33. EO:ピエラ村人間模様

 ――――― Episode Olga ―――――




 家主の少年にも仲のいい友人がいる。

 黒いボブショートの先端に紫のメッシュが入ったデウス族の少女──オルガは、今日までの観察でその結論に至った。



 基本、家主の少年は誰とも仲がよく、エレイン以外のほぼ全員に好かれている。

 その中でも、とりわけ仲がいい同年代が数人いる。


 その一人が大男のケビンだ。

 パルタゴン族であるケビンは、種族特性として巨人と見紛うほど大柄な体格を有しており、その身長は2メートルを超える。

 威圧感のある巨体と本人の豪快な性格が相まって粗暴に見られがちだが、その実とても気が利く青年で、村のご婦人方からの評判が特にいい。

 歳は21とまだまだ若く、その巨体と見合うパワーで多くの力仕事をこなしている。

 実は子供好きで、よくアウンとオウンを腕にぶら下げて遊んであげているのを見かける。


 ケビンは猟果の運搬を担当していて、毎日と言っていいほど少年の家を訪れる。

 そのため、少女とも顔を合わせる機会が多く、それなりに仲がいい。


 この日も、ケビンは訪ねてきていた。


「よお、オルガ。ナインはいるか? 獲物持ってきたぞ」

「お疲れさまです、ケビン。ナインでしたら──」

「お、ケビンか。いらっしゃい」


 少女の言葉半ばで、家主の少年が奥の部屋から出てくる。


「よう、ナイン。今暇か? 獲物持ってきたから、早いとこ処理しちまおうぜ」

「いいよ。裏庭までよろしく」

「おうよ」


 そう言うと、ケビンは大きなビッグボアを載せた台車を押し始めた。


「というわけで、オルガ、暫く店番よろしく」

「わかりました」


 血抜きと内臓の処理は少年が狩ったその場で行うが、皮剥ぎと肉の切り分けといった作業は帰ってきてから行うことになっている。

 獲物をひっくり返したり、片足を持ち上げたりするのに大変力がいるため、家主の少年とケビンの共同で作業する必要があるのだ。


 尤もそれも全て偽装工作なのですが、と少年の正体を知っている少女は心の中だけで呟く。

 こういった細かい設定と小さい演技が自分たちの平穏を守るのだ。


 カウンターに座り、少女は家裏から聞こえてくる二人の会話に耳を傾ける。


「水汲んできたぞ、ナイン」

「ありがとう。そっちに置いといて」

「おう。いつもどおり、まずは腹の方から割いてくか」

「ん」

「そういえば、聞いたか? ノンドの畑からモグラが出たってよ」

「げっ、農家の天敵じゃん。被害は?」

「目に見える被害はないらしい……まだな」

「そりゃあ、放っといたら不味いな」

「なんとかならねぇか?」

「……まぁ、なんとかならないこともないけど……うち、一応、本業は薬屋だからな?」

「がははっ! そらぁ、おぇがなんでも出来るからだ。見た目によらず、な」

「一言余計だ、この野郎」

「事実だろうが、ヒョロヒョロ野郎」

「お前と比べたら誰でもヒョロヒョロだっつーの。これでも平均体型なの、俺は。……あ、そっち持ち上げて」

「おう。……よっこいせっ、と」

「まぁ、頼られるのは嬉しいけど、最近、なんか勘違いしてる人が多いんだよね。うちは薬屋で、肉屋でも万屋でも産婦人科でもないんだよ」

「そう言うな。みんな、おぇに相談すりゃ大体のことは解決するって分かってんだ」

「期待が重いよ……」


 気心知れた二人のやり取りを聞きながら、少女は水を一口飲む。


「で? おぇならどうやるんだ、ノンドん家のモグラ問題?」

「薬屋らしく、薬でも撒くかな」

「毒か?」

「アホ。動物にとって毒となるものの多くは人間にとっても毒なの。ノンド一家を殺す気か」

「それもそうか」

「まぁ、無難に自家製の忌避剤でも撒くかな」

「きひざい?」

「おう。小動物が忌避する薬だ。一般的なのだと、動物が嫌いな臭いを発するものかな」

「なるほどなぁ」

「一番いいのは、ジャーキーの小便の濃縮液だな」

「うげッ」


 会話を聞いていた少女も思わず「うげッ」となり、口に含んでいた水を吹き出しかけた。


 と、そこで、玄関のドアが開かれる。


「おっす、オルガちゃん。ナインいる?」

「そろそろ解体している頃じゃないかな〜と思ってね。集りに来たわよ〜」


 そう言いながら勝手知ったる我が家の如く入って来たのは、少年と少女のペア。

 エドとアビーである。

 エドは中肉中背の人族の少年で、家主の少年より一つ年下の16歳。

 アビーは少しだけ背が高い獣人族の少女で、歳は18歳。

 二人は恋仲で、家主の少年曰く「バカップル」。暇さえあればこの家に遊びに来る、ある意味常連である。

 特に快活なアビーは、表情が殆ど出ない少女とも親しくしてくれる、この村でできた初めての友人だ。


「いらっしゃいませ、エド、アビー。ナインとケビンでしたら二人の予想どおり、裏庭で解体作業をしていますよ」

「よっしゃ、タイミングばっちし!」


 嬉々として裏庭へと駆けるエド。

 アビーは恋人には付いていかず、カウンター越しに少女と向かい合った。


「ねぇ、聞いてよオルガ〜〜」


 始まるのは、村娘によるガールズトーク。


「最近エドの触り方が嫌らしいのよ」

「はぁ」

「手を繋ぐ〜とか、肩を抱く〜とか、そういうのだったらまだいいんだけど、どさくさに紛れて胸とか触ってこようとするのよ? この前なんか、腰を抱くフリしてお尻触ってきたんだから!」

「はぁ」

「いい雰囲気の時ならいいんだけど、所構わずは許せないわよね」

「ですね」


 自分には縁遠い男女の話でも、少女は律儀に返事をする。

 話題がかなり露骨なのは、ここが農村だからだ。


 昨日見たドラマの話やスポーツ試合の批評などが気楽にできる現代とは違い、この世界では娯楽が少ない。

 特に農村部では、人々は日の出と共に仕事をし、日が沈めば休む、という生活を一生続けるので、お喋りのネタは直ぐに枯渇する。

 話題にできるのは、精々が家族の愚痴や日常の細事くらいだ。


 その数少ない話題の中で登場頻度が割合高いのが、所謂「性にまつわる話題シモの話」だ。


 人間の基本的な営みの中で「衣・食・住」と並んで重要なのが「繁殖」であり、これは現代の地球でも変わらない。

 現代ではプライバシーだのハラスメントだのでシモ関係の話が禁忌化されているが、これは現代人の生存環境が改善さてた結果、価値観が多様化したからだ。


 現代の人間はこの世界の人間と違って、人生にある種の「余裕」を持っている。ネットの発達や文化・娯楽が充実したおかげで、人生に多くの選択肢が生まれ、価値観も多様化している。

 たとえ就職がうまくいかなくても、自営業を始めればなんとか食っていける。最悪、フリーターのままでも生きていくことは出来る。

 たとえ人間関係がうまくいかなくても、ネットを通して新たなリレーションシップを築くことができる。最悪、一人きりでも面白おかしく生きていくことは出来る。

 たとえ男女関係や「性方面あっちの事」でうまくいかなくても、を一切しない夫婦関係を築くことも可能だ。最悪、趣味に生きる人生を選ぶことも出来る。

 この様に、現代人は人生の中で何か一つがうまくいかなくても、人生の選択肢が多いため、他の道を歩むことでそれなりの人生を送ることができる。

 こういった価値観の多様化が個人の権利への重視を生み、人々の人権意識を強化する根底となる。すると自然的にデリケートな個人事情プライバシーである性関連の話題はタブー化され、公の場で持ち出し辛いものとなる。


 しかし、この世界では状況が異なる。


 社会・文化がまだそこまで発達していないため、人生を構成する現代と比べて要素があまりにも少なく、それこそ「生存」と「繁殖」しかない。

 そのため、何か一つでもうまくいかなければ、その瞬間に人生が詰む。

 特に、男女関係に対して寛容さが欠けているため、「生殖関係のことあっち方面」で問題が発生した場合は人生が一気にハードモードになる。


 この世界では社会通念として早婚が勧められており、なおかつ離婚がそれほど社会的に浸透していない。

 人々の「そっち方面」への理解度はあまり高いとはいえず、故に所謂「種無し」や「石女」は迫害の対象ですらある。

 要するに、万が一「生殖関係のことあっち方面」でうまくいかなければ、男も女も社会的な死を迎えることになるのだ。

 冗談抜きで死活問題である。


 そういった諸問題は薬や心理療法である程度解決できるのだが、生憎とこの世界ではまだ薬学も心理学も発達していないので、問題が発生しまったら全て自力で解決するしかない。

 が、自力で解決しようにも、正しい知識を学術的に教えてくれる先生もいなければ、膨大な情報量を誇るネットもないので、情報を集める手段すらない。

 人々は生活の中から積極的に学ぶ他なく、周囲の経験談を通して知識を得る必要がある。


 そこで重要となってくるのが、普段からなされる「性にまつわる話題シモの話」だ。

 性にまつわる話題シモの話は謂わば数少ない情報源ソースで、それを通して人々は何が「普通」なのか、何をどうすれば「正しい」のかを学ぶ。

 現代の地球と比べて医療も情報伝達も発達していないからこそ、この世界ではこういった話題に寛容なのだ。


 これらの社会的・文化的要因を抜きにしても、やはり人間は生まれつき「シモの話」に反応しやすい性質を持ち合わせている。

 歴史を紐解けば、どの国のどの時代でも男性同士の「おすすめの風俗店」や、女性同士の「理想的な交わり方」といった話は日常的に登場するもの。

 エロは世界を救うのである。


「嫌ならば、嫌と言えばいいのでは?」

「言ってるわよ。でもね〜、駄目って言ったら、彼、捨てられた子犬みたいな顔するのよ。その顔を見ちゃうとね〜、『あぁんもぉ〜♡』ってなっちゃって、結局また許しちゃうのよね〜」


 それはもうお互い様というか、逆に相性バッチリなのでは?

 少女はそう思ったが、口にはしなかった。


「それでさ、オルガはどうなの?」

「……? どう、とは?」

「だ〜か〜ら〜、ナインとよ!」

「ナインと、なんですか?」

「話の流れ的に分かるでしょ? ナインとそういうことになってるのかどうかよ!」


 そう聞かれた少女は少しビックリし、続いて呆れた。

 確かに、傍から見れば自分は「年頃の独身男の家に転がり込んだ年頃の独身女」に見えるだろう。

 噂好き達からすれば、まさに怪しさ大爆発な関係といえる。


 だが、それは事実無根の、全くの邪推だ。


 家主の少年はで自分たちをこの家に住まわせているのではない、と今の少女ならば確信を持っていえる。

 少女は色恋と縁遠い気性ではあるが、腐っても女だ。視線にはかなり敏感である。

 だからこそ断言できるが、少年は少女のことを見詰めることはあっても、その視線に嫌らしさは微塵もない。

 確かにこの家はオカシイものに満ち溢れているけれど、その主である家主の少年は健全にして善良な人物なのだ。


 それに、この家には少女と少年だけでなく、幼いエルフの双子のミュートとミューナもいて、家主の少年は二人を我が事のように気にかけている。

 毎晩のように泣いていた二人も、少年のおかげで泣く頻度がかなり減ってきている。少年といる時は笑顔の方が多く、とても幸せそうだ。

 邪な思いや考えが入る余地など皆無である。


 家主の少年と自分、そして幼い双子の二人。

 この四人はもはや家族同然だ。

 自分たちの関係がどれだけ健全で、どれだけ信頼に満ちているのか、きっと余人には分からないだろう。


「それはありませんね」


 少女はアビーに答える。


「私達は家主と同居人……いえ、家族のような関係です。男女の関係には、決してならないでしょう」

「分からないわよ? オルガってば超カワイイし、ああ見えてナインも一応は男なんだから、ある日突然……なんて可能性もあったり」

「その可能性はないでしょう」

「どうしてそう言いきれるの?」

「ナインは童貞です」

「それは知ってるわ。っていうか、村の全員が知ってるわ」


 家主の少年のデリケートな個人情報が周知されていることには一切触れず、少女は揺るぎのない瞳で真実を口にする。


「昔、エイダさん……という知り合いのお姉さんに聞いたのですが、『童貞はだいたい意気地なしだから、自分から女性を襲うことはしない』だそうです」

「……なんだろう、すっごい説得力」

「というわけで、私がナインに襲われる可能性はゼロです。それに──」


 続きを促すアビーに、少女は柔らかい笑みを浮かべて言った。


「彼は、そういう人ではありませんので」


 初めて見る少女の表情に、アビーは一瞬だけポカーンとし、すぐに優しく微笑んだ。


「ええ、そうね」


 二人のガールズトークは、野郎どもが肉を携えて裏庭から帰ってくるまで続いたのだった。






 ◆






 幼いエルフの双子──ミュートとミューナには、この村で新たにできたお友達が数人いる。


 先ずは、同じ双子ということで真っ先に仲良くなった獣人族の二人──アウンとオウン。6歳の元気盛りで、寧ろ元気が有り余って問題ばかり起こす、ピエラ村でも一二を争うトラブルメーカーだ。

 次に、7歳のドワーフ族の女の子──トゥニ。内気な性格で、いつもアウンとオウンに振り回されて涙目になっている、庇護欲を掻き立てる女児である。

 最後に、ミュートとミューナと同い年の8歳で、人族の男の子──ハリー。ノンドの息子の一人で、6人の中で一番の常識人だ。または一番の苦労人ともいう。


 村の「低年齢組ちびっ子たち」だったこの4人に、新たに村に来たミュートとミューナの二人が加わり、今の6人組となった。


 この6人には、いつもの行動パターンというものがある。

 先ず、三度の飯より危ない遊び大冒険が好きなアウンとオウンが何かしょうもないことを思いつき、それにミュートが面白がって賛成を表意、なかなか強く意見を言えないトゥニが強制参加させられ、その半泣きのトゥニをお姉ちゃん全開のミューナが可愛がり、最後に真面目なハリーが苦言を呈すも聞き入れられずに自分も巻き込まれる、という流れだ。

 この一連の流れは定番と化しており、彼らがどんな経緯でやらかしたのかを問い質さなくてもなんとなく想像がつくくらいには村人に浸透している。


 面白いことに、この6人は今の状態でバランスが取れていたりする。

 ミュートとミューナが来る以前は、内気で非力なトゥニと真面目だけどそれほど強く出れないハリーしかストッパー役がおらず、アウンとオウンの暴走を食い止めることが出来なかった。

 しかし、そこに悪戯を面白がるものの一線はちゃんと守るミュートと、トゥニを妹のように可愛がり守るミューナが加わったことで、結果としてストッパー役が4人に増え、これまで阻止不能だったアウンとオウンがある程度制御可能になったのだ。

 そのおかげで、二人を筆頭にして引き起こされる事件はかなり減った。


 とはいうものの、やらかすときは、やはりやらかす。

 例えば、この日のように──


「痛いよオルガ姉ぇ!」

「早く治してよオルガ姉ぇ!」


 両肘と両膝を擦り剥いたアウンとオウンが少女に泣きつく。

 その後ろにはオロオロしているトゥニと、「言わんこっちゃない」という顔をしているハリー、そして痛そうな顔をしているミュートとミューナの姿があった。


「……あなた達は、また……」


 雨に打たれた捨て犬のようなアウンとオウンに、狩りに出掛けている家主の少年の代わりに店番をしていた少女は半目になる。

 家主の少年の施療をそばで見ていた少女は、この幼い獣人族の双子が何時もしょうもない遊びの果に怪我をして帰ってくることをよく知っていた。

 既に何回も家主の少年に釘を刺されているはずなのに、二人は行いを改めることを良しとせず、怪我をしては泣きついてくるのだ。

 今日は家主の少年がいないので、店番をしていた少女に泣きついている。


「お説教は後にして……とりあえず、何をしてこんな怪我をしたのか聞きましょう」


 問う先は患者であるアウンとオウンではなく、保護者的立場であるハリーだ。


「みんなで『レオポルト8世』を見に行こうってなって、村長の家に行ってたんだよ、オルガお姉ちゃん……」


 素直にそう答えたハリーの瞳には光がない。

 子供たちの中では一番の苦労人常識人である彼は、もはや諦めの境地に至っているのかもしれない。


 ハリーが言う「レオポルト8世」というのは、村で飼っている「ダールリザード」のこと。

 ダールリザードは温厚な性格の魔物で、人間が馴養している魔物の一種だ。

 太い四脚とこれまた太い胴体を有し、首と尻尾は短め。体表は硬い皮膚に覆われており、その体型と相まって、少しだけ不格好に見える。

 鈍いダールという名前からも分かるように行動はとても緩慢だが、歩行はとても力強い。持久力もあるため、重い荷物の運搬にはもってこいの家畜である。

 雑草や落ち葉などを主食としているため、放っておいても死ぬことは滅多になく、世話いらずでとても飼いやすい家畜としても有名だ。

 肉はとても不味いが有事の際の非常食程度にはなるので、多くの村で飼育されている。少女が前にいた村でも3頭ほど飼っていた。

 この村で飼っているのはレオポルト8世の一頭だけで、村の共有財産として村長一家が世話をしている。

 名前こそ大昔に実在した暴君から取っているが、その性格は史実の人物とは真逆で非常に人懐っこい。

 村人みんなから可愛がられている、村の一員だ。


「最初は餌をやるだけって言ってたのに、アウンとオウンがいきなりレオポルト8世に登り始めてさ」

「降りてきてって言ったら、逆にレオポルト8世の背中の上で跳び始めちゃって、大変だったの」


 と補足を加えるミュートとミューナ。


「そ、それでね、あのね……嫌がったレオポルト8世がね、体をブルブルってしたらね、二人とも振り落とされてね……それでね、け、怪我しちゃったの……」


 当時の情景を思い出して悲しくなったのか、涙目のトゥニが必死に説明する。

 その姿に庇護欲を刺激されたミューナが、トゥニをギュッと抱きしめて頭をなでなでした。


 一通りの説明を受けた少女は、「うわ〜」という顔で腕白小僧二人を見た。


「痛いよオルガ姉ぇ!」

「このままじゃ俺たち死んじゃうよオルガ姉ぇ!」


 はぁ、とため息を吐き、少女は棚へと向かう。

 取り出すのは、薬が入った瓶。

 家主の少年が擦り傷に使うように言っていた「ショウドク薬」という薬だ。

 それも、アウンとオウンにのみ使えと言われた「ショウドクヨウ・カサンカスイソ」という劇薬である。


 それを、少女は家主の少年がいつもやっているように、二人の傷口に振りまいた。


「うぎゃああああ!」

「ぎょえええええ!」


 やかましい叫びが木霊する。

 見れば、二人の傷口がシュワシュワしていた。


「ナインにも幾度となく言われていると思いますが、危ない遊びはもうおやめなさい。大きな怪我をしたら『これくらい』では済みませんよ?」


 厳しくも愛情のこもった少女の注意。

 だが、それは涙目になった幼い獣人族には届かず、二人はぎゃあぎゃあと反論した。


「せっかくナイン兄ぃがいないときに来たのに!」

「これじゃあ、ナイン兄ぃがやるのと一緒じゃないか!」

「オルガ姉ぇなら優しく治してくれると思ったのに!」

「オルガ姉ぇなら痛くない治し方してくれると思ったのに!」

「…………」


 しょうもなさ過ぎて絶句する少女。

 ハリーが二人の頭をポカリと殴った。


「いいかげんにしろよ、二人とも! ナイン兄ちゃんならまだしも、オルガお姉ちゃんにまで迷惑かけちゃ駄目だろ!」


 サラッと家主の少年を軽視するような発言をするハリーに、ミュートとミューナも加勢する。


「そうだぞ。にいちゃんなら別にいいけど、オルガねえちゃんに迷惑を掛けるのは駄目だぞ」

「そうだよ。オルガおねえちゃんは何時も忙しいんだから、迷惑かけちゃだめ。掛けるんならおにいちゃんだけにして」


 しれっと家主の少年を「迷惑をかけてもいい人間」という括りに入れている三人の発言に、トゥニが「ナインお兄ちゃんはいいんだ……」と控えめに困惑する。


 ぎゃあぎゃあとやかましい子供たちのやり取りを眺める少女は、ふと微笑ましい気持ちになった。


 とても騒々しくて、とても平和な時間。

 全てを失った自分たちが手に入れた、かけがえのない居場所。

 本当に得難い光景が、ここにはある


 カウンター越しに子供たちを見つめながら、今日も少女は幸せを噛みしめるのだった。

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