第105話 変な行動は大体気分
宙を舞う感覚と共に、視界に入っている、砂浜の上に立ち止まっているニアさんが離れていく。
「えっ?」
困惑していられるのも束の間。
不意に空中へ投げ出され、姿勢制御も受け身も出来ずに腕や服が砂を巻き上げながら数回転。
ニアさんが走っていた勢いをそのままで投げられたので、最初に地面に着いた地点からまあまあの距離を跳ねてゴロゴロ転がった。
「なんで…?」
「ごめんね。すっぽ抜けちゃって」
回転が止まり、熱い砂浜の上で寝転がった状態で衝撃に備えて無意識に瞑っていた目を開くと、既にニアさんが僕の傍に立っていて、立ち上がるのを補助できるように手を差し伸ばしてくれている。
伸ばしてくれた手を掴むと大きく引っ張りあげられ、自分の力を一切使わずに立ち上がれた。…というより、引っ張られる力が強かったからかちょっと浮いた。
「大丈夫?」
「はい…平気です」
降ろしてもらってから服についた砂を払い、ニアさんの方を向き直る。
怪我はしてないから問題ないというのを伝え、散歩を続ける。
気にしてないから抱えたかったら好きにしてくれてもいいとも言ったけど、僕は気にしてなくてもニアさんは気にしているのか、抱えてくる様子はない。
まあいいかと適当に雑談しながら砂浜を歩く。
「そういえばニアさんのAGIってどのくらいなんですか?」
「500くらい」
「500…?」
何の話だ…? いや、AGIの数値を聞いたんだからAGIの話か。
だとしても500ってどういう事だろうか。
レベルが1上がる毎に貰えるステータスポイントは30なのだから、17レベルくらいの全てのポイントを全振りした場合と同じ値になる。
しかしそれは全振りした場合である。エニグマがニアさんと戦って勝てないと言っていたし、極振りというのはあまり考えにくい。
でも相性が存在するみたいな感じのことも言ってたし、もしかしたら極振りも有り得るのかも…?
「今レベルいくつですか?」
「16かな」
16×30は…480。AGIの数値が500くらいと言っていて、100以内を誤差の範囲とすると多くても2、3レベル分のポイントを除いて全てAGIに割り振っている事になる。
ここまでくると極振りの方が有り得そうだ。
だけどこういうゲームって多分、極振りしとけば強くなるようなシステムにはなってない。
極振りが強いなら全員がそうするようになってしまう。でも現状はそうじゃないのだから、ある程度バランスは保てているんだろう。
それでも、ブランやニアさんのような1つのステータスにポイントをつぎ込んでいるプレイヤーが存在する。
存在できる理由はおそらく、システムで作られた平等の外にある能力、個人のプレイヤースキルだろう。
自分の体をどう動かすかという直感に近い部分だけでなく、戦術選択や記憶能力などの頭を使った部分もプレイヤースキルに含まれる。
そういったプレイヤースキルがある事を前提に存在する極振りのプレイヤーの1人が、今横で一緒に歩いているニアさんというわけだ。
ニアさんのレベルは僕よりも高く、エニグマからの評価も良い。
上手くやっているんだろうけど、AGIだけでどう立ち回っているのかは謎だ。
ブランはINT極振りで、魔法攻撃の殲滅力が高いから攻撃される前に倒すというプレイスタイルっぽい感じだった。
ニアさんの場合はAGI、つまり敏捷性だ。しかし速さだけに特化しても、敵を倒すというのには繋がらない。INTやSTRと違って攻撃力がないからだ。
じゃあどうやって敵を倒してるんだろうか。16レベルもあればかなりの数の敵を倒している筈なのだが。
「どうやって戦ってるんですか?」
攻撃力が無くても敵を倒せる方法があるなら、特殊な条件でなければ戦術として取り入れるのも──
「走って殴ってぶっ飛ばす」
…やばい、脳が筋肉で構成されてる人みたいな答えが出てきた。
「ふふ、冗談。モンスターやプレイヤーには弱点部位があるんだよ。そこを攻撃すると防御力を貫通したダメージを与えれるよ」
冗談か。ニアさんも冗談とか言うんだな。
それはそうと、いいことを聞いた。
弱点部位の概念は何となく分かる。首や頭を狙えばダメージが多く入るとかそういうあれだろう。
実際はダメージ増加ではなく防御貫通だった訳だが、どちらにせよ意識しておいて損はない要素だ。
まあ、僕が普段使う弓で弱点を正確に狙えるかという話は別として。
「それだけで勝てるものなんですか?」
「なんとかなる」
こういう高い難易度を常にこなしている人の言う「簡単だよ」とか「どうにでもなるよ」というのは、その人の目線からでしかなく、凡人にはとても難しいものばかりだ。
端的に言えば「できなくはないかもしれないけど難しい」。
最近は弓の命中精度も上がってきたとはいえ、動き回る対象の弱点部位に当てるのは難易度が高い。予測能力というか未来予知のレベルで敵の動きに合わせる必要がある。
ただし近接戦闘であればそれに限った話ではない。発射から着弾までにタイムラグがある遠距離攻撃よりかは幾分か当てやすいだろう。
「いや、それでも難しいか…」
****
話の流れでニアさんに戦闘面での相談をしていたら、いつの間にか砂浜を何往復かしていた。
いつまで歩いてるんだろうと気が付いたのは設置してあったパラソルの近くでUターンしてまた歩きだそうとした時である。
パラソルの下へ戻って休憩していると、午前中は元気がなかったアリスさんが元気そうに海に入っているのが見える。
アクアさんやエアリスさんと一緒に遊んで……いや、なんかカメラ持ってるな。撮影してるだけか。
そして僕が見た時は常にビーチベッドで寝ていたヒュプノスさんは、パラソルの下には居なくなっていた。
どこへ行ったのかと探してみると、海の上で浮き輪に乗ってプカプカと浮いている。
動いておらず、力を抜いていても落ちないように浮き輪に足と背中を乗せているので、おそらく寝ているんだろう。
「んーむ…」
いつ買ったか忘れたけど持ってたジュースを飲みながらゆっくりしていると、釣りを終えたのかアズマがこっちへ向かってくるのが見える。一緒に釣りをしていたクロスくんの姿は見えない。
「おつかれー。何か釣れた?」
「まあ何匹かは…」
「もうやめるの?」
「オレはエニグマじゃないんだから何時間も続けられないさ」
それにしては結構な時間釣りをしてたけど。朝にエニグマに連れられて海へ来た時には既に始めていたし、今終わったのだとしたら6時間くらいはやっている。
継続時間に関して言えば6時間もやっていたらエニグマだってやめそうなものだが。
「オレも泳いでくる」
「僕も行くよ」
このまま休んでいても暇なだけだ。ずっと休憩しているほど疲れてもいないので海へ入ろう。
海へ向かって進むアズマに追いつき、横に並びながらメニューを操作し水着に着替える。
「前はスルーしてたけど、なんでスクール水着なんだ?」
「露出少ないから」
「まあ確かに…」
ゲーム内だから溺れてもそこまで問題ないし、そもそも水中で息を止めていられる時間がスキルの影響で長くなっているから溺れることもあまりないので意義を感じられないけど、一応準備運動をする。
屈伸や伸脚など、学校でやるような準備運動を一通りやったらいざ海へ。
「海中で目開けても痛くないかな?」
「さっきエニグマがゴーグルなしで泳いでたから平気じゃないか?」
じゃあ平気か。エニグマが痛いのを我慢して泳いでない限りは大丈夫そうだ。
足の裏から足首、膝、太ももへと段々と水の感触が来る。少し冷たい。
沖の方へ進んでいくと、背が低いから横に並んでいるアズマが全然余裕そうな深さでも、僕からしたら足が着くか着かないかという深さになってしまう。
面倒だしそろそろ歩くのをやめて泳ごうかなというところで、アズマが急に叫び声を上げる。
「はぁっ?!」
「どうしたの?」
「なんか踏んだ!」
なんかって何さと思い、水中に潜ってアズマが立っている付近を観察してみる。
『水泳』スキルのおかげか、視界は随分クリアだ。水の外とそう変わらない程度には。
そしてアズマの足の近くには肌の色と赤髪が見える。人がうつ伏せの状態で止まっている。
「エニグマじゃない?」
赤髪という点からは他人である可能性も否めないが、こんな事をするのはエニグマ以外にはそういないだろう。これでエニグマじゃなかったら申し訳ない。
「何してるんだ…?」
「知らないけど…。引っ張りあげてみれば?」
そうしてみるかと呟いたアズマは、顔だけ水中へ突っ込んだ後、潜ってエニグマの腹部を両サイドから掴み、引っ張ってきた。
エニグマの顔を覗くと、目だけを動かしてこちらを見てくる。
「…何だ?」
「何してるのかなって」
「見ての通り潜伏中だ」
見ての通り…? いや、確かに偶然アズマが踏んだから気付いたし、踏まなかったらそのまま気付かずにスルーしてたと思うから隠密性はあるんだろう。
ただ、一目見て「あ、エニグマが潜伏してる!」とはならないし、潜伏中と聞いても尚、何故そうしているのかは分からない。
「なんで潜伏してたの?」
「気分」
だろうと思った。奇天烈な行動をする時のエニグマって何か考えてやる事もたまにはあるけど、大体は気分とか何となくといった理由ばっかりだ。
今回も例に漏れず気分でやっていたらしい。
「オレとリンは泳ぎに行くが、一緒に泳ぐか?」
「あ? あー、気が向いたらな」
「了解」
話が一段落ついたところで、アズマが掴んでいたエニグマを離し、エニグマはドボンと大きく水飛沫を上げながら水中へ戻された。
「そんな急に離して平気なの?」
「危なかったら上がってくる」
少し待ってみても、上がってくる気配はない。アズマの言った事が正しければ上がってこないなら平気なのだろう。
念の為、無事かどうかを潜って確認すると、先程と同じようにうつ伏せで地面に張り付いていた。どうやら心配の必要はなさそうだ。
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