06. 人助け

 覆面暗殺集団が《鎌鼬かまいたち》で完全沈黙したのを確認した俺は、生き残っている人達に振り返った。

 何故か全員が口を開けてポカーンとしている。


 へんじがない まるでただの しかばね のようだ。


 このままでは埒が明かないので、先ほど話をした──要人と思しき幼い女の子を庇ったまま動けない白鎧の少女の下まで歩み寄る。


「終わりました。魔法の痕跡はこちらで消しておきましょうか?」


 そう問うと、彼女は一瞬だけビクリと身を竦め、恐る恐る口を開いた。


「ま、魔法の痕跡を、消す? こ、言葉の意味が分かりかねるのだが……」

「えーっと、つまり、派手に魔法戦を繰り広げてしまったのでその痕跡を隠した方が良いんじゃないんですか、という意味です」


 魔法使い(地球の)にとっての常識を問うと、彼女はやや困惑した表情で首を傾げた。俺の後ろで一緒に話を聴いていた他の女性たちも同様の反応を示している。


 ……おっと?

 これはちょっと予想外の反応だな。


 地球元の世界では、魔法の秘匿は何よりも優先されるべき事項だ。

 平時は勿論のこと、たとえ突発的な事件に巻き込まれたとしても、魔法を使う際は周辺状況に気を配り、その痕跡を完璧に隠蔽するのが常識。一般人の目に触れさせることは最上級のご法度である。

 俺がタンクローリーを完全に止めずに壁にぶつけて止めたのも、これが理由だ。いきなりポーズした動画のようにピタリと止めることも出来たけど、それだとあまりにも不自然になってしまうからね。

 魔法使い同士であれば、互いの目の前で魔法を使っても問題にはならない。勿論、当人同士以外に目撃者がおらず、痕跡も残してはならない、という但し書きは付くが。

 この場にいる人間は、誰も魔法というものに驚きや疑問を持たなかった。覆面集団はバカスカと魔法を打っていたし、白鎧の女性騎士たちもチラホラと使っていた。

 つまり、全員が魔法使いかその関係者である、ということだ。

 一般人のいない魔法使い同士の戦いならば、魔法を使うことに躊躇いはない。

 俺が「シャーペンソード(笑)」を堂々と説明したのも、覆面暗殺集団との戦闘で何の躊躇もなく魔法を多用したのも、これが理由だ。

 ただ、激しい戦闘痕や魔法による死者の遺体などは、そのままにしては秘匿義務違反になってしまう。

 もしここが地球と同じように魔法そのものの秘匿が義務付けられている世界であるのならば、すぐにでも魔法の痕跡を消す必要があるだろう。

 我々魔法使いにとっては、徹底した事後処理も常識と義務の範疇なのだ。


 その常識を問われて首を傾げるということは、彼女達に魔法使いとしての常識がないのか、はたまたこの世界では魔法そのものを隠す必要が無いのか。

 とりあえず、かまをかけてみる。


「私はこのあたりの出身ではないのでこの近辺の風習に明るくないのですが、では魔法を使うと者が多くいました。ですから、この地域でもそうなのかと心配になったのです」


 一応、嘘は吐いていない。


 俺の言葉に、白鎧の少女が目を見開いた。


「そ、それはまた、随分と変わった価値観をお持ちの地域なのだな。魔法を使える者は珍しくはないが、そこまで多いというわけでもないから、どの地域でも相対的に優遇されるのが普通なのだが……」


 ほほぅ!

 これはいいことを聞いた!



 どうやら、この世界では魔法の存在を秘匿する必要がないらしい。



 隠すどころか、魔法使いが社会でそれなりに優遇されるということは、魔法が普通に使用されていると考えて間違いないだろう。

 この情報を手に入れられただけでも、彼女たちを助けた甲斐があったというものだ。


「いえ、杞憂であればそれで結構です」


 図らずも重要な情報を手に入れてしまった。

 ここは無用なツッコミを入れられないよう、話題を一方的に切り上げておこう。


「では、皆さんの手当てをしたいと思いますので、怪我を見せてください」


 そう言うと、彼女は見開いたままの目を更に大きく開いた。

 ……目頭裂けるぞ。


「そ、そこまでしてくれるのか!?」

「……え? 生き残った方たちを手当するのも『助け』の内に入ると思うのですが……必要ありませんでしたか?」

「い、いや、そんなことはない! そんなことはまったくないぞ! そ、そうか、怪我の手当までしてくれるのか。本当に助かる。治癒の魔法を扱える者はいるが、もう誰も魔力が残っていないところだったのだ」


 白鎧の少女はホッと胸を撫で下ろした。


「自己紹介が遅れて申し訳ない。

 私はアルデリーナ・フェルテス・ハーティリー。

 ハーティリー侯爵家の次女で、白百合近衛騎士団(ホワイト・リリィ)の団長を勤める者だ。よければアルデリーナと呼んでくれ。彼女たちは私の優秀な部下であり、大切な仲間でもあるのだ。貴殿の助力に、心よりの感謝を申し上げたい」


 そう言って、白鎧の少女──アルデリーナさんは優雅な仕草で頭を下げた。

 アルデリーナさんは真っ白なロングストレートの髪と凛とした雰囲気が特徴の、絶世の美人さんである。目は切れ長で大きく、紫色の瞳は力強く輝いている。歳は俺と同じぐらいだと思うが、声音は低めで落ち着いており、普通の17歳前後のJKでは決して持ち得ない武人のオーラを放っていた。ただ、武人然とはしているものの、その表情や仕草には気品が満ち溢れており、無骨さはない。天上の戦女神が彼女を見たら、きっと鏡を覗いたのだと錯覚してしまうだろう。強さと美しさを併せ持った、女傑然とした少女である。


 それにしても……。

 原始的な剣や鎧とは言えかなり小奇麗な品々を装備していると思ったら、まさか御偉いさんを守る近衛騎士団の団長さんだったとはねぇ……。

 しかも、出身が侯爵家。

 確か、中世の欧米だと爵位は低い順から「騎士爵」「男爵」「子爵」「伯爵」「侯爵」「公爵」だったような……?

 ってことは、彼女は王族を除いて上から二番目に位が高い貴族家のご令嬢、ということになる。


 社会的地位が高い人間には、得てして面倒事が付き纏うものだ。

 平穏に暮らしたい俺にとっては、あまり関わり合いになりたくない種類の人である。


 ああ〜仮面被っておいてよかった〜。


 ハンカチに切れ目を入れて硬質化させただけの即席ノッペラお面だが、素顔を隠すことには成功している。変声魔法を使って声帯周辺の空気を微振動させているので、喋っている声も地声とは全く違う。全身に纏った《空気盾エアーシールド》のおかげで指紋や毛髪や体液などの物的証拠も残らない。魔法的痕跡を辿ろうとしても、《天狗騙しの蓑笠》を発動しているから、師匠クラスの魔法使いでもなければ何も見つけることは出来ないだろう。

 後から俺を探そうと思っても困難を極めるはずだ。


 悪いね。

 権力者とはなるべく距離を取りたいんだ、俺は。


 本来なら名乗り返すのが礼儀なのだが、ここは強引に話を進める。

 自己紹介とかマジで勘弁してください。


「では、怪我の手当てをします」


 身分の高い人が相手なので、口調はこのまま敬語で行こう。

 まぁ、敬語という割には砕けすぎているから、単なる「ですます口調」だけどね。

 どうせもう二度と合わないし、これで良いか。


「先ずはあなたからです、アルデリーナさん」


 そうアルデリーナさんに言うと、彼女は、


「私は平気だ。それよりもまず騎士団の皆をお願いしたい」


 と、当然のように首を横に振った。


 アルデリーナさんは俺が最初に倒した暗殺者によって背中を薄い金属鎧ごとザックリと切り裂かれている。控えめに言っても重傷である。

 苦痛を顔に出すまいと無理に澄まし顔を作っているが、頬が微かに引き攣っており、額には玉のような汗が浮いている。そんな蒼白な顔色でジクジクと背中から血を流しているのだから、とても説得力があるとは言えない。


「いいえ、先ずはあなたからです。団長であるあなたが倒れたら、部隊の指揮と士気、両方に支障をきたしますよ」

「し、しかし……」

「気遣いと強がりは別物です。前者は部隊を円滑に動かしますが、後者は部隊の全滅を招きます。見たところ、救急を要する人は居ますが、あなたより重症の人はいません。なるべく賢明な判断を」

「うっ……」


 言い方は少々きついかもしれないが、こうでも言わないと何時までも押し問答が終わらないだろう。

 仲間を思う心意気は尊いが、指揮官である彼女に何かあれば部隊が統制を失ってしまう。自身の安全を確保することも指揮官に課せられた義務の一つなのだ。


「では、治療に移ります。アルデリーナさん、髪の毛を数本いただきますね」


 ぐぅの音も出ないアルデリーナさんにそう言うと、彼女の後ろから要人と思しき幼い女の子が興味津々で覗き込んできた。


「髪の毛? 髪の毛など何に使うのじゃ?」


 妙に年寄りくさい言葉遣いである。

 確か名前はシャティア・なんとか〜かんとか〜〜だったっけ?

 サイドを編み込んで後頭部でまとめた黄金長髪に、きめ細やかな白肌。深い紫色の瞳は純真爛漫な光を放ち、人形のような顔立ちは誰もが愛でたくなるほど整っている。歳は小学校中学年くらいだろうか。今でも十分に美人さんだが、5年もすれば間違いなくアルデリーナさんのような完璧な──さぞ親御さんを心配させてしまうような──美貌の持ち主になることだろう。とてもお姫様っぽい雰囲気の女の子である。


 小さくて可愛い女の子で、口調が古めかしい。

 これはあれか?

 伝説に聞く「のじゃロリ」ってやつなのか?

 そういうことか?


「傷口の縫合に使用します。一般の縫合糸よりも、自らの髪の毛の方が治りも早くて傷跡も残らないんですよ」


 俺の説明に、のじゃロリ……もといシャティアはチョコンと不思議そうに首を傾げた。


「そうなのか? そのようなことは耳にした事がないのじゃが……」


 ……なぬ? 

 治癒魔法の初歩を知らぬとな?

 見ると、他の面々も「髪の毛で治療? なにそれおいしいの?」という顔を浮かべていた。

 どゆこと?


「……一つお尋ねしたいのですが、怪我を治療する魔法はどのようなものを使っていますか?」


 質問に応じてくれたのは騎士団長のアルデリーナさん。


「《治癒キュア》や《中治癒ミドルキュア》が一般的だが」

「漠然とした名前ですね……。では、それらの魔法はどのようにして怪我を治すのですか?」

「どのように、とはまた難しい質問だな……。情景としては、傷口から肉がゆっくりと生えてきて、最終的に傷そのものをなくすように塞ぐ感覚だな」


 ふむ、それは細胞増殖を促す類の魔法だろうか。


「治癒速度は?」

「傷の程度による。軽い傷ならば《治癒キュア》で数十秒から一分ほど、深い傷ならば《中治癒ミドルキュア》で数分といったところだろう」


 ふむ、数十秒から数分か。

 それはなんというか………………超遅いな。


「治療後は?」

「軽い傷ならば痕もそれほど残らずに完治する。重い怪我は……まぁ、場合によりけりだ」


 えええぇ〜〜!?

 その治療速度でその治療効果って、もう4000年程前に廃れた「亀骨祈祷治方」と殆ど同じだよね?

 軽傷でも治癒が遅く、重症だと感染のリスクが高くて結構な確率で治療が間に合わず、たとえ治ったとしても高確率で後遺症を残す、めちゃくちゃ原始的な治癒魔法だよ?

 地球向こうじゃもう誰も使ってないような、治癒魔法とは名ばかりのただのおまじないだよ?

 それとほぼ変わらない治癒魔法って……。


 う〜む。

 この治癒魔法への認識の齟齬と言い、先程の笑止千万の魔法戦闘と言い、俺の「シャーペンソード(笑)」の説明への困惑具合と言い、これらを合わせて考えるに──



 どうやらこの世界、魔法はあるものの、理論も技術もまだかなり未熟みたいだ。



 これって、実はかなり奇妙なことなんだよね。

 人間社会において、技術レベルは必ず文明レベルと正比例するものだ。

 現代社会では現代の技術が生まれ、中世並みの社会では中世並みの技術が根付く。

 石斧で狩りをするような社会で人々が移動手段に宇宙船を使うはずがないし、宇宙船で星間飛行するのが当たり前な社会で人々が主力兵器に石斧を選ぶはずもない。

 また、石斧が一般的な社会で突如レーザー砲が発明されることがあり得ないように、レーザー砲が一般化した社会で石斧が一度も発明されなかったということもまたあり得ない。

 知識的・技術的発展と社会的・文明的発展は相互に随伴的関係にある。これは社会文化的進化論に沿った必然的結果だ。


 勿論、それは魔法技術にも言える。


 アルデリーナさんやシャティアの格好はどう見ても前近代──地球の中世西暦1000中後期〜1500年代──の様式だ。武器装備に関しても近代的な銃火器の類は見当たらず、剣や弓といった比較的原始的なものだけに留まっている。

 確証はまだないにしても、現状からこの世界の文明レベルが地球の中世代と同じ程度だと推測することはそう難しくはない。

 もし本当にそうなら、この世界の魔法技術も|中世代(それ)に相応しいレベルであるはずだ。

 しかしながら、アルデリーナさんたちの発言からも分かるように、この世界では魔法技術が大きく遅れている。

 確かに中世代の地球の魔法も現代と比べればまだまだ発展途上で「遅れている」と言って差し支えないが、それでもここまで「原始的」ではなかったはずだ。少なくとも、治癒魔法に髪の毛や血液といった本人の肉体の一部を用いることぐらいは常識だったのは確かである。

 だから俺はてっきり彼女達にとってもそれぐらいは常識だと思っていた。


 地球でこの治療方法が確立されたのは3世紀前期──西暦200年代前半だ。

 つまり、この世界の魔法技術──少なくとも治癒魔法関係──は弥生時代にすら届いていないということになる。


 文明レベルが中世後期の西暦1500年代並で、治癒魔法が弥生時代の西暦200年代並み。

 大雑把に計算しても1300年以上の齟齬である。

 この理論で行くと、攻撃魔法はもっと酷いことになる。

 あの覆面集団は魔力と想像力だけで無理矢理魔法を発動するという古代エジプト人ですら「効率わるっ! 使えねぇ!」という感じで淘汰した発動方法を用いていた。

 もしあの似非魔法がこの世界のなら、その齟齬は3000年に達する。


 ……遅れすぎとちゃうか?


 いや、決め付けるのはよそう。


 世界が違うんだし、全ての物事を地球のものさしで測るのは危険だ。

 治癒魔法だけが発達しなかった可能性だってあるし、あの覆面集団が魔法使いの底辺である可能性だってあるのだ。

 ナメて掛かると痛いしっぺ返しを食らう。



 俺がそんな考察をしていると、シャティアがキラキラした瞳でずいと顔を近づけてきた。


「もしや、髪の毛を使うというのは、そなたが編み出したオリジナルの治療法か!?」

「──ではアルデリーナさん、鎧を脱いで背中を見せてください」


 シャティアの言葉はサラッと無視する。

 あ〜〜あ〜〜聞こえな〜い聞こえな〜い。


 子供相手に酷く雑な扱いだが、それも仕方がない。

 ここは異世界ではあるが、俺の知識や魔法がちゃんと通用しているのだ。

 おまけにそれらはこの世界のものより数段進んでいるかもしれないときている。

 ならば、下手にそれらをひけらかすのは愚の骨頂と言えよう。

 後々どんな騒動に巻き込まれるか分ったものではない。

 俺は、静かに暮らしたいのである。


 これから使う魔法は、全て基本的なものだけにしておこう。

 手札温存だ。


 軽い金属音を鳴らしながら鎧を外し、アルデリーナさんはその色白な背中を露わにした。

 上品な布製の鎧下から覗く白磁のような背中に走る、一本の赤い切創。

 全力の一撃をまともに受けてしまったらしく、右棘上筋から左外腹斜筋までをザックリと袈裟懸けに切り裂かれている。実に痛々しい。

 切創は抉れていると言っていいほどに深く、多量の出血を伴っている。放っておけば、間違いなく命に関わるだろう。

 2ミリほどの筋組織を残してギリギリ脊髄まで達していないことが唯一の救いか。

 ちなみに、切断された下着らしき白い帯状の何かがヒラヒラ揺れていたが、俺は見なかったことにした。今の俺は医者(偽)だからね!(キリッ)


「少しだけ痛痒いかもしれませんが、我慢してください」


 そう言って、俺は魔法の発動準備に入る。



 俺が使うのは《縫合ナート》という治癒魔法である。

 下級魔法である《縫合ナート》は、怪我の状態に対応する外科手術の手術過程をそのまま高速で再現し、外傷を短時間で縫い合わせる魔法だ。

 外科手術器具を一切使わずにコンマ数秒から数秒で外科手術を完了させることが出来るため、非常に利便性に優れている。他の下級治癒魔法と併用すれば、切断された四肢ですら短時間且つ少ない魔力消費でくっ付けることが出来る。俺も幾度となくお世話になった魔法だ。


 この《縫合ナート》を発動するには、「縫合糸の準備」と「手術過程を再現する構成式の構築」という二つの下準備が必要だ。


 先ずは「縫合糸の準備」──拝借したアルデリーナさんの髪の毛を縫合糸に作り変える作業だ。

 髪の毛にタンパク質の分子配列を書き換える構成式を組み込み、《分子構造モレキュラストラクチャー・操作マニピュレーション》という魔法を発動。ただの髪の毛をバイオナノファイバーに魔改造する。これで髪の毛は縫合糸並みの強度と伸縮性を有するようになり、傷口の縫合に申し分ない品質に達する。

 髪の毛は、実はかなり優秀な縫合糸である。

 適度な太さがあるため、強靭性の確保は簡単。かと言って太すぎるわけでもないので、治癒を阻害することもない。おまけに伸縮性もあるので、「動くと突っ張る」「縫合箇所の肉が切れる」といった問題が発生しない。更に、本人の髪の毛はそのまま吸収されてなくなるので抜糸の必要もないし、ケロイドによる縫合痕も残らない。

 まさに理想的な外科器具なのである。


 縫合糸の準備が終われば、次は魔法構成式の構築だ。

 人体の構造を想起し、怪我の状態と照らし合わせながら、手術過程を構成式に起こす。

 血管と神経を重点的に、出来るだけ丁寧に、それこそナノメートル単位で繋ぐように構成式を構築。細胞接着を促す構成式も組み込んでおいたので、傷口の治癒速度もぐんと上がる筈だ。

 ただし、彼女は体力の消耗が激しい様子なので、治療は柔らかめ──効果の発揮がゆっくり──にしておいた。

 本来ならもっと高度な魔法で瞬時に傷を治せるのだが、それでは体への負担が僅かばかりだが大きくなってしまう。誤差みたいな負担だとしても、今の彼女にそれをしては少々酷だろう。1秒未満で治るか、十数分で治るかの違いしかないのだ。戦闘中でもないし、負担は少ない方がいい。


 傷口に構成式を書き込み終われば、下準備は完了。

 煩雑な下準備が必要だなと思われるかもしれないが、そんなことはない。

 髪の毛の魔改造と構成式の組み立て、この二つの準備には正味1秒も掛かっていない。この辺は、師匠の指導の下、散々練習させられたから、随分と手馴れたものだ。全然自慢にならないけど……。


 あとは魔法を発動するだけだが……ここに一つ懸念がある。

 それは、俺の治癒魔法がこの世界の人間でもちゃんと働くのかどうか、分からないことだ。


 俺にとってのアルデリーナさんは謂わば「異世界人」だ。或いは「宇宙人」と言い換えてもいいかも知れない。

 だから、俺には彼女が「地球人の女性」と同じような肉体構造をしているかどうか、確証が持てないのだ。

 この魔法は、人体の構造──主に縫合する傷口周辺の構造──を熟知していなければ正しく発動しない。彼女の肉体構造が俺と同じ「人間種ヒューマン・ビーイング」でなかった場合、最悪、違う神経同士を繋げてしまう可能性だってある。

 大事には至らないかもしれないが、それでも立派な医療事故だ。


 ……まぁ、アルデリーナさんは見た目もまんま人間(それも極上の美少女)だし、傷の断面も見慣れた人間のそれと同じだったし、血液も青色とかじゃなくて人間らしい深みのある赤だったし、謎の内蔵器官が生えている訳でもなさそうだし、多分大丈夫だろう。

 たとえ《縫合ナート》が上手く発動しなかったとしても、治療する方法は他にいくらでもある。

 最悪、脳さえ残っていれば、上級治癒魔法の《聖者の鮮血サングィス・デ・クリスティ》で完全に元通りに治せるから、問題は殆ど無いだろう……。殆どね……。


 ……ええい!

 あれこれ悩んでも仕方がない。

 物は試しだ!

 はいそこ、人体実験とか言うな!



 とりあえず、構築し終えた構成式に魔力を込めて《縫合ナート》を発動する。

 淡い光と共に真っ白な毛髪製の縫合糸がしゅるしゅるとアルデリーナさんの背中の傷口に潜り込み、切断された組織を素早く縫い合わせていく。

 髪の毛による縫合がくすぐったいのか、アルデリーナさんは「ンんぅ……」と微妙な喘ぎを漏らした。

 2秒もしないうちに30センチ以上もあった痛々しい傷口はピッタリと綺麗に閉じ、出血が完全に止まる。

 更に5秒後には細胞接着により傷そのものが見え辛くなり、十数秒後には引っ掻いた痕のような淡い切創痕だけが薄っすらと残るのみとなった。

 そのミミズ腫れのような切創痕も、十数分のうちに完全に消えて無くなるだろう。


 ふう……。

 どうやら魔法は上手く発動してくれたみたいだ。

 だからそこ、人体実験大成功とか言うな!


「これで傷は塞がりました。ですが、あくまで傷口を縫い合わせた上で細胞接着を促進させて断面をくっ付けただけで、完全に治ったわけではありません。謂わばただの応急処置です。念のため、数日は無理な運動を控えてください」

「あ、ああ、ありがとう。……すごいな、痛みが完全に引いた」


 アルデリーナさんは感心しきった様子で自分の背中を擦る。

 血管と神経組織と皮膚を優先的に縫い合わせたから見た目では治っているように見えるけど、皮膚下にある筋肉や脂肪などの組織はまだ完全に元通りにはなったわけではない。鎮痛と鬱血排出を促す構成式を組み込んだから痛みが和らぐのは当然だが、無理をすれば傷口が開いてしまうかもしれない。

 完全に元通りに治るまでには些か時間が必要。無理はしないに越したことはないだろう。


 俺はアルデリーナさんの感謝に頷きだけ返し、すぐに他の怪我人の下へと向かった──シャティアのキラキラとした眼差しから逃れるために。






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 最終的に、全員を手当てするのに10分も掛かってしまった。


 生き残ったのは、アルデリーナさんとシャティアを含めた僅か9人だけだった。

 騎士団の女性たちは全員が何処かしらに怪我を負っており、疲労も限界に達していた。無傷なのは護衛対象であるシャティアだけである。

 ほぼ全員が酷い怪我を負っていたので治療にもそれなりの時間が掛かったが、とりあえず俺が参戦した段階で生き残っていた人は全員救うことが出来た。

 結果オーライと言えるだろう。


 亡くなった女性騎士達の遺体は、アルデリーナさんたちによってその場で一度埋葬された。後日、王都にある専用の墓地に移送する予定らしい。

 暗殺者達の亡骸に関しては、俺の魔法の痕跡があるから、俺の方で責任を持って焼却処分にしておいた。まぁ、死体というより殆ど残骸だけど。

 この片付け作業を仕損じると後々面倒くさいことになるから、いつも以上に綺麗さと完璧さを追求して臨んだ。物的残留物と構成式痕を含め、俺に繋がる痕跡の一切は完全に消し去っている。……《送葬赤火そうそうせっか》なんて魔法、久しぶりに使ったよ。


 後片付けも一段落したところで騎士団の面々に目をやると、一同はやはり疲労困憊の様子だった。

 立ち上がるのがやっと、歩くのもしんどく、行軍はもはや不可能、という様子だ。傷は治っても、失った体力と血液は戻らないから無理もない。


 俺的にはここでおさらばしてもいいんだけど、考え直した。

 立つ気力もない人間が8人と、戦闘能力皆無の女の子が一人。

 このメンツでは、自衛すらままならないだろう。

 このまま彼女たちを放っておけば、暗殺者どころか野良犬に遭遇しただけでアウトになってしまう。

 それでは暗殺者たちから助けた甲斐がないというものだ。

 ここはせめて、少しだけでも彼女たちの体力を回復させておこう。

 おさらばするのはその後でも十分間に合う。


「皆さん、何か甘いものはお持ちですか?」

「甘いもの?」


 俺の質問の意味を図りかねて首を傾げるシャティア。


「ええ。気休めにしかならないかもしれませんが、疲れている皆さんの役に立つかも知れないものを作ろうかと……」


 キョトンとするシャティアに、後ろで控えていたアルデリーナさんが小さな巾着袋を差し出した。


「姫様、ドライフルーツが一袋ございます」


 お、ドライフルーツか。


「それで結構で──」


 と、俺は思わず言葉半分で固まる。


 ……ねぇ、ちょっとまって?

 ……今、聞き捨てならない単語が聞こえたような……?


「ひ、ひめ、さま……?」


 呆然とそう反芻する俺に、アルデリーナさんに「ひめさま」と呼ばれたシャティアは「ふむ?」と首を傾げた。


「おお、そういえば、あの時は危機的状況ゆえ、ちゃんとした自己紹介が出来ておらなんだな」


 そう言って、彼女は上品に姿勢を正した。



「改めて、アルフリーゼ王国第二王女、シャティア・イクセル・ペンドラス・シール=アルフリーゼじゃ」



 ……

 …………

 ………………はいぃぃぃ!?


 だ、第二王女!?

 お姫様っぽいと思ってたけど、まさか本当に王族でリアルお姫様だったの!?


 ……ちくせう。

 そう来たか……。


 王国の第二王女、シャティア・イクセル・ペンドラス・シール=殿下。


 名前の最後に国名が入っていたのか……。

 そら気づかんわ。

 だって俺、この世界の国の名前どころか、自分が出現スポーンした場所の名前すら知らないんだもん。「アルフリーゼさん」と聞かされてもピンとくるはずがない。


 ヤバいよ……。


 現状から見るに──俺は「王族の暗殺」に介入してしまったらしい。


 あ〜、これ絶対面倒なことになるやつや〜〜〜。

 静かに暮らしたいとか考えた矢先にこれだよ、ちくせう!

 これ、本当にあのイケメン神様からの挑戦とかじゃねぇだろうな!?

 イベントフラグとかいらないんだよ、俺は!


 孫子曰く、「三十六計 走為上逃げるが勝ち」。

 戦って勝てないなら、逃げればいいじゃない。


 もう知るか!

 彼女たちの体力とか、もうどうでもいいわ!

 早く逃げないと、ヤバいことになる!

 さっさとおさらばしてしまおう!


「そういえば、まだそなたの名前を聞いておらなんだな」


 シャティア改めシャティア姫に呼び止められてしまった。


「名を教えてもらえぬか?」


 思わず「イヤです」と即答しそうになったが、俺は鍛えられた反射神経と持ち前の強靭な精神力で咽頭筋を限界まで引き絞り、その一言を無理やり飲み込んだ。


 ダメだダメだダメだ!

 これ以上この子の相手をしてはダメだ!

 何も言わずにこの場を去ろう。


 そっと踵を返して──


 キュッ。


 シャティア姫に袖を引かれた……物理的に。


 やめて〜!

 そうやって上目遣いで可愛らしくキュッと俺の袖を掴むのはやめて〜!

 女の子にそんなことされたら振り払えないじゃん!

 おさらば出来ないじゃん!

 っていうか、仮面被って声変えてる時点で身バレしたくないの丸分かりでしょ!

 察してよ!


「………………ヤエツギです」


 無理に逃げることを諦め、俺は大人しく名乗った……偽名を。

 人や物の名前には魔法学的意味がある。所謂「真名まな」と言うやつだ。

 軽々しく本名を名乗るのは、魔法使いとしてはあまり勧められることではない。

 この世界で正式にどんな名前を名乗るかはまだ決めてはいないが、俺はきっと「九重九太郎ここのえきゅうたろうです」とは名乗らないだろう。あれは前世での名前だからね。


 シャティア姫に名乗ったこの「ヤエツギ」という名前は、俺が元の世界で使っていた偽名の一つだ。

 漢字は「八重次」。

 俺の本名である「九重ここのえ」を「八重の次ヤエツギ」と読んだもので、危険を伴う仕事を引き受けた時に俺と師匠の間で使う、謂わば日本人風コードネームのようなものだ。


「ヤエツギ殿か。その名、しかとこの胸に刻もう!」


 そう言って、シャティア姫は嬉しそうに微笑んだ。


 だからやめて〜!

 俺の名前なんてとっとと忘れちゃって!

 胸に刻まないで!


「それでヤエツギ殿、先ほどは甘いものがどうとかいう話じゃったが?」

「……え、ええ……」


 中断していた話を蒸し返されてしまった。

 自分で始めた話なだけに、このまま無視して逃げる訳にも行かない。

 完全に逃げるタイミングを逸してしまった。

 もはや後には引けない。


 ちくせう……。

 なぜこうなった……。

 ……全部自分のせいですかそうですか……。


「これをどうするのじゃ?」


 アルデリーナさんから受け取ったドライフーツの袋を不思議そうに見つめるシャティア姫に、俺は仕方なく答えた。


「……それを原料に、『魔法薬まほうやく』を作ってみようかと」

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