第27話 差し入れ

 スマホを見て、狙い通りの時間に戻ってこられたことに安堵する。

 時刻は深夜の零時前を指している。

 瞼が重いし、バンガローの弱い明かりですら目に痛い。そういえば、徹夜明けなんだよな。

 主観的には一眠りした後だからなんだか妙な気分だ。

 さて、陸奥さんを助けるための行動を始めよう。

 俺はスマホの電話帳を呼び出し、笹篠のスマホにかける。


『もしもし?』

「笹篠? 夜遅くにごめん。白杉だけど」

『謝らなくていいわよ。むしろ、夏休みに入ってから今の今まで連絡一つ寄越さなかったことを詫びなさい。……寂しかったんだからね?』

「ごめんなさい」


 本格的にいろいろありまして。現在進行形だけど。


『それで、どうしたのよ? ラスボスな松瀬さんから連絡があって、そのキャンプ場で事件が起きたことは聞いたわ。差し入れ、持って行ってもいいのかしら?』

「うん、その件なんだけど、お金を出すからさ、大目に買ってきてくれないかな。大体、二十人分」

『二十っ!? ……現地妻にしては多すぎない? そこまでいったらもう、怒ることすらできないわ。距離を置くわよ』

「待って! 現地妻って何!?」


 しかも二十人は恐ろしすぎる。二股男扱いされるだけで視線が痛い小心者の俺にどんな疑いをかけているのかと。


「現地妻なんかじゃないって。キャンプ場を練習場所にしていた吹奏楽部がいてさ。ただ、今回の事件で向こうもナイーブになってるだろうから心配で。差し入れしたいんだ。事件の影響であまり外にも出られないだろうし」

『ふーん。可愛い子?』

「迅堂の中学時代の同級生が一人。迅堂に差し入れに行ってもらうつもり。俺はキャンプ場の閉鎖の準備があるからさ。まぁ、別れの挨拶と再会の約束を迅堂にさせた方がいいっていうのもある」


 事情を説明すると、笹篠はしばしの思案の後で了承してくれた。


『いいわ。二十人分、買って行ってあげるわよ。重い荷物を背負って、キャンプ場まで行ってあげるわよ』

「あ、そうだよな。二十人分は普通に重いか。ご当地お菓子だけでいいよ。キャンプ場で売ってるお菓子を買って、迅堂に持たせるから」

『ねぇ、白杉。私、白杉とついでに迅堂さんを労いに行くのよ。配達屋じゃないの。わかるかしら?』

「本当にごめん。埋め合わせもするから、お願いします」


 スマホを耳に当てたまま頭を下げる。ジャップペッカースタイルで頼み込むと、ため息が聞こえてきた。


『まぁいいわ。白杉がそこまで気を利かせるってことは、迅堂さんとその中学時代の友達に何かしら問題があって、仲直りでもさせたいんでしょう? 迅堂さんを追い出して白杉と二人きりのキャンプ場も悪くないし、乗ったわ。でも、埋め合わせはしてもらうから』

「ありがとう」


 そして今から埋め合わせが怖い。ついでに言うと、キャンプ場に二人きりではなく、斎田さんがいるけどね。

 笹篠の協力を取り付けて、俺はほっと一安心する。


 そのまま笹篠と近況報告と雑談を交えて、午前一時前に通話を切った。

 そのままスマホを見つめること数分、『ラビット』が起動する。


 画面上に表示されたバニーガール姿の少女アバターは両手を筒状にして目に当て、ぐるりと周囲を見回すような動作をしながら口を開く。


『ヤッホーこんにちこんばんは! ラビットちゃんが深夜一時をお知らせだい! そこな未来人、おやすみちゃん! なお、このセリフは四月の三日に登録済みじゃよ。二人っきりで焼けるね~。後は任せたぜ!』


 万歳しながら体を左右に振って、『ラビット』は唐突に停止した。

 やはり、ただ決められた台詞を流すだけか。海空姉さんからアプローチがあるわけでもない。


 犯人が今も犯行の時を狙っている以上、もしかするとこのセリフを聞かせて『シュレーディンガーのチェシャ猫』を使って排除しろってことなのか?

 海空姉さんは犯人を知っている?

 もしそうなら、俺に教えてくれてもよさそうなものだけど。

 俺に教えることで、犯人の動きが変わって排除できなくなるのを恐れているのか?


 海空姉さんの考えは分からないけど、現状、このセリフが完全に不発になっているのは確かだ。

 もしかすると、事態を根本的に解決するにはもっと前の時間軸からやり直すべきなのかもしれない。


「でも、俺も迅堂も生きてるんだよなぁ」


 小品田さんを救えということか?

 犯人を捕まえなくてはやはり事態は改善しないのか?

 もう、マジで意味が分からん。犯人に関する情報が少なすぎるんだよ!

 ともかく、明日に備えて今は寝よう。犯人側の動きはある程度は分かっているんだから。

 俺は迅堂を起こして見張りを交替し、眠りについた。



 翌朝、瞼を開けたら迅堂が顔を覗き込んでいた。


「おはようございます、先輩。無防備だと案外可愛い寝顔ですよね」

「目覚めた今はワイルドイケメン風三枚目だけどな」

「寝起きのジョークはやっぱりキレがないですね」

「三枚目ともなると刃が鈍るんだ」


 馬鹿なことを言いつつ、体を起こす。


「迅堂、今日、笹篠が差し入れを持ってくることになってるんだ」

「差し入れですか? もう、私たちも撤収ですよ?」

「まぁな。それで提案なんだけど、今回の事件で吹奏楽部の方にも嫌な空気が漂ってると思うんだよ。管理小屋で菓子を買って、持って行ってくれ。ついでに陸奥さんと話して来いよ。今日で帰るって、向こうは知らないだろ?」

「あぁ、なるほどです。どうせ、今日は最低限の撤収作業だけですし、時間もありますね。先輩も一緒に来ますか?」

「いや、笹篠にキャンプ場を案内するよ。斎田さんに車を出してもらうと良い」


 俺は寝袋から起き出す。迅堂が目覚めのキスを要求してきたのでデコピンをしておいた。


「痛いんですけどー」

「目が覚めたろ」

「頭が痛い現実です」


 額を押さえつつ不満そうな顔の迅堂をせかして、撤収準備に移る。

 荷物を畳んでいると、斎田さんがバンガローに訪ねてきた。


「荷物をまとめてるのかい? なら、それが終わったらバンガローの掃除を頼めるかな」

「分かりました。それと少し相談があるんですけど」


 吹奏楽部への差し入れについて話すと斎田さんはすぐに頷いて嬉しそうな顔をした。


「もちろんいいとも。休業するから売り物をどうしようかと思ってたんだ。菓子パンなんかも持っていくといい。酒類は消防団に寄付が決まっているから手を出さないようね」

「向こうも高校生ですよ。酒は持っていきませんって」


 笑いながら機嫌よく去っていく斎田さんを見て、迅堂が俺の手を取る。


「先輩、それじゃあ、ちょっと行ってきます。笹篠先輩は?」

「そろそろ到着するはずだ」


 昨夜、雑談中にキャンプ場へはタクシーで来るように言っておいたから近くを殺人鬼がうろついていてもおそらくは大丈夫。

 それでもやはり心配で、キャンプ場の入り口を見た時、ちょうど一台のタクシーが入ってきた。

 無事に到着したらしい。

 迅堂が髪を手櫛で整えて、何やら気合を入れなおした。


「戦闘開始ですね。金髪美人なんかに迅堂春は負けませんよ」

「いやいや、差し入れに来てくれてんだから、喧嘩は売るなよ」


 タクシーから降りた笹篠の下へと向かう。

 料金は俺が立て替えておこう。こんな危険地帯に呼び出したのは俺なんだし。

 笹篠が俺と迅堂を見てふっとシニカルに笑った。金髪美人だからなのか、そんな仕草がやたらと似合う。


「その距離感、一線は越えてないわね。白杉が奥手でよかったわ」


 二週間ぶりに会って、開口一番それっすか。

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