25. EO:観察日記

 ――――― Episode Olga ―――――




 この家はおかしい。


 黒いボブショートの先端に紫のメッシュが入ったデウス族の少女──オルガがそう感じたのは、もはや一度や二度ではない。

 家主である黒髪の少年とこの家に住み始めて既に10日以上が過ぎたが、今でも毎日のように「おかしいもの」を発見してしまう。



 例えば、かまどの火の起こし方。

 通常、炊事に使うかまどの火には二種類の起こし方がある。


 一つは、火打ち石で薪に点火する、最もオーソドックスな方法。

 先ず、燃料となる薪を適度な大きさに割る。大きく割り過ぎれば燃え辛くなって火力不足になってしまうし、逆に細すぎれば燃えるのが早すぎて燃料の消費が激しくなってしまう。よって、薪の太さの目安は、およそ拳一つ分ほどがベストとされている。

 火を起こす際は薪をかまど内にテント状に立てかけ、その下に細い枯れ枝を敷き詰める。

 最後に火打ち石を打ち付け、発生した火花で火口ほくちとなる乾燥した木屑や草に火を点け、それを敷き詰めた枯れ枝に差し込む。そうして枯れ枝が徐々に燃え始め、最終的に薪に延焼することでかまどの火付けが完了する。

 この方法は手間がかかる分、殆どお金がかからないため、比較的貧しい農村部などでよく使われている。


 もう一つの方法は、比較的裕福な都市部で用いられている、魔法道具マジックアイテムによる点火法。

 魔法道具マジックアイテムを使う場合は、薪の代わりに高価な「炎石」の粉末を使用する。

 炎石の粉末をかまどの底に敷き詰め、そこに「火付け機ファイヤースターター」という魔法道具マジックアイテムを押し付け、魔力を流しながら決められた起動言キーワードを唱える。すると火付け機ファイヤースターターに込められた魔法が発動して炎石の粉末に着火、かまどに火が点く。

 薪のような調達が大変でかさばる燃料を使う必要もなく、燃えカスや煙も発生せず、手間もほとんどかからないため、裕福な地方や都市部、特に貴族や豪商の家など多く用いられている点火法である。

 ただ、魔法道具マジックアイテムに「魔力を流し込む」という作業は、素質と訓練がなければ出来ない。加えて、火の力を秘めた炎石の粉末は、高火力を放出する代わりにそれなりにお高い。

 つまり、この方法は手間が少ない分、使う人間を選ぶということ。


 少女たちが住んでいた故郷の村でも、少年と今一緒に住んでいるこのピエラ村でも、かまどに火を入れる方法は、勿論のこと前者である。

 薪を切り出すところから始まり、適度な大きさに割って乾燥させ、かまど内に立てかけ、火打ち石で枯れ草に火を点け、適度に風を送りながら、ゆっくりと薪に燃え移るのを待つ。

 そうして初めて、かまどに火が灯るのである。

 酷く手間がかかるが、これが常識なのだから仕方がない。


 しかし、少年のやり方はまったく違った。


 少女の観察によると、少年がかまど内の煤や灰を掃除したり、新たに薪を入れ直したりしたことは、過去に一度もない。

 と言うか、かまどにある薪が燃えるところを、一度も目にしたことがない。


 少年が火をつける時にすることは、いつも一つだけ。

 かまどに向かって小さく、本当に小さく息を吹きかけることだけ。

 たったそれだけで、かまどに轟々と燃え盛る火が生まれるのだ。

 それも、敷かれた薪を一切燃やすことなく。


 ポット一杯の水を僅か十数秒で沸かしてしまうその炎は、よくよく見れば、積まれた薪の真上に浮いていた。決して薪から上がっている訳ではない。


 宙に浮く炎の玉。

 誰がどう見ても、魔法で作り出した炎である。


 ではなくために魔法を使う人間を、少女は初めて見た。

 ただそうなると、少年の魔法の発動方法がおかしくなる。

 通常、魔法は呪文の詠唱が伴って初めて発動するもの。決して息を吹きかけただけで発動するものではない。

 本人に聞いてみたところ、


「『儀式魔法』じゃないんだから、呪文なんか詠唱する必要ないだろ」


 とのこと。

 あまりにも常識外れな発言に、少女はただただため息を吐くことしかできなかった。


 少女だって、一般教養としてある程度の知識は持ち合わせている。

 少なくとも、魔法を発動する要の一つである呪文が「必要ないだろ」で省ける類のものでないことは、常識として知っているつもりだ。

 だからこそ、少年の非常識さに頭痛を覚える。


 少年曰く、「火を起こすのに薪などの燃料は必要ない」とのこと。

 なんでも、燃料を魔力と「燃焼構造体」なるもので代用しているらしく、空気と一緒に燃やすことで高温の炎を作り出すことができるそうだ。


「薪拾いは面倒くさいからな。使わないならそれに越したことはないだろう。

 一応こうして誰か来たとき用に薪を積んでそれっぽく偽装してるけど、誰も居ないときは薪を燃やさないよう、この《擬似空気燃焼エアフレイム》で直接鍋を熱してるんだ」


 少年は立てた人差し指から炎を吹き上げさせながら説明してくれた。


「あと、薪は使うフリをして、全部地下倉庫(自作)に備蓄してある。村のみんなが俺のためにわざわざ割ってくれた薪だから捨てるなんてことは出来ないし、かといって使った形跡がないのもおかしいからね。備蓄しておけば、いざという時に役に立つかもしれない。一石二鳥ってやつだよ」

「……地下倉庫を掘ったのですか?」

「うん、コッソリね。俺以外は入れないようになってるから、バレる心配はないよ」


 慎重なのか大胆なのか分からない少年は、思い出したように続けた。


「あ、それと、お前たちが炊事当番の時は、こいつを使ってくれ」


 少年から手渡されたものは、滑らかに削られた一本の木の棒だった。

 短めの麺棒のような形状で、棒に沿って赤い縦線が一本引かれており、棒の片方の先端が黒く塗られている。

 その不思議な外観の棒を受け取り、少女は尋ねた。


「これは?」

「そいつは俺が作った魔法道具マジックアイテムだ」

「ま、魔法道具マジックアイテム、ですか……」

「あ、魔法道具マジックアイテムって分からないか? 魔法道具マジックアイテムってのは魔法が込められた道具で──」

「いえ、魔法道具マジックアイテムは分かりますが……これを、あなたが作ったのですか?」

「ん」


 と、少年はなんでもないように頷く。


「お前らがうちに来たから必要になると思ってな。作ってみた」

「……はぁ」


 少女は頭痛を堪えるようにため息を吐いた。


 これだ。

 この少年は、とんでもないことをなんでもないように言い、途轍もないことをさも当たり前のようにやる。


 少女が知る限り、魔法道具マジックアイテムを作成するには膨大な労力と資金、そして特殊な技能と只ならぬ才能が必要なはずだ。間違っても「作ってみた」気分で作れるものではない。

 やる事なす事すべてが常識に当てはまらず、普通からかけ離れ過ぎている。

 やはりこの少年は、異常なのだ。


「そいつはキーワード一つで《擬似空気燃焼エアフレイム》を発動させる魔法道具マジックアイテムだ。俺がいない時はそいつを使ってくれ」

「はぁ」

「かまどの中に立てて『ガスコンロ点火』と唱えれば火が点く。火を止めたい時は『ガスコンロ消火』と唱えればいい。

 火力はそこにある赤い線をなぞれば調節できる。上に向かってなぞれば大きく、下に向かってなぞれば小さくなる。

 あ、それと、使う時は先端が黒く塗られている方を薪の上から突き出るようにして立てろよ。火はその黒いところから出るから、そっちが上だ。くれぐれも薪を燃やさないよう注意な」

起動言キーワードだけですか? 魔力を込める必要はないのですか?」

「ああ、必要ない。ミュートとミューナも使うからな。あいつらはまだ魔力の込め方を知らないってお前が言ってたから、超簡易な魔力貯蓄機構を内蔵させて、俺の魔力を貯めておいた。使用限界はおよそ1万回、毎日3回使って10年保つか保たないぐらいだな」

「は、はぁ、そうですか……」


 頭痛が酷くなってきた少女はそんな曖昧な返事を返すだけで精一杯だった。


 魔法道具マジックアイテムの魔力供給方法は、大まかに二種類に分類される。


 一つは、使用する度に魔力を込める形式の「魔力注入型」。

 もう一つは、予め装填された「魔石」や「魔結晶」などの魔力を含む物質を消費していく形式の「魔石消費型」である。


 前者は謂わば人力に近いものがあり、バッテリーを必要としない分、延々と使い続けられるが、魔力を込めるという作業を要求されるため、使用する人間を選ぶ。

 加えて、使用者の魔力を糧に作動しているため、魔力切れの状態では扱うことができない。


 対する後者は、魔力を込めることができない者でも比較的簡単に使用でき、魔力切れになった状態でも使えるため、汎用性が高いが、代わりに魔力を含んだ鉱物を消費する。

 バッテリーとなる魔結晶や魔石に含まれる魔力を使い果たしてしまえば動かなくなるので、その都度高価な魔結晶や魔石を交換しなければならない。


 少年が作ったこの麺棒のような魔法道具マジックアイテムは、魔力の込め方をまだ学んでいないミュートとミューナにも使えるらしい。

 ということは、これは魔石消費型の魔法道具マジックアイテムなのだろう。


 魔法道具マジックアイテムは、その設計如何で魔石の消費速度が変化する。

 一般的な魔石消費型の魔法道具マジックアイテムの平均使用限度は、下級魔石一つにつき約100回。

 貴族や高ランク冒険者が使用する「魔石灯」などの高価で高性能なものは、同じ下級魔石を使っても使用限度回数が200から300回と比較的長持ちだが、庶民でもなんとか手が届く魔石消費型の火付け機ファイアースターターなどは80回も使えればいい方だ。


 そのことを知る少女は、頭痛を堪えるために目頭をを押さえることしか出来ない。


 少年が作ったこの魔石消費型の魔法道具マジックアイテムには、魔結晶や魔石らしきものは見当たらない。

 それで一体どうやって魔力を供給しているのか。

 というか、そもそも魔結晶や魔石の交換なしで10年も使い続けられる魔石消費型の魔法道具マジックアイテムなど、聞いたことが無い。

 いや、寡聞な村娘である自分が聞いたことが無いだけで、本当は世の中にはそういった途轍もなく素晴らしい魔法道具マジックアイテムが存在するのだろうが、間違いなくとんでもない値段になるはずだ。それこそ、超が付くほどの富豪や国を直接動かせるような大貴族でもない限り、お目にすらかかれないだろう。


 おまけに、その機能の豊富さである。

 薪で料理をする際、最も難しいのが火加減の調節だ。

 普通は薪の増減や風の送り具合で火力を調節するのだが、欲しい時に欲しい火力をピタリと調節するのは、それこそ熟練の料理人にしか成し得ない神業だ。

 それを指で赤い線をなぞるだけで解決できるなど、まさに夢のような魔法道具マジックアイテムだろう。

 その性能の高さは、素人目にもハッキリと分かる。


 燃料交換の必要がなく、10年も使える、超高機能な魔法道具マジックアイテム

 豪商や貴族に売れば、おそらく一生遊んで暮らせる大金になるだろう。

 そんなものを、この少年は「作ってみた」と言って自作し、「薪拾いが面倒」というたったそれだけの理由で自分のような一文無しの村娘にポンと手渡してきたのである。

 そんな事ができるのは、金銭感覚が崩壊している狂人か、物に価値を見いだせない生粋の厭世家か、物の価値を全く理解していない究極の愚か者しかいないだろう。

 果たして少年はこの内のどれなのか。


 どれでもありませんね、と少女は罪のない顔で自作の魔法道具マジックアイテムの使い方を説明する少年を見て嘆息した。


 この少年は、確かに異常だ。

 姿形以外の全てが異常な、徹頭徹尾の怪人だ。

 ただ、そこに悪い意味は一つもない。

 この売れば一生遊んで暮らせる大金になる魔法道具マジックアイテムも、彼にとっては「ただの道具」に過ぎないのだろう。自分たちが当たり前のように使っている火打ち石と同じように。


 楽にかまどに火を入れられるようにと、少年はこの魔法道具マジックアイテムを作ってくれた。

 そこには、優しさしか無い。

 少女を悩ませる要素は多々あれど、悪い気分は一欠片たりとも感じない。


「じゃあ、それやるから、うまい飯頼むな」


 と言って、少年は微笑む。

 そんな少年に釣られて、少女も少しだけ──ほんの少しだけ口角を上げた。


「分かりました。ただ、ハーブは植えたばかりですので、調味料は塩と青クルミしかありません。味に関してはあまり期待しないでください」


 あーそっかー、と唸る少年。

 そんな彼に、少女は少しでも美味しくなる献立を考えながら、手の中の魔法道具マジックアイテムを握りしめたのだった。






 ◆






 この家の家主である黒髪の少年は、相当な美食家である。

 そのことに、少女はかなり早い段階から気付いていた。


 堅焼きのパンと、野菜クズのスープ。

 どの村でも一般的に食べられているそれらを少年に出して、彼が満足したことは一度たりともない。

 少女としてはどれも食べ慣れた一般食でも、少年に言わせれば「出来の悪すぎる精進料理」だそうだ。

 この少年は「腹を満たすためだけに食べるのは獣だ!」「美味いものを食って初めて人は人たりうる!」などという過激な発言すらしたことがあるほどに、食に関しては妥協を許さない人物だ。

 極度の面倒くさがりである彼が食肉を得るために毎日欠かさず自ら狩りに出ていることがいい証明だろう。

 その食に対する執念は、並大抵ではない。


 少女から言わせれば、それはあまりにも贅沢な価値観だった。


 農民は常に食うや食わずの生活を送っている。

 秋の空ほど気まぐれな大地で作物を育てる農民は、実のところ博打打ちに近い稼業だ。

 豊作も不作も、女神様の御心のまま。農民にできることなど、只管に豊作を祈ることだけである。

 祈りが女神様に届いた年は、税金を払ったあとの食料が少しだけ多く残る。それらを油断なくやりくりし、節制に節制を重ね、できる限り余剰を出すように食べていく。大抵は残らず食べ尽くしてしまうが、少しでも余剰が出来たならば、女神の慈悲に感謝を捧げながらそれらを飢饉の備えとして蓄える。

 逆に祈りが届かなかった年は、残った糧食をできるだけ節約して食い繋ぎ、足りなくなったら有事の備えとして蓄えたものを消費する。もちろん雀の涙程度の蓄えなどすぐ底をつくので、腐った野菜の根から畑の害虫、果には麦殻や草の根、若い木の皮すら口にしてなんとか飢えを凌ぐ。


 餓死さえしなければ万々歳。

 それが農村における常識なのだ。


 質や味云々を求めるなど、贅沢の極み。

 少年の発言は、村に住む人間にとってはあまりにも非常識である。


 そんな少年と暮らし始めた当初、少女は彼のことを何処かの貴族か富豪のボンボンだと考えていた。

 これだけ常識から外れているのであれば、それは「住む世界が違うから」だろう、と。


 しかし、すぐにそれが見当違いだと分かった。


 我儘と命令しか口にしない傲慢な貴族や富豪とは違い、少年は連々と文句を垂れることはあっても、我儘は一度たりとも口にしたことがなかった。

 垂れる文句も、せいぜいが「味が単調」とか「肉食いたいなー」程度。彼が「あれを寄越せ」「これが無いとはどういうことだ」と無いものを要求したことを、少女はついぞ見たことがなかった。


 それもそのはず。

 欲しいものがないと感じたら、少年は真っ先に自ら行動し、それらを手に入れてくるからだ。


「味が単調」と思うときはハーブを採りに出かけ、「肉が食いたい」と思うときは肉を獲りに出かける。

 野菜が足りなければ育てる方法を考え、香辛料が足りなければ採取する方法を検討する。

 ただ天命と諦めて飢餓に喘ぐでなく、ただ不遇と嘆き呪詛を吐くでもない。

 少年は常に知恵を絞り、自ら行動を起こし、全ての問題を解決していくのだ。


 だから、少年の発言は非常識なれど、非情ではなかった。

 いや、寧ろとても建設的といった方が正しいだろう。


 自分たちを「ついでに」救ってしまえるほどに、建設的で優しい非常識。

 罵りの言葉であるはずの「非常識」という単語が、少年と出会ってからは意味合いが少しずつ変化してきている。

 そう少女は実感していた。




 そんな彼の非常識さは、この朝食の席でも遺憾なく発揮されていた。




 唐突に「今朝の朝食はいつもと違う献立がいい」と言い出した少年は、本日の炊事当番である少女の代わりに朝食を作った。

 献立は、堅焼きのパンと茹でた山菜のサラダ、そして具沢山で味の濃い野菜スープと、なんと禽類の玉子と塩漬けされたバラ肉の燻製(自家製)をフライパンで焼いた「ベーコンエッグ」なる料理だった。


 色鮮やかな半熟の黄身と香ばしく焼き上がった塩漬け肉の燻製に、少女は態度には出さないものの、内心で大いに驚いていた。


 前の村では「白鶏ホワイトチキン」という家畜を育てていたが、このピエラ村では養鶏が行われていなかった。

 環境がそうさせたのか、はたまたその知識と技術がなかったのかは定かではないが、この村では卵が取れる家畜を飼育している家は一軒も存在しない。

 ということは、この卵は森や山の何処かから取ってきたものということになる。


 鳥獣の卵にしろ、魔物の卵にしろ、それらを得るためには少なからず労力が必要になる。

 広大な森と山に背を預けているとは言え、卵のある巣など何処にでもあるというものではない。森と山の中を歩き回り、獣や魔物の生息状況と樹々の生え具合などを観察しながら探す必要がある。もちろん、相手も我が子を守ろうと抵抗してくるので、ある程度の妨害や攻撃は覚悟しなければならない。

 一口に卵のある巣を見つけると言っても、そこには中々に骨の折れる仕事が待っているのだ。


 そんな苦労しなければ手に入らないはずの玉子が、芳しい香りを放ちながら、当然のように皿に収まっている。

 驚くなと言う方が無茶だろう。



「わーい! 玉子だ!」


 席につくなり、双子の片割れである幼いエルフの女児が、大きな歓声を上げた。


「やったー! おれ、玉子大好き!」


 もう片方の片割れである幼いエルフの男児も、興奮した様子で木匙を手に取る。


「……この卵、何処で手に入れたのですか?」


 躊躇なくパクパクと料理を口に放り込む双子の隣で、見た目も美しい朝食を見つめながら少女は少年に問う。


「うん? 前にジャーキーが獲ってきたやつの残りだ。何の卵かは俺も知らん」

「……正体不明の卵をよく食べる気になれますね……」

「魔法で調べたけど、別に毒も寄生虫もなかったぞ? 味に関しても、もう何回も食ってるから保証できる」

「いえ、そういう意味ではなく……気分的な問題です」

「気分ねぇ……。まぁ、分からんではないけど、とりあえず食ってみ。美味いから」


 少女とて少年を疑っているわけではないし、ましてや出された食事に文句を言っている訳でもない。

 玉子料理などこの上なくありがたいし、こんなに豪華な食事は祭りでもなければお目にかかれない。

 そもそも、朝食を食べれるというだけで、感謝を大旗に書いて振り回したいくらいだ。


 ただ、少年のその慎重に見えてとても適当な性格が、どうしても放っておけなかった。

 なぜだか無性にツッコミを入れたくなってしまう、そんな変な意識が少女の中で芽生えてきていた。


「んめぇーー!」

「おいしーー!」


 幼いエルフの双子が木匙を高々と掲げて喜びを表現する。

 子供特有の元気さに、少女は微笑ましそうに目を細め、自分も焼いた玉子を口にする。

 そして「美味しい」という呟きを口の中で転がした。


 少女の呟きが聞こえたのか、少年は満足げに頷いてから自分の分の朝食に手をつけ始める。


「ん。個人的にはコショウが無いのが残念だけど、これはこれで悪くないな」


 またもや贅沢なことを呟きながら、少年もパクパクと匙を口に運びだした。


 和気藹々とした朝食の始まりである。



 これもかなり早い段階で判明したことだが、少年はとてもよく食べる。

 何処にそれだけの量が入るのかと思う程に、この細身の少年は大食漢だった。

 普通の人間ならば3食分になる食べ物を、まるでおやつでも食べるかのようにペロリと平らげるのだ。それも一日3食、全てにおいて。

 一日で10人前近い食料を消費してしまうなど、大食で知られる獣人族やドワーフ族でも、それ以上によく食べるパルタゴン族でもそうないことである。


 本人曰く「燃費が悪いのは生まれつき」。

 要するに、たくさん食べなければすぐにお腹が空いて動けなくなってしまう、ということ。

 貧しい農村で暮らすには些か難儀な体質と言える。


 ただ、そのことは村人全員が承知しているらしく、村長のベンは「そんなの大したことないよ」と笑っていた。

 考えてみれば、たかだか三人分の食料を提供するだけで、村専属の薬草師が手に入るのだ。村人からすればお得すぎる買い物だろう。

 大食というだけで彼を疎む村人がいないのも頷けるというものである。


 それに、少年は三人分の食料を食べてはいても、一向に太る気配がない。

 太りでもすればそれは「食べなくてもいい量を食べて肥えた」ということで「食料の無駄」と考えられなくもないだろう。

 しかし、少年は依然、村の大抵の男性よりも細いままだ。

 この事実だけでも、彼が食料を無駄に消費している訳ではないと証明できる。


 彼が大食であることに気を悪くしている人間は、このピエラ村には存在しない。

 存在しないどころか、逆に彼の背中をバシバシと叩いて「お前はヒョロいからもっと飯を食え!」と笑いながら促す村人を、少女は何人も目撃している。

 皆、少年を村の一員として受け入れているだけでなく、それなりに慕っているのだ。






 ◆






 朝食後、家主の少年は決まって薬品製造のために調合部屋に籠もる。

 とは言っても、いつも数分で仕事が完了するようで、すぐに出てくるのだが。


「あちゃ~~。まぁたやっちまった〜〜」


 朝食の後片付けを終え、ちょうど調合部屋の前を通り過ぎるところだった少女は、そんなことを言って部屋から出てきた少年と鉢合わせた。


「どうしました?」


 そう尋ねられた少年はポリポリと後頭部を掻きながら、バツの悪そうな顔をしていた。


「いや〜、それがさ、ちょこぉ〜っと薬の調合に失敗しちゃってさ」

「またですか……」


 失敗。

 つまり、貴重な薬草を無駄にしたということ。

 それは薬草師である彼にとっても、そして彼の薬を心待ちにしている村人達にとっても大いなる損失となる。


 しかし、少女は知っている。

 少年の「失敗」は、本当の意味での「失敗」ではないということを。


「ごめんちゃい……」


 幼児退行したかのように小さくなって謝る少年。

 その手には、くだんの「失敗した薬」が入った瓶が握られていた。


「……今回もまた一段と眩しく輝いていますね」

「込める魔力量の調節に失敗しちゃった♪ てへぺろ☆(・ω<)」

「……(ジトッ)」

「ごめんちゃい……」


 少女に湿度の高い目で睨まれ、可愛くもない悪ふざけをしていた少年は手に握っている薬瓶を隠すように小さくなった。


 そう。

 少年の作った「失敗作」は、眩しいほどの輝きを放っていたのだ。


「はぁ……」


 と、少女はため息を吐く。


 誰でも知っている常識だが、光り輝くポーションは伝説の霊薬だ。

 一滴でも口にすれば万病を退け、一口でも飲めば死の淵からすら引き戻される。

 今では誰も作ることができず、世界中を見渡しても数本しか残されていない、文字通り伝説の逸品。

 少年が「失敗して」作り出したものは、まさにそんな伝説の霊薬だった。


 最初にそれを見た時は、流石の少女も声をあげて仰天したものだ。

 当たり前だろう。伝説やお伽噺の中にしか出てこないものが、実物として目の前に現れたのだ。誰だって平静ではいられない。


 驚きが過ぎ去った後にやってきたのは、大いなる呆れ。

 本当にナインらしいですね、と深いため息をついたのを少女はよく覚えている。


 少年が伝説の霊薬を作り出せるという事実に関しては、もはや諦めている。

 もはや「ドラゴンをペットにしているのですから、伝説の霊薬くらい作れても不思議ではありませんね」と強制的に受け入れ、一切の疑問に目を瞑り、根拠の追求という煩雑な過程を完全に省いたのだ。

 この家において「何故」という言葉が何の意味もなさないことを、この賢い少女は早々に学習していた。大切なことは黙って受け入れることだけである、ということも。

 だから、少女が呆れたのは、なにも少年が伝説の霊薬をいとも容易く作り出したからではない。


 呆れたのは、彼にとって伝説の霊薬が「失敗の産物」である、というところ。


 少年が最も気にしていることは、彼の「正体」が周りに露見しないことだ。

 そのため、彼はわざと効き目の高い薬を薄めて村人に配っている。

 事実、少女が誤って手を切ったときに少年から渡された薄める前の傷軟膏は、塗った瞬間に傷口を跡形もなく治してしまった。


 少年にとって所謂「伝説の霊薬」というものは、「無駄に目立つ失敗作」でしかないのだ。


 万病に効き、どんな傷をも癒やす。

 それは、命をもう一つ手に入れることと同義だ。


 時の権力者たちが躍起になって手に入れようと死力を尽くす、伝説の霊薬。

 製薬を生業とする全ての人間が至高の目標と定める、究極の秘薬。

 生ある者すべてが喉から手が出るほど欲しがる、幻の至宝。

 もはや求めても誰も手に入れられない、無二の秘宝。

 そんな無価の品を、この少年は「うーん、どうすっかなー、これ。捨てるのももったいないし……あ、そうだ、オルガ、これ飲む?」と言って、まるで残飯の処理を任せるかのように自分になすりつけてくるのだ。


 これほど異常なことがあるだろうか。


 だから、少女は呆れるしかなかった。

 失敗作が伝説の霊薬で、いらないから処分を手伝って欲しいとは、なんともナインらしいですね、と。


 これぞ究極の無駄。

 これぞ奇怪の極致。

 これぞ少年の特質ナイン・クオリティ

 実に非常識で、実に異常で、実に少年らしい。


「前から疑問だったのですが、これを薄めて使うことはできないのですか?」

「それが、できないんだよね〜。

 それ、元はただの膝痛を治す薬で、本来なら擦り切れた軟骨の再生を促す程度の効果しかないんだけど、込める魔力量を間違えたから、もう殆どシャイニングエリクサーと同じになっちゃっててさ。濃度を一万分の一まで薄めても、四肢切断ぐらいなら5秒未満でくっつくし、部位欠損なら10分もあれば完全に生えてくる。

 もはや完全に別物になっちゃったんだよ」

「そうですか…………」

「な? そんなスーパー再生薬、村の皆に渡せないだろ?」


 盛大にため息を一つ吐いた少女は、仕方なく瓶を受け取る。


「分かりました。これはいつもどおり、私が処分しましょう。これからはなるべくこのような『失敗作』を作らないようにしてください」

「は〜い。いつもすんませんね〜」


 苦笑いを浮かべる少年から青白く光り輝く瓶を受け取り、少女はゆっくりと中身を飲み干す。

 瞬間、まるで大河のような魔力の奔流が少女の中を駆け巡った。

 元々あまりなかった疲労は途端に体から霧散し、力が全身から一気に湧き上がる。

 今ならばなんでもできる、そう思わせるほどに体が元気になっていく。

 まるでドラゴンか何かに生まれ変わったかのような感覚だ。

 何度体験しても慣れないが、悪い気は全くしない。

 寧ろ、癖になりそうな爽快感と万能感だ。

 これぞ正しく「伝説の霊薬」、驚嘆すべき効能である。


 この村の人間は世界で一番幸運ですね、と少女は改めて確信する。


 これほど素晴らしいポーションを作れる少年が村人のために作った薬は、言うまでもなくどれも効果抜群だ。

 少年がこの村に来てから、軽い怪我を負った者は誰ひとりとして傷を悪くしていないし、病気になった者は誰一人として症状を拗らせていない。長年病に悩まされていた者に至っては、全員が徐々に確実なる完治へと向かっている。

 これほど医療に恵まれた村は、恐らく世界の何処にも存在しないだろう。

 少年のピエラ村への貢献は、言葉にできないほどに大きい。

 それは恐らくこの村の人間が最も理解しているだろう。

 だから皆、少年を信頼し、酬いろうとしているのだ。


 空になった瓶を少年に返す少女。


「相変わらずの効果ですね。無駄に元気になりました。毎度のことながら、何かイケナイ成分でも入っているのではないかと疑いたくなります」

「んなもん入ってねぇよ。ドーピング薬じゃないんだから」

「あなたなら作りかねないのでこうして注意しているのですが」

「だから作らねぇって。俺を何だと思ってるんだ」

「……正体を偽っているワケアリの自称薬草師?」

「いや確かに『正体を偽って』いて『ワケアリ』で『自称薬草師』だけども! やめてくれない、そのいかがわしい言い方!? ヤバイ逃亡犯みたいに聞こえるから!」

「似たようなものでは?」

「ぜんぜん違うわ!」


 地団駄を踏みながら反論する少年の姿に、少女は微かに笑みを浮かべる。


 こんな風に誰かと下らない会話を楽しんだのは、いつ以来だろうか。

 もしかしたら、故郷の村でもこんなに心置きなく誰かと話をしたことはなかったかもしれない。


 見れば、少年も苦い顔をしながらも、確かに口元が綻んでいた。

 少年も、このくだらないやり取りを楽しんでいるのだろう。


「では、もっとまともな薬を作ってください」


 そう言って、少女は緩む口元を隠すようにその場を後にしたのだった。

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