第3話

〈ねえ正樹。あたしのお父さんとお母さんね、酷い人なの〉

〈そうなんだ〉

〈あたしみたいな精神病の子が大嫌いなんだっていつも言ってた。おまえは精神病だから、他の子の何倍も努力しないと、まわりから馬鹿にされるぞって脅すの。お母さんもお父さんも、自分一人で生きていけるような、強い子に育ってってあたしがなんでも自分の力だけで考えてものごとを考える癖をつけさせた。要するに、放任主義ね。悪く言うと、育児放棄〉

〈うちのお母さんは、鬼みたいな厳しい人で、とても冷たい人なの。あたしはあの人と、ただの一度も、暖かな心の通った会話のやりとりをしたことがないの。そういうものが、この世に存在することすら、あたしは大人になるまで知らなかった。お母さんの心に触れたいのに、近くに寄ると近寄らないでって、振り払われて拒絶されてしまうの。酷い話じゃない? きっとあたしのことが嫌いなんだろうなって、小さいころからうんざりするほど理解していた。ある程度大人になってからは、お母さんはあたしに心に触れられないように、巧妙に演技するようになったの。ごく普通の母親のふりの演技。心配しているふりの母親の演技。心のかなでは反吐が出るほどあたしを嫌っているかもしれないっていう可能性を隠しながらうまく演技して絶対にあたしに心に触れさせないの。酷いでしょ。でもあたしは他の家庭を知らないから、これが普通なのかなって思っていた。そういうのが家族っていうものなのかなって、寂しい寂しいって一人で布団のなかに入って泣きじゃくって過ごしながら思っていた。自分でも思うけど、かわいそう。寂しいとか言うな、愛されたいとか言うな、そういうのは恋人に言えって父親に言われた。なんで? 家族に愛されたいって思うのは、普通なんじゃないの? おかしいよね? 必要な量の愛が足りないから愛を求めてるのに、なんでそれがわからないの? あたしがおかしいのかな? だれかに聞こうと思ったけど、あたし、この街にだれも友だちがいないんだよね。あたしすごくかわいそうじゃない? あたしは父と母を憎んだ。心のなかで、心底軽蔑した。普通のお父さんとお母さんのできることができない出来損ないの家の親のことを、心底劣ってると思って馬鹿にした。あたしが大人になったとき、気づいたことがあるの。ああ、お父さんもきっとあたしと同じで精神病だから、精神病の子が嫌いなんだろうなって。精神病の子が嫌いで、自分の精神病が嫌だから、いじめるんだろうなって。最低だよね。まあ、ここまでは普通。でもね、最近新しく気づいたことがあるの。あたし、両親に顔がちっとも似てないの。そう、顔があたしだけ違う系統なの。祖父母にも似てない。だれにも似てない。馬鹿だよね。もっと早く気づけばよかったのに。あたし、父親と血が繋がってなかったんだよ。あいつ、あたしの実の父親じゃないんだよ。母親は昔あたしのへその緒を持ってるのよって見せてくれたから、たぶんあれは本物の母親。だけどね、あの父親は、偽物。あたしは、種違いの子なんだよ。そしてきっとあたしは本当の父親似なんだと思う。ね、だから母親もあたしのなかに嫌いな男の影を見つけて、それであたしを遠ざけるの。妹とは普通に仲がいいからね、母は。どう? 最低じゃない? あたしは若いころ、いつも父親を殺してやりたいって思って憎んでいたけど、それは当然だよね。赤の他人にいじめられてたんだから。そんな感情を持っても、仕方がないよね。それでね、――〉

〈もういいよ、優莉。性的虐待とか受けてなくて、大人になるまで血が繋がっていないことを気づかせなかった親御さんはある意味すごい人たちだと思うよ。優莉の満足するようなレベルの愛情を注いでくれる親御さんではなかったとは思うけど、一応頑張ったんじゃないかな。それだけは、認めてあげてよ? 優莉もかわいそうだけど、親御さんもかわいそうだよ。施設とかに入れられなくて、よかったじゃない?〉

〈なんで親の肩を持つの?〉

〈優莉もかわいそうだったね。よく頑張ったね。本当に、辛かったね〉

〈正樹は、この孤独と事実に、自分だったら耐えられる? あたしね、父親の苗字を名乗ってるけど、父親の方のご先祖様は、あたしのこと守ってくれてないからね。妹にかかりっきりで、あたしは血が繋がっていないから、見守ってくれてないみたいなの。母親の方のご先祖様のあたしの守護霊様は、早々に成仏してしまった。あたしの面倒を見るのが嫌だから。もう嫌になりました。さようならって言い残して。だから、あたしはいつも一人で何でもしなければならないの。辛いよ。でもあたしの本当の父親はきっと、愛情豊かに育てられた人なんだろうなっていう気がする。だから、愛情を求めるところや愛情を求める量がまっとうだし、歪んでない。いい人なんだと思ってる。それだけが、救いかな。あんなどうしようもない今の父親と血が繋がっていなくて、あたしは本当に良かったって思ってるよ。この話は、今までだれにもしたことがない話ね。これはあたしのご先祖様の霊を辿っていって話を聞いたりして、明らかになった話ね。親はきっと墓場の下までこの秘密を持っていくつもりなんだと思うよ。馬鹿だよね。本当のことを言えば、あたしがショックを受けるとでも思ってるのかな?〉

〈――優莉。ぼくはきみの心の居場所になるよ。きみの心の帰る場所になるよ。アドバイスもしてあげる。ぼくはきみのパートナーになってあげるよ。だから、もう、泣かなくていいんだよ〉

〈うん。――うん。正樹さん。ありがとう――〉



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