第3話 不親切なゴールテープ


「凛兄、起きてる?」


 またしても真白の声によって目を覚ます。スマホの電源ボタンを軽く押して時間を確認すると11時42分。時間帯で考えると昼食で呼びに来てくれたのだろうか。


「入るよー?」


 ドアを開けるために立ち上がろうとしていると、真白が入るよと言いながら許可を待つことなくドアを開けて入ってくる。

 真白の手には見覚えのあるロゴが描かれた袋がある。真白が持っている服のいくつかも、あのロゴの店で買ったものだったはずだ。


 残念ながら昼食で呼びに来てくれたわけではなようだ。むしろ洋服店のロゴが描かれた袋を持っているのを考えると、嫌な予感しかしない。


「買ってきたよ」


「えぇ…やっぱりそれ着なきゃダメ?」


「ダメ。可愛いんだからオシャレしないと」


 何とか言い訳して逃れようとしたが、有無を言わさず袋から服を取り出して渡してくる。


「ズボンで良かった…」


 てっきりスカートを履かせられると思ったがそうでもないらしい。袋の奥に見える可愛らしいヒラヒラした布は僕のじゃないと信じよう。


「スカートもあるよ?」


 凄いね、的確に僕の心を壊しに来るね。


「ひどい…」


「酷くないよ。可愛い服を着るのは可愛い女の子の義務なんだよ?」


「そんな義務聞いた事ないし…」


 結局、兄さんに呼ばれるまで渡される服を着て、また別の服を渡されて…と繰り返していった。





「可愛らしい服を着ているね」


 降りてきて僕の姿を見た兄さんの開口一番に言った言葉。可愛いって言われて喜ぶ人間じゃないけど、兄さんはそういうのは考えずに思ったことを口にしてるだけだろうから反応に困る。

 ここで「嫌味?」とか言って困らせるのも気が引ける。


「お父さんとお母さんは何か言ってた?」


「なるべく早く戻れるようにはするけど暫くは無理だって」


「そっか」


 お父さんの仕事で海外に行って、それにお母さんも着いて行った。僕が中学に入学した年、つまり3年前に。何の仕事なのかは知らないが、兄さん曰く生活費云々は振り込んでくれてるらしい。


「服の確認も終わったし、今日はゆっくりして明日からFFやり込むかな」


「え? まだ一杯あるよ?」


 なんでそんな「何言ってるの?」みたいな声音と顔で言ってくるの? 買ってきた袋に入ってた服は全部着たよ?


「凛兄の部屋に持っていったのは一部だし、今の凛兄小さいから私の昔の服も着れるよ」


「いや真白の服は着ないよ。そのために買ってきてもらったんだし」


 だとしてもまだまだ沢山あるというのか。2、3袋で1時間かかったのに…僕が解放されるのは何時になるんだろうな。









****







 昨日は疲れた。まさかずっと真白の着せ替え人形になるとは思ってなかったし、着ることすら難しい服も何個かあったし。


 だがそれはもう終わった。そして今日からFFの正式サービスが開始する。

 実に楽しみだ。まだ開始時間である10時の1時間半も前だというのに異常にテンションが高いくらい楽しみである。

 というか、楽しみだったのは2日前、もっといえば兄さんがFFとヘッドギアを買ってくれた事が判明した3日前からずっと楽しみだった。


「っと、先に言っておかないと」


 智樹と裕哉には僕が何故か女の子になってしまったという事は言ってないので、SNSで招待された僕を含めて3人の「FF」というグループで「何でか分からないけど女の子になったからよろしく」と言うだけ言っておく。


 関係が壊れるという恐怖はあるが、だからといって言わない訳にもいかないだろう。妹を使ってからかわれてると勘違いされて遊べなくても困る。



 そういえばヘッドギア自体の設定をしてない。FFのダウンロードはしたのだが本体設定は疎か一度も被って起動させてないのでは。

 ヘッドギアを被った記憶がないということはそういう事だろう。そこで時間を取られて遅れて始めるというのも嫌なので設定しておこう。


 付属の枕を置いてヘッドギアを被り、枕にフィットするように頭を持っていく。

 ここから起動ボタンを押すとヘッドギアが起動して、その後にVR空間へ移動するか聞かれるらしい。


「えっと、これかな?」


 見えてないので手探りだがボタンらしき凹みを手で感じ取ったのでそれを押し込む。


『VRホームへの移動を開始します。よろしいですか?』


「……はい」


 YESとかNOの選択肢が現れるのかと思っていたけど何も出てこないので返事をしてみる。

 目を閉じて、次に目を開けると知らない天井、というか空?

 付けていたヘッドギアがないし、自分の手を見ようとしても手がない。鏡がないので分からないが、恐らく僕自身が見えなくなっている。


「ここは…」


『VRホームへようこそ。まずあなたのアバターを作成しましょう。そのために体をスキャンします。よろしいですか?』


「あ、はい」


 姿のない声に返事をすると体があると思われる部分が光り、腕や足、髪など体が出てきた。

 服も再現されるようで、着ていた寝間着をこのVR空間でも同様に着ている。


『各項目の設定を変更してください。身長やパーツは大きく変えることはできません』


 何かのメニューがズラっと並んで出てくる。顔のパーツや髪の色、目の色なども変更できるようだ。文字通りアバターなのか。

 真白と似た顔で可愛いので特に変える必要はなさそうだ。というより、この手のキャラメイクは才能がないのか少し弄っただけでおかしくなってしまうから弄らない方が良いだろう。

 髪色は自分の性癖…もとい、好みに合わせて銀色にしておく。目の色は銀髪というのを考慮すると青か赤なのだが……赤にしておこう。


「設定完了です」


『では登録致します。体を動かしてみて違和感などはありませんか?』


 屈伸したり飛び跳ねたり、走ったりしてみるが違和感というのはない。そもそも女の子の体になったから違和感しかないのだが思うように動かないとかそういったのはないかな。


「ないですね」


『基本設定を終了します。現実世界へ戻るにはメニューからログアウトを選択してください』


 声が聞こえなくなると、ウィンドウのような物が現れてチュートリアルを進めてくれる。

 メニューを開くのは念じるだけで可能だとか、SNS連携サービスでVR空間内でも通知が来るように設定したりだとかをして進めていると、最後に体を動かしてみようというチュートリアルが始まった。


【50mを走ってみましょう】


 立っている所から白線が引かれ、奥を見るとゴールテープが浮いている。白線を越えないように構えて待つが、何もない。スタートの合図とかはないらしい。

 自分で「よーいドン」と呟いて走り出し、ゴールテープへ近付く。50mなんて走ればすぐなので、スピードを落とさないようにゴールテープを突っ切ろうとしたがそうは行かなかった。


「ぶべっ」


 ゴールテープを切ろうとしたが、ゴムのような感じで跳ね返されて地面に叩きつけられた。何と不親切なチュートリアルなのだ。


【お疲れ様です】


「キレそう」








 不親切なゴールテープのチュートリアルから数分、【お疲れ様です】と表示されたウィンドウを殴り飛ばしたら現れなくなったので、メニューから設定を開き、項目を確認して閉じてを繰り返していた。



 その中に「時間加速」という設定があった。

 どうやら現実世界よりも早く時が流れるように設定できるらしい。2倍にすれば現実の1時間が2時間に、4倍にすれば4時間になる。

 ただし、5倍以上にすると負担が大きくなりすぎて危険なので4倍まで。4倍でも通常の4倍活動できるが4倍疲れるので、あまり長時間のプレイは推奨されない。


 あと時間加速設定が適用されるのはここ、ほとんど何もないVRホームと呼ばれる空間と個人用ゲーム、それも対応した物のみらしい。

 僕がやろうとしてるFFみたいなオンラインゲームは、ゲームの運営側が一律で決めるとのことなので、変更することなく閉じた。


 今は大体9時半。思ったよりチュートリアルや設定に時間を使ってしまった。だが先に気付いて良かったという考え方もある。サービス開始が10時からなのに危うく11時に始める事になるところだった。

 最終確認のために一旦ログアウトしよう。メニューを開いて1番下にあるログアウトを選択し、目を閉じて次に目を開けるとバイザー越しに自分の部屋の天井が見える。


「凄いなこれ」


 今までVRに触れてこなかったのもあり、その技術には驚かされてばかりだ。どういうプログラムなのか微塵も分からないのも多い。


 さて、やるべき事は最終確認。

 昼食にはまだ早いしお腹は空いてないからこれはヨシ。裕哉と智樹からは何件かメッセージが届いているがゲーム内で会って話した方が早いとだけ伝えてスマホを置いておく。

 特に思い付かないので先程、ゲーム内で確認した「音声認識機能を使ってVRホームに移動しなくても直接ゲームを起動できる」という機能を試してみよう。


「FFを起動」


『Fictive Faerieを起動します。よろしいですか?』


「はい」


 どうやら略称や通称でも起動できるらしい。これはゲーム側がそういう設定にしているのかな?


 VRホームとは違い、真っ白な空間に木の看板みたいなウィンドウが浮いている。


【サービス開始は7月22日午前10時からです】


 メニューを開いてみるが、ウィンドウの様に木製になってたりはしなかった。


 機能の確認もできたし、ログアウトしておこう。

 メニューのログアウトを押すが、『VRホームへ移動』と『現実世界へ戻る』の二つがある。VRホームに行くときに何かあるかもしれないので移動してみる。


 すると真っ白な空間が剥がれ落ちるようになくなっていき、それ全て剥がれるとVRホームに戻ってきた。

 それ以外は特に何もないようで、先ほど殴り飛ばしたウィンドウが地面に突き刺さっているくらいしか特徴のない空間で立っている。いつ消えるんだあのウィンドウ。


 まあいいかとログアウト…の前に。

 設定に許可の省略というのがあったのを思い出す。これは音声認識とかでVRホームを介さずに起動するときに「よろしいですか」と聞かれるのを省略できる。

 もちろん確認が必要な場面は必ずあるので、項目は細分化されている。今回は「ゲーム起動時」のものだけ許可の省略をオンにしておく。


「んじゃログアウト」


『ログアウトを実行します。よろしいですか?』


「あ、やっぱキャンセルで」


 ログアウトにも反応するのかこれ。


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