17. 一狩りいこうぜ!

 思わぬところでイヌ科な魔物をペットにしてしまったが、俺は別に鬼ヶ島の原住民を倒しに行く予定などないし、類人猿と国鳥が仲間に加わることも期待していないので、さっさと本来の仕事に戻ることにした。

 というか、そっちの方はまだ何もやっていない。


 採りたい薬草とジャーキーの代わりになるお肉を求めて、俺たち一人と一匹は裏山を行く。

 薬草に関しては、自生している場所を知っているから採るのに苦労はしない。

 なので、優先すべきは食肉の確保の方だ。

 こればかりは、自分から探しに行かないと見つからない。


 足跡や排泄物、抜け毛やマーキングポイントなどを注意深く観察しながら山道を歩く。

 俺の目的を理解しているのか、ジャーキーも何かを探すように地面をクンクンと嗅ぎながら進んでいる。

 流石はイッヌである。



 二十数分後。

 俺は300メートルほど先に、大型の生き物の気配を発見した。

 もう100メートル程近づくとジャーキーも匂いを嗅ぎつけたようで、気配のする方に向かって「ウゥゥゥ!」と低い声で唸り始めた。

 意外と使えるな、こいつ。

 もしかしたら、将来的には狩りの仕事をジャーキーに一任してもいいかもしれない。

 そんなことを考えながら、俺達は気配を消したまま身を低くし、静かに忍び寄る。


 やがて、標的の姿を目にした。


 それは、天を突くような二本の長い牙を下顎から生やした、丸々と太った立派な猪。

 地球の猪と違うのは、体長・体高共に1.5メートルほどもあるところだろうか。


「『ビッグボア』だな」


 この巨大な猪も、一応は魔物である。

 今はフゴフゴとのんきにキノコを食んでいるが、実際はかなり凶暴な生き物で、人間を襲うこともしばしば。

 魔法が使えない代わりに全身に微かな魔力が巡っているので、普通の動物に比べてかなり頑丈な身体をしている。

 加えて、短くも力強い四足による全力疾走は荷馬車のそれに匹敵するので、焦げ茶色の剛毛に覆われたその巨体から繰り出される突進はなかなかに危険だ。人間からすれば、アクセルベタ踏みで突っ込んでくる軽トラみたいなものである。

 おまけに、元が雑食であるため、轢いた人間をそのまま食べてしまう、などということもたまにあるそうだ。

 このビッグボアという魔物は、この世界では結構ポピュラーな存在らしく、ピエラ村近辺でもよく見かける。何処にでも棲息している上にそれなりに獰猛で危険なので、農村部ではダイアウルフと並んで厄介者扱いされている。

 ちなみに、「いのしし」はちゃんと別に存在するらしく、魔物ではなく獣という扱いだ。こちらの世界の猪も、猪突猛進の言葉が示すように、人間に向かって突進してくることがあるが、魔物であるビッグボアほどの危険性はないそうだ。


 多分だけど、この世界での「獣」と「魔物」の違いは「魔力があるかどうか」だと思う。

 ほとんど同じ外見と習性を持ちながら、微かに魔力を持つビッグボアは「魔物」に分類されているのに対し、魔力を持たないただの猪は「獣」に分類されている。

 だから恐らく、魔力があれば「魔物」、なければ「獣」なのだろう。



 学術的な話はさておき。



 ビッグボアである。

 猟師として働き始めてから何度も狩ったことがあるので、対処は慣れたものだ。


 俺はジャーキーと一緒に中腰でビッグボアへとにじり寄る。

 相手は、小さい耳をピクピクと四方に向けて軽く警戒しているが、俺たちの存在にはまだ気がついていない。


 彼我の距離が50メートルまで縮まると、相手の視線が向いている方向すらもはっきりと見えるようになる。

 これは、俺が持っている短弓の有効射程範囲に入ったことを意味する。


 では、仕留めるとしますか。


 矢筒から矢を一本取り出し、その先端に構成式を仕込む。

 そして、矢を弓に番える。

 弓は、固く握りしめるのではなく、力んでいない左手で前方に押し出すように持つ。もちろん、そのままでは落としてしまうので、指の間に矢を挟んだ右手で弦を引き、添えている左手とで引っ張り上げるようにして構える。

 両肩は水平に、体は横一文字に保つ。そして、向いている方向とは逆の目を基準に、狙いを定める。


 狙うは、ビッグボアの目玉。

 入射角は、頭部正面に対し45度〜60度──矢が眼孔から直接脳に刺さって即死させられる角度──がベスト。

 呼吸は自然に。

 力まず、緩まず、優しく静かに弦を離す。

 すると、しなるリムが張り詰めた弦を引っ張り、番えられていた矢を勢い良く弾き出した。


 矢が弓を放れた瞬間、鏃に付与されていた魔法が発動する。

 付与した魔法は《空気流動制御エアーフロー・コントロール》。文字通り、空気の動きを操作する3次元魔法だ。《鎌鼬かまいたち》や《空気盾エアーシールド》の根底にある基礎的な魔法で、その応用法はあげつらうことができない程に多い。

 組み込んだ構成式の内容は「質量が100グラムを超える物体に接触するまで、鏃先端の相対空間に直径2ミリの球状真空を作り出す」というシンプルなもの。これで矢は空気の抵抗を受け辛くなり、命中精度と飛翔速度と飛翔距離がぐんと増す。


 今回は弓で狩る方法を採用したが、普段の狩りでは大体、《空気鎚エアーハンマー》という魔法を使っている。

 常温圧縮した空気の塊で額を一撃で陥没させることで、対外的に「突進してきたから避けた、そうしたら木にぶつかって自滅した」ということにするのだ。

 今の俺は「戦闘力が皆無なので弓も殆ど使えない」というキャラ設定だから、大体の獲物はこういった「事故」や「まぐれ」のお陰で狩れたことにしている。勿論、弓で狩るときも、「運よく中った」ことにしている。


 弦を放れた矢は、文字通り空気を切り裂きながら飛んでいく。


 とんでっけぇ~、君の瞳にHit♪ お任せしなさい、即死させてアゲル♪ アゲル~~♪


 ルンルン気分で危ない歌詞の替え歌を口ずさみながら矢の軌道を目で追う。

 真空に引っ張られるように飛ぶ矢は、弾丸を思わせる速度でビッグボアへと襲い掛かる。もちろん本物の銃弾には遠く及ばないが、それでも普通の矢では決して出せない速度だ。

 そして──


 ドスッ! 


「ブギッ──!?」


 右目にクリーンヒット。

 ビッグボアは、短い悲鳴を残してドサリとその場に倒れる。数度ビクビクと痙攣し、すぐに静かになった。


 はい、お肉ゲットです。


 師匠との修行で古式兵器の扱い方を徹底的に叩き込まれたときは「こんな古いもん何時何処で使うんだ」と疑問に思っていたが、まさかこんな所で役に立つとは。


 笑みを浮かべる俺の横で、ジャーキーが「ワウ!」と祝福してくれる。

 ワシャワシャと頭を撫でてやると、甘えるように自分から頭を擦り付けてきた。


「おー、よしよし、お前も嬉しいか、ジャーキー。でも、まだまだ仕事は終わってないぞ?」


 スーパーで売られている処理済の食肉と違い、このビッグボアは仕留めたばかりである。その為、今すぐ血抜きという下処理をしなければならない。

 都会っ子の俺からすれば面倒極まりない作業だが、これをやらないと肉に嫌な臭みが残ってしまうので、省くことはできない。


 目に刺さった矢をそのままに、ポケットからナイフを取り出し、地面に横たわるビッグボアの首筋に突き立てる。確実に頚動脈にたどり着いたことを確認すると、ナイフを抜かずに先ほどの《空気流動制御エアーフロー・コントロール》を再度構築し、それをナイフで刺した箇所に設置。ナイフを引き抜くのと同時に発動させる。

 途端に、傷口から血液が潰したホースから吹き出る水を思わせる勢いで噴出した。


 通常の血抜きは心臓のポンピングを利用するか、吊るして重力で血を流しきらせるのだが、俺の方法はもっと簡単だ。

 原理は真空採血管を使った採血と同じ。《空気流動制御エアーフロー・コントロール》でナイフの切り口に小さな面状真空を作り出し、気圧差を利用して全身の血液を強制的に外に吸い出すのだ。

 ちょっと乱暴に見えるが、シャティア姫の採血のような丁寧さを要求される作業ではないので、問題はない。むしろ、こっちの方が徹底的に血を抜けるし、時間も掛からないので、普段から積極的に使っている。


 瞬く間に、ビッグボアの血液が噴き出た先に大きな血だまりが出来上がっていく。

 立ち込める血の臭いに興奮したジャーキーが、すぐ横で遠吠えを上げている。なんだかとっても楽しそうである。

 君、さっきまで命の危機(原因は俺だが)だったこと、忘れてない? 

 まぁ、ずっと尻尾を挟んだままでいられるのも困るし、これはこれでカワイイからね。

 適応能力が高いことはいいことだ。


 結果、超便利な魔法のお陰で、血抜き作業はわずか十数秒で完了した。


 次に、獲物の解体である。

 ビッグボアを横向けに寝かせ、喉元から胸と腹を経て肛門までナイフを入れ、開腹する。

 もちろん、内蔵を取り出す準備だ。


 大きな獲物の場合、仕留めた後すぐに内蔵を摘出しないと、内臓に残った熱で腐敗が早まったり、胆嚢や胃などの臓器が潰れて肉が汚染されたり、内蔵内にいた寄生虫が肉に移ったりしてしまう。なので、環境が許すのであれば、その場で直ぐに解体してしまうのが望ましい。

 まぁ、これに関しては師匠とのサバイバル訓練(と言う名の遭難生活)で何度もやらされたから、かなり慣れたものだ。


 胸骨と骨盤を開き、喉元で気管と食道を切り、尻尾の付け根辺りで肛門と腸を断つ。そして、胃と腸と胆嚢を破らないように気をつけながら、内臓を一気に掻き出す。

 一応、内臓も食べられないことはないのだが、ウチの村では食べないことにしている。下処理に恐ろしい程の手間暇が掛かるし、間違って寄生虫を食べてしまっても後が面倒臭い。飢饉ならばともかく、人手と時間を割いてまで食べる程のものではない、という結論に達したのだ。

 だから内臓はだいたい捨てている。

 まぁ、俺はたまにモツが食べたくなった時に、こっそり持って帰って食べているんだけどね。草食系は肝臓レバー心臓ハツが美味い。


 かなりデカいビッグボアの血と内臓を全て抜いたせいで、俺の足元の土は赤黒く染まっている。

 このままだと辺りに充満した血の臭いが拡散して、ジャーキーみたいな肉食獣を呼び寄せてしまう。それに、新鮮な内臓と大きな血溜まりは、優良なタンパク質の溜まった巨大な培地皿シャーレと同じで、色んな菌の楽園となってしまう。

 肉食獣ホイホイなんか作りたくないし、ましてや謎の疫病の発生源を生み出すなどまっぴらである。

 災いの芽は、先に潰しておくに限る。

 なので、血溜まりと内臓は、土を被せて完全に埋める。

 本当は抜くのと同時に血液を水と諸元素に分解することもできるのだが、それだと「抜いた血は何処に行った?」と聞かれた時に答えに窮してしまう。別に完全犯罪を為したいわけじゃないから、抜いた血はその場で適当に埋めてしまったほうが色々と都合がいいのだ。

 作業としては、5次元魔法の《指向性爆破ディレクティブ・エクスプロージョン》で地面をちょっと吹き飛ばして血だまりに土を被せるだけだから、割と簡単だ。


 手早く構成式を構築し、魔法を発動。

 すると、くぐもった小さな爆破音と共に吹き飛ばされた土が大雑把に血だまりを覆う。


「くぅ〜ん……」


 横から可哀想な鳴き声が聞こえてきた。

 見れば土を被って埋まった内臓を切なそうに見つめるジャーキーの姿が。


 ……あれ?

 もしかして、食べたかったの?


 そう聞いてみると、ジャーキーはまたもや切なそうな目で見てきた。


 ……そうか。食べたかったのか。

 なら、次からはジャーキーのおやつにしよう。今回は我慢してくれ。


 ジャーキーは俺と血溜まりを交互に見比べて俺が何をしたいのか理解したらしく、未練たらたらながらも器用に後ろ足で血溜まりに土を掛け始めた。お手伝いしてくれているらしい。実にイヌ科らしい動きで、絵面が面白い。


 血が染み込んだ土が見えなくなれば、作業完了である。

 うむ。偽装工作としてはまぁまぁの出来だろう。

 ナップサックにはちゃんと小さな木製スコップを入れているし、適度に掘った跡らしき痕跡を残しているので、誰がどう見ても血溜まりを手作業でちょっとずつ埋めたようにしか見えない。というか、この掘った跡を演出するためにわざわざ《指向性爆破ディレクティブ・エクスプロージョン》なんていうまどろっこしい魔法を使ったわけだしね。


 最後に、まだ青い枝を集めて火を起こし、白い煙を上げる。

 これは「大物とったどー!」という意味の狼煙である。


 ウサギなどの小動物ならまだしも、今日の獲物は軽く600キロを越える大物だ。全身の血液と内臓をすべて抜いても、まだ300キロは優にあるだろう。

 普通の小僧(という設定)の俺がこんな大荷物を一人で村まで運ぶことは絶対に不可能。というか、余裕で大人一人を持ち上げられるあのケビンでも無理だろう。

 こういう時に使われるのが、この合図の狼煙だ。

 事前に決めたこの合図白い煙を見れば、村の人間なら誰でも煙が立ち上っている場所に獲物が放置されていることが分かる。

 この方法なら、遠く離れた村の中からでも場所がはっきり分かるし、他の肉食獣も煙が上がっている場所へはあまり近寄らない。それに、白い煙を上げるために瑞々しい枝を燃やしているので、火はすぐに消えて煙だけがモクモクと上がる状態になる。放置しても森林火災にならないのだ。

 実にいいアイディアだよね。発案者(俺)はホントに偉大だな〜!(自画自賛)


 目の前で白い煙がモクモクと上がったのを確認して、俺はその場を後にする。

 もう数十分もすればケビン率いる四人一組の運搬係が荷車を押して駆けつけてくるだろう。俺が魔法ではなくあえて弓と矢を使って狩りをしているのも、後から来た彼らに「まとも」な──魔法による殺傷痕のない──獲物を残すためだ。

 余計な手間に見えるが、これも俺にとっては己のキャラクターを通すための立派な「猫の皮」なのである。

 実際、ただの小僧(という設定)である俺が獲物を仕留めても「いやぁ、矢がうまい具合に当たっちゃってさぁ」と言えば皆が納得する。

 ……ほんと最近、嘘しかついてないな、俺……。


 とりあえず、後はケビンたちに任せて、俺は薬草採取に移ろう。

 それとジャーキー、いつまでもビッグボアの内蔵が埋まっている辺りを切なそうに見つめないの。

 あとで美味しいものあげるから。

 ほら、行くぞ。

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