第24話 「例えば、世界がミモザみたいな差別の差の文字も知らない様な子ばかりだったら」

 朝日が昇った頃には、メルトは自室で新聞の文字を追っていた。

 一面、二面、三面……と、そこまで追いかけてようやくミモザの父親の話が浮上していた。

 しかし、相も変わらず捜査中という何の価値もない情報を見た所で、新聞を屑籠に丸めて捨てるのだった。

 

「さて……ミモザをどうするか……」


 ミモザの入学取り消し問題をどうするか思案していた所に、そんなメルトの気も知らない様な目覚まし音が寮中に鳴り響く。

 否、目覚まし声だった。


「ほーら先生! 朝だよー! あーさーだーよ!!」


 カン! カン! カン! とどうやら扉の向こう側で食器を叩きまくっているらしい。

 近所迷惑上等の起こし方だ。

 生憎寮同士はそれなりの距離にあるので、今日の所はメルトの鼓膜を刺激するにとどまっている。

 それにしてもうるさい。


「おはよーう!! 起きてー!! 出かけるよー!!」


「――朝から元気なのはいい事だが、これからお前は集団生活をするんだ。基本の常識くらいは抑えておこうか」


「うぉっ!?」


 目前でミモザがぎょっとしながら飛びのく。

 まだ銀河魔術という概念にも、不連続の地点へトンネルを作り実質瞬間移動をする“猫の解ボックスオープン”にも慣れていないせいか、魔術の世界にいながらにして摩訶不思議超常現象を見せつけられたような反応を未だにしている。

 

「おぉ……メルト先生、起きてたんだ」


「生憎ショートスリーパーなんだ。おはよう」


「睡眠時間何時間?」


「3時間」


「何この社畜……」


「先生は忙しいんだ。色々授業の準備とかもあるしな」


 適当にメルトは口にすると、若干の心配そうな表情をミモザに見せる。

 

「お前は眠れたか?」


「私は先生と違って健康第一の健康系女子でございますぅ」


「まあ、それは良かった」


 朝からここまで動き回れるくらいには、どうやら元気が有り余っているようだ。

 昨日突如父親に裏切られ、見知らぬ大人達にスパイ疑惑を押し付けられ、殴る蹴るの暴行を加えられ、果てには服を脱がされ尊厳を踏みつぶされる暴行を受けかけたのに大丈夫だ。

 

 本当に?

 その大丈夫は、大丈夫?

 

「っていうか、先生! その服何!? 先生ってプライベートもその黒いワイシャツに藍色のスーツなの!?」


 自身の服装について指摘された事で、思考の沈殿から戻ってこれた。

 

「ああ。大丈夫、全部で十着あるし、全部ちゃんと洗ってる。昨日とは別物」


「違う違う凄い違う! まさかその服しか持ってないって言うんじゃないでしょうね」


「ああ。先生はお洒落に興味はないからな」


 何でもない事の様に眼鏡を直しながら言い放つ。

 結構すらっとした体形には似合っている故、少しはお洒落の領域には達している筈なのだが、しかしこれしか持っていないのであれば話は別である。

 流石にミモザも呆れたことが分かる大きなため息。

 

「さっき基本の常識を教えるとか言ってたけどこっちの台詞だよ……!」


「えっ、開校一週間前に学院に忍び込んで一人見学ツアーをするような子に常識とか言われても……」


「そういう事掘り返してくるからこの先生は! っていうか先生、朝は食べたの?」


「言わなかったか? 僕は朝は何も食べないんだ。食欲がなくてね」


「食欲がなくても食べるの! 朝食が一番その日の暮らしに効くんだよ! 朝ご飯を制するものは人生を制する!」


「朝ご飯食わないのデフォルトだから僕、基本負けてるな」


「先生として生徒の規範になろうとは思わないの?」


「知ってる? 反面教師って言葉を」


「もうパンでも何でもいいから食べる!」


 もがが、と突然出してきたパンを口に突っ込まれた。


「その代わり昼は私が作った料理だからね! 今から肉と野菜買ってきて、先生に栄養バランスっていう家庭科の授業してやるんだから!」


「いや待て、そもそもそれを先生は了承していな……」


 ミモザは聞く耳持たずで、玄関まで走っていってしまった。

 既に玄関でいつでも準備万端のスタンバイ状態だった。

 まあ、買い物は兎も角ミモザの荷物を取って来るなら早い方がいいか、と自分を渋々納得させて、今度は銀河魔術も使わず扉を開けて外に出るのだった。

 

 

「ミモザ、気持ち悪くなったら言いなよ」


 ほえ? と心当たりのない顔をメルトへ見せるミモザ。

 

「まだ朝だから人通りは少ないとは思うが、お前の事は西のスパイだと有象無象が未だに騒いでる。基本僕がいるから手は出させないけど、僕でも言葉の暴力や悪意の目線は防げない。心にくるかもしれない。そうなったら――」


「にひひ、ありがとう。先生」


 一体こんな顔をする少女がどうしてスパイをすると思うのだろう。

 それくらい満面の笑みを見せびらかしてくるミモザであった。

 

「でもね。暴力が届かないと分かってるなら、こっちのもんだよ」


「どういう事だ?」


「私は何もしていないって、堂々と胸を張ってりゃいいんだから。そこで変な言い訳をしようとするから、変に疑われちゃうの」


「……うん、そうだね」


 細い眼をしながら、メルトも頷く。

 だがメルトはここで教師として有るまじき事に、“世界はそんな風に出来ていない”という現実を教える事が出来なかった。

 

 何もしていなければ、指を差されない訳じゃない。

 何かしたから、指を差される訳じゃない。

 

 “何かをしたと決めつけられ、剣を刺されるのだ”。

 

 真実なんて、第三者にとってはどうでもいい。

 差した、刺した相手が無実なんてことは知らない。

 

 今日は、胸のペンダントが冷たく感じる。

 二つの指輪。春風のせいだろうか、やけにそれが強調して感じ取れる。

 

 だから、代わりにミモザにこんな質問をしてみた。

 

「ミモザ。“アルファルドチルドレン”についてどう思う?」


「インベーダの子供の事?」


「そう。彼らは地球で生まれ、“宇宙船”にも乗れず星に取り残された子供達だ」


「私は会ったことは無いけど、危険な子達とかは聞いたことがあるよ。確か……“一年前”に人類に反旗を翻そうとして、沢山殺されたんだよね」


「……」

 

 少し残念そうな顔をするメルト。

 だがその曇りは、直ぐに晴れる事になる。

 

「でも、やっぱり一度会ってみたいな。どう思うかはそれからだね」


「……怖いとは思わないのか」


「そもそも一年前に反乱を起こしたのだって、“七年前”とかに人類が勝手に大虐殺をしたからもあるでしょ? 私達から見ればアルファルドチルドレンは危険って思ってるけど、アルファルドチルドレンから見れば人類が危険に見えるよ。そんなのお互いさまって事でさ、会ってみたら意外と気が合うと思うなぁ……先生は怖いの?」


「いいや」


 まさに、アルファルドチルドレンこそが“何もしていないのに殺されている代表例”と、教えるつもりだった。

 しかしスパイを疑われても尚怖がらずに外を歩くミモザを見て、それはきっと教えるべきではない事だと思った。

 だから、一つだけ経験を教える事にした。

 

「アルファルドチルドレンは、人間と変わらないよ。僕は何度か会ったから知ってる」


「だよね! 私も会ってみたい!」

 

 やっぱり今日は、胸のペンダントが冷たく感じる。

 二つの指輪。冬がまだ残っているせいだろうか、やけに冷たく感じ取れる。

 例えば、世界がミモザみたいな差別の差の文字も知らない様な子ばかりだったら、このペンダントも暖かく感じただろうに。

 

「わっ! 先生、あそこ見て!」


 ミモザが指を差した先で、火の手が上がっているのが見えた。

 メルトはそれを見て、今日読んだ朝刊の二面に乗っていた生地を思い出した。

 

「……あの場所、新聞に載っていた場所だな。夜中から火事が起きてるっていう」


 先程捨てた新聞。

 その二面に乗っていたのは、“人間更生施設”であるアルファの建物が突如爆発をしたという事件だ。

 原因は不明。ただし、半分ほど吹き飛んだ建物から救出された者達は皆、“白髪になる程の恐怖を覚える、強烈な幻覚から覚めないまま”だという。

 軍は禁止されている麻薬の集団摂取の線で、引き続き調査を進めるらしい。

 

 まず、“人間更生施設”が奴隷売買集団の隠語表現である時点で、確かに麻薬の線を当たるのもやむを得ない事だろう。

 だが――その奴隷売人達の症状。

 

 “白髪になる程の恐怖に晒され、覚めない悪夢にずっと魘されている”という事。

 

(間違いない……銀河魔術の暗黒属性である“惨毘歌トライアングル”だ。まだこの星にそんな暗黒を扱えるインベーダが残っていたというのか)


 そこで、思い出したのは。

 もう一人の、白日夢オーロラスマイル

 

(その線もあるな)


 しかし、奴隷売買集団が暗黒に晒されてその精神ごと崩壊したのと、一面の記事に乗っていた内容は無関係とは思えない。

 

 “ジェニファー=ハーデルリッヒ”の失踪。

 勘当されていたとはいえ、メルトにとっては叔父にあたる存在だ。

 夜中、家を出たっきり行方が分からなくなっている、らしい。

 

(あの火事を起こした張本人に連れ去られたか、あるいは消されたか……)


 面識があるとはいえ、特に何も思わない。

 特にいい思い出がある訳でもないし。

 

 だがそれはつまり、“惨毘歌トライアングル”を操れる程の暗黒使いがこの街にいるという事に他ならない。

 それがもう一人の自分を名乗る存在かどうかはさておいて、警戒はする必要はある。

 

「……先生、顔怖いよ?」


「ああ。ごめんごめん」


 そう言うと、メルトは自分が既に中心街に到達していたことに気付いた。

 まだ朝早くで人も疎らだが、勿論ミモザに向けられる悪意に気を使わなければ。そう警戒を繰り広げていた時だった。

 

「えっ、ちょっと待って」


 最初に気付いたのはミモザだった。

 メルトが気付くよりも先に、ミモザが走り出してしまう。

 

「ミモザ、待――」


 って、という言葉は出なかった。

 何故なら、ミモザが駆けだした理由が直ぐに分かってしまったからだ。

 

 

「フクリ! なんでこんな所で寝てんの!」


「ん……?」


 フクリが、ベンチに布をかぶせられて眠っていたからだ。

 丁度起きたフクリは、焦点が定まらない眼でメルトとミモザを見る。

 

「あれ? お二人とも……どうしてここに? というかここ……どこです?」


「そりゃこっちの台詞だよ! なんでこんな所で、しかも布団までして……! まさかあの店の客に酒を盛られて……!」


 フクリの両肩を掴んで、ぐわんぐわんと頭を揺らすミモザ。

 眼鏡が落ちない様に支えた所で、遂に目が覚めたのか光を宿すと逆にミモザを掴んだ。

 

 

雨男エトセトラ……雨男エトセトラさんはどこですか!?」

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