第7話 彼女はお姫様
オーナーの斎田さん直々に駅へ迎えに来てもらい、キャンプ場へと車で直行する。
前回自転車を押して上った坂も楽々踏破する。科学の力ってすげー。
「巴兄さん、彼女さんとバイトっていいご身分だよね」
助手席に座る斎田さんの娘、
中学二年生にしてすでにギャルの才能が見え隠れする斎田のやんちゃ娘こと貴唯に対し、迅堂は得意げに胸を張った。
「羨ましいですか? 貴唯ちゃんもすぐに格好いい彼氏ができますよ。白杉先輩には敵いませんけどね!」
「巴兄さんと同じ湯船に浸かってから言うがいい!」
「はっはっは、小学生以下の同衾混浴はノーカンです!」
「くっ、流石は姉になる人。察しがいいな」
車内の音源の九割九分を担う女子二人に斎田さんが苦笑している。ラジオの天気予報もろくに聞こえない。
「巴君、バイトが終わったら一緒に温泉にでも行くかい? その……疲れるだろう?」
「ちょっ、パパ、話をややこしくすんなし!」
「ん? ――いやいや、そういう話じゃないよ!? パパはママ一筋なんだから!」
当然冗談なので、貴唯も迅堂も斎田さんの慌てぶりに大笑いしている。
巻き込まれて弄られそうな斎田さんに、俺は助け舟を出す。
「いま、楽器を担いでいる子とすれ違いましたね」
坂道を越えてやや平たんな道に差し掛かって徐行する車が汗水たらして歩く高校生の男女とすれ違う。
管楽器が納められたケースを担いでいる高校生の一団からしばらくすると、今度は弦楽器のケースを持った一団が見えてきた。
斎田さんはちらりと高校生たちを横目に見ると、口を開いた。
「近くのペンションに合宿に来た吹奏楽部だね。毎年、夏休みに入ってすぐの合宿でこの辺りに来るんだ」
各パートに分かれて練習でもしてるのかな。
キャンプ場の近辺には小さなペンションや別荘があるが、件の吹奏楽部は少し大きめの旅館を借りて練習するという。
斎田さんはキャンプ場に車を乗り入れながら説明してくれる。
「今日から数日は山のあちこちで楽器の音が響くんだ。いうなれば、風物詩みたいなものでね」
「キャンプ場の雰囲気を壊したりしませんか?」
森林浴がてらキャンプしに来ている人にとっては、山に響く楽器の音はあまりうれしいものではないと思うけど。
だが、俺の心配はどうやら杞憂だったらしい。
「――ガラガラですね」
「この時期はまだねぇ」
斎田さんは苦笑しながら、車を降りてキャンプ場を見回した。
夏休みに入っているとはいえ、世間の大人はまだまだ仕事中だけあって、キャンプ場は閑散としている。
「どうせ利用客の少ない時期だから、あまり目くじら立てないんだよ。数日もすれば全体練習がメインになって旅館の宴会スペースを使うんだけど、そこの防音はしっかりしていてここまで音が聞こえることもないんだ」
「吹奏楽部の方も時機を見て合宿の日程を組んでるんですね」
「十年ちょっと前にご隠居が学校側と取り決めたんだ。その関係で、吹奏楽部の子が空きスペースを利用させてほしいと尋ねてくると思うから、使わせてあげてね」
「いいんですか?」
「持ちつ持たれつだよ」
俺と迅堂の荷物を下ろして、斎田さんがまた車に乗り込む。
「予約なしのお客さんが来たら今の吹奏楽部の話をしておいて、それでも大丈夫ならスペースに案内してくれたらいいから」
「了解です。それじゃあ、気を付けて。貴唯ちゃんも、コンクール頑張ってね」
「巴兄さんもバイト頑張って。迅堂さんに変なことしちゃだめだよ」
「――むしろウェルカムですが!」
「何もしないよ」
口を挟んできた迅堂を無視して、俺は斎田父娘を見送った。
荷物を持って、管理人小屋の扉を開ける。
「さて、本格的にバイト開始だな」
今日は八月五日だ。バイトは八月の十五日まで。
結構な長丁場になるが、その分バイト代も弾んでくれる。
「基本的には暇なんですけどねー」
迅堂が荷物を置いて売り場の窓を開けて換気しながら、のんびり言った。
迅堂が言う通り、お客さんが来ない限りはほぼ暇だ。薪割りを少ししたら今日のバイトは終了といってもいいくらいである。
カウンターの裏の扉から生活スペースに入り、電気をつける。
むわっと湿気で重みすら感じる熱気に顔をしかめながらも、冷房を入れる前に換気をしようと西と北の窓を開けた。
迅堂が荷物を持って入ってくる。
「二人っきりですね、先輩!」
「ババ抜きでもするか?」
「二人でですか? 宿題を先にやっちゃいましょうよ」
割と現実的な答えが来た。
迅堂がにやりと笑う。
「ふっふっふ、急いては事を仕損じる。何しろ十日もあるんですから、先輩をじっくり落としてやりますよ。迅堂沼にかもーん」
「普通に観光名所でありそうだな、迅堂沼」
お堂が立っていた場所が沼に呑まれて云々って昔ばなし付きで。
とりあえず荷物を各自の部屋に運び込んでしまおうと手分けしていると、売り場の方から声が聞こえてきた。
「すみませーん!」
若い声だ。多分、斎田さんが言っていた吹奏楽部の子だろう。
俺は荷物の整理を中断して部屋を出る。リビングから廊下へ、さらに扉を開けて管理小屋のカウンターに出る。
カウンターの呼び鈴を鳴らしていいのかと悩んでいる様子の高校生と目が合った。
委員長風とでも言おうか、丸眼鏡をかけた黒髪の女子高生である。手に持っているのはクラリネットかな?
真面目そうな女子高生の後ろにはお仲間の吹奏楽部らしき女子高生が数人、興味深そうに売り場を見回している。
「――先輩、浮気はダメですよ」
咎めるような冷たい声に振り返れば、カウンターと廊下を繋ぐ扉から顔だけ出した迅堂がこちらを睨んでいた。
「浮気以前に付き合っていないわけだが?」
「またまた御冗談を」
「現実を見てくれ」
と、迅堂に構っている場合じゃなかった。
俺は女子高生たちに向き直る。
用事は想像がつくけれど、一応確認しておこうかと口を開きかけて、委員長風女子高生が迅堂を見ていることに気が付いた。
「……春姫?」
委員長ちゃんに春姫と呼ばれた迅堂は小首をかしげて愛想笑いした。
「陸奥ちゃんじゃないですか。奇遇ですね」
しれっと言っているが、未来人の迅堂はここで委員長ちゃんこと陸奥さんと会うのを知っていたはずだ。
というか、姫ってなんだ?
双方を見比べていると、陸奥さんが俺と迅堂を見て悩むような顔をした。
「えっと、どういう関係?」
「結婚を見据えて付き合って――」
「いないただのバイト仲間――」
「と見せかけた許嫁――」
「のはずもない高校の先輩後輩の関係だ」
「めっちゃ仲いいんですね……」
陸奥さんが苦笑して、真偽を疑うような目で俺と迅堂を見る。
完全に誤解の芽が生まれている。
どうやら迅堂の知り合いはこの陸奥さんだけらしく、他の吹奏楽部の面々は特に興味を示していない。
俺はドヤ顔している迅堂を廊下から引っ張り出して、陸奥さんの前に突き出した。
「君は迅堂の中学のクラスメイトかな? キャンプ場に来た理由は吹奏楽部の練習で空きスペースを使わせてもらいたいから、であってる?」
せっかく練習に来たのだから、関係のない迅堂と陸奥さんの交流に他の子を付き合わせるのはまずいだろうと判断して、話を進める。
陸奥さんもここに来た目的を思い出したのか、申し訳なさそうに吹奏楽部のメンバーに手を合わせた後、俺に向き直った。
「はい、できれば空きスペースを使わてもらいたいんですけど、オーナーさんに挨拶をするように言われていて」
「オーナーは娘さんのコンクール発表があるから不在なんだ」
「あっ、そうですか」
挨拶できなかったら戻って来いとでも顧問に言われているのか、陸奥さんが残念そうに肩を落とす。
山野の中で比較的涼しいとはいえ、真夏の山道を楽器を持って歩いてきたのに無駄足と聞けば、さぞつらいだろう。
迅堂が俺を指さす。
「この人がオーナーの親戚なんだよ。それに、オーナーからは空きスペースを使わせていいって許可も貰ってるから、気にしなくて大丈夫」
「えっ、あ、そうなの? ……そうなんですか?」
迅堂から俺に目を向けて尋ねてくる陸奥さんに頷きを返す。
「話は聞いていたからね。許可を貰ってるのも本当。空きスペースには迅堂に案内してもらって。迅堂、それでいい?」
「お任せです! 先輩は代わりに薪割りをお願いしますね」
「力仕事だから、どちらにしても俺がやる予定だったよ。それじゃあ、頼んだ」
陸奥さんたち吹奏楽部を案内する迅堂を見送って、俺は荷物の整理を再開するべく部屋に戻る。
それにしても、春姫ねぇ。
ずいぶんとおてんばな姫だこと。
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