第24話 逃げるな!
ボールを相手コートの隅に叩き込む。
二ゲームを取り合い、最終ゲームの一点目を取り、俺は肩を回した。
今日何度も思ったけど――球技大会の二度目ってマジか。
いや、過去に戻ったんだから、球技大会も当然やり直しなのは当たり前なんだけどさ。
頭では分かっているが、一度優勝した球技大会に体感一週間も経たずに出ることになろうとは。
しかも、以前笹篠が言っていた通り、同じ試合は一度もない。同じボールだって一度もない。
スポーツって奥が深いな。
相手コートには男女先輩がいる。一度戦ったことがあるとはいえ、その手の内を知り尽くしたとは言えない。
結果、前回とは違って二ゲームを互いに取り、最終ゲームに突入していた。
「笹篠、体力は?」
「きつい」
短く返した笹篠がすらりとした形のいい脚を揉む。
本当にモデル体型だよなぁ、と感心していると目が合った。
「なによ、試合が終わったら代わりに揉んでくれるの? なら、酷使するけど」
「自分を大事にして?」
「勝負が大事よ」
「同感」
「なら、最終ゲーム、畳みかけましょう」
好戦的な笑みを浮かべると美人なのもあって絵になる。観戦している女子たちがキャーキャーと黄色い声援を上げた。
俺には男子生徒からの温かい視線がある。敵意とか殺意とかって熱を持つんだね。
サーブ役の笹篠にボールを回す。
笹篠はボールをラケットの上で一度弾ませると左手に納め、相手コートを見た。
女子先輩が両手でラケットを支えて笹篠を見つめている。
笹篠がトスし、ファーストサーブを打ち込んだ。
女子先輩が笹篠へと打ち返す。
そこからはラリーの応酬だった。女子同士で体力を削り合っている。
互いに体力的に辛いはずだが、ここで笹篠の体力を削って実力差が大きい俺と男子先輩に勝負の趨勢を預けるのが女子先輩の狙いだろう。
だが、ここまでの試合で計画的に体力を温存していた笹篠は女子先輩に競り勝って二点目を獲得する。
「はぁ……しんどい」
「お疲れ様。前に出ていていいよ。サーブは俺だしね」
「ごめん。お願い」
笹篠は辛そうに右腕を左腕で揉んでいる。女子先輩もその場で軽く屈伸運動をしていた。
両ペア共に女子は体力が限界だな。
同じことを考えていたのだろう、男子先輩と目が合う。
ラリーはないな。隙を作れば女子を狙われると互いに理解している。
俺はボール持ってベースラインのほぼ中央に立つ。
ボールを放り投げて、全力で上からラケットを叩きつける。
俺のファーストサーブは一直線に男子先輩が控えるサービスコートに直撃するが、男子先輩は危なげなく打ち返してきた。
当然ではある。俺のサーブくらいは簡単に返すだろう。
男子先輩はベースラインのほぼ中央まで下がり、迎撃の構えを見せる。
左脚を踏み込み、やたらと重いボールにラケットを合わせ、打ち返す。
相手コートの向かって左側に飛んで行ったボールに追いついた男子先輩は的確な重心移動と踏み込みで痛打を返してきた。
コートの対角線をなぞるように飛んでくるボールへと走り込み、ワンバウンドして重力に引かれつつあるそのボールを相手コートの中心へと叩きこむ。
「任せる!」
軌道上にいた女子先輩はボールの勢いを見て手を出すのは危険と判断したのか、男子先輩に掛け声を送る。
無言でボールに追いついた男子先輩がドライブ回転が掛かったボールを返してきた。沈み込む様な軌道で飛んでくるそのボールは俺を走らせるためにコートの反対側へと向かっていく。
予想の範疇だったため、とっくに俺は走り出していた。
「きついっ……!」
いい加減、脚が悲鳴を上げている。
「白杉!」
笹篠が声をかけてくるが、俺はボールに追いついてバックハンドの構えを取る。
両腕を広げるようにして勢いをつけ、地面すれすれのボールをラケットに捉える。ラケットのフレームががりがりと地面をこする不快な音がした。
だが、追いついたのなら、打ち返す!
狙いをつける余裕はなかったが、ビギナーズラックのなせる業かボールはネット上部をこすって勢いを急減し、ゆっくりと落ちる。
焦った表情で女子先輩が走るが間に合わず、ボールは二回バウンドした。
「はぁ、はぁ……」
両膝に両手をおいて地面を見下ろし、息を整える。額から流れた汗がコートに染みを作った。
ネットに当たった時はマジで焦った。
でも、得点だ。後一点取れば勝てる。
これが最後になりますようにと願いを込めて、ボールを宙に送り出す。
ラケットを引き、女子先輩が構えるサービスコートへボールを叩きつける。
鋭角で打ち出したボールが女子先輩の前でバウンドする。ドライブがかかったボールは弾むよりもさらに前へと飛び出した。
思ったよりも強烈なファーストサーブに俺自身がびっくりした。疲れ切った女子先輩が受け切れるはずが――
あ、これフラグだ。
パンっと女子先輩がボールを打ち返してきた。ただレシーブしただけではない。かなりの勢いが乗ったボールだ。
やばい、やばい。ここで点を取られたら流れが崩れる。
次のサーブは疲れ切っている笹篠だ。攻めにくくなる。
コート端に飛んでくるボールへと全速力で駆け付ける。どうにか食らいつき、フォアハンドで相手コートの女子先輩を狙いかけて、気付く。
――男女先輩が両方とも下がっている。
俺が技術的に未熟でサイドライン際を攻められないのを完全に読まれている。
プレッシャーがやばい。ここでのミスは試合を持ってかれかねない。
安全策は相手コートのベースライン。でも、男女先輩が待ち構えているから確実に返される。
歯を食いしばる。
「……逃げねぇよ」
ここで手を緩めるのはダメだ。
本気で攻め抜く。
後衛の男子先輩が違和感に気付いたか、地面を蹴った。
刹那、俺は相手コートのサイドラインへボールを送り込んだ。
男子先輩が引きつったような笑みを浮かべている。
試合の流れをぶち壊しかねない選択を取った俺に心底驚いたのだろう。
だが、俺が打ち込むより先に走り出していた男子先輩はぎりぎりでボールに間に合っていた。
腕を限界まで伸ばした男子先輩のラケットがボールを撥ね飛ばす。それは打ち返すものではなく、辛うじて拾っただけのボール。
緩い弧を描いてこちらのコートの半ばまで飛んできたそのボールの着地点に、笹篠は立っていた。
相手コートにはバランスを崩している男子先輩。体力限界でコートの中央へ走り出している女子先輩。
ボレーでもおそらく女子先輩は間に合わない。スマッシュなら確実だ。
笹篠がラケットを気持ち下げたのを見て、俺は声を張り上げた。
「――逃げるな、笹篠!」
ループ前、笹篠はボレーで勝負を決めたことを後悔していた。
疑問に思ったんだ。
水曜日、この事件が解決する世界線でなぜ、笹篠は未来から戻ってきたのか。
後悔したからだ。
今日のボレーを後悔したからだ。
だから俺が、未来から来た俺がその背中を押す。
俺の声が届いた瞬間、笹篠がラケットを振り被った。
相手コートで女子先輩が目を見張る。
笹篠のラケットが振り抜かれた。
あまりの勢いにボールが歪む。
女子先輩が反応すらできず、ボールに抜かれた。
相手コートのベースラインすれすれにボールの跡がつく。
しーんと、全体が静まり返った。
コートの全員が体力の限界に迫っている中で、笹篠のスマッシュはあまりにも鮮烈だった。
笹篠が振り返る。
俺は我に返る。
「ナイススマッシュ、笹篠――」
労おうとした直後、どこにそんな体力を残していたのかと思う速さで笹篠が駆け寄ってきて、正面から抱きしめられた。
「勝ったわよ、白杉!」
「柔らかっ!? いや、ちょっ、笹篠!? やめろっ! 感情表現が激しすぎ!」
迅堂が女の子のしちゃいけない顔してる!
男女先輩がニヤニヤ笑いながらネット近くまで駆け寄ってくる!
観客がキャーとか言ってる!
「笹篠、離れ、放せー!」
すごい全然汗臭くない。甘い匂いする。
優勝を祝う声、俺と笹篠を呪う声と祝う声、男女先輩のニヤニヤ笑いの拍手を聞きながら、俺はちょっと思った。
こんないい思いができるなら、もう一回今日をやり直してもいいかなって。
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