24. This is my design
まどろみは思い出を運ぶ。望むと望まざるに拘わらずに──
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「なぁ、師匠。折角バルセロナに来たんだから、修行じゃなくて観光しようぜ。ほら、サグラダ・ファミリアとかさ」
「なに言ってんだ、九太郎。バルセロナに来たからこそ修行なんじゃねーか」
「なんでだよ。どうせまた対9次元攻撃魔法の防壁の組み方とか、そういうのを
「前にも言ったろ。若い頃に痛い思いを沢山した分、歳とったら時に楽できるって」
「そんなの大人の理屈だ! そんなことを言うのは後悔を残したダメな大人だ!」
「なんだ、その『学校の勉強なんて将来役に立たない!』とほざく中学生みたいな台詞は」
「だって俺、現役の中学生だもん」
「……そういえばそうだったな……。
おっほん!
いいか、九太郎?
無駄な知識なんてこの世に一つも無いんだ。微分積分なんて勉強しても意味ないとかよく言うけど、例えば工業生産、特に生産系機械のプログラミングなどでは微分積分は基礎中の基礎、必須の知識だ。切削加工に使われる旋盤やスライス盤を綺麗な弧を描くように動かすには、曲線に対応する微分方程式をプログラムしなければならない。他にも経営マネジメントから国防まで、ありとあらゆる分野で使われる非線形計画法なんかは、微積なくして語ることすら出来んぞ。つまり、微分積分ができないやつは『エンジニア』という幅広い将来の道を閉ざされることになるってわけだ」
「そんな専門的なこと、中学生に分かるわけないじゃん」
「うむ、それはちゃんと子供たちに説明してやらない学校の先生が悪い。現国ができない奴は事務仕事に就けないとか、世界史ができない奴は証券マンになれないとか、物理ができない奴はSF小説が書けないとか、そういう具体例を挙げてやらんとな。ただ単にテストがどうのこうのじゃ誰もやる気なんて出ないだろう」
「じゃあ俺じゃなくて、学校の先生に言ってよ。っていうか、俺は学校の成績完璧なんだから俺に愚痴んなよ」
「お前は普通の中学生じゃなくて魔法使い少年だろうが。微積や世界史ていどは完璧にできて当然だし、勉強の重要性を理解していて当然だろ」
「なんだよその『魔法少女』みたいな言い方……。だいたい、学校の勉強と修行じゃあ意味合いが全然違うだろ」
「なにを言う、九太郎。学校の勉強も魔法使いの修行も同じことだ。学生のうちに学習能力と思考能力を養わなければ、将来就職に苦労する。それと同じように、修行のときに痛い思いをしなければ、似たような状況になったときに完璧な対応ができなくて更に痛い思いをしてしまう。行き当たりバッタリのアドリブで乗り切れる相手ならいいが、この前手合わせしてもらった
「あの『ロリババア』と『おっぱいお化け』が相手の場面なんかそうそうねーよ! 一人は人類最強の一角で、もう一人は五本の指に入る大魔法使いだぞ!」
「分からんぞ? もし弥生が今のお前のロリババア発言を聞いていたら、多分全力でお前を消しにくると思うが?」
「……怖いこと言うなよ師匠……。あのロリバ……若々しいお姉さまだったら、本当にどっかで聞いていそうで洒落にならねぇんだよ……」
「でも、一度手合わせをしてもらって、その身であいつの攻撃を食らった今なら、あいつのこともそれほど怖くないだろ?」
「いやいやいや! 今でも十分に怖いよ!? レベル1の状態でレベルカンストの裏ボスと戦うぐらい怖いよ!」
「そうか?」
「そうだよ! もう、なんで師匠の友達や元カノはああいう化け物ばっかなんだよ!」
「あれで結構可愛いところあるぞ、あの二人」
「……お願いだから、そういう親の恋愛遍歴みたいなのを子供に聞かせるのやめて。……でもまぁ、確かに弥生さんのあの対人地雷みたいな魔法は初見殺しだよな。っていうか反則だろ。訓練じゃなかったら、絶対に蜂の巣にされて即死だよ」
「だろ? けど、今ならあの《
「まぁそうだな。大抵の魔法防壁を貫通してくるから、逆に防壁じゃなくて《
「あいつと手合わせしてボッコボコにされたから、お前も魔法防壁が唯一の防御方法じゃないって分かったろ」
「……うん」
「でもそれ、俺が口で言って理解できたか? できないだろ? 磁気で弾道を逸らすとか、回りくどくて非効率的な防御方法だと思うだろう? とどのつまり、痛みを伴う修行だったからこそ得るものが大きかったんだよ」
「……なんだろう、物凄い納得いくようで納得いかないんだけど……」
「まぁ安心しろ。今回の修行は痛くないやつだから」
「え、ほんと?」
「ああ。お前、『ドン・ファン・テノーリオ』って人、知ってるか?」
「あの有名なスペインのプレイボーイの?」
「そ。今回はそいつの子孫に会いにいく」
「えっ!? あの人って御伽噺の登場人物じゃないの!?」
「実在する人物、それも結構凄腕の魔法使いだったんだよ、ドン・ファン・テノーリオ氏は。専門はホルモン分泌学だったらしい」
「なにその歴史の裏に隠された知られざる真実……」
「彼は内分泌をコントロールして色んなフェロモンを自在に操作できる、フェロモン分泌操作の第一人者だ。まぁ、研究初期はなかなか上手くいかなかったらしいけどな。コントロールしきれずにフェロモンが大量に漏れ出てしまって、それに影響された周りの女性達が全員、氏に惹かれちゃったぐらいだからな。そのせいでプレイボーイと呼ばれるようになったらしい」
「マジかよ……。そんなガス漏れみたいな経緯で『女誑しキャラ』が世に残っちゃったの? 可哀想すぎるでしょ、テノーリオさん……」
「まぁ、安全対策をちゃんと施さなかった彼が悪い、っていう面もなきにしもあらずだがな。協会が事後処理に奔走するに至って、氏はめちゃくちゃ怒られたらしいしな」
「で? 俺は何を学ぶの?」
「ホルモン分泌をコントロールする術だ」
「それで? 俺にそれを勉強させて、ドン・ファンみたいに女を誑かせと?」
「そ」
「……思春期の中学生男子にとってはあまりにもご褒美過ぎやしませんか、この修行? ……どんな裏があるの?」
「そんなに怪しむなよ、我が可愛い(笑)弟子よ」
「おいあんた、今ちょっと鼻で笑ったろ!」
「気のせいだ、気のせい。今回の修行がお色気満載のサービス回だってのは本当だぞ。甘い飴の後にきっつい鞭が待っている、なんてことはないから」
「信用ならん。連続で10回ほどきっつい鞭を食らわせた後に更に10回ほど蝋燭を食らわせる人だからな、あんたは」
「んなことねーってば。これも諜報術の訓練の一環だ。
情報を集めたり行動を起こしたりするには、時には女性を誑かして協力させる必要がある。一流のスパイなら誰にでもできることだし、誰でもやっていることだ」
「俺、スパイじゃなくて魔法使いなんだけど……」
「魔法使いにも必要なんだよ、スパイの技──諜報術ってやつが。特に、この科学全盛の世で魔法使いが安全に暮らしていくためにはな」
「まぁ、痛くなければなんでもいいけど」
「ついでにモテモテにもなれるしな。あ、ちなみに、このホルモン分泌操作ができるようになったら、早速実戦な。習得し次第アメリカに飛んで、とある製薬会社の社長令嬢を誑かして、次の四半期の決算予想を3日以内に聞き出して来い」
「はぁ!? 無茶振りにも程があるだろ! っていうか、決算予想なんか聞き出してどうするんだよ! インサイダー取引に手を染めるつもりか!?」
「んな訳ねーだろ。我が家が金に困っていないことはお前も知っているだろ? ただ単に俺がサイコロ振って決めた実戦の課題がそれだったってだけだ。最悪、中国の核ミサイル発射コードとか、イギリスのMI6の構成員名簿だった可能性もあったんだぞ? それらと比べれば、一企業の決算情報なんて楽なもんだろう」
「……あんたって人は……」
「喜べ、お相手の社長令嬢は21歳の超美人さんだぞ」
「それは……素直に嬉しいけど……」
「むっつりめ」
「あんたみたいなフルオープンスケベよりはマシだ」
「あ、でも一応
「分かってるよ。相手は成人なんだから、俺と一線越えたりしたら逆に向こうの方が犯罪者になっちゃうから」
「うむ。訓練に付き合わせてもらってるんだから、迷惑はかけないようにな。それに、童貞は守れるだけ守っとけ。一度失ったらもう二度と取り戻せないからな、童貞は」
「人の童貞を『信用』みたいに言うな。こんなもん、捨てられるんだったらさっさと捨てるわ」
「一定の年齢まで童貞を守り通したら立派な魔法使いになれると聞いたぞ?」
「いやそれ、違う意味の『魔法使い』だから。ネットスラングだから。一種の皮肉だから」
「そういうもんか?」
「あーあ、折角スペインに来てるのに、今回も観光はなしか……」
「大体、観光なんて言うけど、お前は何を見たいんだ? サグラダ・ファミリア? あんな超大型魔導兵器のどこがいいんだ?」
「…………ちょっと待て。サグラダ・ファミリアが何だって? 超大型魔導兵器?」
「知らんのか? あれは大魔法使いだったガウディー氏が対大型飛来物用に作った迎撃兵器だぞ?」
「…………(ポカーン)」
「ガウディー氏は隕石による人類滅亡を恐れて、それを防ぐ大掛かりな魔導装置を作ろうとしたんだ。一般人に疑われないよう、教会に偽装してな。あの聳え立つ塔の数々、砲塔みたいだと思ったことないのか?」
「んな小学二年生みたいな発想あるわけねーだろ!」
「すでに完成したあの4本の塔はスペイン全域を覆うことができる魔法障壁を展開する機構で、未完成の中央の塔が隕石を蒸発させる攻撃魔法を発射する魔道装置らしい。100年経った今でも未完成なのは、膨大な出力を生み出すエネルギー源などの技術的問題が未だに解決していないからだ」
「それ、もはやただのデ◯・スターじゃねーか!」
「まぁ、惑星大の飛来物の破壊も視野に入れていたらしいからな。デス・◯ターと言っても過言ではないだろ」
「し、知りたくなかった……まさかバルセロナの偉大な文化遺産にそんな用途があったなんて……」
「『そんな用途があった』じゃなくて、『そっちの用途の方がメイン』だな。ちなみに、俺は密かにガウディー氏のことを『髪の毛があるパル◯ティーン皇帝』と呼んでいる」
「……もうサグラダ・ファミリアを純粋な目で見れない……。あと、ガウディーが魔法使いだったなんて初めて知った……」
「こうして世の真実を知ることで、人はちょっとずつ大人になっていくんだよ」
「なら俺、ピーターパンでいい……真実なんていらない……ネバーランドに行く……童貞も捨てない……」
「うんうん。それがいい。それでこそ我が弟子、九重九太郎だ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
やがて暖かい思い出は記憶の彼方へと帰り、現実が意識を引きずり起こす──
「はっ、夢か……」
一度は言ってみたい台詞を口にしながら、俺は身を起こした。
いつの間にか寝てしまっていたらしい。
夢を見ていたような気がするが、内容はもう覚えていない。
ただただ、暖かくて懐かしい残り香だけが心をくすぐっている。
この感覚は覚えている。
以前、同じような経験があるから。
多分、昔の夢だ。
恐らく、師匠の夢だ。
もう随分長いこと夢を見ていないような気がするのに。
なぜ今になってまたこんな夢を見るようになったのだろうか。
こんな時は、ただただ侘しいと感じる。
唯一の家族を失い、一人きりになってしまったのだと、改めて認識させられてしまう。
どうやら俺はまだまだ弱いままです、師匠。
少しだけ重い瞼を擦り、少しだけ重い気持ちを払拭する。
陽の光が射す
まだ昼の1時なので、当たり前といえば当たり前なのだが。
玄関ではバームが今日も定位置でとぐろを巻いて寝ていた。
相変わらずよく寝るやつだ。
バームを起こさないよう静かに扉を開け、外に出る。
春の日差しが暖かく降り注ぎ、再び眠気を誘おうと鼻の奥をくすぐる。再び重くなろうとする瞼を意志の力で無理やり持ち上げる俺のなんと勤労なことか。
裏手に回ると、そこには三つの人影があった。
「あ、おにいちゃん。今、土を掘り返しているところなの」
笑顔のミューナが元気よく腕を振る。
「ここら辺はもうちょいで耕し終わるぜ、にいちゃん!」
土まみれのミュートが鍬をブンブンと振り回す。
「危ないですよ、ミュート。鍬は一種の凶器なのですから、振り回してはいけません」
クールなオルガがミュートを叱る。
彼女はミュートと9歳しか離れていない筈だが、こういう場面を見るとまるで母親のようにすら見える。
ちなみに、ミュート・ミューナの双子は、一応ミューナが姉でミュートが弟らしい。双子だからそんなの関係ないと本人たちは言っているが、ハッキリさせておくことはいいことだ。
なぜ彼女たちが我が家の裏庭を耕しているのかと言うと──
「ご苦労さん。薬草やハーブ、野菜は栽培できそうか?」
「はい。薬草は専門外なので分かりませんが、ハーブと野菜に関しては土の状態がいいので問題ありません」
そう。
我が家では今、ハーブと野菜、そして薬草の自家栽培に着手しているのである。
これが俺の見立て──オルガたちを助けた当初から考えていた、彼女に用意した仕事だ。
三人の中で一番力持ち(になるはず)である男の子のミュートには、野菜の栽培を担当してもらっている。我が家の庭師 兼 野菜栽培師である。
器用で愛くるしいミューナには、家事全般と俺が留守している間の店番を担当してもらっている。我が家のメイド 兼 看板娘である。
村娘にしては豊かな教養を有する超絶美少女のオルガには、薬の調合のお手伝いとハーブの栽培、ついでにミュート・ミューナの補助を担当してもらっている。俺の秘書 兼 我が家のハーブ栽培師 兼 雑務係である。目処が立ったら、彼女には薬草の栽培も任せるつもりだ。
さて、
それは勿論、色んな調味料と野菜が欲しいからである。
我がピエラ村では一応、自給のために麦以外の野菜を数種類ほど栽培している。
が、如何せん副業であるため、種類も量も圧倒的に少なく、質もかなり悪い。
お肉大好きな俺だが、もちろん野菜も大好きである。
野菜は毎食たべるようにしているが、この村には枯れたカブや古いニンジンみたいな根菜か、萎びたほうれん草みたいな葉野菜しかない。
流石にこれでは侘びしすぎるし、栄養学的にも問題がある。
それだけではない。
この世界の農村では、調味料が塩や木の実ぐらいしかない。
炒め物であれ、煮物であれ、焼き物であれ、料理の味付けはシンプル極まりない塩味一択。たまに酸っぱ渋い果物や青くて苦い木の実をすり潰して入れて味を変えることもあるが、舌の肥えた現代日本人である俺からすればお世辞にも美味しいとは言い難い。
醤油と味噌が何よりも恋しい今日この頃です。
めそめそ……。
そんな欧米の病院食のような食生活を今の今までただひたすら耐え凌いできた俺だが、
「野菜と調味料がないのなら、自分で作ればいいじゃない!」
かの有名なマリーさんも、こんな素晴らしく建設的なことを言っていれば、革命を起こされずに済んだだろうに。
まぁ、あの話は後世の作り話で、本人はそんなこと言わない至って真面目な人だったらしいけど。
閑話休題。
そんなわけで、我が家では家庭菜園を絶賛建設中である。
結局俺が食べたいだけじゃないか、って?
そんなことは……まぁ、あるけど、あくまでそれは動機の一割でしかない。
……本当だよ?
何を隠そう、これこそ俺が先日村長に提案したこと。
即ち、オルガたちの納税方法だ。
オルガたちだけでは──例え俺を含めたとしても──税を払えるほど大量の麦を栽培することはできない。これは純然たる事実だ。
ならば、別の方法で払えば良い。
情報収集のときに他の村で聞いたことなのだが、町へ出かけた村人が「町の飯の美味しさが忘れられなくて毎日が辛い」とボヤいていた。
大の男にそんなことを言わせるほど町の食事が美味しい、というなんてことない話なのだが、それは言外に村での食事の味気なさを示唆している。
誰だって美味しいご飯が食べたいし、それを実現してくれる多種多様な野菜と調味料が欲しい。
抗い難い人間の本能、如何ともし難い自然の摂理なのである。
しかし、比較的裕福なこの村でも、流石に多種多様な調味料や野菜の栽培までは手が回らない。
だからみんな買うと高くつくそれらを我慢し、代わり映えしない塩味のみの質素な食事に甘んじているのだ。
つまり、俺が欲しているものは、他のみんなも欲している、ということ。
こんな
俺が考えた納税方法とはズバリ、オルガたちに野菜や調味料になるハーブを栽培させ、それを村の皆に提供する代わりに、村全体で彼女たちの税を肩代わりしてもらうというもの。
村の主産物が麦とはいえ、
かのイエス・キリストも「人はパンのみにて生くる者に非ず。ご飯とおかず、肉と野菜をバランスよく取ることによる」って言ってたしね。(誤)
野菜は、食卓を豊かにするばかりでなく、腹も膨らませる。
挽けば急激に量が減る麦と違い、野菜は捨てるところが少なく、いい意味で嵩張る。
一斤パンがなくとも、キャベツをまるまる一玉食べれば同じように腹は膨れる。純粋に「収穫量」という指標で見れば、野菜は麦よりも断然優秀なのである。
徴税分の麦を栽培しようと思えばとんでもない量になるが、300人にちょっとずつ配る程度の量の野菜であれば、ミュート達でもなんとかなる。栄養云々を抜きにしても、かなり割の良い作物だと言えるだろう。
自宅の畑での栽培だから、俺も魔法で土壌改善したりしてこっそり手伝えるしね。
野菜があって困ることはまったくない。寧ろ、これまで欲しかったけど手に入らなかった物が食べられるので、みんなハッピーだろう。
オルガたちが村に野菜を提供すれば、それは村に対する大きな貢献になる。税の肩代わりも喜んで引き受けてもらえるだろう。ちょうど薬草師として村に貢献して税を肩代わりしてもらっている俺みたいに。
それはオルガの手がけるハーブ栽培も同じ。
買うと高く付く
高くて買えなかったものを提供するのだから、感謝されない筈がない。
このトレードシステム、実は俺のオリジナルアイディアではなく、他の村で見て知ったもの。
もともとは未亡人たちが一人でも何とか生きていけるよう編み出された、一種の救済措置だった。
俺が見たかぎり、働き手を失った未亡人たちは、他家の畑仕事の手伝ったり、自分で小規模な野菜栽培をしたりして、彼女たちなりに村全体に貢献していた。そして、それを対価として村全体で税を肩代わりしてもらう、という形で辛うじて生計を立てていた。
要は、村に何らかの形で貢献し、皆に利益をもたらせればいいのだ。
女と未成年だけでまともな働き手がいないという状況だけ見れば、オルガたちは未亡人たちと大差がないと言える。
それで俺はこの方法を一部真似ることを思いついたのだ。
オルガたちでは大量の麦を提供することはできないが、少量の野菜と
そして、一度でも美味しい野菜と調味料を口にすれば、それらがないと耐えられない舌と身体になる。
腹黒い話になるが、村人たちがオルガたちに依存するようになれば、彼女達の定住もすんなり受け入れられるだろう。
現地への潜入方法その2:存在価値を示せ、である。
とは言っても、少量の野菜と
ぶっちゃけ、都市部の住民や商人ならいざ知らず、農村の人間からすれば
実際、みんなそうやってこれまで生きてきたのだから、税金と同じ価値を見出すなどと期待することはできないだろう。
そこで、薬草の栽培である。
我が家で栽培された薬草は、町の商人に売りつけて現金にし、村の予算としてプールするつもりだ。
この世界の農村は、常に現金が不足している状態にある。
主産物である麦は、税を支払って自分達の食糧を確保したら、それで終わりだ。売って換金する分の麦など、手元には残らない。
それどころか、地域や天候によっては自分達の食糧の確保すら覚束なくなるので、売って現金に変える麦があるなら、自分達で食べる方が遥かにマシだと考える。
現金を得る手段など、ほぼ無いのである。
それはこのピエラ村でも同様で、殆どの人間が現金を持っていない。
村長が纏めて管理している村の予算──予算とは言っているが、要は緊急時に使うために村人からちょっとずつ集めた「価値ある物品」で、国や領主から何かを支給されているわけではない──も、殆どが塩や釘などといった現物のみ。貨幣などの現金は無いに等しい。
農民個人ならまだしも、なぜ村単位でも現金を残さないのかと言うと、答えは簡単で、現金が
村で現金が必要となるのは、大抵が緊急時である。
例えば病気や怪我、食糧不足、魔物による被害が発生した時などだ。
しかし、この緊急時にこそ、現金が役に立たない。
病気や怪我には薬が必要だが、町まで買いに行っている間に患者が死んでしまう場合が殆どだ。食糧難も、雀の涙ていどの「予算」で乗り切るのは絶対に不可能。魔物に襲われたら、もう村を捨てて逃げるしかない。
このような農村特有の実情が、現金を無用の長物へと変えてしまっている。
いざという時に使えないなら、まだ何時でも使えて尚且つなくなったら困る塩や釘などを蓄えておく方がいくらかはマシというもの。
だから、農村には現金が殆どないのだ。
ところが難しいことに、現金がまったく必要ないのかと問われると、それは違うと答えざるを得ない。
言うまでもなく、仕事道具である農具は、衣食住に並んで大切なものである。
しかし、道具である以上、磨耗や経年劣化は避けられない。
農具を修理できる人間がいる村はとても少なく、かと言って壊れたら即座に新調することができるほど農民は裕福ではない。
殆どの村では修理の必要がある道具を集めて町の鍛冶屋へと持っていき、村の予算から費用を出してまとめて修理してもらう、という形をとっている。
現金が必要なのは、まさにこういった時だ。
物々交換をしてくれる行商人と違い、街では金がなくては何もできない。
入市税に修理代、修理が終わるまでの宿泊費や食費などの滞在費、そしてその他諸々の雑費と、金の使い所は枚挙にいとまがない。
他にも、街のギルドなどに依頼を出すこともある。
土砂崩れや大規模な獣害などの大事であれば、行政側が全ての出費を負担して解決してくれるが、細々としたこと──例えば、老朽化して崩れた井戸の修理や、ちょこっとだけ畑を荒らしていく鬱陶しい害獣など──は、自分たちで解決するしかない。
こうした公費で落ちない案件を街で依頼する際にも、報酬という形で現金が必要なのだ。
普段は有っても使い道がないくせに、いざ必要となった時にないと非常に困る。
それが村人にとっての現金なのだ。
何がどうであれ、現金は多いに越したことはないし、お金が多くて困ることは滅多にない。
村の現金が多くなれば、農具を木製ではなく鉄製に買い換えることだって出来る。それは村人の作業効率と生活水準の向上にダイレクトに繋がるだろう。
だからこそ、俺が「うちで栽培した薬草を行商人に売って、そのお金を村の予算としてプールする」と提案したとき、村長は飛び上がらんばかりに大喜びしたのだ。
野菜・調味料・現金のトリプルコンボ。
オルガたちは税金を代わりに払ってもらえて、村の皆は美味いもの食えて、村自体に現金が入って潤う。何より、俺が美味しいご飯にありつけて、俺が楽できる。
誰にとっても損のない話である。
俺が村長にこのことを提案したその次の日に、村人全員から賛同のお声を頂戴した。
そして、彼らはオルガたち三人を村の「食生活向上委員」兼「現金調達係」に任命したのだった。
もうちょっと良い役職名なかったんかな……。
そんなわけで、オルガとミュートとミューナの三人は無事、村にとって欠かせない構成員となり、我が家では念願(主に俺の)の栽培活動が開始されたのだった。
「栽培するものはもう決まっているのですか?」
鍬を持ったオルガが尋ねてくる。
「野菜に関しては、村長の家に幾つか種があるらしいから、それを植えよう。種類を増やしたければ、あとで行商人のフレッドさんから種を買えばいいかな。
薬草に関しては、フレッドさんに売れる薬草の種類を既に聞いてあるから、それを植えればいいよ。ついでに、裏山で幾つか面白いものを発見してるから、それらも試してみたいかな」
「では、私も山へお供しましょう。知っている山菜があるかも知れませんので」
「ありがとう、助かるよ」
「オルガ姉ばっかズルいぞ! 俺もにいちゃんと山に行きたい!」
「私も!」
はいはいはいはい! と忙しなく手を挙げながらピョンピョン跳ねるミュートとミューナの頭に軽いチョップをお見舞いして二人を黙らせる。
「お前ら、遊びに行くんじゃないんだぞ」
森でオークの集団に襲われたのが僅か二日前だったことなど綺麗さっぱり忘れ去っているらしい。
普通はトラウマになりかねない経験なのに、今では進んで森に入ろうとしているこの二人は、果たして強い心を持っている英傑の卵なのか、それともただのアホな子なのか。
「森には色んな魔物がいるんだから、一緒に来たら危ないぞ」
「何言ってんだよ、にいちゃん。にいちゃんと一緒だから行くんだよ!」
「そうだよ。おにいちゃんと一緒じゃなきゃ、あんな怖いところなんか行かないよ!」
全幅の信頼を置いているような、キラキラと光る視線。
ちょっと面映い。
「……まぁ、ハイキングと思えばいいか……」
そう呟いたら、横から視線を感じた。
目を向けると、オルガが柔らかい眼差しで真っ直ぐに俺を見ていた。
「……なんだよ」
「いえ。意外と優しいところがあるのだな、と思いまして」
「『意外と』は余計だ。俺はいつも優しいだろ」
「それは議論の余地があります」
悪戯っぽく笑うオルガ。
あまり感情を表に出さない彼女にしては、ものすごくレアな表情である。
「……さいですか」
「さいです」
そう言ってオルガは双子の手を引き、ちょっと頬が熱くなった俺を一人置いて、静かだが機嫌良さそうに家に戻ったのだった。
……この世界にも似非大阪弁ってあるんだね……。
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