第15話 ひとりぼっちの自由

 無人駅で立ち尽くしている私に、1人の男性が声をかけた。

「遠野アキラさんですね?」


 彼が名乗った所属事務所の名前に覚えがあったので私は手のひらに握りしめていたメモをひらく。そこに同じ名前があった。Cが訪ねろと言った場所だ。


 はいと答えると男性は弁護士だと名乗り、「予約をうかがっています」と礼儀正しい笑顔で言った。


 予約なんてした覚えはない。驚いて目を見開くと、私の困惑が伝わったのか、彼は戸惑ったように瞬きする。

 私は尋ねた。


「誰が予約したんですか?」

「……遠野さまがご自身で当サイトから予約されたはずですが……?」


 怪訝そうに彼は言った。私を名乗る誰かが予約をしたらしい。おそらくCだ。

 考えられるチャンスはCが寮に初めて泊まった晩、数分リストバンドを貸した時だけだ。


 本人確認をとれないことに対しても問題ないとCは言った。『C』として他人に連絡をとるつもりはなく、私のリストバンドから私のふりをしてサイトから予約を入れるだけならば、確かに何の支障もなかっただろう。


 スーツの男性は私を見て、遠慮がちに言った。


「遠野アキラ様、ご本人のご予約でよろしかったですか? どうなさいます? 何かの間違いでしたら……」

「いえ」


と私は短く答える。


『何かの間違いだ』と引き返してもよかったけれど、正直それももう面倒だった。引き返して電車に乗ったところで、私を連れだしたCが勝手に消えてしまった今、どこにももう行きたいところはない。人魚ラボに、戻りたくもない。


 何かを決断する力が途絶えてしまったように感じた。何も考えないまま、スーツの男性の案内にしたがって私は歩き出す。


 日が上がり、蝉の声が聴こえ始めた中を歩く。到着したのは駅からすぐのごく小さな事務所だった。入るととたんに古そうなエアコンの重たい音がする。エアコンの冷風を、壁がけの小さな扇風機がかき回していた。


 灰色のデスクに案内されて座った後、私は何を考える余裕もなく、泣きはらした目でただぼうっとしてあたりを見ていた。なんで私ここにいるんだっけ。


 さっきの弁護士が現れてデスク上の薄いパネルを手のひらで示し、ちょっと困惑したようにほほえむ。


「念のため、もう一度ご本人確認をお願いできますか?」


 本人が自分で予約をしたはずなのに、訪れてきた本人が『誰が予約したんですか?』と尋ねてきたわけだから、いろいろと疑心暗鬼にもなるというものだろう。


 私は言われるままパネルの前に手首をさし出し、やっと気づいてOFFになっていたリストバンドの電源をONにする。


「はい、確かに」

と安心したように弁護士氏は言う。


「島浦研究所の訓練生の方ですよね。退所の件でご相談だと……」


(退所の? ご相談?)


 そもそも退所って、そんなことできるの? それって法律事務所を通すものなの?

 私は茫然と口を開いた。


「あの……退所には契約違反で莫大な違約金がかかると母から聞いてるんですが」


 弁護士氏は眉を上げて笑顔を作った。


「あ、いえ? お持ちの口座に残っている給付金のうち、使っていないものを返せばそれで大丈夫ですよ」


 うそ。


 (嘘だったの?)


「母からはそうは聞いてません」

 私はぽつんと言った。


 デスクに目を落として固まっている私に、弁護士氏は滑らかな声で説明を始めた。


「そうですね、誤解されていることも多いですので、最初にご説明いたしますね。学費や寮費などは遠野さまが保護対象になることを条件に給付型奨学金として賄われていたので、返還しなくてはなりません。しかし企業返還支援制度を利用すれば、指定の企業に返還を肩代わりしてもらえますよ。6~7年以上勤め続ける必要があるので慎重に決める必要はありますが」


「指定企業……そんなのあるんですか」

「あります。実は以前、島浦研究所の訓練生の方が亡くなられたケースがあって……その事件以来、受け入れ企業が島のあちこちに作られたんですよ。ただ、あまり周知されてないのも事実でしょうね」


 真顔で弁護士氏は言う。


「そうですね」


 私は窓から外を見た。木立の緑がいつも通り揺れている。

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