07. 良薬は目に眩し?

魔法薬まほうやく?」


 シャティア姫が可愛らしく首をチョコンと傾げる。


「はい。確かでは『ポーション』と言う方が一般的でしたね」


 魔法薬とは、魔法を用いて作られた薬品、或いは魔力を含有する薬品のことである。

 先ほど騎士団員たちの手当てをした時に話題に上ったのだが、こっちの世界では魔法薬全般を「ポーション」と呼んでいるらしい。

 地球だと「ポーション」は「液薬」という意味で、主に液状の魔法薬を指す言葉なんだけどね。


 一口に魔法薬と言っても、その性状は様々だ。

 ドリンク剤のような液状のものもあれば、軟膏などのゲル状のものもあるし、錠剤のような固形物もある。変わり種として光線状の「照射薬」や生物型の「寄生薬」、入れ墨のような「刻印薬」などというのもある。

 そのため、我々地球の魔法使いはそういった薬を指す時には「液薬ポーション」とは言わず、単純に「魔法薬」と呼ぶ。


「ポーションか! それなら知っておるぞ!」


 シャティア姫が破顔する。


「なんと、そなたはそこまで卓越した戦闘能力を有しながら、その上ポーションの調合まで出来るのか!? 誠に驚きじゃ!」


 やばい。お姫様の目がより一層キラキラと輝きだした。

 先程までの悲壮感がなくなって普通の女の子のように元気になったことは素直に喜ばしいが、だからといって俺に津々とした興味を持たれても困る。

 俺はやんごとない御方々とはなるべく関わりたくないんです。


「私はそんな大層な人物ではありませんよ。それに、これから作る魔法薬……ポーションも、そこまで凄いものではありません。さっきも言ったように、気休めにしかならないかもしれません」


 謙遜でもなんでもなく、俺が作ろうとしているのは、本当に簡易的な魔法薬だ。

 製作環境や材料に大きな制限がある現状、本格的な魔法薬の製造は望めない。作れても、薬効は現状に見合う程度しか出せないのだ。

 それに、この世界の人間にとって、俺の作る魔法薬が薬となるのか毒となるかも分からない、という問題もある。

 地球人には100%安全でも、こっちの人が服用したら酷いアレルギー反応を引き起こしてしまった、なんていう可能性もある。先程の《縫合ナート》同様、俺の知識がこの世界の人達にも誤差なく当てはまるのかどうかは、まだ不明なのだ。

 検薬用の「人造人間ホムンクルス」を作って臨床試験してみてもいいが、それだと培養だけで数時間はかかってしまう。流石にそこまでは付き合いきれない。

 まぁ、万が一毒になっても俺がちゃんと責任を持って対処するから、大きな問題は無いだろう。


 シャティア姫は依然キラキラした眼差しをこちらに向けてきている。

 魔法薬製造に詳しくないからその辺の事情を理解していないのか、それとも俺の作ったものなら絶対すごいと盛大に勘違いしているのか、俺の「気休めにしかならない」という陳述を聞いたにもかかわらず、彼女が向けてくる期待は依然として天にも届かんばかりである。

 マジで、そうやってハードル上げるの、勘弁してね……。


「それで、どんなポーションなのじゃ?」

「疲労回復の手助けになるポーションを作る予定です」

「ほう、そうか! それは実に楽しみじゃ!」

「あくまで『手助け』程度のものですからね? 気休めにしかならないかも知れませんからね?」

「うむ! 頼んだぞ、ヤエツギ殿!」


 念を押したつもりだったが、どうやら俺が押したのはただの暖簾だったようだ。

 シャティア姫の「ワクワク」という擬音が鳴りそうな笑顔は、俺の念押しを聞いても尚テカテカと輝いていた。本当にワクテカだね、君……。

 治療を終えたばかりで地面に座って休憩していた騎士団の団員たちも、シャティア姫の喚声を耳にしてこちらに集まってきた。団長であるアルデリーナさんまでもが真面目な雰囲気を興味という色合いに染めてこちらを凝視している。

 ……これ以上何か突っ込まれると不味い。

 さっさと魔法薬製造に取り掛かろう。


「それでは皆さん、今から疲労回復のになるポーションを作りますので、ご協力ください」


 殊更「助け」と「かもしれない」ということを強調してみたが、見事にスルーされてしまった。

 ……まぁ、俺の要請に全員が快く頷いてくれたから、それでいいっか……。

 もう何も言うまい。






 ◆






 さて。魔法薬作りである。

 「疲労回復ポーション」と言うと無駄に立派に聞こえるが、俺が作ろうとしているものの実体は単なる栄養剤だ。

 肉体的疲労はATP及びグリコーゲンの急激な消費と、損耗した細胞の補充・修復不足、並びに乳酸等の老廃物の蓄積・代謝遅滞によって引き起こされる。

 その対処方法は至って簡単。

 不足しているものを補い、不要なものを代謝してしまえばいいのである。

 甘いものは疲労回復にいい、というのは事実で、糖質の補給は筋肉におけるグリコーゲンの再蓄積を促す。人体のエネルギーであるATPの原料も糖質であるため、急速な疲労回復に甘いものは欠かせないのだ。

 勿論、糖質以外にも必要なものは多々ある。


「よろしければ、今ある食糧を見せてください」


 主原料は糖。それ以外に欲しいのは脂質とタンパク質、それに加えてミネラルとビタミンである。

 全種類揃っていなくても大きな問題は無いが、あれば言うこと無しだ。


「糧食ならこちらに」


 青髪をボブカットにした小柄な女性が布袋を幾つか手渡してきた。

 傷の治療の際にメリルと名乗った女性だ。

 愛嬌のあるかわいい顔立ちで、頼りなさそうな雰囲気がぷんぷんと出ているが、話によると彼女がこの騎士団の副団長らしい。……大丈夫か、この騎士団?


「色々かき集めてみましたけど、今はこれで全部です。内訳は、え〜と、干し肉が12袋、乾パンが5つ、塩バターが一瓶と、先ほどのドライフルーツが一袋、ですね」


 布袋を手渡しながらスラスラと内容物を列挙していくメリル。

 頼りない形とは違って仕事はそれなりに出来るらしい。


 ふむふむ。

 ドライフルーツと乾パンで糖質は申し分なし。干し肉と塩バターがあるから塩分と蛋白質と脂質も問題ない。

 なかなかの品揃えじゃないか。

 どれも保存の効く行軍糧食でありながら、栄養価に偏りが少ない。今みたいな非常時にこれほどの品揃えがあるのは上々と言えるだろう。

 もっと贅沢を言えば「マンドラゴラ」や「ムラサキキナ」などの「魔法植物」も欲しいところだが、無いものは強請ってもしょうがない。地球でも希少なものだしね。

 それに、いくら材料が豊富且つ良質でも、最後に魔法薬の質を決めるのは他でもない製作者の腕だ。あり合せの材料のみで上質な魔法薬を作り上げてこそ、一流の魔法使いなのである。

 簡易的な魔法薬とは言え、しょうもないものを作ったら師匠の弟子として立つ瀬がないからね。


「これだけあれば十分です」

「あの、ヤエツギ様……」


 メリルの隣から困惑気味な声が上がる。


「先ほどポーションを作ると仰っていましたが、具体的にはどのようにお作りになられるのでしょうか? ……大変失礼かと存じますが、わたくしの目では、この材料で作れるのはせいぜい簡単なお菓子だけだと思うのですが……」


 鈴を転がしたような上品な声音でそんな疑問を口にしたのは、アリシアという女性。

 金色の縦ロールヘアーを揺らしながら小首を傾げている彼女は、ザ・貴族令嬢という雰囲気と外見のお嬢様だ。金髪ドリルとか、漫画以外で初めて見たよ。

 そんな彼女の疑問に、俺は笑ってみせた。


「あはは、そうですね。確かにこの材料じゃあ、ビスコッティとかしか作れそうにありませんもんね。でもご安心を。ちゃんとした……とは言い難いかもしれませんが、出来る限り上質なポーションを作るつもりですから」


 治療の際に皆から紹介されて知ったのだが、このアリシアという女性は騎士団内で最もポーションに詳しく、「ポーションマスター」という称号を持っているらしい。

 その腕前はかなりのものだそうで、騎士団内で使っているポーションの大半が彼女の作という話だ。


 そんなアリシア嬢がこの材料を見て疑問に思うのは……まぁ、仕方がないというか、当然のことだろう。

 疑問に思うということは、それだけ彼女が優秀ということだ──「時代遅れの魔法薬師」として、ね。


 誤解なきよう言っておくが、俺は別に彼女を馬鹿にしているわけではない。

 俺も魔法薬学を学び始めた当初、師匠が「今日はペプ◯コーラと生鯖だけで治癒魔法薬を作る」と言い出したのを聞いたときは、本気で師匠を精神科に連れて行きたくなったものだ。

 当時の俺同様、アリシア嬢が腑に落ちないと感じたのは恐らく、材料に「魔法植物」がないからだろう。

 そこに疑念を持つということは、それだけ彼女が「まとも」だということ。


 中世以前──古代の地球でも、マンドラゴラなどの魔法植物を用いらなければ魔法薬は作れない、と信じられていた。

 事実、当時はまだ知識や技術が発達していなかったのだから、作れるわけがない。小麦粉が無ければパンが作れないのと同じ理論である。

 だから、アリシア嬢が昔の地球の魔法薬師たちと同じように「魔法植物がなければ魔法薬は作れない」と考えるのも、なんらおかしな話ではないと言える。

 なにせ、当時はそれが「王道」にして「まとも」だったのだから。


 けれど──誠に失礼ながら──古代における「まとも」というのは、現代においては「時代遅れ」と同義だ。

 技術の進歩は「過去の不可能」を「現在の可能」へと変える。

 魔法技術の進歩に伴い、魔法薬製造の方法は大きく進化している。昔は魔法植物なしでは作れなかったものが、今では簡単に作れるようになっているのだ。

 現代では魔法植物を用いずとも「薬用錬金溶液」は作れるし、コストも低く、効果も殆ど変わらない。本物のメープルシロップとメープル香料入りの砂糖水が同じ味なのと同じように、代替品がいくらでも存在するのだ。

 魔法薬の調合に魔法植物を使用することは、現代ではもはや「必須条件」ではないのである。


 それを可能にしているのが、十数世紀に渡る知識と技術の蓄積によって発展した最先端製法──「現代魔法薬製法」だ。


 現代魔法薬製法では、魔法植物を代替品で代用する。大昔と違って、もはや小麦粉が無くとも、今ならば米粉でも、玉蜀黍粉でも、なんならジャガイモの粉でも、パンは作れるのだ。

 大昔の魔法薬師や錬金術師からすればお料理やお菓子作りにしか見えなくても、実際は最先端の知識と技術に裏づけされた高度な調合法。それが現代魔法薬製法なのである。

 今回はそこに師匠直伝の小技を加え、俺なりにアレンジするつもりだ。


「正直に言いますと、で作るのは初めてですので、どんな仕上がりになるのか分かりません。ただ、なるべく良いものを作りたいと思っています」


 戦場や被災地、砂漠や海底で魔法薬を作るのは何度も経験しているけど、流石に異世界でというのは初めてだからね。


「はぁ……」


 アリシア嬢は尚も半信半疑の視線で俺を串刺しにしているが、とりあえずは引き下がってくれた。


 それよりも……シャティア姫?

 別にこれから面白可笑しい手品を披露するわけじゃないんだから、いい加減そのキラキラした視線を俺から外して頂けませんか? 

 嫌われるのは色々と面倒臭くなるから遠慮したいとしても、そんな信頼と期待のこもった熱い眼差しを向けられても、それはそれでまた大変困るのですよ。

 俺は出来る限り貴女たち──特にあなた──の注目を引きたくないんです。


「……容器になるようなものはありませんか?」


 思わず逃げるように顔を背けてそう尋ねると、


「使用済みのポーションの空き瓶でしたらございますわ」


 アリシア嬢がポーチから拳大の透明な丸底フラスコを取り出して手渡してきた。

 よくこんな割れやすい物を割らずに持ち歩けるもんだと思いながら受け取ってみると、フラスコは意外に硬かった。ガラス製じゃないな、これ。

 それに、フラスコの壁面に緑色の液体が数滴残っている。

 一体どんなポーションが入っていたのか、魔法使いとしてとても気になるところだけど、下手な質問をすると変な勘繰りをされかねないので、ここは黙っていよう。

 水筒を借りて空き瓶を水で軽くすすぐ。勿論、《表面剥離サーフェイス・ピーリング》の魔法を併用して残留物がないよう徹底的に綺麗に。


 一応というところで、彼女達に一言忠告しておく。


「これが最も重要なのですが──このポーションを作るにあたり、原料として人間の血液が必須となります」


 イカれたことを言っていると思うなかれ。人間の血液は薬用錬金溶液の原料にもってこいなのだ。

 もちろん他にも色々と代用物は存在するが、一番手っ取り早いのがこれだ。


「あまり多く必要とはしませんし、私が提供しても構いませんが、如何せん皆さんが口にすることになるものですから、確認を取っておきたいと思います」


 俺の説明に小さいどよめきが起きる。

 無理もない。

 いくら魔法薬とはいえ、他人の血液を口にするというのは誰でも抵抗を覚える。

 地球でも多くの地域で血は「穢れたもの」として認識されているし、先進国・途上国に拘らず、衛生面から見ても他人の血を口にするというのはなかなかに厳しいものがある。彼女たちが戸惑いを示すのも当然だろう。俺でもいきなり「血を飲め」と言われれば「生理的に無理っす」と突っぱねる。

 第一、見知らぬ仮面の男に「薬にぃ入れるから飲めや」と言われても、怪しさしか爆発しない。日本だったら即通報案件だろう。


 実のところ、この魔法薬の原料となる血液は部分的にしか使われない。

 提供者由来の成分、例えばDNAやRNAを含む細胞片や老廃物、細菌やウィルスといった不純物の全ては製造過程において徹底的に分解される。そのため、衛生面と安全面では寧ろ輸血用の血液よりも優れているだろう。

 ただ、現代魔法薬の基礎俺にとっての常識を殆ど知らない彼女達にそれを説明しても、理解してくれるとは考え辛い。

 よって、俺は代替案を提示する。


「人間の血液はこのポーションにおいて欠かせない材料です。私のような得体の知れない者の血を口にすることに抵抗があるのでしたら、どなたか代わりに提供してもらいたく思います」


 血液が必須材料である以上、俺のが嫌なら誰か他の奴が提供しろ。

 そう提言すると、決然とした顔のシャティア姫が勢いよく前へ一歩踏み出した。


「であれば、妾が提供しよう」

「「「姫様!?」」」


 騎士団の面々から悲鳴が上がる。


「いけません姫様! 姫様に血を流させるなど──」

「妾だからじゃ!」


 アルデリーナさんの制止を遮り、シャティア姫は強い眼差しで騎士団の皆を見つめた。


「妾は自分が生き永らえるために、皆に血を流すことを強いてきた。ヤエツギ殿の作るポーションが皆のためになるというのであれば、妾は喜んでこの血を差し出そうぞ!」

「姫様。我々が姫様のために血を流すのは本望であり、何よりの誇りです。強いられるなどということは決してござませんし、ましてや対価など一切必要ございません!」

「これは対価などではない! 妾の意地じゃ!」


 シャティア姫は淀みなく言葉を紡ぐ。


「そなたらは己の身を顧みずに妾を守ってきてくれた。妾にとっては信頼厚き臣下であり、大切な友じゃ。そんなそなたらを失うことは、妾の身を削るも同然じゃ。ならば、妾は失った者たちの分だけ、そして今生きている者たちを守れる分だけ、己の血を流す。そう決めたのじゃ。これだけは、絶対に嬢れぬ」


 アルデリーナさんたちを映したシャティア姫の瞳には、確かな決意が燃えていた。


 騎士団の皆が感動に身を震わせ、嗚咽を堪える。

 暫く無言のまま目を瞑っていたアルデリーナさんはザッと跪き、皆を代表するように口を開いた。


「我らの全ては、ただ姫様がためだけに!」

「「「我らの全ては、ただ姫様がためだけに!」」」


 騎士団の全員が跪き、異口同音に続いた。


「そなたらの忠誠、確かに心に刻んだ」


 言葉で言い表せるほど薄っぺらい気持ちではないというのに、言葉にせずとも互いの気持ちは分かっているというのに、それでも言葉にせずにはいられない。

 そんな彼女たちの姿はまるで映画のワンシーンのようで、頭上を照らす太陽よりも眩しくて、光り輝いて見えた。


「ヤエツギ殿、妾の血を使ってくれ」


 俺の方に振り返ったシャティア姫はレースの袖を捲し上げ、白雪のような細腕を差し出してきた。

 まだ10歳程しかない女の子の柔肌に傷を付けるのは抵抗を禁じえないが、ここで躊躇うことは彼女の決意を踏みにじることになる。


 ……っていうか、なんか俺、場の雰囲気に流されてない?

 これ、ただの採血だからね?

 生贄の儀式とかじゃないからね?


「では、失礼します」


 ちゃんとした採血器具がないので、魔法で代用する。

 人差指の爪先に極小の《鎌鼬かまいたち》を乗せ、差し出されたシャティア姫の腕の静脈に小さな穴を開ける。

 すると、鮮やかで健康的な紅の雫が溢れ、ぽたりぽたりと丸底フラスコにしたたり落ちた。

 シャティア姫は終始決意に満ちた顔をしているが、騎士団の皆は気が気でない様子。たとえシャティア姫の真意を知っていても、身命を賭して守護する主の血を見るのは深い心痛を伴うのだろう。誰もが大災害を前に祈祷を捧げる敬虔な信徒のような面持ちで彼女を見守っていた。


 ……まぁ、無粋なことは言うまい。

 王族の血だ。時代が時代なら、それは地球でも非常に尊いもの。何より、「王族が血を流す」ということ自体に特別な意味がある。

 現代人の俺からしてみればたかが採血でも、彼女たちの文化からしてみれば物凄い大事おおごとなのだ。決して「大袈裟」と軽視すべきではないだろう。


 騎士団の面々の気持ちは、分からなくもない気がする。

 シャティア姫は、王族という社会の最上層に君臨していながら、人を敬う心を十分以上に持っている、とても良い子だ。

 見知らぬ他人である俺に「部下たちを救ってくれ」と土下座してお願いしたり、今もこうして己の身を削って部下を救おうとしたりと、その人の良さと道徳意識の高さが顔を覗かせてしまう場面は決して少なくない。


 きっと、こういう人間が統治する国はいい国になる。

 だが──だからこそ、彼女は危険に晒されるのだろう。


 今回の暗殺事件、ターゲットは他でもないシャティア姫だったらしい。

「王族」に「暗殺」と来れば、十中八九「政治」絡みの案件だ。地球でもよくあることである。

 政治の世界は、奸策詭計が蔓延る魔窟だ。心正しい者は真っ先に排除され、清濁を併せ持った者と汚泥に塗れた者だけが生き残る。素直で優しい女の子が活きていけるほど甘くはないだろう。

 それでも、彼女は強い瞳で「まだ死ぬわけにはいかない」と言ったのだ。魔窟に留まり、もがき苦しみ、命を落としそうになりながら、それでも成し遂げたい何かのために。

 そんな彼女だからこそ、命をかけて守りたいと思ってしまうのかも知れない。

 保護欲を刺激するのとはまた違う人間的魅力とカリスマを、彼女は備えているのだ。


 そんなどうでもいいことを考えているうちに、20ミリリットルほどの鮮血がフラスコの丸い底に溜まった。量としてはこれくらいでいいだろう。


 お姫様の採血傷を中級治癒魔法|医療神の糊《グルー・オブ・アスクレピオス》で完璧に治す。

 押さえていれば勝手に閉じる採血傷をわざわざ中級魔法まで使って瞬時に且つ完璧に治したのは、後顧の憂いを絶つためだ。

 ここで傷跡なんて残そうものなら、後々どんな奴からどんなケチを付けられるか分かったもんじゃない。

 シャティア姫本人はそんなことしないとは思うし、騎士団の人たちも大丈夫だろうと思うけど、彼女たちの周りの人達はどうか分からないからね。変な因縁をつけられるなんて御免だ。


 治療が終了したところで、高貴な血の入ったフラスコに魔法で徹底的に濾過した飲用水を適量注ぐ。

 別に王族の血だから効果が高いとか、美人の血だから薬用成分が多いとか、若い娘の血だからよく効くとか、そんなことは一切ない。健康な血液であれば誰のでも一緒だ。

 けれど、そうとは知らない騎士団の面々は、一様に崇拝の眼差しをフラスコに向けている。もはや聖遺物扱いだ。

 ……やりづらいよ。


 次に、渡された袋から食糧をそれぞれ少しずつ取り出す。

 ドライフルーツを潰し、干し肉を解し、乾パンを砕く。塩バターは最初からトロッとしているから手を加える必要はなかった。

 それらを一緒くたにフラスコに入れ、軽く振って攪拌。

 最後に構成式を構築し、フラスコに向けて魔法を発動する。



 魔法薬製造は、三つの魔法による三つの工程で構成される。



 STEP 1:《ニグレド:デコンポジション》

 第一の魔法は分解。

 フラスコに入ったドロリとした混合物が、完全な液状になる。

 固形物は細かく分解され、水溶性物質も非水溶性物質も関係なく混ざり合った溶液が出来上がる。

 ここでのコツは、原材料を栄養素ごとに分子レベルまで徹底的に分解すること。塊を残すと吸収効率が悪くなってしまうので、出来るだけ細かく分解する。イメージとしては、ケーキの生地を作る時に小麦粉がダマにならないよう篩いに掛ける感じ。

 師匠直伝の裏技として、原材料である血液に含まれている血漿はそのままに、赤血球は中に「擬似ミトコンドリア」を構築して「生体内運搬プログラム」を書き込み、それ以外は完全に分解すること。

 こうして赤血球を魔改造してミクロな運搬工を作ることによって、体内での栄養素と老廃物の吸収・運搬・代謝速度を飛躍的に増加させる事が出来る。服用後の作用速度はざっと10倍にはなっているはずだ。


 STEP 2:《アルベド:リコンストラクション》

 第二の魔法は再構成。

 数色の絵の具を溶かしたような濁った液体が次第に澄んでいき、やがて薄赤色の透明な溶液になる。

 雑多だった成分が統合されていき、魔法薬としての雛形が完成する。

 ここでのコツは、前の工程で分解せずに残しておいた血漿に、出来る限り丁寧に錬金処理を施すこと。錬金処理を施した血漿は魔法植物の抽出液と同じ効果があり、高い魔力伝導性と魔力親和性を有する。所謂「薬用錬金溶液」の代替品となるのだ。魔法植物なしでも魔法薬が作れるという裏技の要は、まさにここにある。

 師匠流の小技として、成分の分子構造と魔法構成式の独立性を維持したまま、構成式接合点を多く設けること。イメージとしてはパソコンを組み立てる際に、魔改造してUSBコネクタをズラリと100個ほど設けるような感じだ。こうする事によって魔法薬に組み込まれた構成式同士の和合性と連動性が高くなり、魔法薬の効果がぐんと上がる。


 STEP 3:《ルベド:プリペアレーション》

 第三の魔法は調合。

 魔法薬全体に満遍なく魔力を流し、構成式接合点を全て繋ぎ固定化する。最後に相互干渉するような構造的バグがないか最終確認し、組み込まれた構成式を全てアクティベートする。

 すると、溶液は一瞬だけ赤く光り、すぐに納まる。組み込んだ28種の構成式が全て互いに調和し、安定に達した証拠だ。

 最後に残ったのは、透明でサラサラとした、綺麗な薄赤色の液状魔法薬ポーション


 これにて完成。

 名付けて「ヤエツギ作 シャティア王女風 即席疲労回復剤~ドライフルーツの香り~」である。

 それとも「ヤエツギ作 ドライフルーツ風 即席疲労回復剤~シャティア王女の香り~」の方がいいかな? 

 ……どっちも変態っぽいですかそうですね……。


 冗談はさておき。


 これで俺特製の魔法薬(栄養剤)は完成だ。

 効果は栄養素の急速補給と老廃物の急速代謝及び損傷細胞の修復促進。

 つまり、その名前の通り、疲労を回復させる栄養ドリンクということである。

 ※ 効果には個人差があります。


「これで完成で──」

「こっ、ここ、こここれ、これはッ!?」


 アリシア嬢の素っ頓狂な声が響いた。

 見れば、アリシア嬢は紫色の大きなお目目を限界まで見開き、小さなお口をぽっかりと開け、金色のお上品な縦ロールをびょいんびょいんと揺らしながら、呂律の回っていない舌で必死に叫んでいた。

 アリシア嬢だけではない。他の面々も、大なり小なり彼女と似たような顔でぽかんとしたまま硬変してしまっている。

 全員が全員、俺の握るフラスコを凝視していた。


 ……なにこの反応?

 別に「シャイニングエリクサー」みたいな伝説級の秘薬を作ったわけじゃないんだから、そこまでオーバーなリアクションせんでも……。


「これで完成ですので、皆さんどうぞ」


 フラスコを皆に差し出す。

 が、誰も受け取ろうとしない。

 ……なんで?


 俺が首を傾げると、再びアリシア嬢の悲鳴に近い声が上がった。


「そっ、そそそそのポーション‼ ひっ、ひひひひか、光り輝いていますわ‼ ま、まさか、それはッ……!?」


 アリシア嬢がムンクの「叫び」もかくやという形相で、わなわなと震えながらフラスコを指差している。

 貴族然としたお嬢様がそんな全力でリアクションを披露する若手女芸人みたいな顔をしちゃいけません。


 っていうか、光ってるって、何のことだ?

 俺の作った魔法薬が光るわけ──


 ……

 …………

 ………………ん?


 んんんんん〜〜?


 確かに、なんか光ってるな?


 アリシアの指摘に沿って手元を見れば、俺の手に握られたフラスコは、彼女の言う通り淡い赤光を放っていた。


 な、なんで……?


 魔法薬が光を発するなど、尋常なことではない。

 光を帯びるのは、異常なほど薬効成分の純度が高く、信じられないほど濃密な魔力が凝縮された魔法薬だけだ。

 この光は「アウグストゥス放射光」と言って、これを発することはその魔法薬が文句のつけようのない品質と超一級品の魔力含有量を有することを意味する。

 つまり、超いい魔法薬、というわけである。

 伝説の秘薬と言われている「シャイニングエリクサー」の「シャイニング」の部分は、まさにこのアウグストゥス放射光を発することから付けられたものだ。

 現代魔法薬製法が普及した現代の地球でも、アウグストゥス放射光を放つ程の魔法薬を作れる魔法使いは3人しかいない。師匠ですら、100本作って1本成功するかどうか、という程度。

 光り輝く魔法薬というのは、それ程までに貴重なのだ。


 だからこそおかしい。

 俺の魔法薬がこんなに光るわけがない。

 ……いや別にラノベのタイトルとかじゃないよ?


 確かに成分吸収と新陳代謝を促進させる等、薬全体の効能を上げるために多少の魔力を浸み込ませたけど、アウグストゥス放射光を放つほど膨大な量を込めた覚えはない。


 っていうか、俺にそんな膨大な魔力はない。


 俺は、演算能力と構成式構築能力はそこそこあるが魔力量は大したことない……と師匠に評されている。

 俺の魔力量は、魔法使いの中では「中の中」というレベル。

 中級魔法までなら使えるが、上級魔法になると苦労する。その程度でしかないのだ。

 まぁ、だからこそ俺は構成式の構築に人並み以上の努力を注ぎ、創意工夫を尽くして魔力の節約や魔力消費の効率化を図っているんだけどね。

 その結果、師匠に「演算力と構築力はなかなかのもの」と言わせるまでにはなったが、やはり肝心の魔力量がそんなに多くないので、魔法使いとしての腕前はギリギリ「中の上」程度でしかない。


 まぁそんなわけで、俺のちっぽけな魔力量では逆立ちしてもアウグストゥス放射光を放つような魔法薬を作ることは出来ない。

 品質の方も、材料と設備の問題で決してそこまで高いとはいえないはず。魔法植物を使っていないので、込めた魔力も数時間で霧散してただの栄養豊富なジュースになってしまうから、アウグストゥス放射光とは無縁だろう。


 だから分からん。

 何で発光してるんだろう?

 同じ手順と似たような材料──スーパーの菓子パンとお惣菜の唐揚げ──で何度も作ったことがあるけど、こんなことは一度もなかったぞ。

 ……もしかして、原材料この世界の食べ物のせいか?


 魔法薬製造の際、材料の成分が違うと魔法の発動に支障をきたしたり、未知の効能を持つ謎の薬品が出来上がったりしてしまう事がある。料理の時に塩と間違えてベーキングパウダーを入れたら変な味になった、みたいな感じだ。

 もしこの異世界の食べ物やシャティア姫の血液に何か超魔法的な謎成分が含まれていたら、こういった説明不能な現象が起こる可能性もあるかもしれない。

 だが、魔法の発動はスムーズだったし、全プロセスにバグやエラーも発生しなかったし、手ごたえも十分だった。さっきの《縫合ナート》同様、魔法の発動に異常がなかったということは、どの素材も成分的には地球のものと大差ないということだ。


 ならいったい、何故こうなった?

 原因が見つからん。


 ……まぁ、失敗ではないので大きな不都合はないだろう。

 っていうか、寧ろ高品質過ぎるぐらいかもしれない。


 アウグストゥス放射光を発する魔法薬とか、レア過ぎて俺ですら2度しか実物を見たことがない。売る所で売れば、これ一瓶で東京ドームいっぱいに高級車を買って並べられる位の値段にはなるだろう。

 これを貰って損をしたと考える人間は非常に少ないだろう。スーパーで買った980円のワインを開けてみたら中身は30年もののロ◯ネ・コン◯ィだった、みたいなものだからね。


 俺が頭を捻っている間も、アリシア嬢は陸に打ち上がった魚が如くギョロ目のまま口をパクパクさせるだけで、まったく薬を受け取ろうとしなかった。他のメンバーも誰一人として動こうとしない。

 あまりのも手を付けようとしないので、俺は安全性を証明するために仮面の口元を少しだけ捲り、発光する赤い液体を口に含んだ。

 そして全員の目の前で、ゴクリと喉を鳴らして飲み込んで見せる。


 おぅふ……。


 全身に染み渡る暖かな感覚。疲れていない体が、異様なほど元気になっていく。まるで全身の細胞が喜んでいるかのようだ。

 やはり、品質が物凄く良い。

 いや、良すぎる。

 益々なった理由が分からん……。


「この通り、毒ではありませんので、安心してください」


 俺の実演を見て、アルデリーナさんがようやく意を決したように手を伸ばしてきた。

 恭しさすら込められている手つきで、淡く光るフラスコを慎重に受け取る。

 が、手に取って眺めている内に決心が揺らいだのか、はたまた怪しすぎる薬を飲むという行為に怯んだのか、アルデリーナさんは眉を八の字に垂らした。


「ヤ、ヤエツギ殿、こ、このポーションは、いったい……?」

「一応、疲れを癒すポーションです」

「……い、一応?」

「そうですねぇ、仮に『リボピタンD』とでも命名しましょうか」


 流石に「ヤエツギ作 シャティア王女風 即席疲労回復剤~ドライフルーツの香り~」とは口に出来なったので、適当な名前を付けてみた。

 決してあのサラリーマンの偉大なる戦友「リポビ◯ンD」ではないところがミソだ。


「か、仮に……?」

「ええ。お恥ずかしながら、で作ったのは初めてなもので、正式な名前がないんです。あ、用量は一人一口で十分ですよ」


 そう言うと、盛大に吃驚するアルデリーナさん。

 その横で、先ほどまで口をパクパクとしながら息を吸わない斬新な呼吸法を実践していたアリシア嬢がストンと表情をなくした。まるで何処かにうっかり魂を落としたようなうつろな目で、戦慄く口元を徐に動かす。


「そ、即席でポーションを作るなんて……それも、こ、これほどまでのものを……こんな……こんな……こんな……」


 只管「こんな……」と口ずさむアリシア嬢。

 先ほどはフラスコに穴を開ける勢いで凝視していたのに、今は目の焦点が定まっていない。隣に居たメリルに「アリシアしっかり!」と心配顔で肩を揺すられても、彼女はなんの反応を示さない。もはや壊れる一歩手前である。


「そ、そうか……。いや、貴殿から頂いた物だ。問題などないだろう。それではヤエツギ殿、貴殿が作ってくれたポーション、ありがたく頂こう」


 そう言って、アルデリーナさんは手に持ったフラスコを掲げ、薄赤色に発光する透明な魔法薬を一口含み、躊躇なくコクリと飲み下した。

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