第10話 予期せぬ侵入者
Cの背中越しに真っ黒なガラス窓の向こう、闇の中をかがむような人影が横切るのが見えた。
咄嗟にCの腕を掴み、強引にキッチンの床にしゃがみ込ませる。
「え、何?」
「しっ」
ひとさし指を立てて、私は戸口に向かって耳を澄ます。小屋に明かりはつけていない。ここに人がいることに、外の人影はまだ気づいていないかもしれない。
私が四色型色覚者じゃなければ、私だって外に人がいると気づいてない。私は小声で囁く。
『勝手口へ』
Cは黙ってうなずき、足音を殺してしゃがんだまま横に進んでいった。キッチン横の裏口のドアノブにそっと手をかける。
その時、ぎしっと玄関のほうから不気味なきしみ音が聴こえた。建てつけの悪いガラス戸を揺すぶる轟音に、私とCは顔を見合わせる。解体業者か、それとも侵入者か。
家全体が揺さぶられてガタガタと大きな音を立てていた。その間にCは手に力を籠めてドアを引き開け、すばやく雨の中に私の背中を押し出す。
押された勢いでたたらを踏んで振り返れば、Cが続いて出てきて体をひねり、急いで戸を閉めようとしているところだった。
私は駆け寄ってCと一緒にドアを閉める。小屋の周囲を見渡せば、ほかに人影はない。
(侵入者は1人だけか)
表ではまだ玄関の戸を開けようとするうるさい音が続いていた。周囲を確認してる間にCは私の袖を掴むと、森の中に走り出す。
「ちょっと……!」
「黙って走って」
Cは振り向かずに背中で言って木立の中に走り込むと、しばらく草をかき分けて進み、少し足取りをゆるめた。それでも立ち止まらないし、校舎に向かってるようには見えない。
「どこ行くの……」
「もう少し先」
しばらく進んだ後、山肌にぽっかりと空いたトンネル跡が姿を現した。Cはためらわず中に入っていく。入り口には濡れた落ち葉が積もり、水たまりができていたが、奥深くまで入ればがらんとしたアスファルトとコンクリートの道に変わった。
「何ここ……」
「昔の国道トンネル。ループができて廃道になったらしいよ」
『先輩』だけあってよく知ってるな、と横目で見ていると、Cはポケットから取り出したペン型のライトをつけた。
床を照らしながら進んでいく。あった、とつぶやいて何か拾った。光る小さな黒い石のように見えたそれは、Cの手のひらに隠されて見えなくなる。
「何、いまの。光ってた」
「落とし物」
「誰の」
自分の、とCは言う。以前もここに来たことがあるに違いない。私は来た道を振り返った。
「……さっきのって業者かな」
「だったら昼に来るよ」
「じゃ、誰……」
「知らない。でもアキラはもう森に来ない方がいいよ」
Cは初めて足をとめた。振り返る。
「危ない」
それはアンタもでしょ、と言いたい私はCの顔を見たまま首筋をかいた。
「Cは?」
「私ももう来ない」
「ああそう。冗談」
私はCの腕を掴む。
「町に行く約束は?」
「……それは……」
「薬返して」
「もう無理」
Cは青白い顔で言った。「ごめん」
待って、これもう会えないやつじゃない?
私はCの腕をまだ掴んでいた。
「小屋に戻る気じゃないよね?」
Cは黙ってかぶりを振る。でも、その静かな顔を見てると、小屋に戻るつもりだって気がした。
あれはCが待ってた人だったのかもしれない。でなきゃ夜あんな場所に行く人間なんていない。胸騒ぎがしたけど、私はそれを押さえつける。
待ち人だとは限らない。ただの危ない奴だったら? 犯罪者とか、変質者とか。私は早口に言った。
「危険だから戻らないで。一緒に来て。寮に空き部屋がある。一晩泊まって早朝たてばいい。町には明日一緒に行く」
「早朝か。……ループ使ったらラボにばれるね」
「でも、一度は使える」
Cがそう言ったんだ。
じっと目を見つめると、Cは苦笑した。言いかける。
「……アキラ、」
「じゃ決まり。一度した約束は守って」
言葉の後ろを勝手に引き取り、Cの腕を引いて歩きだす。妙な焦燥感が私を駆り立てていた。
Cはちゃんとついてきたけど、私は何度も後を振り返った。前にそうだったみたいに、急にいなくなる気がした。でも彼女は消えず、その代わりに立ち止まって「海に行きたい」と言った。
「海? 荒れてるよ」
「知ってる」
海に行かなかったらてこでも動きそうにないので、私は仕方なく北に進路を変える。木立の切れ間に黒い海が見えると、Cは走り出し、走りながら靴をぬぎ捨てる。
沿道に出て小さなコンクリートの階段を駆け下りた。止める暇もなかった。
Cは黒く満ちた海の中に身を投げた。雨混じりに横顔をぶつ激しい風と波音の中、私は一瞬立ち尽くし、それから走り寄って階段を駆け下りた。
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