて、お肉の調達と参りますか」
オルガの疲れ切った溜息は聞かなかったことにして、俺は獲物がいる方向へと足を向ける。
ルンルン♪
狐という生き物をご存知だろうか。
そう、あのネコ目イヌ科に属していて可愛らしい外見を持つ肉食寄りの雑食獣、狸の永遠のライバル──狐である。
そんな狐がそのまま1.5倍ほど大きくなったような魔物が、俺の目の前に12匹いる。
ただ、普通の狐とは違って体毛は赤く、全身に魔力を帯びている。
「あれは『ファイアフォックス』ですね」
「ファイアフォックス? それ何処のブラウザ?」
「ぶらうざ? ……『グリーンブラウザー』は草食の魔物です。外見が少しフォーホーンキャトルに似ていますが、ファイアフォックスとは大きく異なります」
「あ、いや、ごめん。そういう意味じゃないんだ……」
ウェブもないのに、ブラウザなんてないよね。
というか、「
初めて知ったよ。
それにしても、フォックスってことは、やっぱり狐なのか……。
正直に言うと、ちょっとがっかりだ。
狐の肉はエキノコックスという寄生虫があるので、食べることができない。
魔物であるファイアフォックスにもそれが適応されるかは不明だが、試してみる気のはなれなかった。
お肉が取れない魔物はただ退治するいかないから、旨みが無い。
そんなことを思っていた矢先、オルガの忠告してきた。
「ファイアフォックスはその名のとおり、炎の魔法を使います。気を付けてください」
……なぬ?
魔法を使うとな?
それは面白そうだ。
魔法を使う魔物。
これまでに出会ったことのないタイプの相手だ。
なので、俺は「とうっ!」と日曜ヒーローのような掛け声と共にファイアフォックスの群れの前に躍り出た。
背後でオルガが頭痛を堪える仕草をしたが、気にしない。
俺の突然の登場に、ファイアフォックスたちは「わん! わん!」という可愛らしい鳴声をあげた。
群れの中央に陣取る一匹のファイアフォックスが「わわん!」と吠えると、前方にいる一体が身を屈め、飛び掛ってきた。
その後方でもう二体がタイミングをずらすように一拍遅れて跳躍してくる。
ふむ。
牙は鋭そう。
スピードは普通の狐よりも速い。
簡易な指揮系統を持ち、簡単な波状攻撃を仕掛けてくる。
普通の人間が相手なら、かなり厄介な相手だろう。
俺の首元に真っ直ぐ跳んできた最初の一体が、噛み千切るように顎を噛み合わせようとする。
かなり正確な狙いだ。
動かなければ喉を噛み切られることは必須。回避が少し遅れただけでも首周りの肉を持っていかれるだろう。
可愛い顔をして、なかなかえげつない攻撃を仕掛けてくるな。
俺は半身を僅かにずらし、余裕を持ってその攻撃を回避する。
同時に、すれ違うように横を飛んでいくファイアフォックスの顎に左アッパーカットをお見舞いする。
すると「キャイン!」という悲鳴と共に、飛び込んできたファイアフォックスが吹き飛んだ。
もちろん殺してはいない。
というか、魔法を見せてくれるまで殺すつもりはない。
すかさず、後から来た二体が牙の生えた口を大きく開き、俺の脚元めがけて一直線に跳躍してくる。
狙うは、俺の両の脛。
噛み付かれれば間違いなく脛肉を半分ぐらい持っていかれるだろう。
その場を動かずにいると、案の定、両脚をがぶりと噛まれた。肉を引き千切るように首をブンブンと捻る動作までつけている。
離れたところで小さく息を呑む声が聞こえた。多分オルガだろう。
傍からは衝撃映像に見えたに違いない。
が、俺に痛みはない。
寧ろ感覚もない。
2匹のファイアフォックスの牙は、俺が予め展開していた《
3次元防御魔法でしかない《
毎日師匠のような化け物を相手取っていた俺は、否が応にもこういう防御魔法が得意になってくる。得意にならなければ、毎日何回か死ぬからだ。
誰だって痛いのは嫌だし、死ぬのはもっと嫌だ。
だから、俺も得意にならざるを得なかった。
平然としている俺にファイアフォックスたちは困惑を露にする。
骨をも噛み砕かん咀嚼力を持つファイアフォックスの一噛みだが、俺がほぼ無意識で展開した《
2匹からすれば、まるで大理石の柱を齧っているような感覚だろう。
俺を引き倒そうと、2匹が俺の両足を咥えたまま後方へと引っ張りだした。
他のファイアフォックスたちも全員が低い姿勢を保ち、いつでも飛び掛かれるように構えている。
まぁ、俺はビクともしないんだけど。
いつまで経っても倒れない俺に痺れを切らしたのか、攻撃姿勢を保ったまま待機していたファイアフォックス達の間でついに動きがあった。
突然、群れの中心にいた一体が纏う魔力を高めたのだ。
お、来るか?
やっと来るのか?
そろそろこいつらの
魔法を見せてくれるなら丁度いい。
俺の予想通り、魔力を高めていた一匹のファイアフォックスは、クワッと口を開けると、喉の奥から拳大の火の玉を発射した。
ふむ。
この前の暗殺集団が撃った《
威力はかなり劣るし、あいつらと同じように構成式を形成した形跡もないが……まぁ、この世界の基準でいえば確かに魔法だろう。
メジャーリーガーの豪速球のような火球は、俺の顔面めがけて一直線に飛んでくる。
両脚を固定されている状態でこれを回避するのは非常に難しいと言わざるを得ないだろう。
当たれば良い具合に炙られ、そのまま彼らの遅めの昼食になる。
両脚を固定されているから、無理に回避しようとすればバランスを崩し、地面に倒れる。そうなれば全員で襲い掛かかられ、やはり彼らの昼食になる。
まさにチェックメイトとなる一手だ。
やるね。
ならば、対処方は一つしかない。
避けるのが難しいのなら、避けなければ良いじゃない。
ぼふん!
俺の顔面に火の玉がクリーンヒットし、火の粉が飛び散る。
が、もちろん俺にダメージはない。
言うても、この程度だな。
俺の《
無傷の俺を見たファイアフォックスたちが、一斉に火の玉を放ってきた。
数で押し切るつもりらしい。
違う魔法を撃ってくる様子はない。
なるほど。ということは、魔法はこれしか使えないのか。
他の魔法が使えれば、混合して撃ってくるはずだからね。
なら、ここら辺でもう良いかな。
幸い、この場での出来事を見ているのはオルガだけみたいだし。
飛んでくる《
狙うは最初に魔法を撃って来たファイアフォックス──群れのリーダーだ。
ズドン!
音もなく発動した魔法は、違うことなくリーダーに命中。
額に穴が空いたリーダーは、バタリと地面に転がった。
遅れて12の火の玉が俺に直撃し、その全てが《
「「「………………」」」
理解不能な事態に暫く固まるファイアフォックスたち。
魔物でも唖然とすることってあるんだね。
やがて、一匹のファイアフォックスが「ワン!」と吠えた。
すると、残った群れは一塊となって
リーダーを失った群れだが、意外にも統制の取れた動きだ。
こいつらも
追撃してもいいが、村に向かっているわけじゃないので、あまり気が進まない。
何より、肉が取れないのだ。無理に殺す必要はないだろう。
逃げていくファイアフォックス達の背中を見詰めながら、俺は溜息を付いた。
……正直、ちょっと期待はずれ。
ちゃんと魔法を使ってくれたから「魔法を使う魔物と戦う」という当初の目的は果たしている。
だけど、何か物足りない。
なんだろう、師匠や弥生さんやマリアさんたちを相手にし過ぎたせいか、死にかけないと戦った気がしなくなっている自分がいる。
これ、まずくね?
一種のドM体質になってきてね?
……。
…………。
………………深く考えるのはよそう。
仕留めた群れのリーダーを焼却処分しながら、俺は不都合な分析結果から目を反らすことにした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
このときの俺は、まだ近づく危機の足音に気付いていなかった。
そして、事態は危険な方向へと突き進んでいく──
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