第309話

 精霊石の販売をリンミア商会に委託してから、一週間が経った。

 いつも、ユリーナは遅めに帰ってくる。

 教会での業務を終えた後、リンミア商会に寄って報告をうけるからだ。


 その日も、クルスやルカより遅めにユリーナは帰村した。

 みんなのいる居間に入ると同時に、ユリーナは言う。


「アル、やっと買いたいって人が現れたのだわ」

「あの値段でも買いたいって言っているのか?」

「もちろん値下げ交渉はしてきているけど……。買いたいという意思は固いみたいなのだわ」


 そう言いながら、ユリーナは暖炉の前へと行く。


「今日は一段と冷えるわね」


 暖炉の前で体を温めていたクルスが、自分の隣を開けながら言う。


「買いたいって人は錬金術士さん?」

「違うのだわ。商人よ」

「そうなの? 商人さんが買っても、儲からない値段なんでしょう?」


 ユリーナの父が値付けを誤っていない限り、クルスの言うとおりだ。

 転売して儲けが出ないどころか、好事家でも手が出ないレベルの高値にしてある。


 ユリーナは、クルスの隣に座る。

 暖炉の横で寝っ転がっていたモーフィが、ユリーナのひざに頭を乗せた。

 モーフィなりにお帰りの挨拶をしているのだろう。


「商人ってことは、売る相手を見つけたってことだよな」

「恐らくそうなのだわ」

「その商人さんに、誰に売るのか教えてもらえばいいね!」


 クルスは笑顔だ。

 椅子に座っている俺の隣にいたルカが呆れたように言う。


「それは難しいわ」

「どうして?」

「教えてしまえば、自分抜きで直接交渉されるかもしれないでしょう?」

「それもそうかー」


 クルスはフェムを撫でている。

 暖炉の近くに、獣たちは集まりがちだ。


「でも、交渉次第では、いけるかも?」

 ルカは机の上に転がっているシギショアラを撫でながら言った。


「交渉次第っていうと?」

「精霊石取引で、商人が得るお金と同じぐらいのお金を提供できれば……」


 ユリーナがふるふると首を振る。


「それは難しいのだわ」

「も?」

 モーフィがユリーナの話を聞いて首を傾げた。


「商人としては信用が大切なのだわ」

「なるほどー」


 口が軽い商人と噂されたら、今後の商売に関わる。


「だから、お金以外の何かがいるかもしれないのだわ」

「もにゅもにゅ」


 真面目に語るユリーナの手をモーフィが咥えていた。


「とりあえず、その商人に直接会って交渉しようか」

「明日、リンミア商会に来るらしいから、一緒に行くのだわ」

「助かる」


 そして、明日のためには、あらかじめ言わなければならないことがある。


「フェム。モーフィ」

「わふ?」

「も?」

「フェムとモーフィを連れていたら、クルスの手のものだって、ばれるからな」

「もぅ」

「明日はすまないが、留守番を頼む」

『仕方ないのだ』

「もっも!」


 フェムは納得してくれたようだが、モーフィは納得していなさそうだ。

 ユリーナのところから、俺のところに来て頭を押し付ける。


「モーフィ。すまん」

「もー」


 謝りながら頭を撫でるとモーフィはしぶしぶ納得してくれたようだ。



 次の日。朝ごはんを食べた後、俺とユリーナは王都へと向かった。

 クルスの屋敷で、作戦会議をする。


「フェムとモーフィがいないからいつもよりは目立たないが……」

「アル自身がめちゃくちゃ目立っているのだわ」


 俺が今日もかぶっている狼の被り物は、確かに目立つ。


「狼の被り物は、俺がアルだということは隠してくれるのだがな」

「クルスの関係者だってのは、バレバレかもしれないのだわ」

「仕方がない。フードを深くかぶったりして誤魔化そう」


 念入りに変装して、リンミア商会へと向かった。

 そのまま、ユリーナ父の部屋へと通される。


「婿どの、よく参られました!」


 ユリーナ父は、歓迎してくれた。

 挨拶を済ませた後、買いたいと希望している商人について話を聞いた。


「身分は信用できる方です。いくつかの町に支店も出されている急成長中の商会の方ですね」

「なるほど、やり手なのですね」

「……これからいらっしゃいますが、くれぐれもご用心ください」


 ユリーナの父にそう言われたら、緊張せざるを得ない。

 応接室に移動して、待機していると、例の商人がやってきた。

 笑顔がさわやかな若い男だ。

 けして派手ではないが、上等な衣服を身につけている。


「どうぞ、お座りください」


 ユリーナの父が、商人に俺の正面の席を勧めた。

 ユリーナ父とユリーナは俺の左手に座っている。

 あくまでも交渉するのは、俺という体裁を整えているのだ。

 ユリーナはリンミア商会側の人間としてその場にいるという建前である。

 ユリーナが売り手の一味だとばれたら、勇者との関係が一発でばれてしまうからだ。


「あなたが、精霊石を所有しておられるとお聞きしました。ぜひお売りください」

「とても高価なものです。本当にお買いになられるおつもりですか?」


 さすがに俺は狼の被り物を脱いでいる。いくら何でも怪しすぎるからだ。

 アルフレッドだと気づかれることが心配だった。だが杞憂だったようだ。

 商人は気付く素ぶりが全くない。


「もちろん全て買わせていただきたい」

「精霊石など、一体何に使われるのです?」

「それを言ってしまっては、商売になりません」


 そういって、商人は笑う。

 アイデアを盗まれたら、俺が精霊石を売らずにその方法で儲けてしまう。

 そう考えても仕方がない。


「それもそうかもしれませんね」

「はい」

「では、どのくらいの量を所望されておられるのですか?」

「あればあるだけ」

「……御冗談でしょう?」


 笑顔のまま、男は言う。


「冗談ではありません。なぜそう思われるのですか?」

「あまりにも高額になりますよ」

「必要なものは、高額でもきちんと買いますよ」

「失礼ですが、本当に資金はあるのですか?」


 ユリーナが横から言う。


「本当に買える資金があるのか不安になるのは、売り手の側としては当然のことだと思うのだわ」

 ユリーナは笑顔のままだ。だが口調は冷たい。


「ご安心ください。……と、自己紹介がまだでしたね。私はトクル・トルフといいます」

「トルフ?」


 聞き覚えのある家名だ。


「こう見えて私はトルフ商会の跡取り息子でありますから。資金力に関してはご安心ください」

「トルフ商会の跡取り……ですか?」

「その通りです。リンミア商会ほどではございませんが、我が商会もなかなかなもので……」


 トクルはトルフ商会の説明をしてくれた。

 だが、俺は聞くまでもなくトルフ商会について知っている。


 夏のころ、ムルグ村の用事で訪れた商会だ。

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