01. そんな装備で大丈夫か?

「おはようございます」


 爽やかな声に鼓膜を刺激され、俺は目を覚ました。


 う〜ん、頭が重い……。


 なんだか長い間眠っていたような気がするのに、一瞬しか眠れていないような気もする。3日連続で徹夜していつの間にか気を失った時のような、時間感覚が完全に狂ったような感覚だ。


 瞼を開き、周りの状況を確認。


 ……

 …………

 ………………え?


 なにこれ?


 俺の目の前に広がっているのは──広大な宇宙。

 果のない黒い空間に無数の煌きが浮かび、足元には衛星軌道上から俯瞰した地球の姿。

 そんなどう見ても宇宙にしか見えない空間に、俺は無造作に浮かんでいた。


 何がどうなってるんだ……?


 突然訪れた意味不明な状況に、慌てて護身用の魔法を構築する。

 が、何故か魔法構成式が組み上がらない。


 馬鹿な!

 こんな事あるはずがない!

 本当に、どうなってるんだ!?


「お目覚めですね」


 先ほどの爽やかボイスが再び聞こえて、俺は慌てて声の主を探す。


 ……居た。

 目の前に居た。

 いつの間に?


 声の主は、一人の男。

 二十台前半でリクルートスーツを着た、まるで就活中の大学生か、何処かの企業の新入社員のような、爽やかな青年だ。それも、信じられないようなイケメンである。女性が見れば失神間違い無し、男性が見てもうっとりしてしまうような、非の打ち所のない容姿だ。もはや神々しさすら感じる。


 ただ……なんでだろう。

 見ているとすごくイラッとする。


「おはようございます、九重ここのえ 九太郎きゅうたろうさん」


 ……なんで俺の名前を知っている?


「それは知ってますよ」


 はははっ、とそいつは爽やかに笑う。


 爽やかな笑顔に爽やかな声、爽やか尽くしの爽やかイケメンである。

 ちくせう。

 その無駄すぎる爽やかさがすげぇ腹立つ。


「酷いですね〜。『爽やか』って、普通は褒め言葉でしょう?」


 と、爽やかな苦笑いを浮かべるイケメン。


 ……ん?


 俺、今の嫉妬……もとい個人的感情に則った正論、口に出してたか?


「いいえ、出していませんよ。僕が九太郎さんの考えを直接読んでいるだけです」

「………は?」

「だって僕、一応『神』ですから」

「………………」


 だ、大丈夫か、こいつ……?

 もしかして冗談が壊滅的に下手な人?

 それとも真性の中二病患者?

 はたまた名前を書いたら死んじゃうノート片手に黒い笑みを浮かべながら世直しする系の主人公?


「あはは。これでも冗談のセンスは人並みだと思ってますよ? それに、僕は別に一人になったら右手が疼く習性などありませんし、ましてや犯罪を根絶して新世界を築こうとするダークヒーローでもありませんから」


 いや最後のネタ知ってる時点でただの漫画オタクじゃねぇか。


「本当ですってば。こう見えて僕、本当に神の末席に身を置かせて貰っているんですよ」


 ……ホンマか?

 見た目は完全に入社時から女性社員にチヤホヤされて後々男の同期や先輩たちに目の敵にされる新卒社員だけど?

 っていうか、なんで神様リクルートスーツ着てんだよ。


「この姿は九太郎さんでも認識できるよう僕の特性を織り交ぜた、ただのイメージですから」


 特性を織り交ぜたイメージ、ねぇ。

 ということは、こいつの特性は……新入社員ってこと?


「まぁ、僕の事はいいじゃないですか。色々と混乱されているご様子なので、ここは先ず、状況整理と行きましょう」


 そう言うと、自称神様のイケメン野郎は俺の目を覗き込んできた。


「では、九重九太郎さん、最後に覚えていることを思い出してみてください」


 なんだよ、いきなり。


 えっと、最後に覚えていること、ねぇ。

 確か、女子のパンツが大好きな友人と一緒に学校に行って、その途中でタンクローリーの暴走に遭って──


 そこまで記憶を辿り、俺はハッとした。


 そうだ。


 俺は──


「死んじゃったんだ……」

「残念ながら、その通りです。本人に言うべき言葉か疑問ではありますが──この度はご愁傷様でございます」


 自称神様のイケメンはそう言って浅く頭を下げた。


 そう。

 俺は、死んでしまったんだ。

 暴走タンクローリーのせいで、死んでしまったんだ。


 暴走タンクローリーに轢き殺されたんじゃない。

 暴走タンクローリーのに巻き込まれて死んだんだ。


 爆死する瞬間の感覚を、俺は覚えている。

 爆炎によって一瞬で肉体が粉々になりながら焼けていく、あの感覚を。

 一瞬のようで永遠のような、あの感覚を。

 師匠との過酷な修行で幾度となく経験した、しかし結末だけが決定的に違う、あの感覚を。


 俺は、確実に死んでしまったんだ。

 上手く言えないが、心と体が「死んだ」ということを確定した事実として認めてしまっている。自分は確かに死んだ、死んでいる、と。


 勿論、疑問はある。


「……俺、あのタンクローリー、ちゃんと止めたよな?」


 被害を最小限にするために、俺は魔法まで使ってあのタンクローリーを止めた。

 止めたはずなんだ。

 計算ミスなど、なかったはずだ。


「確かに、九太郎さんのお陰であの暴走タンクローリーは大した損傷もなく止められました」

「じゃあ……」

「ですが、爆発した原因は他にあります」

「え?」

「実はですね──」


 俺の疑問に、イケメン神様は順を追って説明してくれた。




 事のあらましは、こういう事らしい:




 暴走タンクローリーは、俺の魔法によってちゃんと守られていた。


 運転手は残念ながら動脈瘤の破裂で既に亡くなっていたが、車体そのものは俺が魔法を使ってソフトキャッチしたから大きな損害はなく、この時点で危険要素は何一つなかった。


 ただ、この事故は一連の出来事の「引き金」となってしまった。


 事故現場から数えて二軒隣に、六階建てのマンションがある。

 その最上階の一室に住む男性は愛煙家で、ベランダでタバコを吸う習慣があった。日当たりの良いベランダの隅には男性手作りの木製ラックが置かれており、そこにはオイルライターと灰皿が常備され、お気に入りの喫煙コーナーとなっていた。


 そのお隣さんは、数匹の猫を飼っていた。無類の猫愛好家の一家は、猫のためにと、たとえ留守中でもベランダ窓にある天窓を開けておくそう。そうする事によって、猫たちはカーテンを伝ってそこを潜り、ベランダに出て遊ぶことが出来る。かなり不用心だが、猫たちのためならば目を瞑れた。


 この日も、猫たちは天窓からベランダに出て、のんびりと日向ぼっこを満喫していた。

 そこで起こる、タンクローリーの事故。

 響く衝突音。

 突然の騒音に驚き、ドタドタと逃げ回る猫たち。

 その内の一匹がパニックに陥り、普段はくぐらないベランダの隔板の隙間からお隣の愛煙家宅のベランダへと侵入。勢い余って、そのまま喫煙コーナーとなっているお手製ラックにぶつかる。

 派手に倒れるお手製ラック。ベランダの手すりの隙間から落ちる、オイルライターと灰皿。

 落下したオイルライターは木の枝に当たり、ワンバウンド。そのまま吹き飛び、数度地面を跳ねる。その際に絶妙な形で蓋が開き、ヤスリが回転、オイルライターに火がつく。そのままタンクローリーの下へと滑って行った。

 一方、落下した耐熱ガラス製の重い重い灰皿は、衝突音に驚いて飛び立った一羽の鴉にクリーンヒット。くえっ、と悲鳴を上げる鴉。当たりどころが良いのか悪いのか、鴉は空中で気を失い、そのままマンションに隣接する一戸建て民家へと落下していった。


 その民家では、退職したご主人が庭で大工仕事に励んでいた。

 娘夫婦が週末に孫達を連れてバーベキューしに来ると聞き、そのための屋外用ベンチを絶賛製作中。久々の団欒に舞い上がり、なんと海外製の釘打ち機ネイルガンまで買った。

 硬い建材でも難なく釘を打ち込めるという売り文句で有名な、製造元であるアメリカでも州によっては販売が禁止になっているかなりパワフルな機種だ。結構なお値段だったが、孫達のためならば材料から工具まで全てに拘る。かなりの張り切り様であった。

 パーツの切り出しは既に完了済み。セイフティを外した釘打ち機ネイルガンを片手に「いざ組み立てだ」という時に、家のすぐ近くで大きな衝突音が響いた。

 何事かと慌てて外を覗くご主人。

 そこに落下してくる、気絶した鴉。

 ドカッ、と上手い具合にご主人が持つ釘打ち機ネイルガンに激突。

 バシュッ、と弾みで射出される釘。

 生け垣の隙間を抜けた釘は、そのままタンクローリーへ。

 カンッ、と小気味良い音と共に命中。

 命中したのは、車体後部に搭載されている特殊加工された頑丈なではなく、よりにもよってタンクローリーの車体側面に付いている、しかも注ぎ口の隙間だった。

 釘が浅く刺さった燃料タンクの隙間から、ポタポタと漏れ出る軽油(なかみ)。

 そこに、絶妙なバウンドで滑り込む着火済みのオイルライター。

 ぴちょん。

 ブオッ!

 自然の摂理に従って燃え上がる軽油。

 そして、大爆発。



 ──以上が、今回の事故の全貌である。




 ……

 …………

 ………………ファ◯ナル・デスティ◯ーションかよ⁉




「いや〜、偶然って重なるものですね〜」


 いやいや、重なりすぎでしょ!

 俺、別に虫の知らせで死を免れた経験ないけど!?

 っていうか、爆発したの、タンクローリーが積んでいた大型の積載タンクじゃなくて、の方かよ!

 なんでわざわざデカい方じゃなくて小さい方に当たるの!?

 どんだけピンポイント!?

 これもう完全に死神の嫌がらせだよね!?


「あ、勿論、僕は一切関わっていませんよ? 神は神でも、僕は死神ではありませんから。誓って、今回のこととは一切無関係です」


 聞いてもいない弁明を垂れるイケメン神様。


「我々神は、世界への干渉の一切を禁止されているんです。命を助けることも、勿論、命を奪うことも」


 そう言って、無邪気な爽やかスマイルを浮かべた。


 他人事だと思って……。

 こんなのが神っていうのは、なんかすごく納得がいかない……。


 けど、まぁ、今更否定しても何も始まらない。


 神や死という概念は、酷く曖昧だ。

 死後の世界の存在は、魔法学的に証明されていない。「創造主」という意味での「神」も、理論上は存在しないとされている。


 しかしどうして、死んだはずの俺はこの煌めく星々に彩られた謎空間に浮かんでいて、目の前には自称だが神様らしき謎イケメンが佇んでいる。


 これまで見聞きしたこと全てを「『幻覚魔法』による虚像だ!」とか「プラズマのせいです」と決めつけることは簡単だ。

 けれど、実際に「死」を経験した俺には、そんな安直な結論を口にする気がまったく起きなかった。


 あれは、紛れもない「死」だった。

 あんなリアルで忘れ難い幻など、存在しない。あんな心が凍る感覚を人為的に作り出すことなど、誰にも出来はしない。


 それに、このイケメンの驚異的な「読心術」である。

 魔法学における「全次元における精神の強固性理論」を完全無視したようなあの読心術は、どんな高度な魔法を使っても再現不能だ。まさに「神の御技」としか言いようがない。


 そして、地底だろうが宇宙だろうがどこでも使えるはずの魔法がここでは一切使えない、という今のこの状況。


 現代魔法学が導き出した「神はGod存在DoesしないNot Exist」という結論を信奉する俺からすれば受け入れ難くもれっきとした事実が、目の前にまざまざと突きつけられているのだ。


 ここまで条件が揃ってしまえば、もはや何も反論する気にはなれない。

 とりあえずでも認めるしかない──この腹の立つイケメンが本物の神様だということを。


 そも、魔法という神秘の法則を研究・利用する魔法使いの端くれとして、否定的意見で頭を固めてしまうのは愚かだ。それは事象の観察と理解に対する拒絶であり、ひいては真理の追求の放棄である。

 どんなにあり得ないような現象に直面しようと、その全てを事実として受け入れ、そこにある真理を解明していく。それこそが魔法使いのあるべき姿なのだ。

 いつまでも「こんなの嘘だ!」とか「ありえない!」と駄々をこねるのは、魔法使いとして恥ずべき行為である。

 だから、もうこれ以上このイケメンが本当に神か否かを論ずるのはやめよう。

 どれだけ追求しても、現状では真実など分かりっこない。


 とりあえずこいつが神でいいや……。


「ははは……普通は神に会ったらもっと驚くものだと思うんですけどね……」


 神に会う・・

 遭う・・の間違いじゃないか?


 神学者や神話系魔法を専門に研究している魔法使いたちなら泣いて喜ぶこと請け合いのシチュエーションだろうが、俺は全然嬉しくない。

 だって、このイケメン神様の無駄過ぎる爽やかさが生理的にムカつくから。


「本当に酷いですね〜、九太郎さんは。別に崇め奉れとは言いませんけど、せめて生理的に嫌悪するのは勘弁してもらえませんかね〜?」


 だったらその無駄過ぎる爽やかさを全面的に引っ込めろよ。


「なぁ、神様。俺、これからどうなるんだ?」

「『様』付けなのにタメ口とは、なかなか大物ですね〜、九太郎さんは」


 ははは、と楽しげな笑い声を上げるイケメン神様。相も変わらず爽やかである。


「仕方ないだろ。正直、『本物の神様』なんて言われてもピンとこないし、何より、その邪気のない爽やかさがムカつく。だから敬語は使いたくない」


 毅然とそう言い放つと、イケメン神様は心から愉快そうに笑った。


「あっはっは。本当に大物ですね〜、九太郎さんは〜」


 だからそんな爽やかな顔で言われると余計腹立つんだよ、こんちくせう。


 自分で言うのもなんだが、俺は別に「俺様キャラ」とかじゃない。人としての礼儀は弁えているつもりだし、人には出来る限り礼を以て接するようにしている。寧ろ、普段は誰に対しても腰が低い方だし、人の敬い方も、礼儀の示し方も、人並みには身に付いていると思っている。

 けれど、こいつに対してだけは物腰柔らかな対応が出来ない。というか、したくない。たとえ神様だと認めようとも、敬うことが


 それに、「どうせもう死んでんだから、どうにでもなりやがれ!」というヤケクソに近い気持ちも多少はあるかも知れない。ピタゴ◯スイッチ的な死に方をしてしまっては、誰だってヤケになるというものだ。

 今更足掻いた所で起死回生することなど出来ないし……出来ないよな?


「ええ、一度死んだ者が生き返る事はありません。そこは保証します」


 ……また他人事だと思って気軽に言いやがって……。


 ただまぁ、正直、思っていたよりも死んだことに対するショックは少ない気がする。

 もっと焦ったり嘆いたりするものだと思っていたけれど、「とうとうこの日が来たか」という自分でもビックリするくらいに淡白な感想しか出てこない。

 死んでしまったという事実がこうも受け入れ易いとは、なんとも不思議な話だ。


 いや、心残りとか、未練とか、そういうのは勿論たくさんあるよ?

 でも、なんて言うか、心を繋いでいた糸がスッと切れたというか、「ああ、これで終わりなんだな」っていう味気ない感覚しか無いんだよね。

 これもヤケクソ的思考の影響かな?



「さて、九太郎さんの心の整理も一段落付いたみたいですし、本題に入りましょう」


 俺の心を読んだらしいイケメン神様は、そう言って姿勢を正した。


「実は僕、地球地区担当の神でして、死者の魂を取り扱うお仕事をさせてもらっているんです」


 地球地区担当て。お役所かよ。

 っていうか、神様業界にも担当分業が存在するんかい。



 ………………ん?



 ちょっと待てよ? 

 今、「死者の魂を取り扱うお仕事をさせてもらっている」って言わなかった?

 死者の魂を取り扱うお仕事をする神って…………それ、まんま「死神」じゃねーか!


「いえいえ! それは誤解です!

 九太郎さんが考えている『死神』という役職は、そもそも存在しません。命を刈り取るのは、いつだって世界そのものです。僕達神がわざわざ手を下す必要はありません。

 それに先程も言ったように、そもそも僕たち神は世界に干渉することを固く禁じられています。僕の仕事も、死者の魂が無事に転生するのをただ見守るだけですから」


 ただ見守るだけが仕事って、あんたはどこかの有名化粧品のCMに出て来る工員さんか。


 内心でそうツッコミつつも、俺はイケメン神様の話に納得していた。



 死神は存在せず、神は世界に直接干渉しない、ねぇ。

 確かに、現実と照らし合わせれば、その通りだろう。



 ぼぼ全ての宗教に「死を司る神」が存在するけど、よくよく考えてみれば、死神って存在そのものが無意味なんだよね。

 そもそもの話、人間は簡単に死ぬ生き物だ。ちょっと病気になったり、ちょっと怪我したりするだけ、でコロッと逝っちゃう。

 そんな脆弱な生き物のところに神様がわざわざ足を運んで死を告げて回る必要など、何処にも無い。そんな役職があるのだとすれば、それはもはや「リアル畳の目を数える職人」である。無駄ここに極まれりだ。

 そう考えると、「死神」という存在は人間の肥大化した自尊心が生み出した、謂わば自己満足の産物なのかもしれない。

 要するに、「専門の神がわざわざお迎えに来るほどに人間自分たちは特別な存在なのだ」と思いたいのだろう。


 まぁ何にせよ、「死神」が実在する神様じゃないっていうのは、死んでしまった今の俺からすればはかなりありがたい話である。

 だって、死神って、会いたくない神様ナンバーワンじゃない?

 会わない方が幸せだよね。



 次に、神は世界に干渉しないという話だが、これも納得できる。

 神々の間でどんな取り決めがあるのかは知らないし、この世界を担当している神様──多分このイケメン神様で間違いないんだろうけど──がどんな趣味の御神ごじんかは不明だが、頻繁に世界にテコ入れをしていないことだけは確かだ。

 もし神が世界に自由に干渉できるのならば、世界はもっと良くなっているか、もしくはもっと悪くなっているはずだ。

 幸福と理不尽が入り乱れている今の世界の混沌具合を見れば、神様が何もしていないのは明白だろう。それが良いことか悪いことかは、俺には分からないが。



 ……それにしても、どれも神学者連中が聞いたら狂喜乱舞するような話だな。

 どうにかして知り合いの研究者の婆さんに伝えてあげられないものか……。

 俺みたいに死ねば……って、いかんいかん! それ知っちゃったら、あの婆さん、絶対その場で「儂も神に会いに行くぞ〜い!!」って叫びながら自分の命を絶っちゃうよ!


 そんなことを考えていたら、神様がフルフルと首を横に振った。


「残念ながら、その方が幾ら頑張っても、僕に直接会うことは不可能だと思いますよ。

 通常、死者の魂は死後、即座に『転生プロセス』へ入り、そのまま生まれ変わります。ですので、死者の魂が我々神と直接対面することはありません」


 なにその完全自動化生産ラインに載せられた工業製品みたいな扱い……。

 人の魂って、車の部品みたいなもんなの?



 …………ん?



 死者の魂は死後でも神と直接対面できない?


「なら、俺は? 俺はなんでこうしてあんたと直接会ってるんだ?」

「ああ、それは、九太郎さんの場合はちょっと状況が異なるからですよ」

「?」


 首を傾げる俺に、イケメン神様は爽やか微笑みを改め、渋面を作り、






「この度は………………誠に申し訳ありませんでした!」






 と、企業の謝罪会見のような、丁寧な90度のお辞儀をした。遠くで煌く星々の瞬きがまるで記者勢のフラッシュライトの嵐のように見える。フラッシュの点滅にご注意ください。


「………………何の話だ?」


 いきなりの謝罪に戸惑っている俺に、イケメン神様はポリポリと後頭部を搔きながら「いや〜それがですね〜」と下げていた頭を上げた。


「九太郎さんの魂の転生に、ちょこ〜っとした手違いが発生してしまいまして……」

「……おい、『魂の転生に手違い』って、字面からして滅茶苦茶ヤバイだろ」

「はい。確実に始末書ものです」


 たはは、と困った笑顔を浮かべるイケメン神様。

 実に爽やかな苦笑いだった。


 この野郎!

 何ひとの魂の取り扱いミスってんの!

 コピー機じゃねぇんだぞ!


 内心で吹き荒れる俺の罵声を読んだのか、イケメン神様は再び「本当に申し訳ありません」と頭を下げてきた。


「……それで、手違いって、具体的に何がどうなったんだ?」


 もういい加減こいつの旋毛も見飽きてきたので、煮えたぎる怒りを無理やり静めて話の続きを促す。


「それがですね……」


 気まずそうに言葉を濁すイケメン。ギロリと睨みつけてやると、すぐにゲロった。


「九太郎さんの死因であるあのタンクローリーの爆発ですが、実は九太郎さん以外にも沢山の命が巻き込まれておりまして……。内訳は、人間が12人、犬が一匹、猫が24匹、鴉が6羽です」


 あとは昆虫やバクテリア等々が数え切れないほど、と追加情報が入る。



 ……ぉぅ。

 人間が12人、か……。

 そんなに被害が出ちゃったのか……。

 この調子じゃあ、間違いなく友人もその12人の中に含まれちゃってるんだろうな……。



「……なぁ、神様。

 ……もしあの時、俺が魔法の秘匿とか気にせず、全力の魔法でタンクローリーを完全静止させていたら──」

「それは、考えても仕方ありませんよ」


 言葉の後半を奪うように、神様は俺の考えを否定した。


「でも……」

「まぁ、後悔するなとは言いませんが、神として言わせて貰うのであれば、あの時あの場所で、九太郎さんが取った行動に非は一切ありませんでした。今回の件は、完全なる不慮の事故です」


 ……そういうものかな?

 ……そういうものなのかも知れないな。


 もう俺は既に死んじゃっているから、何を思おうが全て後の祭りだ。

 今更ウダウダと悩んでも意味はないだろう。


 そうだな。

 生前の「たられば」を論ずるよりも、これからの話しをするべきだ。


「……で、俺の魂にどんな『手違い』が?」


 本題に戻すと、イケメン神様は気まずそうに白状した。




「実は、巻き込まれて亡くなった全ての魂が、九太郎さんの魂と融合してしまいまして……」




 ……

 …………

 ………………は?


 何を言っているんだ、こいつは?


「完全にこちらの手違いでして……」

「ちょっ、ちょっと待て。『魂が融合』って何だ? どういう現象だ?」

「文字通りの意味ですが?」

「意味が分からん……」


 魔法学において、魂は実在するとされている。

 魂はエネルギーの塊であり、魔法の発動に必須の魔力は本人の魂から抽出される、と考えられている。


 しかし、魂が融合するなどという現象は、理論的に成立しない。


 魔法学的解釈において、魂とは純エネルギー体であり、あらゆるものから完全に独立した存在であるとされている。

 同じ魂は二つと存在しないし、決して外部からの干渉を受けない。

 魂とは、魔法使いにとって変えようがない絶対的概念だ。数学における数字と同じである。


 その魂が、融合?


 大きさも形も種類も異なる複数の電池を、ワイヤなどで「繋げる」のではなく、捏ね合わせて融合させる一つにする──例えとしてはかなり粗いが、イケメン神様が言っていることはつまりそういうことなのだ。


 ……んな馬鹿な。

 粘土じゃないんだぞ。


「本当に申し訳ありません」


 俺の混乱を他所に、すまなさそうに再度頭を下げるイケメン神様。


 謝っているにも関わらず変わりなく爽やかなその顔面にフルスイングのパンチをお見舞いしたい気持ちでいっぱいになってしまうのは、きっと俺に忍耐が不足しているからではないだろう。まさにガンジーでも助走つけて殴り掛かるレベルである。

 マジで、一発ぐらい殴っても許されるよね?


「あ、でもご安心を。色んな魂が混ざったからといって、九太郎さんの人格がそれらの記憶や習性に影響されることはありません。

 ですので、突然他人のお尻のにおいを嗅ぎたくなったり、素早く動くものを見ると飛びつきたくなったり、虫を見て美味しそうだなぁと感じたり、女性本体よりも女性用下着が好きになったりすることは一切ありません。基本的には無害です」

「あ、あぁ、そ、そう……それは、よかったよ……」


 ……犬や猫や鴉の習性はともかく、最後のやつ、あれ絶対友人の事だよな?

 ……あいつ、やっぱりパンツ大好きだったか……。

 っていうか、女の子そのものよりも女の子のパンツの方が好きだったのか……。

 業の深さがマリアナ海溝並だぜ、友人よ……。

 あいつの魂が俺の中に溶け込んでいるっていうのは、なんか生理的に嫌だなぁ……。


、ちゃんと元に戻るんだろうな?」

「それは……ちょっと無理です」


 なにその好きでもない男から付き合おうと言われた女子みたいな受け答え!

 こちとら比喩でもなんでもなく「魂」が掛かってるんだぞ!


「というわけで、僕なりの償いをするつもりです」


 と、提案する神様。


 ぐぬぬ。


 まだまだ色々と納得した訳ではないし、訊ねたいことも問い質したいことも山ほどあるが、ここは建設的にやつの話を聞くことにしよう。


「九太郎さんの転生に、何か一つ特典をお付けしたいと思います」

「特典?」

「はい。来世の話になりますが、九太郎さんの誕生に際して、希望を一つ叶えて差し上げます。

 たとえば、象箸玉杯な資産家の家に生まれたいとか、聡明叡知な天才に生まれたいとか、一顧傾城な美女に生まれたいとか。なんなら、万夫不当な──最強の力を持って生まれたいとかでも構いませんよ」

「なら、もう一度師匠の弟子として生まれたい」


 俺は迷うなくそう答えた。



 五歳の時、俺は両親を失った。事故と聞いているが、本当はどうだったのか定かではない。

 その後、俺は児童養護施設に入り、すぐに師匠によって引き取られた。

 そして師匠は生きる気力を失っていた俺に、魔法を教えてくれた。

 師匠は俺にとって唯一の家族であり、誰よりも親しく、誰よりも尊敬する人物だった。見てくれは30代半ばのくたびれたサラリーマンだけど、師匠は名実共に世界最強の魔法使いであり、俺にとっては親も同然の人物だった。


 その師匠も、一年前に亡くなった。

 それはもう、唐突に、あっさりと。


 唯一の家族を失った俺は、師匠の願い通り、魔法使いとしての仕事を一切止め、穏やかな生活を送ることにした。

 けれど、やっぱり師匠との生活の方が、俺は好きだった。

 修行は死ぬほど辛くて、ズボラで適当な性格の師匠の世話は死ぬほど大変で、普通の高校生としての生活も普通の少年としての青春も殆ど満喫できなかったけど……それでも、そんな日々が、俺には死ぬほど楽しかったのだ。


 だから、もし生まれ変わることが出来るのなら、俺はもう一度師匠の弟子になりたい。

 あの楽しかった日々を、少しでも取り戻したい。

 返し切れなかった恩を、少しでも返したい。


「申し訳ありません」


 しかし、そんな俺の願いに、イケメン神様は首を横に振った。


「転生する世界の振り分けは別の部署の管轄なので、特定の人物の下に転生できるかは、僕の一存では決められないんです」


 ……なにそのお役所仕事。

 っていうか、「転生する世界の振り分け」って、他にも人間の住める世界があるんだ。


「はい、地球以外にも、色んな世界がありますよ。そして、人々の魂は転生するごとに様々な世界に振り分けられます。ですから、九太郎さんをお師匠さんの転生先へ送ることは、限りなく不可能に近いんですよ」

「だからいちいち考えを読むなって」


 はぁ〜〜、と色んな気持ちがこもった大きな溜息が漏れる。

 もし本当に幸せが溜息と一緒に逃げるのならば、多分この溜息で俺の幸せは一つ残らず大脱走を果たしているだろう。

 ……いやまぁ、ピタゴラ◯イッチ的な死に方をしている時点で幸せも何も無いんだけどね。


「一つ聞いておきたいんだけど……転生しても『俺』はちゃんと『俺』のままなのか? 俺、つまり『九重九太郎』としての記憶や自我はちゃんと残っているのか?」

「残念ながら、それはありません。転生プロセスに入った魂は自動的に刷新され、真っさらな状態で新たな生を得ます。ですので、前世で得た経験や知識、記憶や自我といったものは何一つ残らないはずです」


 駄目じゃん!

 それじゃあ、「今の俺」に何のメリットもないじゃん!

 特典を付けるって言いながら、全部「今の俺」に関係ないオプションじゃん!


「まぁ、来世の幸福はお約束できるかと」

「だからそれ、『今の俺』へのお詫びになってないから!」


 文句を並べつつも、実は俺の願いは既に決まっていた。


 そう、俺の願いはたった一つ。


「それなら、生まれ変わるんじゃなくて、このままの『俺』でいたい、っていうのはどうだ?」


 まぁ、要するに『転生』じゃなくて『転移』だね。


 俺の提案に、イケメン神様は暫く「う〜ん」と唸った。


「そうですねぇ……『死んだ直後の状態で誕生する』ということにすれば出来なくはないと思いますが……」


 なんか法の抜け穴を突く政治家のような発言だな……。

 それでいいのか、神業界?


 言葉半ばのイケメン神様は、俺の真意を測りかねたように首を傾げる。


「本当によろしいんですか? どの世界で生まれるかは分かりませんが、最強の力を得て転生することも可能なんですよ? リアルに『強くってニューゲーム』ですよ? そっちの方が人生楽じゃありません?」


 これまた問題有りそうな発言だな、おい。


「まぁ、普通はそうなんだろうけど、やっぱりやめとくよ」

「理由を聞いても?」


 イケメン神様が興味深そうに俺の目を覗き込んでくる。


 そんな興味津々な瞳を向けられても困る。

 なにせ、大層ご立派な信念や理由があるわけじゃないから。


 正直、転生と言われてもしっくりこない。


 転生、即ち生まれ変わり。

 前の人生を終えて、まったく新しい人生を始めること。


 魔法学上、肉体の死は「情報構造体」の完全崩壊及び全情報の完全喪失を意味する。魂というエネルギーの塊も、死と同時に跡形もなく霧散・消滅する、と考えられている。

 よって、「転生」という概念自体、魔法学的には存在しないのだ。

 ……まぁ、イケメン神様との出会いでその理論も半分ぐらい間違いだと分かったわけだが、それはさておき。


 宗教学的観点で捉えるなら理解できなくもないけど、如何せん俺は魔法使いであり、宗教関係者ではない。転生という概念への理解の差は「畑が違うから」としか言いようがない。


 本心を言うと、俺は今の生──死んでしまったから先の生になるが──に不満はなかった。

 生まれ変わりたいと思うほど後悔するような生き方はしていないし、寧ろ師匠という人と出会えた俺の人生はなかなかに良かったと思っている。

 生まれ変わる事によって俺が俺でなくなるなら──師匠との思い出が消えて無くなってしまうなら、そんな生まれ変わりは要らない。

 リセットみたいで、物凄く嫌なのだ。


で死んじゃった俺が言えることじゃないかもしれないけど、俺は師匠が世界を敵に回してまで守ろうとしてくれたこの人生を、ちゃんと全うしたい。師匠が願っていた通りに、穏やかで静かに暮らしたいんだ。だから権力とか金とか美貌とか最強の力とか、そういうのはいらないかな」


 師匠は俺を魔法使いとして育てながら、何時の日か俺が秘密と危険だらけの魔法業界を離れ、普通の人間として平穏に生きていくことを願っていた。

 師匠らしい、どうしようもなく不器用で、どうしようもなく優しい願いだ。


 師匠亡き今、俺はそんな師匠の願いに沿って、静かに暮らしたいと思っている。実際、師匠が死んだ後はそうしていた。

 だから、厄介事しか呼び込まなさそうな権力とか金とか美貌とか最強の力とかは、まったく欲しくない。

 それに、最強の力を得たところで、死ぬ時はやっぱりあっさりと死んでしまうのだ。師匠がそうだったように。

 それなら、最強の力なんかより、師匠との思い出がいっぱい詰まった今のままの「俺」でいたい。

 それが俺の偽ざる本音だ。


「……そうですか」


 俺の回答の何が琴線に触れたのか、イケメン神様は満足げに頷き、微笑んだ。

 それは先程までの腹の立つ爽やかな笑顔ではなく、立派になった教え子を誇るような、旅立つ我が子を慈しむような、神様らしい慈愛に満ちた温かい微笑だった。


「本当はそのお願い、『寿命の延長』とほぼ同じ意味になるので実現は難しいのですが、今回はギリギリセーフとしておきましょう。こちらに落ち度があるわけですしね」


 そう言って、イケメン神様は仕方ないとばかりに腹の立つ仕草で肩をすくめた。


「では」


 イケメン神様はどこからともなく紙を一枚取り出し、そこにスラスラと何かを書き込むと、これまたどこからともなく取り出した判子をそれに押した。


「……っと。これで手続きは完了です」

「ほんと、お役所みたいだな」

「似たようなものですよ」


 言うや否や、判子を押した紙は光りながら宙に溶けるように消えていった。


「それでは九重九太郎さん。汝の新たなる生に幸多からんことを」


 我が子を送り出す親のような笑顔と共に発せられる祝福の言葉。これぞまさに「神の祝福」である。

 安らぎが俺の全身を包み、次第に意識が薄れ始める。



 あ、ちょっと待って!

 まだ訊きたいことが沢山あるんだけど!?



 そんな今更過ぎる思いを最後に、俺の意識は再び途切れた。

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