21. EO:1 + 3

 ――――― Episode Olga ―――――




 玄関ドアを潜ると、複雑な薬草の匂いが鼻腔をくすぐった。

 黒いボブショートの先端に紫のメッシュが入った少女──オルガは辺りを見回す。


「ここはもともと居間だったんだけど、今は薬を渡す窓口になってるんだ。あ、今のは別に『居間いま』と『いま』を掛けた駄洒落とかじゃないからな?」


 そんな下らないことを言いながら、黒髪の少年は先頭を歩く。


 顔が平たく、肌が少し黄色い少年だ。この大陸でもよく見かけるようになった東方大陸の民の血が入った、特徴的な外見である。

 痩せ型で平々凡々の容姿の、何処にでもいそうな少年。

 先程までは歴戦の戦士のような鋭い雰囲気を纏っていたというのに、そしてその言動のせいで彼をとても恐ろしく感じていたというのに、今では一農村に住む普通の少年にしか見えない。

 まるで別人である。



 少年に案内された少女は、幼いエルフの双子を連れて少年の家の中を見渡した。

 何の変哲もない、一戸建ての木造住宅。それなりに間取りは広いが、建築様式は農村の建物らしく壁も屋根も丸太を並べた簡素なログハウス風だ。

 壁には色んな植物が吊り干しにされており、幾つかある棚には色んな色の薬らしきものが入ったガラス瓶が並んでいる。先ほどから匂っている青い匂いの発生源は、これらの乾燥薬草と怪しい薬品の数々だろう。

 奥の壁には石で組まれた暖炉があるが、この季節ではまだ使われておらず、火を起こした形跡はない。

 室内はなかなかに清潔で、棚の上や部屋の隅にも埃や汚れはない。男の一人暮らしにしてはかなり綺麗に保てている方だろう。

 この家は村の薬屋兼診療所であるらしく、長方形のテーブルが二つほどカウンター代わりに並べられており、卓上では複数のサンプルらしき薬品が展示されている。その奥には机と椅子が一脚ずつ鎮座し、横の壁際にはベッドが一床置かれていた。清潔感溢れる部屋には木窓が四つ付いており、採光は申し分ない。

 一農村の薬屋もしくは診療所にしては十分以上に立派である。


 少女の後ろで「わぁ〜」という惚けたような溜息が上がる。そんな感慨に浸った声を上げたのは言うまでもなくエルフの双子、ミュートとミューナだ。


「にいちゃんって、薬屋なのか?」

「おう。一応、薬草師──」


 という設定だ、と呟いた少年の語尾は誰の耳にも入らなかった。


「すげー! 色んな薬があるんだな!」

「大したものは置いてないぞ。殆どが傷や腹痛、風邪や関節痛に効く薬だ。後は保湿軟膏とかだな」

「すげーよ! 俺、こんなにたくさんの薬、見たことないい!」


 興奮しているミュートの隣で、ミューナが小さな鼻をキュッと摘んだ。


「お部屋の中が青臭いよ〜、おにいちゃん~」

「それはいずれ慣れる。臭いのはこの居間と奥の調合室だけで、ダイニングや寝室は無臭だ」

「俺はこの臭い好きだぞ。なんか落ち着く」


 ミュートの言葉に少年が少し興味深そうに首を傾げる。


「それはエルフとしての本能か何かか?」

「何それ?」

「……いや、聞いてみただけだ」


 どうやら幼いエルフの双子はもう少年と打ち解けたようである。

 それどころか、かなり懐いているらしく、二人して少年をワイワイと囲んでいた。


 少女が部屋を見回していると、玄関横にある靴棚の上で何かが微かに動いたのを視線の端で捕らえた。

 目を向けると、そこにはとぐろを巻いている黒いトカゲのぬいぐるみがあった。

 興味を惹かれて近づくと、そのぬいぐるみは突然、片目を開けてこちらを見た。


「……(プフン)」

「────ッ!?」


 一瞬だけ少女を見たトカゲのぬいぐるみは、小さな鼻の穴から息を吐き出し、興味を失ったように再び瞼を閉じる。

 そして、唖然とする少女をそのままに、寝息を立て始めた。


「……ナ、ナイン、こ、これは……?」


 恐る恐る少年に動くぬいぐるみの正体を尋ねてみると、


「ああ、そいつはバーム。俺の相棒だ」

「あ、相棒、ですか……。魔物に見えますが……」

「あー、一応そういうことになるのかな? でも安心していいぞ。そいつ、人は襲わないから」

「はぁ、それは、まだ子供のようですし、あなたがそう言うのであれば心配はしませんが……」

「なんだ? 歯になんか挟まったような言い方だな。いいぞ、何か疑問があるんだったらどんどん聞いて。答えられる範囲でなら、なんでも答えるぞ。もちろん秘密にしてもらうけど」


 少年との約束……もとい契約は忘れていない。忘れるわけがない。


「ではお聞きしますが……あなたは『テイマー』なのですか?」


 テイマーとは獣や魔物を捕獲し、飼い馴らして使役する者のことで、とても珍しいクラスの一つだ。

 もし少年がテイマーならば、魔物を相棒とするのは何らおかしいことではない。


「いや。俺は薬草師であって、テイマーじゃない」

「ですが、この魔物は──」

「あー、まぁ……とにかくそいつのことは大丈夫だから、あんま気にすんな」

「……そうですか」


 少女の疑わしげな視線を浴び続けた少年は、数秒もしないうちに耐えられなくなったかのようにすっと目を逸らした。


 怪しい……。


 内心で呟く少女は、半目で少年を睨めつける。

 この少年は、怪しいところばかりだ。というか、怪しいところしかない。

 森の中で仮面を被っていたり、よく分からない方法で声を変えていたり、突然現れたかと思うと6体ものオークを一瞬で殲滅したり、力があることを村の人間にも隠していたり、テイマーでもないのに変なトカゲの魔物をペット──彼は相棒と呼んでいるが──にしていたり、とにかく普通じゃないことだらけだ。


 少女たちは、事実として彼に助けられた。

 盗賊のように散々犯した後に殺すか奴隷として売り飛ばすのではなく、約束を守るなら衣食住を提供するという条件を出し、こうして家の中にまで通してくれた。


 悪い人ではないのだろうと思う。

 しかし、信用することもまた出来ない。

 少なくとも今はまだ警戒して掛かるべきだろう。


 本人は静かに暮らしたいから普通の人のフリをしている、と言っていたが、そもそもその言い分すら何処まで信用できるか分からないのだ。

 例えば、もし彼がどこかの国の間諜でこの村に潜伏しているのであれば、自分たちも反逆の嫌疑をかけられて捕縛されるかもしれない。そうなれば、自分たちは彼の協力者として拷問され、処刑されてしまうだろう。

 それは非常に不味い。


 最低でもミュートとミューナだけは守らなければ……。


 警戒心を新たに、少女は奥へと進む少年の後を追った。




 居間の奥にある扉を抜けると長い廊下に出る。

 廊下の左右にはそれぞれ扉が4つずつあり、その内寝室が7部屋で、残りの一つが少年の調合室仕事場だ。


「俺の部屋は右側の一番奥で、同じ側の一番手前が調合室だ。この二つ以外なら、どれでも適当な部屋使っていいから」


 少年はドアを指さしながら廊下を歩く。

 廊下の突き当りにはダイニングがあり、その奥にはキッチンと洗い場がある。ダイニングに設置された裏口はそのまま裏庭へと繋がっており、裏庭には一口の井戸が掘られている。家を挟んだ反対側には小さな仮設倉庫のようなものが家から離されて建てられており、それがトイレだ。

 一人暮らしにはあまりにも広すぎる間取りだが、彼が村唯一の薬草師と考えれば納得のいく待遇といえる。


「この家、俺一人じゃ広すぎてちょっと不便だったんだよ。殆どの部屋が使われてないし、掃除しようにも部屋が多すぎて大変だし」


 困ったように笑う少年。

 その笑みに屈託はない。

 それでも、少女は気を緩めない。

 態度に怪しいところがないというだけでは、その人物が潔白であるという証明にはならない。世の中には、穏やかな笑顔を浮かべながら子供の生き血を浴びる人間もいるのだ。警戒は捨ててはならない。



 一番奥にあるダイニングに着くと、


「腹減ったろ。何か食うか?」


 と言った少年が、棚から防腐効果のある「ナルデルの葉」で包んだパンと干し肉を取り出した。

 後ろから生唾を飲み込む音が二つ聞こえ、少女も思わずそれに続いた。

 そんな三人の反応に、少年は「食うみたいだな」と笑いながら、人数分の木製コップと木皿、それと木製の水差しをテーブルに並べた。

 更に、一包だけでは足りないと思ったのか、棚からあるだけの食べ物を取り出した。


「俺は村長に報告してくるから、お前らは飯食っとけ。バームが門番をしてくれてるから、安心していいぞ」


 その言葉に、少女は少しだけ身を硬くする。


 少年が最後に発した「バームが門番をしてくれてるから、安心していいぞ」という一言。

 そこには「悪い人が来てもバームが退治してくれるから安心していいぞ」と「逃げても無駄だから安心していいぞ」、両方の意味が含まれていることを少女は理解した。

 言い回しは柔らかいが、少し不穏な空気が混じっているのは間違いない。

 少年もまた、少女達のことを完全には信用していないのだ。


 ただ、そんなことを考えられたのも束の間だった。

 少女の意識は、既に目の前に並べられた食べ物に吸い寄せられてしまっていた。

 幼いエルフの双子も、少女と同じように食べ物に気を奪われている。


 もう3日以上も、なにも口にしていないのだ。

 疲労だけでなく、空腹ももはや限界だった。


 少年が家を出たことにも意を介さず、少女と幼いエルフの双子は食べ物へと飛び付く。

 献立は堅焼きパンと干し肉、生でも食べられる葉野菜と木の実、そして水差しに入った澄んだ水。

 焼き固められたパンはスープに浸して食べるものだし、硬い干し肉は煮込むかゆっくり噛んで唾液でふやかしながら食べるものだ。

 しかし、今は全員が貪るようにそれらを口に詰め込み、殆ど咀嚼せずに飲み込んでいる。本当に「ガツガツ」という擬音が似合う食べっぷりである。

 幼いエルフの双子は、まるでリスのようにその小さな口いっぱいにパンと干し肉を詰め込んでいる。それなりに教養のある少女も、今このときだけは儀礼や作法を忘れて、ひたすら食料を胃袋に押し込む作業に没頭していた。脳裏を過ぎった「毒があるかもしれない」という警告すら無視して。


 こうして、一斤程もある堅焼きパン3つと十数食分の干し肉とバスケットいっぱいの野菜と木の実は、僅か十数分で跡形もなく三人の胃袋へと消えていったのだった。






 ◆






 椅子の引かれる音がして、少女は目を覚ました。


 辺りはもう暗く、目の前には我が身を糧に部屋を照らしている蝋燭が一本。

 テーブルには、空になった木皿やバスケットが散乱していた。

 隣を見れば、同じように食卓に突っ伏して寝息を立てる双子の姿があった。

 どうやら、満腹感と安心感から気を失うように眠ってしまったらしい。

 三人の肩には、毛布が掛けられていた。


 朦朧とした意識の中、少女は蝋燭の明かりの向こうに少年の姿を見つけた。


「起きたか」


 小声で囁く少年の言葉に、少女の意識は一気に鮮明になる。

 同時に、まどろみの世界へと消えていった警戒心が急速に引き戻された。

 少年を信用するにはまだ早いというのに、あろうことか無防備な寝姿を晒してしまった。


「もう晩飯の時間だけど、どうする? もう一食、食っとくか?」


 信用するにはまだ早い……が、警戒すべきは少年であって、食べ物に罪はない。

 少女は暫くも考えずにコクリと頷いたのだった。






 ◆






 双子が目覚め、4人で一緒に遅めの晩餐を楽しんだ後。


 少年は蝋燭の明かりの下、「入居説明会」なるものを開くと宣言した。


「村長にも相談したけど、村のみんなはお前たち3人の受け入れに肯定的らしい。ちゃんと自活してちゃんと税を払うのであれば、この村に住んでいいってさ」


 そんな少年の言葉に、少女は内心の驚きを努めて無表情という仮面で隠した。


 常識からして、少女たちのような流民は何処へ行っても門前払いされるのが普通だ。

 小集団において、成員人数の変化は集団そのものに大きな変化をもたらす。新しい住人が増えるというのは、村にとっては結構な大事なのだ。

 特に、変化を嫌う農村部は、排他的であることが多い。余程のことがない限り、余所者を受け入れることは無いといっても過言ではない。

 そのことを理解しているからこそ、少女は村への定住を満場一致で否決されることも覚悟していた。


 それなのに、この少年はまるでそんな覚悟を嘲笑うかのように、自分たちが寝ていたこの短い時間で、自分たちの入居を村全体に了承させてしまった。

 それも聞く限り、反対する村人は殆どいないというではないか。


 確かに、村にとって薬草師は豊作と同等に必要とされている存在だが、それでもここまで影響力が強いというのはただ事ではない。

 ここまで村人の心を掴んでいるのは、単に彼の職業のお陰だけではない気がする。

 やはり只者ではないだろう。


「……それは何よりです。ありがとうございます」


 頭を下げる少女を見て、双子も慌てて感謝の言葉と共に頭を下げた。


「いいさ、これぐらい。俺も、一月前まではお前たちと同じ流れ者だったわけだしな」


 その言葉に、少女は僅かに目を細める。

 これは少年が明かした数少ない彼の個人情報だ。

 少年が信用できる存在かどうかは、自分たちで判断するしかない。

 であれば、どんな小さな情報も見逃すわけにはいかない。

 全身全霊で少年のことを探る必要があるだろう。


 そんな風に少女が決心した矢先、少年が全て分かっていると言わんばかりに苦笑いを交えて言った。


「別にそこまで意気込まなくてもいいぞ。これから、俺のことについて包み隠さず話すから」


 今度は顔に出てしまうほど、少女は驚く。

 正体を隠し続けていた少年が、自分から正体を明かすと言っているのだ。

 果たして自分達は魔窟に迷い込んだのか、それとも安住の地を手にしたのか。

 これは、それを知る唯一にして絶好のチャンスだ。


 一言一句聞き逃すわけには行きません、と言わんばかりに固唾を呑んで耳を澄ます少女。

 幼いエルフの双子も、姿勢を正した。


「実は俺、物凄く遠い国で魔法使いをしていたんだ」


 穏やかに、少年は語る。


「師匠から魔法を学んだりして割と楽しく暮らしていたんだけど……一年くらい前に師匠が死んじゃってさ。それからは一人で静かに暮らしてたんだ。

 それが、つい最近になって変な事故に巻き込まれちゃってさ。この村の近くに飛ばされてきたんだ。まぁ、事故といっても、後に引くようなものじゃないから、今の生活に影響はないんだけどね」


 少年の態度にごまかしや不自然さはない。

 経験から、少女は少年が本当のことを言っているのだと判断した。

 突拍子がなさ過ぎて信じがたい内容ではあるが、少なくともは全て事実だろう。

 同時に、少年の「今の生活に影響はない」という言葉に胸を撫で下ろす。

 もし少年が追われる身であったり、過去に遺恨を残していた場合、同居人となる彼女達にも危険が及ぶ可能性が高い。それがないのは、素直に嬉しいことだった。


「それで俺はこの村に住み付いたんだ。争いごとから遠ざかるために『村を焼かれて逃げてきた、非力で無害な薬草師』という身の上話を作ってね」


 どうやら、薬草師という肩書まで嘘らしい。


「さて、ここからが本題だけど……その前に、これだけは言っておこう」


 少年の目に宿る光が厳しくなり、語気が強まる。


「これから話すことは、なにがなんでも秘密にしてもらう。できなかったら……お前たち全員を殺すことになる」


 少年の鬼気迫る態度に、3人は息を呑んだ。

 武を生きる道とする者であれば分かったであろう、少年からは「殺気」が放たれていた。


「約束できないと思うのであれば、今すぐ出て行ってくれて構わない。今なら、まだ引き返せる。俺と深く関わらないで済む」


 勿論これまで話した内容を誰かに漏らせば何処までも追いかけて殺すけど、と少年は付け加え、静かに三人を凝視した。


 その言葉に、少女だけでなく幼い二人も悟った。

 これは少年が自分たちに用意した最後の逃げ道だ、と。

 疲労と空腹からだいぶ回復した今の三人なら、説明されずとも少年の言葉の意味を理解できた。


「でも、これから話すことを聞いたら、もう二度と後戻りはできない。この先を聞いたら、もう一蓮托生だ」


 勧告とも脅迫とも取れる言葉。

 それを聞いた三人は──立ち去ろうとはしなかった。

 少年に懐いている双子はもちろん、この場で最も少年を信用していない少女も。


 この少年は、少なくとも悪人ではないだろう。

 少女の直感が、そう告げていた。


 真の悪人は、選択肢を与えたりなどしない。有無を言わさず、力尽くで巻き込む。

 少年は、オーク6体を瞬殺できるほどの力を持つ、圧倒的強者だ。

 もし少年が本当に邪悪な人間だったならば、自分たちは今ごろ地獄に墜ちるよりも悲惨な目に遭っているだろう。


 だが、実際にはそうなっていない。

 寧ろ、その真逆の状況が、自分たちにはもたらされている。

 死の淵を這い回っていたはずの自分たちは、少年が提供してくれた食事で腹を満たし、少年が提供してくれた安全な家で睡眠を取って体力を回復し、更には少年が提供してくれたコネクションで村への定住すら約束されようとしている。

 少年が提供してくれたものは全て、自分たちを救ってくれるものだったのだ。


 もちろん少年なりの思惑も、どこかにはあるのだろう。

 だが、今の自分たちは身の拠り所がない女と子供で、謂わば社会における最弱者だ。

 悪人や魔物に怯えずに済む暮らしなど望むべくもないし、寒さと空腹に苛まれない日々など夢のまた夢。贅沢を言うどころか、何かに条件をつけられる立場にすらない。

 もし少年の思惑が極端に酷いものでないのであれば、彼の提案に乗ることは自分たちに最善の結果をもたらしてくれるだろう。


 疑うことは簡単だ。少年の言葉を何一つとして信用しなければいい。

 だが、それでは何も解決しない。


 この少年は自分たちの村を襲った盗賊団とは違う。

 怪しい人間だが、悪い人間ではないのだ。

 ならば、少しくらいこの少年を信じてみても良いのではないのだろうか?


 そもそも、この少年の下を離れて何処へ行く?

 他の村にたどり着いたとして、自分たちを受け入れてくれる確率はどれくらいある?

 今よりも良い条件で暮らしていける可能性は、一体どれぐらいある?


 そう思ったからこそ、少女も席を離れなかったのだ。

 そして、それは幼いエルフの双子も同じ。


 3人ともが少年を見つめ、彼が喋り出すのを待った。

 暫くの間、静寂がテーブルを包む。

 結局、席を立つ者は一人としていなかった。


 それを確認した少年は、ゆっくりと口を開いた。


「俺は、結構強いらしい。少なくとも、このせかい……この国の女騎士様たちよりは強い」


 一瞬噛んだが、少年はそう言い切った。


「別に、俺は誇大妄想狂とかじゃないぞ? 自分が最強の存在だとか、そんな中二病くさい世迷言を抜かすつもりは全くない。己の分際くらいちゃんと弁えているつもりだ。

 でも実際、俺はこの国の第二王女様の暗殺現場に立ち会い、彼女を守る女騎士様たちが倒せなかった暗殺者集団を簡単に皆殺しにした」


 少年の言葉に、エルフの双子は冒険譚を聞いているかのように目を大きく見開きながらキラキラと輝かせる。

 対して、少女は一瞬だけ目を見開き、続いて眉を顰めた。


「安心しろって」


 そんな少女の反応に、少年は苦笑いを浮かべて言う。


「王女様たちには俺の身元を完璧に隠してあるし、敵の目撃者も残していない。俺には絶対に辿り着けないから、今の生活に支障はないよ」


 その言葉に、少女は眉根に入れていた力を緩めた。

 巻き込まれないのであれば、他はどうでもいい。


「まぁ、アルデ……女騎士様たちも相当疲れていたし、暗殺者たちも信じられないぐらい弱かったから、確かなことは言えないんだけど……。

 まぁとにかく、俺は結構強い。師匠にも『お前はそれなりにやる』なんて言われたことあったから、そのことには自負がある。

 でも──だからこそ、俺は力を隠しているんだ」

「「??」」

「…………」


 首を傾げる双子と、沈黙を保つ少女。


 少年の言葉は理屈に合わない、と少女は考えた。


 力があれば誇示したくなるもの、それが人の性だ。

 戦場で武勲を立てた者が栄誉を得るように、力を誇示すればするほど富と名声が舞い込んでくる。

 それが人の世の理だ。

 だからこそ人は力を求めて鍛え、戦い、奪い、殺す。

 なるほど「能あるグリフォンは爪を隠す」とはよく言ったもの。狩りが上手なグリフォンほど獲物が恐れをなして逃げていかないよう仕留める瞬間までその鋭い爪を隠す。本当に優れた能力の持ち主は、その能力を無闇にひけらかしたりはしないのだろう。

 しかし、それは狩るべき獲物が目の前にいてくれる場合だけ──能力を生かす場があればの話しだ。

 無名の人間が黙っていても何かを掴めるほど、この世は優しくない。

 大声で「俺には鋭い爪があるぞ!」と叫びながらそれを振り回して見せびらかさなければ、誰の目にも止まることはない。

 どれほど鋭い爪があろうと、黙って隠したままでは振るう機会すら永遠に巡っては来ない。せいぜい「深爪した?」と哀れな目を向けられるのがオチである。

 誇示しない力など、持ち腐れた宝と同じ。

 己の力を過大なまでに吹聴する者は腐るほどいても、有り余る力を隠したいと思う酔狂な者は殆どいない。

 それが、世の常識なのだ。


 訳が分からない少女に、少年は苦笑いしながら答えた。


「ほら、力があるとなにかと目立つだろ? そうなったら色々面倒なことが舞い込んでくるかもしれないから嫌なんだよ。

 ……それに、うちには結構『特殊なもの』が多いから、迂闊に公開できないんだよ」


 そう言って、少年は「バーム」と相棒の名前を呼んだ。

 すると、先ほどの黒いトカゲのぬいぐるみが背中の小さな羽根をパタパタと羽ばたかせながら部屋に入ってきた。


「む? 夜食の時間か、我が主よ?」


 渋くてダンディーなバリトンボイスでそう言いながら、そのぬいぐるみは少年の肩に止まった。


「お前……さっきビッグボアのすね肉を丸々一本食ったばっかだろ……」

「あれごときで足りるわけがなかろう」

「前から思ってたけど、その小さな体の何処にそんな大量の飯が入るんだ?」

「我は竜だぞ、我が主よ。飯は別腹だ。いくらでも入る」

「何そのスイーツバイキングに通うOLみたいな台詞。大体、『飯』が別腹って、なら本腹は何を入れてんだよ」

「……肉?」

「一緒じゃねぇか」


 二人のほのぼのとした会話に、少女は身じろぎすら出来ず、ただ呆然とするしかなかった。

 本当はバームが喋り出したときからもう開いた口が閉じなくなっていたのだが、漫才のような二人のやり取りを耳にしてからはもはや意識すら失いかけていた。


「あ、あの、ナイン……」


 控えめにかけられた少女の震え声に、少年はバームとのやり取りを中断して振り向いた。


「どした?」

「そ、それは、一体……?」

「こいつはバーム。俺の相棒だ」

「いえ、それはさっきも聞きましたが……そうではなく、その……バームは、なぜ、人の言葉を話せるのですか?」


 恐る恐る聞いてみた少女に、少年は朗らかに笑った。


「こいつ、竜……ドラゴンだからね。そりゃあ喋るよ」


 まるで「塩だから当然しょっぱいでしょ」とでも言うかのような当たり前過ぎる口調に、少女は今度こそ完全に言葉を失った。


「我はバハムートのバームである。話は我が主から聞いたぞ、小娘よ。貴様たちはこれからこの家に住むのだろう? ならば、我のこともちゃんと話しておかなければな」


 黒いトカゲのぬいぐるみは少年の肩の上でふんぞり返る。


「我は、我が主によってこの物質界せかいに召喚された使い魔である。

 お前たちの認識ではドラゴンというのだったな……我はその中でも最上位に君臨するバハムートである。

 今は訳あってこのようなちんちくりんな体になっているが、本来は10メートルもの体高を誇る、それはそれは威厳に満ち溢れた姿なのだ。存分に敬うがよい。

 ちなみに、好物は肉だ。我と仲良くなりたいのであれば、上質な霜降り肉を献上せよ」


 頬ずりしたくなるほど可愛らしい外見と渋くてダンディーなバリトンボイスで紡がれる上から目線な文言が、たまらなくミスマッチである。

 ぽかーんと口を開いたまま魂をどこかに落とした双子はまだ心穏やかな方だろう。

 少女の心中は暴風直下のような有様だった。

 意味が分かりません、と表面と内心の両方で混乱してしまうのも無理はない。


 突っ込みたいことは色々どころか無数にあるのだが、少女は先ず目前の問題にフォーカスを当てることにした。


 それは、「この人語を解するぬいぐるみ自称ドラゴンをどのように扱いましょう……?」という問題。


 ぬいぐるみを相手にするように可愛がればいいのか、それともドラゴンを相手にするようにひれ伏せばいいのか。

 取るべき行動のどれが正解なのか分からず、少女はギクシャクとした動きで少年に顔を向ける。

 顔自体は普段通りの無表情だが、いつもは冷静な瞳が今は助けを求めるように潤んでいた。


 そんな少女の葛藤が透けて見えたのか、少年は苦笑いを浮かべつつも助け舟を寄越した。


「確かにバームはドラゴンだけど、実際は俺が召喚した使い魔だから、ペットと同じ扱いでいいぞ」

「む。それはどういう了見だ、我が主よ。我は強大にして偉大なる存在、バハムートだぞ。そんな我をペットと同等の扱いなど──」


 長くなりそうなバームの反論を少年は「あー、分かったわぁーった分かったわぁーった」と遮り、少女に言い直した。


「まぁ、本人もこう言ってることだし、一応はドラゴンだから、やり過ぎない程度に可愛がればいいよ」


 それが一番難しい注文なのですが……。

 少女はそう心の中で訴えたが、口にはしなかった。

 それを言っても意味はないと理解している彼女は、やはり頭の切れる女性だった。


 しかし、ドラゴンを「召喚」、ですか……。


 そのようなことが、果たして人間にできるのだろうか?

 喋れる魔物など、ドラゴンのような高知能を有す種族しかない。

 だから、目の前で少年と漫才のような舌戦を繰り広げているこの「トカゲのぬいぐるみのような魔物」は、間違いなくドラゴンであるはずだ。

 しかし、ドラゴンそれを召喚で呼び出すことなど、一介の人間下等生物ごときに出来るのだろうか?


 そもそも、少年が一体どんな職種クラスなのか、少女は検討もつかなかった。

 薬草師が自称なのは、先ほどの自白で既に判明している。

 では、一体なんなのだろうか?


 魔物を召喚したのだから、召喚師ではあるのだろう。

 だが、自分たちを助けたときは、使い魔ではなくナイフ──少年に見せてもらったが、間違いなく鉄のナイフだった──を使ったていた。その時に見た彼の体捌きは、まさに一流の戦士のそれだった。

 それなのに、先ほど彼は「物凄く遠い国で使をしていた」と言っていた。

 まさか、「召喚師と戦士を兼業する魔法使い」などという愉快な職種クラスなのだろうか。


 あまりにも支離滅裂な情報に、少女は「もう何がなんだか分かりません」と頭を抱える。


 そんな少女に、少年は無情にも更なる爆弾を投下した。


「あー、あと、うちにはもう一匹、正真正銘のペットがいるから」


 尚も不満をつらつらと並べるバームの小さな口を上下からキュッと摘んで黙らせながら、少年は「ジャーキー」と再び何者かの名前を呼んだ。


 すると、「たったったっ」と軽快な足音を引き連れて、何かが裏口から入ってきた。


 見れば、それは一匹の大きな白狼。

 少女は思わず悲鳴を上げそうになり、幼いエルフの双子は実際に小さな悲鳴を上げた。

 現れたのは、元いた村では最も恐ろしいとされる魔物──ダイアウルフであった。

 しかし、その毛皮は灰色や栗色ではなく、真っ白。


 もう勘弁してください、と少女は天を仰ぐ。

 文字通りの仰天だった。


 少女の知る限り、毛色が同種と大きく異なる魔物は、特別な個体であることが多い。

 殆どの場合で通常の同種より強く、中には特殊な能力を持っている者もいる。

 普通はペットにするどころか、討伐すら難しいはずだ。

 だと言うのに、ジャーキーと呼ばれたこの白いダイアウルフは、まるで室内犬のように大人しく少年主人の隣にお座りし、わさわさと尻尾を振っている。

 何処からどう見ても、ただの愛玩動物だった。


 何ですか、この家は……。


 少年も事前に「少し変わったものや普通じゃないところが多いだけです」と言ってはいたが、どうせ面白い形の石を大量に集めているとか、家では全裸で過ごしているとか、実は男色家で男性の恋人と同居しているとか、そんなところだろうと思っていた。

 しかし、それはあまりにも甘い考えだったと思い知らされた。


 まさかここまで異常だったとは、と少女は目頭を押さえる。


 そう。異常だ。

 この家は、この家にあるものは、この家に住む者たちは、全て異常なのだ。


 ドラゴンと白いダイアウルフをペットにしている家。

 常識的な風景の中にある非常識な存在たちに、眩暈すら起きる。

 先ほど食べたあのパンと干し肉すら、今では本当に普通のものだったのか疑わしく思えてきてしまう。

 ドラゴンと白いダイアウルフをペットにしているのだ、グリフォンやワイバーンなどの恐ろしすぎる魔物の肉で干し肉を作っていたとしても何らおかしくはない。

 ……いや、おかしいことはおかしいのだが、この家だとその方が普通だと思えてしまう。

 というか、一度そう思ってしまったら、もうそうだとしか思えないほどしっくり来てしまう。

 異常の中において、正常こそが最も異常なのだ。


 一度思考をリセットする意味で、少女は頭を振る。


 鞘から抜けない剣はただの鉄の棒きれだ。

 ドラゴンの子供(?)も、白いダイアウルフも、悪ささえしなければただの動くぬいぐるみと大きな飼い犬とそう大差ないはず。

 どうということはない。


 ただ、問題なのは──


「ナイン、一つお聞きしたいのですが、彼らのことは村の方々にちゃんと話しているのですか?」


 いくら秘密を守れと言われても、こんなに隠し難いものがウロウロしていては、流石に自分達の努力だけではどうしようもない。

 それで自分達が責を問われて殺されるのはまっぴら御免である。


「それは大丈夫。二人とも、今では村のマスコットになってるから」


 それは何よりである。少女はそう納得することにした。

 この村の人達の精神は一体どうなっているのですか、というツッコミは速やかに頭から追い出した。


「あ、でも一応バームのことはドラゴンじゃなくて俺が拾ってきた『よく分からないトカゲっぽい何か』ってことになってるから。バームにも他人の前では口を聞かないように言ってあるし、そこは話を合わせてくれ」

「……分かりました」


 多分、ドラゴンだと明かしても誰も信じないだろう。


「それと、ジャーキーに関しては、森で傷ついているところを助けたら懐かれた、っていうことになっているから」

「……はい」


 ナインが村に来たのが一月前だから、村の人々は僅か一ヶ月でこのトカゲのぬいぐるみっぽいドラゴンと白いダイアウルフを受け入れたことになる。

 いくら可愛らしい外見と人懐っこい性格をしていても、天災とまで称される最強の魔物たるドラゴンと、村人が選ぶ嫌いな魔物ランキング上位をキープし続けているダイアウルフを「はいそうですか」と受け入れることは、考えるまでもなく難しいこと。


 ……この村の人々は随分と豪胆なのですね……。


 そんな諦めに近い思考を頭の中で転がしながら、少女は少年の姿をその瞳に映す。

 甘えるように体を擦りつけてくる白い巨狼の顎を優しく掻きながら、そこが定位置とばかりに肩に乗った小さな黒竜と笑い混じりに言い合いを演じる、そんな少年の姿を。


 その光景に、少女は「ああ」と納得する。

 だからこの少年は力を隠しているのか、と少女は答えを見つけた。


 この少年は、もはや存在そのものが異常であり、異質なのだ。


 先程、少年は目立つのが嫌だから力を隠していると言っていたが、恐らくそれは本当の理由ではないだろう。

 たしかに目立てば嫉妬を集めるだろうが、それと同じだけ尊敬と信頼も集まる。

 目立つことは、なにも悪いことばかりではないのだ。


 だが、少年はそれを望まない。


 オークを瞬殺する。

 冒険者の間ではそこまで大したことではないとされているが、少女のような村人にとってそれは間違いなく大それたことだ。

 そんな少年は、村人たちからしてみれば、自分たちを何時でも簡単に皆殺しにできる恐るべき存在である、ということ。

 加えて、彼はドラゴンと白いダイアウルフという村人をおやつ感覚で一瞬にして食い殺せる凶悪極まりない魔物をペットにしている。


 そんな百人いれば百人とも口を揃えて「化け物」と呼ぶ者が人間の村で静かに暮らそうと思うなら、当然のこと力を隠し、正体を隠し、非力を演じ続けなければならないだろう。

 力があり過ぎるだけに、それを無闇にひけらかそうものなら、間違いなく英雄ではなく化け物と見做され、恐怖と憎悪の対象となってしまう。

 そんな待遇は、誰も望まないだろう。


 それだけではない。

 彼は、ドラゴンを召喚できる人間だ。

 もし、彼の存在を国や権力者が知ればどうなるか。

 考えずとも、結果は見えている。


 そうならないために、己の力を隠す。

 それは至極真っ当な判断だ。

 必然の帰結と言える。


 だからだろうか。

 少女はそんな少年を不憫に思った。


 身分を偽り、何時バレるかと戦々恐々しながら暮らす日々。

 それは、想像を絶するほど痛苦で、考えるだけで悪寒が走ることだ。


 ──自分も似たような経験があるのだから。


 少女は己の身の上を振り返り、思った。

 自分は身分を偽り、少年は力を偽った。そこに違いなどないではないか。

 少年には厳しい言葉で脅されたが、それも彼自身を守る手段に過ぎないではないか。

 そしてその脅しすら、衣食住を提供するという優しすぎる見返りがついていたではないか。


 目の前にいる少年は、己を守るのに必死でありながらも、他人を思いやることが出来る人間なのだ。

 普通なら切り捨てる者を、彼は掬い上げようとしているのだ。


 そう悟った少女は、少年に対する疑いが全て解けて消えていく気がした。

 似た境遇にいる少年を見詰める少女の瞳には、もはや猜疑も警戒も存在しなかった。

 これ以上の疑いは、少年のためにも、自分のためにも、誰のためにもならないと分かったから。


「これまで話したことは誰にも絶対に秘密にしてくれ」


 会議の最初に浮かべたような真剣な顔でそう言った少年は、


「それから──」


 と言って、唐突に柔らかな笑顔を浮かべた。


「これからは一つ屋根の下で暮らす……同居人? ……ハウスシェアリングパートナー? まぁ、なんというか、そういう感じの、なんだ、……家族的な間柄だ」


 そう言った少年の顔が少し赤く見えたのは、果たして蝋燭の光加減のせいだろうか。


「だから、これからは仲良くいこうぜ。よろしくな」


 そこには、一人の心優しい少年しかいなかった。

 きっと、これも少年の本性の一部、偽りのない一面なのだろう。


「よろしくおねがいします、ナインにいちゃん!」

「よろしくおねがいします、ナインおにいちゃん!」


 幼いエルフの双子は満面の笑顔で言葉を揃える。

 少女もまた、仄かに頬が緩むのを感じた。


 だから、


「よろしくお願いします、ナイン」


 少女は心からそう言えたのだった。

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