第9話 嬉しくない再会

「次からは勝手な行動をしてくれるなよ、メルト」


 ミモザを帰宅させ、自分の机で作業を続けていたメルトに、罵声が飛んできた。

 メルトと同じく黒髪で、短髪の青年。教員達の中では若い方だが、身に着けているスーツやローブも一級品ばかり。

 座るメルトに対して、上から忌々しげに睨んでいる。

 

「まったく……子供の頃と何も変わっていない。お前はどこに行ってもお荷物だな」


「そういう兄さんこそサル山の天辺探す事しか知らないんだねぇ。グローリー兄さん」


「その気味悪い薄ら笑いをやめろ。張りついた様で気持ち悪い」


 ぴし、とグローリーが言い切る。


「お前みたいなのがハーデルリッヒの名を名乗っているとね、こっちの品格まで落ちるんだよ!」


「とっくに破門済みでしょう。今の僕に、苗字はないです」


 メルトに反論されて舌打ちをしたグローリーも、そしてメルトもある侯爵の子息である。

 ハーデルリッヒと呼ばれる東ガラクシ帝国でも屈指の名家に次男として生まれたグローリーは、出来損ないだった弟であるメルトをいじめ続けてきた張本人でもあった。

 インベーダ襲撃の際、丁度街を離れていた当主である父親と自分を除いて、ハーデルリッヒ家は骨も残らず消滅した訳だが、権威は今もまだ消えていない。

 ちなみにメルトは既に死んだと思われていたようで、勝手に家族の縁が切れていたらしい。しかしメルトにとってはどうでも良すぎる話だった。

 

 その二人がどういう因果か、同じ学院で教鞭をとることになった。

 一人は、ベータ魔術学院開校に伴いハーデルリッヒ家として一番の出資を果たし、全ての教員を取りまとめる教頭として。

 もう一人は、何故かベータ魔術学院に居座って、列を乱そうとする邪魔な教員として。

 

「おっと。こんな職員室にまで家の事持ち込むのは止めましょう。それこそハーデルリッヒの品格が落ちるというものですよ。グローリー教頭」


「子供の頃からどれだけ魔術の腕は上がったんだろうな? 大魔術の一つも撃てやしない。そんな奴に魔術学院の職員室を語る資格はないんだよ」


 いいか!? というグローリーの発言が職員室中に響き渡る。

 

「魔術学院の教師は、全魔術師や戦士の道しるべたる存在だ。魔術を極め、剣術を極め、人間を極め! 極めに極めた人間のみが、未来へ魔術を講ずる事を許される。魔術ってのはそうやって過去から未来へ、純度を保ったまま伝えられてきたんだよ!」


 他の教員も同意の眼差しを向けている。

 プトレマイオスを始め、何人かは職員室を離れているが、少なくとも今いるメンバーは早速グローリーの腰巾着を目指しているようだ。

 

「お前の様な人間がいるとな、魔術の質が落ちる! お前に教えられる子供達が哀れで仕方ない。何よりベータ魔術学院のモラルが疑われるんだよ!」


 胸倉を掴み、顔を極限にまで近づけるグローリー。

 

「辞めろ。お前はこの場所にふさわしくない」


 普通の人間なら、ハーデルリッヒ家の人間に睨まれることは、即ち社会的な死を意味する。

 それならまだいい。例えこの場で殺されたとしても、その悲劇すらもみ消すことは容易い。

 当然、睨まれた側は歯を震わせ、涙涎失禁を垂れながす。

 しかし、メルトは溜息を一回着いて、何でもないと言わんばかりにグローリーを見返すのだった。

 

「僕が魔術的に劣っていて駄目なら、人間的に劣っているグローリー教頭はどうなんですかね」


「なんだと……?」


「噂はかねがね聞いてますよ。政治的に邪魔な奴を、戦争中の不幸な最期に見せかけて殺したそうじゃないですか。まだそれならいい。ただ道でぶつかった相手を消したそうじゃないですか。思い通りにならなかった女性を、湖に浮かべたとかもね」


「俺がやったという証拠がどこにあるんだ」


「別に。しかし人の口に戸は立てられないし、火の無い所に煙は立たない。心当たりはあるんじゃないですか?」


「貴様……!」


 メルトの右頬に、殴打が炸裂する。

 しかし倒れる事は無く、口の中を切って血を流していただけで、特に不敵に見つめる視線は変わらない。

 

「優しくなりましたね。殴打で済ませるとは……いや、いかにハーデルリッヒ家と言えども、プトレマイオス先生が怖いのかな。職員室でこれ以上事を荒立てたくないのかな」


「まだ減らず口を……」


「まあそう怒らないで。僕は警察でも兵士でもない。摘発するつもりもないし、そんな力は僕にはない。あなたが一番よく知ってるでしょう」


 血を拭うと、今度はメルトの方から顔を密着させた。

 ……その時の、般若の様な表情が、実力で優位と思っているであろうグローリーに一瞬、躊躇いを覚えさせた。

 

「……さっきモラルがどうとか言ってたな。生徒の前でそれに反する行動を取ってみろ。ましてや生徒を消すなんて行動取ってみろ。僕が差し違えてでも、お前を消すぞ」


 どっ、と職員室中から笑いが起きた。

 周りの教師達が腹を抱えて嘲笑の声を上げたのだった。メルトにそんな力があるわけがない。差し違えた所で、かすり傷一つ与えられないだろう。

 一瞬竦んでいたグローリーも遅れて、高らかに笑い声をあげる。

 

「俺の魔術師としてのランクを知っての冗談か。もう少しマシなものを思いつけよ」


「失礼。僕はコメディは苦手なものでね」


「ならここでもう一度刻んでおくか? 子供の頃、散々植え付けた恐怖って奴をよ……」


 グローリーの両手に、魔法陣が出現される。

 体内の膨大な魔力を、緻密に綺麗に整理し、最大限効率的な現象として発生させる為の図形。

 六芒星で、紅色――基本属性である火属性を凌駕して太陽の如き灼熱を可能とした例外属性“陽”の魔術をいつでも発射可能なように準備しているのだろう。

 流石に周りの教師達も洒落にならないと思い始めたのか、しかし止めるでもなく職員室から逃げるように帰っていく。

 それを見た上で、メルトは溜息を吐いた。

 

「成程……灼熱で溶かしてしまえば、死体も証拠も残らないと」


「おいおい。人聞きの悪い事を言うなよ……ただ、俺は教頭として、部下である君に教育する立場にあるからね。腕の一本や二本、安いものだと思わせるのも私の仕事だ」


「……今日は帰ります。仕事終わってるんで。お先」


 流石にグローリーも職員室でいきなり灼熱を放出する事は本意ではなかったのか、魔法陣を収めた。

 だがメルトの背中を見て、勝ち誇ったかのようにふん、と鼻を鳴らすのだった。

 

「吠えるのが精一杯か。才能無き負け犬め……プトレマイオス先生も何故あんな奴を採用したんだか」

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