37. NP:目撃

 ――――― ★ ―――――




 時は遡る。

 それは、一人の少年が幼い姫とその騎士たちを助ける一月前のこと。






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 ヤーゲン要塞は、アルマダ帝国の南西端に位置する大要塞である。

 帝国の仇敵たるアルフリーゼ王国に程近いこの要塞は、南西方向からの侵攻を防ぐ要衝であり、王国との本土決戦における最初の重要防衛地点だ。

 とはいえ、要塞の南西には「天然の隔壁」とまでいわれる「グリューン大樹海」と「グリューン山脈」が立ちはだかっているため、最南西端そちらからの来襲は警戒していない。

 ヤーゲン要塞の実質的な守護範囲は、そこより北──アルフリーゼ王国の辺境伯領が一つ「ウィンターヒル境伯領」との国境線が主となる。


 国境線からわずか30 キロほどの場所に築かれたヤーゲン要塞は、四方を空けた平地に囲まれている。

 一切の遮蔽物がないため非常に眺望が効き、高々と築かれた外周防壁からは国境線のすぐ手前までを見渡すことができる。

 防衛と監視が容易な、非常に恵まれた立地だ。


 国防の重要な一角を担うこの要塞には、アルマダ帝国陸軍第三西部方面軍第二師団──総勢1万の将兵が常に駐屯している。

 要害を守る砦だけあって、配備されている兵の質と量は内地の砦に比べ頭一つ飛びぬけており、装備も常に最新のものを支給されている。

 待遇も、帝国内でもトップクラスだ。



 精兵に守られた難攻不落の砦、ヤーゲン要塞。

 惜しむらくは、今が戦時でないこと。

 戦時中は無類の強さを発揮する大要塞も、平和時ではただの監視所でしかない。


 全て世は事も無し。

 要塞内に流れる空気は平穏そのものだった。


「平和っすねー、伍長」

「うむ。実に平和だ」


 青空を見上げる人族の青年兵士に、伍長と呼ばれた獣人族の中年兵士が頷いた。


「このままずっと戦争が起こらなければいいっすねー」


 やる気がなさそうに青年兵士は願う。

 戦争をするための要員たる兵士にしてみても、やはり戦争はない方が良い。


「それは、まぁ、無理だろうな」

「ですよねー……」


 青年兵士は困ったように頭を搔いた。


「伍長も王国を滅ぼしたい派っすか?」

「私か? そうだな、気持ちとしてはそんなことはしたくないが、そうした方が我が国のためになるのであれば、そうするな」

「お堅いっすねー。俺はどっちかっつーと帝国も王国も関係なく、戦争そのものをしたくない派っす。自分が死ぬのはもちろん嫌だし、見知った顔の人が死ぬのも、見ず知らずの人が死ぬのも、全部嫌っすねー」

「それは私も同じだ。だが、国のためになるのであれば、やらなければならないだろう」


 それが兵士というものだ、と中年兵士は付け加える。


「そこっすよ。国のためって言いますけど、兵がどんどん死んでいく戦争のどこら辺が国のためなんすか? 戦争で死ぬ兵を全員、村の開拓とかに回した方がよっぽど国のためになると思うんっすけど」

「お前の言いたいことは分かる。だが、そういうことではないし、そうもいかんのだ」

「なんですっすか?」

「新しい村の開拓は、戦争よりも死亡率が高いと聞く。浅層よりも開拓のほうが楽、ということはないのだ」

「そ、そうなんっすか……」

「それに、戦争をしなければ、兵は不要となる。それで徴兵数が削減されれば、無職の人間が増える。兵が減れば装備調達数も削減されるから、武器屋と防具屋もたくさん潰れるな。軍に食糧などの物資を売る商会も、幾つも潰れるだろう。そうなれば職の無い人間が溢れかえり、スラムが大きくなる。それが広がれば最悪、国が滅ぶ」

「マジっすか!?」

「マジだ。あと、戦争には思想の統一がどうのとか、特需がどうのとか、そういう利点も有る」

「凄いっすねー、伍長。物知りっすね」

「全部、司令の受け売りだ。昔、お前と同じことを聞いた兵士に司令が説明していた。戦争も国が生きていくために必要な活動なんだ、ってな」


 嫌そうな顔をした青年兵士に、中年兵士は質問を投げかけた。


「そんなに戦争が嫌いなら、お前はなぜ軍に志願した?」


 この国の軍は王国のような戦争の度に農民を徴兵して作る一時的な軍団とは違い、専業の兵士によって構成された正真正銘の「軍隊」だ。

 兵士になるには、自分の意思で志願する必要がある。

 なので、こうしてイヤイヤ言っている青年兵士も、帝国軍には自ら志願して入ったはずだ。


「それはあれっすよ、『学院』に行くためっす」

「あー、なるほどな。学費のためか」


 中年兵士は納得顔で頷いた。



 青年兵士の言う「学院」とは、「アルマダ帝国帝立ジュール魔法学院」のこと。

 魔法戦闘や魔法道具マジックアイテムの研究・開発は勿論のこと、ポーション調合学や紋章魔法学などのポピュラーな学問から、魔法によるペットのあやし方や野菜の切り方に至るまで、魔法に関わることであれば何でも教えている世界屈指の高等教育機関だ。

 魔法関連以外にも文化や教養などが必修科目として用意されているため、生徒の素養は非常に高い。


 そんな大陸でも屈指の教育水準を誇るジュール魔法学院の卒業生には、もれなく素敵な就職先が用意されている。

 帝国魔法省や魔法師ギルドは勿論のこと、貴族や大商会からも熱烈なラブコールを送られる。

 よほどの偏屈者でもなければ、未来に待っているのは華々しい生活と相場は確定しているのだ。


 その分、卒業することは「才能がなければ、どんなに努力しても絶対に無理」と言われる程に難しい。

 カリキュラムの難度と学術の深奥さは、学院の質を体現している。

 それに付いていける学生はとても少なく、実際、毎年の卒業生は入学生の2%ほどしかおらず、殆どの者は学院を中退することになる。

 それでも、「ジュール魔法学院の生徒だった」という事実と、そこで多少なりとも得ることができた知識や技術があれば、一生食うには困らなくなる。

 身も蓋もない言い方をすれば、入学さえできれば人生のフリーパスが手に入る、ということだ。


 そのため、青年兵士のように魔法学院に通う資金を稼ぐために軍に志願する者は多い。

 後に控えているバラ色の人生を思えば、最短5年の兵役などアルバイト同然。なにせ、衣食住などの生活費は全て帝国軍持ちで、給料も出るのだ。もう随分長いこと戦争をしていないから危険手当は付かないが、その分、安全な軍隊生活を送れるので文句もない。


「まぁ、今のところ、うちの上層部は戦争しようっていう意志がないみたいだから、心配することもないだろう」

「やっぱ、平和が一番っすよねー。こうして外壁の上で景色眺めているだけでお金貰えるんすから」

「何を言っている。今は警戒監視任務中、つまりは仕事の最中だ。給料分はしっかり働いてもらうぞ」

「つってもっすよ、伍長。敵が誰も来ないんじゃ、警戒監視なんて意味ないじゃないっすか。だいたい、要塞の外は巡回当番の連中が定期的に見て回ってるんすから、俺たちの出番なんてなくないっすか?」

「巡回部隊の任務は城壁の上から見えない──小丘の裏や林の中などに隠れている敵の発見だ。彼らの仕事は俺たち警戒監視当番のサポートであって、大役を担うのは我々なのだ」

「だーかーらー、その『敵』ってのがいないって言ってるじゃないっすかー」


 肩を竦めてそう言った青年兵士に、中年兵士は諦めたように溜息を吐いた。

 が、すぐに遠くに何かを見つけ、にやりと口の端を吊り上げて城壁の外を指差した。


「ほら見ろ、『敵』のお出ましだ」

「マジで!? ……って、ただのゴブリンじゃないっすかー。しかも一匹だけ。ビビらせないでくださいよー、もー」


 青年兵士の言うとおり、中年兵士が指差したのは一匹のゴブリンだった。

 そのゴブリンは堂々と平原の只中を進み、東から徐々にヤーゲン要塞へと近づいてきている。


 ゴブリンは通常、複数匹の集団で活動する。

 単独で行動しているということは、恐らく群れからはぐれたのだろう。


「面倒くさいなー」


 相手が誰であろうと──たとえそれが魔物の中でもとりわけ弱いとされるゴブリン一匹だけだとしても──許可なく要塞に近づく者は敵とみなされ、排除の対象となる。

 というか、許可云々の前に、魔物は人間の敵だ。人間に有益な特定の魔物以外はすべて発見し次第排除しなければならない。


「あ、どうやら自分らの出番はないみたいっすよ。ほら」


 青年兵士が要塞に近づくゴブリンの右──南の方角を指差す。


「巡回の連中が戻って来たみたいっす」


 青年兵士が言ったように、巡回任務に就いていた部隊が帰ってくる姿が見える。

 人数は規定どおり一個小隊、計10人。

 小隊に怪我人はなく、戦闘をした様子もない。

 当たり前だが、今日もいつも通り何も発見できなかったらしい。

 全員が全員、リラックスしきっている様子だった。


 そんな態度でも、上官たちは彼らを責めることができない。

 最後の戦争から既に百年が経とうとしている。

 その間、ヤーゲン要塞に敵が現れたことは一度もない。

 敵がいなければ、巡回任務もただの散歩と変わらないだろう。

 最近では上官たちですらそんな風に錯覚してしまいそうになっているのだから、兵士たちに緊張感を持てと要求しても土台無理な話である。


 何も発見できない方がありがたい。

 国を守ることこそ使命とはいえ、敵などいないに越したことはないのだから。


 ただ、こうも毎日なにもないというのは、些か退屈が過ぎる。

 退屈も、ストレスを溜めるのだ。


 そんなときは、たまに遭遇する魔物で発散するに限る。


「ほら、彼らがやってくれるみたいっすよ」 


 巡回部隊の内の一人が隊列を離れ、ゴブリンに近づく。

 そして剣を交える距離まで近づくと、腰の剣を抜いた。


 ゴブリン一匹程度、彼らにとっては蚊みたいなものだ。

 ストレス発散にちょうど良いサンドバッグである。




 ──そのはずだった。




 剣を上段に構えて切りかかる兵士。

 そんな兵士に向かって、ゴブリンは慌てる様子もなく、肩に担いだ何かを無造作に振り下ろた。

 恐らく、応戦したのだろう。


 両者の間で、血飛沫が舞った。


「へ?」


 城壁の上で見ていた青年兵士が、間の抜けた声を上げた。


「え?」


 遠くで起きていることが理解できず、中年兵士も困惑を漏らす。



 なぜなら──

 袈裟懸けに切られて上半身を左右に両断されたのは、ゴブリンではなく兵士の方だったからだ。



 左右に分たれた兵士の体が地面に崩れる。

 対するゴブリンは何事もなかったかのように振り下ろした何かを肩に担ぎなおし、再び歩き出した。


 城壁に立つ二人は、状況を正しく把握しようと配給されている望遠鏡を取り出し、眼孔に食い込むほど強く目に押し当てて覗き込む。

 望遠鏡越しにはっきりと見えたそのゴブリンは、やはり普通のゴブリンの外見をしていた。


 だが、そのゴブリンが肩に担いだものは、異様の一言に尽きた。


 それは、普通のゴブリンが扱うような拙い作りの棍棒などではない。

 ひと目で業物と分かる──一振りの大剣だった。

 肉厚で幅広なその体験は、太陽の反射光とは違う青白い光を放っている。


「う、嘘だろ……」


 青年兵士の驚愕は、二つの事柄に対して。


 一つは、兵士が瞬殺されたことに対して。

 この要塞に配備されている兵は全員が精鋭だ。ゴブリンごときを倒せない者など一人もいない。たとえ寝ているところを襲われたとしても、かすり傷一つ負うことなく対処できるだろう。

 それなのに、戦闘態勢にあるフル装備の兵士が、ゴブリンに瞬殺された。

 しかも、たった一匹のゴブリンに、瞬殺という形で。

 そんな「常識的に考えて起こる筈がないこと」が、目の前で起きたのだ。

 驚愕するなと言う方が無理な話である。


 二つ目の驚愕は、ゴブリンごときがあんな業物の大剣を持っていて、尚且それを使いこなしていることに対して。

 ゴブリンやコボルト、オークといった人型の魔物は道具や武器を使う。

 が、それらの道具は殆どが木や石で作成した簡易的で原始的なものだ。金属を精錬する能力も知性も持ち合わせていないのだから、装備が原始的なのも当然だろう。

 極稀に鉄の剣や革の鎧を装備したゴブリンやコボルトが出現するが、それは町の外で死んだ兵士や冒険者、商人や盗賊などが落とした武器装備を拾ったり、たまたま不意打ちで倒せた冒険者から剥ぎ取った装備を身に着けただけのこと。

 武器の品質に関しても、で命を落とす者が使うような数打物に限られる。

 なので、通常「非常にいい装備をしたゴブリン」というのはほぼ存在しないのだ。


 それなのに、兵士を瞬殺したゴブリンが持っていた大剣は、かなりの業物だった。


 曇り無き刀身は微かに光を帯び、凍える程の鋭光を放っている。

 そして、輝かしい魔力の光を放つその様から、その大剣が魔法の掛かった武器──魔法武器マジックウェポンだと分かる。

 それも、かなり上質な逸品だ。

 買おうと思えば洒落にならないほどの大金が必要になること間違いなし、作ろうと思えば命を落としかねない大冒険を幾度も繰り返さなければ手に入らないような希少素材が複数必要になること請け合いだ。

 これほどの武器の持ち主となると、腕も相当立つに違いない。それこそ、英雄と呼ばれるような人物でもなければ、これほどの武器を持つことは不可能だろう。


 そんな持ち主がこの大剣を落とし、それを運よくこのゴブリンが拾ったというのか?


 ありえない。

 そんなの、どう考えたってありえない。

 与太話でも下手すぎる部類の話だ。


 それに、たとえそんな与太話が本当に起きていたとしても、ただのゴブリンが歴戦の精兵を一撃で殺せる筈などない。


 どんなに優れた武器でも、使いこなせなければただの重石と変わらない。

 特に、大剣は扱いが難しい武器であり、相応の膂力と技量がなければ振り回すことすら困難だ。

 魔物の中でも最底辺に位置するゴブリンにそんな力がないことは、その子供のような細腕を見れば一目瞭然だろう。

 振り回すこともできないのに、鎧を着た兵士を一振りで真っ二つにすることなど、できるわけがない。

 だからこそ、青年兵士は驚愕せずにはいられなかったのだ。


「なんっすか、あれ……」


 望遠鏡越しに、青年兵士はゴブリンに目を凝らす。


 普通だ。

 どう見ても普通のゴブリンだ。

 子供のように低い身長。

 大きくて曲がった特徴的な鷲鼻。

 毛が殆ど生えていない緑色の肌。

 どう見ても普通のゴブリンの外見だ。

 体格が大きい上位種の「ホブゴブリン」でもなければ、より人間に近い見た目をしている最上位種の「ゴブリンロード」でもない。

 本当にただのゴブリンだ。


 いや……、と青年兵士はブルリと身を震わせる。


「も、もしかして、ただのゴブリンじゃ、ないんすか……?」


 嫌な汗がこめかみを伝って流れた。



 人間が目からビームを出す嬰児や石を主食とする嬰児を産まないのと同じように、魔物も「正常」な幼体しか産まない。

 たまに身体能力が高い個体が生まれることもあるが、それはただ単に「優秀な個体」が生まれたというだけで、種族的特徴から大きく外れることは殆どない。

 人間からは人間しか生まれないし、ゴブリンからはゴブリンしか生まれないのだ。


 しかし、極稀に──本当に極稀に、そんな常識を覆す個体が生まれることがある。

 元の種族から大きくかけ離れた能力や習性を持つ、そんな異質な個体が。



 それこそが特殊個体として分類される魔物──「変異体」だ。



 青年兵士は、帝国大図書館で見た記録を思い出す。


 高温や極寒など様々な環境に適応できるほか、透明化や超高速飛行などの能力をも有する、ラプタークロウの特殊個体。

 記録された識別名は「変異体:オールマイティー・ラプタークロウ」。

 普通の「ラプタークロウ」がレベル2であるのに対し、その個体はレベル6。


 高い知能を持ち、本来使えないはずの魔法を複数使いこなす、コボルトの特殊個体。

 記録された識別名は「変異体:ウォーロック・コボルト」。

 普通のコボルトがレベル1であるのに対し、その個体はレベル7。


 オリハルコン製武器すら弾き返す毛皮を有し、討伐に向かったランク7冒険者パーティー4組を一人残らず惨殺するほどの戦闘能力を持つ、グラトニーエイプの特殊個体。

 記録された識別名は「変異体:ヴァジュラ・グラトニーエイプ」。

 普通のグラトニーエイプがレベル5であるのに対し、その個体は驚異のレベル8。


「ま、まさか……」


 冒険者でいえばランク3〜4にも匹敵する帝国の精兵をたった一太刀の下に切り伏せれる「ゴブリンレベル1の魔物」など存在しない。

 どれだけ油断していたとしても、それだけは絶対にあり得ない。

 逆にいえば、それが可能な「ゴブリン」など、もはや「ゴブリン」ではない。

 そんな「ゴブリン」がいるとしたら、それは間違いなくゴブリンの外見をした別のなにか。


 超特殊な個体──変異体だ。


(ヤ、ヤバいっす……)


 頭の中で繰り返し明滅するのは、そんなシンプルな感想。


 あれが変異体であるという確証はどこにもない。青年兵士の杞憂である可能性は高いだろう。

 それなのに、震えが止まらない。

 駆け上る震えを必死に抑えようとするも、本能がそれを許さない。

 理性で目の前のゴブリンの異常さを理解しているからこそ、恐怖がより際立つ。


 心と体が大音量で警鐘を鳴らしているのだ。

 あれは不味いやつだ、と。


 同じ仮説に行き着いたのか、隣に立つ中年兵士もまた青年兵士と同じように膝が震えていた。




 青年兵士たちが震えながら凝視するなか、仲間を斬り殺された巡回部隊の他の兵士たちが動いた。

 隊長らしき者が剣を抜き、他の兵士たちも武器を構える。何か叫んでいるようだが、城壁の上からでは聞き取れない。

 彼らは素早く陣形を組み、ゴブリンを包囲した。

 全方位から同時攻撃を仕掛けることができる、多対一の状況では圧倒的に有利な立ち位置だ。


 囲まれたゴブリンは、微塵も慌てる素振りを見せない。

 肩に担いだ大剣を片手で構えると、次の瞬間、目にも留まらぬ速度で一回転するように振り回した。


 囲んでいた兵士たちが、1人残らず胸の高さで切断さた。

 宙に赤い飛沫を飛ばしながら、泣き別れた身体がバラバラに飛び散っていく。

 動く者は、誰ひとり居なかった。




 痛いほどの静寂。

 目の前で上演された信じられない一幕に、青年兵士と中年兵士は凍りついて動けない。

 青年兵士はこの理解できない事態を受け入れるのに、たっぷり5秒間を要した。

 中年兵士に至っては完全にフリーズしていた。


 10人近い兵士を、一太刀のもとに撫で斬りにした。

 それも「ただのゴブリン」が。


 青年兵士の中で疑惑が確信に変わる。


 あれは、ただのゴブリンなどではない。

 あれが、ただのゴブリンなはずがない。


 隣で息を飲む音が聞こえ、青年兵士はそんな音を漏らした中年兵士の視線を追う。

 見れば、巡回部隊を屠った「ただのゴブリン」が何事もなかったかのように大剣を肩に担ぎ直し、再びこの要塞に向かって一直線に歩き出したのだ。


「ほ、ほほ報告だっ! 今すぐ上に報告しろっ!」


 取り乱したように叫ぶ中年兵士。


「ゴ、ゴブリンが、一匹の、ゴブリンが、巡回部隊を、ぜ、全滅させ、要塞に、向かって来ていると、そう上に報告しろっ!! 急げっ!! 大至急だっ!!」

「りょ、了解っす!!」


 青年兵士は震えで言うことを聞かない両足を必死に動かし、要塞内へと駆けて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る