第2話 目が覚めたら


 一学期最終日。要は夏休み前最後の登校日。


 兄さんにゲームを買ってもらえてサービス開始の瞬間からプレイできると分かった僕は、爆上がりのテンションのまま夏休みの課題を夏休みに入ってないにも関わらず全て終わらせ今日に至る。


「よかったな~」


「今日それしか言わないな」


「そりゃそうでしょ! あんな面白そうなゲームを始まりの時からできるんだよ! いやー楽しみだなー!」


 暑苦しい体育館での終業式を終え、夏休みの過ごし方とかいうどうでもいいプリントなどを配られると放課後になった。

 現在時刻は11時18分。智樹と裕哉と一緒に歩きながら帰っているところだ。


「体育館クソ暑かったな。窓開けても大して変わんねえしつまんねえ話ばっかなんだから放送でやりゃいいのにな」


「まあまあ」


 裕哉は暑いのが苦手なので体育館で終業式を行ったことにとても不満らしい。下校中なのに未だに文句が口からダラダラと溢れているのを智樹が宥めている。


「明日から夏休みだしさ、FFもあるしそれは一旦忘れようぜ」


「いや~楽しみ~」


「マジでそれしか言わねぇな」


 兎に角、夏休みに入ったからもう一か月くらいは学校に行かなくて済むということだ。

 そもそも外に出る用事もないし智樹や裕哉と遊ぶにしてもVRならゲーム内で会えるし、おそらくずっと家に居ることになる。


「筋肉衰えて歩けなくなりそう」


「流石に大丈夫だろ。ずっと寝てるわけじゃないんだし、最低限はな。夏休み明けの体育で死ぬかもしれんが」


「十中八九」


「夏休み終わる前に集まって運動しに行くか」


「だなー」


 そんなこんなで裕哉達とも別れ、家にたどり着く。この玄関を通った瞬間からもう夏休みだ。一歩進む毎に顔がにやけてくる。


「ただいまー」


 今日は鍵がかかっていたので誰も居ないのだろう。真白より早く帰ってきたのは珍しいかな。

 制服を脱いでタンスから適当に涼しい服を取って着る。無地のTシャツって何も考えてない感じでいいな。


「えっと、これをここに挿して…このボタンか」


 今の内にFFのダウンロードを済ませておく。ゲーム自体はメンテナンス中と表示されてできないらしいが、ダウンロードを先に済ませておくことは可能というのを裕哉に教えてもらったので実行中というわけだ。

 周辺機器というのはないが、寝てやるゲームなのでヘッドギアに合わせて調整された枕が同梱されていたのでそれに頭を置いてみるがあまり合わない。ヘッドギアを付けていることが前提だろうからそれもそうか。


「やることは特にないかな」


 独り言を零しても何も思いつかないのでとりあえずリビングに行こうと階段を下りる。

 こういう暇なときは情報収集でもしておけばゲームを始めたときに楽しめることが増えるかもしれない。情報といえば掲示板はチラッと覗いただけで詳しく調べてないからちょうどいいのではないだろうか。


「ん、何だろうこれ」


 冷蔵庫にあるカフェオレを取ろうとすると何かの瓶が目に入った。

 置いてあるのは自分が入れた物以外飲んだり食べたりしてもいい、と決められているところではないので誰が飲んでもいいのだろうか。


 瓶を見ると反対側に剥がれかけのラベルがある。

 大きく「S」の文字があり、その下にSに比べると少し小さめの「ド」と続いているが、ラベルが破られていて続きは読めない。キャップにはよく分からないロゴがあるけど、これは多分知らないと読めないロゴだ。


 パッと見た感じは栄養ドリンクとかそういった類のものだろうか。置いてあった場所のこともあるし飲んでも文句は言われないと思う。


「…多分」


 仮に兄さんか真白が飲むつもりだったとしても禁止エリアをわざわざ設定しているのだからそこに入れてないのが悪いのだ。

 キャップを回して開封すると、プシュッと炭酸っぽい音が鳴る。

 躊躇うことなく飲むとイチゴっぽい味がする。僕が好きな味だから特に抵抗なく全部飲めた。普通に美味しいし今度コンビニとかでそれらしい物があったら買うのもありだな。


「錬金術のこと書いてあるのないかな」


 瓶を置いてスマホで公式サイトの掲示板を開く。

 スレッドのタイトルを一つずつ読んでいくが、「錬金術」が入ったものは見当たらない。仕方なくワード検索で錬金術を検索するが、これでヒットしたスレッドは4つ。もしかすると錬金術は僕が思っている以上に人気がないのかもしれない。

 しかし人数が少ないだけで居ないわけではなさそうだ。まあ自分でやって本気で無理だと感じるまで誰に何を言われようと、僕以外に居なくてもやるつもりだけども。



 情報を集めようとしてもネタバレは嫌だな。錬金術は探求も楽しむべき要素ではないかと期待しているのでここでネタバレを食らうのは…いやでも…。


 数分間悩んだ結果、どのスレッドもネタバレはありそうなタイトルなので見ないことにした。それになんだか眠くなってきた。

 明日から夏休みだし、昼夜逆転しても支障はないから部屋に戻って昼寝しよう。昼食になったら真白か兄さんが起こしてくれるだろうし。





****





「凛兄~、起きてるー?」


 真白の声が聞こえる。目を覚ますと見慣れた天井。ぼんやりと時計を見ると短針が下を向いてる。どうやらかなりの時間寝てしまったらしい。これは夜寝れなくて深夜までゲームしてるやつだな。


「凛兄寝てるのー?」


 またしても聞こえる真白の声。今回はドアをノックする音も増えた。

 寝起きで怠い体をもそもそと動かして立ち上がり、ドアを開ける。姿勢が悪いのか目線が低いし真白が大きく見えるな。


「どうしたの…? 晩御飯?」


 喉に違和感がある。いつもより声がずっと高い。体も怠いし昨日はしゃぎすぎて風邪でも引いたかな。FFのサービスが開始するまでに治したいところだ。


「えっと、凛兄の…彼女、さん?」


 何を言っているんだろうかこの子は。モテない僕に対する嫌味か?そろそろ直球で「嫌い!」とか言うような年なのかな、悲しいなあ。


「僕に彼女ができるとでも? …それより真白、風邪薬って、あったっけ」


 僕の質問に真白が答えることはなく、何か考える素振りをした後、おもむろに手を伸ばしてきた。

 今は熱を測られる必要もなく風邪だと検討がついているので真白の手を払うが、執拗に触ろうとしてくる。


――ムニッ。


「ムニ?」


 なんだか身に覚えのない感覚。真白から伸ばされた腕は僕の胸のあたりにある。


 …つまり、今のは僕の?


「なんだこれ」


「やっぱり、凛兄?」


 やっぱりとは。僕はずっと僕だ。それ以外になる方法はないし、なる必要もない。


 無意識に駆け出した。体の怠さなんて無視して階段を何段か飛ばして降り、洗面台に向かう。


「なんだこれ。なんなんだ…」


 洗面台にある鏡に映ったのは、妹の真白に似た誰か。真白を置き去りにして駆け下りてきたから、この場に真白は居ない。

 それに、僕が動くのに合わせて鏡に映った「誰か」も動く。左右対称の動き。鏡に映っている証拠だ。

 視線が低いのも、周りの物を指標にすれば鏡に映る人物と同じくらいの目線だと思われる。


「…夢、じゃなさそうだよね」


 この倦怠感も、階段を駆け下りた時に転びかけた足の痛みも、実際に感じた、いつもと変わらない感覚。それに、夢であるならばここまではっきりと考えることはできない。


「はは…」


 乾いた笑いが洗面台で消えていく。








 それから、僕の代わりに状況を説明してくれた真白と、それを聞いた兄さんによって「緊急家族会議」が開かれた。

 一人用の小さいソファに僕が座り、それに向かい合うように大きいソファに真白と兄さんが座っている。


「本当に凛…なんだよね?」


「うん…信じられないかもしれないけど僕だよ」


「そうか…」


 自分でもまだ信じられないのに兄さんに信じてもらえるのだろうかとも思ったが、真白はちゃんと分かっているようなので最悪は真白に説明をもう一度してもらって…


「じゃあどうしようか」


 案外あっさり信じた。適応力がすごいな。


「凛兄、なんか心当たりとかないの?」


 ここ最近の記憶を掘り返すけど特に何も思い当たらない。落ちてるものを食べた記憶もないし変な人に何か貰ったということもなかった。


「んー。ないかな」


「…どうしたい?」


「戸籍の性別って変えられるの?」


「凛だと年齢が足りないかな」


 病院行ったら何されるか分からないし…。こういった場合にどうすれば良いのかの知識がない。ある方がおかしいけど。


「…えっと、保留で」


「分かった。経過次第で病院とか行こうか。父さんと母さんには連絡しておくよ」


「ありがと…」


「そんな感じかな、じゃあ解散で」


「ちょっと待って」


 スマホを持って立ち上がろうとした兄さんを引き留めるように真白が兄さんの服を掴んでいる。


「凛兄の服をどうするか決めてない」


 服。確かにサイズは変わったけど大は小を兼ねるというから大きいので構わないのだけど。別に服が消滅したわけでもないんだし。


「俺はそういうの分からないからな…。お金は渡すから真白が買ってあげて」


「分かった! じゃあ今日は私の貸してあげる」


「服は別によくない? 自分のあるよ」


「下着はないでしょ? だから貸してあげる」


 そう言って階段を上って行った。下着ってなんだ。つまり、その…パンツとか?


「連絡してくるよ、頑張ってね」


 待ってくれ兄さん、僕を一人にしないでくれ。今一人になったら真白に何されるか分からないんだ。妹のパンツを履くような変態になりたくない。


「持ってきたよ。あれ? 耕兄は?」


「お父さん達に連絡するってさ。さてと、じゃあ僕もなんか疲れちゃったし寝ようかな」


「駄目だよ凛兄」


 真白に腕を掴まれる。振っても剥がそうとしても離れる気配がない。握力強くない…?


「ほら、これ履いて」


「やめて僕は妹のパンツを履く変態にはなりたくないんだ! あっやめっ、力強くない!?」


 足を閉じても、真白の腕力によってこじ開けられる。もしかしてこの場合、真白が強いんじゃなくて僕が極端に弱い…?

 必死に抵抗しても既に真白が持ってるパンツは僕の足を通されているし、このままでは本当に変態に…







****









「はっ!」


 目を覚ますと見慣れた天井。ぼんやりと時計を見ると短針がやや下向き、これから上がっていこうという所だ。

 明かりを点けていないにも関わらず窓から入ってくる陽の光によって部屋は十分に明るい。


「夢か…」


 そうだよな、女の子になるなんて意味わからないし僕が妹のパンツを履くなんてありえない。思えば夢の真白の力が強かったのも夢特有の理不尽さというか、まあそういった部分だろう。


 ベッドから立とうとすると強い違和感を感じた。いつもの寝間着より若干動きにくい服と、自分のとは思えない長い髪。それに夢と同じで目線が低い。猫背気味の背中をグイ―っと伸ばしても目線は高くならない。


「まさか…」


 恐る恐るスマホのカメラを起動し、内側のカメラに切り替えて自分を映す。


 そこには昨日鏡で見た真白に似た、女の子になった僕が映っていた。


「夢じゃないじゃん!」


 スマホをベッドに放り投げ、それに追従するように僕もベッドに寝転ぶ。

 現実逃避だ。二度寝しよう。起きたら男に戻ってることを願おう…。


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