第9話 未来の齟齬

「――と、いうわけで、テニスコートを使わせてもらうことになった」


 翌日のお昼、お弁当勝負を巧みな話術で引き分けにした俺は笹篠と迅堂に経緯を説明した。


「あのラスボス姉さんか……」

「まさかこんな序盤に……」


 笹篠、迅堂の二人が深刻そうにつぶやく。

 二人とも未来で海空姉さんと何があったんだ。

 迅堂がいち早く復帰した。


「というか、二人だけでテニスデートのつもりだったんですか? そうはいきませんよ。海空姉御と迅堂春ペアがお二人のお相手仕ります」

「海空姉さんは絶対に足を引っ張ると思うなぁ」


 いくら未来人コンビでも、海空姉さんは戦力にならない。

 未来人とは言っても、未来から持ち越せるのは経験だけだろう。そうでなければ、三人とも見た目にもう少し変化あっていいはずだ。

 つまり、肉体的には一年間、本家から出なかった海空姉さんである。

 いくら本家の敷地が広くても運動不足は確実だ。


 ただ、海空姉さんは来ると言ったら絶対に来るし、俺同様の負けず嫌いだから何か手を打ってきそうでもある。

 それをちょっと楽しみにしている俺がいるのも否定できない。


「……やっぱりラスボスだよ、あの人」


 笹篠が呟いた。



 放課後、テニスクラブに笹篠と迅堂を連れて行くと、テニスウェアに身を包んだ海空姉さんが待っていた。

 クラブオーナーの竹池おじさんはいないようだ。代わりというわけでもないだろうけど、お手伝いさんが二人、海空姉さんの左右後方に控えている。


「やぁ、こんにちは。笹篠明華さんと迅堂春さんだね。巴がお世話になっているみたいで、ありがとう。日頃の感謝というわけでもないが、来週の金曜日までこのテニスクラブの予定を埋めておいたから存分に使ってくれ」


 はきはきと喋るだろ? 一年間、本家から出てないんだぜ?

 まぁ、引きこもりつつもデイトレードで稼いでいたり、親族会議で色々とかじ取りをしていて、こう見えても立派に社会人なんだけど。


「初めまして、笹篠明華です」

「初めまして! 迅堂春です。今日は先輩たちをぎゃふんと言わせたいので、ご助力、お願いします!」

「元気だねぇ。笹篠さんは自前の道具があるみたいだけど、迅堂さんは貸し出しでいいかな? 巴はどうする?」

「せっかくだから、買うよ。笹篠、一緒に選んでもらっていいかな?」

「えっ、私? お姉さんじゃなく?」

「買い物デートをキャンセルしたとはいえ、一緒に球技大会に出るんだから、一緒に選ぼうよ。俺、詳しくないしさ」

「わ、分かった」


 ちょっと戸惑いがちに笹篠は頷くと、俺の気が変わらない内にと俺の服の袖をつまんで売店へ小走りする。

 今までのループには俺と一緒に道具を選ぶイベントがなかったのかな?


「ちょっと、お姉さん! あれ、良いんですか!?」

「うーん、黒に近いグレーかな。せっかくだから、ボクも迅堂さんとデートをしよう。テニスウェアを選んであげるよ。ボクと違って、可愛いのが似合いそうだし」

「お姉さんは和風美人ですもんね。憧れますよ」

「かく言うボクも自分の容姿は嫌いじゃないね」


 あっちはあっちで、放っておいても大丈夫かな。

 ただ、迅堂が迂闊に未来人発言しないかが心配だ。


 笹篠に引っ張られて到着した売店は、テニスクラブだけあってラケットやボールが並んでいる。テニス用品だけでなら、駅前のスポーツ用品店をしのぐ品揃えだろう。

 もっとも、この売店で一番売れているのはスポーツドリンクみたいだが。


「笹篠のおすすめとかある?」

「経験上、白杉に一番合ってるのはこれよ」


 未来人の笹篠が俺を見てきたうえで相性がいいと判断するのなら、これ以上の信憑性はなさそうだ。

 笹篠に選んでもらったラケットは青い光沢のあるフレームで面の大きいものだった。弾を拾いやすそうだけど、ちょっと重い。


「初めは男子だから重くても大丈夫かなって軽いノリで選んだんだけど、これが相性良いのよね。白杉がそれで打つと、打球がものすごく重いのよ」

「へぇ」


 未来の話をされても現代人の俺にはわからない。

 ただ、場所を開けてもらって軽く振ってみると重さをあまり感じなかった。引っ張られるような感覚もない。グリップも安定していて、重さのわりに手首の負担も感じない。


「いいね、これ」

「でしょ? 回転は掛けにくいけど、練習時間もあまりとれないから小手先の技術でやるよりは地力を伸ばすことに集中できるし、おすすめよ」


 カラーバリエーションもいろいろあるとのことだけど、俺はこの青のラケットを選ぶことにして、ついでにボールも買って会計を済ませる。

 ちなみに、軟式だ。


「白杉、これプレゼントね。無理を言ってテニスに出てもらうお詫び」


 少し恥ずかしそうにそっぽを向いた笹篠が両手で差し出してきたのは白いリストバンドだった。

 店員さんがほほえましいものを見る様にニヨニヨしている。


「彼女さんとおそろいですよー」


 店員さんは小さな声で情報提供してくれた。

 受け取るけど彼女じゃないです。


「ありがとう」

「こ、こちらこそ! さっさと練習するわよ。時間ないんだから!」


 笹篠がコートの方へずんずん歩き出す。耳が赤い。店員さんの声が聞こえてたんだろうな。

 店員さんに会釈して、俺もコートへ向かった。

 海空姉さんと迅堂はまだ来ていないようだ。ちょうどいいので、笹篠にラケットの持ち方や振り方を教わる。

 練習すること十数分、ようやく現れた海空姉さんはフリフリのテニスウェアを着た迅堂を伴っていた。


「どうだい! 可愛いだろう!」

「どうです? 可愛いでしょ?」


 やけに仲良くなってるな。ノリが近いからか。


「迅堂、海空姉さんみたいにはなるなよ?」

「巴、聞き捨てならないぞ!?」

「さすがにここまでノリで生きるのは無理ですよー」

「裏切られた!?」

「まぁ、海空姉さんがノリで生きられるのは、これでもちゃんとやるべきことはこなしているからだしな。普通なら生活が破綻するか」

「褒められている? 褒められていない? 誰か、野花を摘んできてー。花占ってみる」

「いいえ、お姉さん、ここはテニスで先輩たちに目に物を見せて褒めさせてやりましょう!」

「迅堂ちゃん、さっき裏切ったよね?」

「――三人とも、練習を始めるわよ」


 焦れた笹篠に声をかけられ、俺もコートに入る。

 早くもチーム崩壊の兆しが見えている海空姉さんと迅堂のペアがコート入りし、練習を開始する。

 点数はほとんど気にしない。素人の俺はまず打ち返すことが重要だ。


 笹篠に教わったフォームを意識して、やたらと鋭い迅堂のサーブを打ち返す。

 やはり、迅堂は経験者だ。過去か未来か、両方か、やり込んだ気配がある。

 サーブと同時に駆けだして前衛に入った迅堂を無視して、後衛でのほほんとモンシロチョウを目で追っている海空姉さんへ打球を返す。


「お姉さん、行きましたよ!」

「分かっているとも」


 迅堂の呼びかけに軽く応じて、海空姉さんは数歩下がるとラケットを引き、一歩踏み込んだ勢いを乗せて打ち返してきた。

 海空姉さんも未来人だけあって、体力のないあの体でも十分に動けるようだ。

 俺、めちゃくちゃ不利じゃね?


「――よっと」


 事前の取り決め通りに前衛に入っていた笹篠が海空姉さんの打球をボレーで返す。

 危なげなく迅堂が球を打ち返し、後衛の俺にボールが回ってきた。


 ラリーが続くと楽しいけど、素人の俺には荷が重いんだよなぁ。

 迅堂も分かっているのか、俺には打ち返しやすいボールを出してくれているのが分かる。それがなんか悔しい。

 でも、まずは基礎からだ。


 ボールの動きを目で追って、打点を意識しつつ、腕の遠心力がボールに伝わるようにラケットを振る。


「お、良いフォームですね! だが、無駄だぁ!」


 迅堂が小さくジャンプして、俺の打球をスマッシュで打ち返してくる。


「――ちょっ!?」


 笹篠が慌てて拾おうとするが到底間に合わない。

 迅堂の渾身のスマッシュはコートに穴でも抉るのではと思えるほど鋭く、バウンドすると勢いよくコート端に向かって飛んでいく。


「くっ――」


 全力で走ってぎりぎり追いつき、バックハンドで辛うじて拾う。

 高く打ち上がったボールは笹篠、迅堂の頭上を抜けて海空姉さんの下へ。


「ふっ、練習試合もまた試合なり。試合はすなわち死合いなり。巴、覚悟!」


 膝のばねを利かせてスマッシュの体勢を取る海空姉さんを見て、笹篠がバックステップで下がり、迎撃準備を整える。


「また来るよ、白杉、準備!」

「分かってる!」


 練習一日目なのにスマッシュをバカスカ打ってきやがって!

 海空姉さんの腕が頭上へと振り上げられ、俺が打ち上げてしまった打球を最高の打点で捉え、高速で打ち出す。

 一年も本家の敷地から出たことのない正真正銘の深窓のお嬢様とは思えない強烈なスマッシュにお手伝いさんたちが感動のあまり拍手喝采。

 いや、絵になるけどね!?


「負けるか!」


 ラケットをやや寝かせて、バウンド直後のボールの頭を撫でるように打ち返す。縦回転を過剰に加えられた軟式ボールはムンクの叫びのような細身となり、迅堂の逆手側、真横を通り抜ける軌道を取った。


「よっと」

「まじか!?」


 迅堂がラケットを背中に回してあっさりとボレーしてくる。

 海空姉さんのスマッシュに備えて前衛の笹篠が下がっていたこのタイミングで、ネット際に落とすようなボレーはこれ以上ないほど凶悪だ。

 というか、なんだあの曲芸打ち。テニス部よりうまいだろ。どれだけ時間ループをしてればあんなことできるんだよ!?


 だが、笹篠も負けていない。大股で一気に距離を詰め、ネット際でバウンドする直後のボールを拾い上げる。

 妙な回転が掛かったボールは斜めに弧を描いてネットを超え、相手コートに着地すると意地悪く斜めにバウンドした。


 しかし、予想していたように海空姉さんがボールの進行方向に回り込んでいる。


「ボクの偉大さを心に刻んで逝くがいい!」


 俺がやったようにラケットを軽く寝かせて、勢い良く振り抜く。俺とは全く完成度が異なるフォームから繰り出されたボールは海空姉さんの細腕から放たれたとは思えないほど力強い。

 万全の態勢で放たれたそのボールを素人の俺が打ち返せるはずもなかった。


「巴、討ち取ったりー!」

「せんぱーい、悔しいですか? 悔しいですか? やーい」


 煽りよる。


「やってやるよ。絶対負かす」

「お、スイッチ入りました?」


 ――ぼこぼこにされましたとさ。



 二時間ほど練習して、そろそろバイトに向かわなければならなくなり、今日のところはお開きになった。


「白杉、かなり上達したわよ」


 笹篠が褒め言葉と共にスポーツドリンクを渡してくれた。

 礼を言って受け取り、一口飲む。疲れた体に染み渡る。


「半引きこもりの海空姉さんにぼこぼこにされたのが悔しい」


 良く体力持ったな、あの人。さすがに後半は動きに精彩を欠いていたけど。

 迅堂もとんでもない腕前だった。

 笹篠が不思議そうにシャワー室を振り返る。


「あの二人ね。本当になんであんなにうまいのかしら。天才よね」


 笹篠と同じ未来人だからだよ。

 言わないけど。


「笹篠はシャワーを借りなくていいのか?」

「このまま家に帰ってのんびりお風呂に入るわ。私はバイトもないしね」

「そうか。海空姉さんに送ってもらうといいよ」

「緊張するのよね。あの人、美人過ぎて」

「笹篠がそれを言うのか」

「……あ、ありがと」


 口の中でもごもごと礼を言う笹篠を見る。

 何この子、自分が美人だって自覚あったはずでは?


「褒められ慣れてないのか?」

「有象無象と好きな人に褒められるのは違うのよ!」

「そういうもの?」

「そういうもの!」


 耳まで赤くして顔をそむけた笹篠はベンチに座る俺の横に腰を下ろした。


「明日も練習するんだから、白杉も帰ったらお風呂で足や腕の筋肉を揉み解しときなさいよ」

「バイト疲れもあって爆睡しそう」

「頑張りなさい」

「はーい」


 飲食店でバイトだから湿布も貼れないし、帰ってお風呂は必須だな。

 両親に連絡すべきか、海空姉さんに話を通すべきか悩むところ。今日もお呼ばれしたら三日連続で本家泊まりになる。

 こうして一緒にテニスをしたんだから、海空姉さんも満足したと思うけど。

 俺は笹篠に問う。


「実際のところ、クラス代表の座は勝ち取れそうか?」

「何度繰り返しても、同じ試合は一度もないのがスポーツの難しいところよ。でも、クラス代表の座は私が何としてでも奪ってあげるわ。白杉はボールを拾うことに集中して、隙を見つけたらスマッシュでお願い」

「やっぱり一日、二日の練習でテニス部ペアに勝つのは難しいか」

「私と白杉のペアなら行けるわよ。白杉は勝負勘がいいし、スマッシュも私よりすでに上手いからね」

「買い被りだ。上手くないよ」

「私がスマッシュ苦手なのよ。練習はしてるけどね」


 そういえば、今日も二回くらいスマッシュをミスしてたな。


「そっか。俺にも役割がありそうでちょっと安心した」

「頼りにしてるわよ」


 話をしていると、海空姉さんと迅堂がシャワー室から出てきた。

 迅堂が俺を見つけて羨ましそうな顔をする。


「男の人は身支度が早いですね」

「髪を乾かす手間だけでもだいぶ違うからな」


 時計を確認する。今からなら、歩いてもバイトの時間にはぎりぎり間に合うだろう。バスを使うから余裕もある。

 とはいえ、事故でバスが止まっていないとも限らない。早く向かうに越したことはないな。


「迅堂、何もないなら、すぐにバイトに向かおう」

「ですね。荷物だけ取ってきます」


 迅堂が小走りにロッカーへ向かっていく。

 俺は海空姉さんに声をかけた。


「車で来てるだろ? 笹篠を送ってあげてくれないか?」

「構わないとも。巴の大事なパートナーだ。……可愛がらないとね」


 海空姉さんが意味深に笑うと、笹篠の肩が怯えたように跳ねた。

 本当に苦手なんだな。未来で何があったんだ?

 全員でテニスクラブを出て、海空姉さんと笹篠が車に乗り込むのを見送ってから、迅堂と共に歩き出す。


「何で車で喫茶店まで送ってもらわないのかと思ったら、定員だったんですね」


 迅堂が車を振り返る。

 高級車でも何でもない、四人乗りの普通乗用車だ。運転手を務めるお手伝いさんともう一人のお手伝いさん、海空姉さん、笹篠の四人で定員である。


「リムジンとかないんですか?」

「邪魔になるだけだよ」


 バスに乗り込んで、奥の席に座りこむ。


「先輩、先輩、シャワー室で海空の姉御と話したんですけど、明日も一緒にテニスしましょ」

「いいのか? バイトは明日もあるのに」


 今日一日でも結構疲れた。これからバイトと考えると、なかなか堪える。

 ただ、二人が練習に付き合ってくれるのは嬉しい。二人とも経験を重ねに重ねた未来人だけあって、練習相手としてはこの上ない腕前だ。


 迅堂は得意そうな顔をする。


「この迅堂春、白杉先輩のお役に立つ点では他の追随を許しませんよ。追いつく輩は蹴り落としますので!」

「物騒だなぁ。でもそういうことなら遠慮なく、付き合ってくれ」

「ワンモアプリーズ!」

「物騒だなぁ」

「そこじゃないですよ!」


 言質を取ろうとしているあたり物騒だわ。

 窓の外を見る。すでに日は落ちて、街灯もぽつぽつと点いていた。

 バスの横の車線を大型トラックが抜けていくのを見てドキリとする。


「……なぁ、俺っていつ死ぬんだ?」


 気になってはいたが、目標ができるとなおさら知っておきたくなって、迅堂に尋ねる。

 迅堂はカバンを抱きしめて俺を見た。


「死なせません。そのために、私は未来から来たんですから」

「だとしても、俺自身も注意しておきたいんだよ」

「……時期はかなりブレがあります。一学期が終わった直後から、二学期の開始直後まで。ほぼ夏休み中に、白杉先輩は焼死します」

「――焼死?」


 トラック事故じゃないのか?

 笹篠と迅堂ではたどり着いている未来が違うのかもしれない。

 迅堂がカバンを強く抱きしめる。


「先輩、いまは白杉先輩自身のことよりも、笹篠先輩を気にした方がいいです」

「なんでだ? ……いや、まさか」

「はい、そのまさかです。笹篠先輩は球技大会の本戦を待たずにトラックに轢かれて――亡くなります」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る