エピローグ

「――というわけで、旅館は休業になったよ。税務調査も入るし、竹池のところはしばらく慌ただしくなる」


 金曜日の夜、本家に呼び出された俺は海空姉さんから顛末を聞いていた。


「発端は支配人と一部従業員による横領だったらしい。借金返済に充てていたところをつけ込まれて、資金洗浄の片棒を担ぐ代わりに手間賃をもらっていたようだよ」

「碁蔵っていうのもやくざ?」

「そのようだね。ペーパー企業の代表になっていたこともあって、警察が調査している。おそらくは逮捕状も出るだろうね」


 海空姉さんは俺が買ってきたチョコミントアイスを齧り、脚を組む。

 俺は部屋の小型冷蔵庫にプリンや大福を入れつつ、気になっていたことを尋ねた。


「宮納さんは?」

「たいーほ」


 端的に言って、海空姉さんは両腕をくっつけてみせる。

 驚きはない。ただ、一抹の寂しさがあった。

 喫茶店で働いている時は、なんだかんだで良い人に見えたんだけどな。


「そんな顔をしないでくれよ。ボクとしては、あいつの顔に膝を叩きこんでやりたいくらいなんだ。ボクの巴を何度も何度も轢き殺したんだからね」

「そういえば、あのトラック運転手は?」


 通り魔はこの世界線で発生していないので言及はしない。シュレーディンガーのチェシャ猫が発動してしまうからだ。

 海空姉さんは手元に垂れてきたアイスをぺろぺろと猫のように舐めてから、答えた。


「それが碁蔵だよ」

「えっ、あれって下っ端やくざとかじゃなかったの?」

「巴が言っていたトラックの特徴と現場付近で撮影された防犯カメラ映像、トラックを運転していたであろう時刻、背格好などが一致している。警察が任意とはいえ身柄を確保して話を聞けているのもそのトラックの一件があったからだよ」


 俺が轢かれかけたからこそ碁蔵の余罪追及ができるのか。

 海空姉さんが木の棒に残ったチョコミントアイスを口に含んで舐めとり、ゴミ箱に投げる。カンッとはじき返されたそのゴミを俺は拾ってゴミ箱に再投入した。


「宮納は碁蔵と大学時代の同期だったそうだ。喫茶店を荒らすと脅されて何度か資金洗浄の手伝いをさせられていたらしい」

「ある意味、被害者だね」

「そう思うかい? 宮納は君を交通事故に見せかけて殺すよう碁蔵に依頼している。資金洗浄のことをばらすぞと逆に脅してね」

「……前言撤回で」


 同情できなかったわ。


「巴を狙ったのは、親族会議で旅館の再建計画を通すためだったそうだ。竹池が資料を基に作成するとなればペーパー企業に行きつく可能性がある。かといって、竹池を殺してしまうと相続時にばれかねない。親族会議で調査にかじを切らせず再建計画を通す必要があったわけだね」

「碁蔵って人のペーパー企業が判明すれば、喫茶店の方の資金洗浄も芋づる式に判明するからか」


 動機にも納得。


 俺か海空姉さんを殺せば再建計画が通るけど、車で移動する海空姉さんを殺すのは難しい。そもそも、本家から出てこない可能性もある。

 それなら、動きを把握しやすい俺の方が狙いやすい。家にいても火をつけてしまえばいい。敷地の広さのわりに、両親は事務所の方に詰めていて家には俺一人という状況も多いからだ。


 しかし、判明してみるとなんだか……。


「俺ってとばっちりで狙われてない?」

「そうだね。巴自身に恨みがあったわけでもなんでもない」


 二人揃って苦笑する。


 生き残った今だからこんなにのんびりしていられるけど、この二週間は本当に怖い思いをさせられた。

 とにかく、事件は解決だ。


 俺がほっと一息ついた時、スマホが着信を知らせた。

 なんだろうと、画面に表示された相手を見る。


「笹篠か。ちょっとごめん、電話してくる」

「行ってらっしゃい」


 ひらひらと手を振る海空姉さんに見送られて部屋を出た俺は、縁側の端に座って少し冷たい春の夜風を浴びながら電話に出る。


「もしもし?」

「白杉、私よ。笹篠よ。いま、いいかしら?」

「大丈夫だよ。どうかした?」

「これから、外に出られる?」

「いまから?」


 ちょっと考えて、海空姉さんの部屋を振り返る。

 事件についての話は終わったし、外に出るのは大丈夫だ。

 むしろ、笹篠の方こそこんな時間に外に出て大丈夫なのだろうか。


「どこで落ち合う?」

「そうね。テニスクラブの前でどうかしら?」

「分かった。行くよ。寒くない格好をしておきなよ?」

「白杉はお母さんか!」


 笑いながら通話を切り、俺は海空姉さんの部屋に戻る。


「笹篠に呼び出されたから、ちょっと出かけてくる」

「おやおや、素敵な親戚のお姉さんと過ごす退廃的な一夜よりも優先すべきことかい?」

「退廃的っていうか、ゲーム漬けでしょ? 行ってきます」

「わぁー、ボクはさみしいよ、巴!」

「寝てなさい」


 海空姉さんを振り切って、俺は部屋を出た。

 お手伝いさんに声をかけて外出することを伝え、俺は靴を履いて外に出る。縁側にいた海空姉さんが手を振ってきた。


「朝帰りは許さないからね」

「はいはい」


 見送られながら本家を出て、テニスクラブへ向かった。



 時間は夜の九時である。

 テニスクラブはすでに本日の営業を終えており、人気もほとんどない。

 街灯の白い明かりに照らされて立っている笹篠は俺を見つけて手を振った。


「白杉、こっちよ」

「こんなに人が居ないんだから、気付くよ」

「そ、それもそうね!」


 恥ずかしそうに手を引っ込めた笹篠の下に歩き、近所の公園へ歩き出す。

 ジョギングと犬の散歩を両立するお姉さんが抜き去っていく。

 すれ違いざまに俺と笹篠を横目に見て羨ましそうな顔をしていた。


 笹篠が口を開く。


「旅館、休業よね?」

「まぁね」


 何で知ってるの、なんていまさら聞かない。

 笹篠は「そっか」と呟いて俺を見た。


「球技大会の打ち上げに旅館に行くって話だったけど、埋め合わせは私が指定してもいい?」

「公序良俗に反しないものでお願いします」

「なによ、その保険。ちょっと心外なんだけど。私、そんなにがっついてないわよ?」

「抱き着いてきたくせに」


 球技大会決勝のことを指摘すると、笹篠は顔を真っ赤にして横を向いた。


「しょ、しょうがないじゃない。嬉しかったのよ!」


 笹篠は前に向き直り、心持ち歩く速度を速めた。

 別に俺の前に出なくたって、この道の暗さじゃ赤くなった顔はほとんど見えない。ちょっと残念な気もするけど、覗き込む様な不作法はしない。


「それで、埋め合わせはどうすればいい?」

「私ね、未来からあなたを救いに来たのよ」

「聞いたよ。トラック事故はもう起きないと思うけど、その節はお世話になりました」


 言い返すと、笹篠は首を横に振った。


「白杉は親戚のキャンプ場に手伝いに行くでしょう?」

「……えっ、まさか」

「うん、そこで焼死するわ」


 やっぱりキャンプ場で焼死かよ。

 世界線が変わって笹篠と一緒に生き延びた世界だから、焼死の未来も変わるかと期待してたんだけど――結局、死ぬのね、俺。


「世界は俺に厳しいなぁ」

「そんな顔しなくても、私が助けてあげるわよ。白杉も、迅堂さんもね」


 そう笑って、笹篠は背中で手を組んでスキップするように数歩前に出る。


「笹篠もキャンプ場に来るってこと?」

「えぇ、友達とキャンプって青春っぽいでしょ」

「手伝いだけどね。まぁ、遊ぶ時間はあるかな」

「あったわよ」

「過去にしないでくれ。未来の話をしてるんだよ」


 まったく、未来人はこれだから。

 笹篠がくすくす笑って話を変える。


「決勝戦の最後、逃げるなって言ってくれてありがとう。おかげで、後悔しないで済んだわ」

「代表決めの時を思い出したから、咄嗟にね」


 本当は前の世界線での決勝を思い出したんだけど。

 笹篠はため息をついて続けた。


「多分、未来をやり直し続けているうちに逃げ癖がついてたんだと思う」

「逃げ癖?」

「またやり直せばいいって。そう思っちゃってたの」


 笹篠が何回俺の死に触れて、やり直してきたのかは知らない。

 でも、俺も多分、失敗し続ければ逃げ癖が付いただろう。

 笹篠は肩越しに振り返って苦笑した。


「もう何回目かも分からなくてさ。白杉はどうせ死んじゃうから、それまでを如何に生きるかに目が向くようになってた」


 勝手に殺すな、といいたいが、実際は何度も死んだんだろうな。

 笹篠が夜空を見上げる。

 つられて俺も空を仰ぐと、かなりの数の星が瞬いていた。


「私は過程に全力を尽くして、結果に妥協するようになっていた。頑張ったんだから、良いじゃないって自分に言い聞かせるようになっていた。――全力ってそうじゃないわよね」

「最後のスマッシュ、かっこよかったよ」

「――そうでしょ!」


 とびっきりの笑顔で食い気味に同意する笹篠が片手を上げる。

 俺も片手をあげて応じた。

 ハイタッチの音が夜の通りに響いた。

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