第26話 袋小路の十三日

 バンガローの一室で服を折りたたんでいると迅堂が部屋に入ってきた。


「帰りの用意できました」

「斎田さんに言いなよ」


 俺に言われてもね。


 十三日の昼過ぎ、俺と迅堂は斎田さんの車で帰宅することになった。

 いまだ事件は起きず、昨夜の『ラビット』の台詞が意味するところも不明なままだ。とはいえ、仮眠を取ったこともあって冷静になった今、あのセリフの有効な利用方法も推測できている。


 あのセリフは、俺を殺してスマホ、『ラビット』を奪った未来人への罠だったのではないだろうか。

 仮にこの予測が当たっているのなら、『ラビット』の台詞が出た時点で事件が俺の身に降りかかることはないと言えるのだが、気がかりなこともある。


 本来は今日のうちに笹篠がキャンプ場に訪ねてくる予定だった。笹篠が介入日に選ぶくらいだから、何らかの事件や事故が起きそうなものだ。

 身構えていたものの、こうして十三日の夕方を迎えたのだから世界線のずれにより介入の必要がなくなったのだろう。

 つまり、『ラビット』にあのセリフを設定した当時に推測していた状況と今の状況が異なっている。


 この世界線は果たして“正解”の世界線なのか?

 小品田さんが生きている世界線があったんじゃないのか?

 あぁ、また益体もないことを考えてしまった。

 足音が聞こえてきて、俺の横に迅堂がしゃがみ込む。


「先輩、服を畳むのを手伝うので使い古しのタオルをもらえますよね」

「お小遣いをねだるようにタオルを狙うな。やらねぇよ」

「仕方がありませんね。なら、手ぬぐいで手を打ちましょう」

「妥協してないだろ」


 冗談を交えつつも迅堂も服を畳んでくれる。


「大学生さんたちはもう出発しました。私たちがいなくなったらキャンプ場は無人ですね」

「そうなるだろうな」


 もう警察も引き上げているし、ただでさえ広いキャンプ場は余計に寂しくなった。ひぐらしの鳴き声がさらに哀愁を誘っている。

 荷物を畳み終えて、カバンに収めた俺は立ち上がった。


「バンガローの前に車を停めてあるんだよな?」


 さっきエンジン音がしたから、斎田さんが気を利かせてくれたんだと思うけど。


「さぁ? でも、斎田さんが入って来てませんよね? 車で待ってるんですかね?」


 言われてみれば、声をかけてきてもよさそうなものだ。バンガローの出入り口は一か所だから、出てきた時に声をかければ済むけど。

 荷物を抱えてバンガローを出ると、斎田さんの乗用車が後部座席のドアを開けはなった状態で停まっていた。蚊よけのスプレーを車内に散布していた斎田さんが俺たちを振り返る。


「あぁ、ちょっと待っててね。中に蚊が入っていて、いま追い出してるところだから」


 それで声をかけてこなかったのか。

 バンガローの鍵を閉めて、蚊を追い出した直後の車に荷物を積み込む。


「お祭りは残念ですけど、気分じゃないですし、帰りましょ」

「そもそも、お祭りも中止じゃないのか?」

「犯行に使われたのがお祭りの燃料ですもんね。やっぱり中止ですかね」


 話しながら車に乗り込み、斎田さんが運転席に座った。

 車が動き出す。いろいろとあったキャンプ場を後にして、公道に車が入った直後、道路上を走ってくる見知った顔を見つけた。


「あれ、美滋田さん?」


 吹奏楽部の顧問、美滋田さんだ。

 何か緊急なのか、全力で走ってきている。


「なんだろう」


 斎田さんが不思議そうな顔で車を路肩に停止させ、窓から顔を出した。


「顧問さん、どうしたんです? 急ぎなら、送りましょうか?」

「あ、キャンプ場の! こっちにうちの部の子は来てませんか? 個別練習の場所がここのはずなんですが」


 俺は迅堂と顔を見合わせ、即座に車を降りた。

 美滋田さんが俺たちを見て、車の中をちらりと確認する。他に誰も乗っていないと知り、当てが外れて道に迷ったような不安そうな顔をした。


「我が部の陸奥が訪ねてきませんでしたか? 十時頃に旅館を出たきり、戻ってこなくて」

「陸奥さんですか? 来てないですよ。迅堂、見たか?」

「見てないです。斎田さん、売り場には来ましたか?」

「来てないね。スマホは?」

「何度もかけていますが、連絡がつきません。部費でお菓子類の買い出しに出たので、こちらか、スーパーではないかと思い、スーパーには部長と副部長を向かわせています――あ、すみません、電話が」


 美滋田さんがポケットからスマホを取り出して耳に当て、険しい顔で二言三言言葉を交わすと首を横に振る。


「スーパーにも来ていなかったようです」

「焼殺事件のこともある。警察へ連絡しましょう」


 斎田さんが有無を言わせず美滋田さんに言い含め、警察へ連絡させる。

 俺と迅堂を見た斎田さんはわずかに悩むような素振りをしたが、意を決して口を開く。


「状況が状況だ。帰るのは後回し。もしかしたらその、陸奥さんとやらがこちらに来るかもしれない。二人は管理小屋にいてくれ。鍵を渡しておく。私は顧問さんを旅館へ送るから」

「分かりました。もしも、陸奥さんが尋ねてきたら旅館の方に連絡します」


 車を降りて斎田さんと美滋田さんを見送った俺は迅堂と一緒にキャンプ場へ歩き出す。


「……どうなってるんだよ」

「頭が痛いです」


 迅堂がこめかみを人差し指でぐりぐりと刺激する。


「こんな状況は初めてです。肝試しの夜を越えたら、吹奏楽部は完全に蚊帳の外だったはずなのに」

「まだ事件に巻き込まれたとは限らないが、火の玉は深夜二時以降に出るはずだよな」


 まだ日が出ている今の段階で動き出すのが不思議だ。小品田さんを殺したことで、時間を選ばなくなったのか?


「……犯人を捕まえないと、安心できないですね」

「この山から俺たちを追いかけてくるってことか?」


 考えられない話ではない。

 笹篠は水族館で言っていた。

 俺や迅堂、海空姉さんが次々と自殺したと。

 犯人が俺たちの町まで追いかけてきて俺たちを殺すとしたら、きっと自殺として処理される。

 一連の事件はキャンプ場バイトの夏だけで終わるものではないのかもしれない。


「ひとまず、陸奥さんを待とう。ただ道に迷っているだけかもしれないんだし」


 気休めだと自分でも思う。

 管理小屋でひたすら待つこと三時間。すでに日が落ちて外も暗くなってきたころ、ぞろぞろとキャンプ場に人が入ってきた。

 売り場の窓から確認し、そこに斎田さんや消防団の大石さんを見つけて、俺は迅堂と共に管理小屋を出る。


「見つかりましたか?」

「二人は無事だったか」


 俺の質問に答えず、俺と迅堂を見てほっとした様子の大石さんは言いにくそうに視線を逸らす。


「ひとまず、ここを出よう。斎田さんの車に乗ってくれ。消防団はこのまま山を巡回だ」


 大石さんはそう言って、俺たちと斎田さんを残してキャンプ場を出ていく。

 嫌な予感に口を閉ざした迅堂が俺の服の裾を握った。

 俺は斎田さんを見る。

 斎田さんは苦い顔をしていた。


「旅館とキャンプ場の間の道を逸れた森の中で見つかったよ。首を絞められ、枯葉を被せられて焼かれていた」


 覚悟はしていたが、やはりそうなったか。

 俺はちらりと迅堂を見てから、斎田さんに頭を下げる。


「すみません。迅堂が落ち着くまで管理小屋にいてもいいですか?」

「あぁ、友達だものね。車で待っているから、落ち着いたら旅館に行こう。この辺りは危ないからね」

「分かりました」


 斎田さんに感謝しつつ、迅堂の背中を押して管理小屋に戻る。

 売り場のペットボトルのお茶を二本購入して、一本を迅堂に渡した。


「……私、過去に戻ります」

「今からか?」

「多分、情報は出てこないです。前の世界ではそうでした」


 だろうな。

 小品田さんの件も捜査は進展していない。俺自身、もう警察をまともに信用できない。


「俺はトイレに行ってくるよ」

「はい」


 迅堂がスマホを取り出すのを見て、俺はカウンター裏の扉を開けて廊下に入り、後ろ手に扉を閉めた。

 スマホを取り出しつつ、トイレに入る。


「十三日の朝か、昨夜か」


 まだ行動を決めていないから時間がそれなりにあった方がいいとは思う。

 俺は陸奥さんとの面識がほとんどない。肝試しで少し歩いた程度だ。

 ……いや、そうか。

 『ラビット』で戻る時間を十二日の夜に設定する。

 笹篠が戻ってきたのはこの世界線か、と苦笑する。


『――ロールバックを行います』

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