31. NP:フェルファストの冒険者

 ――――― ★ ―――――




 ここ「フェルファスト」は、ストックフォード伯爵領の領都である。

 領の中心に位置するこの都市はストックフォード伯爵領内で最も栄えており、その活気は王都にも比肩すると立ち寄った商人たちは誰もが口を揃える。


 この都市には二重の城壁が存在する。


 内側の城壁──「内周城壁」は、都市の中心に位置する。

 フェルファストがまだ小さな町だった頃に建設されたもので、壁高はそれほどではい。

 領主官邸を含めた様々な重要施設を取り囲んでおり、中では主に領主とその従臣、要職に就いている高役や外領からの貴賓などが暮らしている。

 面積は半径約3キロ。

 通称「貴族街」だ。


 内壁から7キロほど離れた場所に、外周の城壁が高々と聳え立っている。

 都市の発展に城壁の拡張が追いつかず、300年以上前に新設されることになったこの城壁は「外周城壁」と呼ばれ、今やフェルファストを外敵から守る最初の関門となっている。

 この外壁と内壁に挟まれている広大な環状区画こそが庶民の暮らす場所、通称「平民街」だ。

 平民街は貴族街の約9倍の規模を誇る。

 都市の住民の98%以上がこの平民街で生活しており、住居と商店と娯楽施設の殆どはここにある。

 貴族街が政治経済の中心ならば、平民街は人々の生活の中心地である。


 そんな平民街の一角を、一人の少年が早足で歩いていた。


 身長は175センチほど。比較的細い体型の、凛々しい顔立ちの人族の少年だ。

 オリエンタルな黒い瞳は力強く、適度な長さに切り揃えられた黒髪は健康的な艶を放っている。

 黒を基調とした軽革鎧ライトレザーアーマーは綺麗に手入れされており、左の腰から下げている長剣は曇りのない輝きを反射している。

 長剣以上に光り輝いているのが、少年の首から下げられているプレート。

 ピカピカに磨かれた「ミスリル合金」のプレートは、「冒険者ギルド」に所属する冒険者の証。一種の身分証明だ。

 プレートには少年の名前が小さな字で、そして彼の「冒険者ランク」が大きな字で刻印されていた。


 冒険者は、その実力によってランク分けされる。

 基本となるランクはランク1からランク8まであり、

 ランク1〜2は「低ランク冒険者」

 ランク3〜4は「中ランク冒険者」

 ランク5〜6は「高ランク冒険者」

 ランク7は「超高ランク冒険者」

 ランク8は「最高ランク冒険者」

 と大まかに分類されている。


 低ランクであるランク1は「ひよっこ」と呼ばれ、ランク2で「半人前」となる。

 中ランクのランク3でやっと「一人前」となり、ランク4に上がると「優秀」と呼ばれるようになる。

 高ランクのランク5で「精鋭」と評され、やがてランク6に達すれば「一流」と称されるようになる。

 そして超高ランク冒険者であるランク7ともなれば「屈指」と呼ばれるようになり、最高ランクのランク8に至れば「頂点」と称されるようになる。

 中でもランク8は人類最高峰の強さの象徴であり、英雄や伝説と呼ばれる領域に至った者にのみ与えられる称号だ。特別な才能がなければ上り詰めることができないランク7よりも更に上──もはや才能を越えた何かを持たない限り決して到達できない領域である。

 本当は「ランク9」と「ランク10」というランクも存在するのだが、この二つは殆ど名誉称号──殉職したランク7以上の冒険者に用意された二階級特進称号であり、生前に獲得した者は存在しない。


 ランクが上がれば請け負える仕事の質も報酬も上がる。

 そのため、多くの者が「ランク8最高ランク冒険者」になることを夢見る。

 ロマン的な意味でも、名誉的な意味でも、もちろん金銭的な意味でも。


 かく言う少年も、最高ランク冒険者に夢を見たクチである。


 小さな村出身だった少年は、とある最高ランク冒険者の冒険譚に胸を打たれ、周囲の制止を無視して村を飛び出し、単身でフェルファストに乗り込んだ。

 そして多くの夢見る若者がしたように冒険者ギルドの門を叩き、冒険者となった。

 当時の少年はまだ8歳になったばかりの子供だったため、大した力は持っていなかった。誰もが粋がった小僧がまた一人増えた程度にしか思えなかったのも、仕方なかったと言えるだろう。きっと現実の厳しさと仕事の危険さを思い知り、すぐに辞めていくだろうと、そのときは冒険者ギルドの職員たちですらそう考えていた。

 しかし、少年は皆が予想したようにはならなかった。

 彼はとても勤勉で、そして才能があった。どんなに辛い訓練も、どんなに安い報酬の依頼も、少年は怯まず、投げ出さず、己の限界を超える努力と折れない心を武器に、それら全てを成し遂げたのだ。

 それから僅か10年。

 18歳となった今の少年は、一つの高みに上り詰めていた。


 少年のプレートに刻まれた冒険者ランクは「6」。


 それが意味するところは、高ランク冒険者のトップ。

 特別な才能があって初めてなれるランク7より一つ下の、「普通の才能を有する常人」が到達できる最高のランク──一流の冒険者だ。

 多くの冒険者が生涯ランク3か4中ランク止まりである中、少年は18歳という若さでランク6という高みにまで上り詰めたのだ。

 これは間違いなく一種の快挙である。



 そんな少年は、雑多な人ごみの中をスイスイと進む。

 横から飛び出した人族の子供たちをヒラリと躱し、エルフが引く荷車をスラリと避け、重荷を担いだ獣人をサッと回避する。

 その軽快な身のこなしは、彼の高い冒険者ランクにつり合うものだった。


「おぉい、アレン。そんなに急いでどうした? また何か依頼を受けるたのか?」


 果物の露天を営んでいる顔見知りの男が話しかけてくる。

 呼ばれた少年──アレンは、歩みを止めずに男に振り向いた。


「ああ。なにやら東で不穏な影が現れたようでな」

「そうか。無事に帰って来いよ!」


 男性からの温かい声援に、アレンは手だけ振って雑に応える。


 少年はこの都市ではちょっとした有名人だ。

 この領で5組しかいないランク5以上の冒険者PTパーティー、その中でもたった2組しかいないランク6冒険者PTの一角を担っているのだから、有名にならない方がおかしい。

 すれ違う人々からはよく目を向けられ、また声もよくかけられる。

 ただ、掛けられる声の数々に、彼が歩みを止めることは少ない。

 適当に応じることが殆どで、時には手を振るだけ、たまには聞こえないフリをしたりもする。

 いちいちまともに応えていてはキリがないからだ。


 アレンは自分のことを「人の評価を気にしないタイプの人間だ」と考えている。他人からの批判を殆ど受け流せて、人の視線も気にならない、と。

 しかし、自分で認識している自分像というのは案外、的はずれなことが多いもの。

 本人は自覚していないが──たとえ指摘されても否定するだろうが──実のところ、彼は自己完結型の人間だったりする。

 人の評価を気にしないのではなく、興味がないのだ。自分が納得すれば全てよし、という考え方である。

 だから、世の中の殆どのことに媚びることなく、己を信じて歩んでいける。自信を纏って堂々と生きていけるのだ。


 そんな彼の生き様のせいか、彼の冷たくも嫌みのない自然な態度を不快に思う人間は非常に少ない。逆に、その態度が堂々たる強者の雰囲気を醸し出している、と感じる者が多い。

 ちょっとな言動があるのが玉に瑕だが、子供たちには寧ろそれが「カッコいい」と持て囃されていたりする。

 だから、果物売りの男性のように真心を込めた応援を適当にあしらわれたとしても、不快に思う人間は意外と少ないのだ。



 才能と努力の結晶である足捌きを活用し、アレンは人海の中を進む。

 露店が多く立ち並ぶ区画を抜けると、飲食店や宿屋がチラホラと姿を見せる。

 目的地はその中の一軒、自分達がよく通う酒場だ。


 ようやくたどり着いたアレンは、ドアを押しのけて酒場に入る。

 店名は「モグスの尻尾亭」。「モグス」とはモグラのような魔物で、尻尾がとても美味しいことで有名だ。料理自慢なこの店にはピッタリの名前といえる。

 酒場の中は空きテーブルが9割を占めており、残りの1割は飲んだくれた常連が陣取っている。まだ午前の10時なので、人が少ないのも当然だろう。


 店に入ったアレンは、酔っ払っていない人間で埋まっている唯一のテーブルに近づき、ドカリと座った。


「遅かったな、アレン」


 声を掛けてきたのは、先にテーブルに就いていた二人の内の一人──短い青髪とワイルドな面持ちが特徴的な少年だ。

 頭の上から生えた耳はイヌのそれで、腰の後から伸びたフサフサの尻尾もイヌ同様。

 椅子のそばには赤銅色のカイトシールドと短剣が立てかけられている。


「すまんな、レクト。ギルドでの依頼確認に時間を食ってしまった」


 アレンの言葉に、レクトと呼ばれた獣人族の少年が尋ねる。


「それで、どうよ?」

「どうやら、俺の推測に間違いはなかったようだ」


 肩をすくめるアレンに、レクトは腕を組んで「う〜ん」と唸る。


「あたしの方でも確認してみたけど、アレンの言うとおりだったわ」


 そう言ったのは、先にテーブルに着いていたもう一人の人物──金色の長髪を先端だけ紐で結んだ少女だ。

 透き通るような白肌と笹葉状の耳が、彼女がエルフ族であることを物語っている。

 見れば、腰のベルトからは細く短い魔杖の柄が覗いている。


「そういえばお前は商人ギルドの方に行っていたのだったな、ダナン」


 ダナンと呼ばれたエルフ族の少女にアレンが視線を向けると、彼女は「ええ」と応じた。


「では、決まりだな」


 全員の顔が深刻な色に染まるなか、アレンは仲間たちに確信を持って結論を述べた。


「やはり、東の方から何かがこちらに向かってきているな」






 ◆






 三人がいる一角はとても静かだった。

 テーブルに突っ伏した酔っ払いの呻き声も、それを叱咤するウエイトレスの声も、ここまでは伝わらない。


「まずは情報の整理だ」


 アレンは注文した「ガブ茶」と呼ばれる緑色の飲料を一口含み、飲み下す。


「二月ほど前から、ここストックフォード領では普段見かけない魔物の目撃例が多発するようになった。これは、付近に生息していない筈の魔物たちが何処かから流入してきていることを意味する。

 最初は『ツールドコボルト』程度だったが、最近では『オーガ』や『バトルオーク』までもが現れ始め、つい先日は『レッドオーク』などというモノまで出てきたらしい」


 ここストックフォード領で強い魔物が出没するのは、西部にある「ピーターパーラー大樹海」という場所だけだ。

 そこ以外で出るのは、せいぜいがダイアウルフやオーク程度。

 おかげでピーターパーラー大樹海関連以外での高ランク依頼が少ないのだが、それは人々の生活が比較的安全だという証拠でもある。


 今回の異変では、本来であれば出ない場所にそれらの強い魔物が出てきてしまっている。


「それは俺もギルドの掲示板で確認したぜ。討伐依頼がかなり増えてやがる」


 レクトの肯定に、ダナンが続く。


「ツールドコボルトとレッドオークでは実力が離れすぎているわ。同時期に一斉に現れることも少ないし、どちらもこの一帯ではあまり見かけない。

 やっぱりアレンの言うとおり、より強い『何か』が現れてそいつらをもと居た住処から追い出した、もしくは逃げなければならない状況にまで追い込んだ、と考えるのが妥当でしょうね」


 まるで鼠の巣に蛇が潜り込んだみたいに、と付け加えるダナンに、アレンが頷く。


「冒険者ギルドでもそう考えているらしい。『魔物の大移動』かもしれないと言っていた。移動経路も、大よそだが掴めているそうだ」

「やっぱり、東から、よね」

「ああ。領内では見かけない魔物が最初に現れたのが、ストックフォード領の東端に位置するボンデ村だからな。それから目撃談は東から徐々に西へ──このフェルファスト近郊まで蔓延し始めている」

「まさに狼に追い立てられる羊たち、ね」 

「イメージとしてはそのとおり。だからこそ、今回の調査依頼書が張り出されたわけだ。

 依頼内容は『ストックフォード領の東外れに位置するグリューン山脈及びその周辺の調査。可能ならば魔物の大移動の原因を究明せよ』だそうだ。

 元凶を見つけられれば追加報酬が出るし、その元凶を討伐すれば討伐報酬も別途で出してくれるらしい。まぁ、見つけられれば、の話だがな」

「本当、ありがたいのか迷惑なのか、分かりづらい話だぜ」


 自棄酒とばかりにレクトはジョッキに入ったガブ茶を呷る。

 魔物が多ければ冒険者の仕事が増えて懐が潤う。

 しかしそれは同時に人々への被害も増えている、ということでもある。

 まさに一長一短、彼方立てれば此方が立たぬだ。


「そうだな」


 レクトの言葉にアレンは苦笑う。

 金を取るか、人々の安寧を取るか。

 冒険者としてのスタンスは人それぞれだが、アレンたちは断然後者を優先する。

 それは彼らの譲れない信念だ。


「その大移動を引き起こした元凶って、どんなやつなんだろうなー」


 お茶を飲み干したレクトが、遠くに視線を暈かしながらそんなことを言う。

 夢想するのは、これまでに戦ってきた強敵の姿ばかり。


「オークやオーガならまだしも、レッドオークを住処から追い出せる相手よ。かなり強力なやつでしょうね」

「レッドオークは確か『レベル5』だったな。そいつを追い出せるなら、その『何者か』は最低でも『レベル6』だろう。最悪、その上の可能性もある」


 アレンの言葉に、二人はより深刻そうに顔を引き締める。


 アレンが口にした「レベル」とは、冒険者ギルドが定める魔物の討伐難易度のこと。

 ギルドでは冒険者の命を守るために、魔物にも等級付けを実施している。

 冒険者が「ランク」で評価されるように、魔物は「レベル」で評価されているのだ。

 魔物も、冒険者と同じように「レベル1」から「レベル8」まで存在する。違うのは、魔物の「レベル9」と「レベル10」が名誉称号ではなく、実在する脅威への評価であるところ。

 その代表格はドラゴンで、最低でもレベル8、個体によってはレベル10やレベル11にまで達する。

 もちろん、そのレベルに達した個体は、もはや人類ではどうすることも出来ない。文字通り「天災」そのものである。


 基本的に、冒険者は自分の冒険者ランクと同じかそれ以下のレベルの魔物を相手にする。

 その理由は至極簡単で、格上の魔物と戦えば高確率で命を落とすからだ。

 職業柄、格上と戦うこともないわけではないが、それこそ真に冒険する──命の危険を伴うことをあえてする──ことになるだろう。


 アレンたち三人は、全員がランク6だ。

 この三人ならば、レベル5程度の魔物であれば危なげなく倒すことができる。

 同じ等級であるレベル6の魔物も、十分な下準備と詳細な作戦があれば、犠牲を出さずに討伐できるだろう。


 しかし、その更に上──レベル7やレベル8ともなると、話はまったく違ってくる。

 冒険者のランクにせよ、魔物のレベルにせよ、評価の差はそのまま実力の差だ。

 違うランク、違うレベルの間には、隔絶した実力差が存在する。


 例えば、レベル1の魔物である「ゴブリン」は、全力を出しても普通の人族と同程度の腕力しかない。樹を殴れば拳の方が傷付くし、もっと力を入れて殴れば手の骨が折れてしまう。レベル1では、その程度の力しか備わっていないのだ。

 しかし、これが一つ上のレベル──レベル2に分類される「ホブゴブリン」になると、拳の一撃で樹に小さな凹みを入れることが出来るようになる。全力を出せば木の幹を欠けさせることさえ可能だ。もはや普通の生身の人間には成しえない芸当だろう。

 これは冒険者にもいえることで、ランク1の冒険者では剣の一振りで薪すら割れないが、ランク2になると剣の一振りで腕ほども太い枝を両断できるようになる。寧ろ、それができる人間こそをランク2に認定しているのだ。

 このような実力の壁はランクが上がるにつれて高くなり、ランク6にもなるとそれはより顕著になる。


 ランク6とランク7、若しくはレベル6とレベル7。

 等級はたった一つしか違わないが、両者の戦力差は銃弾と砲弾の差に等しいのだ。


 もしレッドオークたちを追い立てたその「何者か」がレベル6よりも上であったならば、アレンたち三人だけで討伐することは困難を極めるだろう。


「だからギルドはこの依頼の受注に『ランク6以上の冒険者及び冒険者PTに限る』って制限を掛けたのだろう。ランク6より下では、調査の最中に全滅してしまうのがオチだからな。まぁ、そのせいで引き受ける人間が今まで居なかったわけだが」


 魔物の移動経路上にある村や街は、例外なく危険な状況にある。

 事態を重く見た冒険者ギルドは、随分前にこの調査依頼を張り出していた。

 しかし偶然にも、フェルファストで活動する上位ランクの冒険者たちは2ヶ月ほど前から全員がピーターパーラー大樹海方面に出向いていた。

 そのせいで引き受ける人間がおらず、この調査依頼は今の今まで塩漬けにされていたのだ。

 アレンたちも、つい先日に──実に一月半ぶりにフェルファストに帰ってきて初めてこの依頼の存在を知った。


「まぁ、どんな魔物だろうと、俺たち『アレイダスの剣』からすれば全て雑魚だがな」


 張り詰めた空気を払拭するように、アレンは自信に満ちた口調でそう言い放つ。

 傲岸不遜とすら言えるその態度に、彼を知る仲間二人は頬を緩める。


 アレンはちょっと「アレ」なところがあるし、いつも「アレ」な発言で微妙な空気を作りがちだが、PTリーダーとしては申し分ない判断力を持っている。

 彼らが今まで生き残ることができたのは、アレンの迅速で的確な判断のお陰といっても過言ではない。


「もしレベル7以上のやつだったなら、その時は俺の左腕に封印されし力を解放すればいいだけの話だ」


 そう言って、アレンは「くっくっく」と黒い笑みを浮かべながら、己の左腕を押さえた。

 早速飛び出したアレンの「アレ」な発言だが、レクトは「へー」と慣れた感じでサラッと流す。


「でもよー、そいつが噂に聞く『最強のゴブリン』だったらどうするよ、アレン?」

「……ふんッ」


 突然出た「最強のゴブリン」という単語に、アレンは芝居臭い笑みを引っ込めると、心底くだらないかのようにレクトの意見を切り捨てる。


「何が『最強のゴブリン』だ。実に下らん」


 そんなアレンに反応したのは、レクトではなくダナンだった。


「なんでよー。『アルマダ帝国』の一個連隊がゴブリン一匹に壊滅させられたー、ってもっぱらの噂じゃない。もしそれが本当だったら、そのゴブリン、確実にレベル7はあることになるのよ?」


 アルフリーゼ王国の東に隣接するアルマダ帝国──通称「帝国」は、王国の仇敵である。

 国力は周辺諸国の中でもかなり高い方で、精強な軍を保持することで有名な、謂わば大国だ。

 そんな帝国が誇る帝国軍の一個連隊──約2000人を、一匹のゴブリンが壊滅させたという。

 王国内では、この噂を事実と捕らえる者もいるが、それは少数派。

 多くの人間は、これを王国による対内的な帝国のネガティブキャンペーン、要するに「精強(笑)な帝国軍は、ゴブリンにすら敗れるwwワロスwww」という宣伝だと考えている。

 最強のゴブリンは実在するという説を唱えているダナンは、どちらかと言えば少数派の方だろう。


「ますます下らん。もしその噂が本当なら、そいつはもはや『ゴブリン』などではない。『ゴブリンロード』だ」

「ゴブリンロードはレベル5でしかないわ。200人程度の中隊ならともかく、単騎で帝国軍の連隊2000人を相手取るのは不可能よ。それこそゴブリンの軍団を指揮してなきゃ、絶対に無理ね」


 そう。

 噂では、帝国軍はゴブリンのにではなく、のゴブリンにやられたという。


「それに、目撃者たちは全員『外見が人間に近いゴブリンロードではなく、完全なる普通のゴブリンだった。人間と猿くらい違う両者を見間違える筈がない』って言ってるらしいわ」


 だから噂になっているのよ、とダナンは人差し指をピンと立てて力説する。


「信憑性が低すぎるな。噂などは常に背鰭や尾鰭が取り付けられるものだ。この噂も、背鰭と尾鰭を取り付けられ過ぎて空を飛んでしまっているだけだろう」

「でも──」

「まぁまぁ、二人とも、それぐらいでいいだろ。別に相手がその『最強のゴブリン』だと決まったわけじゃねぇんだから」


 徐々に討論が白熱化するアレンとダナンの間にレクトが割って入る。

 忘れてはならないのは、討論の発端である「最強のゴブリン」を最初に持ち出したのは誰あろう、このレクトであること。

 自ら話題に火を着け、自らその火を消す。

 実に迷惑な話である。


「とりあえず調査依頼を受けるっつーことでいいのか、リーダー?」

「ああ。我らがストックフォード領の危機だからな」

「だな。……ところでよぉ、ちょうどこの領の東側にピエラって村があるから、そこにも寄っていこうぜ」

「ピエラ村、か……」


 しばらく記憶の引き出しを漁ったアレンは、ああそうか、と掌を打つ。


「確か、イーサンが惚れている女がいる村だったな」


 ストックフォード領の東側にあるということは、何らかの被害が出ているかもしれない。

 調査しない手はないだろう。


「……そういえば、イーサンとスーはどうしているんだろうな」


 遠い目で昔のPTメンバーを思うアレン。

 一年前まで、「アレイダスの剣」は5人PTだった。

 主戦力である魔法剣士のアレンを中心に、前衛である盾剣士のレクト、後方火力支援である魔法師のダナン、そして今はPTを離れた斥候役の人族少年イーサンと、後衛で付与術師のドワーフ族少女スーである。

 5人は無二の親友で、互いのためならば命も惜しまない仲だ。

 PT名である「アレイダスの剣」は、全員の名前の頭文字を合わせればちょうど伝説の冒険者「アレイダス」になる、という理由で付けられたもの。

 イーサンとスーは各々の夢のためにPTを抜けたが、この絆は永遠のものだと全員が確信している。


「イーサンなら『迷宮都市パメイラ』で新しいPTを見つけたそうよ。スーは王都でお店の内装中らしいわ」


 ダナンが思い出したように告げると、アレンは眉を潜めながら首を傾げた。


「……なぜ知っている?」

「二人から手紙が来たから」

「……なぜそれをはやく言わん?」

「聞かれなかったから」

「………………」


 いろいろ納得いっていないのか、アレンは暫くすねたように沈黙すると、やがて「まぁいい」と気を取り直すように言った。


「そういうことなら、そのピエラとかいう村にも寄るとしよう。イーサンが惚れたという女の近況も、手紙の返事に書いてやろうではないか」

「気の強そうな娘だったわね。村長の娘だっけ?」

「名前はエレインだぜ、確か」


 事あるごとに「エレインは──」「エレインが──」「エレインなら──」と頬を染めながら唱えていた元メンバーのことを思い出し、三人は微笑ましくなる。

 調査依頼を受けることはすでに決定したのだ。

 道中でちょっと寄り道してもバチは当たらないだろう。


「では、今日は旅の準備、明日は一日休んで、明後日に出発、ということでいいか?」

「りょーかい」

「いいわよ」


 頷き合うと、三人は席を立った。

 フェルファストの一角にて開かれた小さな作戦会議は、こうして静かに幕を下ろしたのだった。






 ────これが波乱のプロローグであるとも知らずに。

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