第142話

 王都で代官代行を雇うことを決めた後、俺は領主の館の外に向かう。

 ヴィヴィとモーフィの様子を見るためだ。

 ちなみにクルスは、真剣な表情で、関係書類に目を通していたので置いてきた。


「ヴィヴィ、あとどのくらいかかりそう?」

「もう少しで終わるのじゃ」


 ヴィヴィは外壁に魔法陣を描いていた。

 一方、モーフィは、ヴィヴィを放置して、館を囲む林の中で遊んでいた。

 一応見える範囲にいるから、護衛としては大丈夫という判断なのかもしれない。


「もっも」

「モーフィなにしてるんだ?」

「もおおぉおーー」


 ――ジョ、ジョバぁぁ


 クンクンと匂いを嗅いでから、モーフィがおしっこしていた。

 縄張りを主張しているに違いない。

 獣界におけるこの辺りの権利を主張するつもりなのだろう。


「フェム。モーフィは頑張ってるな」

『なんのことなのだ?』

「ああやって、縄張りをしっかり主張しているぞ」

『さっき水を沢山飲んだから、もよおしただけなのだ』

「もっも!」


 モーフィは存分におしっこをして満足したのか、こちらに来る。

 堂々とした足取りだ。獣界におけるこの地域の主導権を握ったという自負があるのかもしれない。


「みろ、あの堂々とした姿を。ただもよおしただけではないのは明白だ」

『そうは思わないのだ』

「モーフィは縄張りを主張することで、治安を維持しようとしているんだろうな」

『モーフィの尿は魔力濃度が高いから、魔獣が寄ってくるのだ』


 そういえば、そういうこともあった。だが、あれは例外だ。

 シギショアラの親、ジルニドラ大公が飛来したことにより魔獣が追いやられたからだ。

 結果、餌が欠乏し、聖獣モーフィの尿に群がったのだ。


「いや、でも聖獣って強いから、普通の魔獣は警戒するんじゃない?」

『モーフィは草食だから威圧感は乏しいのだ』


 そう言われたらそんな気もする。

 リンドバルの森でも、魔獣たちはフェムのことは警戒していた。

 だが、モーフィのことはあまり警戒していなかった。


「……じゃあ、フェムが縄張り主張してきてよ」

『わふ?』

「肉食かつ魔天狼のフェムなら、魔獣もビビって近寄らないでしょ?」

『それはそうなのだ。フェムは強いからな』

「だから、おしっこして来てよ」

『嫌なのだ』


 フェムはけちである。

 ちょっとおしっこを周囲にひっかけるだけでいいというのに。


「もっもー」

「モーフィ、偉いぞ」

「も?」


 モーフィなりに、領主の館の安全について考えてくれたのだろう。

 だからいっぱい褒めてやった。

 モーフィは嬉しそうに、頭を押し付けてくる。


「だが、魔獣が寄ってきたら困るな。フェムがおしっこしてくれたら安心なんだけどなー」

 俺はフェムをちらちらみる。

 フェムは鼻息を荒くした。


『嫌なのだ』

「魔獣が寄ってきたらこまるなー」

『それはないのだ』

「どうして?」

『ここには、ティミが来たのだ。だからまだ匂いが残っている。それだけで魔獣は逃げるのだ』


 ティミショアラに怯えていたフェムがいうと説得力がある。

 ドービィもフェムも、強力な魔獣である。そんなドービィたちですら、ティミにはひどく怯えていた。

 並みの魔獣ならば、しばらく近寄るまい。


「りゃっりゃ!」

「シギもおしっこするか?」

「りゃーー!」


 シギは俺の懐から出ると、パタパタふわふわ飛んでいく。

 だがおしっこはせずに、周囲をふわふわしているだけだ。

 その時、ヴィヴィの声が響く。


「終わったのじゃー」

「おお、ありがと。これで安心だな」

「うむ。災害の時など、壊れない拠点となる場所が必要じゃしな」


 ヴィヴィも色々考えてくれている。とてもありがたいことだ。

 終わったという声を聞きつけて、クルスが出てくる。


「あ、終わったんですね」

「うむ。さっきも言ったが、衛兵小屋より脆弱なのじゃ。過信は禁物じゃぞ」

「それでもすごく助かるよー。ありがとう、ヴィヴィちゃん」

「えへへ」


 クルスにお礼を言われて、ヴィヴィは照れていた。

 そのとき、後ろから声をかけられた。老年の男だ。と言っても、今気づいたわけではない。

 近づいてきていることは、ずいぶん前から俺たち全員が気付いていた。

 動きも戦闘訓練を受けたもののそれではない。ただの村人だろう。


「あのー。こちらがお代官さまのお屋敷でよろしいのでしょうか」

「そうですよ。なにか御用ですか?」


 クルスが笑顔で応対する。

 正確には代官の屋敷ではない。だが、実質的に代官の屋敷のようなものだ。

 領主の館と言っても、領主はいない。そして常駐しているのは代官である。

 だから、領民にとって、代官のお屋敷という認識になるのは自然なことだ。


 優しげな少女クルスに笑顔を向けられ、村人はほっとした様子を見せる。


「あの、お代官様にお願いがあって……」

「あ、陳情ですね」

「はい。そうなのです。急に来てしまって、まことに申し訳ないのですが……」

「いえいえ、気にしないでください。こちらにどうぞー」


 クルスが村人を案内して領主の館へと入っていく。

 俺とヴィヴィ、フェムとモーフィもついて行く。


「えっと……」

「どうしましたか?」


 フェムとモーフィが当然のように館に入ってくるので、村人は顔を引きつらせていた。

 そんな村人にクルスが笑顔を向ける。

 村人は代官と全く同じ反応だ。普通、獣、それも牛と狼が領主の館に入るのを見たらこういう反応をするのだろう。

 応接室に入る前、通りかかった役人にクルスが言う。


「あ、ごめんなさいなのだけど、お茶を持ってきていただけたら嬉しいなって」

「御意」


 役人はきびきびした動作で、小走りでどこかに向かった。

 応接室に入ると、クルスは切り出す。


「さてさて、お話をお伺いいたしますよー」

「あの、お代官様にはお会いできないのでしょうか……」

「代官はいま重大な用事があって、不在なんです」

「……そう、なんですか」


 村人はあからさまにがっかりしている。

 代官ではなく、こんな小娘に陳情して意味があるのか。そう思っていそうだ。

 俺は村人に聞こえない程度の声で、クルスの耳もとで尋ねた。


「あれ? 代官どこ行ったの?」

「王都です。早速、人探しに行ってもらおうと思いまして」

「仕事が早いな」

「はい。急がないと駄目なので」


 クルスの判断は正しい。

 代官代理になれる人材は、専門知識を持つ特別な人材だ。

 人脈のある代官が探しに行った方が話が早い。

 俺やクルスが探しに行っても、時間がかかるだけだ。


「大丈夫ですよ。代官には、ちゃんと伝えておきますから」

「……はい」


 クルスに促され、村人はゆっくりと語りはじめる。

 代官補佐が去年より高い税を課してきて困っている。そういう内容である。

 村は更迭された代官補佐の担当していた地域だった。


「ご安心ください。その問題は、領主の方でも把握しています」

「そうなのですか?」

「はい。その代官補佐は更迭しました。近いうちに代官を直接派遣して検地をやり直しますから、少しお待ちください」

「そ、それは、本当なのですか?」

「はい。ご迷惑とご心配をおかけして、申し訳ありません」

「それが本当なのであれば、本当に助かります」

「高い税の他にも代官補佐に迷惑をかけられたなどがあれば、何でも言ってくださいね」

「はい。そう言っていただけるとありがたいです」


 村人は口ではそういうが、まだ喜んではいない。

 当然だ。まだ、代官から言質を取ったわけではないのだ。

 そのとき、役人がお茶を持って入ってきた。


「伯爵閣下。お待たせいたしました」

「ありがとう」

「もったいなきお言葉」


 役人は全員にお茶を出すと、退室する。

 ちなみにフェムとモーフィにも、たらいでお茶が出されている。


「あの……」

「どうしましたか? あ、せっかく入れていただいたので、お茶どうぞ。まずくはないはずです」

「先ほどの方が、伯爵閣下と……」

「あ、自己紹介してませんでしたね。ぼくが伯爵クルス・コンラディンです」

「ひぅ……」


 村人はびくりとして変な声を上げた。

 そして、椅子から飛び降りて土下座する。


「ま、まことに失礼いたしました!!」

「ふぁ!」


 クルスはびっくりしておろおろする。

 そして、助けを求めるようにこっちを見てきた。

 だから、俺は丁寧に老人の体を起こす。


「ご老人。ご安心ください。何の問題もありませんでしたよ」

「私は大変失礼なことを……」

「気にしないでください」

 そういってからクルスは頭を下げた。


「この度は、ぼくの至らなさで領内の皆様にご迷惑をおかけしました」

「いえ! そんな! 伯爵閣下に問題なんて! そんな!」


 ものすごく、びくびくしている。

 村人にとって、領主に会う機会などまずない。領主の下の代官に会うことですら、とても緊張することなのだ。

 領主ともなれば、文字通り雲の上の人物である。


 俺は優しい口調で村人に向かって言う。


「伯爵閣下は、問題を把握しておられます。代官補佐は処罰されました。税率も適正なものになるでしょう」

「ありがてえありがてえ」


 俺が体を起こしたのに、村人はまた土下座する。

 クルスも一緒になって村人を起こす。


「安心してくださいね」

「はい……」

「もし、また問題が起きれば、いつでも領主の館、あ、ここに来てくださいね。もし代官が対応してくれなければ、ムルグ村に来て訴えてくれても大丈夫ですからね」

「ムルグ村ですか?」

「はい。アルラ……ぼくの右腕の部下がムルグ村にいるので」

「そうでしたか。ありがとうございます」


 村人は何度もお礼をして、帰っていった。

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