08. 譲れない八つ当たり
コクリと可愛く喉を鳴らし、アルデリーナさんは「リボピタンD」を飲み込んだ。
「ほぅ……」
恍惚とした表情で零した切なげなため息が少し官能的である。
しばらく余韻を楽しむように目を瞑った彼女は、やがて自分の体を見下ろし、手足の感覚を確認して驚きを露にした。
「なんと心地良い気分だ……。疲れが完全に消えた。いや、寧ろ普段以上に力が漲ってくるようだ」
「本当かリーナ!?」
「はい、姫様! 先ほどまでの疲労が嘘のようになくなっております。それどころか、今までに感じたことがないほどの力が漲ってきています!」
「おお!」
「それに、ご覧ください。小さな擦り傷までもが完全に消えております。肩と脚の打撲傷も、もはや跡形もございません。今ならどんな強敵でも相手にできる気分です!」
ちょっと興奮しているアルデリーナさんに、シャティア姫が歓喜を爆発させる。緊張した面持ちで見守っていた他の団員も笑顔を咲かせている。
……う〜ん。
喜んでもらえたのは何よりだけど、製作者である俺としてはなんとなく複雑な気分なんだよなぁ……。
俺が作った即席疲労回復剤「リボピタンD」は、アルデリーナさんの疲れを癒したのみならず、俺が体への負担を考えてわざと治さなかった差し障りのない軽症──頬についていた小さな擦り傷や脚の打撲傷など──をも瞬時に治して見せた。
本当にシャイニングエリクサー並みの効力である。
だけどね?
作っといてなんだけど、この魔法薬、本来は徐々に効いてくるタイプのもので、こんな即効性はないはずなんだよね。
だから
まるでお腹に優しいヨーグルトを一口飲んだら途端に大腸癌が治ったようなものだ。
とは言え、この状況でそれを口にするのも躊躇われる。
……うん。
とりあえず黙っておこう。
白状できる雰囲気でもないし、どちらかと言うと失敗作じゃなくて超成功作だから誰も損はしていない。
ここはさも「狙って作りました」的な感じでどっしりと構えていよう。
「ま、ま、ままま──」
アルデリーナさんの全快に皆が喜びを分かち合っている中、一人だけがガクガクと膝を震わせ、ブルブルと唇を戦慄かせていた。まさに「ガクブル」状態である。
「ま、まさか、ほほほ本当に、で、伝説の霊薬を……?」
そう漏らしたのは、やはりと言うか、先ほどから正気を失いかけているアリシア嬢であった。
呆然としていたかと思えば、彼女は突然バッと俺に詰め寄る。
「ありえませんわっ!」
「な、何がでしょうか?」
掴み掛からんばかりの勢いで俺に迫るアリシア嬢。
すごく綺麗なお顔をしている分、驚きと困惑と感動と悔しさと怒りがゴチャ混ぜになったようなその複雑な形相がちょっと怖かった。金色の縦ドリルもびょいんびょいんと揺れている。
別に俺が悪いわけじゃないのに思わず半歩ほど後退ってしまったよ。
「全体が淡く光り、一瞬で怪我と体力を回復する。
そんなポーション、伝説の霊薬たる『エイナスの雫』しかございませんわっ!
貴方、分かっておりますのっ!? 伝説の霊薬ですわよっ!?
調合するには『ドラゴンの動脈血』や『グリフォンの涙腺液』などの伝説級の素材に加え、もはや今では誰も使うことができない伝説級の魔法を長期間……それこそ年単位で掛け続ける必要があると言われていますのよっ!?
そんなものを……そんな伝説に伝説をかけ合わせたような霊薬を、こんな粗末な行軍糧食を使って作るなんて……しかも僅か数秒で作るなんて、ありえませんわっ‼
ありえませんわっ‼」
大切なことなのか、「ありえませんわっ‼」と二回も言われてしまった。
……いや知らんがな。
寧ろ俺のほうが知りたいよ、どうしてこうなったのかを。
絶叫の如くまくし立てたアリシア嬢が堪らずゴホゴホと咳き込む。普段はこんな風に喚き立てることがないから喉が慣れていないのだろう。もはや息も絶え絶えである。
っていうか、そもそも、なんで俺はこんなに怒られているんだろう?
薬の効果が気に入らないという訳でもなさそうだし、量も一人一口で全員に行き渡るだけあるし、申し分ないはずなんだけどなぁ……。
ちなみに、味に関してはドライフルーツの風味を生かした甘めでフルーティーな仕上がりとなっている。女性が多く、お子様もいらっしゃるため、飲みやすさを追求してみました。
「ちょっとアリシア落ち着いて!」
副団長であるメリルがアリシア嬢を落ち着かせようと必死の形相で彼女を羽交い絞めにしている。が、アリシア嬢にスルリと抜けられてしまい、逆に両肩をガッシリと掴まれた。
狂騒状態にも拘らずアリシア嬢はなかなかの身のこなしである。
「これが落ち着いていられますの、メリルっ⁉
あなたは彼が何をしたのか理解していますの、メリルっ!?
彼は、もはや失われたとされている伝説の霊薬を作り上げてしまったのですよ、メリルっ!?
それもあり合せの材料しか使わずにあの短時間でですわよメリルっ!?
これはポーション界を、いいえ世界を揺るがす一大事ですわよメリルっ!?
分かってますのメリルっ!?」
メリルの肩をガクガクと揺するアリシア嬢。
最後の方、もうメリルの名前が語尾みたいになってんぞ。
そんなアリシア嬢にご無体をされたメリルは頭蓋内で盛大に脳をシェイクされ、大いに目を回していた。
口からは涎とともに「あばばばば……」という断末魔が漏れ出している。
やめてあげてアリシアさん!
メリルは取り乱しているあなたを心配していただけだから!
それ、完全に八つ当たりだから!
メリルが可哀想過ぎるから!
だからもうやめてあげて!
ほら、あなたのご乱心っぷりにみんな引いちゃってるから!
荒れ狂うアリシア嬢にドン引きする俺だが、それ以上にもっと気掛かりなことがあった。
それは、アリシア嬢の「一大事」発言である。
失われた伝説の霊薬?
ポーション界ないし世界を揺るがすことになる?
それはまずい。
まずいったらまずい。
非常にまずい!
そんな七面倒臭いこと、まっぴら御免蒙りたい。
あの栄養ドリンクもどきが世界を揺るがす?
出来るだけ高品質を目指したとは言え、一応これでも目立たないように最低レベルの魔法しか使わず、最低レベルの魔法薬しか作ってないのに?
もうどうしたらいいの?
「やめないか、二人とも」
他のメンバーに「リボピタンD」を回し飲みさせていたアルデリーナさんがアリシア嬢とメリルを制止する。
ちょっとアルデリーナさん?
今「二人とも」って言ったけど、メリルは悪くないと思うよ?
メリル完全にとばっちりだからね?
「ヤエツギ殿、重ねて感謝申し上げる。貴殿が調合してくれたこのポーションは実によく効く。もう疲れも消えたし、背中の傷も、ほら、この通り綺麗さっぱり消えた」
あ、ほんとだ。
振り返って見せてくれたアルデリーナさんのその色白な背中は、艶かしいまでに滑らかになっていた。
ついさっきまでそこに30センチほどの裂傷があったとは思えないほどである。《
もはや上級治癒魔法の《
解せぬ……。
騎士団の面々がフラスコを回し飲みしてはその効果に驚く姿を眺めながら、俺は改めて自作の魔法薬の予想外な効き目に首を傾げるのだった。
◆
数分後。
全員が「リボピタンD」を飲み終えたタイミングで、シャティア姫が真面目くさった顔で目の前までやってきた。
「ヤエツギ殿」
突然大人びた口調でそう呼ばれ、俺は思わず姿勢を正す。
そんな小物な俺に、シャティア姫はその薄い胸を高々と張った。
「此度は妾と臣下達の命を救っていただき、心より感謝する。アルフリーゼ王国第二王女として、改めて礼を述べさせてほしい」
感謝を表そうとする丁寧な言葉と王族の面子を保とうとする孤高な態度が中途半端に合わさった、なんとも不思議な謝辞だった。
礼儀正しい口調と真摯な態度から彼女の感謝は伝わるのだが、動作だけが何処か高飛車で不遜だからかなりちぐはぐである。ツンデレっぽくてちょっと面白い。
「そなたのお陰で、妾たちは再び王都を目指すことが出来る」
シャティア姫はアルデリーナさんに振り返る。
「リーナよ、王都まであとどれ程の距離じゃ?」
「馬をすべて失ってしまいましたので、徒歩で向かう他ございません。急ぎ足で……10日程かと」
アルデリーナさんは指折り数え、日数を弾き出した。
ふむ。
全力の徒歩で10日。
距離にしておよそ500キロってとこか。
これは…………無理だな。
少ない人員での長距離の移動、高確率で起こる敵の再襲撃、そしてまだ幼く非力な護衛対象。
無理だな。
彼女たちは、絶対に目的地へ辿り着けない。
しかしそれでも近いうちに必ず知られる。
暗殺組織がターゲットをそのままにしておく筈はなく、確実に抹殺すべく再度暗殺を図るのは必須。次に送られる暗殺者は、間違いなくもっと腕が立つだろう。
全快したとは言え、8人しかいない護衛で500キロの道程を徒歩で進みながら暗殺者の襲撃から幼く非力な護衛対象を守り通すのは、どう考えても不可能だ。
補給のために何処かの街に立ち寄るにしても、人混みは彼女たちの味方をしない。木を隠すなら森の中、とは言うが、それが成立するのは確実に安全な
彼女たちが自分たちの力だけで目的地にたどり着ける確率は、限りなくゼロに近いだろう。
「皆の怪我を治してくれたばかりか疲れを癒やすポーションまでも作ってくれたそなたには大変世話になった。感謝してもしきれん。…………それを承知の上で、もう一つ頼みたいことがある」
一瞬だけ逡巡して、彼女は意を決したように口を開いた。
「ヤエツギ殿、妾に雇われんか?」
「…………」
「妾たちはどうしても王都へ帰らねばならん。じゃが、この通り騎士団は少数しか生き残っておらず、足となる馬ももうない。じゃから、そなたを護衛として雇いたいのじゃ。そなた程の力量があれば、賊など物の数ではなかろう。報酬は、言い値を支払おう」
堂々とした態度でそう言ったシャティア姫の眼光にはしかし、焦りと絶望がはっきりと現れていた。
彼女達をこのまま放り出せば、遅いか早いかの違いはあれど、結局は全滅してしまう。
それはシャティア姫たち自身が最も理解しているのだろう。みんな一様に緊張した面持ちで俺の回答を待っている。
こういう依頼をされることは、なんとなく予想していた。
だから俺は答えを用意していた。
義を見てせざるは──
「お断りいたします」
──
「皆さんには色々と手を貸してきましたが、これが限界です。残念ながら、今の私には貴女たちを護衛する余裕がありません」
ごめんね。
マジで、余裕が無いんだよ。
俺はこの見ず知らずの異世界に到着して、まだ1時間も経っていない。
自衛と成り行きで弱小暗殺者を10人ほど瞬殺したが、この世界についてはまだ何一つとして知らないのだ。それこそ、王族に名乗られてもピンとこない程に。
そんな右も左も分からない状況でいきなり王族の護衛とか、無茶にも程がある。
「先ほども言いましたが、面倒事は御免蒙ります」
何度も言うが、俺が求めているのは安らかで静かな生活だ。
これ以上王族の問題に関わってしまったら、面倒事になるどころか二度と身を引くことが出来なくなってしまう。
「では、私はこれで失礼させてもらいます」
ペコリと頭を下げ、俺は素早く踵を返す。
一度は助けた。
しかし、それ以降まで付き合う義理はない。
薄情だと思うなら勝手に思え。
俺にだって、事情があるんだ。
恩があるならまだしも、通りすがりの赤の他人のために自分の人生を掛けてやる義理も謂れもない。
師匠が俺を引き取って育ててくれたのだって、ちゃんとした「情」と「理由」があったからだ。決して見ず知らずの孤児を無差別な善意と無制限の慈愛で養っていたわけではない。
善意は崇高ではあるが、強制力を持たない。持ってはいけない。
だから俺にはこれ以上彼女たちを救う必要も理由もない。
もし仮に「助けた責任」などという巫山戯たものがあるのならば、怪我を治してあげた段階で既にその責任は果たしているだろう。魔法薬に至っては出血大サービスだ。
所謂「
「…………っ」
俺の拒絶に、シャティア姫はキュッと唇を引き結び、無念そうに俯いた。
彼女の瞳に掛かる絶望の靄が一層濃くなり、生気が俄に失われていく。哀愁と諦観が彼女の心を蝕んでいくのが手に取るように分かる。
そんな彼女を見て、俺は胸が締め付けられるような気がした。
懸命に生きようとしている女の子にこんな顔をさせるなど、気分が良いはずがない。
でも、それを承知で俺は彼女の願いを拒絶したのだ。
もしこれが転生もののラノベの主人公なら、ここで持ち前の薄っぺらい正義感と根拠のない自信でこの護衛依頼を請け負い、神様から貰ったよく分からない理屈のチート能力を生かして無双し、王女様と女騎士様から一目置かれてイチャラブハーレムフラグを立てるのだろう。まさに「チーレム無双」だ。
だが、生憎と俺はそんな世界の中心にいるようなラノベの主人公じゃない。
見知らぬ異世界にポンと放り込まれた、ただの無知で迷子の魔法使いだ。
シャティア姫は、大きな誤解をしている。
彼女は「そなた程の力量があれば、賊など物の数ではなかろう」と言っていたが、それは究極の楽観視だ。
彼女の敵が誰か分からないが、
元の世界で言えば「
物の数どころか、俺の生存そのものが危ぶまれるのである。
俺は聖人でもなければ君子でもない。
自分と他人のどちらを取るかと問われれば、迷わず自分を選ぶ。
彼女たちを逃がすために自分の命を危険に晒す気など、サラサラ無い。
だから俺はシャティア姫の懇願を躊躇なく切り捨て、彼女達が絶望の深淵で息絶えていくことを黙認する。
恐らく、恨まれるだろう。
いや、恨まれて当然だ。
浮き輪を持っているように見える人間が振り返りもせずに歩き去ろうとすれば、溺れる者は誰だって恨みを持つだろう。たとえその手に持っているものが実はただのドーナツだったとしても、絶望の淵で足掻く者にそんな
それを責めるような真似はしない。
同じ立場に陥れば、俺だって怨嗟をぶつけるだろう。「なぜ助けてくれないんだ」と、「それでも血の通った人間か」と。
だから俺はこれ以上何も言わず、一度も振り返らず、黙って彼女たちの下から立ち去る。
ただ心の中だけで「俺も余裕がないんだ」と、「運がなかったな」と、そう呟きながら、淡々と去るだけだ。
足を進めながら、俺は背中から浴びせられる憎悪の眼差しと恨みの言葉を覚悟した。
最悪、逆上した彼女たちに攻撃されることも覚悟した。
「そ、そうか……それは、仕方ない、な……」
だが──返ってきたのは、そんな諦めに染まりながらも納得の音を含んだ、シャティア姫の弱々しい声だけだった。
踏み出す足が、思わず止まった。
振り返ると、そこにあったのは無理やり作ったような、今にも泣きそうなシャティア姫の笑顔だけだった。
彼女の顔にあったのは、そんな笑顔だったのだ。
頭が真っ白に染まった。
彼女の反応が理解できなかった。
なぜ微笑みを作る?
なぜ笑顔を貼り付ける?
なぜ気にしていない風を装う?
そこは、協力への拒否を理不尽に感じて怒るところじゃないのか?
そこは、もっとしつこく助力を強要するところじゃないのか?
そこは、ただ感情のままに喚き散らすところじゃないのか?
彼女の
この小娘は、なぜこんな顔をしている?
このチビは、なぜこんなことを言っている?
このガキは、なぜこんなことをしている?
空回りする頭で幾つもの「なぜ」を考える。
答えはすぐに出た。
──俺の事情を、慮ったからだ。
──面倒事に巻き込まれたくないという俺の事情を尊重し、俺に彼女のお願いを断ったことへの罪悪感を残すまいと、気にしていない風を装ったのだ。
俺の願望のために、自分たちの命を諦めたのだ。
腹の中で沸々と何かが煮えあがるのを感じた。
漣のようなムカつきが、何度も何度も胸を押す。
この小娘は、絶望と諦念に支配されながらも、俺を──赤の他人でしかないこの俺の事情を慮って、あっさりと身を引くことを選んだのだ。
恨むのでもなく、憎むのでもなく、ただ「仕方ない」と──
自分の感情を殺して、無理やり笑顔を作って──
そうやって、己を納得させたのだ。
こんな幼い女の子が、そうやって己を納得させ、絶望と死を受け入れたのだ。
この俺を──自分達を死の淵から救う手段を持ちながらも無情に見捨てることを選んだ男を──慮りやがったのだ。
ふざけるな
ふざけるなよ
ふざけるんじゃねぇぞ!
慮る?
この俺を?
こんな子供が?
ふざけるな!
それは仕方ないな、だと?
ふざけるな!
死にそうなのは、お前の方だろうが!
絶望しているのは、お前の方だろうが!
慮られるべきは、お前の方だろうが!
煮えた熱気が腹から喉を昇ってくる。
そしてその辛い熱気は「はぁ……」という溜息となって口から漏れた。
「……だから、子供がそんな顔すんじゃねぇっての……」
本日二度目になるそのセリフは──溜息と共に無意識に漏れ出したはずのそのセリフは、自分でも驚くほどの苛立ちを孕んでいた。
──子供は子供らしく、素直で無邪気で我が儘で、そして誰よりも幸せでいるべきだぞ。
これは師匠が俺を引き取った時、死人のような顔をしていた俺に言ってくれた言葉だ。
師匠はその言葉を守ろうと、文字通り全てを賭してくれた。
俺はそんな師匠に引き取られ、育てられ、鍛えられ、救われた。
だから俺は、このシャティアという小娘が浮かべたその表情が、示したその態度が、取ったその行動が、たまらなく気に食わない。
全てを悟ったような作り笑い。
絶望すらも受け入れたような悲しい瞳。
相手を慮って必死に搾り出した、平静を装った声。
実に気に食わない。
実に気に入らない。
本当は震えているくせに。
本当は泣きそうなくせに。
本当は喚きたいくせに。
本当に気に食わない。
本当に気に入らない。
絶望を笑顔で覆い隠すのは、英雄の職務だ。
相手を慮って死を受け入れるのは、聖人の本分だ。
己の感情を殺して理不尽を背負うのは、大人の特権だ。
全部、子供がしていいことじゃない。
だから、気に食わない。
だから、気に入らない。
孤児だろうが王族だろうが、魔法使いだろうが姫君だろうが、そんなものは関係ない。
子供が、そんな顔をしてはいけない。
子供は、そんな顔をしてはいけない。
その顔は、師匠の生涯を嘲笑う顔だ。
その顔は、最強の魔法使いが全てを捨てでも守ろうとしたものを愚弄する顔だ。
その顔は、俺の人生と存在そのものを完全否定する顔だ。
そんな顔は、俺の前では絶対に許さない。
そんな顔は、俺の前では絶対にさせない。
誰であろうと、如何なる理由があろうと。
ああ分かっているとも──自分で見捨てようとしたくせに何を八つ当たりしているのか、ということくらい。
ああ分かっているとも──相手が気を使ってくれているのに怒るとかどれだけ理不尽なんだ、ということくらい。
ああ分かっているとも──自分の事情や価値観を他人に押し付けるなんてどれだけ身勝手なんだ、ということくらい。
でも、俺には我慢ならないんだ。
この
俺はシャティア姫に向き直った。
小さく息を吸って、小さく吐き出す。
どこまでも理不尽な己の感情を逃し、声に現れないように出来るだけ平然を装う。
「……護衛は無理ですが、ささやかな手助けなら出来ますよ」
シャティア姫が惚けたように俺を見上げる。
「ほ、本当かぇ……?」
「ええ」
我ながら余計なことを言ったと、既に後悔し始めている。
ささやかな手助けとはいえ、王族の問題に自ら片足を突っ込んでいくことに変わりはないのだ。これでこれからの生活に影響が出たら、俺はこの時の自分を殺したくなるほど恨むだろう。
だが、それでもやらなくてはならない。
これは意地だ。
師匠に恩を返せず、そればかりか師匠が守り育ててくれたこの命をあっけなく落としてしまったダメダメな俺の、最後の意地だ。
偽善でも義憤でもない、俺の独断と偏見で出来た、俺の独善的な理不尽──意地だ。
ここで何もしなければ、わざわざ神様が提案してくれた特典の数々を蹴って転生した意味がなくなってしまう。
ここで何もしなければ、俺は師匠の弟子と名乗る資格を失ってしまう。
ここで何もしなければ、俺が「俺」でなくなってしまう。
それに、ちゃんと
俺がこれからすることは、上手く行けば俺自身を守る手段にもなりうる。
自己満足以外に得るもののないただのお節介では終わらないはずだ。
俺の言葉が頭に染み込んだのか、シャティア姫の暗い顔にみるみる光が戻っていく。諦観の影は希望の光明によって照らされ、笑顔の中に溶けて消えていった。
俯いていた顔を上げた騎士団の面々も、驚きの中に喜びと安堵が見て取れる。
「ありがとう、ヤエツギ殿!」
さっきとは違い、今度は心の底から込み上げた明るい声と、光り輝くような満面の笑顔だった。ぴょこんと小さく飛び跳ね、全身で喜びを表している。
そんなシャティア姫の年齢相応の笑顔と仕草に、固くなっていた頬が少しだけ緩む。
そうだ。
子供はそういう顔こそが似合う。
師匠が望んでいたのは、俺が見たかったのは、そういう顔だ。
なんだか少しだけ溜飲が下がった気がする。
子供相手に八つ当たりとか、我ながら実に大人気ない。
でも、それでいいと思った。
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