19. 5月20日、邂逅

 我がナイン家に、新しい家族が増えました。



 ……いや、別に俺が結婚したわけでも、子供が生まれたわけでもないよ?


 増えた家族というのは勿論、ジャーキーのこと。


 8日前に森で拾ってしまったホワイトダイアウルフのジャーキーは、俺の予想に反してあっさりと村のみんなに受け入れられたのだった。


 俺の威厳(食欲)にすっかり牙を抜かれたジャーキーは、村に連れ帰ってもやはり大人しいままだった。村の皆俺以外の人間に会った当初こそ「ウゥゥゥ!」と低い唸りで威嚇したりもしたけど、俺が「めっ!」という意味を込めて睨むとすぐさま従順な愛玩動物へと戻った。実にお利口さんである。

 村の皆も、最初こそ「魔物だーー!」と大騒ぎしていたが、俺の一睨みで室内犬のように大人しくなったその姿を見て大いに安心したらしい。恐れは急速に薄れていき、次の日には全員が当然のようにジャーキーのことを受け入れていた。村長なんてデレデレ顔でジャーキーを撫でていたほどだ。


 ジャーキーは自分の置かれている状況がよく分かっているようで、俺の目の届かない場所でも決して人に牙を剥いたりはしなかった。寧ろ、みんなに撫でられて嬉しそうにしていた。


 一応、ジャーキーに関しては「森で傷付いているところを助けたら懐かれた」という偽の邂逅話を語ったが、皆の可愛がりようを見る限り、その必要はなかったかもしれない。

 尻尾をフリフリと振りながら楽しそうに村を闊歩するジャーキーを我先にと撫で回して可愛がる村の皆の姿には、人を襲う魔物ダイアウルフへの忌避感は一切なかった。


 我が家の賢くて人懐っこいジャーキーは、こうしてこのピエラ村に自分の居場所を自らの手で作り出したのだった。


 ジャーキーがこうも簡単に受け入れられたことは驚きだが、俺にとっては願ってもないほど好都合なのは確かだ。

 もともとジャーキーは放し飼いにするつもりだったし、皆を説得する用意もしていた。

 というのも、俺は自分の代わりに、ジャーキーに村の周辺警備を任せるつもりだったのだ。

 その名も「ジャーキー番犬化計画」。

 俺が考えていたジャーキーの「使い道」の一つである。



 安全対策の一環として、俺は皆に内緒で村の周辺に幾つかの探知魔法を設置している。


 例えば、その内の一つに《Feフェリウムアラート》というものがある。

 これは一定量以上の鉄分を含む物体が探知エリアに侵入或いは通過すると反応する魔法で、大型の獣や人間は勿論、魔物などの侵入も感知することができる。細かく調整すれば、武装している人間だけを識別することもできる、結構便利な魔法だ。


 ただ、この魔法、村に近づく者を探知することに関してはそれなりに使えるのだが、数日おきに設置し直さないと込めていた魔力が徐々に薄れていってやがて消えてしまう、という欠点がある。

 これは俺が村の周りに設置している他の設置型探知魔法にも言えることで、謂わば設置型魔法の通弊だ。


 加えて、俺は設置した魔法が他の人間に発見されないようにするために、上から《魔法隠蔽コンシールマジック》という7次元中級魔法を掛けている。

 そこまで難しい魔法ではないが、これも探知魔法と同じで、一定時間放置していると魔力が切れて消えてしまう。そのため、村の周辺に分散して設置している探知魔法の全てに定期的に掛けて回らないといけないのだが、これがなかなかに面倒臭いのだ。


 しかし、ジャーキーが番犬として機能すれば、それらの煩雑な作業が全て必要なくなる。


 村周辺の警備は全て、縄張り意識の強いイヌ科であるジャーキーに丸投げすればいい。

 というか、俺がわざわざ出向いていちいち魔法を設置して回るよりも、毎日のお散歩のついでにパトロールできちゃうジャーキーに任せる方がよほど適材適所だろう。


 そんなことしていいのかって? 

 大丈夫、大丈夫。

 結構優秀だから、ジャーキーうちの子


 実際、ジャーキーはマーキングしたテリトリーに入る者は、空を跳ぶもの以外ならほぼ100%の精度で発見し、排除している。

 敵が大挙して押し寄せ来る場合──例えば、15匹を超えるダイアウルフが群れでやってくる場合──は、多少駆除に時間を要するみたいだが、対処自体は問題ないし、討ち漏らしも一切ない。

 俺の代役は問題なく務まるだろう。



 お利口なジャーキーは、他の魔物から村人を守ってくれるし、害獣から畑を守ってくれる。

 おまけに、餌は自分で獲ってくるので、世話をする必要が殆どない。

 番犬としては間違いなく一流。無料のセ◯ムと言っても過言ではないだろう。


 ジャーキーがここまで優秀なのは、果たして彼自身が特別だからか、それともホワイトダイアウルフという種族に固有のスペックなのか。

 なんか俺や村の皆が喋っていることもなんとなく理解しているみたいだし……実に不思議な生き物だ。


 余談だが、俺の代わりに村周辺の警戒を頼めないかと昼寝をしているバームにも訊ねたことがある。

 返事として、小さな鼻の穴から「プフン」と息を吐き出されただけだった。

 面倒臭いらしい。

 さすがは俺が召喚した召喚獣、実に召喚主に似ている。

 俺も面倒いからジャーキーに丸投げしてるわけだしね。人のこと言えねぇ……。



 この8日で、ジャーキーは村で確固たる地位を築き上げた。

 大人たちからは優秀な守護者として、子供たちからはモフモフなお友達として、ジャーキーは大いに歓迎されており、今ではピエラ村のマスコットになりつつある。

 勿論、俺もジャーキーのことをペット兼非常食として愛情を注いでいる。

 本人には内緒だけど。


 一方、旧マスコットであるバームはどうしているかと言うと──

 こちらは今日も今日とて、安定の置物状態である。


「バーム。そんな食っちゃ寝食っちゃ寝の生活だと、すぐに太るぞ」

「心配するな、我が主よ。我は竜だ。太る心配なぞない。寧ろ、我ら竜には『寝溜め』が必要なのだ。故に、邪魔をするでない」


 可愛い二頭身姿に似合わない重低音ボイスでそう応じるバーム。

 まるでイケボなおっさんが入っている着ぐるみみたいである。

 っつうか、働かない理由が屁理屈すぎる。なんだよ「竜には寝溜めが必要」って……夜勤シフトでも入ってんのかよ。

 あと、あるじを邪魔者扱いするなし。



 このように俺の前ではとことん我儘なバームだが、他の人の前では一切喋らないので、その人気ぶりに揺るぎはない。

 外見と仕草だけはとことん可愛いから、黙っていれば結構好かれるのだ。

 それどころか、その愛らしい外見とふてぶてしい態度が猫好きの人たちにかなり刺さっているらしく、ジャーキーの登場にも揺るがないコアなファンが少なくない。

 ここ数日では「やっぱジャーキーのモフモフは最高」「いやバームのスベスベこそ至高」「どっちもちゅき!」などという派閥らしきものまで出来上がっている始末。

 そのおかげと言うべきか、そのせいと言うべきか、この頃の我が家は大人気な動物カフェのような状況になりつつある。

 薬を求めにくる人に紛れて、バームとジャーキーを可愛がりにくる人が大量に訪ねてくるのだ。

 俺としては前者の方が本業のお客様なのだが、やってくる人は後者の方が圧倒的に多い。そのせいで、しばしば自分の本業が「村唯一の薬草師」なのか、それとも「珍獣カフェの店長」なのか、分からなくなってしまう瞬間があるほどだ。

 お金を取っているわけではないので、俺としては余計に汗をかくだけでなんの得もない状況である。


 俺は静かに暮らしたいんだけど……。






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 世界はグルグルと回っている。

 勿論、俺ごとき矮小な小僧などではなく、もっと大きな何かを中心に、止まることなく回り続けている。


 いくら師匠から色々学ぼうと、察知できないことは沢山を通り越して無数にある。

 いくら上級魔法を習得していようと、できないことは砂漠の砂粒よりも多くある。


 全知全能な神様ならぬ人の身でしかない俺は、正真正銘ちょっと器用なだけの──ただの凡庸な小僧でしかないのだ。


 なんでもは出来ないよ。出来ることだけ。


 だから周囲で起こりつつある異変に、俺はまったく気付くことが出来なかった。


 時すでに遅し、と嘆くその瞬間まで──






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 ジャーキーをペットにしてから8日。


 今日は5月20日。

 季節は春真っ盛りである。


 俺はいつものように弓を背負い、裏山で薬草とお肉の調達に勤しむ。


 当初はこのお肉調達業務もジャーキーに任せるつもりだったが、それは難しいことが判明した。

 ジャーキーは獲物を見つけるのが得意で、ビッグボアなどの大きな獲物でも難なく仕留めることができる。

 猟犬(猟狼?)としても、なかなかに優秀と言っていいだろう。


 しかし、ジャーキーには「血抜き」という作業ができなかった。


 血抜きをしていない肉は、とにかく臭くて不味い。

 煮ても焼いても臭いし、燻製にしても臭い。

 正直、とても食えたものではないので、食肉調達において血抜きは省くことの出来ない作業となる。


 血抜きは、獲物の心臓がまだ動いているうちに、或いは血液が凝固し始める前に行うのが一般的だ。

 一番理想的なのは、仕留めた直後に血を抜くこと。

 スムーズに全部抜けるし、肉の保存状態にも影響しない。


 ジャーキーが躓いたのは、まさにこの工程だった。


 ジャーキーは犬型の魔物だ。

 仕留めた獲物の動脈を切るところまでは出来るだろうが、吊るして血を全部抜くまでは流石にできない。

 賢くて優秀な猟犬であるジャーキーと言えど、流石に人間ほどの器用さと対応力はないのだ。


 ならば、ジャーキーに仕留めた獲物を村まで運んでもらって、血抜きは村人たちの手でやるのはどうか、というと……駄目だった。

 時間が掛かり過ぎるのだ。

 ジャーキーは、その超大型犬のような体格からは想像もできないほどにパワフルだ。筋力はパルタゴン族であるケビンを優に上回っており、口で咥えられる物であれば、およそ800キロまでなら引き摺って運ぶことができる。

 そんなジャーキーであれば、単独で獲物を仕留め、そのまま村まで引き摺って持ち帰ることもできるだろう。

 だが、それだと村に着いた頃には獲物の血が固まっているし、引き摺るときの衝撃で内臓が破れてしまう。毛皮も使い物にならなくなるだろう。


 ならば、仕留めた直後に人を呼んで血を抜いてもらうのはどうか、というと……これも駄目だった。

 狼の魔物であるジャーキーは、俺みたいに狼煙を焚くことができない。なので、遠隔で合図を上げるのは無理。

 村に帰って人を呼ぶにしても、戻ってくるまでの間、獲物を森の中に放っておく羽目になる。戻ってきた時に獲物が残っている保証など、何処にもないだろう。


 ならば、持ち運びが簡単な小さな獲物──例えば「ブーケラビット」という太ったウサギのような魔物──を狙うのはどうか、というと……これも駄目だった。

 持ち帰るのが簡単な代わりに、一匹から取れる肉の量が少ないのだ。

 村全体に十分な量を配るには、少なくとも数十匹は狩る必要がある。

 流石のジャーキーでも、それは無理だった。


 そんなわけで、食肉の調達は未だに俺の仕事である。


 まぁ、ジャーキーはイヌ科の本領を遺憾なく発揮してきっちり村の周辺警戒をやってくれているので、俺的にはなんの文句もない。

 というか、警備業務を肩代わりしてくれたおかげでかなり手間が省けているから、逆にジャーキーには感謝しかない。

 いつまでもジャーキーのことを非常食扱いできないなぁ、これは。




 閑話休題。




 山中に伸びる獣道を進むこと1時間。

 現在時刻は午後の1時だ。


 この地方は冬でも花草が枯れることがないらしく、森の中には暖かい春の匂いが立ち込めている。寧ろ、生気有り余る緑が鬱陶しいくらいだ

 村長が言うには、獣や魔物もこの季節から行動が活発化するらしい。

 毎日いろんな名の知れない生き物に出会っている俺としては、そのことをヒシヒシと肌で感じている次第だ。


 ここ数日は、出会う魔物の数も種類も劇的に増えつつある。


 これまでは猪ならぬビッグボアや、角がデカい鹿のような魔物「ビッグホーンディアー」くらいしか見かけなかったのに、最近ではネズミやリスに似た小型の魔物も多く見かけるようになり、たまに牛や豹に似た大型の魔物とも遭遇するようになった。

 この前などは、横倒しにした原付ほどもあるてんとう虫のお化けを見かけたりもした。これは流石に食べられないから、安全のためにその場で燃やしたけどね。


 魔物が増えても村人にとっていいことは何一つない。

 自分たちを食べる捕食者と畑を荒らす害獣が増えるだけなのだから、それも当然だろう。


 けど、俺としては大いに歓迎すべき事態だったりする。


 なにせ、お肉が手に入りやすくなる上に、種類が増えたことで色んな風味のお肉を堪能できるようになったのだ。

 もう「春様々!」「活動期万歳!」と歓声を上げたい気分である。


 というわけで、今日も俺はルンルン気分で山に来ている。


 山に入るときは基本、俺一人。

 バームは相変わらず家で睡眠ゲージを貯めているし、ジャーキーもテリトリーのパトロールに大忙し。

 俺としては、樽を背負った二足歩行のオトモ猫が欲しいところだが、生憎とそういう魔物には出会ったことがない。

 ちくせう……。


 今日は、普段は滅多に来ない山の裏側まで来ている。

 目的は、村の男性陣に大人気の「とあるお薬」を作るのに必要な薬草の採取だ。

 材料が山の裏側にしか生えていないので、少しばかり遠出することになったが、お肉となる獲物も山の裏側のほうが多いので損はない。

 寧ろ一石二鳥だ。


 本当は薬草の栽培なども試したいところだが、如何せん俺一人では人手が足りないので、この案は無期限で先送りにしている。

 家庭菜園に必要な手間暇を舐めたらいかんよ?

 あれ、ちゃんとしたの作ろうと思ったら、殆ど掛かりっきりになるからね?

 農学からガッツリ勉強することになるからね?

「そうだ、京都行こう」みたいな軽いノリで手を出したら痛い目見るからね?

 まぁ、これに関しては暇な時にやってみるつもりだけど、今は保留だ。



 山の向こう側は見渡す限りの大森林。

 ひと気はないが、動物や魔物の気配は無数にある。


 少し湿り気のある地面を踏みしめながら歩いていると、遠くで奇妙な気配がした。

 移動する複数の気配。

 すかさず探知系魔法を複数発動して探りを入れてみる。


「……ん?」


 いつもと違う反応が複数存在することに一瞬だけ困惑する。

 これは……人だな。


「魔物らしき二足歩行生物が6匹と、……人間が3人?」


 動き方からして、魔物が人間を追いかけている形だ。

 襲われているのか?


 この裏山を越えた先には、広大な森が広がっている。

 というか、広大な森しか広がっていない。

 その方向から人が来たことはこのピエラ村が出来てから此のかた一度もない、と村長が言っていた。

 そんな方角から人が3人も来ていて、おまけに魔物らしき生物に追いかけられている?


 ……面倒事の匂いしかしねぇ……。


 だけど──

 やはりここは様子を見にいった方がいいだろうな。


 一応、探知した反応は山の裏側東側だったから、村まではまだ距離がある。

 だが、村には絶対に来ないと確信を持って言えるわけではない。

 もしこれが何かのトラブルの種ならば、早めに潰してしまった方が正解だろう。


 うん。

 行ってみよう。


 何も無ければそれでいいし。

 もし何かあれば……その時は、俺が処理する。

 無視は愚策だ。




 ◆




 暫く隠密移動すると、その一団が目に入った。


 追う者達と、追われる者達。


「あれは……」


 追われているのは、やはり人間だ。しかも3人ともまだ若い。

 後ろからは、豚と人間を足して2で割ったような見た目の巨漢が、6体がかりで追いかけてきている。


 ……これはあれだな。

 またしても人が襲われている現場に出くわした、ってやつだな。


 全力で逃げているのは、俺と同年代と思しき少女と、彼女に連れられた幼い男児と女児。

 先頭を走る少女は、右手でナイフを握りしめつつ、左手で幼い二人を連れて必死に逃走を続けている。

 少女に手を引かれている二人は、どちらも小学校低学年ぐらいの年頃で、容姿がとても似ていた。


 そんな3人をノシノシと追いかけているのは、6体の怪人。

 豚に似た醜い顔、そして豚に似た醜い体型。服らしい服といえば、股間に巻いた葉っぱ製の腰蓑ぐらいだろうか。全員が手に棍棒や石を持っており、ブヒブヒと汚い吐息を立てながら走っている。

 こいつらは多分、ゲームなどでよく出てくる「オーク」と呼ばれる魔物だろう。もしくは、不摂生極まりない生活を送り続けている超大柄で不潔な半裸の変態おじさんか。


 後ろの6体が何であれ、助けるべきはきっと追われている3人の方だろう。

 子供盗賊団と身包みを剥がされて怒っているおじさんたち、という構図もありえなくはないが、絵面的にしっくり来ない……っていうか、少年少女を裸で追い回す豚おじさんの一団ってのは、なんとなく心情的に助ける気が湧いてこない。


 俺としては別に彼女たちを助ける義理はないのだが、追手オークたちをこのまま放っておけない以上、どう転んでも彼女達を「助ける」ことに繋がってしまうので、ここで彼女たちを助けるか否かを論じてもあまり意味はないだろう。

 シャティア姫たちのとき同様──全てはもののついでというやつだ。

 もしも面倒なことになったら、その時はあの三人を色んな意味でやればいいだけの話だしね。


 あ、そうだ、忘れるところだった。

 人前だし、一応、仮面は被っとこう。


 目穴となる切れ目が入ったハンカチに魔法をかけて硬質化させ、即席の仮面に改造する。

 シャティア姫たちと出会ったときに被っていたあれである。

 ……笑っていない笑顔仮面みたいでちょっと不気味だけど、まぁいいか。

 ついでに魔法で声も変えておこう。変装は外見から声までがワンセットだからね。



 オークとの遭遇は、実はこれが初めてだったりする。

 村人との話で聞いたことはあるし、ゲームや漫画で得た予備知識もあるけれど、実物は遭遇したことがなかったのだ。

 だから勿論、飛び出す前に魔法で一通り調査しておこう。


 ふむふむ。


 豚に似た顔をしているが、体格とホルモン分泌パターンなどはどちらかと言えば人間寄りだな。

 体は分厚く、筋肉と脂肪が層状に折り重なっている。

 魔力は一応持っているみたいだけど、ブリーフ君(仮)のように全身をコーティングしているわけではいない。


 ダイアウルフやビッグボアもそうだけど、俺が今まで見てきた魔物の多くは、このオーク達と同じように魔力は有していてもそれで身体を覆うようなことはしていない。

 以前にも言ったが、身体を魔力でコーティングすれば、肉体の総合的性能──運動能力や防御力など──をお手軽に向上させることが出来る。

 勿論、コーティングしている間はずっと少量ずつ魔力を消費するし、構成式を構築して発動する魔法とは比較にならないほど効力が落ちるが、それでも知識や演算が無くても感覚任せで行えるので、普段からやっておくメリットは十分にあるだろう。

 それなのに、俺が遭遇してきた魔物たちは殆どそれをしなかった。例外は、ジャーキーとブリーフ君(仮)くらいだろうか。

 果たして、オークやビッグボアのような魔物は魔力の纏い方を知らないのか、それとも何か特別な理由があるのか。

 ……俺みたいに「正体を隠したいから」とかではないとは思うんだけど……う〜ん。

 まぁ、人間からすれば、魔物は魔力を纏わなければ纏わないほど──弱ければ弱いほどいいのは間違いない。普通の猪が全部「鎮西の乙◯主さま」みたいになったら大変だからね。



 そんな事を考えていると──


 手を引かれていた女児が突然、躓いて転んだ。

 それに気が付いた男児が足を止め、女児を起こそうと腕を伸ばす。

 先頭を走っていた少女も慌てて踵を返し、二人を庇う。


 この小さなタイムロスが、オークたちにチャンスを与えた。


 離れていた距離があっという間に縮まり、遂にオークたちに追いつかれたのだ。

 一匹のオークが棍棒を振り上げ、ナイフを持った少女へと振り下ろした。


 柱のように太い棍棒が少女の頭を襲う。


 ──その直前に、俺はその棍棒を握る腕をナイフで切り落とした。


 同時に、3人に防御魔法を施す。



 俺に切られたことに気付かず、オークは肘から先端を失った腕をそのまま振り下ろした。

 少女の頭蓋を簡単に叩き割るはずのその一撃は、もちろん空振りに終わる。

 腕の断面から振り撒かれた血は、咄嗟に首を竦めて身を硬くした少女にかかる直前、見えない壁に阻まれて地面に落ちた。俺が展開した《空気盾エアーシールド》がちゃんと作用している証拠だ。


 2メートルを超える自分の巨体から放たれた一撃で倒れない少女に、棍棒を振るったオークは瞠目する。

 武器が悪いのかと右手を見下ろし、やっと肘から先がなくなっていることに気が付く。


「ゴ、ゴオオオオォォォ‼」


 一拍遅れて、野太い悲鳴が上がった。


 オークの腕を切り落としたのは、以前ブリーフ君(仮)の首を落としたのと同じ魔法──《噴流切断ジェットカッティング》だ。

 刀身の短いナイフだけでは、オークの太い腕を完全に断ち切るのは難しい。胴体を攻撃するにしても、内蔵まで届かないので、致命傷を与えることが困難だ。

 だから、俺は前回と同じ様に《噴流切断ジェットカッティング》で切断範囲を伸ばした。

 前回と違うところと言えば、今回は事前にナイフに血が付いていなかったので代わりに俺の唾で間に合わせたところだろうか。


 地球向こうの剣豪なら、己の肉体能力と技だけで《噴流切断ジェットカッティング》と同じようなことが出来るのだが、俺はやらない。できるけど、やりたくない。

 超高速で刃物を振って斬撃の衝撃波を高圧液刃みたいに飛ばすとか、どんな肩してんのあの人たち?

 俺だったら、何回か振ったら確実に肩壊しちゃうよ。

 それ以前に、本職が「魔法使い」である俺としては、剣術ではなく魔法の方が性に合っている。

 剣術より《噴流切断ジェットカッティング》の方が断然楽だからね。



 腕を押さえながら悶えるオークに、他の5匹が激怒したように咆哮を上げ、同時に棍棒や石を振り回しながら突進してくる。


 オークとは初エンカウントだけど、人前だから今回は性能テストはなしだ。

 殲滅戦といこう。


 ナイフを逆手から順手に持ち替え、オークの突進に突進で応える。

 勿論、身体的接触は一切しない。なんかばっちいから。

 突撃してきた最前のオークと衝突する直前で身を捻り、直線上から逸れる。

 同時に、ナイフの先端に《噴流切断ジェットカッティング》を構築し、抜刀の要領で刃を振る。


 最前のオークの胴体を、腰の辺りで上下真二つに切り分ける。


 これくらい出来なければ、あの要求基準が高すぎる師匠に怒られると言うもの。

 中学の時なんて、修行で行ったアフガニスタンの砂漠で「このバターナイフを使ってあの壊れた米軍戦車エイブラムスを一撃で輪切りにできるようになるまで、水と飯抜きな」と言われたことすらあるのだ。

 いやバターナイフって分類的には「武器」じゃなくて「食器」だし……。


 トラウマスイッチが入りそうになる俺に、オークたちは動揺と恐れを隠しきれない眼差しを向けて来た。

 真っ赤な臓物と生臭いニオイを撒き散らしながら真っ二つにされる仲間を目にして、やっと相手が悪いことに気が付いたらしい。


 残念だけど、もう遅い。

 一匹たりとも生きて返すつもりはないから。


 最初に動いたのは、腕を失ったオーク。

 背中を見せて逃げていく。


 その汚い背中に、俺はすかさず《空気弾エアーブレット》をお見舞いする。

 魔力が込められた高圧縮空気の弾丸は、高速で回転しながらオークの頭蓋にヒットし、大きな風穴を開けた。

 額に開いた射出口からは脳漿と頭蓋骨の破片がばら撒かれ、辺りを赤く染める。

 我ながら綺麗なヘッドショットだ。


 残った4匹のオークが、慌てて短い足を動かして四方に逃げ始めた。

 こういうときは、一匹ずつではなく、一気に始末した方が手っ取り早い。


 素早くナイフに構成式を構築し、その切っ先を先ほど両断したオークの残骸に向ける。

 すると、輪切りにされたオークの死体からナイフの先端に血液が集まり、赤黒くて細〜い鞭を形成した。

 これは、《鉄製武器製造アイアンウェポン・クリエーション》という磁力で鉄分子を誘導して擬似武器を形成する3次元魔法を俺がアレンジしたもので、その名も《血清鉄鞭ヘモグロビンウィップ》。

 一応、俺のオリジナル魔法だ。


 こういったアレンジ魔法は、地球向こうの魔法使いの間では当たり前のように使われている。

 俺や師匠に限らず、一定以上の知識と実力、そしてある程度の発想さえあれば、誰でもオリジナルの魔法を作り出すことが出来る。

 実際、半数以上の魔法使いが何らかのオリジナル魔法を持っている。


 武器製造魔法は、作成系魔法の中では割合ポピュラーなもので、自己流にアレンジされることが多い魔法の一つでもある。

 路傍の自転車から鉄を抽出して即席の拳銃を作ったり、そこらのアスファルトを剥がして緩衝装甲板に改造したり、車やスマホからレアメタルを集めて「エンゲルマン流体合金」の剣を作ったりと、その用途は幅広い。

 俺の知っている女性魔法使いなどは、落ち葉から炭素を抽出して瞬時に対対戦車砲用防弾プレートを作ったり、廃棄された原付を瞬時に防御魔法貫通型徹甲弾をばら撒く凶悪な対人地雷に作り変えたりと、ガチでチートな使い方をしていた。

 ……あのロリババアとはもう二度と戦闘訓練なんかしたくない。マジで死ぬかと思った……。

 ああいう人の魔法と比べると、俺の作った血清鉄ヘモグロビンの鞭なんて切れた輪ゴムみたいなものだが、今はオークを4匹ほど仕留められればいいので、良しとしよう。

 大怪獣と背比べしても良いことは何もないからね。



 残った4匹のオークが、なりふり構わずに逃げていく。

 その背中に向かって、俺は先端から鞭を生やしたナイフを横一文字に振るう。

 コツは、手首だけでなく肩や肘にもスナップを効かせること。


 血液から抽出できる鉄分量などたかが知れているので、鞭とは言っても、その太さは髪の毛にも満たない。

 だが、その威力は折り紙付きだ。


 普通の人間では見えない程に細い鞭が、しなりながら逃げ惑う4匹のオークに襲い掛かる。


「ブギ⁉ ブ──」


 違和感を感じたのか、一匹のオークが己の体を見下ろした。

 そして、ゆっくりとずり落ちていく自分の胴体を見て驚きと絶望の声を上げ、そのまま絶命した。

 もちろん、他の3匹にも同じ結果が平等に訪れる。


「ブッ──」

「ギ──」

「ブオ──」


 上半身と下半身が泣き別れた残り3体は、短い悲鳴と共に絶命。内臓と大量の血液を辺り一面にぶちまけた。



 よし、これでミッションコンプリート………………あ、やべっ。


 達成感に浸ったのもつかの間、辺りを見渡した俺は思わず頭を抱えた。

 俺が振るった《血清鉄鞭ヘモグロビンウィップ》は、オークたちだけではなく、その周囲に生えていた木々をも一緒に切断してしまっていたのだ。


 切る間合い

 測り損ねて

 大破壊


 バキバキと轟音を上げて倒れていく木々を眺めながら、俺は自分のやらかしを後悔する。

 これ、師匠が見たら絶対大爆笑しながらお仕置きしてくるやつや……。


 見れば、罪もない木が無駄に大量伐採されたたせいで、鬱蒼とした山には切り開かれた空間が形成されていた。

 しかも、結構広い。



 ちょっと失敗しちゃった。

 てへぺろ☆(・ω<)



 ……。

 …………。

 ………………この倒れた木々も、後でオークと一緒に燃やさなくちゃなぁ……。


 裏山に出来たこの十円ハゲみたいな場所、遠くから目立たなければいいなぁ……。


 そんなことを考えながら、俺は後悔の溜め息をついたのだった。

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