第17話 退所まで / スズカ
退所が決まってから次の年の3月まで、私は人魚ラボの寮にいた。無許可外出してループをぶち壊した挙句連れ戻される、という不祥事を起こしたんだから多少は噂にもなるわけで、他の訓練生たちにはしばらく遠巻きにされた。
遠巻きにされてる理由はフードテラスでランチを食べてる時、スズカが教えてくれた。
「アキラあの後、寮で1週間謹慎だったでしょ。その間に総務部長が来てみんなに話したんだけど、それがなんか変な口調でさ。『島浦研究所を出ていく人もいるけど、長年保護対象として援助されてきたことの重みと意味をもう一度感じてほしい』とか、あとね、『もし退所したいと思ったら、外部の人間に相談する前にまずラボのカウンセリングルームに相談してほしい』って話だったのね」
スズカはひと息いれてバナナオレを飲む。私はフォークの先で怠惰にグリーンピースをつつきまわしながら言う。
「……あー、出て行く人とか外部に相談とかって、全部私のことか」
スズカはうなずいた。
「まあ、暗にっていうか、そうとしかとれない。で、『退所する人はもう外部の人だから、自分たちとは分けて考えるように』って言ってた」
『外部の人』。なーるほど。
「だから遠巻きにされてんのかーあ」
フォークを放り出して硬いプラスチックの椅子の背にもたれかかると、スズカは眉をしかめた。
「それ」
紙パックのバナナオレでこっちを指さす。
「そやって暗に『もう外部の人』だからアキラには相談すんな、って言ってるわけだけどさ、身近に退所の手続きどうすればいいか知ってる人がいるなら退所したい人はみんな聞きに行きたいじゃん。他にツテはないんだからさ。それ聞くなっておかしくない? おかしいんだけど、みんな従順にそれを守ってるわけ」
スズカはこっちの目を見ながらお皿の上のベジミートパテをフォークで突き刺す。
「ちょ、スズカ、声がでかい」
私は背筋を正して片手を挙げた。テラスはそれなりに人がいたし、何人かは聞き耳を立てているのがわかったが、スズカは止めるつもりはないようだった。そのまま罪なきベジミートパテを何度も突き刺す。
「だって腹立つし。なんで? アキラだってカウンセリングルームに行ったってどうせ退所止められるのわかってたから外に相談したんでしょ?」
「まあ、そうなんだけど」
若干たじろぎながら私は言った。
人魚ラボの訓練生の中でタイムリープに対する不安や恐怖について話すのはタブーだとずっと感じていた。怪談なんかよりもずっと身近で、自分の影のようにべったりと身に貼りついた恐怖だからこそ、誰にも話してはいけないと思っていた。
語れば自分も相手も足元が危うくなるような深い穴がそこにある。
だからこれまで仲良くはしてたけど、自分の不安について話したこともなければ、スズカの考え方をちゃんと聞いたこともなかった……っていうか、ここまで深く話したことなかったかも。
でも、スズカは今、まるで『そんなタブーありましたか?』みたいな顔で話す。
慎重に尋ねてみる。
「……スズカも退所したい?」
「うーん、そうだなー。退所は考えてない。一応志願者だし」
「え」
びっくりして固まると、スズカは笑った。
「大隕石群落下の災害孤児なんだよね。6歳になるとき『養護施設と人魚ラボとどっちか選べる』って言われたんだけど、こっちの方がかっこいいなって」
「そうだったんだ」
いたんだ、志願者……。てっきりいないと思ってた。
私は口ごもった。
「でも、……タイムリープはリスク高い、よ」
スズカは知ってる、と笑った。
「でもこれが私の夢」
「そっか……」
「私は選べたから。でも退所したい人は誰にでもどこにでも相談していいはずだよ」
スズカはミートパテを食べながら無造作に言った。私の手はフォークを持ったまま止まっている。
「……怖くないの?」
「え、怖いよー。けど死ぬと思って跳ばないよ。跳べると思って跳ぶよ私は。アキラとはかぶらないかもしんないけど、どっかの時代では生きてるから、よろしく」
「現代には戻るつもりないの?」
「いや、真面目な話、あんな角つけられて戻ってくる人いる?」
バナナオレ片手にスズカはちょっと笑って言った。
「……いないな」
「ね。未来に跳べたら角も時代遅れになってるし、通信傍受はされなくなってるはず。きっと外すこともできる。タイムリープももっと簡単になってるかも。そしたら角外して会いに来るからね」
ぜんぶ希望的観測だと思いながらも、そうであってほしいと思った。スズカの言葉を否定したくなかった。
「絶対来てよ」
「行く行く! まあ過去に跳んでたら残念なんだけど、その時はどっかでサバイバルしてるから。マンモス狩ってるかどっかの寺で尼にでもなってるか、そこはわからないけど、5キロ泳げる体力があればどこでも生きていけると思うんだよね」
スズカの力強い目を見てると、彼女は自分の言ったことを何でもやり遂げそうな気がした。
「スズカ遠泳訓練で脱落したことないもんね。毎回余裕を感じた」
「いや余力はない、さすがに」
真顔でスズカは言った。
「ゴリラじゃないのよ」
「そうは言ってないって」
「体力があるのは否定しないけど」
「だからそうは言ってないって」
押し問答していたらトレイを持ったユーリカが通りがかった。ふわふわ笑って立ち止まる。
「スズカ遠泳のペア決まった~?」
「あ、今日の夜に公開するよ、フォーラム見てて」
「うちは誰と?」
「それは開けてのお楽しみ」
「アキラとがいーなー」
「残念、アキラは私と組んでますー」
「うーわ、権利の濫用や」
ユーリカは笑っていつもの踊るような足取りでゆらゆら去って行った。
スズカは飲み終わったバナナオレのパックをトレイに置く。
「最近食べてないね」
言われて自分のお皿の上が一向に片付いていないのに気づく。フォークを持ち直して言った。
「話に集中してただけだよ」
「ちゃんと食べなよ~」
歌うようにスズカは言って笑った。
スズカともっと前からちゃんと話せばよかった。タイムリープの話題はタブーだとか、自分の悩みは誰にもわからないなんて思わないで。そしたらずいぶん前から気が軽くなってたかもしれない。でも、そんなことは今だから言えて、わかることだ。
「……スズさあ」
「なーに」
「なんでもない」
スズカがずっと無事だといいな。
私はいつでもタイムリープに懐疑的だった。ラボは公式見解を出していないけど、帰ってきた先輩がいない以上、タイムリープの成功率はゼロだ。もしくは誰にもわからないはずだ。Cはそのうち誰でも跳べる時代が来ると言ったけど、それが今年だとは一言も言っていない。
だけど、これほどタイムリープの可能性を信じたいと思ったことは今までない。
けげんな顔のスズカに笑い返して、私はランチを急いで平らげる。
神様、誰にあげるか迷ってる幸運がどこかにあるなら、それを彼女にあげてほしい。
日曜日を待って山上のちっちゃな神社に上った。さびれた神社には誰もおらず、あるかなと思った交通安全のお守りは拝受すらされていなかった。
私はしばらく立ち尽くし、それから鈴を鳴らして、ただ手を合わせた。
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