スイッチ

北海ハル

第1話

 ある休日の朝である。

 普段通り8時半に起床し、食卓へ向かったところだった。

「冷めないうちに食べちゃってね。」

 そう言って母は僕の前に焼鮭とお椀いっぱいの白米を出し台所に戻っていくところで、ふと異変に気付いた。

 母のうなじにスイッチが付いているのである。

 それは別に変わったものじゃなく、普通の家の明かりのスイッチみたいなもので、今は「ON」になっていた。

 何となく気味が悪くて、朝ご飯は味がしなかったし喉も通らない。

 結局半分くらい食べたところで台所の母のもとへ持っていった。

「やだ、折角いっぱい炊いたのに……しょうがないわね。」

 そういって母は僕の朝ご飯の始末をする。その様子に変わったところは無くて、スイッチの事など気にもしていないようであった。

 言おうか迷ったが、本当に気味が悪くてやめておいた。


 更に気味が悪くなったのは、外に出てからである。


 家を出て暇を潰しに買い物に出掛ける途中、街ゆく人のどのうなじにもスイッチが付いているのだ。

 ワイシャツを着たおじさんも、私服の女子高生らしき女の子も、果ては母親に抱っこされている赤ん坊にまでスイッチが付いている有様だ。

 昨日まで見えていなかったものが急に見え出し、思わず吐き気とめまいをもよおす。

 こうなってくると気になるのは、自分のうなじだ。

 僕は道端に屈み、ゆっくりと首元に手をやる。



 付いていなかった。



 気が狂いそうだった。

 日本で、いや世界で異端だったのは、もしかしたら自分じゃないか。

 理解できない非現実と、受け入れ難い自分のに涙が滲む。

 なぜ……なぜ自分だけ。

 なぜ自分だけうなじにスイッチが無いんだ!!!

 昨日まで普通だったそれが、今日になって突然異常として僕の身にのしかかる。

 僕にはそれがどうしても耐えられなかった。

 もう、今日は出掛けるのはやめよう。

 そうして僕はわずか5分で家路を辿った。


「あら、随分と早いおかえりで。」

 そう言って僕を出迎えた母は、相変わらず自分の異常性……いや、異常性に気付いていないようだった。

 とぼとぼとリビングへ足を向けながら、母へ問いかける。

「母さん……首元の……なんなの……僕だけ付いてないんだけどさ……」

 それを聞くと、母からは思いがけない返事が返ってきた。

「……あら!本当!何かしら、これ……何かのスイッチみたいね……」

「気付かなかったの?」

「いやあね、こんなの付いてたらお風呂の時なんかに気付くわよ。……できものか何かかしら……」

「いや、見た感じ何かのスイッチっぽいよ。今はONってなってるけど。」

「スイッチ?」

「うん。」

「なんでこんなところにスイッチなんか付いてるのかしら……意味分かんないわ本当にもう……」

 そう言いながら母は手を後ろにもぞもぞやっていた。

 と、不意に手が予期しない方向へ動いたらしい。母が「あっ」と漏らした。

「スイッチ、下に押し、ちゃ、っ、……」

 どうやらスイッチをOFFにしてしまったらしいが、様子がおかしい。手を後ろにしたまま、下を向いてピクリとも動かなくなってしまった。

「か、母さん……?」

 僕の問いかけにも応じない。その様子を見て僕は察した。


 うなじのスイッチは、その人の電源なのだ


 その事を悟った僕は急いで母の首元のスイッチを見る。

 やはりスイッチ状態はOFFになっており、さっきまで明るく光っていた電気も消えている。

 パチッとスイッチを上にしてやると、母さんからPCの起動音がした。


 そして母さんの顔を見た。


 見なければよかった。


 目は白目を────────いや、充血どころではない、全てが赤黒くなり、口はOの形に開けたまま、まるで虚ろを見るように床に向かっていた。

 僕はそれを見て悲鳴を上げるが、それ以上に恐ろしい事が母の口から出た。


「Human Boot Manager has experienced a problem.

 Status: 0xc000000f

 Info: An error occurred transferring exectuion.

 You can try to recover the system with the Human Mother System Recovery

 Tools.

 You might need to restart the system manually.

 If the problem continues, please contact your system administrator or Mother

 manufacturer.」


 母の口から出たそれは、英語が得意でない僕でも何となく理解出来る内容だった。

 これはPCの起動時、データに深刻な欠陥が見つかった時に出る文言と似ている。

 でも何で……なんで母の口からこんな言葉が?

 恐ろしさと気味の悪さで冷や汗をかく僕を後目に、母は赤黒い虚ろな瞳で何度も、何度もその文言を繰り返す。

 ここにいては狂ってしまいそうだった。

 僕は廊下を駆け、外へ出た。


 外も外で地獄絵図であった。

 カップルや夫婦、友達と思しき関係性の二人組のどちらかが同じように下を向いて英語の羅列を喋り続けている。

 それを見て怯えたり腰を抜かしている人の首にも、確かにスイッチはあった。

 ではなぜ、僕にスイッチが無いんだ?

 文言を聞く限りそれはその人の電源であり、それをいきなり切ってしまったことであのような状態になっていると推測できるのに。


 なんで、僕にだけ無いのか?

 なんで、なんで、なんで???

 パニックと不安で頭がいっぱいになる。

 この状況を抜け出す術は、僕は持ち合わせていない。


 僕は再度道端に屈み、耳を塞ぐ。

 いつか終わる現状を、待ち続けた。
















「そら、やっぱダメだろ。こんなのバカでも分かるよ。」

「いやあ、彼ももういい歳だからねえ。行けると思ったんだけどなあ。まあ、あの様子だとスイッチの意味には気付いていたみたいだけど。」

「昨日まで無かったものが今日になって突然姿を現す……その存在の意味には気付けても、真意に気付かなきゃそれはもう恐怖の対象でしかないんだ。彼はもう廃人確定だよ。」

「じゃあ最終報告といこう。今回のシナリオはルートC。……異常性の突発的発現により意義は理解するも真意に辿り着かず、思考の停止ないしは発狂、自殺……」

「誰もAに辿り着かないね。行ってもBだ。」

「Bも久しく聞かないな。内容は……異常性の突発的発現により意義及び真意に辿り着くも解決策を見出せず思考の停止ないしは発狂、自殺か。」

「Aは意義及び真意に辿り着き、解決策を見出し現状打破……、過去と変わらず日常を送ると。」

「まあ、俺らが入社する前……だいたい50年前くらいまではルートAはザラだったらしいぞ。」

「これこそ若者の精神的弱化と思考能力の低下かね……嘆かわしいなぁ。」

「あと最近報告が多いルートはNSだな。」

「NS?俺の管轄では出ていないな。どんなルートだ?」

No Salvation救い無し……通称NSルート。異常性の突発的発現に気付かない、ないしは見過ごし発現から一年を経過させたルートだ。触らぬ神になんとやら……って事だろ。波風立てたがらないのが最近の若者ってか。」

「ああ、そういう事か。……はは、もうこのモニタリングも必要無いんじゃないか?年々若年層の思考能力と精神力は低下、現役世代以降のヒトによる統治は不可と推定……これで報告したら一発だろ。」

「まあな……。じゃあ、とりあえず今回の報告も兼ねて一回上席の所へ行こう。多分あと数回で望まれる結果が出なけりゃこのモニタリングも実験も全部終わりだ。」

「あーあ、長かったぜ全く……18年もこの部屋で同じ光景見せられて……家に帰れた日なんか指で数えるくらいしか無いや。」

「そう言うなよ。お前なんか一時期五部くらい管轄していた時があったろ?あれを上席がえらい評価していてな。今回のお前の退任でとんでもない額面を渡す予定らしいぞ。」

「うお、マジか!?嬉しいねえ、20代を投げ出した甲斐があるってもんだよ。」

「はは、まあこれで終わるかどうかはまだ分からんが……。……『監視対象周囲全アンドロイドによる監視対象の精神及び思考能力の計測実験』か……。傍から見れば異常な実験でしか無いが……。」

「だがK国の将来のためさ。今の俺にはアンドロイドが統治するのが最善としか思えない。今回の実験からして上に立つ器も肝もあったもんじゃない。そうだろ?だってどう見ても………………」


 会話を続け、二人組の男はモニタールームを後にする。

 数十と並んだモニターには、監視され続けたと、未だにプログラムの異常を吐き続けるアンドロイドたちの虚ろな表情だけがただ映されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スイッチ 北海ハル @hata

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ