第10話 未来人は失敗している
――笹篠が死ぬ。
理由は奇しくも、笹篠が俺に語ったトラック事故。
迅堂は横目で俺の様子を伺いながら続けた。
「黙っていてごめんなさい。私が白杉先輩と知り合ったのは一学期の終わりごろで、その時にはもう笹篠先輩は亡くなっていて、面識がなかったんです。笹篠先輩とラテアート勝負をするようになったこのループから、何度か笹篠先輩を助けようとしましたが、現場も時間もばらばらで手が出せないんです」
「いや、話してくれてありがとう。知っているかどうかで、心構えがかなり違う」
笹篠が語った俺の死因はトラック事故での死亡。
迅堂が語った笹篠の死因もトラック事故での死亡。
仮説だが、笹篠は俺を庇ってトラックに轢かれて死亡するのだろう。
なにしろ、死んだら過去には戻れない。笹篠の主観では、絶えず俺がトラックに轢かれて死に、俺を助けた場合は彼女自身がトラックに轢かれて死んでお仕舞いだ。
もしかすると生き残るルートもあるのだろうけど、俺と笹篠の両方が生き残ったら、笹篠は過去に戻る理由がない。ハッピーエンドなのだから。
迅堂が言う、俺が未来に経験する焼死の詳細も気になるが、いまは差し迫ったトラック事故の回避が優先だ。
「時間も場所も違う、か。運転手やトラックの特徴は?」
「それも分かりません。轢き逃げでした。調べましたけど、犯人は捕まらないんです。いわゆる、運命の収束ですよ」
断言するような言葉とは裏腹に、迅堂は納得していないような顔だ。
それもそのはず、運命が収束するのなら、俺も助からないことになる。
「俺も注意してみるよ。トラックだってことは分かってるんだし」
バスを降りてバイト先である喫茶店に向かう。
ちょうど、宮納さんが洋食酒場のメニュー看板を出しているところだった。
「やぁ、来たか。竹池さんから聞いたよ。テニスの練習だって?」
「はい、さっきまで海空姉さんや笹篠も交えてダブルスしてました」
「青春だねぇ。僕はもう体が動かないだろうけど、久しぶりにやってみるのもいいかもしれないなぁ」
松瀬親族に空前のテニスブームが到来かな?
裏口に回って着替え、エプロンを付けてお店に出る。
予約客の時間を確認し、洋食酒場の手伝いは初めてだからと手順を教わった後でバイトを開始した。
迅堂がてきぱき動く。
「相変わらず働き者だ。巴君、良い彼女を見つけたねぇ」
「彼女じゃないです」
「巴君にはぜひ、頑張ってもらいたいな」
迅堂びいきの宮納さんはそう言って、早速厨房に入る。
テーブルを拭いて回る迅堂の動きに合わせて、俺は床掃除を始めた。
お客さんが土足で入る関係上、どうしても埃が溜まりやすい。しかし、埃を一か所にまとめて塵取りに納めるこの爽快感はいいものだ。
一網打尽にできる優越感みたいものが癖になるのだ。
ほどなくして、予約客である大学生の一団が入店する。七人組だが、上級生は宮納さんの知り合いらしく気安い挨拶を交わしていた。
「近所の大学のロボ研の人たちだよ」
「あの大学、工学部もありましたね」
レモンサワーやビールをテーブルに運び、カウンターに戻る。
迅堂が電話を取って、宮納さんに尋ねる。
「明日の午後八時以降で五名の予約です。大丈夫ですか?」
「八時? えー、うん、十時までの二時間であれば大丈夫だね」
「はい、先方に伝えます。……かしこまりました。明日の午後八時から十時、五名様です。備考でドレッシングが苦手だそうです」
予約表代わりのカレンダーに迅堂がさらさらと予約内容を書き込んでいく。
時期が時期とはいえ、結構繁盛しているんだな。
「お兄さん、注文いいかな?」
「はい、ただいま」
営業スマイルで大学生の下へ。
ジャガイモのフリッタータやマッシュルームの生ハム詰めなどの注文を受け、バケットをお勧めし、宮納さんに伝達する。
そうこうしているうちに大学生二人と教授らしき人が連れ立って入ってきた。予約客ではない。
ゼミ関連かな。
「テーブル席にどうぞ」
「ありがとう」
開いたテーブルに案内しているうちに、迅堂が新たに入ってきたお客さんをカウンターへ誘導する。
どんどん忙しくなっていったのは午後九時まで、そこからは少しずつお客が引き始め、十時にはカウンターで静かに飲む近所のご夫婦だけになった。
「巴君、迅堂さん、今日はありがとう。もう大丈夫だよ。法的にもこれ以上は、ね」
「お疲れさまです」
「お疲れさまでした」
静かに飲んでいるご夫婦に配慮してか、それともさすがに疲れが出たのか、迅堂の声も控えめだ。
今日のバイト代をもらい、迅堂と一緒に店を出る。メニュー看板の下に書かれた営業時間は午後十一時までだ。
残り一時間は宮納さん一人でさばけるのだろう。
迅堂が両手を組んで夜空に掲げ、背中を伸ばす。
「今日は程よく疲れました。ぐっすり眠れますね、これは」
「同感だ。早く帰ろう」
「もちろん、送ってもらいますよ?」
「はいはい」
さすがに三日目ともなると慣れてきてバスに乗り込んで迅堂の家を目指す。
途中、迅堂の両親からメールが入り、迎えに行くとの連絡があったものの迅堂が断った。
「両親が、多少の寄り道には目をつむるとのことです」
「理解のあるご両親だけど、残念なことに勘違いしてるな」
「じきに勘違いじゃなくなりますよ」
勘違いのままだと思うんだよなぁ。
別に俺も枯れているわけではないけど、もうすぐ死にますよと三人の未来人から言われてもなお、恋愛にうつつを抜かせるほど図太く出来ていない。
「昨日の帰りにご近所さんが犬の散歩の途中で私たちを見たらしくてですね。先ほどのメールはおそらく、両親なりの鎌掛けではないかと」
「なおのことまっすぐ帰らないとな」
「明日が休みなら、このまま公園とか行くのに!」
「残念だったな。今日は水曜日だ」
「残念なんですか? やった!」
「無敵かよ」
ポジティブシンキングが過ぎる。
バスを降りて夜道を歩く。
「両親の姿なーし。尾行なーし。スパイらしきご近所さんなーし。安全です、先輩!」
「どういうご家族及びご近所さんなの?」
地域ぐるみの付き合いで娘の彼氏連れ疑惑を確かめるためにチーム組んじゃうの?
市主催の運動会とかで無類の強さを発揮しそうな地区だな。
寄り道はせずにまっすぐと、迅堂の家まで歩く。寄り道しようにも途中にあるのはせいぜい小さな公園くらいだ。
「笹篠先輩はペア競技に出て関係を深めていくわけですし、うかうかしてられないんですよねぇ。先を越された感があるんですよ」
「一緒にバイトしているって時点で、笹篠も同じことを思ってたんじゃないかな」
そうでなければ、喫茶店に来たりしないだろうし。
「だとしても追いつかれているわけです。ならば一歩リードするための手を打たねばなりません! 球技大会の後で、映画を見に行きましょう?」
「なんかお勧めの映画があるのか?」
「未来で見てきたら楽しめないので、初見です。B級映画を見ましょうよ! 笑えそうなやつ」
B級映画ねぇ。
「確か、宇宙船の貨物に紛れ込んだ毒蜘蛛が無重力を利用して宇宙船のクルーを次々に仕留めていくって内容のB級ホラーをやるはずだけど」
「タイトルは?」
「毒蜘蛛、夢中空間の旅」
「決まりですね。笑えるかは微妙ですが、新規性はあります」
「興味があるのか。俺と趣味が合わないな」
「話題に出しておいて!?」
「着いたな。それじゃ、また明日」
「はい、また明日」
迅堂を家まで送り届けると、リビングのカーテンが開き、節分の鬼の面を付けた父親らしき男性が筋肉をひけらかした。
「――こらぁ、お父さん! その程度の筋肉を見せびらかすなぁ!」
迅堂の声が聞こえ、リビングのカーテンが閉じられる。
賑やかなご家庭を背に、俺は自宅へ向けて歩き出した。
『ハロー、ハロー、青春の夜更け。ラビットちゃんをほっぽり出していかがお過ごしですか、ご主人?』
ついにスマホの電源が勝手に入った。
「ラビット、夜更かしは美容の大敵だ。お休み」
『言ってもまだ十時半じゃないですかぁ。ウサギはさみしいと死んじゃう俗説があるんだぞい』
「俗説かよ」
『寂しくて死ぬような草食動物が野生で暮らせるとでも? 品種改良されて人間に飼いならされた軟弱者は知りませんけど、ラビットちゃんはほら、野性味あふれますし?』
「……まぁ、酷い格好してるもんな」
『同情のお声もイケボ! 惨めさと切なさで嬉しくなりますよ、ご主人!』
冗談か本気か、それをプログラムに問うのも馬鹿げているけど。
「それで、何か用?」
『構ってもらいたいなぁって。それに、ご主人も聞きたいこと、あるんじゃないです?』
「そうだな。俺の死因とか」
確信的な質問に、ラビットは小さな笑い声を響かせる。
『客観視してみると分かりますけど、ご主人、いまプログラムに未来予知させようとしてますよ? ウケるー』
「でも、実際に知ってるんだろ?」
『知っている、と言うと語弊がありますなぁ。経験している、というのが正しい。何しろ、未来は変わるもんです。こうしてラビットちゃんがご主人に話しかけているようにね』
ラビットは画面の中で両頬に両手の人差し指を当てて首をかしげて笑う。
『ご主人の死因ですけど、トラック事故です。時間や場所はズレますけどね』
「同じか」
『同じ? あぁ、いえいえ、ご配慮痛み入りますよ。ラビットちゃんの可愛い人格が吹き飛んじゃうのは世界の損失ですもんね。未来人の話はなしでいきましょ』
世界の損失かはさておき、ラビットの持つ未来の情報は得難いものだ。それが信用できるかは謎だが。
『ま、ラビットちゃんがお役に立つのはもうちょい先です。それまで仲良くしましょ。ねぇ、ご主人?』
「具体的にはいつだよ」
『言いましたよ? 未来は変わるもんだって』
それだけ言って、ラビットは起動したときと同様、唐突にスリープモードに入った。
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