第14話 楓

 方角がさっぱりわからない。


 私とCはループのトンネルを出て木々の中を立ち尽くしていた。


 ラボの訓練で装着するコンタクトレンズにはマップ機能があるが、今日は朝から外している。リストバンドと同じく、装着した瞬間にGPSで居場所を特定されてしまうからだ。


 山の中にいるのは確かだけど、私はいま電車の駅から見てどのへんにいるのだろうか。

 しばらく立ち尽くした後、Cが歩き出した。


「たぶん、こっち」

「根拠は?」

「ない」


 なんだそれ、と思ったが、どっちみち早く歩き出さなくてはいけない。ループ付近にいたらいずれ捕まる。


 昨日の雨で地面はぬかるんでいる。道はなく、濡れた落ち葉を踏めば滑る。Cのカンを頼りにあてもなく歩いた。


「ねえ」

「なに」


 話しかけるとCは返す。


「なんで夜抜け出さなかったの」

「抜け出してほしいの」


 Cは笑った。私は慎重に言う。


「そうじゃないけど。昨日来た人、会いたかった人かもしれない」

「その可能性はない。だから行かなかった」


 Cはどんどん進みながら背中で言った。足取りにためらいがない。道わかってんのか、この人。


「顔見てないのにわかるわけ?」

「うん」


 Cは立ち止まり、あたりを見渡して、木の枝に結びつけられたピンク色のリボンを一瞥した。斜面を登り始める。


「なんでわかるの?」

「まあ、それはいいでしょ」


 Cは教えてくれなかった。山頂に向かうようだ。互いに沈黙したまま進む。

 どれくらい時間が経ったのか、疲れで口をきく気にもならなくなったころ、急に木立をぬけて見晴らしがよくなった。踏み固められた道らしきものが上に向かって続いている。


「よし」


 Cは小さく言った。こっちを振り返る。

「このまま登るよ」


 すでに疲れていた私は黙ってこっくりする。山道をひたすら歩くうちに、整備された小さな公園やベンチ、自販機や標識が道に現れる。


「展望台だね。あっちは駅」


 Cが指さした方角に無人駅が見えた。


「……なんで……」


 一度でたどりつけるわけ。


 最後までしゃべる気力もなかったが、Cは私の言いたいことがわかったようだった。振り返る。


「リボンをたどった。あれは人が歩いた痕跡だから。山道が見つかってラッキーだったね。とにかく下山せずに上ってれば、いずれ山頂に着くとは思ってたけど」


 なんでもいいや。私は頷いた。


「よくやった。お手柄」

「お褒め頂き光栄です」


 言いながらCはどや顔で笑った。

 Cが行きたいと言ったクレーター跡を一望できる展望台まで、誰もいない夜明けの小道をたどって移動する。静かな虫の声が鈴のように降る中、黙って歩いた。


 明るく白みかけた空が私を憂鬱な気分にさせた。明るくなればなるほど、追手も私たちに近づいてくる。きっと放っておいてはくれない。

 想像の中のそれは人魚ラボの総務部長の顔をしていたけど、何かもっと大きな運命の黒い影のような気もした。


 いやな予感に胸をふさがれて、私は明るくなる空を見ないように視線を落とした。 前を歩くCの白い手だけを見つめて歩く。


 無人の展望台はがらんとひらけていた。鉄さびた柵のところまで歩いて行って、細かな緑の草で覆われたクレーター跡を見下ろす。2135年の大規模隕石群のいくつかは島浦にも墜ちていて、その痕跡が残っている。


 その一帯は木が切り払われていて『島浦隕石クレーター跡』と看板が出ているからそうとわかるけど、知らなかったらただの窪んだ草地だと思ったかもしれない。


 展望台に着いたCは柵につかまり、クレーター跡を見下ろす。Cが黙って景色を見つめるかたわら、私は看板を読んだ。


「『2135年の小惑星ベンヌを含む大規模隕石群の衝突・爆発とそれによる地殻津波、気象と環境の変化は世界人口の急激な減少を引き起こした。これにより人類の科学技術の進歩はおよそ100年遅れたとみられる』……」


 Cは横顔でつぶやいた。


「人類を滅ぼしかけた原因のひとつ……にしては、小さいなあ」

「墜ちたのはこれだけじゃないからね。ニューヨーク、メキシコシティ……とあとどこだっけ、忘れた」


 歴史は得意じゃない。私は頭をかいて、看板をもう一度見直した。


「あ、ほら、島浦近海にもいくつか墜ちたみたいだよ。ここまで津波が来たって。小惑星と隕石群の衝突で地軸? がずれて、それから日本は夏と秋を繰り返すようになったって書いてある」


 Cがこっちを向く。


「どうせなら、もう少し秋が長くてもよかったのにな」

「秋ね。1年に1度しかないし……。短すぎるってか、夏が長すぎるよね」


 相槌をうつと、Cは真顔で言った。


「惑星の当たり方が悪かったのかな……」

「当たり方て」


 呆れて顔を見返すと、Cは柵をつかんで腕をまっすぐにのばす。半身をかけてぐーんと柵の上にのびあがり、クレーター跡を眼下に見下ろして言った。


「単純にさ。もしもっと秋が長ければ、宿直小屋の取り壊しは台風の季節の後に延期されたかも。そしたら、もう少し焦らずに私たち、過ごせたかも。……と思って」


と言って、Cは宙に浮いていたつま先を地面につけて着地した。


 私は何も言えなくなり、ポケットの中を探った。たまたま入ってたレモン味のタブレットケースをCに差し出す。


「……ね。もう駅、行こうよ。ここにずっといたら」


『きっと捕まる』


 その先の言葉は言えずに私はCを見つめた。

 Cは頷いて手のひらの上に数粒のタブレットを受けとる。黙って歩き出した。


 駅に着いたCはレモンのタブレットを口に放り込み、ポケットからカードを出した。出したカードで改札口をくぐって振り返る。ひとりごちた。


「わ。使えた」

「何それ」

「公共交通機関で使えるカード。電車の乗り方、わかる?」

「……あまり、乗ったことないから」

「リストバンドかざしてみ。通れるよ」


 私は言われるまま改札口を通り抜けて、電車の時刻表を見ているCの横に立つ。Cは言った。


「ラッキー。すぐに始発が来るよ」


 違う時空から来たCは電車の乗り方を知っているらしいが、私は現代人のくせに乗り方がわからない。ラボに来る前に数えるほどしか電車に乗った経験がないからだ。小さい頃のことだから、記憶もおぼろげ。


 私は訊いた。


「Cはどの時代から来たの?」

「唐突に聞くね」


 Cはタブレットを噛み砕いて言う。だが思えば今まで聞かなかったことのほうが不思議だ。


 どの時代からここに『戻って』きたのだろう? それとも望み通りの時間に戻れなくて、今ここにいるのだろうか?


『跳ぶ』には反重力装置のついたカプセルに入る必要があるはずだ。ラボの助けもなく、どうやって跳んできたのだろう。


 Cが口を開きかけたころ、かすかな音と共に電車が到着した。扉が開き、お知らせの音楽が鳴る。


「とりあえず乗ろう」

「そうしよう」


 無人の車両に乗り込むと、音もなく扉が閉じる。


「で?」

「かなり先だよ」


 またごまかす。Cはこちらを振り向いた。


「でも、いずれアキラも見られる」

「てことは1年以内だ」


 Cは息を吐きだした。プラスチックのシートからこっちを見る。またあの目。つらいんだか切ないんだかわかんない、でも真剣な目だ。Cは言った。


「もっと先。もっともっと、ずっと先」


 私は黙っていた。電車の速度はループよりずっと遅く、ガラス窓の向こうの景色は手を伸ばせばさわれそうに近い。

 私は話を変える。


「将来的にタイムリープってちゃんと成功してるの? 現代で人魚が設置しようとしてる座標マーカーって、あれ意味ある?」


 Cは答える。いま人魚たちが地道に設置した座標マーカーが功を奏し、未来では今よりずっとタイムリープが簡単になっている。


 黎明期の人魚のタイムリープは到着先の座標が指定できず非常に危険だった。深海や火山、砂漠、太平洋の真ん中など、リスクの高い場所にリープしてしまう可能性が常にあったのだ。生還者はほとんどなく、運よく近海にタイムリープした者だけが命が助かって、日本では神社姫や予言を行う人魚として言い伝えられている。


 だがカプセルの反重力装置(リフター)の技術改善のおかげで人魚の生還率が高まり、マーカー設置が急激に進んだ。


 未来でもマーカー設置は継続されており、狙いの日時にピンポイントで跳べるようになっている。座標を決めて跳べるようになったことと反重力装置の発達により、身を守るカプセルに入る必要がなくなった。


 人魚でなくとも潜水や筆記の試験をパスし、異なる時代に未知のウイルス等を持ち込まないよう全身洗浄を受けた上で国際規約を守れば誰でも利用できるそうだ。


 Cは言った。


「リスクも大きいから利用者は多くないけどね」


 私は電車の窓からCの顔に目を戻す。


「だから人魚辞めたのにここまで跳んでこれたんだ」

「そう」


 Cは言った。「座標マーカーが海の中だから、泳ぐ必要はあったけど」


 だから初めて会った時髪が濡れてたのか。私が考え違いをしていたように本土から泳いできたわけじゃなくて、近海のマーカーから島に泳ぎ着いたんだ。

 私は慎重に言った。


「そーいや、タイムリープは一方通行だって習ったけど……」

「それは未来でも変わってないよ。一度使ったワームホールはすぐ消えてもう使えない。だから帰る時は、未来に置いてきたマーカーに向かってもう一度ワームホールを作って跳ぶよ」


 私は尋ねる。


「帰るの?」


 我ながら自然な声で言えたと思う。「来た時代に」


「そうだね。戻る」


 私は一瞬黙る。


「Cはいいね。私には逃げ場所なんてない」


 とがった声がCの耳を刺したらしい。窓を見ていたCはこっちを見る。


 こんなこと言うつもりなかった。だけどさんざんだ。小屋は取り壊しが決まった。薬も取り返せなかった。Cには二度と会えない。私から好きな場所で死ぬ自由さえ奪っておいて、自分は『戻る』? 簡単に言ってくれるよ。


 置いてくのかよ。そう言いたくても言えないまま、私の目の端には涙がにじむ。


「最初から帰るつもりだったんだ。だったらなんで気まぐれで私に関わったりしたんだよ」


 Cの顔が曇る。


「違う」

「嘘つき」

「後でわかるよ。……災厄が去るんだから喜びなよ」


Cは私を見つめながらぽつんと言った。苦い笑いかたをする。


「ごめん、いま意地悪言った」


 意地悪……『災厄』って?


「……どういう意味」


 なんでもないよ、と柔らかな声が言う。


「アキラ、終点のひとつ前で降りよう。それで、ここに行って」


 目の前に小さなメモが差し出され、私はそれをただ受け取った。見慣れない会社の名前と住所が書いてある。


 Cを振り返る。彼女はまっすぐ前を見ていた。横顔で言った。


「一緒に灯台までは行けないよ」


 私は震える口をひらいた。


「連れてってよ」


 灯台に。あんたのいる未来に。どっか私が自分でいられる場所に。でもそれは言えなかった。

 Cは少し黙る。首をかしげ、私を見つめた。


「連れて行こうか?」


 どっか痛いみたいにそう言った。でもすぐにくしゃっと笑う。


「やっぱだめだ」

「……」


 私は黙って俯き、Cのつま先を思いきり踏んだ。目から水滴が一粒、床に落ちる。


 車内アナウンスが隣町の駅名を告げる。

 電車は駅に停止し、乗客が数人乗り込んでくる。私は目を腕でこすり、口をつぐむ。向い側に座った乗客が私とCをじろじろ見た。


「移るよ」


 私はCの腕を掴んで立つ。隣の車両へ移動し、座らずに戸口に立っておくことにした。

 手すりに寄りかかる。Cは扉にもたれ、しばらく厳しい顔で窓を見つめていた。

 私に顔を向ける。


「あのさ……」


 私は遮る。

「わかってるよ。駄目なんでしょ。もういいよ」

「聞いて」

「いや」


 聞きたくない。どうしようもない現実から逃げ出せるなんて、希望を持たせておいて捨てやがった。帰る場所がある奴は気楽でいいよな。キレイゴト言っとけば何かした気になれるんだからさ。


 Cはもう一度言った。


「聞いて」


 答える代わりに手をぎゅっと掴む。強すぎるくらいの力で。Cは静かに言った。


「痛いよ」


 私は少し笑った。


「ずっと痛んでればいいな」

「ひどいな」

「痛めば忘れない」


 Cは口を開いて、とじた。その目はじっと私を見つめた。


「嘘。忘れていいよ。忘れて」


 私は目を落とし、小さく言った。掴んだ手だけを見ていた。

 うなだれた頭にCの小さな声が降ってくる。


「ちょっとじっとしてて」


 Cの手がふれ、右の耳で軽くかちりと音がした。


「帰ったら鏡を見て」

と手を離す。


「約束してたやつ。『埋め合わせ』」


 電車が停まり、また乗客が乗り込んでくる。ざわつき始めた車内で、私とCは目を見合わせて黙っていた。終点のひとつ前だった。


 Cは体を起こし、開いた扉の向こうに私を押し出した。よろめいてホームに降りた私が振り返った時、Cは私をまっすぐ見ていた。光るように笑う。低くはっきりと彼女は言った。


「私はここであなたを捨てる」


 電車の扉は閉じ、走り去った。

 くしゃくしゃになったメモを熱い手のひらに握りしめ、私はホームで1人だった。視線のさきで雨上がりの楓の葉がみどりに透いて光っていた。


 つめたく吹き渡る風にうなずくように木々は揺れ、雨粒をこぼした。

 世界は美しかった。ほとんど耐えきれないほど。


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