第2話  観測されたIF

 土曜日、俺は迅堂と電車に乗ってバイト先であるキャンプ場に向かっていた。


「このアサリの佃煮、美味しいですね」


 向かい合った座席で駅弁を食べながら外の景色を眺める。

 山から山へ、また山へ。たまに谷に差し掛かるくらいでさほど面白い景色でもない。

 駅弁に意識が向くのも当然だった。

 迅堂が言う通り、アサリの佃煮は旨味がしっかりしている上に生姜が別に散らされて香りもいい。爽やかな生姜の香りは夏の日差しが差し込む電車の窓際で食べるのに最適だった。


「豆腐ステーキ弁当を先輩が選んだ時は首をかしげたものですが、先輩の勘は侮れませんね」

「メインの豆腐ステーキを食ってから言えよ」


 豆腐ステーキは単価の安さもあってかかなり大きい。水をきちんと抜いたうえで焼き上げており、薬味として生姜、ミョウガ、青ネギなどが個別に用意されている。醤油ベースの甘辛タレがかかっており濃いめの味付けだが、薬味のおかげでボリュームの割に飽きが来ない。

 これはいい買い物だった。

 周囲に臭いが拡散しにくい品ばかりなのもいい。周囲の目を気にしないで済む。


「先輩ってかなり周りの目を気にする人ですよね。教室とかでもそうですし、いまも」

「あぁ……親族関係で色々と面倒くさいことに巻き込まれたからね」


 松瀬家の現当主である海空姉さんとは幼馴染であり、将来的に補佐役になるのだからと礼儀作法を仕込まれた。親族から値踏みするような視線に晒されていたためか、少々気にしすぎるきらいがあるのは俺も認めるところだ。


「先輩はもっとはっちゃけていいんですよ。というわけで、八月の十五日にお祭りがあるんですけど、一緒に行きませんか?」

「そう繋がるのか。別にいいよ。バイトの最終日か。斎田さんも見逃してくれるだろ」

「そう、斎田さんです」

「うん?」

「斎田さんは先輩の親族、つまり、ここで私と先輩が良い仲だと知らしめることにより笹篠先輩の一歩先に行くことが――」

「足踏みしとけ」

「何でですか!」

「ハイハイ、静かにね」


 周りから微笑ましい顔で見られている。

 駅弁を食べ終えてのんびりとお茶を飲むことしばらく、駅に到着する。

 迅堂と駅に降りて、周囲を見回す。


「見事に無人駅だな」

「改札にカマキリがいますよ」

「こいつじゃ、切符が切れないだろ」


 改札で諸手を上げて歓迎してくれるカマキリを素通りする。

 迅堂はわざわざカマキリに威嚇のポーズを返していた。

 駅から出ているバスに乗り、山へと入っていく。

 周囲に広がる田園風景はものの数分で森になり、点々とある民宿や小さな別荘を横目にさらに奥へ。

 いい加減眠くなってきたあたりでバスを降りると、今度は借りておいた自転車に乗る。


「二人乗りしますか?」

「俺は道交法を守る男なんだ」


 建前である。

 目の前にあるのは急こう配の上り坂だ。二人乗りで登り切れるわけがない。

 迅堂も最初から自転車に乗るつもりはないらしく、スマホで自転車のロックを外すとハンドルを持って自転車を押し始めた。

 俺も同様に自転車を押しながら、坂道を登り始める。


「蝉時雨とはよく言ったものですね」


 額の汗をぬぐいながら、迅堂が恨めしそうに森を見る。

 アブラゼミが景気よく鳴き喚いていた。


「ふっふっふ、あの蝉たちは交尾もできない非リア充ども。しかーし、迅堂春は今日、大人の階段を上ります!」

「この坂道きっついな。くじけそう」

「登り切ってください! その後に大人の階段があるんですから!」

「階段は登れないんだ。膝に矢を受けてしまってな」

「冒険者じゃないですし、現代社会で矢なんて受けるはずがないじゃないですか!」


 と、元気いっぱいな迅堂と坂を上り、頂上で一息つく。

 決して高い山ではないが、バイト募集に応募がほとんどないのも頷けるほどには標高がある。なにより、キャンプ場まで二十キロほど、連なる山際を降りたり昇ったりだ。


「もう一つ坂を越えれば、下り坂が続くので少しは楽になるんですけどね」

「そこまでがきついな」


 文明の利器、衛星画像でこの辺りの写真も見たけど、実際に歩いてみるとキャンプ場までが果てしない道のりに感じる。

 時間の繰り返しでこの道を何十回も歩いた経験がある迅堂は慣れた様子だが、俺には少々キツイ。


「先輩、後輩の女子に体力で負けてるのってどうなんですか?」

「インドア派だから」

「笹篠先輩と一緒に球技大会のテニスで優勝したとは思えないセリフですね」

「多分、別の世界線の話だよ、それ」

「いやいや、この目で見ましたから!」


 ぱっちりとした黒目を指さして、迅堂がツッコんでくる。

 休憩はそろそろ終わりにしようと、再び歩き出した。


「迅堂はこの辺りの地形を把握してるのか?」


 何十回もこの時間をループしているのなら、打開策を探す目的も兼ねて周辺を散歩くらいしているだろうと問えば、迅堂は頷いた。


「この辺りは庭、とまではいえませんけど、大部分は把握しています。道もそうですけど、森の中もいくらかは分かっているつもりですよ」

「そうか」


 普通、森の中には入らないはずだけど、迅堂が時間を繰り返している理由を考えると、俺が山中で死ぬ可能性があるんだろうな。

 山の中で焼死というと、山火事か?


「考えてみると、俺っていまから死地に向かうんだよな」

「ドナドナを歌うのはさすがに不謹慎なのでやめてくださいね?」

「前のループで俺、歌ってたの?」

「それはもう、意気揚々と」


 前のループの俺、やけくそだったろ。

 迅堂は神妙な顔で俺を見つめた。


「推測でしかないですけど、笹篠先輩が亡くなって精神的にちょっと参ってたのかもしれないです」

「あぁ、そういうことか」


 容易に想像がつくな。

 迅堂は入道雲が浮かぶ夏空を見上げてため息をつく。


「私が死んだら先輩は同じように悩むんですかねぇ」

「凹むだろうな」

「笹篠先輩との差を確認できないのは未来人でも不便に感じるところです」

「死ぬなよ?」

「死にませんよ。先輩が死なない限りは」


 迅堂はそう言って、静かに笑った。

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