第313話

 父トリル・トルフは満面の笑顔だった。


「お待たせして申し訳ございません。伯爵閣下」

「全然待ってないよー。ぼくたちの方こそ急にきてごめんね?」


 父トリルは大げさにぶんぶんと首を振る。


「そんな、何時であろうと、伯爵閣下の御来訪は我が商会の喜びでございますゆえ」

「ありがとう。そう言ってもらえると助かるよー」

「もったいないお言葉でございます」


 父トリルはちらりと俺の方を見た。

 父トリルに対して、俺はアルフレッド・リント子爵だと明かしている。

 そして、事情があって正体を隠していることも教えている。


 だが、今は狼の被り物をかぶったままだ。気づかないかもしれない。


「ありがとう。戻ってくれてかまいません」

 父トリルはこれまで俺たちの相手をしていた店員に声をかける。


「はい。伯爵閣下。お会いできて光栄でした」

「ありがとうね」


 クルスは、握手するため手を差し出す。

 感激した様子で店員はクルスと握手する。

 そして何度も頭を下げながら、部屋から出て行った。


 店員が出て行ったのを確認すると、父トリルは俺に笑顔を向ける。


「違ったら、申し訳ありません。リント子爵閣下ですよね?」

「やはり気づかれましたか」


 俺は被り物を脱いで、それを机の上に置く。

 そして俺は改めて頭を下げる。


「この前はありがとうございました」

「なんのなんの。我が商会にとっても良い取引でした」


 父トリル相手には、牛肉を販売した。

 そして、ムルグ村で使う日用品を大量に買い込んでいる。

 最後に訪れたのは、ユリーナに恋人のふりをしてくれと頼まれる少し前だ。


「りゃあ」


 シギショアラが俺の懐からもぞもぞ出てきた。

 俺が机に置いた被り物に興味をそそられたのだろう。


「こ、これはシギショアラ大公閣下もおいででしたか」

「りゃあ?」


 シギは狼の被り物を両手でつかみながら、首をかしげた。

 父トリルには、シギとティミショアラを紹介してある。


「よくおいでくださいました」

「りゃ!」


 シギ相手にも父トリルは深々と頭を下げた。

 シギも見よう見まねで頭をぴょこッと下げた。


 それから父トリルは俺とクルスに笑顔を向ける。


「ティミショアラ子爵閣下には、あれから何度かおいでいただきました」

「そうだったんですか」

「ごひいきにしていただいております」


 シギの宮殿に行くと、ティミがお菓子を出してくれる。

 そのお菓子はどれも美味しいものだった。

 もしかしたら、トルフ商会で手に入れていたのかもしれない。


 それから、父トリルはクルスに向けて言う。


「伯爵閣下、今回の御来訪は……支店の件でしょうか?」

「それも話したいことではあるんですけど……。今日は別の要件なんです」

「もにゅもにゅ」


 クルスは俺をちらりと見る。

 いつの間にかクルスの手をモーフィが咥えていた。

 握手しているクルスを見て、咥えたくなったのかもしれない。

 いつものことだ。

 俺は気にせず話を進めることにした。


「実は我々は精霊石の売買取引を進めております」

「……精霊石ですか?」

「ご存じありませんか?」

「はい。その精霊石というのは、魔石とは違うのですよね?」


 俺は机の上に大き目の精霊石を置いた。


「どうぞ、手に触れてご覧ください。害はありません」

「では、失礼して……」


 父トリルは真剣な表情で精霊石を観察し始めた。

 その表情は、ユリーナの父そっくりだ。

 一流の商人はこういう目をするものなのかもしれない。


 しばらく観察した後、父トリルは言う。


「大変綺麗な石ですが……」

「宝石としては不適ですよね」

「はい、そう思いました。宝石とは、別の価値があるのでしょうか」

「そのとおりです」


 俺は小さな精霊石を改めて机に置いた。


「ちなみに我々が、この小さな精霊石につけた値段は……」

 紙にさらさらと値段を書いて見せる。


「…………」

 父トリルは言葉をなくしていた。


「驚かれましたか?」

「失礼ながら、はい。驚きました」


 俺は精霊石の危険性なども軽く説明する。


「なるほど。それならば、高価な理由もわかります」

「ちなみに、トルフ商会としては買いたいと思われますか?」

「正直に教えて欲しいな」

 クルスが笑顔で言う。


「……まことに失礼ながら」

「ですよね」

「ぼくも買わないと思うよー」

「もにゅ」


 モーフィはまだクルスの手を咥えている。

 フェムは大人しく俺の足元にいる。

 そしてシギは俺の脱いだ被り物の中に入って遊んでいる。


 父トリルは一瞬シギの方を見てから言う。


「閣下たちは、精霊石の買い手をさがしているわけではないのでしょう?」

「そうですね。買いたいという人はもう現れましたからね」

「では、なぜ私のところに……?」

「買いたいと言ってきている方が、トルフ商会の方だからです」

「…………」


 父トリルはしばらく言葉を失っていた。


「……本当でございますか?」

「正確には、買い手を見つけてくれたという形ではあるのですが、買い手の情報は全く教えていただけないので」

「ぼくたちとしては、トルフ商会に売るという形になりますねー」

「たしかに、それならば、そうなりますね」

「額が額なので、本当にトルフ商会は買う気があるのか確かめに来ました」


 クルスがそういうと、父トリルは険しい顔になる。


「その買いたいと言ってきたものは誰なのでしょう?」

「トクル・トルフさんですよ」

「愚息が……」


 父トリルの顔はすこし引きつった。

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