第13話 夜明けのループ

 窓が藍色に染まるころ、私はそっと部屋をぬけ出す。


 小さくノックすると内側からCが顔を出す。早すぎたかなと思ったけど、ずっと前から待っていたようなタイミングだった。


「おはよ。いたね」

「おはよ。いたよ」


 Cはそう言って扉から顔を出した。その目の下にはうっすらと隈が落ちている。まだ暗い窓を見上げる白い横顔に私は小声で言った。


「ちょっと早いけどループは24時間運転だから。行くよ」


 Cを連れて外に出た。冷たい草を踏む。ひんやりした空気を吸い込むと、肺の中がつめたい。

 あたりは青い薄暗闇に沈み、どの建物にも非常口の緑の明かりが静かに灯っているだけで、虫の声もまだ高かった。


 ラボは奥まった場所にあり、私たち人魚が足を踏み入れることはめったにない。気晴らしに町に出たくてループに乗るのでもない限り、遠くから見てるだけだ。『角』と呼ばれるAIチップの埋め込み手術はここで行われる。


 ラボはつるりと真新しくて白く、高いところにある小さな黒い窓は入るのも見られるのも拒絶しているかのようだ。気取った箱みたいな建物だ、といつも思う。


「どこから入る?」


とCは聞いた。


「入口から」

と私は答える。


「窓からは入れないから。強行突破」

「これはばれるね」

「ばればれだね」


と言いながら2人でセンサー板を飛び越える。子供の時のあそびみたい。ラボに来る前に家の近くでよく遊んだ。


 2色の石畳の道を通る時は、白い石畳だけを踏んで進む決まりだ。赤茶の石畳を踏んだら、マグマに落ちたと見なす。

 誰と遊んだっけ、ひとりでだっけ。それは覚えてない。


 入口にたどりつくと扉は私の顔を認識してひとりでに開いた。


「ここからは急いで」


 私は小声で言った。Cを見ながら廊下を走り始める。


「今ごろ総務部長のところに通知がいってる」

「どれくらい時間ある?」

「長くて5分ってとこかな」


 それを知っているのは大昔に外出申請を出さずに町に出ようとしたことがあるからだ。ポイントを探してラボ内を迷ってるうちに捕まった。


 Cの手を掴み、ループのポイントまで走る。2人が走ると同時に窓の遮光ブラインドが角度を変えて暗い廊下に朝日が射し込みはじめ、エアコンが稼働を始める。


「ここ!」


 私は息を切らして目当ての扉にたどりつき、壁のセンサーに叩きつけるように指をタッチした。続いて網膜認証を済ませ、Cを振り返る。


「次、Cの番」


 正直、ここで挫折する可能性は想定していた。Cが認証されない可能性のほうが高い。だって『角』の装着決定前の、行方不明の人魚の情報なのだから。


 だが扉は開いた。私は内心驚きながらCと一緒に自動運転車に乗り込む。ドアが閉まる。

 車は静かに動き出す。音声案内システムが言った。


『おはようございます。遠野アキラ様、御1名様ですね。島浦町までご案内いたします。到着予定時間は6時20分。どうぞおくつろぎください』

「1名?」


 眉をしかめた私にCは笑う。


「バグだよ」


 まあループが動けば何でもいいけど、と私はほっと息をつく。隣の席で笑っているCは落ち着いていて、それだけで何もかもうまくいってる気がした。

 私はふかふかのシートの上でパネルにふれ、車のフロントスクリーンに地図を映した。


「着いたらすぐ灯台まで行こう。町なかは駄目。誰か1人にでも見られたら終わりだよ」

「わかった」

「ほかに行きたいところある?」


 Cは私を見る。


「灯台まで走る電車に乗りたい」

「電車……」


 私は首を傾げた。そんなのあったっけ。町のことはあまり知らない。


 パネルをさわる。地図を拡大すると見慣れない鉄道ラインが現れた。山頂から海岸線に向かって走っている。確かに、これに乗れたら町の中を歩かずに灯台の近くまで直通で行けそうだ。


 地図で見る限り、電車の『駅』は現在位置を示す赤いピンからそう遠くない。でもループの到着ポイントの『島浦町』からは離れている。


「これに乗りたいの?」

 地図を指さすとCは頷く。私は下車する場所を変更することにした。


 とはいえポイントは島浦町にしかない。この島のループはちょっと時代遅れで、ポイント以外の場所では下車できない。センサー板を使えば技術的には可能なはずなので、セキュリティを厳重にするためにあえて時代遅れにしているという話もある。


「……メンテナンスモードにしよっか」

「どうやって?」


 Cは尋ね返した。私はリュックを開き、ハンマーを取り出す。

 完全に固まっているCの前で振りかぶる。


「目閉じてて」


 横の窓を叩き割る。始めは強化ガラスに細かなヒビが入るだけだったが、繰り返すうちに大きな風穴があいた。


 強い風が吹き込むと同時に真っ赤な光がフロントスクリーンいっぱいに点滅し、ERRORと大きく表示されたかと思うと、車は減速し、停止する。

 音声案内が言った。


『当車は原因不明のエラーにより停止いたしました。落ち着いて身の安全をお守りください。これよりメンテナンスモードで帰車いたします』

「今だ」


 私はパネルを叩いてドアのロックを外した。ドアの外へ滑り出て、Cに手を伸ばす。


「行こ」

「……」


 Cは何も言わなかった。無表情だったが、ひょっとすると呆れていたのかもしれない。出てきたCはループの中を見廻す。


「ここどこ?」

「山のどっか」

「それはわかっているんだよ」


 Cは言った。目の前で車はゆっくりとラボに向かって戻り始める。

 私はセルロースナノファイバー製の半透明の天井を見上げる。ぼんやり透いて見える空はまだ薄暗い。

 私は言った。


「700mごとに非常口があるはずだから、歩けば出口は見つかるでしょ」

「そうだね」


 歩き出したCの後をついて私も歩く。


「よくハンマーもってたね」


 Cに聞かれて私はいつも持ってるよ、と答える。


「いつもか……」

「正確に言うと森に入るようになってから、持つようにした」


 寮の備品を盗んできた。好きな場所とタイミングで死にたいからといって野生の変態に殺されたいわけではないのである。

 あ、それで思い出した。


「そういえば昨日小屋に入ろうとしてた奴。ラボの関係者かな」


 人魚ラボから交付されるパスを持っているか、網膜認証が成功するかしなければループには乗れない。ラボと島外のポートを直につなぐフライングジェットに乗るには、それにプラスしてラボの許可証IDが要る。


 部外者がラボまで来る交通手段はほぼ断たれているのだ。あそこにいたのはラボか訓練施設の誰かだろう。

 Cはしかし言葉を濁した。


「どうかな」

「Cはどうやって森まで来たの?」

「泳いで」


 泳いで?


 私は一瞬足をとめた。


「嘘だろ」

「泳いだ」


 Cは繰り返した。確かに初対面のCは疲れているようだったし、髪も濡れていた。でも嵐の海を、泳いで渡ってきたって?


 確かに人魚なら水泳に適性がある者が多いし、鍛えられてもいるけどさ。だからって嵐の海を泳ぐ危険性が減るわけじゃない。本土から島まで泳ぐなんて、そんな手段、頭に浮かびもしなかった。


「……無茶苦茶するな」

「うん」


 Cはちょっと振り返って言った。「でもほかに方法がなかったから」

「そ……うかもしれないけどさ」


 言いながら考えた。Cが泳いで『外』からここまで渡ってこられたのなら、私も泳いで島から逃げることができるんじゃないか。

 Cの言葉が嘘じゃなければだけど、少なくとも不可能じゃないわけだ。


 いや、でもやっぱり無理じゃない? 普通に死なない? 海で死ぬのは嫌なんだって。それにそれからどうしろって?


 混乱する頭を抱えて歩く。Cは歩みを止めた。


「出口あった」


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