第8話 星

「沢山歩いたー! でもこれで巡り切れてないってベータ魔術学院、本当どういう事!?」


 流石に黄昏時まで歩いていれば、ミモザの様な活発な子でもくたびれるらしい。

 しかしメルトも少しは同じ感想を抱いている。学校って、広すぎる。

 校舎の屋上で、星が生まれ始める空を眺めながら、二人揃ってベンチに座っていた。

 

「流石にお腹すいたね。君の分、何か売店から買ってくるよ」


「ああ、大丈夫。私ね、弁当作って持参してきたから! どうだ!」


 指定の学生鞄から弁当箱を取り出すと、『してやったり!』という顔でミモザが見せびらかしてきた。

 中の料理のラインナップも、それなりに家庭的だ。

 いい笑顔だ。少なくともメルトはそう思った。

 

「しかし……弁当とはまた意外な」


「なに? それはミモザさんが料理もできない人だと思ってたとか? そこまでは私の事調べられなかったんだねぇ」


「多分ミモザは口数を減らした方がいいね。折角抱いた敬意が薄れるから」


「先生は憎まれ口を減らした方がいいね。折角抱いたありがたみが薄れるから」


 ミモザはベッ、と舌を出して料理を頬張る。

 一方のメルトと言えば鼻で笑って、ポケットから取り出したパンを頬張るだけだった。

 

「ちょっと先生、夕食それだけ?」


「大人はこれだけあれば十分」


「まさか朝昼夜、それとかじゃないよね?」


「朝抜いて昼夜パン。ほら、頭なんて糖分ありゃ動くんだから」


 何か気づいてはいけない事に気づいてしまったようなミモザ。


「……あのね先生。安易にインスタントに走る事を質素と呼ぶなら、それは私は違うと思うの。栄養が偏ると、本気で人はおかしくなるよ? だからそんな痩せこけた体なんだな……?」


「大丈夫大丈夫。魔術サプリメントとか飲んで食物繊維とか栄養に必要なものは摂取してるから。パンはあくまで頭動かす用」


「どこまでメルト先生は合理主義なの……?」


「さて、学校探索も今日はここまでだ……最後にこの学校から見える一番いい景色を教えてしんぜよう」


 そう言うと、メルトは指を空に向かって指した。


「えっ、どういう事?」


「学校内でここが一番見えるんだよ。星」


 紅の境界線が、丁度“壁”の向こうへ追いやられていた。

 今や二人を照らすのは、満月の儚い光と、星々のそこはかとなき光と、街の我儘の光のみ。


「あぁ……今日は満月だから、星が隠れちゃってるねぇ」


 仰いでいた顔をミモザに向けると、物凄い笑いをこらえていた。

 失礼な奴だ、とメルトは思ったが半分自分のせいでもありそうなので口にしない。

 

「先生……意外すぎるというか……星見上げる趣味なんてあったの?」


「ああ。例えばあの星が何で出来ているか、知ってる?」


「何でって……っていうかどの星を指してんの?」


 意味深な質問に、ミモザの顔がいよいよ曇った。

 しかし真剣に星を見ようとするミモザに、小さく笑うメルト。

 悪びれもなく、答えを口にする。

 

「僕も分かんない」


「いや、そんな自信満々に言われても……」


「じゃあ、あの星に俺達の様な生命はあると思う?」


 二回目の質問。

 ミモザは相変わらず真面目に星を見上げて、遂に答える。

 

「インベーダがいるくらいだから、いるんじゃない?」


「多分ない、と思う」


「どうして?」


「質問に質問で返すのは良くないけど、人間が生きていくのに必須な四大条件は?」


「えっ……?」


「何となくでいいよ。考えてみて」


「ご飯と、水と……空気と……適した温度?」


「良く絞り出した。その通り。4つがないと人間を含めた動物も、あとインベーダも生きていけない」


「あっ、聞いたことある。私たちの星って、太陽に後3ミリ近かったら生命が無いんだよね?」


「そう。そんな誤差で明暗が分かれる世界だ。僕達生命が何億年も歴史を紡いでいるのは、奇跡的確率と言ってもいい」


 あぁ、でもとメルトが補足する。

 

「だがあの星があるのも、隣の星があるのも、こうして見える星全てがあるのも、宇宙の奇跡に触れた結果だ」


「宇宙の奇跡?」


「重力、粒子、空間、時間……そして暗黒物質。これらの要素が奇跡的にかみ合って、星は生まれる。生命の有無は別にして、それぞれの奇跡が表れている」


「なんか先生、宇宙の先生みたいだね」


「一応、僕の専門は宇宙だから」


「えっ、魔術の先生じゃないの?」


 魔術学院で教える事は、主に魔術の理。

 そしてベータ魔術学院ならではとなると、戦闘の仕方、一般教養。

 しかし魔術師でなくては、この魔術学院の教師は務まらない。


「確かに魔術師だよ。地水火風は勿論やってもらう。ただ僕の場合、魔術って奴を宇宙を通して教えるってだけだ」


 まあ、授業自体は開校してからのお楽しみって事で、とメルトが話題を切る。

 するとミモザは笑いながらも、若干がっかりした様子で言う。

 

「なーんだ……先生もしかして印象に合わず星を見上げる事が好きなのかとか、星座とか好きなのかと思った。だったら私も同じ、って言えたのに」


「セイザ? 女の子の座り方?」


「ちょっ……星座知らないの!? やたら宇宙やら星やらについて語ってるくせに!」


「星座……星座……」


「あーもう! 私が教えてあげる! いい!? あの星と星を繋げるとね」


「あの星とあの星ってどの星?」


「だーかーらー!」


 ミモザが密着してきて、メルトとなるべく同じ目線になって星々を指さす。

 しかしメルトがしっくりこなくて、ミモザが必死に説明するところから、ミモザの授業が始まった。

 ようやく紙に書いてまで星の位置を示した後で、そこからは楽しそうにミモザが星座について語りだす。

 説明が下手で、話の理解としては半分も入ってこなかったけれど、必死に好きなものを語る生徒を見るのは好きだった。

 

 まるでいつかの自分を追憶しているみたいで。

 今自分が、よりツクシになれている気がして。

 

「かくしてオルフェウスの死後、彼の持っていた琴が星座となり、こと座と呼ばれるようになったのでした」


「そりゃ哀しい悲劇だこと……」


「でもそういう物語があの煌めきに含まれると考えたら、胸が躍らない?」


「……」


「絶対踊ってないなこの先生……! 一瞬でもロマンチストなのかも? と思った私が馬鹿だった……」


「でも星が綺麗ってのは、とても合意だ」


「本当に?」


「あの星一つ一つが、宇宙の奇跡の軌跡だ。光の一つ一つに、個性がある。ここからだと全部同じ光にしか見えないけどね。でも僕は、ずっと眺めていたらどんな光なのか分かるような気がするんだよ。あと、いつか消えてしまわないかって心配になる」


「えっ、星って消えるの?」


「そういう事もある。君の言ったこと座も、いつか無くなってしまう……でも」


 一瞬二人のすぐそこを、春風が攫って行く。

 

「それでも、オルフェウスが妻を冥府という宇宙から頑張って引っ張り出しているような、命と奇跡の輝きの綺麗さってのが、僕は勝っちゃうんだろうな……だからこうしてずっと、空を見上げてられる」


 そう言われて、ミモザもまた涅色に描かれた天体模様を見上げた。


「なんとなく……わかるかも」


 その時、白く透明な線が刹那だけ、星空を横切った。

 あっ、とミモザが声を上げると突然呪文でも唱えるように口ずさみ始めた。


「楽しい学校生活になりますように、楽しい学校生活になりますように、楽しい学校生活になりますように」

 

 純粋な願い。

 それを純粋に、三回数える。

 そんな健気な様子をメルトに見られて、流石に顔を赤くしながらミモザが口をへの字にする。


「先生の事だから『流れ星に願いをかけるなんて時間の無駄だ』なんて言うんでしょう?」


「ああ惜しいなぁ……『流れ星って、正体は宇宙から落ちてくる塵なんだけど、君は塵に願いをかけるのかい?』」


「うわっ! この先生、開校前から生徒の夢を全力で叩き壊した!! 最低!」


「でも願いを呟けるなら、それは健全な証拠だよ」


「どういう事?」


「これが一年前までは、人々は空を見上げるのも怖かったらしい。皆、下を見て歩いていた。今でもそういう人は多い」


 何故なら、空を見上げたらインベーダが降ってくるかもしれないから。

 青空を飛ぶ鳥が、夜空に瞬く星が、一年前までの人類には全てインベーダに見えて仕方なかったのだ。

 今でも、そうやって空を見上げる事が出来ない人は多い。


「けど……今人類は、横を見る事さえ憚るようになった」


「“ガラクシの壁”の事?」


 星空から視点を下に移し、地平線を見ようとすると圧倒的な高さの壁が立ち塞がっている。

 あらゆる建物よりも巨大なその壁は、インベーダとの戦争でもついに破壊されることは無く、世界で圧倒的に広大な土地を持つガラクシ帝国を二つに分断している。

 ガラクシの壁。

 人類が生み出した負の遺産にして、絶対の境界線。

 かつては世界を支配する大国だったガラクシ帝国は、歴史のいたずらで東西に別れ、インベーダがやって来るまでは同じ人類で戦争を繰り返していたのだ。

 

 メルトとミモザがいるベータ魔術学院は、東ガラクシ帝国に位置している。

 つまり、壁の向こう側は全て西ガラクシ帝国にあたる。

 

「結局“コバルトウォーズ”は、一時的に東西のガラクシ帝国を共闘関係にさせた。でも戦争が終わった途端、あの壁が示す通り東西は再びいがみ合っている」


「うん、わかるよ……父さん、外交官だから。そういう情報はたくさん入ってくる」


「またいつ戦争になるか分からない。この街“アルファ”も、あの壁を破ってきたら戦場になるかもしれない」


 緊張に近い街だからこそ、西ガラクシ帝国に対する敵意も凄まじい。

 メルトとミモザが改めて街を校舎から見下ろすと、微かに轟音が響いていた。

 復興中の街並みの中で、バラバラの武装が施された自警団が街を闊歩している。

 

「自警団……今日も元気だな」

 

「あの人達……この前も協力を強要してて……、従わない人達を一方的に殴り殺したんだよ」


 ミモザが忌々しげに語る内容に、メルトは耳を傾ける。

 

「それに、難民キャンプもこの前襲撃してた……中に西ガラクシ帝国からのスパイがいるかもしれない。お前達みたいな得体のしれない連中は絶対に街に入れない、東ガラクシ帝国から出てけって……」


「……東ガラクシ帝国は今復興で手一杯だ。だからあんな制御できない連中も出てくる。それに奴らのトップには貴族が力を貸しているみたいだしな。殺しても、追放しても実質お咎めなしだ」


「心配だよ……難民キャンプに私の親友がいるの。ここの生徒なんだよ?」


 今はまだその親友には害は出ていないが、間違いなくこのままでは危ない。

 ミモザは心から心配している顔で、屋上を隔てる柵に顔をうずめた。

 

「でもすごくいい子でね。先生も憎まれ口叩けなくなるくらいだよ」


「まるで僕がいじめっ子みたいな言い方だな……その生徒については、寮に入ってもらった方がいい」


 どうしても食費含め無料貸し出し、という訳にはいかないがベータ魔術学院には寮が存在する。

 教師一人一人に寮は割り当てられており、一応のインフラも整備されている。

 教師は寮長ともなり、入ってきた生徒達と生活を営む一面も持つ、

 実際メルトも今住んでいるのは、たった一人で住むには広い寮なのだ。


「でも、先生がいるならあの子も楽しめそうだからよかった。その子、優しいんだけど奥手でさ」


「本当に大事な親友さんなんだね」


「私が越してきた時に会った子でさ、あの子には幸せになってほしいし、何より一緒に学校で勉強したい」


 そしてミモザは心からの笑顔で言う。

 

「だって私、ずっと友達と話しながら学校に通って、勉強して、いっぱい青春するのが夢だったんだもん」


 メルトは、生徒の願いを聞いて、もう茶化すことはしなかった。

 だってそうやって現在を学び、未来に気付いて築けるように導くのが、教師の役目だったから。

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