38. NP:変異体

 ――――― ★ ―――――




 アルベルト・ローゼンベルガー特務中佐は、二人の兵士に取り押さえられている一人の青年兵士を見て、その紳士然とした眉を顰めた。


「何事だ」

「はっ! この者がローゼンベルガー特務中佐に報告があると喚きながら無理やり特務中佐のお部屋に入ろうとしていましたので、こうして取り押さえているところであります!」


 軍には軍規がある。例外は認められない。

 連絡兵でない一般兵士は、准尉以上の士官に直接報告する権限がない。

 報告をしたいのであれば、まず現場の直属指揮官に報告し、それを直属指揮官が連絡兵に伝え、連絡兵が准尉以上の士官に伝える、という基本手順を踏む必要がある。

 これは現場の混乱と錯綜した情報を司令部に持ち込まないための、一種の安全措置だ。


 どれだけ重要な情報を持っていようと、正しい手順を踏まない者は軍規違反者と看做される。

 それが分からない者はこのヤーゲン要塞には存在しないし、そういう者が配属されてくるほどこの要塞は甘くない。

 だから、青年兵士を取り押さえている二人の兵士の行為は、職務上至極まっとうな措置である。報告の基本手順も弁えず、あまつさえ許可もなく上級士官の執務室に押し入ろうとするなど、場合によってはその場で処断する必要すらあるのだから。


 しかし、兵士二人に取り押さえられてなお「ご報告をっ! 緊急事態っす! どうかお聞きください、ローゼンベルガー特務中佐ぁぁぁ!!」と懸命に喚く青年兵士を見たアルベルトは、「離してやれ」と命令を下した。


 自由になった青年兵士は依然冷静さを欠いた様子で、滝のような汗を流している。


「緊急事態っす! いや、です!」

「聞こう。何事だ」


 話を聞いてもらえるという事実に少しだけ安堵した様子を見せた青年兵士は、一度ゴクリと唾を飲み込み、


「東方より我が要塞に向かって、一匹のゴブリンが進撃しております! 距離およそ1キロ!」


 ありのままの現状を伝えた。


 一瞬の沈黙。


 直後に、手を離した二人の兵士が再び青年兵士を組み伏せる。


「貴様っ! 特務中佐に向かってなんという冗談を──」

「止せ」

「──っ! しかし、ローゼンベルガー特務中佐……」

「止せと言った」

「「はっ!」」


 背筋を伸ばし、兵士二人は青年兵士から離れる。

 再び自由になった青年兵士に、アルベルトは鋭い視線を向ける。


「どういうことか、落ち着いて報告しろ」

「は、はい! ……数分前、当要塞の東、約1.3キロ地点にて一匹のゴブリンを発見。帰投中の巡回部隊がこれと遭遇。そのまま討伐に入り──巡回部隊は全滅いたしました。それも、たったの一撃で。生存者は確認できておりません」


 生存者なし。

 つまりは、巡回部隊──熟練兵士10名が皆殺しに遭ったっということ。


 青年兵士の報告に、後で控えていた二人の兵士は不快を露にした。


「貴様、寝言は寝て言え!」

「そうだ! たかがゴブリン一匹に巡回部隊が全滅など──」

「黙れ」


 嘲笑すら含んだ兵士二人に、アルベルトは冷ややかな一言を浴びせた。

 兵士二人が背筋を伸ばして口を閉ざす。

 アルベルトは少し考え、青年兵士に向き直る。


「報告内容の真偽はさておき、なぜ総司令ではなく直接私に報告を?」

「そ、それは……」

「正直に言え。罪は問わない」


 ゴブリンが巡回部隊を一撃で全滅させた。

 兵士二人が下手な冗談だと嘲笑したのも無理はない。

 常識的に考えて、そんなことは起こりえないのだから。


 混乱した現場から意味不明な報告が上がってくるなど、軍では日常茶飯事である。

 現場は命のやり取りをしている真っ最中だ。見間違いや誤解、偶然や奇異な必然は避けられないし、避けようがない。

 いくら現場指揮官による情報の選別と連絡兵による精確な情報伝達を徹底しようと、錯綜した情報や不可解な報告を無くすことはできない。

 そんな報告をいちいち吟味していては、それだけで情報部のリソースを使い果たしてしまう。

 だからそういった荒唐無稽な報告は、記録には残すが、大抵がそのまま無視される。


 だが、アルベルトはこの青年兵士の与太話のような報告を無視する気になれなかった。


 こういった報告の中には事実もしくは部分的事実もあるのだと、歴戦の戦士である彼は経験から知っていた。そして、その一見ガセのような事実が時には戦局を一変させることも、彼はよく理解している。

 それが総司令のワルド少将ではなく、わざわざ自分のところに届けられた報告ならば、なおさら聞かない訳にはいかない。

 何より、アルベルトの「立場」上、自分への直接報告は聞かざるを得ない。


 アルベルトの落ち着いた口調に、青年兵士は意を決したように再び口を開く。


「お、恐らく、相手は『変異体』ではないかと愚考いたします」


 その場にいる青年兵士以外の全員が目を見開いた。

 冷静沈着なアルベルトでさえ思わず驚きを露にしてしまうほどに、青年兵士の言葉は衝撃的だった。


「……その根拠は?」

「はっ。そのゴブリンは間違いなくただのゴブリンと同じ外見でした。なのに、そいつは魔法武器マジックウェポンと思しき大剣を使いこなし、信じられないほど高い戦闘能力を見せました」

「……お前の見間違いで、実はゴブリンロードだった、という可能性は?」

「ございません。あれは間違いなく『ただのゴブリン』でした。共に監視任務に当たっておりました同部隊の伍長も目撃しております」


 青年兵士の断言に、アルベルトはオールバックにしたその褐色の髪と同じ色の顎鬚を擦った。


 青年兵士の報告は、あまりにも突拍子がないものだ。

 変異体など、滅多に誕生するものではない。

 百年単位どころか、数百年に渡って発見されなかったことも珍しくない。

 それほどまでに変異体は珍しいのだ。


 変異体は存在そのものが脅威である上に、成長すればするほど強くなっていく。

 放っておくと人間の手には負えない化け物になってしまうので、変異体は発見し次第、全力で討伐するのがセオリーだ。

 一撃で一小隊を皆殺しに出来るような個体を、これまで放って置いたはずはない。


(未発見の個体か? ありえる話だが、あまりにも可能性が低い……)


  変異体は、言わば特異点のような存在で、そこにいるだけで周囲に多大な影響を与える。

 例えば、植物を餌にする変異体であれば僅か数日で森が丸々一つ消え去り、肉食の変異体であればその一帯から獣も魔物も人間も全てが消え去る、といった事が起きる。

 そんな天変地異の如き異常現象が伴うからこそ、変異体の存在はほぼ確実に短期間で把握されるのだ。


 未発見の変異体であるのであれば、生まれたばかりの個体という可能性しかない。

 が、それでは青年兵士の報告と一致しない。

 相手があまりにも強いのだ。

 変異体にありがちな──人間を遥かに超える身体能力をフルに活用して獣のように暴れたのであればともかく、当のゴブリンは大剣を使いこなしていたという。

 成熟した変異体ならまだしも、果たして生まれたばかりの変異体にそんな真似ができるだろうか。


 アルベルトは目を細め、青年兵士に問う。


「そのゴブリンが強いのは、持っている魔法武器マジックウェポンのせいではないのか?」


 身体能力を強化する効果がある魔法武器マジックウェポン魔法道具マジックアイテムは数多く、中には邪悪な呪いが宿るものも存在する。

 通称「呪われた器物カースドアイテム」と呼ばれるそれらは、使用者に影響を与えるものが殆どで、時には使用者の精神すらも支配すらしてしまう。

 大人しくてか弱かった人物が呪われた器物カースドアイテムを使用したせいで制御不能な殺戮兵器へと変わってしまった、などという事例は枚挙にいとまがない。


 巡回部隊を全滅させたというゴブリンも、ただ単に呪われた器物カースドアイテムに影響されただけではないだろうか?

 確かにとてつもなく強くはなったが、それも全てが呪われた器物カースドアイテムによる効果というだけの話ではないだろうか?

 こちらの説の方が、青年兵士が唱える変異体説より断然可能性が高いだろう。


 しかし、そんなアルベルトの冷静な分析は、青年兵士によって否定される。


「その可能性も考えましたが、可能性は低いと愚考いたします。

 あのゴブリンは、大剣を使いこなしていました。ただ魔法武器マジックウェポン魔法道具マジックアイテムに影響されただけでは、肉体的には強くなれても、大剣を使いこなす程の技量を得るのは不可能なはずです。

 それに、呪われた器物カースドアイテムに支配された際に見られる不自然な挙動や意識の欠落、狂気的暴走などの症状は一切見受けられませんでした。それどころか、非常に冷静で理知的に見えました。自分には、あれが己の意思で動いているとしか思えません」

「……そうか」


 青年兵士の分析は筋が通っている。

 恐怖で見間違えたのでもなければ、過大な修辞で事実を歪めているわけでもない。

 寧ろ理路整然としており、論理的である。

 これ以上彼の陳述を疑うのは意味がないだろう。


 変異体云々は置いておくとして、巡回部隊が一撃で全滅したという事実がある以上、その魔物を放って置くことはできない。

 青年兵士が総司令ではなく自分に報告しに来た理由も、恐らくこの辺にあるのだろうとアルベルトは判断する。

 つまり──


「私でなければ倒せない。そういうことか?」

「はい。ですので、総司令ではなく、ローゼンベルガー特務中佐に直接ご報告させていただきました」


 アルベルトはヤーゲン要塞における最高戦力だ。

 冒険者で言えばランク7に当たる実力を有する彼は、個人で一個連隊──一般兵士約2000人を圧倒することができる。

 彼が持つ「特務中佐」という階級も、個人で一騎当千の戦闘能力を持つ者にのみ与えられる特設階級の一つだ。

 彼のような「特務」を冠する階級を有する者──「特務武官」は、帝国軍内でも50人といない。


 ──強敵が出ればローゼンベルガー特務中佐を頼れ。


 これはヤーゲン要塞における兵士たちの共通認識だ。

 だから青年兵士も、軍規に触れようともアルベルトに直接報告しに来たのだ。


「なるほど。では、早急に総司令にも報告して来い。その際は私の名前を出せ。連絡兵に伝える手間が省ける。あと、すでに私が討伐に向かったことも伝えておけ」


 青年兵士にそう命ずるアルベルト。


「よろしいのですか? 討伐に出向かれるのは、総司令のご許可を頂いてからの方が……」

「これ以上待って敵が要塞に攻撃を仕掛けてきたらどうする。だいたい、一撃で巡回部隊を全滅させられるような相手だ。一般兵を幾らぶつけても犠牲が増えるだけでメリットはないだろう。ならば、私が直接打って出た方が効率がいい。総司令もきっとそう御判断なさるはずだ」


 アルベルトは自分が重責を背負う身である自覚と自負があり、常に己を誰よりも厳しく律している。そのため、彼は階級に関わらず要塞内の全将兵に信頼され、敬愛されている。

 それは総司令のワルド少将も同様で、二人はよく酒を酌み交わす仲でもある。

 帝国軍において特務武官は通常士官と同階級であると位置付けされているが、アルベルトは総司令のワルド少将から緊急時における特別裁量権を与えられている。

 非常時限定ではあるが、アルベルトは要塞総司令とほぼ同じ権限を持つのだ。


「了解しました。……あと、その、フリンツァー特務大尉……様には?」


 自分のことを階級ではなく様付けで呼べと兵たちに命令しているの顔を思い出し、アルベルトは眉を顰めた。


「……知らせなくていい」

「了解しました!」


 たとえ単なる報告であろうと、フリンツァーという人物に直接会うのは気が進まないのだろう。青年兵士と二人の兵士の顔には明らかな安堵が浮かんでいた。


「では行け」


 司令室へと駆けていく青年兵士たちを背後に、アルベルトは東側城壁へと足を向ける。

 静かに闘志を高めながら。






 ◆






 目の前に立つゴブリンに、アルベルトは大きく目を見開いた。


 見た目は、本当に「ただのゴブリン」だ。

 違いと言えば、腰に皮製の腰当を、背中に大剣を固定する皮製のベルトを身に着けていることぐらいだろうか。

 ただ、その体からにじみ出る威圧と、その肩に担いだ大剣から放たれる鋭い魔力が、このゴブリンに対する外見的印象を強烈に否定してくる。


(……これがゴブリン、だと?)


 その自嘲は、未だ相手の外見に惑わされそうになる自分の傲慢さに対する戒めだ。


 間近で感じて初めて分かる。

 このゴブリンは間違いなく自分と同等かそれ以上の実力を有している、と。


「変異体、か……」


 推測に過ぎなかったその単語が揺るぎようのない事実へと姿を変えて、アルベルトの両肩にのしかかる。

 間違いない。

 こいつはゴブリンの変異体だ。


 アルベルトは腰に吊るした長剣を抜き、静かに構える。


「残念だ。お前が魔物ではなく人間だったならば、良きライバルになれたかもしれないのにな」


 言葉を解さないゴブリンに思わず言葉を掛けた自分に苦笑いを浮かべながら、アルベルトは全身の筋肉を滾らせる。

 力が体を駆け巡り、暴発する直前まで高まる。


 そうして戦闘準備をしているアルベルトに、一つの声が掛けられた。


「俺、強い戦士、戦う、望んでた。叶う、嬉しい」

「────っ!?」


 アルベルトは驚きに息を吸い込む。

 たどたどしくも、はっきりと意思が伝わる言葉。

 それを発したのは、あろうことか目の前に立つゴブリンだった。


 通常、ゴブリンは「ギャギャッ」という耳障りな鳴声しか上げることはない。

 言語を解すような知能も、それを生かす環境もないからだ。

 だが、目の前のゴブリンは違う。

 拙いながらも、人間の言葉である「大陸語」を口にしたのだ。


「言葉を解するのか……」

「人間、学んだ」

「言葉が分かるなら話は早い」

「ギャッギャッギャッ! 言葉、分からない、話、できない。話、できないと、早く、できない。ギャッギャッ!」


 甲高い声を上げるゴブリン。どうやら笑ったらしい。


「……なるほど。言葉遊びもできるのか。お前は頭もいいのだな」

「人間、学んだ」

「そうか……。では聞こう。お前はなぜここに来た」

「俺、強い者、戦う、旅してる。ここ、強い者、戦う、来た」

「……武者修行か。悪いが、この先に行かせるわけには行かない。この先にあるヤーゲン要塞は、我が国の重要軍事施設だ。勝手に近づくことは許されない。それに、お前たちゴブリンは我々人間の敵だ」


 ゴブリンは肩に担いだ大剣を片手で持ち上げ、真っ直ぐにアルベルトに向けた。


「他の人間、同じこと、言った。俺、『人間の敵』。なら、決着、戦い、付ける」

「そうだな。どの道、軍人である私は魔物であるお前を倒さなければならない」


 アルベルトもゴブリン同様、剣を構える。


 真正面から対峙する二人。


「……不思議な感覚だ。お前はゴブリンであるはずなのに、私はどうしてもお前をただの魔物ではなく、一人の戦士として見てしまう」

「俺、戦士。お前、間違い、ない」


 そう言ったゴブリンは、再びギャッギャッと笑った。


「お前、他の人間、違う。冒険者、みんな、俺のこと、『クソゴブリン』、言う」

「彼らは大なり小なり魔物に憎しみを持っているからな。仕方のないことだ」


 アルベルトは姿勢を正す。


「では戦士として名乗ろう。アルマダ帝国陸軍 第三西部方面軍 第二師団所属、アルベルト・ローゼンベルガー特務中佐だ」

「俺、名前、ない。……俺、勝ったら、お前の名前、貰う」

「はははっ。いいだろう。私に勝てたら、この名をやろう!」


 アルベルトは清々しく言い放つ。

 拙いながらも礼儀を弁える、嫌な感じのしないゴブリンだ。自分の「同僚」よりよっぽど好感が持てる。

 だからこそ、容赦はしない。

 一戦士として、一人の帝国軍人として。


「では、参る!」

「来い、人間!」



 アルベルトは地面を踏みしめる足に力を入れる。

 体内を循環させている魔力を足に集中し、「戦技」を発動する。


「〈縮地〉!」


 踏み出したアルベルトはありえない速度で加速し、一直線にゴブリンへと飛ぶように迫る。


 戦技。

 それは、無限ともいえる回数の鍛錬の末にようやく身に付けられる、肉体と魔力を駆使した技。

 人間の限界を超えんとする意思が形となって生まれた奥義だ。


 この〈縮地〉は、高速移動を可能にする戦技の代表格であり、高速戦闘を得意とするアルベルトの十八番だ。

 魔力によって強化された脚部の筋肉は爆発的な瞬発力を生み、足の裏から放たれた魔力はわずかに地面に浸透して常時に倍する摩擦力を生み出す。全身に纏った魔力によって空気抵抗は薄れ、強化された脚部と強化されていない体幹の能力差を中和する。

 この状態で踏み込めば、人間は爆発的な加速を得て弾丸のように速く動くことができる。

 これが戦技〈縮地〉の効果だ。


 打ち出された弾丸が如く急接近するアルベルトに、ゴブリンはそのぎょろりとした目を細め、大剣の腹を向けて構えた。


(大剣を盾にして初撃を凌ぐつもりか。ならば!)


 上段に構えたアルベルトは腕を引き戻し、高速で接近しながらゴブリンの脚を狙う。

 脚は怪我を負うと確実に戦闘に支障をきたす身体部位だ。

 それに、己の体よりも大きなその大剣を盾にしていれば、必然と足元が見えずにお留守になりやすい。

 狙うにはもってこいの箇所といえる。


 ゴブリンの脚目掛け、アルベルトは長剣を振るう。

 高速で振られる「シリラ合金」製の長剣は、当たれば確実にゴブリンのか細い脚を切断するだろう。

 そうなれば、ゴブリンはまともに戦闘を継続できなくなる。


 が──


 斬る直前、アルベルトは信じられないものを見た。


 それは、自分へと迫り来る大剣の腹。


(なっ!? 大剣を盾にしたまま突っ込んでくる、だと!?)


 目の前のゴブリンは、来るであろうアルベルトの攻撃を受け止めるのではなく、逆にこちらに向かって疾風の如く突進してきたのだ。

 それも、戦技を発動したアルベルトとほぼ同じ速度で。


(馬鹿なっ!? 素の脚力で私の〈縮地〉と同等だとっ!?)


 アルベルトの驚きは、それだけに留まらなかった。

 盾を構えたままの高速突進。

 それはまるで──


(大剣を使った盾突進シールドバッシュだとでもいうのかっ!?)


 アルベルトの〈縮地〉とほぼ同じ速度が乗った、重量級の大剣による盾突進シールドバッシュだ。

 これとぶつかれば無事ではすまないだろう。

 攻撃を仕掛けるつもりが、いつの間にかこちらが攻め立てられる側になっていたのだ。


(しまった! 誘われたか!)


 そのことに気がついたアルベルトは、


「〈縮地〉!」


 再び〈縮地〉を発動し、瞬時に右へと回避する。

 直後、大剣を盾にしたままのゴブリンが彼のそばを掠めて通り過ぎた。

 無理な横飛びで僅かに脚に負担はかかったが、なんとか進路上からは離れることができた。


(そこだ!)


 通り過ぎたゴブリンの背後めがけ、アルベルトは剣を持った右腕に力を込め、斬撃を──


 いつの間にか振り下ろされてきた大剣が、アルベルトの頭上に迫っていた。


 それは、アルベルトの横を通り過ぎた瞬間に踏みとどまり、そのまま構えた大剣を上段から振り下ろしたゴブリンの一撃。

 躱すこともいなすこともできないその一撃を、アルベルトは己の長剣でまともに受け止めざるを得なかった。


「ぐおぉぉぉぉぉ!」


 あまりの衝撃に、思わず苦悶の呻きが漏れる。

 巨大な岩に潰されたように重い一撃だ。

 ヤーゲン要塞最強と謳われるアルベルトですら、受け止めるので精一杯だった。


 肩口まで押し込まれた大剣を必死の思いで振り払い、アルベルトは素早く距離を取る。

 大剣を受け止めた両腕が、痺れを伴って痛む。

 衝撃を吸収し緩和してくれた関節は軋み、急激に力んだ肩と胸の筋肉は疲労に震えている。

 体からは汗がドッと吹き出し、喉は息を求めて大きく鳴っている。


 たったの一合。

 まだそれだけしか剣を交えていないというのに、特務武官である自分をここまで追い込むのか。


「これが、これが変異体……!」


 思わず漏れたその感嘆には、隠せない畏怖が含まれていた。


 アルベルトは自分が最強だなどと自惚れたことは一度たりともない。

 同僚のフリンツァー特務大尉とは違い、上には上がいるということを痛いほどよく知っている。

 だからこそ、自分よりも強い存在──特に人間以外の種族──と遭遇した時は、相手の強さと己の弱さを認めた上で、両者の力量差を考慮しながら慎重に戦う。


 そんなアルベルトの戦士としての警鐘が、大音量で鳴っている。


 人間の素の肉体能力は大抵の獣にすら劣るが、ゴブリンはそんな人間よりも更に劣るのだ。

 ゴブリン一匹の全力攻撃など、アルベルトでなくとも恐れるに足りない。

 まさに最弱の魔物だ。


 それなのに。

 目の前に居るこのゴブリンの、その子供のように細い腕によって繰り出された一撃には、アルベルトの師であった老剣士のそれすら超える威力があった。

 それがどれだけ異常なことか、謙虚なアルベルトだからこそ余計に理解できてしまう。


(……いや、攻撃速度と威力が高いだけではない。このゴブリンは──技まで使う!)


 魔物の戦い方は往々にして単純で単調だ。

 腕力が強い魔物は、腕力にものを言わせて四肢を振り回して戦う。

 外皮が硬い魔物は、硬い外皮を生かして突進してくる。

 翼を持つ魔物は、飛び回りながら攻撃する。

 多少の差異はあるけれど、殆どの魔物は己の身体的特徴や長所を最大限に生かすような戦い方をする。


 技や戦術などというものを駆使して戦うのは、人間だけだ。


 なぜなら、他種族と比べて、人間は身体的優位性を殆ど持たないから。

 全力で殴りかかっても己の拳を痛めるだけだし、傷付けばすぐに死んでしまう。

 多くの獣や魔物にとって、人間などただの食料でしかない。

 そんな弱い人間という種族が己の身を守るために編み出したのが多彩な戦技と魔法であり、戦術と戦略なのだ。

 戦略で目標を決め、戦術で優位性を確保し、技で先天的な戦力差を埋める。

 それが弱い種族である人間の、弱いなりの戦い方だ。


 硬い外皮も鋭い爪や牙も空を飛ぶ翼も持たないゴブリンも人間同様、弱い種族だ。

 だから、他の魔物では扱えない簡単な「道具」を作り、それらをある程度自由に扱うことで己の身を守り、獲物に攻撃を仕掛ける。

 そうして、ゴブリンたちはなんとか厳しい自然を生き延びてきた。

 とは言うものの、彼らの道具や武器の使い方は、大抵が子供のように振り回すだけという非常に稚拙なもので、そこに技術や戦術と呼べるものは殆どない。

 それこそが、ゴブリンの本来の戦闘スタイルだ。


 だが、目の前にいるこのゴブリンは全く違った。

 驚くべきことに、このゴブリンは駆け引きを用いり、技を駆使したのだ。


 大剣を盾にし、機を見て防御から盾突進シールドバッシュへと切り替えた。そして通り過ぎたと思わせてカウンターを狙ってきた。

 つまり、相手アルベルトの攻撃に合わせて攻め方を変えたのだ。

 言葉にすれば簡単に聞こえるかも知れないが、これは相当な戦闘経験がなければできない芸当だ。

 それを難なくやってしまうどころか、この要塞でも随一の実力を持つアルベルトすらやり込めてしまうなど、もはや「経験豊富」や「駆け引き上手」などという陳腐な形容では言い表せないだろう。


 そして、あの大剣を使った見事な「技」。

 大剣を盾に見立てたあの盾突進シールドバッシュは、一つの「技」として完成している。

 そこに適切な形で魔力を込めれば、立派な戦技──〈盾突進シールドバッシュ〉にすらなっていただろう。

 それほどまでに見事な一撃だった。


 人間の「戦術」と「技」を駆使する。

 あまりにも魔物らしからぬ戦い方だ。


 根本が弱い魔物の代表格であるゴブリンだったとしても、その危険性は論ずる必要がないほどに明らかだろう。


 アルベルトは魔法を扱えない。

 クラスは純近接戦闘スタイルである「フェンサー」で、攻め手は剣術による近接戦闘のみだ。

 対する相手も、大剣を用いた近接戦闘型。

 しかしその攻撃は速く、重く、鋭い。


 であれば、同じ土俵で戦うのは危険だ。

 最も有効的な手段は、遠距離から矢や魔法で徐々に削ることだろう。


 しかし──


(私とて戦士だ。引くわけにはいかない)


 相手はゴブリンだが、同時に自分が戦士と認めた存在でもある。

 効率と結果だけを重視して遠距離支援を求めるのは、この戦士ゴブリンに対して失礼に当たるだろう。


 礼儀の話だけでなく、打算もある。

 青年兵士の報告を聞く限り、このゴブリンは自発的に人を襲っている訳ではないことが伺える。巡回部隊を全滅させたのも、ゴブリン側からの能動的襲撃の結果ではなく、迎撃戦の結果だった。

 加えて、このゴブリンは戦士気質であり、人間らしい礼儀も弁えている。奴がこうしてが大人しく自分と一対一で対峙しているのは、恐らくその礼儀に則っているから──同じ戦士として戦っているからだろう。

 ここで矢や魔法による飽和攻撃など仕掛けて、万が一にも仕留め損なったら、奴は「戦士の戦いを穢した」として怒り狂うだろう。

 そうなったら、奴は無差別に殺戮を始めるかも知れない。


 ここはやはり、自分が一人でなんとかしなければならないだろう。

 アルベルトは体に流れる全ての血液が燃え滾る様をイメージし、体の隅々まで魔力を循環させる。


「〈筋力限界強化〉! 〈視覚限界強化〉!」


 戦技の中でも習得が難しい、上位の強化系戦技だ。

 全身の筋肉が膨張し、四肢の動きはスムーズで精確になる。

 視界がクリアになり、眼の前の全てがスローに映る。


 戦技による限界までの身体強化。

 これこそがアルベルトの本気、今の彼にとっての最高の状態だ。


 構え直した長剣に、アルベルトは魔力を纏わせる。

 魔力を纏えばそれだけで武器の衝撃力と切れ味──攻撃力が増す。

 謂うなれば、野球バットがビームサーベルになるようなものだ。


 魔力が込められたことによって、アルベルトの手に握られたシリラ合金製の長剣が白銀に輝く。

 シリラ合金は高価ではあるが、それに見合うだけの強度があり、何より魔力伝導性に優れているため、魔法武器マジックウェポンの素材としてよく使われている。

 ただ、アルベルトの長剣はシリラ合金製ではあるが、魔法武器マジックウェポンではない。強固で魔力を纏いやすいという素材固有の長点以外、何の特殊効果も特殊機能も備わっていない。

 剣一本でのし上がってき来たアルベルトにとって、必要なのは多機能な魔法武器マジックウェポンではなく、シンプルに扱いやすいくて丈夫な剣だ。

 彼の技量と能力があれば、この剣はそこらの魔法武器マジックウェポンよりも確かな性能を発揮する。


「行くぞ、ゴブリン!」


 全力のアルベルトが駆け出す。


「〈縮地〉!」


 戦技〈筋力限界強化〉との相乗効果によって、先ほどよりも更に高速で疾走するアルベルト。

 その動きは、もはやランク3〜4の冒険者に匹敵する兵士たち程度では視認することができない。

 同ランクであるランク7冒険者ですら、目で追うのがやっとだろう。

 文字通り電光石火だ。


 そんなアルベルトに、ゴブリンは口の端を吊り上げた。

 普通のゴブリンが浮かべるような獰猛で野蛮な笑みではなく、強敵を目の前にした戦士のウキウキとした笑みだ。

 残像を残しながら接近するアルベルトの姿をその瞳にしかと捕らえながら、ゴブリンは大剣を両手で握り締め、正眼に構えた。


 そして、彼我の距離が3メートルを切った瞬間、アルベルトが先に仕掛けた。


「はあぁぁぁ! 〈十字光斬ライトクロスブラスト〉!」


 限界まで収縮された筋肉が解き放たれ、長剣が光の尾を残しながら十字を描く。

 ほぼ同時に放たれた二度の斬撃は、長剣の間合いに縛られることなく、飛翔する剣閃となってゴブリンへと襲い掛かった。


 ランク7冒険者に相当する戦士にしか使いこなせない、高難易度の戦技だ。

 勿論、その威力は難易度に正比例する。

 掠りでもしようものなら、接触箇所よりも広範囲の肉体が斬り飛ばされ、まともに食らえば体そのものが十字の斬撃に沿って消し飛ぶ。

 まさに必殺といっても過言ではない破壊力だ。


 対するゴブリンは──


 避ける素振りも、防ぐ素振りも見せない。

 ただ大剣を上段に構え、


「ウギャギャアァァァァァ!」


 という雄叫びと共に、振り下ろしただけだった──




 その一撃に、膨大な魔力を乗せて。




 ズバーン! とゴブリンの大剣から強烈な波動が放たれる。

 それは、大剣の間合いを離れ、斬撃の直線上にあるベルトへと飛翔していく。 


「──なにっ!?」


 十字の剣閃と縦一文字の波動が、正面から衝突する。


 そして──

 前者がかき消された。



 驚きに見開かれたアルベルトの瞳に映ったのは、自分の戦技を打ち消してなお自分に襲い掛かる縦一文字の波動と、正しく「戦技」を発動した恐るべきゴブリンの姿だった。

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