10. 君の名は⁉
唐突だが、少し魔法の話をしよう。
現代魔法は大雑把に二種類に分けることが出来る。
一つは「科学魔法」、そしてもう一つは「神秘魔法」だ。
科学魔法という名前を聞いて「何の冗談だ」と憤る人もいるだろう。
それも仕方ない。現代では「科学と魔法は正反対のもの」と考えられているからね。
でも、それは誤解だ。
実のところ、科学とは魔法の簡易的要約であり、所詮は魔法の一部に過ぎないのである。
魔法の歴史は、人間社会の始まりにまで遡る。
遥か太古の時代、人類が社会を構成し始めた先史時代。
その頃から、一部の人間は神秘の力──「魔法」を使い、社会を発展させてきた。
簡単な火起こしに始まり、狩り、洞窟の掘削、やがては作物の灌漑や河川氾濫の抑止など、生活のあらゆる面において魔法とそれを扱う魔法使いたちは貢献し、人間社会を根底から支えてきた。
それらの光景は、考古学者によって発見された壁画にて「杖を持ち、火を掲げる者」や「武器を持たずに獲物を狩る者」などとして描かれている。ググればいっぱい出てくるよ。
そうした魔法使いたちの活躍のおかげで人間社会は順調に発展し、人類は食うや食わずの原始生活から脱却し、他の動物たちと一線を画す存在となったのだ。
しかし、問題もあった。
大昔も今現在も変わらないことだが、魔法使いは数がとても少ない。
これは知識や技術の独占が原因……というわけではなく、純粋に素質の問題だ。
魔法使いに成れるか否かの判断基準は実にシンプル。
──魔力を捻り出せるかどうか。
ただそれだけである。
知識も血統も努力も関係ない。
天賦の才──魔法的資質の有無だけが全てを分けるのである。
魔法的資質は完全に生得的であり、いかなる手段を講じても後天的に習得することは出来ない。
その人が魔法使い足り得るかは、生まれたその瞬間から既に決まっているのだ。
魔法的資質は極少数の人間にしか発現せず、更に厄介なことに、発現する条件に法則性が一切ない。どんな特徴の人間に発現するのか、なぜ極少数にしか発現しないのか、どうすれば多くの人間に発現するのか、その全てが未だに謎のままなのである。
個人の資質に完全依存し、その資質を持つ人間が少なく、後天的に習得が不可能。おまけに、資質を持ちそうな人間に当たりをつけることすら出来ない。
これだけ条件が揃えば、魔法使いの人口比率が時代に限らず極端に低いのも無理からぬ事だろう。
確かに魔法使いは社会の大黒柱だが、数が少なければ出来ることも限られてくる。
社会の発展に伴って負担が大きくなるのは目に見えているし、何時か破綻が訪れることも明白だった。
魔法を扱える者が増えれば、社会は劇的な発展を見せるというのに。
魔法が社会全体に普及すれば、人類はさらなる進化を遂げるというのに。
そんな魔法使いたちの嘆きに、しかし凍てついた湖面のように固く冷たい現実は応えてくれない。
抜け道もなければ例外もない。
何時まで経っても、魔法使いは社会におけるスーパーマイノリティのまま。
まるで神が「魔法使いは少数いればよい」とでも言っているかのようであった。
ならば、と当時の魔法使いたちは考えた。
魔法を使った時と同じ結果を、魔法を使わずに得る方法があるのではないだろうか?
例えば、火を起こす手段は、なにも発火魔法だけではない。乾燥した木材の間に乾燥した苔を挟んで木材同士を勢い良く擦り合わせることでも火は起こせる。当時の人々は、それを経験則的に知っていた。
であれば、このようなことが他の全ての事象にも当てはまるのではないだろうか?
魔法使いが増えないのは仕方がない。
だが、魔法を使えない人間でも魔法を使ったのと同じような結果を起こせるようになれば、それは結果的に魔法使いが増えたのと同じではないだろうか。
発火魔法を使えなくても、誰もが簡単に火を点ける事ができれば、それは発火魔法を使える魔法使いが増えたのと同じことなのではないだろうか。
要するに、魔法を一般人にも使えるようにすればいいのだ。
──魔法の大衆化。
それが当時の魔法使いたちの至上命題となった。
当時の魔法使いたちは一丸となって研究を開始した。
同じ魔法を繰り返し発動し、そこから何らかの法則性を導き出そうとした。
そしてそれを基に、万人が使える「技術」を生み出そうとしたのだ。
魔力も魔法も用いずに事象を操作・改変する技術。
当時の魔法使いたちはそれを「科学」と命名した。
それが、「科学」の始まりだった。
魔法を解析・改良し、魔法を使えない者達にも扱える技術──「科学」へと作り変えるために、彼らは寝食も忘れて研究に没頭した。
そうして得られた「科学技術」を多くの人々が適切に扱えば、社会は更なる発展を見せると、彼らは深く信じた。
ただ世のため人のため、人間社会への愛に満ちた信念を胸に、彼らは邁進し続けたのだ。
その愛と努力は、すぐに実を結び始めた。
少しずつ広まり始めた科学のお陰で人々の生産能力は大幅に向上し、人口が爆発的に増加した。集落が大きくなり、やがて街が出来始めた。そして、人口が増えたことで労働力に余裕が出始め、新たな分野、新たな職業、新たな文化が生まれ始めたのだ。
こうして、人類は繁栄の時を迎えたのだった。
しかし世の中、そうそう上手くいくことばかりではない。
このジンクスは、崇高な人格と強大な力を持つ魔法使いたちにも例外なく当て嵌まっていた。
魔法使い達による繁栄の時代は、すぐに終わりを迎えることになる。
今も昔も変わらないことだが、この世は魔法を使えない者の方が圧倒的に多い。
魔法という強大な力を持つ
それは語らずとも明白だった。
最初は一部の為政者たちが魔法使いを脅威と断定し、続いて偏ったプロパガンダに影響された民衆までもが魔法使いを悪し様に罵り始め、やがて社会全体が魔法使いたちを妬み恐れるようになり、最後には排斥するようになったのだ。
ただ人々の幸せのために尽くしてきた魔法使いたちは迫害を受け始め、ただ社会の発展のために努力してきた魔法組織は異端の謗りを受けるようになった。
愛は恐怖と悪意によって踏み躙られ、努力は誹謗と中傷によって潰された。
あまりにも醜く、あまりにも酷い仕打ち。
だが、それでも当時の魔法使いたちは挫けず、そして優しさを失わなかった。
当時の理不尽極まりない社会的風潮をいち早く察知した彼らは、無益な血が流れないよう「魔法」とそれを扱う自分たち「魔法使い」という存在を、世界の表舞台から隠すことにしたのだ。
彼らは先ず、魔法そのものを最初からなかったかのように隠した。
人前で魔法を使うことを自粛し、表立った研究も全て中止。魔法に関わる痕跡を徐々に取り除き、不自然にならないようにゆっくりと魔法の存在を人々の眼前から消した。
続けて、魔法使いたちは自身をも「消し去って」いった。
ある者は戦争に出て戦死したと偽り、ある者は強盗に殺されたと装い、ある者は病で斃れたと偽装した。そしてそれぞれが遠くの地へと赴き、
これらのフェードアウト行動に、魔法使い組織は全面的に協力した。
この世界規模の隠蔽措置が功を奏し、魔法使いは嫉妬と迫害を逃れ、世界の表舞台から姿を消した。
人々の中にあった「魔法」と「魔法使い」という概念は時間とともに廃れ、何時しか
ただ、それは魔法と魔法使いそのものが消えたという意味ではない。
現代においても魔法使いたちは絶えず魔法を研究し、それを一般大衆──魔法を知らず、科学のみを信じる者たち──にも理解できるよう変換し、「科学的研究成果」という形で社会に公表し続けている。
大声では言えないことだが、有名な科学者の多くが実は魔法使いだったりする。
例えば、かの有名な物理学者──アイザック・ニュートン氏。
ニュートン氏が木より落ちるリンゴを見て万有引力を発見した、という逸話はあまりにも有名だ。現代物理学における重要法則の発見の起因となったこの逸話は、今ではニュートン氏を代表するエピソードの一つとなっている。
全世界が知る逸話。
しかし、それは大衆向けに作られた実在しない話──カバーストーリーというやつである。
事実は小説よりも奇なり。
実際のアイザック・ニュートン氏は、「4次元干渉」を主とした研究に生涯を捧げた偉大な魔法使いだったのである。
当時のニュートン氏は「半永久浮遊魔法」の開発に勤しんでいた。
物体を一定時間浮遊させる魔法はすでに存在していたが、半永久的に浮遊させることは出来なかった。
彼はどうにか浮遊時間を延ばし、果てにはその制限をなくせないか、様々な構成式を用いて様々な物体を対象に試行錯誤を繰り返した。
その実験で最初に使用したのが、たまたま手元にあったおやつ──リンゴだったのである。
彼は実験の対象物を同じリンゴに限定し、魔法を掛け、実験結果を記録し、それを基に構成式を変え、また魔法を掛ける、という工程を何度も繰り返した。
異なる条件下での結果の違いを観測し、記録し、比較する。
その手法は一般人がよく知る「科学実験」そのものであり、その姿は一般人が知る「科学者」そのものであった。
しかし、浮かせたリンゴはどうしても地面に落ちる。幾ら試行錯誤を繰り返しても、半永久的にリンゴを浮かせることは、既存の技術と知識体系ではやはり出来なかった。
ブドウ、重り鉄球、皮製のサッカーボール、聖書などなど、手元にあったものは全て試したが、やはり結果は変わらなかった。
研究に行き詰まった彼は、やがてリンゴなどよりも遥かに質量の大きい物体──天体に着目した。
彼は「天体魔法」を体系化させた大魔法使いのガリレオ・ガリレイ氏が残した手記や天体魔法の権威だった魔法使いのヨハネス・ケプラー氏が魔法学会で発表した論文を参考に、天体運動と重力を結びつけて考えた。
そして、そこから天体魔法と4次元情報の因果関係を導き出したのである。
ただ、そんな魔法学的記述が満載の研究結果を、魔法を知らない一般人に公表する訳にはいかない。
よって、ニュートン氏は当の逸話を作り、その研究成果を「科学的実験結果」として一般人にも分かるようにまとめ、世間に公表した。
それが、かの有名な「万有引力の法則」である。
残念ながら、彼の半永久浮遊魔法に関する研究は最終的に失敗に終わったが、その過程で発見した知識は今も尚「科学」の根底として生き続けている。
この例からも分かるように、科学の歴史とは魔法の歴史でもある。
いや、どちらかと言うと魔法の方が遥かに先輩だから、科学の歴史は魔法の歴史の一部である、と言った方が正確だろう。
繰り返し実験を行い、データを集め、統計的に有意な結果を導き出すのが科学だというのであれば、魔法こそその最たるものだろう。
今でも魔法が社会の発展の根本であることに変わりはなく、魔法使いが人類の進歩を支えていることに偽りはない。ただ殆どの人が知らないだけなのだ。
現存する科学技術のほぼ全てが魔法とその発動プロセスを解析し、魔力を用いずに同じ現象を起こせるよう一般化したものである。
19世紀に発明されたダイナマイトは7世紀頃からすでに存在する「爆破魔法」の「魔導爆破構造体」をニトログリセリンなどで代替したものだし、医療研究を支え続けている顕微鏡は3世紀末に発明された「光学顕微魔法」をガラスレンズで再現させただけの機器だ。20世紀後半に誕生したコンピューターのプログラミングに至っては、大昔から使われている魔法構成式の構築方法をそのまま流用したものである。現代社会におけるあらゆる製品を動かす動力源──電力などは、魔法のエネルギー源である魔力の代わりを務める目的で広められたものだ。
魔法の存在がなければ、未だに人類は洞窟に住み、石槍で獲物を狩っていただろう。逆に、魔法と魔法使いが秘匿される必要もなく全ての人々から受け入れられていれば、今頃人類は多くの不治の病を克服し、
なんとも皮肉な話ではあるが、歴史の真実なんて往々にしてそんなものだったりする。
話が長くなってしまったが、冒頭に戻ろう。
結局なにが言いたいのかというと、「科学魔法」という名称は決して矛盾してはいない、ということ。
前述の通り、科学は狭義的な魔法であるため、科学魔法もまた魔法の一ジャンルなのである。
では、科学魔法とは何か?
簡単に言うと、科学魔法とは、人の手によって完全に解き明かされた──原理が魔法学的に完全に解明されていて、全プロセスに不明瞭な点がない──魔法のことである。
例えば、《
それとは対照に、未だ原理がまったく解き明かされていない、或いは部分的にしか解き明かされていない魔法を「神秘魔法」と呼ぶ。
俺がつい先ほど発動させた召喚魔法が、まさにこの神秘魔法に分類される。
召喚魔法の発動プロセスは、未だ完全には解き明かされていない。
召喚陣や構成式の解明は多少進んでいるが、「
理論や仮説は色々あれど、実際に証明された説まだ無い。
召喚魔法について今のところ解っているのは、特定の魔法陣を描いてそこに魔力を込めると
……まぁ、もともと使える人間が少ない魔法だから、研究が全然進んでいないだけなんだけどね。
使える人間が少ないから研究が進まない、というのは魔法の世界ではよくある話で、
実際、上級魔法の殆どがこの神秘魔法に分類されている。
とは言うけれど、俺を含め、大多数の魔法使いからすれば、原理がハッキリしているかしていないかは正直どうでもいい。
使えさえすれば、それでいいのだ。
殆の人がパソコンの工学的構造やOSの動作原理など全く理解していないけれど、日常生活では当たり前のようにパソコンを使っている。それと同じで、研究者を除いて殆どの魔法使いが原理など気にせずに神秘魔法を使っているのである。
しかし、ここにちょっとした問題が存在する。
パソコンをよく使う人なら経験があると思うが、「知らず知らずのうちにシステムファイルを書き換えてしまい、パソコンが誤作動を起こす」というミスある。
パソコンの操作に慣れてきたユーザーに起こりやすいトラブルで、なまじ普通にパソコンを使えてしまうが故に、ついつい何かのはずみでCドライブ内のフォルダを書き換えて動作不良を引き起こしてしまい、泣く泣く修理屋さんに出す羽目になる、という「パソコンあるある」である。
OSの設計や構造などの具体的な知識がないから、エラーが起きたとしても何が悪かったのかすら分からない。
これと似たようなことが、神秘魔法にも存在するのだ。
神秘魔法は原理が解明されていないが故に、ちょっとしたことで
既知の構成式を使えばだいたい決まった事象を起こせる代わりに、僅かな変動でも誤作動を引き起こしてしまう。
パソコンと同じで、「よく分からない原因」によって「よく分からない結果」が起きやすいのだ。
魔法使いなら分かってくれる、「神秘魔法あるある」である。
さて、なぜ俺がこんな魔法使いしか知らないような歴史の裏話と魔法使いしか興味を示さないような魔法の分類を長々と話しているのかと言うと──
俺がシャティア姫たちを王都に送るために召喚した召喚対象が、あまりにも
神秘魔法に分類される召喚魔法を使ったのだから、たまに発生する予想外な出来事や摩訶不思議な誤差はある程度覚悟していた。
例えば、「
……まぁ、全部俺が実際に経験したことなんだけどね……。
というわけで、俺は神秘魔法がもたらす「予想外の結果」にも、ある程度の耐性があった。
最悪「召喚失敗」も視野に入れて魔法を発動したわけだし、何が召喚されても驚かない自信があった。
だけど、
何だよ、これ……。
◆
「ふむ。その顔、見覚えがあるな。我が
二枚の巨大な皮膜翼を背負い、美しく輝く漆黒の鱗を全身に纏い、英知を宿す紫の瞳を有する。
目にしただけで言い知れぬ畏怖と崇拝の念を抱いてしまう、そんな強大な存在。
「……お前、師匠と俺のことを知っているのか?」
目玉が飛び出そうになるほどの驚きと震えそうになるほどの畏怖を無理やり捻じ伏せ、俺は何とか平静に聞こえるよう抑揚を抑えた声で問いを投げかける。
俺が召喚しようとしたのは、一般的な飛竜だった。
そのはずだった。
なのに──
「勿論だとも。あやつほど面白い人間もなかなかおらんからな」
その言葉で、俺はこのあり得ない「召喚対象」の正体を察した。
あの
「っていうことは、やっぱり、お前が……」
「うむ。我こそ竜の王、『バハムート』のバームである」
そいつ──俺が召喚した召喚対象は長い首を威厳たっぷりに反らし、そう自己紹介したのだった。
バハムート。
分類は「竜目 飛竜科 幻竜属 バハムート種」。
物質界しか認識できず、また物質界を存在次元とする我々人間とは違い、竜──我々魔法使いの間では「竜目」を略して「竜」と称する──は非物質界に生きる「高次元存在」だ。人間とはそもそもの格が違う。
そんな竜と呼ばれる種族の中でもほぼ最上位に位置する「
それが、バハムート種だ。
昔、師匠が一度だけ話してくれたことがある。
かつて自分はひょんな事から一体のバハムート種を召喚し、そいつに気に入られてしまった、と。
最初は何の冗談かと思ったが、師匠ならやりかねない、とすぐに納得してしまったのをよく覚えている。
そのとき師匠が述べた
鼻頭に一本と頭部に二本の立派な紫角を生やした真っ黒な巨竜、と。
その名を「バーム」、と。
そして何より、そいつの瞳は独特である、と。
数少ない竜関連の文献によると、バハムート種の目は「赤い虹彩に黒い瞳である」とされている。
しかし、師匠が召喚した個体は、赤い虹彩に黄金の輝きが散らばったような紫色の瞳を有していたという。
それは、まさに今目の前にいるこのバハムート種の瞳と同じ色合いだった。
バームと自称し、黄金に輝く紫という独特な色合いの瞳を有する、バハムート種。
これほどまでに特徴が一致するのであれば、もはや疑う余地はないだろう。
こいつこそ、師匠が生前に召喚したというバハムート種だ。
「……なぜお前がここに?」
「随分な言いざまだな。勿論、呼ばれたからだ──貴様にな」
俺の問に当たり前のように答えるバーム。
まるで出前を届けに来た配達員のような気さくさだった。
「いやいやいや! バハムート種なんてとんでも種族、誰も呼んでないから! そもそもバハムート種なんて師匠ぐらいしか召喚できないから! 俺じゃあ逆立ちしたって呼べないから!」
マジでどゆこと!?
ゲームの中盤あたりでエンカウントするようなキャラを召喚したつもりだけど!?
何で裏ボスが出てくんの!?
おかしいでしょ!?
人を9人程運んで欲しいだけで、別に大陸を更地に変えたいわけじゃないんだよ!?
「何を言う。召喚陣に
巨大な黒竜は大きく割けた口端をニヤリと歪めた。
「いやいやいや! 俺は普通の飛竜を一匹召喚するつもりだっただけだし、その程度の魔力しか込めてないぞ!?」
「我も広義的には飛竜だが?」
「カテゴライズがザックリ過ぎるわ! お前らバハムート種は全部で12体しかいない、全ての竜の
半分ほどパニックに陥っている俺の叫びに、バームはグルグルと喉を鳴らした。笑っているらしい。
「ふむ。貴様は魔法使いではなかったか? ならば、我が言わずとも分かっておろう。我ら竜は人に呼ばれぬ限り、
バームに理論立てて反論され、俺は少しだけ平静を取り戻した。
「……そりゃそうだけど……でも俺、バハムート種を呼べるほど魔力ないぞ?」
バハムート種なんてとんでもないものを召喚できるのは、師匠のような人外の魔力量を持つ極一部の人間だけだ。
歴史的に見ても、そんな人物は片手で数えられるほどしかいないだろう。
俺のような魔力量も腕前も中の上程度でしかない未熟者が召喚すれば、間違いなく魔法発動の途中で命を落とす。
「何を言っているのだ? 今の貴様の魔力は我が前主を軽く凌駕しているぞ? あやつも人間にしては相当な化け物だったが、なるほど弟子である貴様はとうとう人間をやめたと言うわけか」
「そんなわけ──」
ない、と否定しようとして言葉に詰まった。
頭の中に引っかかるものがあったからだ。
最強の魔法使いだった師匠を超えるほどの魔力量を持つ。
そんな可能性は、確かに存在していた。
「心当たりがあるようだな」
くつくつと笑うバハムート。
そう、俺には心当たりがある。
魔力量で俺が師匠を超える、そんな口にしただけで頭が痛くなるようなあり得ない事を実現してしまう原因に。
遡らずともすぐに辿り着く、
全てはあの始末書神が言っていた、あのセリフ──
「巻き込まれて亡くなった全ての魂が、九太郎さんの魂と融合してしまいまして……」
魔力は魂から抽出される。
つまり、魂とはエネルギーの塊だ。
もしあの始末書神の言ったことが本当なら、今の俺の魂には人間12人分、犬1匹分、猫24匹分と鴉6羽分の魂が溶け込んでいることになる。
計算するまでもなく、とんでもないエネルギー総量だ。
特に猫と鴉の魂は特別に強力なエネルギーを有している、という都市伝説のような説がある。もしそれが本当なら、今の俺の魂が有するエネルギー量は天文学的数値になっているだろう。
以前の感覚でギリギリまで込めた魔力が、うっかりバハムート種を召喚できるほど膨大だった可能性は、十分にある。と言うか、それ以外に考えられない。
……どうりで召喚魔法を発動した時、それほど消耗しているように感じなかったわけだ。
そうなると、あの「光る魔法薬」も説明が付く。
即席で作った疲労回復剤がアウグストゥス放射光を発するほどの特級魔法薬になったのも、軽く込めたつもりの魔力がこれまたとんでもない量だったからだろう。
「……なるほど、確かに人間やめてるな……」
「ふはははッ! それでこそ我の新しい主に相応しいというものよ!」
首を伸ばして大笑いするバーム。
笑い方が完全に大魔王だよ。
一頻り笑うと、バームは首をググッと下げ、その大きな顔を俺と同じ目線の高さにまで持ってきた。
ただ、その巨体ゆえに顎を地面に付けても目の位置が俺より高いので、結局は1メートル程上から見下される形になっている。
「
「……それはありがたい」
召喚後、主従の契約が完了した召喚対象を「使い魔」や「召喚獣」という。
召喚対象が自らその称号を名乗ったと言うことは、召喚主に対する服従と忠誠を認めたということを意味する。
バームのような超級の高次元存在が低次元存在である我々人間に服従を示すなど本来はありえないことなんだけど、竜というのは結構気まぐれであるらしく、気分次第で召喚主を認めたり認めなかったりする事があると本で読んだことがある。
俺を呼ぶときの呼称が「貴様」から「お主」に微妙に変わっているから、多分、俺のことをちゃんと認めてくれているのだろう。
俺もここは素直に
まぁ、召喚してしまったものは仕方がないし、認められずに殺されるよりはマシだ。
結構あるんだよね、高次元存在を召喚して気に入られずに殺されてしまう魔法使いって。特に気性の荒い竜目や悪魔目なんかを召喚した時には。
さっきから俺が内心でかなりビビりながらもバームに対してなんでもない風を装ったり、寧ろ偉そうに振る舞ったりしているのも、召喚対象にナメられないようにと無理しているだけだったりする。
だから、バームに認められて結構ホッとしている。
俺としてはまだ自分の魂の状態に大きな懸念を抱いているのだが、それはこの際置いておくとしよう。
あのイケメン神様も「害はない」って言ってたしね。
そういえばと思い、後ろを振り返ってみると、案の定、シャティア姫一行は初めて見るであろうバハムート種の威容に全員が地面に尻を着いて震えていた。メリルに至っては五体投地でひれ伏してしまっている。
なかなか見れないよ、こんな見事な五体投地……。
っていうか気絶して倒れているだけじゃないか、あれ?
まぁ、無理もない。
こんな恐ろしい
師匠が言うには、高次元存在と目が合っただけで心停止を起こす一般人も少なくなく、一般人より遥かに強い魔法使いでも失神する率が高いとか。
そう考えると、腰を抜かしただけで済んだ彼女たちは、まだぜんぜん肝が座っている方だろう。
本当はもっとマイルドな外見の「フィーン種」とかを召喚できればよかったんだけど……ほんとごめんね。
「で、我が主よ。我を呼んだのはなにもそこの小娘共を肴に一杯やるためではあるまい? どのような用向きだ?」
自分達に向かって顎をしゃくるバームに、シャティア姫たちの肩が大きく震える。
竜に「肴にする」などと言われたら、たとえそれが冗談だと分かっていても戦慄を禁じえないだろう。凶悪殺人鬼に笑顔で「試しに一回俺に切り刻まれてみない?」と問われるようなものだ。それが竜の頂点であるバハムート種なら尚更だろう。
文字通り、洒落になっていない。
「こらこら、あんまり笑えない冗談を言うな」
見ろ、みんなチワワみたいに潤んだ瞳でプルプルしてんじゃねぇか。
メリルなんかちびらないように泣きながら必死に股間を押さえてるぞ。可哀想に。
これ以上無駄な恐怖を広げないためにも、さっさと本題に入ろう。
「お前を召喚した覚えはないが、背に腹は変えられん。バーム、この方たちを望む場所まで無事お送りして差し上げろ」
「承知した」
即答である。
伝説の種族とは思えないほど従順で素直な返事だった。
だからこそ、思わず半目を向けてしまった。仮面で見えないだろうけど。
……正直、信用できん。
竜は往々、人間に対して傍若無人だ。
低次元存在のくせに高次元存在たる自分たちを
そんな竜の頂点たるバハムート種がこうも素直に命令を聞くなど、裏があるとしか思えん。後々になって何かとんでもないものを要求されるんじゃないかと、思わず身構えてしまう。
王都までは送り届けてやるけど対価として王都に住む全ての生き物を食らう、とか言い出さない?
俺の憂慮が仮面越しでも分かったのか、バームは再びグルグルと喉を鳴らして笑った。
「安心するがいい、我が主よ。我は竜だ、悪魔ではない。召喚主を
「……さいですか」
まぁ一応、師匠直伝の召喚陣を使って召喚したのだから、召喚主である俺の意向に背く行為はかなり制限されるはずだ。
それに、自らを「使い魔」と認め服従の意を見せているのだから、わざわざ謀反を起こす意味もないだろう。
ここは大丈夫だと信じておこう。何事も信じることが大事なのだ、うん。
「一応みんな怪我人だから、丁重に扱えよ」
「怪我人? そこにいる小娘共がか? 皆、健康体そのものだぞ?」
「怪我人だ」
「だが──」
「怪我人だ」
「……承知した」
魔法薬のことを話すとまた話が長くなるから、有無を言わさず従わせる。
強気に出てもちゃんと言うことを聞いてくれるな、こいつ。
「あと、絶対に人には見られるなよ。面倒くさいことになるから」
シャティア姫達の反応を見る限り、この世界でも竜(或いはドラゴン)は特殊な存在であるらしい。
不用心にバームの姿を晒すことは避けたいところだ。
「心配いらん。我を見た者は、我が責任を持って消し去ってやろう(じゅるり)」
「やめい。まずは見られない努力をしろ」
「証拠は一切残さんぞ?(ペロリ)」
「だからやめいっちゅうに。死体の処理方を考える前に、先ずは死体を生み出さない方法を模索しろ。出来るだけ姿を隠せ。なんなら、何か魔法を掛けてやろうか? 《
「いや、よい」
バーム曰く、俺たち魔法使いに魔法を掛けられると「なんだかモヤッとする」らしい。
なんでも、セロハンテープが手の甲にくっついたような変な感覚を覚えるのだそうだ。
「なら、人目に触れないように出来るだけ高高度を飛んでくれ。それと、送り届けた後は
「承知した」
そうやってバームに指示を出していると、
「あ、あ、あのぉ……」
というアルデリーナさんの震えた声が耳に届いた。
「ヤ、ヤエツギ殿。そ、そちらに御座すお方は……」
御座すお方て。
「あ〜、そう言えば紹介がまだでしたね。こいつは私が間違って……じゃなくて、苦労の末に召喚した竜……ドラゴンです」
「うむ、我こそバハムートのバームである」
「ほ、本当に、ド、ドドドラゴンを……?」
「こいつが皆さんの足になります」
そう言うと、なぜかアルデリーナさん達が震えるのも忘れて絶句した。
バームも、グルグルと喉の中だけで笑いながら愉快そうな目を俺に向けている。
え?
なにこの反応?
俺、何か変なこと言った?
バームの愉快そうな視線を受け、自分の発言を振り返り──すぐに過ちに気が付く。
あ、やっべ。
今俺、すげぇ非常識なこと言ったかも。
またやっちまった……。
うん、「バハムート種を馬車代わりにする」とか、俺でも神経を疑うわ。
みんなの視線が痛い。
……
…………
………………ええい!
だって、しょうがないじゃないか!(開き直り)
いつもの感覚で魔力を込めたんだもん!
以前だったら普通の飛竜が召喚されるはずだったんだもん!
それでバハムート種が出てきたとしても、実感らしい実感なんて湧く訳ないじゃん!
昔、タイの食堂で店主に「150バーツ(約500円)分の食い物を」と注文したら満腹定食を5人前も出された時と同じ気分だよ。
馬車代わりに召喚した召喚獣を貴賓の如く丁重に扱えと言われても、なかなか出来るもんじゃないよ。だって、馬車馬代わりにするために召喚したんだから。
いいじゃないか、バハムート種に馬車馬役をやらせたって。それが
そうだ、俺は非常識なんかじゃない!
ただ契約に忠実なだけなんだ!
……まぁ、やっちゃったもんはしょうがない。
ここは割り切るとしよう。
今更シャティア姫たちに「今のなしなし!」と言えるはずもないしね。
「……怯える必要はありませんよ。こいつが皆さんを襲うことはありませんから」
とうとう涙目で祈り始めた者が現れたので……というかメリルがもうそろそろ色々と限界みたいなので、皆を安心させるために敢えてなんでもないように言う。
すると、アルデリーナさんが徐に立ち上がった。
彼女は大きく息を吸ってゆっくりと吐き出してから、背筋を伸ばして意を決したように顔を引き締め、バームの下までやって来た。
皆が見守る中──シャティア姫だけはキラキラ顔でバームに見入っていたが──アルデリーナさんはバームの前で再度姿勢を正し、その巨大な顔を見上げた。
「バーム殿、御身の助力に心より感謝申し上げます。王都まで、何卒よろしくお願い致します」
深々と頭を下げるアルデリーナさん。
竜という人間より遥かに上位に位置する種族を前にしているからか、彼女の態度は心底恭しい。
それを俯瞰していたバームはゆっくりと首をアルデリーナさんの目線の高さまで下ろし、些か柔和な声色でアルデリーナさんに答えた。
「うむ。我が主の願いだ。貴様たちをその王都とやらまで無事に送り届けてみせよう」
◆
「ヤエツギ殿、本当に世話になった。王都へ来られる際は、ぜひ王城を訪ねてくれ。最上級のもてなしを致そう」
シャティア姫はそう言うと、柔らかい笑顔を浮かべた。アルデリーナさんをはじめとする
やはり、彼女たちには
寝そべっても3メートルほどの高さになるバームの背中によじ登ると、彼女たちは大きく手を振ってきた。
それに手を振り返していると、俺以外の全員を乗せたバームが大きく羽ばたき、空へと舞い上がる。
翼が大きいとは言え、こんな巨体をどうやって飛ばしているのやら。何らかの魔法か、種族固有の能力だろうなぁ、きっと。今の俺には解析すら出来ないけど。
まるで動画の倍速再生のようにあっという間に雲の上へと消えて行く彼女たちを見送りながら、俺は思う。
暗殺と隣り合わせの姫と、それを全身全霊で守る女性騎士たち。
彼女たちに待ち受けるのは、きっと過酷な未来だろう。
一度は助けてやったが、これからどうなるかは彼女たち次第。
俺はあくまでも通りすがりの部外者でしかない。
ただ、それでも──
俺は彼女たちの無事と多幸を願わずにはいられない。
どれだけ物騒な事に慣れた俺でも、やはり善い人間には良い人生を送ってもらいたいと思う。
善には善の報いあり。
これは師匠も望んでいたことだ。
実際には実現が難しい理想だが、だからこそ願って止まない。
バームの巨体が雲の彼方に消えていく。
これで彼女達は無事に王都にたどり着けるだろう。バハムート種に守られた人間に喧嘩を売ろうとする愉快なチャレンジャーは滅多にいないし、何かあってもバームが対応してくれるだろう。……穏便に対応してくれるといいなぁ……。
初めて出会ったこの世界の人たちに別れを告げ、俺は「ふう」と一息ついた。
眼の前に広がるのは、元居た世界と違って見える異世界の風景。
さて、
「これからどうすっかね〜〜」
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