04. SA:観劇

 ――――― SIDE:アルデリーナ ―――――




 暗殺者の首はコロコロと地面を転がり、やがて力尽きたように止まった。


 あまりのことに、言葉を失う。


 なにが起きたのかは、簡単に説明できる。

 暗殺者の男が素早く少年に躍りかかり、首を刈るように曲刀を振るった。それを見た少年が凄まじい速さで左手に持った薄い鞄に右手を差し入れ、何かを探り当てて取り出し、それを男の曲刀よりも更に速く振り抜き、逆に男の首を切り落としたのだ。

 まとめれば、たったこれだけのことである。


 では、なぜ言葉を失うのか。

 それは、少年が「なに」で暗殺者の男の首を切り落としたのか、全く分からなかったからだ。

 私には少年の「武器」がまったく見えなかったのだ。

 いや、この場合「武器の『刃』がまったく見えなかった」と言うほうが正しいだろう。


 少年が振り抜いたものは、刃物であるはずだ。それは死体の切り口の滑らかさから見て取れる。

 風魔法の《風の刃ウィンドブレード》を放った可能性もあるが、それでは無詠唱者である少年がわざわざ鞄を漁って武器を振るうような動作を取る理由がない。

 だからきっと、少年は何か刃の付いた武器を取り出したはずなのだ。

 それを証明するように、彼の右手は今も何かを握りしめているかのように閉じられている。

 だというのに、握った柄の先──刃の部分がハッキリと見えないのだ。


 ……いったい何を振り抜いたというのだ?

 不可視の武器など、聞いたことも無いぞ。


 困惑する私を他所に、少年は暗殺者の男の死体に目を落としながら呟いた。


「……何だよこれ? 明らかに修行不足だろ……」


 王国でも名の知れた暗殺集団の戦闘員を瞬殺しておきながら、その口調はどこか不満げだった。


「こいつも一応は魔法使いだよな? なら、せめて《空気盾エアーシールド》ぐらいは展開しろよ。基本中の基本、常識だろ? なんで『こんなもの』に斬り殺されてんだよ」


 つい今しがた屠った男の力量に何か納得が行かないものがあるのか、少年は暗殺者の死体と自分の右手に持った武器であろうを見比べながら、不機嫌そうに唇を尖らせる。

 どうやら彼は先程の一撃では暗殺者の男を殺せないと考えていたようで、予想に反してあっさりと殺されてしまった相手に何らかの疑念を抱いているようだ。


 私は少年が手に持ったモノに目を凝らす。

 それは鉄ペンほどの長さと細さの筒で、似ているというよりも鉄ペンそのものにしか見えない。


 ……いや。


 よく見ると、その先からは髪の毛数本ほどの太さしかない、細長くて黒い線状のものが伸びている。

 長さにしておよそ1メートル程だろうか。

 ま、まさか、これが刃なのか?


 だとしたら、恐ろしいな……。


 目を凝らさなければ見えないほど細い刃など、脆いに決まっている。たとえ強度の高い魔法金属で作ろうとも、その長さと用途ゆえに折れ曲がりやすくなってしまうのは必須。

 だと言うのに、仮面の少年によって振るわれたその武器は、暗殺者の男の首を刎ね飛ばして尚、折れた様子も曲がった様子もない。

 信じられない強度と性能である。もしくは、少年の腕が信じられないほどいいのか。


 柄の小ささと刃の異常な細さから、恐らくは携帯性と隠密性に優れた武器だろう。

 刃を黒く塗るのは、視認性を下げるためによく使われる手だ。

 そんな視認性を極限まで下げた、携帯性と隠密性に優れた作りの武器を携帯し、使いこなす少年。

 そこから導かれる少年の職種クラスは──


「暗器使い……?」


 私と同じ結論に至ったのか、姫様が思わずといった感じでそう呟いた。

 それを耳にした少年は、ポリポリと後頭部を搔きながら白い仮面に覆われた顔をこちらへ向け、恥ずかしそうに言った。


「あ〜、えっと、実はこれ、暗器ではなく、ただのシャーペン……筆記用具なんです」



 ……

 …………

 ………………え?



「ひ、ひっきようぐ?」


 自分の舌が上手く回っていないのは自覚している。

 けれど、そんな些細なことなどどうでも良かった。


 か、彼は今、「ひっきようぐ」と言ったか?

 ま、まさか、「ひっきようぐ」とは、あの文字を書く道具である「筆記用具ひっきようぐ」のことなのか?


 ……筆記用具ひっきようぐ

必斬妖具ひっきようぐ」とかではなく?

 本当に、ただの書物をする道具?

 特殊な製法で作られた、携帯性と隠密性に優れた超高性能な武器とかではなく?

 本当に、ただの鉄ペン?

 ……そ、そんなバカな!?


「で、では、その先端から伸びた、黒くて細長いのは……?」


 自分でも驚くほど声が情けなく震えている。

 近衛騎士団を預かる者としてあるまじき醜態だが、今の私にそれを気にする余裕はどこにもなかった。


「あぁ、これはシャー芯……え〜っと、炭の棒です」

「す、すみのぼう……」


 庶民の間では細枝の先端に切れ目を入れ、そこに小さな炭の欠片を挟み込んで固定し、鉄ペンの代わりにする習慣がある。「炭ペン」と呼ばれるそれは、鉄ペンとは違って比較的高価な鉄製のペン先とインクが不要なため、民間では広く使用されている。我が騎士団でも野戦演習の時によく使っているから、馴染みは深い。

 ま、まさか、その「炭の棒」のことを言っているのだろうか……?


「はい。と言っても、シャー芯……髪の毛のように細い炭の棒を数本繋げて長くし、炭素をダイヤモンド構造に再配列し直して強度を上げ、そこに超高周波の微細振動を加えただけの、なんちゃって『シャーペンソード(笑)』ですけどね。武器と呼べるものが手元になかったので、《超振動刃ハイパーヴィブロブレード》という魔法の原理を応用して速急で作ってみました。一応そこらの鋼より硬いはずですし、切れ味も抜群ですので、その場しのぎにはなるかなぁ、と」


 不出来な砂のお城を親に見られてしまった子供のように、恥ずかしそうに説明する少年。


 もはや言葉もなかった。


 正直に言おう。

 私には彼の説明を半分も理解することが出来なかった。

 いや、誰にも理解することは出来ないだろう。


 炭の棒を繋げた?

 武器がなかったからこの場で作った?

 それが鋼よりも硬くて切れ味抜群?

 もはや意味が分からないどころか、頭が理解することを拒否している。

 こんな状況でなければ、誰もが彼を三流の詐欺師か稀代の狂人だと評するだろう。戯言というには、彼の言葉はあまりにも常識外れだ。


 しかし、先ほどの一連の出来事をこの目で見た私には、彼の言っていることが全て事実であると分かる。分かってしまう。

 彼は本当に極細の炭の棒などという極めて脆い物を使って、あの刹那の間に恐ろしいまでに鋭利な細剣を作り、襲い掛かる暗殺者の首を目にも留まらぬ速さで刎ねたのだ。 


 嗚呼。

 このことをこの場にいない者に話しても、誰も信じてくれないだろう。

 信じてくれないどころか、間違いなく私を気狂いと認定するだろう。実際に目撃した私ですら未だに現状に付いていけてないのだから、それも仕方ないだろう。



「ぁ……」


 私と同じように放心していた姫様が小さく掠れた声を漏らした。

 それに気がついたのか、少年は姫様に問いかける。


「それで、先ほど『妾と騎士団の皆を助けてくれ!』と言っていましたが、あっちで戦っている鎧姿の女性たちがその騎士団の方々ですか?」


 その一言で意識を引き戻された姫様は、ゴクリと唾を飲み込んだ。


「た、助けてくれるのか?」

「ええ。だってあれ、放って置いても良い事は起こらないでしょ?」

「た、頼む! 妾の大切な忠臣たちなのじゃ!」

「了解。……あ、敵は何人か生け捕りにしますか?」


 殲滅を前提とした少年の言葉に、彼の出自を垣間見た気がした。

 その問は言外に、敵対する者は容赦なく皆殺しにする、そしてそれが出来て当たり前、と言っている。


 少年が場違いなほどに気軽な態度を保ち続けている理由が、今やっと分かった。

 この少年は、こういった命のやり取りに慣れきっているのだ。殺すことにも、殺されそうになることにも、微塵の感慨も抱かない程に。

 市井の人間では決してこうはいかないだろう。いや、近衛騎士である私達ですら、ここまで平然とはしていられない。

 先程は「私の願いは静かに暮らすことです」と言っていたから、もしかしたら彼は既に一線を退いているのかもしれないが、踏んだ場数は今尚生きている、ということか。

 絶対に只者ではないだろう。

 ……いやまぁ、それはあの暗殺者の首を切り落とした目にも留まらぬ早業とその容赦のない手腕を見れば一目瞭然なのだが、こうして改めて見るとより強く印象付けられる。


 とは言え、少年からは無法者や無頼漢が持つような低俗な荒々しさは一切感じられない。

 寧ろ、彼の言動と所作には気品と教養が溢れている。どこかの騎士爵家の子弟と言われた方がしっくり来るくらいだ。


 敵対する者には冷酷を以て対処し、敵対しない者には礼節を以て接する。

 武官の勇猛沈着さと文官の閑雅優美さを併せ持つ人物。

 彼はいったい何者だろうか?

 歳はおそらく私と同じくらい。

 この「子供」をやっと卒業しながらもまだ「大人」と認めてもらえない微妙な年齢でここまでの力量を有し、この功名心と自己顕示欲が強く出始める年齢で引退を望むとは、彼に一体何があったのか……。


 そんな思いに耽っていると、姫様は首を横に振って少年に応えた。


「……いや、捕虜を取る必要はない」


 少年が助けてくれると知って幾分か余裕を取り戻された姫様のお心に、忘れていた怒りの炎が再燃したのを感じる。

 いつもは明るく穏やかな姫様だが、この時ばかりは憎悪を滲ませた眼差しで暗殺者たちを睨んでいた。


「暗殺を依頼した者は、既に見当が付いておる」

「………………了解」


 少年の返事は、一拍遅れて発せられた。

 もしかしたら、幼くして御命を狙われる姫様を不憫に思ったのかもしれない。


 少年は「ふぅ」と小さな息を漏らし、気を取り直したかのように周囲をぐるりと見渡した。

 その時に微かな魔力を感じたから、恐らく何かの魔法を使ったのだろう。どんな魔法なのかは見当もつかないが。


「『監視員ウォッチマン』は無し、か。素人くさいなぁ〜〜」


 呆れ返ったように呟いた少年は左手に持っていた薄い鞄を足元に置くと、軽く肩を回して伸びをした。


「さぁて、この世界の魔法使いの威力偵察と洒落込みますか」


 またもや意味不明な言葉を口走った少年は、軽やかに駆け出した。

 向かう先は、団員なかまたちが戦っている戦場。なのに、その足取りはリラックスしきっており、洒落込む様子など皆無。まるで散歩に行くかような気軽さだった。


 それを見た私は、思わず長い吐息を漏らした。

 安堵が背中を撫で、緊張の糸が緩む。


 ──これで姫様の御身は守られた。


 遠ざかる少年の背中を目で追う私は、何故か自然とそう確信することが出来た。







 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 それは、一幕の虐殺劇だった。

 ともすれば、ただの舞劇だったのかもしれない。

 それとも、ただの喜劇だろうか。

 何れにせよ、にとっては一幕の寸劇を観るようなものだった。

 いや、観る以外にすることが何もなかった。


 演者は、仮面の少年と黒糸ブラックスレッドの戦闘員たち。

 観客は、|姫様と騎士団わたしたちだ。


 姫様の願いを叶えるべく少年が戦闘中の団員たちへ加勢に向かうところから、劇の幕は上がった。




 私ですら目で追うのがやっとという驚異的なスピードで、少年は駆け出した。

 その姿は、まるで紺色の閃光。目に映した瞬間には、既に認識の外まで駆け抜けている。


 今なお戦っている団員は、もう数えるほどしか残っていない。

 敵の数もそれなりに減ってはいるが、それでもまだ10人以上は確実に残っている。

 そこに、少年は稲妻の如く舞い込んだ。


 黒糸ブラックスレッドを間合いに収めると、黒い細刃を持つその腕が霞んだ。


 一振り。

 最初に落馬して既に虫の息のエリザベスに止めを刺そうとしていた暗殺者は、頭を眉の辺りで輪切りにされ、何が起こったのか分からないまま即死した。


 返す刃で一振り。

 短剣でアリシアの肩を貫いた暗殺者は、上半身を心臓の位置で切り飛ばされ、何が起こったのか分からないまま絶命した。


 そのまま滑るようにステップを踏み、また一振り。

 メリルが振るった剣を躱してそのまま無防備となった彼女の喉を掻き切ろうと曲刀を突き出した暗殺者は、黒い細刃に背後から曲刀を持っていた手ごと頭を切り落とされ、何が起こったのか分からないまま事切れた。


 あっという間の出来事だった。

 あっという間過ぎて、呆気ないとすら感じてしまう。

 けれど、このあっという間に、三人の暗殺者が血と臓物の海に倒れ、三人の仲間が死の淵から救われた。


 少年はその偉業を誇ること無く、優雅とすら言える動きで次の獲物に急接近する。


 この時になってようやく、敵が少年の存在に気付いた。

 反応が遅い、と暗殺者たちを批判することは躊躇われた。国内有数の実力を誇る我ら白百合近衛騎士団ホワイト・リリィですら誰一人として少年の存在に気が付いていないのだから、それを言ってはただのブーメランだ。

 それに、気が付かないのも無理はない、と私は思う。

 これだけの大立ち回りを演じているのに、少年は殺気を一切放っていないのだ。

 いや、殺気どころか、気配すら全くしない。

 確実にその場に居る筈なのに、居ることに気が付けない、稀薄を通り越して無に近い気配。

 辛うじてその姿を目視しても、数瞬後には何故か見失ってしまっている、不可解な存在感。

 そんな霞のような人間が、超高速で不規則に動き回っているのだ。人一倍知覚に優れていると自負している上に少年の存在を最初から認識しているこの私でさえ、彼が移動する度にその姿を見失ってしまっている有様だ。他者との戦闘に全神経を注いでいる者達に気付けと言う方が無茶な話だろう。

 戦闘訓練を受けたことがない姫様に至っては、彼が戦場の何処にいるのかすらお分かりになられていないご様子。恐らく姫様の目には、独りでに臓物を撒き散らしながら勝手に死んでゆく暗殺者たちの姿しか映っていないだろう。

 まさに滑稽劇だ。



「敵増援! 迎え撃て!」


 黒糸ブラックスレッドの一人が指示を飛ばす。

 それに呼応し、瞬時に三人が少年を囲む形で移動を開始した。少年が団員たちと合流できないようブロックする陣形だ。

 敵ながら、的確な指示とよく訓練された迅速な動きだと思う。


 ただ、全てが遅かった。

 いや、少年が速すぎたのだ。

 陣形が整う前に、三人の内の一人が滑るように踏み込んで来た少年の斬撃によって頭部を左右に分たれ、赤い飛沫を上げながら崩れ落ちた。


 少年のこれまでの戦いは、全てが一刀両断・一撃必殺だった。

 それなのに、返り血の一滴すら浴びていない。

 そんな少年の異様な早業と身のこなし、そしてその手に持つ武器の異常な切れ味に、暗殺者たちは愕然としている。

 ただの一合も剣を交えてもらえずに、只管一刀の下に切り捨てられるなど、こんなのはもはや戦いではない。ただの屠殺とさつだ。


 暗殺者たちに動揺が走る。

 己の目で直接目撃したことで、暗殺者たちは遂に少年の力量を正しく認識したのだ。

 少年あれヤバい、と。


 暗殺集団「黒糸ブラックスレッド」の練度は、決して低いものではない。

 個々の技量が突出していない分、奴らは卓越した連携で以って襲い掛かってくる。

 大人数による集団戦。

 それこそが奴らの強みだ。

 暗殺集団としては異質だが、だからこそ対処が難しい。

 名の知れた暗殺集団だけあって、奴らの集団戦闘能力は有象無象が比較できるものではない。圧倒的に数で劣るハードな持久戦を強いられたとはいえ、私たち白百合近衛騎士団ホワイト・リリィをここまで追い込んだという事実が、それを証明している。


 しかし──そんな奴らの強みも、仮面の少年の前ではただの児戯に過ぎなかった。


 私達の目の前に広がる光景が、そのことを如実に物語っていた。



 少年は細身だ。

 まるで女性のよう、とは流石に言えないが、決して逞しいとは言えない体型である。

 書生にありがちな、貧相一歩手前の身体つきと言って差し支えないだろう。


 だからこそ不思議でならない。

 あんなに細い体で一体どうやってあそこまでのスピードを出しているのだろうか、と。

 多すぎる筋肉はスピードを奪うが、そもそもの話、一定量の筋肉がなければスピードを出すこと自体が不可能になってしまう。

 魔力を体に直接纏って身体能力を強化するにしても、人や物に特定の効果を付与する「付与魔法」を使って筋力上昇効果を付与するにしても、基礎となる肉体と強化された肉体を使いこなす技量が必要だ。書生のような身体つきの人間を強化したところで、その効果は高が知れているだろう。

 つまり、少年のあの神速は筋力以外の何かで実現しているということだ。


 スピードだけではない。

 少年の身のこなしには、もっと目を見張るものがある。

 無理に武器を振るうことをしない、流れるような動きの数々。抵抗せず、反抗せず、ただ自然に力の流れに身を任せながら、姿勢や動きを微調整する。そして、時折織り交ぜる軽快でトリッキーな動きで行動の先読みを妨害し、相手を意のままに翻弄する。まるで女神に捧げる剣舞のように風雅で優美なその動作は、見る者の目を奪う魅力を秘めている。

 剣と魔法の両方を主体に戦う「魔法剣士」である私だからこそ分かる。

 あれは、並の武人に出来る動きではない。

 少年の動作には、無駄が一切存在しないのだ。

 相手の動きを先読みしているかのように、彼の動作は全てが繋がっている。余分な要素が何処にもない、まさに完成された動作だ。

 無駄の一つでもあれば隙として突けるが、そもそもその無駄が一つも無いのだから、もはやどうしようもない。

 彼と対等に戦うには一体どれだけの技量が必要なのか、私には正しく推し量れそうにない。


 ただ、これらのことですらほんの序の口に過ぎない、と私は思っている。


 私が何よりも驚き、そして何よりも恐ろしいと感じたこと。

 それは、少年の態度だ。

 相手の抵抗と反撃を歯牙にも掛けず、それどころか全て受け入れ、見極めようとする。

 そんな彼の態度が、私には何よりも恐ろしく感じられた。


 仮面を被っているから表情までは分からないが、彼のあの態度と雰囲気は、私にも身に覚えがある。

 そう。あの動き方は、あの雰囲気は、あの態度は、新入団員だった私に訓練を付けてくれた時の前団長のそれと、団長となった私が新入団員たちに訓練を付ける時のそれと、実によく似ているのだ。

 即ち、全力ではないただの準備運動、ただの肩慣らし、ただの練習。


 本調子じゃない?

 違う。

 ただ単に、相手の手の内を見てみたいだけだ。


 出し惜しみ?

 違う。

 ただ単に、全てを出し切る必要がないだけだ。


 手加減?

 違う。

 ただ単に、力の桁が違い過ぎるだけだ。


 つまり、ここまでの技量を見せて尚それが彼の持てる力の全てではない、ということだ。


 氷山の一角程度の力で暗殺組織の実行部隊を翻弄できる。

 なんとも恐ろしい話ではないか。


 もし私が考えている通りが本当にただの準備運動であるなら、この仮面の少年の力量はもはや我が王国最強の特殊部隊「黒蓮近衛騎士団ブラック・ロータス」や最高ランク冒険者たちと同等。流石にそれ以上だとは思いたくはないが、可能性は決してゼロではないだろう。


 強大な相手は、厄介ではあっても恐ろしくはない。

 真に恐ろしいのは、力量の底が見えない相手だ。


 この仮面の少年がまさにそれだろう。

 の戦闘でまだ本気じゃないというのであれば、もはや彼の実力を推し量れる人間すら限られてくるだろう。海の深さを測るには、それだけ長いロープが必要なのだから。

 彼を相手に戦って勝利を収める事は、私では不可能だろう。たとえ万全の状態であっても、彼相手には手も足も出ないのは目に見えている。

 国内有数の腕前を誇る女騎士が聞いて呆れるな、まったく……。


 幸いなのは、そんな少年が我々の味方だということ。

 彼が強ければ強いほど、味方である私達の安心感は強まるというものだ。

 では逆に、そんな少年と敵対する暗殺者たちは、いったいどんな気持ちだろうか?


 ……うむ、冷や汗と脂汗を大量に流しているな。

 黒装束が肌に張り付いていて、まるでひとっ風呂浴びたようだ。


 おそらく彼らは、今私がホッとしているのと同じくらい絶望していることだろう。

 敵ながら哀れなものだ。



 私がそんな事を考えている間にも、演目は進む。


 少年を囲むように動いた三人の残り二人は、瞬く間に仲間の一人が殺されたことに動揺しつつも、少年に向かって懸命に曲刀を振るい……刹那、両方とも地面に崩れ落ちた。

 仕方ないだろう。己の攻撃が少年に届くよりも遙か先に額を輪切りにされてしまっては、誰だってそうなる。


 これで殲滅数6。

 ほんの4秒足らずの出来事にしては、あまりにも大きい戦果だ。

 騎士団の皆も戦闘を止め、少年に注目している。半数は少年の正体を探るように、もう半数は安堵したように。

 皆も私同様、少年の戦いをただ見ていることしか出来ない様子。少年が味方だと分かっていても、そして少年に意識が向いた無防備な暗殺者たちを前にしても、その戦いに加勢できる者はいない。

 全員が既に体力の限界を超えており、もはや立っているのがやっとなのだ。



 そうこうしている内に、戦況が動いた。


 最後に残った7人の暗殺者が全員、標的を少年へと変更したのだ。

 今この場における最大の脅威がこの仮面の少年であることに、やっと気が付いたらしい。

 暗殺者たちは素早く移動し、距離を取りつつ半円状に少年を囲む。そして少年に向かって、一斉に覆面の下で呪文を唱え始めた。恐らくは、攻撃魔法の詠唱だろう。


 それを見た少年は、



「………………」



 ──何もしなかった。


 思わず、我が目を疑った。


 なぜだ!?

 なぜ何もしない!?

 なぜ黙ったまま微動だにしない!?

 何を悠長に待っているのだ!?

 理解が出来ない!


 呪文の詠唱は集中力を要するため、詠唱中は他のことが疎かになりがちである。

 呪文詠唱とは魔法を使う者にとって最大の隙なのだ。


 それなのに、なぜ何もしない!?

 さっきまであんなに颯爽と敵を切り伏せていたではないか!?

 なのに、なぜこの段になって立ち止まる!?

 と言うか、なぜ手に持ったその謎の細剣を下ろす!?

 なぜ顎に手を当てながら興味深そうに敵の魔法の発動を眺めている!?

 いくら腕に自信があるからって、わざわざ相手に魔法を撃たせるなど、いったい何を考えているのだ!?


 心配と焦りで千々に乱れる私の心など露ほども知らない少年は、ただのんびりと暗殺者たちの詠唱を眺めている。

 肩や脚には一切力が入っておらず、回避する素振りも、防御魔法を発動する素振りも見せていない。それどころか、若干ワクワクしているようにさえ見える。まるで喫茶店で初めて注文する飲み物が出てくるのを待っているかのような雰囲気だ。


 本当に何を考えているのだ、少年よ!



 内心で焦っていると、詠唱を終えた暗殺者たちの魔法が一斉に炸裂した。

 先ほどの戦闘で暗殺者たちも少年と白兵戦を繰り広げることの愚かしさを理解したらしく、近づくのがダメなら遠くから撃てばいいと言わんばかりに、一斉に遠隔攻撃魔法を放った。


 撃ち出された魔法は五種類。

 《炎の玉ファイアボール》が一発。

 《風の刃ウィンドブレード》が二発。

 《氷の矢アイスアロー》が二発。

 《石の礫ロックショット》が一発。

 《雷の槍サンダーランス》が一発。

 計7発だ。


 どれも「5級魔法」と呼ばれる最も等級の低い魔法だが、その殺傷性能は侮れない。

 更に、奴らは複数種類の魔法を同時に打ち込むことによって、防御や回避などの対応を難しくしている。

 とても厭らしくて、とても堅実的な手法だ。


 7人の暗殺者によって撃ち出された7発の魔法が少年に殺到する。


 それを見た少年は──



「な、なんだ、これ……こんな……こんなの────」



 と、呆然とした様子で呟いた。


 マ、マズいッ!

 マズいぞこれはッ!

 少年は成す術がないかのように惚けてしまっている!

 流石の彼でも、これほど多種多様な攻撃魔法の斉射には対処することが出来ないのか!


 焦燥がチリチリと胸の奥を焼く。

 ここで彼が敗れれば、私達は再び絶体絶命の状況に陥る。

 そうなれば、今度こそお終いだ。

 暗殺者たちは再び私達に襲い掛かり、姫様のお命は……。


 縋る思いで少年に目を向けたが、彼は依然として放心状態。


 もうダメだ……!


 そう思ったときだった。

 呆然としている少年の声が耳に届いた。



「──こんなの、効率悪すぎだろ」



 ……

 …………

 ………………え?

 えええぇぇぇえ?


 彼は今、何と言った?

 効率が悪い?

 何の話だ?


 彼の言葉の意味が理解できない。

 それ以上に、彼が呆れる意味がもっと理解できない。

 見れば、彼はなんだか呆れ返ったように肩を下げ、首を傾けている。



 なぜ呆れる?

 このような危機的状況で、なぜ呆れる?

 なぜ呆れることが出来るのだ?


 訳が分からないと感じたのは姫様も同じようで、私の背後から「……えっ?」と呟く声が聞こえた。



「そんなんじゃ、魔力がもったいない上に、簡単に防がれちゃうだろ」



 呆れたように呟く少年は、左手を無造作に正面に向け、小さく命じた。



「消えろ」



 たったそれだけだった。

 彼が取った行動は、彼が発した言葉は、たったそれだけだった。


 しかし、その動作と言葉がもたらした結果は、想像もできないものだった。



 まるで少年の言葉が絶対の命令であったかのように、殺到する7つの攻撃魔法は途端に全て跡形もなく──消滅した。



 のではない。

 したのだ。


 《炎の玉ファイアボール》の赤い火球は、先と同じように「プスッ」という軽い音と共に消滅した。

 《風の刃ウィンドブレード》の薄緑色の風刃は、「ギュオッ」という息を吸い込む音と共に消滅した。

 《氷の矢アイスアロー》の薄青い氷鏃は、「ジュッ」という焼けたような小さな音と共に消滅した。

 《石の礫ロックショット》の茶色い石礫は、「ボンッ」という弾ける音と共に細かく砕けて消滅した。

 《雷の槍サンダーランス》の青白い雷槍は、地面に落ちている短剣に吸い込まれて音もなく消滅した。



「「「………………………………」」」



 静寂が場を支配する。


 誰も声を発さない。発せない。物音すらしない。

 座り込んだまま動けない私も、私の背後から顔を覗かせる姫様も、剣や槍を杖代わりに踏ん張る騎士団の皆も、距離を取って半円状に少年を囲う黒糸ブラックスレッドたちですらも、全ての者が息を止め、動きを止め、唖然としていた。


「ば、馬鹿な……有り得ん!」


 ようやく響いたのは、そんな喘ぐような一言だった。

 言ったのは、黒糸ブラックスレッドの一人。


「なにがだ? 、防げて当然だろ?」


 少年はつまらなさそうに肩を竦め、呆れたように応じた。


「『呪文詠唱』まで使うからどんなヤバい魔法が飛んで来るのかと思いきや、全部魔法とすら呼べない、ただの『手品』じゃねぇか。お前ら、本当に魔法使いか?」

「な、なんだと!?」

「火ってのはな、低周波振動を浴びせられたら、すぐに酸素が分離して鎮火してしまうんだよ。燃焼方式の《火炎弾フレイムブレット》を撃つなら、燃焼物と酸化剤を保護する構成式を組み込まなきゃ、今みたいに簡単に消されてしまう。常識だろ? っていうか、弾速が遅すぎて『弾丸ブレット』になってなかったし」


 少年の口調は、不出来な生徒に説教を垂れる教師のそれだった。


「空気の刃もそうだ」


 少年の言葉に、二人の男が体を固くする。


「中級攻撃魔法の《虚体無光の快刃トラジェクトリー・オブ・ダーインスレイヴ》かと思いきや、ただ空気を無理やり凝縮しただけの《空気刃エアーブレード》、それも出来損ないのじゃねーか。あんなもん、俺がやったみたいに周りの空気をちょろっと動かして気圧を変えるだけで簡単に消えるぞ」


 喋るに連れて鬱憤が漏れ出し始めたのか、少年の語気が少しずつ強まっている。

 それにつられて、ザワザワと敵集団に動揺が広がった。

 少年の話す内容に付いていけない上に、訳の分からない方法で攻撃魔法を全て叩き潰され、挙句の果てに多対一という状況下でここまで余裕綽々の態度を取られているのだ。

 いくら厳しい戦闘訓練を積んだとしても、こんな非常識な状況と不可解な敵が相手では、それを活かすことも出来ないだろう。


「次に、石ころぶつけてきた奴」


 少年の説教は尚も続く。それも戦場のド真ん中で。


「魔力で石ころを無理やり押し飛ばすとか、何考えてんだ。効率悪いにも程があるだろ。だいたい、石っていう物体はそもそも極小面積衝撃ピンポイント・インパクトに弱いんだ。形状を保持する構成式を組み込まないと、すぐに砕かれて弾として使い物にならなくなるだろ。それともなにか? 俺に気圧を変えるために動かした空気の使い道を提供するつもりで撃ってくれたのか? 空気の刃を消した時に余った空気で《空気弾エアーブレット》を作ってぶつけたら、簡単に砕け散ったぞ」


 まったくもう、とでも言いたげに少年は腰に手を当てる。

 攻撃魔法の集中砲火を受けながら何食わぬ顔でその魔法の拙さを解説付きで批判するなど、常軌を逸しているとしか言えない。黒糸ブラックスレッドたちのことなどまるで眼中に無いかのようだ。

 いや、事実、眼中に無いのだろう。

 そう感じているのは私だけではないらしく、当の黒糸ブラックスレッドも全員が少年に逆らえず、ただ叱られるがままになっている。騎士団の皆も、不機嫌そうな少年に若干気圧されている。


「それから、氷飛ばしてきた奴!」


 ついに怒鳴り始めた少年に、ジリッと後退る暗殺集団の戦闘員たち。《氷の矢アイスアロー》を放った二人のみならず、他のメンバーたちもビクリと身を竦ませた。


「お前らは石ころぶつけてきた奴よりもっとアホだ! 石はまだそれなりに硬度と質量があるからいいけど、氷なんて脆い上に同体積の水よりも軽いんだぞ! どう考えても、弾丸として使うには最悪の素材だろ! そんなものをわざわざ空気から水分を集めてまでして作って矢のように飛ばすとか、もう意味が分からんぞ! それも形状保持の構成式を書き込まないままで!」


 少年にビシッと指差され、黒糸ブラックスレッドたちがもう一歩後退る。


「あれか、お前らは素材の新鮮さで勝負する飲食店の店長か! アホだろ! 攻撃に氷を使うんだったら、素材にはたっぷり構成式添加物ぶち込んで強化してやらなきゃダメだろ! 《空気弾エアーブレット》を作るついでに気圧をちょいちょいと弄ったら、瞬時に氷が昇華して消えたぞ!」


 もはや説教じゃなくて文句と化してきたな……。

 士官学校を思い出させる少年のダメ出しの嵐に、ここが戦場であることも、先ほどまで自分達が全滅させられそうになっていたことも、敵が未だ健在であることも、全て忘れてしまいそうになる。

 他の団員たちも、まだまだ唖然としているが、その顔に先程までの悲壮感はもうない。姫様に至っては、微かに吹き出している。


「最後! 雷飛ばしてきた一番アホな奴!」


 最後は自分の番かと身構えていた暗殺者の男が、少年に「一番アホな奴」と称されて愕然とする。


「電撃系の魔法を使うっていうのに、電荷のベクトル情報を固定しない奴があるか! ちょっと電荷を引っ張っただけで簡単に攻撃を誘導できたぞ! もし俺が地面に転がっている短剣じゃなくてお前の持つその曲刀を避雷針に見立てていたら、今頃お前は自分が放った電撃で真っ黒焦げだ!」


 妙な凄みのある視線を向けられた哀れな男は、緊張のあまりゴクリと生唾を飲み込んだ。

 説教を食らっている彼らには公私ともに恨みしかないが、今この瞬間だけは果てしなく哀れに思えてしまう。


「はぁぁぁ……。まさかお前らの魔法がこうも非効率的で非合理的で非科学的だとは……」


 嘆きにも似たその呟きはしかし、不満と失望の中に微かな安堵が混在しているように聞こえた。


「……もういい」


 少年の雰囲気が、一変した。


「お前らでこの世界の魔法事情を見極めようと考えた俺が間違っていた。……いや、んなこたぁ最初の奴を倒した時点で分かってたけどな」


 課題の出来が悪い生徒を叱る教師のような雰囲気は消え去り、代わりに戦慄を誘うような冷気を纏った。

 これは、殺気ではない。

 寧ろ殺気は一切無い。

 それなのに、ゾクリと全身に震えが走る。


 ……ああ、そうだ。


 これは、獲物を弄ぶのに飽きたグリフォンの気配だ。

 これまではただの戯れ。獲物が悶え抗うのを面白半分に観察していただけに過ぎない。

 そして今、それにすらも飽きてしまった。

 そうなったら、獲物に残された結末は一つしかない。

 暗殺者たちの運命は決まった。


「いいか、よく見てろ。これがお手本だ」


 少年が左手を無造作に突き出した。

 伸びきってすらいない指先を向けられた暗殺者たちは一斉に身構える。

 が、そんな行動に意味などなかった。


「先ずは超初級編から行くぞ」


 少年の指先に、微かに魔力が纏われる。


「《鎌鼬かまいたち》」


 瞬間、「ギュンッ!」という音がして、暗殺者たちの体が一瞬で細切れになった。

 血が霧状に舞い上がり、粒状の肉片と襤褸布の破片が小範囲に四散する。


「……ったく、せめて《空気盾エアーシールド》くらい張れよな。基本中の基本だろ……」


 残念そうな少年の呟きが、痛いほどの静寂の中に溶けていく。



 驚くほどに呆気ない幕引き。


 残されたのは、やれやれと肩を竦める仮面の少年と、呆然と立ち尽くす私達と、何の抵抗も許されずに全滅した暗殺者たちの残骸だけだった。

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