現代魔法使いは異世界でも静かに暮らしたい

黒井白馬

第一章 現代魔法使い、異世界に立つ

00. プロローグ

 魔法は実在する。


 一度だけ学校の友人にそう言ってみたら、哀れみをふんだんに含んだ目を向けられ、「お前、ちゃんと飯食ってるか? 夜ちゃんと眠れてるか? 悩みあるなら聞くぞ? ほれ、温かい缶コーヒー飲むか?」と心底心配された。


 友人を石頭と責めるつもりはない。

 科学全盛の世である現代では、これこそが普通のリアクションなのだから。



 ただ、俺は知っている──

 魔法はちゃんと実在する、ということを。



 なぜなら、他ならないこの俺自身が正真正銘の「魔法使い」だからだ。



 この際、「魔法使い」というのは決して隠語やスラングの類ではなく、正しく「実際に魔法を使うことができる者」という意味だ。

 確かに俺は童貞だけれども、まだ17歳の高校二年生だからね。

 の「魔法使い」からは程遠いからね。

 ココ重要だからね!


 勿論のこと、周りで俺が魔法使いだと知る人間は殆どいない。知られても困るし、知らないほうが誰にとっても幸せだろう。


 昼は普通の高校生、夜は秘密の魔法使い。

 ……響きはちょっといかがわしいけど、それが俺の日常だ。


 スパイ並の二重生活を送ってはいるものの、別に辛いと感じたことはない。

 一般人としての日常、ときどき魔法研究の日々。

 とても楽しくて、とても平和だ。






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






「おーい、聞いてるか?」


 一緒に登校する友人が語りかけてくる。


「あ、すまん。聞いてなかった」

「お前なぁ……」


 がっくりと肩を落す友人。


 ごめん、本当に聞いてなかった。

 昨日は夜遅くまでネットラジオを聞きながら、プラモを本物さながらに動かす「魔法刻印」の組み方を模索してたから、ちょっと寝不足気味なんだよ。

 これが完成した暁には、遂に「ソ◯モンよ! 私は帰ってきたぁ‼」で有名なあのシーンを再現できる。夢が膨らむね!


「で、何の話だっけ?」


 聞き流していた話の内容を友人に尋ねると、


「小山さんのパンツのデザインの話だよ」


 と、さも当然のように応じられた。


「……んな話した覚えねぇよ。ってか、なに朝っぱらからクラスの女子の下着について大々的に語ってんだよ、お前は」

「俺は絶対レースだと思う!」

「だから知らねぇって」


 朝の7時半から女子のパンツの話である。普通の男子高校生らしい会話と言えばらしい会話だ。……らしいか? 

 それにしてもこいつ、本当に女の子のパンツ好きだよなぁ。同じ男の俺がドン引きする程の情熱だ。






 いつも通りの、級友との馬鹿話。

 一戸建て住宅が左右を挟む、閑静な通学路。

 人気の少ない早朝の、爽やかな空気。

 代わり映えのしない、いつもの登校風景。



 しかしこの日だけは、いつもと少しだけ違った。

 ──いや、大分違った。






 友人の偏執的価値観溢れる女性下着論を右から左に聞き流していると、突然前方から迫る大質量の物体を感知した。


 何事かと目を向ければ、そこには加速しながらこちらに向かって真っ直ぐに突っ込んでくる一台のタンクローリーの姿があった。

 大きさは20キロリットル級。メチャクチャデカいやつだ。

 タンクローリーの運転手はハンドルに突っ伏したまま動く気配がない。居眠り運転か、はたまた発作か。どちらにしろ、緊急事態だ。


 隣を歩く友人は近づく身の危険にまったく気がついていない様子で、未だに女子のパンツについて熱弁を振るっている。たった今、論点が「パンツのデザイン」から「パンツの色」に移ったところだ。


 ……お前、このままじゃ確実に轢かれて死んじまうぞ。

 そんでもって、最後の言葉が「女の子のパンツはやっぱり白が一番だよな!」っていう最低な一言になるぞ。

 それでいいのか、お前の人生?


 ……まぁ、こんなアホでも友人は友人だ。失っても惜しくはないが、寝覚めは悪い。

 ここは素直に助けておくとしよう。本当はすんごく見捨てたいけど。


 小さな溜息と共に右手に魔力を集中させる。

 イメージ的には、汗が汗腺から染み出す感じだ。


 魔力を練ること0.01秒。

 魔力が集まった右手の中に「魔法構成式」を構築し、魔法を組み立てていく。

 それと同時に、入念に周辺状況を確認する。


 周りに人は……住宅の中に数人いるみたいだけど、俺と友人の近くには誰も居ないな。

 俺達のことを見ている人間も、こちらに突っ込んでくるタンクローリーを見ている人間もいないみたいだ。

 目撃者は無し。

 これなら、魔法を使っても大丈夫だろう。




 ──魔法という存在の秘匿は、何よりも優先されなければならない。



 これは全ての魔法使いが果たすべき義務であり、魔法に携わる全ての者が弁えている常識だ。


 科学では説明できない超常現象を一般の人々に見せる訳にはいかないし、それが魔法だと知られるのはもっと不味い。

 そのため、魔法使いは人目のある所ではなるべく魔法を使わないよう心掛けなければならない。やむなく使う場合でも、周囲に魔法の存在を知られないよう極力配慮しなければならない。


 それは今この瞬間でも同じことだ。


 ここは町中で、隣には一般人である友人がいる。軽々しく魔法を使ってはいけない理由が揃っている。

 たとえ数秒後に命の危険が迫ろうと、周囲に目撃者が居るかどうかの確認もせずに魔法を発動するなどという迂闊な真似は許されない。


 魔法の存在が大っぴらになれば、世界がひっくり返ってしまう。

 何度も言うが、魔法の秘匿は何よりも優先されるのだ。


 だから俺は用心に用心を重ね、周囲に目撃者が居ないことを入念に確認する必要があった。


 ……面倒臭い。

 俺だけだったら魔法なんか使わずに、体術だけで回避できるのに。

 ……やっぱ見捨てるか、こいつ。


 そんな益体もないことを考えながら、20分の1秒足らずで魔法の構築を完了する。

 これくらいは師匠との過酷な修行のお陰で難なくこなせる。寧ろ、これでも超ゆっくり組み立てたほうだ。


 構築した魔法は二つ。

 完成と同時に、俺は二つの魔法を順次発動した。


 最初に発動したのは《衝撃緩和インパクト・ミディケーション》という魔法。

 文字通り、衝撃を緩和する効果しか無い、簡単な魔法だ。

 それを、タンクローリーの前面を覆うように発動する。


 これで下準備は整った。


 間髪入れず、もう一つの魔法を発動。

 発動したのは《一点押しポイント・プッシュ》という魔法。

 一点に力を加えるというシンプルな効果しかない魔法だが、この状況を打開するには十分だ。

 力を加える対称はタンクローリーのハンドル。

 加える力は10ニュートン。

 方向は右から左に──ハンドルを左に切るように。


 くいっ。


 俺の指の微かな動きと連動して、力を加えられたタンクローリーのハンドルは回転し、爆走するその車体を横転しないギリギリの角度で左へと逸らせた。

 左へとハンドルを切られた大型タンクローリーは自然な動きで俺たちとの衝突コースを外れ、


 ドゴーンッ!


 けたたましい音と共に俺達の10メートル先にある住宅のコンクリート塀に衝突し、停止した。

 コンクリートブロック製の石塀が僅かに割れ、崩れる。

 が、タンクローリーの車体はフロント部分が幾分凹んだ以外、目立った損傷は負っていない。もちろん、最もデリケートで最も危険なタンク部分は完全に無傷である。

 まぁ、そうなるように魔法を使ったからね。


 本当はもっと高度な魔法で瞬時にタンクローリーごと完全静止状態に持っていくことも出来たんだけど、それだとただの「超常現象」だ。万が一、誰かに目撃されていたら言い訳ができない。

 だから今回は「タンクローリーは自分で塀にぶつかった」「暴走していたけど実は大した速度ではなかった」「だから損傷も少なかった」という風に見えるよう細工することにしたのだ。


 コンクリート塀を所有しているお宅には悪いが、俺たちの命と魔法の秘匿を優先させてもらった。弁償は……俺とは関係ないか。


 問題は、運転手の容態である。


 シートベルトはちゃんと締めていたみたいだし、《衝撃緩和インパクト・ミディケーション》の魔法で衝撃もそれほど伝わらないようにしたから、衝突による怪我は無いだろう。

 ただ、ハンドルに突っ伏していた原因が何だったのかまでは分からない。

 ……無事だといいが。


 この時点になって、友人はようやく事態を把握したらしい。「マジかよ!?」と叫びながら、慌ててトラックに駆け寄っている。

 ……こういう場合は先ず、救急と消防を呼ぶべきだろうに。かなり混乱しているな、こいつ。


 ……まぁ、これが普通の反応だよね。


 死にかけても冷静でいる俺の方が普通じゃないんろうなぁ、きっと。

 それはなんとなく自覚しているよ。

 一応、俺も驚く演技をしておくか。


 慌てたフリをしながら友人と共にタンクローリーへと駆け寄る。

 タンクローリーのフロント──主に助手席──は損傷しているが、運転席はドアすら変形していなかった。予定通り、運転席への衝撃は最小限に留めることが出来たようだ。


 友人が運転席のドアを開けようと、トラックの扉に手を掛けた。



 その瞬間、


 俺は────

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