28. 殺すという事
初めて人を殺したのは、何時だったろうか。
記憶の引き出しを開けば、その問の答えはすぐに見つかった。
あれは、まだ俺が中学一年生だった頃の話。
魔法使い協会から師匠へと出された依頼を、師匠が修行と称して俺に回してきたのだ。
まぁ、いつものことである。
依頼内容は、オランダの片田舎に隠れている一人の魔法使いの捕縛もしくは殺害。
所謂「
今でもよく覚えている。
相手は、正真正銘の「クソ野郎」だった。
やつは夜な夜な郊外で無垢な一般人を攫い、非道な人体実験を繰り返していた。
たちが悪いことに、やつは所謂「高知能犯」ってやつで、魔法を駆使して己の悪行の痕跡を消し去っていて、警察と協会はなかなかやつの尻尾を掴めずにいた。
協会がやつの悪行を発見・調査・把握した時には、被害者の数は既に3桁にまd達していたそうだ。
相手は紛うことなき「悪」。
だったら、修行ついでに俺がこの手でとっ捕まえてやろうじゃないか。
まだ毛も生え揃ってい中学生だった俺は、割と本気でそう意気込んでいた。
そんな俺に、師匠は言った。
「これからお前はクソ野郎と対峙することになるわけだが、そいつ、人間性はヤバイけど、実力だけは本物だ。お前がこれまでとっ捕まえてきたような半端者の魔法使いとはわけが違う。今のお前じゃあ間違いなく苦戦する。捕縛なんて無理だ。必ずガチの殺し合いになって、最後はどっちかが死ぬ。俺はお前が勝つと踏んでいるが、生け捕りは間違いなくできないだろう」
何時も飄々とした師匠の言葉は、このときだけはマジのトーンだった。
「お前は今日、人を殺すことになる。
初めての殺人だ。
大丈夫か?」
俺は師匠に笑ってみせた。
そいつを殺すことになる?
余裕だね。
だって、相手は紛うことなき「悪」なんだもん。
死んで当然だろ?
だから、たとえ殺すことになっても、俺はきっと瞬きすらしないね。
自信満々にそう言った俺に、しかし師匠は苦笑いを浮かべ、首を横に振った。
「う〜ん……どうやら、
……よし。
今回は俺が片付けておくから、お前は先にホテルに帰っとけ」
師匠にやんわりと「お前にはまだ無理だ」と言われ、俺はムッとした。
これまでもかなりの数の「悪人」を捕まえてきた経験があるだけに、俺は師匠のその決断に納得がいかなかった。
だから、生意気にも「なんでだよ」と反発した。
「今のお前は、まだ人を殺す『意味』と『理由』をハッキリと理解していない。
そんな心構えで
だから今回の修行は見送るって言ったんだ」
「人を殺す意味と理由?」
「そうだ。人間の本性に繋がる、大事なことだ」
そう言って、師匠は説明してくれた。
「人間ってやつはな、生まれついたときからクソ野郎になる素質を持ってるもんだ。所謂『性悪説』ってやつだな。人は生まれたときから悪人だ、っていう思想だ。俺は性善説よりも性悪説の方が理にかなっていると思っている」
捻くれた持論に嫌な顔を浮かべると、師匠は「まぁ聞け、九太郎」と続けた。
「人は誰しも生まれたときからクソ野郎予備軍だと俺は考えている。
だから、人はマジ
けどな、そうやって精進していくには、まず自分がクソ野郎予備軍だってことを自分で認めなきゃならん。問題点を認識しなければ問題は解決できないからな。
これが、なかなかに難しくてな。
自分の欠点や汚い部分を素直に受け入れられるやつなんて、そうそう居るもんじゃない。人間、誰だって身綺麗でいたいし、皆に好かれる『良いやつ』でありたいからな。
だから人は、言い訳や大義名分を作り、それを盾にする。
大義名分を使って自分の行動を美しく見えるように正当化し、言い訳を使って自分はクソ野郎と同じじゃないと主張する。
自戒するより、他人のせいにする方が簡単だからな。
昔の中国で性悪説よりも性善説が圧倒的に支持されていたのも、これが理由だ。
──『俺はみんなのためにやった』
──『これは正義の行いだ』
──『相手こそが悪だ』
──『だから俺は悪くない』
ってな具合にな。
お前がさっき言ったことは、まさにこれなんだよ」
師匠は咥えていたタバコに火を着け、一口吸って吐く。
「お前、今回のターゲットのこと、『クソ野郎だから死んで当然』って言ったな?」
「そうだよ。悪いやつをぶっ殺して何が悪いんだよ?」
「『悪いやつだから』っていうのは、確かにそいつが殺される理由にはなるだろうよ。
でも、それは
師匠が何を言いたいのか分からない俺は、子供なりに苛立ちを感じた。
「なんでだよ! 師匠だって悪いやつをたくさん殺してきただろ!」
「ああ、そうだな。俺は一般的に『悪党』と呼ばれるようなやつらを数えきれないほどぶち殺してきたよ。
でもな、俺は『相手が悪党だから』って理由で殺したことは一度たりともねぇよ」
「意味がわからないよ……」
「人を殺す本当の理由ってやつを履き違えるな、と言っているんだ」
師匠は俺の頭をグリグリと撫でる。
「今のお前はただの義憤や社会正義だけで人を殺そうとしている。
どうせ『社会から害悪を一つ消してやる!』とか『俺が正義の鉄鎚を下してやる!』とか思ってんだろ?
ははは、図星か。
でもな、それらは『お前の中にある本当の理由』じゃない。ただの薄っぺらいハリボテ、きれいな文字で『正義』って書かれたド汚い仮面だ。
今回のターゲット、そいつを直接殺すのは『正義』や『法律』なんかじゃない。
お前だ。
俺やお前となんの関わりもない、ただの赤の他人でしかない『そいつ』を殺すのは、他ならない『お前』なんだよ。
だからお前は、何故自分が直接手を下すのか──他でもないお前自身の手で人を殺すのか、その本当の理由をちゃんと考えなきゃならない」
俺がやつを殺す、本当の理由……。
やつを生け捕りにできないから?
いや、違う。
そもそも、やつと戦うことにならなければ、殺すこともない筈だ。
じゃあ、なんで俺はやつと戦うことになった?
考えずとも、答えはすぐに出た。
──これが師匠から俺に回されてきた依頼だからだ。
依頼をこなせば対人戦闘の練習になるし、依頼報酬も出て金になる。
俺自身がそう思い、その依頼を引き受けたからだ。
ああ、そうか。
そういうことか……。
俺がそいつを殺すのは、全て自分のためなんだ。
修行の一環として、対人戦闘の訓練相手として、俺自身の成長の踏み台として、やつを殺すのだ。
そう、俺はこれから「俺自身」のために一人の人間を殺すのだ。
見知らぬ被害者たちを思って義憤に燃えているからでもなければ、社会正義を体現する正義の執行者になりたいからでもない。
全ては、自分のため。
これこそが、俺がそいつを殺す本当の理由なのだ。
正義だの悪人だのは、全てあとから取って付けたこじつけに過ぎない。
まさに「自分の利益のために人を殺す」というド汚い目的を美しく見せるための大義名分だ。
結局、俺は自分の利益のために人を殺すことを選択しただけ。
この事実を、俺は正しく自覚しなければいけない。
でなければ、俺は「悪人だから」「正義のためなら」「仕方がなかった」と殺人を外的要因のせいにする人間になってしまう。
殺人を正当化する、本当のクソ野郎になってしまう。
師匠がこの依頼を俺に回してきたのも、ここにミソがあるのだろう。
俺に人を殺すということについて深く考えさせるために。
そして多分、俺に「殺人」を経験させるために。
俺は「相手が悪人なら何をしても正しい」と考えていた。
自分の行いを「正義」というベールで覆って美しく見せていたのだ。
だから、どこかで「クソ野郎を殺す」ということを軽く考えていた。
でも、それは思い違いだった。思い違いだと気付かされた。
嗚呼、「相手がクソ野郎だから死んで当然」なんて、どれほど傲慢な考えだろうか。
クソ野郎でも、人間は人間だ。殺せば立派な殺人──クソ野郎の所業になる。
どんなご立派な思想を述べようと、どんな真っ当な理由を列べようと、どうな美辞麗句で飾りつけようと、人を殺す理由は必ず「自分のため」という事実に帰結する。
人を殺すことに、それ以外の理由なんて無いのだ。
それは取りも直さず殺人という罪は自分で背負わなくてはならないということでもある。
自分の意思で自分のために行動する。ならば、その行動の結果はすべて自分のものであり、余さず自分で背負わなければならない。
確かに「クソ野郎だから死んで当然」という言い分は、鈍る決意を鋭くしてくれるだろう。
確かに「被害者たちの仇を取る」という口上は、湧き上がる罪の意識を薄くしてくれるだろう。
確かに「依頼だから仕方がない」という主張は、痛む良心を慰めてくれるだろう。
だが、それだけだ。
自分の行為とそれがもたらした結果が消えるわけではない。
俺はこれから自分の「小さな利益」のために一人の人間を殺す。
その所業は、まさにクソ野郎その。
今日をもって、俺も立派な
「怖気づいたか?」
師匠の問に、俺は首を横に振った。
けれど、それがただの強がりだということは自分でも分かっていた。
先程までは「相手が悪人」という大義名分があったから、なんとなく「死んで当然」「殺しても大丈夫」と倫理観に麻酔がかかっていた。
だが、その大義名分が剥がれた今、「殺人」という行為の重みは一層増してのしかかってくる。
俺は平和な日本で生まれ育った、生粋の日本人だ。
生まれたときから「他人を思いやれ」「他人の痛みを知れ」「相手の立場に立って考えろ」と、ずっとそう教育されてきた。
自分の手で人を殺し、その事実を自分の背中で一生背負い続けるなど、考えただけで震えてくる。
これは、警察だ裁判だ刑務所だなどという法律や倫理以前の問題──魂の奥底に刻まれた、禁忌を犯すということに対する嫌悪と恐怖だ。
特に、人を殺す理由が「依頼報酬と対人戦の経験になる」などという利己的なものと来れば、平静でいられる方がおかしい。
怖気づく俺の背中を、師匠は軽く叩いて励ましてくれた。
「その教育は確かに正しい。間違っているところなんて何一つない。寧ろ、全世界に広めるべき教えだ。他人の痛みを理解できないのは
……けどな、その教育が生きるのは、『平和』が前提のときだけだ。
非常時、つまり殺し合いが必要な時には、まるで通用しないんだよ」
師匠は語った。
「他人の痛みが分かる社会は優しい社会だ。
政治も法律もモラルも、そんな社会を守るために──『殺し合い』そのものを産まないためにこそある。
でもな、世の中、他人の痛みを知る優しい人間ばかりじゃない。
優しさだけでは乗り越えられないものも沢山あるんだよ。
たとえば、通り魔に襲われた時、とかな。
相手はお前を殺すことこそが目的だ。そこには理屈もモラルも関係ない。
そういう時はどうするべきか──
通り魔相手に『人を傷つけちゃいけない』なんて考えたら、それこそ大人しく命を差し出すしかなくなる。
人を傷つけるぐらいなら自分が死んだほうがマシだ、なんて考えてるんならそれでも良いが、そうやって死んじまうのは気にかけてくれる家族や恋人や友人に対する最大の裏切りだ」
強い眼光で俺を見つめなら、師匠は言った。
「非常時には躊躇も容赦もするな。
お前の優しさがお前自身を殺すことになるぞ。
失うのが怖いのならば、徹底的に守れ。
たとえ他人の大切なものを奪うことになろうともな。
本当に失えないものを履き違えるな」
「本当に失えないもの……」
「そうだ。
よく『大事なものを守るために戦う!』っていう題材の漫画や小説があるけど、現実はそんな綺麗事ばかりじゃない。
何かを守るために戦うというのは、相手なんかよりも優先するモノがある、相手を殺してでも失えない物がある、ということだ。
戦争に赴く兵士は、国にいる家族や恋人が収容所に送られ、殴られ、犯され、殺されるのが嫌だから戦い──
テロ現場に駆り出された警察は、何時か家族や知り合いが巻き込まれて死ぬのが嫌だから射殺命令に従い──
通り魔事件に遭遇した一般市民は、自分が殺されるのが嫌だから相手を殺してでも抵抗し──
相手の生命なんかより、自分や家族の方が大事だから──失うことに自分が耐えられないから──相手を殺してでも守るんだ。
綺麗なことなんて何処にもない。
相手を殺してでも守るっていうのは、どこまでもド汚い行いなんだよ」
師匠が語る人間性のあまりの汚さに、吐き気が込み上げてくる。
余程ひどい顔をしていたのか、師匠は俺に微笑んだ。
「そんなに固くなるなよ、九太郎。
いろいろ言ったけど、結局一番大事なのは、人を殺す理由を履き違えないことだ。
怖気づく必要はない。
お前にも、譲れない何かはあるだろ?
なら、存分に戦え」
そうだ。
俺は師匠みたいに強くなりたい。
師匠と肩を並べられるようになりたい。
そして、ずっと師匠と一緒にいたい。
そのためなら、どんなに辛い修行でも耐えるし、どんな困難でも乗り越えてみせる。
たとえ誰かの命を奪うことになったとしても。
それだけは譲れない。
「良い面構えになったな。その調子だ。
ついでだから、いいことを教えてやろう」
そう言って、師匠は人差し指を立てて、
「人間、誰しも生きる
と、そんな持論を述べた。
「どんな人間でも、母親から生まれた以上、生きる資格はある。
勿論、害悪しかもたらさないクソ野郎も、生きる
だけど、そんなやつが生きる
害悪しかもたらさないクソ野郎は、生きる価値がマイナス、つまり社会にとっての赤字だ。
なら、そいつはいない方がいい。
殺しても問題なし、寧ろ殺したほうがスッキリするってわけだ。
例えば、これからお前が戦うやつとかな。
生きる価値のないやつに人権はない。
存分に殺せ」
極論をサラッと言った師匠に、思わず苦笑いが漏れる。
「さっきと言ってることが違うじゃねーか、師匠。
さっきは『悪人だから死んで当然と勘違いするな』とか言ってたのに、今度は『悪人だから殺してよし』とか、完全に矛盾してるよね?」
師匠はニヤリと笑った。
「いいんだよ、矛盾してたって。
屁理屈ぐらいがちょうどいいんだ。
人間なんてもんは、誰しもが自分の屁理屈を中心に世界を生きているんだからな。
まぁ、変に穿って考え過ぎるなってことだ。
お前がなぜ人を殺すのか、人を殺すということがどういう事なのか、それらを履き違えずにしっかりはっきり心に刻んでおけばそれでいい。
殺すかどうかの判断基準なんてのは、自分の独断と偏見で決めていいんだよ。
ちなみに、俺は『俺と俺の知り合いに迷惑を掛けたやつ』は殺してもいいと考えている」
「あんたの場合は極端すぎるんだよ」
そうツッコミながらも、俺の中に蟠っていた恐怖と緊張はどこかに吹っ飛んでいた。
譲れない何かがある。
だから、俺は戦い、殺す。
その罪は、俺が忘れずに、しっかり背負う。
そのことをしっかりと心に刻み、俺はクソ野郎の研究室に乗り込んだ。
それからどうなったかって?
師匠の予測通り、ちゃんとガチの殺し合いになったよ。
捕縛とか戦闘訓練とか、そんなこと考えてられないくらいの激戦だった。
そして死闘の末、ボロボロになりながらも俺はギリギリでやつを殺した。
これが、俺の初めての殺人。
感想は……まぁ、控えめにいって最悪だったよ。
あのとき見てしまったクソ野郎の死に顔は、今でも忘れられない。
憎悪と恐怖が入り混じった、歪んだ顔。
終わった瞬間、思わず吐いてしまったのをよく覚えている。
禁忌を犯した恐怖で身体が震え、何もかもをやり直したい衝動に思わず大声で叫んだ。
奇妙な胸糞悪さとよく分からない罪悪感で半日ほど大泣きして、それから3日ほど眠れなかった。
結局、吹っ切れることもできず、飲み込むこともできず、忘れることもできず、一週間ほどドロドロに病んだ挙げ句、全て擦り切れて何も感じなって、それでようやく俺は乗り越えることができた。
格好良くもなんともない、寧ろ無様すぎて笑えすらしない、俺の初めて殺人経験である。
◆ ◆ ◆
懐かしさと恥ずかしさに蓋をしながら、俺は目の前に転がる8つの死体を眺める。
臭くて汚い身なり。
伸び放題の髪と髭。
粗末な武器。
見たまんま、盗賊である。
俺がいるのは村の北側に広がる平野、そこに点在する林の中。
オルガと一緒に狩りに来てみればコイツらに有無を言わさず襲われた、というわけだ。
まぁ、一人残らず返り討ちにしたけど。
隣ではオルガが鼻を押さえながら転がる死体を見下ろしている。
普段はあまり感情を表に出さない彼女だが、今は嫌悪感をたっぷりと顔に出している。
「よし、こんなもんだな。さっさと屍体を焼いちまおう」
どうせ金目のものは持っていないだろうし、衣類は汚くて欲しくないし、剣などの装備も持って帰れないし……っていうか、村の皆にどうやったって説明できない。
だから、ここは全部「なかったこと」にするしかない。
「それにしても、この世界は盗賊が多いな。
これで3度目の遭遇である。
いやまぁ、元の世界でも強盗は結構多かったけどね。
ただ単に日本にはあんまり居ないってだけで、他の国では結構ポピュラーな存在だったよ。
人類最古の職業の一つだし。
「それは、それ以外に生きる宛がないからではないでしょうか。飢饉に見舞われた村では口減らしに体の弱い者や年老いた者を追放したりしますし、街などでもスラム生まれの者は職探しに苦労します。技能もなければ頼る宛もない人間が最終的に盗賊に身を落とすなど、何ら珍しいことではありません」
「世知辛いねぇ……」
この世界には公的扶助もなければ職安もない。
誰でもできる仕事はだいたい埋まっているし、知識や技能が必要な仕事は空きがあるものの、そもそも知識と技能があれば仕事にあぶれたりしない。
まともな仕事はどこも競争率が半端じゃないのだ。
それでも生きていたければ、それこそ多少違法なことでもしなければ──
「そういえば、『冒険者』って職業があったな。じゃあ、冒険者になればいいじゃないか?」
この世界には冒険者が存在する。
ラノベなどによく出てくる、異世界で定番の職業である。
オルガや村人によれば、この世界の冒険者も俺のよく知る冒険者と同じで、「冒険者ギルド」という冒険者を統括する組織を通して依頼を引き受け、完遂と共に報酬を貰う、という仕組みになっている。
肉体労働枠でありながらも比較的自由度の高い冒険者。
盗賊たちも、最初から冒険者になれば身を持ち崩すこともなかったんじゃないのだろうか?
「確かに冒険者は各国で必要とされていますし、冒険者ギルドという世界を股にかけるほどの巨大組織によって管理されていますので、職業的にまともかどうかでいえば、間違いなく『まとも』でしょう」
なんだか歯に物が挟まったような言い方をするオルガ。
「……ただ、冒険者という職業も決して楽ではありません。どちらかといえば過酷で危険な方に入ります。あなたは強いから分からないかもしれませんが、冒険者の仕事には激しい戦闘が付き物です」
「なるほど。腕がなければ死ぬ確率が高い、と」
漫画やラノベでも、冒険者の仕事って大抵はモンスター退治とか商人や重要人物の護衛とかだから、危険性はかなり高いだろう。
まさに命を切り売りするような職業だ。
「あ、でもほら、冒険者の依頼って、別に危険なものばっかじゃないだろ? 採取依頼とか、町中でのお使いとかさ」
「採取依頼は普通に危険です。あなたには分からないことでしょうけれど、大自然の中に何かを採りに行って無事に持ち帰るというのは、それなりの実力がなければ出来ません。魔物の襲撃や過酷な環境、予想外の事故などなど、命に関わる要素は無数にあります。どんな状況でも危険をまったく感じないのは、あなたくらいのものです」
「……さいですか」
いや、言わんとしている事は分かるんだけどさ……。
さり気なく俺を非難するの、やめてくんない?
「それに、町中での雑用依頼は『誰にでもできる仕事』の範疇に含まれます。それほど戦闘に自信のない冒険者たちが挙って引き受けますので、競争率は非常に高いです」
そう言って、オルガは半目を俺に向けた。
「私も本職ではないので冒険者の仕事に関しては知識でしか知りませんが、それでも『楽な仕事』などというものはないと考えています。あなたのような非常識はそうそういません」
ひ、非常識て……。
「間違ったことを言ったつもりはありません。
「いや、別に仕事を馬鹿にしているわけじゃないだろ、俺」
「馬鹿にしているではありませんか。普通の薬草師が生涯研究してもたどり着けない秘薬をうっかりで量産し、それを健康な私に無駄に飲ませて処分させているのですから」
「そ、それはほら、仕方ないだろ? あれをみんなに配るわけには流石にいかないからさ……」
「だから、それが『仕事を馬鹿にしている』と言っているのです。真面目に働いている薬草師全員に謝ってください」
「ご、ごめんなさい……って、なんで俺が謝る必要があるんだ?」
と、くだらないことを言い合いながらも、俺は盗賊たちの屍体を一箇所に集める。
「そういえば、コイツらみんな首に蛇の入れ墨があるな。何かのシンボルか?」
「あまり詳しくはありませんが、団員全員に同じ入れ墨を入れる盗賊団は多いと聞いたことがあります」
「なるほど。ということは、コイツらはどこかの盗賊団の構成員ということか」
「その可能性は高いでしょう」
う〜ん。
なら、アジトを見つけ出して皆殺しにした方がいいのか?
何人か生け捕りにするべきだったな。
これじゃあアジトの場所が分からん。
まぁ、いいか。
また遭遇したら、その時にやろう。
集めた死体を所持品ごと荼毘に付しながら、俺は改めて考える。
この世界は地球よりも厳しい。
生きるためには働かなくてはならない、というのはどの世界でも同じだが、この世界ではそもそも「働く」ということ自体が難しい。
日本では「お小遣い足りないからバイトでもすっか」という感覚で職に有り付けるが、この世界ではそう簡単には行かない。
人々は学ぶ機会がなく、知識や技能のある人が少ない。
学歴も資格も運転免許もなにもないのであれば、
知識も技能もなければ、体一つでできる仕事に縋るしか無い。
が、そういった
最後の砦感がある冒険者家業も、オルガのいうように危険がとっても危ない。
ゲームじゃないから、強い魔物に敗れて全滅したからセーブデータからコンティニュー、なんてことも勿論できない。
冒険者といっても、その本質は字面通りの「
自分の能力に合った仕事がなければ、仕事が無いのと一緒になる。
そこに、この世界の文明レベル的に「仕事そのものがそんなに多くない」というトドメが入る。
仕事にあぶれた人間が行き着く先は自ずと整ってくる、というわけである。
「……つまり、この世界には盗賊を多く作り出す環境が揃っている、ってことか」
「いいえ。それは根本的な原因ではありません」
珍しく、オルガが強い口調で言う。
「盗賊に身を落とすような人間は、そもそも他の職業など考えません。環境がそうさせるのではなく、彼ら自身が盗賊になるような人間性の持ち主だった、というだけのことです」
俺の魔法に焼かれていく盗賊たちの屍体を見下ろすオルガの瞳には、冷たさしかなかった。
盗賊団に故郷を滅ぼされた彼女からすれば、盗賊は不倶戴天の敵だ。
どんな理由があろうと、盗賊に身を落とした時点で、彼女の中では人ではなくなっているのだろう。
それは俺も同意するところ。
こいつらは、自分がクソ野郎に堕ちないための努力を怠ったのだ。
貧しくとも精一杯働いて真っ当に生きようと必死に足掻く人たちがいる中で、こいつらは水が高きから低きに流れるように楽なほう楽なほうに流れ、ついには盗賊に堕ちてしまった。
人を殺し、人のものを奪い、無為に消費するだけの存在。
まさに社会にマイナスの価値しかもたらさない、生きる価値のない存在──クソ野郎だ。
故に、殺しても良心の呵責を覚える必要はない。
人権?
んな都合の良いもん、端からこの世には存在しないよ。
権利とは、自分で勝ち取るもの。有って当然のものでもなければ、神様に保証されるものでもない。
モラルの無い盗賊が声高に「
正直に言うと、俺的には何処でどれだけの盗賊がどんな悪逆非道を働こうが、興味も関心もない。
多少は義憤を感じなくもないが、それも「そんな酷いことするなよ……」と呆れる程度。
惑星の反対側で誰がどんな不幸に見舞われようと、自分と関係なければ正しく「無関係」なのである。
だから、俺と関わらない限り、この世界のどこかで盗賊が猛威を振るおうと俺は全く気にしない。
薄情?
薄情で結構。
俺はスー◯ーマンでもなければハ◯コックでもない。
空は飛べても、自分の生活を守るだけで精一杯だ。
赤の他人にまでいちいち手を差し伸べてられるか!
力には責任が伴う?
馬鹿だろ。
なら、格闘家は強制的に警察か軍人になるべきだと?
一円でも貯金がある人間は無条件で一文無しにお金を分け与えるべきだと?
米国が世界警察を名乗るのを手を叩いて歓迎するべきだと?
アホちゃうか?
そんなのは全部、強者を縛り付けて利用したい悪質な弱者の屁理屈だ。
勿論、弱い人間が悪いというつもりは毛頭ない。
余分なリソースがあれば強者は弱者を少しだけ助けてやってもいいと、俺は思う。
でも、「力の責任」などと吐かす弱者、てめぇらは駄目だ!
力には責任が云々とほざく人間は、ただのたかり屋だ。
やつらがほざく「力」とは、謂わば「他人より優れたもの」「自分には無いもの」である。
分かりやすく言い換えれば「戦闘力」や「金」や「美貌」がそれだ。
つまり、やつらの主張はこうだ。
「お前は喧嘩が強いから、俺ら弱者を無条件で守る責任がある。だからつべこべ言わず肉壁になれ」
「お前は金があるから、俺ら貧乏人を無条件に援助する責任がある。だからつべこべ言わず金をよこせ」
「お前は顔がいいから、俺ら不細工を無条件に楽しませる責任がある。だからつべこべ言わず抱かせろ」
ね?
聞いてらんないでしょ?
っていうか、そもそも俺の力などたかが知れている。
師匠のような化け物だって、死ぬときはあっさりと死んでしまうのだ。
俺みたいなガキに何を求めるというのか。
ノブリース・オブリージュ?
そんなのは真面目な統治者や意識高い系の資産家に言ってください。平凡な一市民でしかない俺にそんなものを要求されても返答に困ります。
俺は聖人君子じゃないし、ましてや神命を帯びた使徒でもなければ、世界を救うラノベ主人公でもない。
オルガは俺のことを「悪人の皮を被った善人」だの「偽悪者」だのと呼ぶが、そんなことはない。
俺は間違いなく半分凡人で半分クソ野郎の──ただの人間だ。
オルガはなぜ俺が悪人ぶるのか分からないと言っていたけど、俺は別に悪ぶっているわけではない。
俺は自分が半分クソ野郎だとちゃんと認識しているだけだ。
何時だって自分の利益を最重要視するし、そのためであれば人を躊躇いなく殺せる。
何時だって自分が世界の中心だし、自分の意思を最優先する。
師匠の教えは全く以て正しいと思う。
だって、人間って誰しもがそうでしょ?
利己的で、自己中心的で、そのくせ自分を良く見せようと言い訳を並べる。
利己的であることを「正当な権利の追求」と言い張り、自己中心的であることを「リーダーシップ性が高い」と言い訳する。
その点でいえば、俺は多分まだマシな方だろう。
だって、少なくとも俺は言い訳をしないから。
盗賊を皆殺しにしたのだって、別に「大切な人たちを守るため」とか「正義の名の下に裁きを下した」とか、そんな御大層で綺麗な理由からじゃない。
俺の動機は単純。
俺とオルガ、そして俺達の村に迷惑を掛けようとしたから。
イラッとして
俺みたいな開き直ったクソ野郎より、言い訳で身を固めて自分を正当化するクソ野郎の方が何倍もタチが悪いだろう。
少なくとも俺はそう思うね。
話が逸れたな……。
とにかく、俺は特別盗賊を憎んでいるわけではない。もちろん好きなわけでもないけど。
俺と関わらなければ、気にすらしない。
俺にとって、盗賊というのはその程度の存在だ。
しかし、不運なことに、俺の目の前で焼かれているこの8人は、俺に迷惑をかけた。
俺と関わってしまったのだ
だから
南無三、としか言いようがない。
灰になっていく盗賊たちを眺めながら、俺はふと脳裏を過ぎった疑問に意識を持っていかれる。
これは、もしもの話だ。
もし──俺が師匠の弟子でもなく、魔法使いでもなく、ただの男子高校生だったら?
そんな宛もない「
弱肉強食を体現したようなこの世界は、現代人には厳しすぎる。
当たり前のように使われる魔法。
当たり前のように闊歩する魔物。
当たり前のように出没する盗賊。
そんなベリーハードなこの世界に、無力な高校生が一人で降り立ったら?
果たして、俺はどうなっていただろうか?
今みたいにちゃんとした生活を送っていられただろうか?
もしかしたら、俺もこいつらみたいに──
そこまで考えて、俺は首を横に振った。
たらればの話など、考えてもしょうがない。
俺は師匠の弟子で、魔法使いで、生き延びる力があった。
それ以外の結果など存在しないし、それだけが事実だ。
それに、だ。
クソ野郎はクソ野郎でも、どこまで堕ちるかは、俺が自分で決める。
事あるごとに「師匠の弟子」と自称している俺だが、それは別に「俺の師匠、世界最強の魔法使いなんだぜ? スゲェだろ? だから弟子の俺もマジTSUEEE」という意味ではない。
他の人間は師匠を「世界最強の魔法使い」と称するけど、俺にとっての師匠は「親代わり」であり、「最も尊敬する男」だ。
俺がいつも「師匠の弟子」と口にしているのは、そんな師匠の弟子として恥ずかしくない男であり続けるための、一種の戒めなのだ。
だから、師匠の教えに反すること──完全なクソ野郎に堕ちるようなことはしない。
改めて、師匠の弟子でよかったと心から思う。
修行は比喩抜きで死ぬほど辛かったけど、真面目にやってきてよかったよ……。
盗賊たちが完全に灰になったことを確認し、俺はオルガに振り返る。
「さて、そろそろ行くか。まだなんにも狩ってないからな」
「はい」
頷き、オルガは俺についてくる。
心なしか距離が近い。
盗賊と出遭ったことで辛い過去を思い出したのだろうか。
俺が彼女にしてやれるのは、今の生活を維持することだけ。
それでどれだけの人間を殺すことになっても、俺は後悔しない。
俺は悪くない、俺の生活を脅かすやつが悪い(他責)。
俺はこの村で薬草師(偽)として静かに暮らすのだ。
毎日魔物を狩ってお肉を手に入れて、たまにすれ違う盗賊を皆殺しにして痕跡を消して、静かに暮らすのだ。
……静かかこの生活?
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