13. 28日後

 あれから、28日後……。



 あ、勿論バーサークするウィルスでリビングなデッドがアウトブレイクして世界がオワタなんてことが起きたわけじゃありませんよ?


 ここで言う28日とは、俺がこの世界へ来てから過ぎた日数のこと。


 この世界でも、一日は地球と同じように大体24時間で構成されている。一年は一月から十二月まであるけど、どの月もきっかり30日で、一年はきっちり360日しかない。10年に一度閏年が来て、その年は十二月に一日足されて361日になるそうだ。

 ちなみに、曜日や週間という概念はないらしい。だから「週休◯◯日」という概念も存在しない。恐ろしや〜。



 さて。

 この世界に転生リスポーンしてはや28日。

 実に色々なことがあった。


 ……と、これまでの冒険の数々を振り返りたいところだが──その前に、先ずは俺の目の前にいるこのおじさんを何とかせねばなるまい。


「だから頼むよ! あの薬、もっとくれよ!」


 30代前半で筋骨隆々としたおじさんが、情けない顔で俺に薬をせびってくる。


「あれがなきゃ、俺ぁダメなんだよ! 頼むっ! もう一回分でいいから! な? 頼むよ!」


 薬をせびるおじさんの必死な目は、まさに中毒者ジャンキーのそれだった。


「だめ。あんたは今週に入ってもう三回目だろ? はよくないよ。何事もほどほどに、ってね」


 俺の忠告に、おじさんはこの世の終わりのように頭を抱えて唸り始めた。


 傍からはとても怪しく聞こえる会話かもしれませんが、ご安心を。

 決して「麻薬及び向精神薬取締法」に引っかかるような危険なブツを取引していたわけではありませんので。


 俺達が何の話をしているかと言うと──


「だいたいさぁ、ノンド。あんた、まだ30ちょいだろ? 今からなんかに頼ってたら、後々本当に役に立たなくなっちゃうよ? それでもいいの?」


 懇切丁寧に言い聞かせてやると、俺に精力剤クスリをせびっていたおじさん──ノンドは苦い顔で呻いた。


「そ、そらぁ、もっとやばいな……」

「だろ? 薬でを上げるのもいいけど、常用はよくないって。それに何より、問題の根本的な解決法にはならないだろ? とりあえず、一回奥さんとよく話し合ってみ。回数減らしてくれって。こういうことは夫婦間の相互理解が大切なんだから」


 俺の説得に、ノンドは暫く「う〜ん」と唸り、やがて一理ありとばかりに頷いた。


「お前さんにそこまで言われちゃあしょうがねぇ。分かった、帰って嫁と話してみるわ。流石にこのままじゃあ、俺が干からびちまうからな」

「おう、そうしてくれ」


 ノンドは礼を言うと、ボリボリと頭を掻きながら去っていった。






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 あ、そういえば自己紹介がまだだった。


 どうも、九重ここのえ 九太郎きゅうたろうです。

 現代日本でひっそりと魔法使いをやっていた高校生ですが、この度ピタ◯ラスイッチ的な諸事情により、異世界に再誕リスポーンすることになりました。

 今は「ナイン」と名乗り、ここ「ピエラ村」でひっそりと暮らしております。

 しがない17歳です。


 一応説明しておくと、この「ナイン」という呼び名は、元の世界で俺が魔法使いとして活動するときに使っていたあだ名コードネームの一つである。

 国外で活動する際、外国人──特に欧米人には日本人名である「九太郎キュータロー」は呼び難いらしく、フルネームに「Nine」という文字が二つも入っていることから師匠が「なら『九』だけに『ナイン』って名乗ればいいんじゃね?」と名付けてくれたのがこの名前だ。

 この世界では日本語が標準語である(ように聞こえる)ため、「きゅうたろう」という発音も別に難しい訳ではないようだが、この中世欧州チックな世界ではどちらかと言うと「ナイン」という名前の方が違和感がないように思う。


 というわけで、これからは「九重九太郎」改め「ナイン」です。


 よろしこ。






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 ジャンキーなおじさんのことが一段落したので、改めてこれまでの経緯を振り返ってみよう。



 28日前。

 シャティア姫一行を送り出した俺は、まず情報収集に勤しんだ。


 え?

 水と食料の確保が先なんじゃないかって?


 まぁ、一般的にはそうなんだろうけど、俺の場合はちょっと勝手が違うんだよね。


 俺は師匠の「九重流 ドキドキ☆極限サバイバルキャンプ〜地獄篇♡」で鍛えられているから、手元に水と食料がなくてもなんとかやっていけるのだ。

 水は魔法で大気中の水分を集めれば困らないし、頑張ればその辺の土を分解して水素と酸素を抽出・結合させて無理やり飲料水を作り出すことも出来る。

 食い物に関しても、宇宙空間でもない限り、周囲を探せば何かしらはあるものだし、その気になれば魔法でその辺の葉っぱなどからカロリーバーみたいなものを作り出す事も出来る。

 最悪、5日くらいだったら飲まず食わずでも死ぬことはない。そういう風に鍛えられたからね。


 そんなわけで、俺にとって水と食料の確保は優先順位がそれほど高くないのだ。


 では、俺にとって最も重要なものは何か?

 それは情報だ。


 その気になれば作り出せる水や食料と違い、情報というやつは自ら集めに行かなければどうしようもない。

 俺にはこの世界の文化風習や政治形態に関する知識どころか、一般常識すらないのだ。


 これは由々しき事態である。


 現地の情報も無しに何か行動を起こすなど、正気の沙汰じゃない。そんなのは目を瞑ったまま地雷原を散歩するようなものだ。

 地球元の世界でも、未開の地に住む先住民族に握手を求めたら、彼らの中では右手を相手に突き出す行為は「挑戦やんのかコラ」の意で、その場で戦いになってしまった、などという実話は枚挙に暇がない。女子高生がよく自撮りでやる「裏ピース」だって、イギリスでやれば現地の人達にぶん殴られるしね。

 風習や文化は地域ごとに大きな差異がある。「相手にとっての常識」を知らないということは、かなり致命的なのである。


 シャティア姫たちの事に関しては、不可抗力と言わざるを得ない。

 確かに俺はあのとき戦闘に加勢したり、怪我を治療したり、魔法薬を作ったり、バームを貸してやったりと、何の前情報もない状態で色々と介入してしまったが、全ては成り行きというやつだ。

 あの時はなんとか場当たり的な対処でお茶を濁したけど、毎度毎度そんな対処療法が上手く効くとは思えない。


 よって、この世界に関するあらゆる情報の収集は、食料確保以上の急務なのだ。


 当面の目標は、常識の習得。

 そして最終的には何処かの集落に拠点を置きたい。


 え?

 何処か人のいないところに引きこもればいいじゃないかって?

 やだよ、そんなの。


 山奥で一人ひっそりと暮らすなどといった誰とも接触しない生活方法は、一見面倒な人付き合いが無くて気楽そうに見えるけど、実際は結構大変だったりする。

 日用品の随時調達は不可能だし、有事の際は全て一人で対処しなければならない。社会から過度に孤立・逸脱した生活は、どの時代の人間にとっても想像を超えて難しいものなのである。

 確かに俺は穏やかな生活を望んでいるけど、何も世捨て人になりたいわけではない。

 だから人煙なき僻地に引きこもるなど論外。


 俺の理想は、ほどほどに小さな村で、ほどほどに静かに暮すこと。


 先ずはじっくりとこの世界に関する情報を集めよう。何か目立った行動を取るのはその後でも構わない。いや、寧ろ情報が集まるまでは目立った行動を取るべきではないだろう。

 無駄に急いで足を踏み外すよりも、ゆっくりと地を均しながら行こうじゃないか。

 昔の人はよく言ったものだ──「鉄筋コンクリートの橋も叩いて渡れ」ってね。



 ということで、俺はとりあえずシャティア姫たちが向かったのと反対の方向に進んだ。

 彼女たちは後で仲間の遺体を引き取りに来ると言っていたからね。途中でかち合うのは避けたい。


 街道とも呼べないような細道に沿って進むと、幾つかの村を見つけることが出来た。

 が、俺はその何れにも立ち寄らなかった。

 当たり前だ。先ほども言ったように、事前情報も無しにいきなり現地の人間と接触するなど愚の骨頂。諜報術を少しでも知っている人間であれば、誰もそんな愚は犯さない。


 ただ、だからと言って集落そのものを避ける必要もない。

 人がいるというだけで、そこには膨大な量の情報が生まれる。情報収集にこれほど都合のいい場所もないだろう。

 要は、不用意に接触さえしなければいいのだ。


 というわけで、俺は村を見つけても近づかず、離れた場所に野営し、村の外から村人たちを遠距離観察することにした。


 人というものは自分が思う以上に行動と会話からたくさんの情報を漏らしているもので、それを観察すればかなりの情報を得ることが出来る。

 夫婦喧嘩からは忌避すべき思想が学べるし、おばちゃん同士の噂話からは人々の価値観が伺える。なんの盛り上がりもない日常会話からですら、この世界の「普通」が分かる。


 望遠魔法と盗聴魔法を併用して観察した結果、俺は村人たちからこの世界の社会構造や風土習慣、基本的価値観や性格傾向などといった情報を得ることが出来た。

 どれも「一般常識」に分類されるレベルの、それこそ普通の人からすればなんの価値もない情報だが、この世界に来たばかりの俺には寧ろこういった基本的な情報こそが必要だった。


 一つの村を観察するのに費やす時間は、およそ半日。

 大まかな情報を得られたら一度成果をまとめ、分析し、そのまま次の村へ直行。そこで再び野営し、同じように遠距離観察を行う。

 気分はさながら野鳥観察者……もとい監視任務を遂行するスパイである。

 本当はもっと人が多くて社会構造が複雑な「町」や「都市」などで情報を集めたかったんだけど、まだまだ予備知識が足りないから、今回は見送ることにした。常識どころか身分証すらないから、職質でもされたら大変だ。


 そうして進路上にある村々を遠距離観察しながら、俺はどんどんと南下していった。


 一つ所に留まらなかったのは、出来るだけシャティア姫たちと出会った場所から離れたかったというのもあるが、一番の理由は観察対象(村)のバリエーションを増やしたかったからだ。


 東京生まれで東京育ちの人が日本中の都市が東京と同じだと考えるのは、実は結構ありがちな誤解である。

 地域ごとの県民性の違いは顕著で、文化特色の差異も大きい。方言一つ取っても、福岡と青森では異言語ほどの差があるのだ。この地域では常識だが、他の場所では「えっ、なにそれ?」と言われるようなことは多々ある。

 それは世界に目を向ければ更に顕著なわけで、例えば、アメリカなどでは州ごとに法令どころか法律すら異なる事がある。州を跨ぐだけで全く別の国に来たかのように感じることすらあるほどだ。

「東京をよく見て回ったからもう日本の全てを理解した」と考えるのが間違いであるように、近場にある村だけを観察してこの世界の全てを知った気になるのもまた間違いである。そうして得られた知識は偏ったものでしかなく、有意性は低いと言わざるを得ない。


 というわけで、俺は人の多い町や都市を迂回しながら南に向かって進み、様々な村を観察していった。

 サンプルは多いに越したことはないし、多様であれば多様であるほど良いからね。


 道中、追い剥ぎらしき集団に二度ほど遭遇したが、幸い、皆とても人たちだった。

 彼らは一張羅のブレザー制服と通学鞄以外に何も持ち合わせていない俺のために、自分達の所持品やアジトに隠してあった金品等を全てしてくれたのだ。

 そのお陰で、俺は少しばかりの財産を手に入れることが出来たし、この世界の衣服も数着ほど入手することが出来た。学校指定のブレザーだとこの世界では目立ってしょうがないからね、マジ助かったよ。

 諸々の「お礼」として、俺は彼らが警察組織に捕まらないよう、全員を雲隠れさせてあげた(物理的な意味で)。こういうことは師匠と修行で行った西アフリカ諸国で何度か経験しているから、も実に慣れたものだ。楽しくは無いけど。


 そうして約10日間、計16の村と二つの盗賊団から情報を収集した俺は、最終的にこの「ピエラ」という村に辿り着き、そのまま根を下ろすことにしたのだった。


 この場所から、俺の「静かに暮す」という野望が始まる!


 ……ちっちぇな、俺の野望……。






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 ノンドが去り、早めの昼飯を食べ終わった頃。

 うち──この村で俺に宛てがわれた家──の扉がノックされた。


 今の俺は、この村で「薬草師」として働いている。

 薬草師は、薬草を使って病気や怪我を癒す医者のことを指す。薬草限定の薬師、と言ったほうが分かりやすいだろう。

 そのため、我が家は村の薬屋兼診療所と化している。

 来客は100%この村の住民で、大体は軽い怪我をした人や持病持ちだ。……まぁ、たまにノンドのような特殊事例も訪れるけど。


「ナイン、いる?」


 そう言いながら入ってきたのは、俺と同い年の少女。

 その両手には、幼い男の子二人を連れている。


「アウンとオウンがまた裏山で危ない遊びして怪我したの。悪いけど、また手当してあげて」


 左右に男児二人の首根っこを引っ掴んだままそう言った彼女は村長の娘で、エレインという。吊り気味の目元と茶色い編み込みポニーテールが印象的な正統派美少女だ。


 そんな彼女の足元には、外見がそっくりな男の子が二人。

 両膝と両掌を血だらけにしていた。


 エレインにしょっ引かれている二人のやんちゃ小僧──アウンとオウンを見て、俺は思わずため息をついた。


「また、お前らは……」


 俺の呆れた視線に、悪ガキ二人は頭頂にある犬耳そっくりの両耳をペタンと伏せた。



 この世界には色々な種族が存在している。

 このわんぱくな双子は「獣人族」という種族で、外見的特徴として獣の耳と尻尾を有する。身体能力が比較的高く、体が少しだけ頑丈。

 ファンタジー作品の定番的存在と言えるだろう。


 ちなみに、地球でいう「人間種ヒューマンビーイング」──俺やエレインのような、地球人から見て完全に普通の人──は、この世界で「人族ひとぞく」と呼ばれているらしい。

 我ながら何のファンタジー要素もない、面白みに欠ける種族である。


 最初は「頭の上にケモミミと尾骨あたりにモフモフ尻尾が生えているのだから、人間とは決定的に遺伝子が違うんじゃないか?」とか考えていたのだが、そんな事はなかった。

 面白いことに、この世界における異種族同士は、互いに「近似する生物」や「別種の生物」というわけではなく、ちゃんと同じ「人間」であるらしい。

 その証拠に、「人族×獣人族」のような異種族同士でもちゃんと子を成すことが出来るし、その子もまたちゃんと生殖能力を有する。

 つまり、この世界でいう「種族」とは、我々地球人にとっての「人種」や「民族」と同じ概念なのだ。

 外見は違うけど、みんな同じ人間。

 どの世界もそこは変わらないらしい。


 話を獣人族に戻そう。

 獣人族は比較的ポピュラーな種族で、いろんな系統があるらしい。

 系統の見分け方は、獣の耳と尻尾の形状と種類。例えば、俺の目の前にいるこのアウンとオウンの双子は犬の耳と尻尾を有しているので、犬系の獣人族となる。

 この村では犬系、猫系、うさぎ系、熊系、狐系、狸系とかなり豊富なバリエーションの獣人族がくらいしている。モフモフ好きにはたまらない環境と言えるだろう。まぁ、人の耳や尻尾を勝手にモフるのは大変な失礼に当たるから、やったらメッチャ怒られるんだけど。


 ここで、どうでもいい疑問が一つ。

 それは、彼ら獣人族の耳の位置だ。

 なぜ獣人族のケモミミは頬の横──人族の耳がある位置──にではなく、動物のように頭頂部に生えているのだろうか?

 犬や猫などの四足歩行獣の耳の位置が高いのは、草むらのような遮蔽物が多い定位置にいても遠くの音を拾えるように進化したから、という説がある。背の低いうさぎの長耳などは、まさにその典型例だろう。また、空を飛ぶ鳥や樹上生活する猿のような比較的高位置を活動の場とする動物の耳が人間と同じ頭部の側面にあることも、この説を反面から支持する根拠になっている。

 であるならば──なぜ人間と同じ背丈である彼ら獣人族は、側頭部ではなく頭頂部から耳を生やしているのだろうか?

 もしかして、彼らは猿から進化したのではなく、他の動物から進化したとか? 

 それとも、何か別の進化生物学的理由があるとか?

 う〜む、実に不思議だ……。



 閑話休題。



「いたいよナイン兄ぃ! はやく治してよ!」

「おれたちこのままじゃ死んじゃうよ!」


 アウンとオウンが大げさに喚く。

 この二人、いつもしょうもないことで怪我をしては、こうして俺に泣きついてくる。

 村人の怪我を治すのは俺の仕事の範疇だが、この二人に関してはそろそろお仕置きが必要だろう。


「掌と膝を擦りむいただけで死ぬか、バカ双子」


 棚から自家製(魔法使用)の高濃度アルコールが入ったビンを取り出し、中身を二人の傷口にぶちまける。


「うぎゃあああああ! いたいいたいいたい!」

「うぎょえええええ! しみるしみるしみる!」


 首と尻尾だけをブンブンと振りながらピクピクと悶絶する二人。

 子供には相当効く攻撃だろう。


「なにすんだよ、ナイン兄ぃ!」

「そうだそうだ! 今まではあんまりいたくないくすりで治してくれたのに!」


 涙目で恨めしそうに訴えるアウンとオウン。

 ぜんぜん元気じゃねぇかお前ら……。


「さては、おれたちをさっきのいたいくすりで殺そうってコンタンだな!」

「そうはいかないぞ! ハゲ! ハーゲ!」

「誰がハゲや」

「「うぎゃあああああ!」」


 交互に喚くアウンとオウンに、もう一度消毒用アルコールをぶっ掛ける。

 ズキズキと沁みる傷口を宙に浮かせたまま床をゴロゴロと転げ回るアウンとオウン。

 ……ホント、怪我してても元気だな、お前ら。


「いいか、よく聞け。お前らに限って、これからはどんな怪我をしても、俺は治してやらんぞ」


 そう言ってやると、アウンとオウンは「ガーン!」という擬音が聞こえてきそうな表情で固まった。


「な、なんで⁉ ナイン兄ぃはおれたちをミゴロシにするの⁉」

「おれたち、もういらない子なの⁉」


 絶望を絵にしたような顔で見つめてくる二人に、俺は年上らしい態度で言い聞かせてやる。


「お前らはいつも危ない遊びをして、毎回それで怪我をする。お前らがそんな馬鹿なことを繰り返すのは、偏にお前らが『どれだけ怪我をしても最終的にはナイン兄に治してもらえる』と思っているからだ」


 前回この二人が俺のところに駆け込んできたのは僅か三日前で、その前は五日前だ。

 その時は「枝跳び肝試し」──高い木の枝の上に二人で同時に乗り、枝が折れるまでにその上でジャンプした回数を競う──という問答無用に危険で果てしなくしょうもない遊びをしていたらしい。

 案の定、細枝の上で思いっきりジャンプした二人は折れた枝と共に4メートルはある樹の上から落下し、足首を捻挫。辛うじて這いずりながら村まで帰ってきたのだった。

 人族より丈夫な獣人族じゃなかったら、落下した時点で確実に重傷を負っていただろう。打ち所が悪ければ、そのまま死んでいたかも知れない。捻挫程度で済んだのは、まさに不幸中の幸いだろう。


 俺がこの村に来るまで、二人もこんな頻度で怪我を負っていなかったらしい。やんちゃではあったけど、ここまで危ない遊びはしていなかったそうだ。

 二人がこうして危ない遊びばかりするようになったのも、怪我をすれば即座に薬を処方して治す俺にも責任があるのかもしれない。


「だから、これからはお前らがどんな怪我をしようと、二度と治してやらん。怪我が自然に治るまで何日も痛い思いをしたくなかったら、もう危ない遊びはやめろ。いいな?」


 もちろん二人が実際に怪我をしたらちゃんと治してやるが、これくらい言わないとこの二人は反省しないだろう。


「うぬぬぬ」

「ぐぬぬぬ」


 俺の脅しに、二人は納得できませんという顔で呻く。

 ……なんでそこまで頑な?


「ナインの言う通りよ、二人とも」


 反省の態度を示さないアウンとオウンを見かねたエレインが俺に加勢して二人を叱る。


「今までナインに甘えてきたけど、それももうおしまいよ。いい加減、危ない遊びはやめなさい」


 おお、流石は村長の娘。

 実にお姉さんらしい態度だ。


「エレイン姉ぇはナイン兄ぃのことが好きだからそうやって味方するんだろ! そんなやつのハツゲンはムコウだ!」

「そうだそうだ! 今だって、ナイン兄ぃにほめられたいから味方になってるんだろ! そんなやつにハツゲンケンはない!」


 何処でそんな単語を覚えてきたのか、舌足らずな発音ながらも二人は巧みにエレインに反論する。

 それを聞いたエレインは一瞬で真っ赤になったかと思うと、俺と目が合うなりスッと表情を消し、俺の手から消毒用アルコールのビンをひったくってその中身を躊躇なくドボドボと二人の傷口に振り掛けた。


「「うぎゃあああああ!」」


 再度悶絶する二人に、エレインは底冷えする声で告げる。


「あんたたち、今度また本当の……じゃなくて、くだらないこと言ったら、ナインの家にある薬、全部傷口に撒くから。覚えておきなさい」


 お、おおぅ……流石は村長の娘……。

 面倒見のいいお姉さんが、一瞬で血腥い暴君に……。

 エレインさん、マジ怖いっス……。


 耳と尻尾をプルプルと震わせながら涙目で何度も頷く哀れなアウンとオウンを放置し、エレインは真っ赤に怒った顔で俺に振り返った。

 そして、


「さ、さっきのは、二人の冗談だからねっ! 勘違いしないでよっ!」


 と、そんなツンデレド真ん中なセリフを言い放ったのだった。



 ……あー、はいはい。



 勘違いなんて、そんな自惚れた事しませんよ。


 だって、その真っ赤なお顔も、潤んだ瞳も、キュッと引き締めた唇も、プンプンと怒った表情も──全ては不本意な邪推から来る拒絶反応でしょう?

 要するに「テメェごときに惚れる訳ねぇだろキメェんだよ勘違いしたらぶっ殺すぞゴルァ!」ってことでしょ?

 分かっておりますとも。


 一見テンプレなツンデレ反応でも、決して勘違いなどしてはいけない。

 なぜなら──現実世界に「ツンデレっ娘」なんて存在しないのだから。


 俺はその真理を、身を以て思い知らされている。



 あれは中学校三年生の時の話。

 クラスの女子から「しょ、しょうがないから、あたしがあんたと付き合ってあげるわよっ!」と真っ赤な怒り顔で言われたことがある。

 相手はちょっと気が強いけど可愛い顔立ちで有名な、クラスでも人気者の女子だった。

 彼女は俺にそう言うなり更に真っ赤になり、そのまま走り去って行ってしまった。

 当時の俺は「伝説のツンデレ告白キタ~~‼」と嬉しさのあまりその場で半分ほど気を失ったものだ。

 突如として訪れた、我が世の春。しかもその到来を告げたのは、二次元作品伝説にしか登場しないはずの「ツンデレ告白」である。

 これで舞い上がらない男子が居るだろうか、いや居ない。

 返事は明日にでも彼女に伝えよう。勿論、返事内容は「お願いします」だ。

 俺は浮遊魔法を掛けられたかのように宙に浮いた心を抱えて、帰路についた。そして家に着くなり、モテない俺をいつも揶揄していた師匠に、我が青き春の情景を自慢したのだった。

 これで俺も明日から彼女持ちだ、と。

 これでもう俺をバカに出来ないだろう、と。

 しかし、師匠のリアクションは、予想だにしないものだった。

 師匠は僅かな憐憫を滲ませた訳知り顔で「それはきっとあれだな、罰ゲームで無理矢理言わされたんだな。顔が真っ赤なのも、あからさまに嫌そうな口調なのも、返事を聞かずに走り去ったのも、全部それが原因じゃね?」と我が世の春の真相を独自の視点で分析してきたのだ。

 嘘だ!

 そんなことはあり得ない!

 あの娘はきっと俺のことが好きなんだ!

 あんたはまた俺をからかおうとして出鱈目を言ってるんだ!

 全力で師匠の言葉を否定した俺だが、考えているうちに「なるほど、確かに筋が通っている」と感じるようになった。

 俺は、クラスでも「モブB」のような立ち位置の生徒だ。

 目立たないように振る舞っていたというのもあるが、自然体でいてもあまり印象に残るような特徴はないと自認している。

 つまり、素で目立たない地味人間なのである。

 そんな卒業写真を見て「ああ、そう言えばこんなやつクラスにいたな〜。でも名前なんだっけ?」ぐらいの認識であるモブBが、いきなり学年でもそれなりに目立っていた女子に告白されるなんて、考えてみれば確かにあり得ないことだった。

 だから、不安になった俺は次の日、彼女を校舎裏に呼び出し、真っ赤な顔で俯いている彼女に恐る恐る尋ねてみた。


「あ、あのさ、昨日のあれってさ……もしかして、罰ゲーム?」


 思いっきりぶん殴られた。


 涙を浮かべながら「さいてい!」と捨て台詞を残して去っていく彼女の背中を眺めながら、俺は「嗚呼、本当に罰ゲームだったんだなぁ……」と納得した。

 そして、クラスメイトに弄ばれたことで、心に少なからず傷を残したのだった。

 その日の放課後、家に着いた俺は頬に咲いた真っ赤な紅葉を指差しながら「師匠の言う通り、いじめ紛いの悪戯だったよ」と師匠にことのあらましを報告した。

 すると、師匠はなぜか驚き、そしてバツが悪そうな顔になり、最後に途轍もなくすまなさそうに「そ、そうか……えっと、その、なんか、ごめんな……」と謝ってきた。

 別に師匠が俺に何かを謝る必要はないのにと思ったが、それ以降、何故か師匠は俺に優しくなった。

 その不自然な態度の変化にちょっとだけ気持ち悪さを感じたが、修行の厳しさが少しだけ和らいだことは素直に喜ばしかった。



 ともあれ。



 この苦い経験で俺が得た教訓は「現実にツンデレっ娘は存在しない」ということ。

 好きな娘ほど意地悪したくなる小学生男子じゃないんだから、ツンデレなどという分かり辛いアプローチをする女性はいないだろう。


 ツンデレっ娘など所詮、男の願望なのだ。


 この真理を知っているからこそ、俺はエレインの典型的とも言えるツンデレ対応にも動揺したりなどしないし、もちろん勘違いなどもしない。

 好きでもなんでもない相手に好意を寄せていると周りに勘違いされることほど女性を不愉快にさせることはないし、興味すらない男を好きだとからかわれて嫌がらない女はいない。

 だから、エレインのこの怒りのこもった顔も、嫌悪感たっぷりの態度も、至極当然だと納得できる。

 ……まぁ、嫌われている俺としてはちょっと傷付くけどね……ぐすっ。


「……分かってるよ。変な勘違いなんかしないって」


 若干傷付きつつなんとかそう答えると、なぜかエレインは憤怒の度合を数倍増して俺を睨みつけ、


「バカっ!」


 という捨て台詞を残して、野生の狼に怯える子犬のようにプルプルと震えるアウンとオウンの襟首を掴み、そのまま振り返りもせずに我が家を後にした。


 残されたのは、呆然と佇む俺と、鼓膜に残るエレインの罵声だけだった。



 ……どゆこと?






 ◆






 エレインがアウンとオウンを引きずって出て行った数分後。

 またしてもお客さんがやって来た。


「いらっしゃい、ホメット婆さん」

「また来たよ、ナイン坊」


 入ってきたのは杖を付いた老婆、ホメット婆さんである。

 1.3メートルちょいしかない低身長と薄褐色の肌、そして四角い耳。これらは「ドワーフ族」の特徴だ。男性はこれに太い肢体と豊かな髭が加わる。なかなかに長寿な種族で、平均寿命は凡そ150〜200歳ほど。

 獣人族に続き、ファンタジー世界の定番種族その二である。


「いつもの痛み止めでいい?」

「ああ、それでいいよ。いつもありがとうねぇ」

「いいって、いいって。俺の仕事だし」


 170歳に手が届きそうなホメット婆さんは、痛風を患って久しい。

 俺が彼女に「痛み止め」と称して渡しているのは、俺特製の痛風治療用魔法薬だ。

 名付けて「痛風ナオール」。


 痛風は一般的に難病として扱われているが、それは「科学」に依存する「現代医学」に限られた話。我々魔法使いからしてみれば、痛風などは手荒れと大差ない。魔法薬を飲めば一発で完治である。


 ただ、それだと人の目を引いてしまう。

 不治の病を一瞬で治すことが出来る人間がいれば、必ず権力者が集まって来て面倒臭いことになる。それだけは嫌だ。

 だから、俺は薬効を薄めた魔法薬を更に数回に分けて渡すようにしている。

 徐々に尿酸結晶を代謝し、ゆっくりと、それこそ知らず知らずのうちに痛風を治すから、表面的な自覚効果は徐々に効いてくる痛み止めとあまり変わらない。

 長期投薬になるが、これなら目立たずに済むだろう。


 正直、最初はドワーフ族というファンタジー種族に俺の作った薬がちゃんと効くかどうか──地球の人間種ヒューマンビーイングと同じ効果が期待できるかどうか──謎だった。

 アルデリーナさんたちとは違い、外見からもう普通の地球人とは違うから、確証がぜんぜん持てなかったのだ。

 しかし、数日の観察と研究を経て、俺は彼ら──ドワーフ族だけでなく他のファンタジー種族の人たち全員──の生理機能が俺のよく知る地球人と殆ど変わらないということを掴んだ。


 勿論、結構無視できない差異も存在する。


 例えば獣人族。

 彼らは漫画のように頭頂部に獣耳を生やしているし、尾骨あたりからは獣のような尻尾が伸びている。明らかに普通の人間種ヒューマンビーイングとは違う特徴だろう。

 ただ、それは単に「外見的差異」であって、生理機能が根本的に異なるという訳ではない。

 獣人族の耳にしても、外耳道が頭皮下で頭頂から側頭部を通って中耳へと繋がっているだけで、鼓膜も蝸牛もちゃんと人間と同じ位置にある。物凄くザックリ言えば、耳が毛深くてめっちゃ上に伸びている人、ということだ。

 尻尾に関しても、尾てい骨の延長という印象が強い。地球でも、短いながらも尻尾が生まれつき生えている、所謂「先祖返り」という事例がたまにあるくらいだ。もし尾椎を脊髄の延長と考えるのであれば、その構造にもある程度は説明がつく。


 まぁ、何が言いたいかと言うと、彼らは細々とした体の末端以外は俺とほぼ同じ構造をしている、ということだ。

 少なくとも内臓系や神経系、循環器系や免疫系といった重要な体組織系統は区別が付かないほど酷似している。


 つまり、地球の人間種ヒューマンビーイングに効く薬は、彼らにもばっちり効くのである。

 副作用やアレルギー反応なども含め、人間種ヒューマンビーイングとそっくりだった。


 だから俺は気兼ねなく彼らに俺の知っている魔法薬を処方している。


 まぁ、ドワーフ族は肝臓機能が突出して優れているから、薬の用量には微調整が必要だけどね。


「どう? 薬は効いてる?」


 分かりきっていることをあえて訪ねてみる。

 すると、ホメット婆さんは皺くちゃな顔に更に深い皺を作りながら頷いた。


「ああ、勿論だよ。あんたの薬はやっぱりすごいねぇ。よく効くし、何よりあたしらのような貧乏人にタダでくれる。あんたにゃあ、村の全員が感謝してるんだよ」

「何言ってんだよ。感謝するのは俺の方さ。俺みたいなを受け入れてくれたんだから」

「困ったときはお互い様さね。尤も、今じゃあ、あたしらの方があんたに助けられっぱなしだけどねぇ」


 そう言って、ホメット婆さんは所々抜けた歯を見せてニカリと笑った。



 ──村を盗賊に焼かれ、定住できる場所を探しながら放浪する薬草師。


 これは、俺がこの村に定住するに当たって作った、偽の経歴だ。

 経歴詐称にも程があるが、それも仕方ないこと。

 まさか馬鹿正直に「この世界に転生した異世界人です」なんて自己紹介するわけにもいかないからね。


 では、なぜ経歴に「村を焼かれた難民」で「薬草師」という設定にしたのかというと、勿論それにはちゃんとした理由がある。


 先ずは、俺の出自──「村を焼かれた難民」の部分について。

 この世界は、盗賊が多い。

 無学で貧しい者が多く、一歩でも都市を出ればすぐさま無法の野だ。これほど盗賊を育みやすい環境もないだろう。実際、俺も二度ほど出くわしたしね。

 上記の下地のせいか、この世界では盗賊による被害が多い。特に警吏がいない農村部は狙われやすく、盗賊団に襲われて村人が皆殺しに遭うなどということも珍しくはないらしい。

 勿論、そんなことをすればすぐに領主によって討伐部隊が派遣され、盗賊団は皆殺しにされてしまう。普通に考える頭を持ってさえいれば、村潰しなどという大それたことをやらかそうとは考えないはずだ。

 が、如何せん彼らは盗賊などというハイリスク・ローリターンな職を選ぶような人間だ。普通に考える頭を持っているはずもなく、持っていたとしても後先など考えているはずもない。

 そのため、盗賊たちはよく

 そして、その度にどこかの村が悲劇に見舞われ、難民が生まれる。

 どれだけ平和な村でも、盗賊による襲撃は常に付き纏ってくるリスクの一つだ。農民たちは決して盗賊の襲撃を他人事だとは思わないし、絶対に思えない。

 つまり、「盗賊の暴虐から生き延びた難民の少年」というカバーストーリーは、農村に住む者の心に響きやすいのだ。これで俺を受け入れる心理的ハードルが少しばかり低くなった。

 実際、俺の「盗賊に村を焼かれて命からがら逃げてきた」という嘘の出自を聞いた多くの村人が悲痛な顔で鼻を啜っていた。……ごめん、全部ウソなの。


 次に、俺の職業──「薬草師」の部分について。

 この世界では「薬草師」という職業が非常に歓迎される。

 現代の地球でもそうだが、医者のいる村は決して多くない。医療施設は都市部に集中しており、農村部に住む人々は遥々都市部に赴かなければ満足な治療を受けることが出来ない。先進的な医療制度を有する日本ですら、診療所のある村は少ないというのが現状だ。

 この世界ではそれが更に顕著で、農村部には「医療」というものがそもそも存在していない。村人は病気になっても耐え凌ぐしか術を持たず、軽い怪我が原因でそのまま死ぬ事だって珍しくはない。

 そんな彼らにとって「住む場所を求めて彷徨う薬草師」は、まさに喉から手が出るほど欲しい存在だ。

 幸い、師匠との修行のおかげで薬草の知識はあるし、魔法薬も作れるから、ヤブ医者とはならない。やり過ぎない程度に自分の有用性を示せば、誰も俺が自称薬草師だとは思わないだろう。

 実際、この設定はかなり効いたようで、俺が薬草師だと知った村人たちの眼は一瞬で仔うさぎを見つけた鷹のようになっていた。……ちょっと効きすぎたかも?


 こうして、俺の「盗賊に村を焼かれた薬草師」という100%偽物の経歴は出来上がったのだった。


 ただ、「有用な人材」というだけでは、受け入れて貰うのはまだ難しい。

 野心や上昇志向が強い集団ならまだしも、ただ「有用」というだけで見ず知らずの人間を身の内に招き入れる農村は少ない。

 外界から来た人間を評価するのにもっとも重要視されるのは、能力の高低などよりも危険性の有無だ。

 どんなに優秀な人間でも、怪しい所が少しでもあればすぐに敬遠される。村に害をなす要因が僅かでもあろうものなら、その者は徹底的に排除される。

 都市部よりも閉鎖的な傾向にある農村部では「普通」で「無害」であることが何よりも大事なのだ。

 だから、俺は自分が「人畜無害である」とアピールする必要があった。


 最後は、俺の人物像について。

 今の俺は「戦闘能力もなければ攻撃魔法も使えない、ただの小僧」──という設定だ。

 争いを嫌い、喧嘩になれば逃げる。腰抜けと評されてもしっくり来るぐらいの、非力な少年。それが今の俺──ナインという人間の人物像である。

 まぁ、もともと平和な日本で高校生をやっていた俺にとっては、これはもはや「設定」とかじゃなくてただのなんだけどね。もともと日常的に一般人のフリをしていたわけだし、別に無理のある人物像を演じているわけでもない。

 というわけで、俺は村人のでは魔法を一切使わないようにしている。

 この策が功を奏したのか、俺が戦えないと知った村人たちは、あからさまにホッとしていた。



 こうして、俺は村人たちの同情を引くために「村を焼かれた難民」と偽り、己の存在価値を示すためにコミュニティ全体に貢献できる「薬草師」と自称し、人畜無害であることを証明するために「戦闘能力皆無」という皮を被った。


 同情に値し、利用価値があり、無害である。

 こんな素敵な「人材」を拒む集団はいない。


 案の定、俺の移住は即座に許可された。


 最初こそ俺を警戒する人もいたが、今では近隣の村々も含めて唯一の薬草師として村人全員から無条件で頼りにされている。

 少々頼られ過ぎている感があるけど……まぁ、冷遇されるよりはマシだろう。

 俺の「辛い記憶」を喚起しないための配慮か、俺の過去を根掘り葉掘り聞いてくる人は誰もいなかった。これも、俺の「キャラ設定」の効果だろう。しめしめ。



「はい。じゃあ、これが今回の分ね」

「いつもありがとうねぇ」


 俺がホメット婆さんに薬が入ったガラス瓶を渡すと、彼女は嬉しそうに受け取った。


「あ、言うまでもないことだけど──」

「ああ、分かってるよ。あんたのことは村人以外に漏らしたりゃしない。あんたにいなくなられたりしたら一大事だからねぇ。ふぇっふぇっふぇ」


 そう言って、ホメット婆さんは愉快そうに口元を歪めた。



 ホメット婆さんが言ったように、俺はこの村に住むにあたり、自分の存在を公にしないよう村人全員にお願いをしている。


 理由は単純。

 静かに暮らしたいからである。


 申し訳なさいっぱいの顔を作り、村人たちに「静かに暮らしたい」「評判が広まると貴族や富豪に無理やり召抱えられてしまうかもしれない」「俺のせいで何か騒ぎが起きたり大事になってしまったりしたら、俺は責任を取って村を出て行くしかなくなる」と言ったら、全員が一様に緘口することを快諾してくれた。

 後に俺がそれなりに効く薬を調合できると知ってからは、村人による情報封鎖が更に完璧なものになった。

 優秀な薬草師は「優秀な人材」である以上に、村の生命線の一つに数えられる。薬草師の腕次第で、村人の生存率と寿命が劇的に変わるのだ。己の命に直接関わる人材を逃すバカはいない。

 村人の俺に関する対外的な情報封鎖は、既に幼子たちにまで浸透・徹底されている。互いが互いを監視し合い、何かあれば一致団結してフォローに回る。正直、なんかこの村に閉じ込められた錯覚すら覚えるよ……。


 村人以外で俺の存在を知っているのは村にたまに来る行商人だけだが、彼は俺に殆ど注目していない。

 何故なら、みんなが口裏を合わせて俺を「村を焼かれた流れ者で、殆ど効かないが一応薬らしきものを作れる小僧」ということにしてくれているからだ。

 カバーストーリーをベースに作られたカバーストーリーで嘘の上に嘘を足した大嘘だが、違和感はない。村を焼かれた者が流れて他の村に住み着くことはたまにあるし、薬草師の真似事をする輩が珍しくないのもまた事実だ。

 そんな俺の全米が泣いた嘘しかない等身大のサクセスストーリーと村人によるハリウッドスターも真っ青なリアリティー溢れる演技とアドリブのお陰で、行商人が俺の存在に疑念を抱くことはなかった。

 更なる偽装として、適当に採った植物をすり潰して混ぜ合わせ、子供が作る「なんでもなおすくすり」みたいな雑草ペーストを製作し、傷薬と称して行商人に売りつけてみた。

 案の定、なんともいえない顔で突き返された。

 これで彼も完全に俺がただの似非薬草師だと認識してくれたことだろう。しめしめ。



「じゃあ、空いた薬の瓶はここに置いとくよ」


 ホメット婆さんは懐から空のガラス瓶を取り出し、カウンター代わりの机に置いた。

 このガラス瓶は村の皆に処方する薬の入れ物として、行商人に注文してわざわざ持ってこさせたものだ。

 形が少々不統一ながらも農民が買うには少々お高い品なので、使用済みの空き瓶は返却をお願いしている。新しい薬は前回の空き瓶と交換で渡す手筈になっている。

 ちなみに、行商人への支払いは全て盗賊からもらった例の「寄付金」だ。


「はい、確かに」

「それじゃあ、また明日来るよ」

「うん。足元に気を付けて」


 小さく微笑むと、ホメット婆さんは俺が渡した薬瓶を懐に仕舞い、杖を突きながら部屋を出て行った。



 さて、客足も一段落したことだし、そろそろ俺も出かけるとするかね。


 俺の日課にして、薬草師としてのお仕事。

 裏山で薬草採りだ。

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