14. 薬草師のお仕事

 どうも皆さんこんにちは。

 ナインです。


 実は現在のわたくし、農村に住んではいますが、農作業は一切やっておりません。


 ではどうやって生活しているのかというと──

 生活に必要な食料や日用品は全て恵んでもらっているのです…………というのは冗談で、本当のところは自作の薬と引き換えに、村の皆から穀物や野菜を貰っているのであります。

 一応、俺、薬草師(詐称)だからね。



 地球の中世に相当するこの世界では、風邪一つであの世行きが当たり前だ。

 薬局やクリニックがコンビニ並みに乱立し、ちょっとした不具合であれば市販薬でどうとでも出来てしまう現代日本とは違って、この世界では貧しい人が多く、医者と薬が少ない。

 よって人々は、たとえ病魔に侵されたとしても、多くの場合でじっと耐えしのぐしかないのだ。


 しかし、何の治療行為も受けずにただ寝ているだけで治る病気など殆どない。というか、自己免疫と休息だけで治せる病気は、そもそも病気とは呼ばない。

 何の処方もせず、ただ傷ついた獣が如く丸くなって眠るだけでは病気など治らない。治らないどころか、更に悪化させてしまうだけである。

 実際、現代の地球でさえ、薬を買わずに自然と治るのを待っていたらいつの間にか死んでしまっていた、なんてことはざらにある。


 それは都市部と比較して相対的に貧しい農村部で更に顕著なわけで、現に今俺が住んでいるこの家も、元は若い夫婦のもので、二人は一年前に軽い風邪が原因で亡くなってしまっている。

 当時は俺みたいに薬を作れる人間がいなかったから、怪我や病気は死ぬサインとまで言われていたそうだ。


 誰しもが毎日必要なわけではない代わりに必要とする時は大抵が命に関わる時で、普段は有り難みを感じないくせにいざ必要なときにないとメチャクチャまずい代物。それが薬というものなのである。


 だから、どこの村も薬草師を心の底から欲しがる。

 特に、俺が「薬草薬」と称して作っている薬はその殆どが魔法薬だから、効果が薬草のみで作る生薬と比較して格段に高い。それこそ、一般的に難病と言える病にすら効くくらいに。

 だから、俺の薬の効能を実感した村人たちは、俺のところに大挙して押し寄せ、


「村全体で養ってやるから!」

「薬さえ作ってくれれば力仕事なんかしなくていいから!」

「不自由はさせないから!」

「お願いだからこの村から離れないでくれ!」


 と、土下座されそうな勢いで乞うてきたのである。


 こうして、俺は唐突に「流れてきた怪しいよそ者」から、一気に「村全体で養うべき大先生」へと格上げになってしまったのだった。

 自分の有用性をアピールするつもりで作ったキャラ設定だけど、ここまで効くと逆にちょっと怖いよ……。


 それからと言うもの、俺は「薬草師の仕事の妨げになってはいけない」という理由で、農作業という農村における最も一般的且つ重要な労働に一切参加させてもらえなくなった。


 通常、たとえ農業が専門でなくとも、農村に住んでいる以上は大なり小なり農作業に着手する必要がある。というか、それは村に住む人間の義務だ。

 農村にいながら農作業をしないというのは、公務員でありながら公務をしないのと同じだ。普通であれば許されざる暴挙と看做され、大概は村八分にされるか、最悪、追放されることになるだろう。


 ところが、俺の農作業への参加免除──という名の禁止命令──は、村人全員による満場一致で決定されたらしい。

 曰く、「お前さんの場合は超法規的措置ってやつだ」。


 この世界の農民の食料は、99%が自分たちで育てた作物だ。店で買えば食べ物が手に入る都市部の住人と違い、自分たちで食べる分は納税分と合わせて自らの手で育てなければならない。

 よって、農作物を何も生産しない(させてもらえない)俺は、必然的に食料が手に入らないということになる……はずなのだが、村の皆からは異口同音に「それは心配するな」と言われた。


 一体どういうことなのかという疑問は、すぐに解消された。


 俺の就業規則農作業禁止令に関する投票が行われた次の日。

 玄関の扉を開けた俺は、ドアの前に山と積まれた食料を発見したのだ。

 大量の小麦と小麦粉、極少量の野菜と山菜、塩や木の実などなど。一家3人が2〜3日食べていける量の食料がそこにはあった。

 困惑する俺に、ご近所さんは「これからは村でお前を養っていくから」と説明してくれた。


 それからというもの、俺の家にはほぼ毎日と言っていいほど食料が届けられるようになった。各種食材は勿論のこと、たまに焼きたてのパンや煮込み料理をお裾分けされることもある。なんだか供物くもつ……いや、貢物みつぎもの……飼料しりょう……もとい食料の定期宅配サービスみたいだ。

 ほんと、至れり尽くせりである。


 比較的裕福な町や都市ならいざしらず、己の口に入るものはすべて己の手で育てなければならない農村において、他人から食料を提供してもらうことがどれだけ特別扱いか。これぞ優遇の典型例と言っていいだろう。

 感謝してもしきれない。


 これだけ良くしてもらっているのだから、俺も自分の仕事を十二分にこなさないと信用が消し飛ぶというもの。というか、皆が俺を厚遇してくれるのは、俺の薬草師としての仕事に期待しているからだ。

 ちゃんと薬を作るから、皆に養ってもらえる。ギブ・アンド・テイクというやつである。


 そのため、俺は毎日のように薬の原料である薬草が生い茂る場所──村にほど近い山──に脚を運んでいる。



 言うまでもなく、その目的は──食肉の調達である。



 え?

 薬草師の仕事はどうしたんだ、って?

 勿論、それはちゃんとやっているよ。


 製薬というのは、実は結構手間暇が掛かる作業だ。

 薬草を乾燥させたり、すり鉢で磨り潰したり、触媒やアルコールなどに浸して薬用成分を抽出したり、煮詰めて濃縮したりと、必要工程が多く、時間も食う。一人分の薬を作るのに、大体一日から数日はかかるだろう。

 それに、必要とする薬草の量も少なくない。特に、薬効成分を濃縮する必要があるような薬は、大量に薬草を準備しないと有効な薬を調合することが出来ない。

 ちゃんとした薬をちゃんとした手順でちゃんと作ろうと思えば、それなりに手間暇と原料がかかるのである。


 ただ、それは普通この世界の薬草師の話だ。

 俺のやり方はそれらとかなり違っている。


 現代魔法薬製法を用いているお陰で、これらの煩雑で時間がかかる作業も魔法でパパッと終わらせることが出来る。

 おまけに、魔法で直接薬効成分を操作しているので、抽出率や濃縮率が極めて高い。言い換えれば、薬草の利用率がとても高いということであり、必要とする原料薬草の量も少なくて済むということ。

 つまり、製薬の時間が超短縮できるだけでなく、原料消費も少なくて済むのだ。


 実際、村で使うような薬──風邪薬や傷薬など簡単なもの──程度であれば、1瓶一人分作るのに5秒もかからない。

 村の皆には聞かせられない話だけど、村人全員が100年でも使い切れない量の薬を調合するのに、俺なら正味30分もあれば事足りてしまう。使う原材料も、通常サイズの薬草が十数株もあれば十分だ。

 そう、現代魔法薬製法ならね。


 そんなわけで、俺の薬草師としての実労働時間は、実はかなり短かったりする。


 ただ、ノルマ達成までの所要時間が短いからと言って、余った時間一日の大半を無為に過ごすのは流石に申し訳が立たない。

 考えてみ?

 月初めの数日で月間ノルマを達成した優秀な新入社員が「じゃあ俺、今月の仕事終わったんで帰りますわ。お疲れっした〜」と言ってその日から次の月まで会社に来なくなったら、会社の皆がどう思うか……?

 誰だって「ふざけんなぁぁぁ‼」ってなるでしょ?

 だから俺も、製薬が十分間に合っているからといって、休んでばかりではいられないんだよ。


 何より、簡単な薬をチョチョイと作るだけで養ってもらうというのは、流石にヒモ過ぎるというもの。俺の精神衛生上、それはあまりよろしくない。

 だから、製薬以外にも何か仕事をする必要があるのだ。


 では、何をするのか?


 農作業は……免除禁止されている。

 小物作りなどの簡単な手作業は……女性と子供たちの仕事を奪っちゃダメですかそうですね。

 水路のメンテナンスや拡張、新畑の開墾などの単純な肉体労働は……ちょっ、「ヒョロヒョロ野郎が無理すんな」ってなんだよ!


 ……と、こんな感じで、俺の副業探しは難航した。


 うーん、どうしたものか……。


 そうだ!


 行き詰まったときは、考える視点を変えればいいんだ!

 以前、ブック◯フの108円コーナーで買った色褪せたハウツー本にも書いてあったじゃないか!


 ・新たな視点で物事をニュー・ビューポイントで見ろ!

 ・異なる焦点で問題をディファレント・フォーカスで捉えろ!

 ・新しい着想からニュー・アイディアを得ろ!


 そうだよ、これだよ!

 さすがは鷺山さぎやま 程志多ほどした先生の著作!

 実に為になる!

 師匠には「なんでこのバカ弟子はこんなアホな本を買ってきたんだろう?」みたいな顔をされたけど、この本を買った俺はやっぱり間違っていなかったんだ!


 そんなわけで。


 鷺山さぎやま先生の著書にヒントを得た俺は、論理的思考でロジカルにシンキングした。


 既存の職業の中に相応しいものがなければ、自分自身が感じている不便や欲求から新たなニーズを見つけ出し、それを職業にすればいい。

 ライト兄弟は「空を飛んでみたいな、兄者よ!」「うむ、空を飛べる何かがあればいいのにな、弟よ!」と考えて飛行機を生み出した。そしてそこから派生して生まれたのが「飛行機パイロット」と言う職業であり、「航空産業」という一大マーケットだ。


 自分の悩みや欲求を解消できるのと同時に、自分と同じような悩みや願望を持っている人たち相手に商売をすることが出来る。

 まさに一石二鳥である。


 ──ならば。


 今この村に無くて、今の俺が「あったらいいな〜」と思うものは何か?

 ……職安(ハロワ)?

 って、違う、そうじゃなくて。


 俺が何よりも焦がれ、欲するもの……。

 うん。

 しかないね。



 ズバリ、肉だ。



 実を言うと、我が家の食卓には長らく肉が上っていない。

 俺はそのことに我慢の限界を感じていた。


 この世界の農村の食生活は、貧相そのものである。

 毎食と言っていいほど、堅焼きパンと屑野菜の薄味スープだけ。たまに木の実や干した果物が添えられるぐらいで、油分の多いものや脂質とタンパク質の豊かな料理──揚げ物や肉料理といった人間が本能的に「美味い!」と思うようなもの──を見かけられるのは、せいぜいが冠婚葬祭の時のみである。


 師匠との過酷な修行で大抵のことは我慢できる俺でも、流石にここまで過剰な健康食には両手を挙げて降参するしかなかった。

 修行云々を抜きにしても、俺は現代に生きる育ち盛りの17歳男子である。菜食生活が性に合うわけがないし、そもそもこんな偏った食生活は栄養学的に問題がある。


 油や脂がジュワッとなるものが食いたい。

 濃い味のものが食いたい。

 ジャンクなものが食いたい。

 カロリーのあるものが食いたい。

 というか根本的に、お肉が食いたい‼


 いや勿論食料をお裾分けされている身としては頂いているものに文句は一切ないし、いつも新鮮な食材を分けてくれている村の皆には感謝しか無いし、寧ろ師匠との過酷な訓練を振り返れば食べ物があるだけ万々歳なんだけど……食べるなら美味しいものがいいと考えちゃうのは人として仕方がないことだと思う。

 だって、肉、美味いもん。


 一応、この村にも猟師らしき人物はいる。

 それが大男のケビンだ。


 ケビンは生まれつき大きな体格を持つ「パルタゴン族」であり、2メートルを超えるその巨体はまるで巨人のよう。熊と素手で殴り合っても勝てそうなビジュアルをしている。

 しかし、ケビンは生まれも育ちも農家の、生粋の農夫だ。本業はあくまでも農業であり、狩猟は片手間の副業に過ぎない。

 実際、彼が猟師のマネごとをしているのも、「体がデカいから、森でなにかに襲われても──ビジュアル的に──なんとか生き延びられるかもしれない」というめちゃくちゃ適当な感覚論からだ。

 そのため、ケビンの狩りの腕前はお世辞にもいいとは言えなかった。なにせ弓は持っているくせに、まともに射る事すらできないのだ。狩りはもっぱら運と神と罠に頼っているらしい。

 必然、狩りの成果も微々たるものとなる。

 10日に一匹獲物が罠に掛かれば御の字。仕掛けられる罠が小さいので大物は期待できず、鳥や兎のような小物ばかりとなる。獲物が小さすぎて村人全員に肉が行き渡らない、なんてこともしょっちゅうだ。


 俺もこの村に来て一月近く経つけど、ケビンが持ってきた肉を口にしたのはたったの一度限りだった。大きさは親指大で、それが一切れ。もうほとんど屑肉である。

 ただ、どうやらこれでも一番大きい一切れを分けてくれていたらしく、幼子がいない家庭には一欠片も配分されていないそうだ。

 ……まぁ、うさぎ一匹を村人全員およそ300人で分けようと思えば当然こうなるよね……。


 俺は村の皆からの善意贔屓に感激したと同時に、「これはどげんかせんといかん!」と本気で思った。


 静かな生活に憧れる俺だが、別に何もない苦行森に住まう苦行僧になりたいわけじゃない。

 脂がタップリ乗った肉を腹いっぱい食べたいし、そのためならば獲物の命を毎日奪うことだって躊躇わない。

 ちょうど仕事を探していたところだし、ここはケビンと一緒に村の食肉事情をなんとか改善しよう。


 そう考えた俺は、ケビンに「ちょうど薬草を取るのに裏山に行くから、俺も何か手伝うよ」と狩りのを申し出たのだった。


 そう。だ。


 新参者がいきなり他人の仕事にとやかく言うのは、心象がとてもよろしくない。

 それに、俺は戦闘力皆無という設定の非力な小僧だ。危険が付き纏う狩りに深く首を突っ込んでは不自然になる。

 だから、俺はケビンに「狩りの手伝い」という形での参加を申し出たのだ。


 ところが──


「いやー、そいつぁ助かるぜ! おれぁ、狩りにゃ向いてねぇんだよな。手伝いと言わず、これからはお前がメインでやってくれや。代わりと言っちゃなんだが、獲物を運ぶときゃ声を掛けてくれ。力仕事なら得意だからよ!」


 と、ケビンは大喜びでを俺に丸っと投げてきたのだ。


 それでいいのか、ケビンよ……。

 あ、願ったり叶ったりですかそうですか……。


 っていうか、戦闘が全く出来ない非力な少年(という設定の俺)に危険な狩りの仕事を丸投げするか普通?


 その事を柔らかい口調で迂遠に仄めかすと、


「そこはほら、お前、この前言ってたろ、『凄く辛くて臭い劇薬を作れて、それがあったからこの村にたどり着くまで無事でいられた』って。それがあれば狩りもなんとかなるんじゃね?」


 とケビンから反論された。


 ……いやそれ催涙スプレー的な薬品だから。護身用だから。狩りじゃ役に立たないから。

 ……って、聞いちゃいねぇな、この野郎。



 そんなわけで、俺は村の薬草師お医者さんだけでなく、村の猟師お肉調達係も兼任することになったのだった。

 ……いやまぁ、全然いいんだけどね。






 閑話休題。






 今日も今日とて、俺はひとり仕事へと出かける。


 その前に、まずは装備を整えないと。


 ホルスターとポーチがたくさんついた革製のベルトを腰に巻き、自家製の刺激物が入った細身の瓶を数本ベルトホルスターに挿し、採った薬草を入れるためのビンや木箱をベルトポーチに入れる。そして小さな鞘付きナイフをズボンのポケットに仕舞い、罠用のロープやサバイバル用の小道具を入れた小さな皮製のナップサックを背負う。最後にケビンが長年使っていた弓──使われた形跡は殆どなかったが──を肩に掛け、矢が数本入った矢筒を腰の後ろに巻きつける。


 これで準備は完了だ。


 弓は獲物を狩るために、そして刺激物の入った細身の瓶は危険な獣や盗賊などに襲われた時に投げつけるために持っている。

 ……まぁ、両方とも使う予定はないんだけどね。

 だって、狩りは魔法を使えば手ぶらでも十分出来るし、獣も盗賊も師匠並みのバケモノじゃなければどうとでもなるからね。


 じゃあ、なんで弓と刺激物入りの瓶を持っていくのかって?

 そりゃあ、偽装するために決まってんじゃん!


 今の俺こと「ナイン」という人物は「世界最強だった魔法使いの弟子」ではなく、「剣術も攻撃魔法も使えない、ただの薬草師」なのだ。

 そんな「戦闘力皆無な小僧」である俺は、獲物を仕留めるのに「弓と罠は必要不可欠」であり、万が一獣や盗賊に襲われでもしたら「事前に作っておいた刺激物を投げて、相手が怯んだ隙に逃げる」ことでしか身を守れないのだ。

 ……何このキャラ設定、ダウトが三つくらい含まれてるんだけど?

 まぁ要するに、これらの装備は今の俺のキャラを通すために必要な小道具というわけだ。


 勿論、本当にヤバい時は遠慮なく魔法をぶっ放して切り抜けるし、後から痕跡を消すための偽装工作もちゃんと施す。

 けど、それはあくまでも最終手段だ。

 被れる時は出来る限り猫を被るのが賢明というものだろう。


 このようにいつも自分のキャラ設定を忠実に守り続け、常に周囲に溶け込むことを第一に考えて行動してきたお陰で、俺はこれまで誰にも怪しまれずに過ごしてこられたのだ。

 我ながら、かなりの役者である。


 まぁ、俺が偽るのはあくまで経歴と能力だけだけどね。

 流石に自分の性格や為人までは偽らない。別にマジモノのスパイじゃないんだからそこまでする必要はないし、何よりそんな疲れる生活は嫌だ。

 俺は俺らしく、平穏に暮らすんだ。

 誰にも邪魔はさせない。



 装備を整えたところで、仕事に出かける。


 玄関に行くと、靴棚の上にバスケットボール大の黒い物体がとぐろを巻いて眠っていた。

 見た目はデフォルメされた二頭身のドラゴンのぬいぐるみだが、お腹の部分が規律正しく上下している。


「じゃあ、行ってくるから、留守は任せたぞ、バーム」


 そう言ってやると、黒いぬいぐるみは片目を開けて俺をチラッと一瞥し、「プフン」と小さな鼻の穴から息を噴き出してまた瞼を閉じた。了解の意を表したらしい。実にふてぶてしい態度である。


 名前からお察しの通り、このぬいぐるみみたいな可愛い物体こそ、俺がシャティア姫たちを送るために召喚した竜──バハムートのバームその人(その竜?)だ。


 を兼ねたにより、バームは今こうして幼生の姿で俺の相棒兼同居人と化している。ペットって言うと怒るから言わない。

 本当は留守中の我が家の警備員も兼任してもらっているのだが、いつも昼寝しているせいで帰ってくるとよく村の子供たちが勝手にうちに上がり込んで来ていたりするから、ちゃんと職務を全うしているとは言えない。まぁ、村には泥棒も強盗もいないからいいんだけどね。


 怠けている反面、バームはその猫のようなふてぶてしくも愛嬌のある態度と老若男女問わずキュンキュンさせるプリティーな外見から、今や村公認マスコットの座を手中に収めるに至っている。カワイイってほんとにお得だよね。

 悪さもしないし、寧ろ子どもたちの遊び相手になってくれる(全然動かないけど)ため、バームのことをとやかく言う村人はいない。


 一応、村のみんなにはバームのことを「俺が拾ったよく分からない生き物で、多分トカゲの一種」と説明している。本当のことを言ってもどうせ誰も信じないだろうが、一応これも偽装の一環だ。勿論、バームのことも言い触らさないよう皆に言い含めてある。まぁ、こんな可愛い物体を見て脅威を感じる人間も少ないだろうから、別に隠す必要もないんだけどね。


 ちなみに、「バーム」という名はすでにシャティア姫たちに知られているから偽名を使ってみてはどうかと本人(本竜?)に尋ねたところ、牙を剥いて拒否されてしまった。

 どうやら竜は己の名前に並々ならぬ執着を持っているらしく、たとえ一時的であっても本名──「真名まな」を偽りたくはないそうだ。

 まぁ、魔法学的にも人や物の名前には重要な意味があると考えられているから、その思いは分からなくはないけどね。


 竜のくせにまるで猫のような態度を取るバームは、瞼を閉じると再びお昼寝に戻っていった。

 あるじに対するふてぶてしい態度へのお返しとしてバームのスベスベな鱗をワシャワシャと撫でてやると、バームはとぐろを巻いたまま面倒くさそうに片目を開け、不機嫌な猫みたいな視線を向けてきた。

 バームのこの眠い時にかまわれて鬱陶しがる反応が可愛くて、俺は思わず満足のため息を漏らす。個人的にはバームのこういう猫みたいなところが、結構お気に入りだったりする。



 日課である「バハムート吸い」も終わったところで、家を出て裏山に向かう。



 ピエラ村に住む人々の間で「裏山」という通称で呼ばれているこの山は、村の東方に位置している。

 正式名称は「グリューン山脈 第三峰」。海抜がそれほど高くない代わりに結構な幅と面積を有する微妙に大きな4つの山からなるグリューン山脈の三番目の山だ。

 山の向こう側に隣国との国境があるため、この村的には山のある方角が「裏」に当たる。だから「裏山」。別にどこかの眼鏡男子がよく家出の場所に選ぶからそう呼ばれている訳ではない。


 山の麓には森が広がっており、村の東はずれまでその緑の手を伸ばしている。

 行商人のおじさんの話によると、野生の薬草は種類によって生息地がかなり異なるらしく、村の常備薬を作るために必要な薬草を全て一つの森で揃えるのは結構大変なことであるらしい。故に、殆どの薬草師は近くで手に入らない薬草を行商人へ発注・購入する形で揃えるそうだ。

 その点、ここグリューン山脈一帯は自然がとても豊かで、俺がよく使う薬草はその全てが裏山の西側斜面と麓の森で揃ってしまう。行商人に発注するどころか、裏山を越えて遠出する必要すらないくらいだ。

 いや〜、仕事に必要なものが近場で揃うっていいよね。コンビニが家から徒歩1分の距離にあるくらい便利だよ。


 村から出て麓の森に入り、森を抜けて裏山にたどり着くまでは、およそ1時間の道程。距離にして大体5キロである。

 森の中は比較的平和で、木漏れ日に照らされた地面は草の緑と大地の黒で斑になっている。澄んだ空気は大自然の香りを含んで鼻孔を優しくくすぐり、時折聞こえる鳥獣のハミングは鼓膜を心地よく震わせる。

 陰鬱で悄然とした樹海ではなく、明るくて静かな森林という雰囲気である。


 ただ、そこは流石に異世界の森。俺の知らない動植物が銘々悠々自適に生息している。

 掌ほどの大きさがある緑色のタンポポの綿毛のようなものが風に乗って宙を舞っていたり、触れると葉っぱを閉じる蔓植物が緩やかに樹々に巻き付いていたり、少しずつ色を変えていく苔が地面を彩っていたり。

 はたまた真っ赤な九官鳥のような鳥が樹上から俺を見下ろしてはカクカクと首を振っていたり、尻尾が一本多い黒色のリスが松ぼっくりのような果実を抱えて木々の間を跳ね渡っていたり、透明な羽を8枚も生やした蝶のような昆虫がひっそりと花々の蜜を吸っていたり。

 とにかく、そこにはまるでファンタジー映画のような異世界然とした光景が広がっていた。


 そんな文字通りで異界の森の中を、俺は獣道に沿って進む。


 いつもの採取ポイントに辿り付くと、早速仕事に取り掛かる。


「お、あったあった」


 オレンジ色の葉を一枚だけ地面から覗かせる植物が、一本の大樹の周りに数株ほど生えている。


 本日のお目当ての一つがこれ、「ダイダイツワブキ」(異世界版)である。


 地球にも生息していたこのダイダイツワブキは魔法植物の一種で、「クレメンティウス触媒」という薬液で毒抜きをすると即効性の高い下痢止めとして使うことが出来る。繁殖能力も強く、効能も高いので、かなりお手ごろな魔法植物といえる。



 実を言うと、今の地球には野生の魔法植物は存在していない。

 何故なら、千年以上前に魔法使い協会が自然界に自生していた魔法植物を全て駆逐してしまったからだ。

 その目的は単純明快──間違って魔法使いではない一般人が手にしないようにするためである。


 魔法植物は生まれながらに魔力を内包している。

 たとえ一般人にはその魔力を感知できなくても、確かに魔力という大きなエネルギーを内包する以上、取り扱いを間違えれば魔法事故を起こす危険性が大いに存在する。

 例えば、ふきのとうによく似た魔法植物「セイヨウマガリフキ」の蕾は、熱湯で2分以上煮続けると魔力爆発を引き起こす。その威力は、一つの蕾でM26 手榴弾一個に匹敵する。カゴいっぱいに摘んだセイヨウマガリフキをふきのとうと勘違いして下茹でしようものなら、その結果は悲惨なものになる。


 更に、多くの場合において、魔法植物は強い毒性を持つ。

 触れるだけで命に関わる毒を持つものも存在するし、毒以外の危険な特性を持つものも少なくない。

 例えば、ニンジンによく似た「マンドラゴラ」は引き抜かれる際に悲鳴を発することで有名だが、その悲鳴は「音響魔法」の一種で、生物のシナプスを破壊する効果を有する。魔力を持たない人間であれば、その悲鳴を数秒ほど聴き続けただけで死に至ってしまう。そのことを知らずに一般人がニンジンと間違えてマンドラゴラを引っこ抜いてしまったら、それこそ大惨事だ。


 そんなわけで、魔法植物による事故を危惧した魔法使い協会は、自然界に存在する全ての魔法植物を駆逐し、協会の管理のもと限られた場所のみでひっそりと栽培するようにしたのである。

 一見乱暴な措置に見えるが、これのお陰で魔法植物絡みの大きな事故は今までに一度も起きずに済んでいる。


 それに、協会ではあらゆる魔法植物の保全株と原生苗を保存・栽培しているので、別に魔法植物そのものを絶滅させたわけではない。

 自然界から姿を消した魔法植物たちは、今も協会の栽培施設でのびのびと育っている。謂わば、自然界から施設に移り住んだだけなのだ。

 魔法使いが魔法植物を使用したい場合は、協会に申請を提出する必要があり、許可が下りると協会から必要な状態で必要な分量だけ購入することができる。病院の処方薬と同じ扱いだね。


 魔法植物の栽培も、出来るには出来る。

 ただ、個人であれ団体であれ、栽培をする際には購入よりも更に厳しい審査が課される。

 芥子などの厳重規制植物と同じ扱いで、たとえ許可が降りたとしても、事前に申請した栽培場所以外での栽培は許されないし、申請した用途以外での使用も許されない。勿論、それらがちゃんと守られているか、査察も頻繁に入る。

 栽培場所に関する制限は、とにかく厳しい。

 もし魔法植物が許可された場所以外の場所で自生した場合、それを引き起こした魔法使いには厳しい処罰が下される。たとえそれが故意で無い理由──例えば「種が風で飛ばされた」などの不慮のミス──であっても、処罰は免れない。勿論、意図的に魔法植物を野生化させようとすれば、厳しいどころじゃない処罰が待っている。


 蛇足だが、大昔にこの魔法植物の存在が原因で「魔力は魂から抽出されるもの」という学説が覆されそうになった事がある。「魔力が魂から抽出されるものなら、魔法植物にも魂があるのか?」という論調である。

 結局は「含有魔力の性質が人と魔法植物で全く異なるから、同一視は出来ない」という理由で原説は守られたが、当時は魔法学が根本から覆るかもしれないということで大賑わいだったそうだ。今では中学校の教科書の脇にある「考えてみよう」的な問題として新米魔法使いの思考課題になっている。



 それは置いておいて。



 現代の魔法薬学において、魔法植物は必須の材料と言うわけではない。以前も述べたように、代替品は沢山ある。

 ただ、それは中級以下の魔法薬に限った話で、上級以上の魔法薬を調合するにはやはり魔法植物は欠かせない材料となっている。


 使わない人はまったく使わないが、使う人にとってはなくてはならない。

 それが現代における魔法植物の扱いなのだ。


 地球では、魔法植物は結構お高い。

 例えば、このダイダイツワブキの新鮮株。旬──含有魔力量が最も多く、薬効が最も高い時期──である冬時の相場は、2年ものが一株21万円で、4年ものが一株51万円と、おいそれとは手が出せない金額となっている。

 魔法薬調合の修行や研究ともなれば、失敗などで余分に消費する分も考慮しなければならないため、更にすごい金額になる。

 俺の聞いた話では、新しい上級魔法薬を研究・製造するのに必要な研究経費は、一月でなんと日本円にして9桁もの金額になるらしい。


 このように元の世界ではなかなか手に入らない魔法植物だが、この世界ではまるで山菜のようにそこかしこに自生している。

 しかも外見から成分・効能に至るまで、俺の知る地球産のものと殆ど差がない。

 強いて言えば生態等では差異が存在する可能性があるが、今のところ確認のしようがないし、魔法薬の材料として使う分にはなんの問題もないので、特別気にかける必要もない。

 地球から来た魔法使いである俺からすれば、この世界はいたる所に「金の草」が生えているようなものなのだ。


 俺の中の小市民的貧乏性が疼きそうになるが、なんとか平静を保ち、ダイダイツワブキを採取する。


 最初は色んなことにカルチャーショックを受け、その度に驚愕したり動揺したりしたものだけど、今はだいぶ慣れてきている。

 大抵のことは「異世界だし、こういうこともあるよね」と納得できるようになったし、俺の常識と大きく違う事にも落ち着いて対応できる様になってきている。

 人間、慣れが一番大切だよね。

 ……まぁ、慣れが一番怖いっていう言葉もあるけどね……。



 そんなしょうもないことを考えながら、ダイダイツワブキを3株ほど採取した俺は、その場を後にしたのだった。

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