第4話

朝になって、両親が仕事に出かけた後、あたしは朝食をとるために、キッチンの冷蔵庫に向かった。冷蔵庫の扉を開けて、ミネラルウォーターをとり出して軽く飲んだ。リビングの茶色いテーブルの上に、あたし宛の封筒が置いてあることに気がついた。誰からだろうと差出人を見てみると。

「月光帝……?」

 封筒を開けてみると、月光帝の年に一回の宴の招待状だった。毎年来るんだよね、あたしの家に。放っておいてるから、今年も不参加に〇をつけて郵便ポストに入れておかなくちゃ。

〈おはよう正樹さん。優莉だよ。なんかね、月光帝からまた宴の招待状が来てたよ〉

〈おはよう。不参加だよね?〉

〈うん。行かない。口説かれたら困るし〉

〈優莉にはぼくがいるもんね〉

〈そう〉

〈ぼくは今日も仕事に行ってくるよ〉

〈うん。頑張って〉

 あたしはミネラルウォーターをリビングのテーブルの上に置いておいたはずなのに、便箋に目を落としている間、目を逸らしていた。便箋の文面を読み終わって、ミネラルウォーターを再び手にとろうとすると、ミネラルウォーターのペットボトルがテーブルの上から消えていた。

「あれ……?」

 ミネラルウォーターのペットボトルが、ベランダの窓の前に転がっていた。真ん中から引き裂かれたかのように中に入っている水をぶちまけた状態で。

 血の匂いがする。大量の血の匂いが。

 なにかの気配を感じて、リビング横の和室を見やると、白い棒のようなものがバラバラになって赤い色にまみれて横たわっていた。なにあれ?

 腕が二本に足が二本?

 あれお母さん?

 お母さんが血まみれになって体をちぎられたような状態でバラバラで横たわっていた。

 あたしは悲鳴をあげて後ずさった。足元になにかがぶつかった。なにかの塊だった。振り返ると、肉の塊が転がっていることに気がついた。元々はお父さんだったと思われるような肉の塊だ。

 あたしはさらに悲鳴をあげた。だれがこんな酷いことを? 殺人鬼がこの部屋のどこかにいるのではないか? そんな恐怖で頭がいっぱいになった。

正樹さん――話しかけそうになって、言葉を飲みこんだ。正樹さんはきっと仕事中だ。こんな状態を見せたら、仕事に支障が出る。あたしは早く逃げるべきだ。警察に知らせに行かなきゃ。交番に行こう。殺人犯に見つかる前に。

あたしは家を飛び出した。父と母はもうとっくに冷たくなっていて硬化が進み、復活の見込みがないことくらい、見ればすぐにわかったからだ。

あたしは外に出て交番へ向かった。スマホを手にとっていなかったし携帯していなかったので、直接知らせに行くのが一番早いと判断したからだ。もしも。もしもこの辺りにまだ殺人鬼がうろうろしていたら? でもまだ早朝だし近所住民もうろうろしていて夜ではないから、まだ助かる可能性はあると思われた。思うしかなかった。

叫びながら、なかば発狂しながら走りまわったが、不思議なことにだれも見つからなかった。この時間帯なら通勤通学する学生や社会人や散歩しているお爺さんお婆さんの一人や二人くらいは見つかるはずなのに。だれもいなかった。車の一台も自転車の一台すらも見当たらなかった。おかしい。なにかがおかしい。どうしてだれもいないの? みんなどこへ行ってしまったの?

〈どうしたんだい?〉

 正樹さんの声が脳内でした。

〈大変なの! お父さんとお母さんがだれかに殺されたの! 近所住民もだれもいないの! 変じゃない?〉

〈そうか、そうか――〉

 正樹さんがなんだか変だ。

〈なんでそんなに落ち着いてるの? あたし怖いの! 交番行ってくるね!〉

〈気をつけてね〉

 あたしは走った。夏の日差しが肌を焦がす。サンダルをパタパタ鳴らしながら走っていると、この近所付近からも嫌な血の匂いがすることに気づいた。なんでだろう――

 それに静かすぎる。静まり返った近所付近で、あたし以外の人間はだれもいない。それがおかしい。あたしの頭がおかしくなってしまっただけなんじゃないか? そうだったらまだ救われた。でも。あたしの切れる吐息は本当に口から血の臭いを吸い込むし、夏の日差しはあたしの身体を汗ばませる。あたしだけは、今、ここに、生きている。

なんで? どうして――

〈嬉しいくせに〉

〈正樹さん!〉

〈だれもかれもみんな死んでしまったんだよ。嬉しいだろう? きみがずっと願っていたことだよ? みんな死んじゃえって、いつも心のなかから声がしていたんだ。ぼくはずっと聴いていたよ。きみの願いが叶いますようにって、いつもお願いしていたんだ――〉

〈どういう――こと?〉

〈みんなが死んでしまうようにってぼくがお祈りしておいた。ぼくの祈りは絶大な効果があるんだ。特に感情が絡むとね。ぼくにだって超能力の一つくらいはあるさ。きみの能力がテレパシーなら、ぼくの特殊能力はさしずめ遠隔殺人能力ってところかな〉

〈怖い――〉

〈え?〉

〈そんな正樹さん、あたしの大好きだった正樹さんじゃない〉

〈なに言ってるんだい? 本物だよ。その証拠に、きみだけは殺さないだろう? ぼくの大事な愛する人だからね。きみのことは殺さないと誓うよ。ぼくは優しいからね。どうだい? 長年の夢が叶って嬉しいだろう?〉

〈だめだよ――そんなことしたら〉

〈いいじゃないか。別に。みんなから死を願われていたんだろう? 仕返ししてやったって、別におかしくはないさ。優莉だって気づいてるんだろう?〉

〈何に?〉

〈これはきみの望んだことなんだよ。きみがU市の連中なんか、みんな死んじゃえって願ったから、ぼくにその感情が乗り移って、ぼくに殺させたというわけさ。悪いけど、これは優莉の願いだからね。ぼくはきみの殺意を媒介に、きみの夢を叶えてあげたにすぎないんだよ?〉

〈いやあああああああああ!〉

〈嫌? じゃあなんできみの殺意はそんなにすっきりしてるのかな? 喜んでいるのかな? こうなればいいって、夢が叶ったからじゃないかな?〉

〈知らない! あたしは殺してない! だれも殺してない! そこまであたしは望んでない! どうしようもなかったし辛かったけど、あたしは殺してない! あたしは殺してない!〉

〈まあ、その辺はいいさ。で、いつ東京に来れそうかな?〉

〈え?〉

《いい加減にするんだ――》

 突然凛とした声が響いたかと思うと。

 あたしは意識を失った。




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