35. EO:とある村の一幕
――――― Episode Olga ―――――
「避難訓練ってかなり大事だと思うんだ」
唐突に発せられた家主の少年の言葉に、黒いボブショートの先端に紫のメッシュが入ったデウス族の少女──オルガは首を傾げた。
「ひなんくんれん、ですか?」
「そう。災害とかが発生した状況を想定して、予めどう行動するのかを決めて、事前に訓練しておくんだよ。そうすれば万が一何かが起こってもパニックにならずに済むし、被害も最小限に抑えることができる。それが避難訓練ってやつさ」
人差し指を立てて訳知り顔で力説する少年。
「俺の故郷は地震が多い国でね、一日に平均5回は地震が起こるんだ。だから防災意識が高かかったよ」
「地震……『地揺れ』のことですか。……それが日に5回? ……それは、人が住める場所なのですか?」
「ああ、平均5回といっても、人間では感知すらできない程度の微小な地震が殆どだから、数値的に多く見えるだけなんだよ。ただ、国そのものがちょうど断層の真上にある関係で、たまに大きいやつが来て結構な出るもんだから、油断は一切できない。それで浸透したのが避難訓練っていう習慣だね」
それで、と少年は続ける。
「というわけで、この村でも一度でいいから避難訓練をしておこうと思ってね」
詳しく聞くと、少年がこの考えに至ったのは、少女たちの移住がきっかけらしい。
盗賊の襲撃という「災害」に見舞われた少女と幼いエルフの双子は家族を失い、故郷を追われた。
これはこの世界では珍しいことではないし、これよりも凄惨な災難はそこかしこに転がっている。
現代の日本は自然災害が少ないように思われるかもしれないが、それは防災建設や治水事業などの都市建設が進んでいるおかげだ。
この世界の農村は、手つかずの大自然の中にポツポツと点在しているのが殆どだ。川岸の整備も森林管理もしていないので、大雨が降れば川は氾濫するし、雨天が続けば地滑りや土砂崩れが起こる。
加えて、この世界では至るところに魔物という災難の代名詞みたいな生物群が闊歩している。農村で行われる魔物対策など、家や畜舎の周りに柵を立てるのが精々だ。
実際、魔物による被害は盗賊被害や自然災害を遥かに超える。都市建設の重要性を知らずとも、魔物被害を知らない人間は居ない。
それら災難の被害を事前に訓練することで回避ないし軽減できるのであれば、かなり有意義といえるだろう。
なんと言っても、少年のこの提案は、少女と幼いエルフの双子を思ってのことだ。その優しさを拒む理由などない。
それに、この村には万が一に備えるための何かが必要だと、少女も予てより考えていた。
なぜなら、この村の人間はあまりにも無防備だからだ。
農民には2つのタイプがある。
一つは、善政の下でぬくぬくと育った「羊タイプ」。
有能な統治者の指導の元、問題は発生する前に片付けられるか、深刻化する前に解決されるので、人々は大した心配もなく幸福に日々を過ごすことができる。
こうした環境の場合、戦闘や警邏に労働力を割く必要がないため、織物や地酒の生産など、文化が著しく発展する。
その代わり、農民は危機意識が育たず、羊化する。
善政に依存するようになるので、突発的な事態に遭遇すると自力で解決策を見出だせず、災難に見舞われると高確率で全滅してしまう。
日本人がよくいう「平和ボケ」のような状態だ。
もう一つは、圧政の下で強かに育った「狼タイプ」。
暴君が統治者であるため、発生する問題は何一つ解決してくれない。それどころか、基本的な生存条件すら保証されず、寧ろ生存を脅かしてくる。
そのため、人々は生きていくために「強か」になる。ならざるを得ない。
基本的には全民皆兵で、問題が起これば老若男女を問わず全員で命を懸けて立ち向かうので、災害に対してかなりの強さを発揮する。
その代わり、人心は荒んでいる傾向にある。
圧政のせいで手に入る
仲間全員が
突発的な事態には強いが、恒常的に幸福感を得られないから、心が貧しくなってしまうのだ。
ここピエラ村は、幸いにも──或いは不幸にも──前者の「羊タイプ」に当たる。
比較的豊かな環境ゆえに人々は優しい心を持ち合わせているが、なにかがあれば即座に滅び去る可能性が高い。
それを、少女は
だから少年の言う「避難訓練」は必要だと少女も理解していた。
「もう避難場所は作ってあるしね」
「……何時の間に?」
「ちょっと前に村長に提案したんだよ。そしたら、村の貯蔵庫を使っていいってさ」
「貯蔵庫……? もしかして、村長の家の横にある、あの大きな倉庫のことですか?」
「そ。もともとあそこは収穫した
大抵のことは少年が事前に処理してくれるが、それでも対処が間に合わない場合や討ち漏らす場合はあるだろう。少女的にはその可能性はとても低いように感じるが、決してゼロとはいえない。
それは少年も同意見なようで、今回の避難訓練も、その「万が一」が発生した場合を想定してのものだ。
村人側からしてみても、「薬草師の少年が村人たちの安全を真剣に考えて編み出した安全策」として認識しているので、避難所の設置に関しては賛同こそすれ反対する理由はなかった。
「貯蔵庫ですか……籠城するには建物の強度が足りないのでは? 盗賊団に襲われた場合、簡単に扉を破壊されては意味がないと思いますが」
「そこは大丈夫。壁の隙間はバートじいさんと一緒にしっかり埋めてあるし、防御に関しても既に特定の合図で発動する防御魔法を設置済みだ」
「防御魔法を設置……
「まぁ、そうだな。うちの家以外の場所に置いた唯一の
「他の人にバレたりしませんか? なにせ、あなたの作る
「人を不良品製造マシーンみたいに言うな。貯蔵庫の支柱に刻印魔法で魔法陣を刻んで
「それならば結構です」
少女の関心事は今の生活の安寧以外にない。
「で、避難訓練で訓練する内容については、
『①避難時の所持品の規定』
『②災害警報と避難指示の確認』
『③
というのを考えている」
3本指を立てる少年。
「具体的には?」
「先ず、避難時の所持品に関してだが、避難所には少量の麦と塩があるから、基本的にはなにも持たなくていい。寧ろ、貯蔵庫の大きさを考えれば、村人全員が入るには全員が身一つで避難するのが望ましい。水に関しても、村長宅の井戸が近くにあるから、最悪穴を掘ればなんとかなる」
「ふむ。では、怪我人が出た場合も想定して、貯蔵庫の中にも薬を備蓄した方がいいのでは?」
「お、よく考えてるな。それは既に村長に許可を貰って保存が効く傷薬を貯蔵庫に保管してあるよ」
「ありがとうございます。では、二番目の避難警報と指示というのは?」
「緊急事態が発生したら、村人全員に知らせる必要があるだろ? その手段のことだよ。櫓から鐘を鳴らしたりするのが一般的だけど、うちの村には櫓も警鐘もない。だから、もっと原始的な方法を取ろうと思うんだ」
「原始的な方法、ですか?」
「ああ。ミュートとミューナとジャーキーに一役買ってもらうつもりだよ」
少年の言葉に、少女は首をかしげる。
「理由は幾つかあるけど、一番の理由は『ジャーキーに騎乗できる人間があの二人しかいないから』だな」
「二人をジャーキーに乗せるのですか?」
「おう。うちの村で一番脚が速いのはジャーキーだからな」
ピエラ村の人工は300人ほどと、そこまで多くない。
が、ピエラ村の総面積はかなり広い。
ピエラ村が開拓された当初は村人が少なかったため、村の構造は中心地に民家が集中し、畑がその周囲を囲うという形だった。
しかし、村の発展に伴い生活感環境は改善され、瞬く間に人口が増加した。
住宅は増築だけでは間に合わず、新たに民家を建設する必要があった。
村の中心部は面積が限られているし、何より一度開墾した畑は移動させることができない。つまり、都市部のように随意に区画整理ができないのだ。
その結果、新しい家屋は、最初に開墾した畑の外側──家が集中している村の中心地を囲う畑の外周──に建てなければならなかった。
それを繰り返していくうちに、ピエラ村は「中心地―畑―民家―畑―民家―畑―」というバウムクーヘンのような構造になった。
これは開墾に成功している全ての村に共通する特徴で、村の人口増加と畑の開墾が上手くいっていればいっているほど、このバウムクーヘン構造は厚くなっていく。
したがって、村の中心地にある村長と古参の家──開拓時代から続く家系──以外は、広い畑を挟んで民家が点在するように建っていて、家同士の距離がかなり離れている。
警報や指示を出そうとしても、村の総面積が広いため、全体に行き渡らせるにはかなりの時間が掛かってしまうのである。
避難は、時間との勝負だ。
早く避難できればできるほど被害は少なくなる。
そこで注目されたのが、ジャーキーである。
ダイアウルフであるジャーキーの脚力は人間の比ではない。
全力で疾走する駿馬よりもよほど速く、特に獲物を狩るときの瞬発力は並の人間の目では完全に追えない。
グラトニーエイプのような強力な魔物を軽々と狩れる家主の少年をして「ジャーキーは俺が見てきた魔物の中でもダントツに速くて強い」と言わしめるほどだ。
そのジャーキーの脚を、少年は避難警報と避難指示の伝達に役立てようというのだ。
理論としては合理的だろう。
ただ、魔物であるジャーキーは脚こそ早いが、人間に指示を出すことができない。
「そこで、ミュートとミューナの出番だ」
「二人に避難指示を出させるのですか?」
「そ。と言っても、どちらかというと避難指示よりも避難警報のほうがメインだけどな」
「?」
「ほら、前に二人に『ホイッスル』を渡したろ。あれを使うんだよ」
なるほど、と少女は納得する。
少年の家に住み着いて数日経ったある日。
幼いエルフの双子は、少年から奇妙な形の笛をプレゼントされた。
端に紐が通されていて首から下げておくことができる、木製の筒の中程に四角い切り込みを入れた、小さな笛だ。
大きさこそ小さいが、その笛の音は遠くでもはっきりと聞き取れるほど大きく、とても人の注意を引く音色だった。
その「ホイッスル」と呼ばれる笛を少年が二人に送ったのは、何かあったときに助けを呼ばせるため。子供の声では届かない距離でも、この笛を使えば広範囲に音が響き、大人の注目を集めることができる。
最初こそ面白がって絶え間なく笛を吹いていた二人だが、用途を説明され途端、遊ぶことをやめた。これがどれだけ大事なものか分かったのだろう。
「あれを二人で交互に吹かせながら、ジャーキーに乗って村中を走ってもらう。そうすれば全員に迅速に避難警報が行き渡る。町の消防団の宣伝カーみたいなもんだな」
恐らく、これが最も効率よく警報と指示を伝達させる方法だろう。
「最後に避難経路だけど、これは後で村長と相談しながら決めようと思う」
家の配置や個々の仕事場については、村長のベンが最も詳しい。
避難経路の選定には、彼の知識が不可欠だろう。
「あ、それから、避難訓練のついでに、魔物に襲われたときの対策講座みたいなのも開けたらいいな」
「対策講座は大変ありがたいのですが……あなたの人物像からかけ離れてはいませんか?」
「戦闘力ゼロっていう俺のキャラ設定のことか? それなら大丈夫。本で読んだことにするから」
実のところ、家主の少年は魔物に関してはほぼ「無知」だった。
なんでも、少年が住んでいた場所では魔物が少なく、その数少ない魔物もこの一帯の魔物の生態とはかなりかけ離れていたそうだ。
そのため、彼は度々狩った魔物──特に食用にならないもの──を密かに持ち帰り、工房として使っている部屋で解剖し、魔物の研究をしている。
初めて魔物の体内から「魔結晶」を取り出した時などは、「天然の『
少女が知る限り、少年の学識の高さは、世に言う「大魔導師さま」や「大学士さま」ですら真っ青になるレベルである。
彼の魔物研究は、本人曰く「ただの趣味」らしいが、一度だけ覗いた彼の手記に綴られていた内容は、まさに深奥にして難解。誇張なしに叡智の塊そのものだった。
あの深度の研究内容が「ただの趣味」なら現存する最も難解な学術書はただの児童絵本でしょうね、と少女は酷い頭痛を覚えたものだ。
とはいうものの、その「ただの趣味」も、こうして魔物の被害を減らすという方向で村に貢献しようとしているのだから、世の中なにが役に立つ分からないものである。
「まぁ、まだ企画段階だから、詳細は村長やバートじいさんたちと相談しながら、ってことで」
そう言って、少年は手を振って出かけた。
その後姿を、少女は「いってらっしゃいませ」と見送ったのだった。
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